ヒミコの決断 第26話
トヨ様のいる宮殿の近くに、魏から届いた宝物と金印が置かれる場所が作られました。
他より高い高床の上にもう一段、金印を奉る場所があり、それを護る兵のいる場所も作られました。
そこからは四方が見えるように四人の兵が立ち、中には二人。
ずいぶん厳重に護られていました。
その兵は、今後、出雲から来た方々が担うことになっていました。
出雲の加護があることを、周りの国へ示す意味もあったそうです。
この、他より高い建物。
これもクナの技によるものでした。
こういった特別な建物を作ることを、クナの方々はとても得意としていました。
そのため、ヤマタイ国だけでなく、遠くヤマトや出雲まで出向いて、建物を作る者もいたそうです。
第26話 闇を渡る
夜。
もうどこの村も寝静まった、深い夜。
ノボリのタカモリでは、番の男が暗い川の方を見ていた。
日が昇る方は、ノボリと呼ばれていた。
その時、反対側にあるカワガワのタカモリに篝火がついた。
「篝火だ。二つだ」
下にいた兵士が顔を上げた。
「二つか」
「ああ。左が大きくて、間が広い」
「またか。こんな時間に川を渡って来たんだな」
兵士は立ち上がった。
「わかった。すぐ準備する。確認したって返しといてくれ」
「ああ」
兵士は横にある寝所へ行き、勢いよく戸を開けた。
「起きろ。川を渡って来た者がいる」
中で眠っていた者たちが体を起こした。
一人が槍を取り、もう一人は履物を履きながら聞いた。
「またか」
「ああ。カワガワからだ」
「何人だろうな」
「まずは行ってみるさ」
兵たちはすぐに外へ出た。
その間に、ノボリのタカモリにも篝火が上がった。
知らせを受け取ったという返事だった。
少しして、台地の中ほどにあるナカモリにも火がついた。
暗い台地を、知らせだけが先へ走っていった。
兵たちは道を下った。
しばらく行くと、暗い道の向こうから人が歩いてきた。
一人だった。
女だった。
着物の裾は濡れ、足には泥がついていた。
兵士が声をかけた。
「止まれ」
女が立ち止まった。
「どこから来た」
「川の向こうからです」
「こんな夜に、どうした」
女は息を整えてから答えた。
「子が熱を出しました」
兵士たちは顔を見合わせた。
「子は?」
「向こうにいます。母が見ています」
「それで、薬か」
「はい。向こうの草師のところへ行ったんですが、薬がなくて。こちらへ行けばあるかもしれないと」
「草師だな。起こすから一緒に来い。こっちのはノボリの方が近い」
「ありがとうございます。ですが、今日は渡るだけで精一杯で、薬と変える物を何も持って来られなかったのですが」
兵士の一人が女の肩をたたいた。
「それはあとで考えればいい。行くぞ」
そう言って歩き出すと、もう一人の兵士が女の足元を見た。
「川を歩いて渡ったのか」
「浅いところを知っています」
立ち止まって、兵士は暗い川の方を見た。
「そうはいってもなぁ。帰りはやめとけ。朝まで待った方がいい」
女が顔を上げた。
「でも、子が」
「分かってる。薬があったら、こっちから誰かに持たせる」
「向こうまで?」
「ああ。場所を教えてくれればいい」
女は少し黙ってから、何度も頭を下げた。
兵士は一旦上まで登って、詰め所にいた兵へ声をかけた。
事情を簡単に話し
「誰か行く奴、決めといてくれ」
「わかった。俺が行くよ」
「すまんな。とりあえず草師のところへ行ってくる」
そう言うと、兵士は女を見た。
「急ぐぞ」
「はい」
二人はノボリの方へ向かった。
遠くでは、役目を終えた篝火が一つ消えた。
そのあと、もう一つ消えた。
*
この頃になると、こうして夜に川を渡って来る者が、まれにいた。
病人が出た。
怪我をした。
薬がない。
そんな時には、川の向こうからでも人が来た。
三年前には、わざわざこちらまで来る者などほとんどいなかった。
今では草師がいて、治し手がいた。
舟着場があり、道があった。
少し遠くから来た者が泊まれる場所もあった。
一度来た者が、また来ることもあった。
何度か来るうちに家族を連れて来る者もいた。
そのまま住む者までいた。
そうして、西には少しずつ人が増えていった。
*
朝になると、道にはもう人がいた。
舟着場へ向かう者。
畑へ行く者。
荷を背負う者。
子供を連れて歩く者。
タルカメという、雨を溜めておく池の近くでは、二人の男が矢板を打ち直していた。
「そこ、もう少し上げるぞ」
「昨日、こっちから溢れただで」
そう言いながら、矢板を打ち付けていた。
その少し先では、道の端に丸太が置かれていた。
雨が降ると土が崩れる場所だった。
そこへクコチヒコが通りかかった。
丸太を見て足を止めた。
「これは誰が置いたのですか」
近くで土をならしていた男が顔を上げた。
「山手の方の奴だよ」
「ふむ。頼んだのですか」
「いいや」
男は不思議そうな顔をした。
「また雨が来たら崩れるだで、先に置いといただよ」
クコチヒコは丸太を見た。
以前なら、こういう話は必ず自分のところへ来た。
どこが崩れた。
木が足りない。
人を出してほしい。
どう直せばいい。
一つずつ聞いて、一つずつ決めていた。
今は違った。
「まずかったか」
男が聞いた。
クコチヒコは首を振った。
「いえ」
少し考えた。
「その方がいいです」
男はまた土をならし始めた。
クコチヒコも歩き出した。
道を進むと、若い栗の木が並んでいた。
まだ大きくはない。
それでも三年前に植えたものは、ずいぶん木らしくなっていた。
畑も増えた。
小さかった舟着場の近くには、いくつもの建物ができていた。
舟を直す者。
荷を運ぶ者。
道具を作る者。
食べ物を出す者。
遠くから来た者を泊める者。
そこへ来る人を目当てに、新しく住み始めた者もいた。
クコチヒコは、それらを一つずつ作ろうとしたわけではなかった。
必要なところに道を通した。
水が要るところに水を溜めた。
舟が来るなら、荷を置く場所を作った。
怪我人が増えれば、治し手がいる場所を作った。
それだけだった。
けれど、そこへ人が来た。
人が来れば、また必要なものが増えた。
必要なものが増えれば、それをする者が来た。
いつの間にか、クコチヒコが知らないところで、新しい家まで建っていた。
歩いていると、向こうから荷を背負った女が来た。
「あ、クコチヒコ様」
クコチヒコは立ち止まった。
「もう、すっかりそう呼びますね」
女は笑った。
「でも、自分で言うからでしょ」
「お恥ずかしい」
「何が恥ずかしいだ」
クコチヒコは答えられなかった。
女は頭を下げて、そのまま通り過ぎた。
少し先では、老人が道端に座っていた。
クコチヒコを見ると手を上げた。
「クコチヒコ様よ」
「はい」
「この前の水、よかったぞ」
「水?」
「オオカメから引いたやつだ」
「ああ」
クコチヒコは頷いた。
「あれは私ではなく、向こうの村の人が」
老人はもう聞いていなかった。
「また頼むぞ」
そう言って笑った。
クコチヒコは少し困った顔をして、また歩いた。
自分が何かをしたと思っていないことまで、なぜか自分がしたことになっている。
少し前から、そういうことが増えていた。
*
昼を過ぎた頃、クコチヒコのところへ使いが来た。
「イキ様がお呼びです」
クコチヒコは持っていた木板から顔を上げた。
「今からですか」
「はい」
「何の話でしょう」
「それは聞いていません」
クコチヒコは木板を置いた。
「分かりました」
*
クナでは、王のいる城をミヤシロと呼んでいた。
ミヤシロは、西から戻る道の途中でも、かなり遠くから見えた。
丘の上に、大きな屋根が立っていた。
その横に、もう一つ。
遠いうちは、ただ大きいと思うだけだった。
けれど、近づくにつれて、かえってその形は分かりにくくなった。
空堀の外には、高い木々がところどころ残されていた。
すべてを切り開いたわけではなかった。
道は木々の間を抜け、ときに曲がり、建物も重なって見えた。
遠くからは見えていたはずのミヤシロが、近づくほど森と地形の中へ隠れていった。
高い木は、ただ残っているのではなかった。
近づく者の目を遮り、通れる場所も限っていた。
それもまた、この場所を守るものの一つだった。
村や城、御屋(ミヤ)のあるところだけが大きく開かれ、その外にはまだ森の気配が残っていた。
木々の梢の向こうに、三階の城と御屋の屋根が少しだけ見えた。
東に立つ大きな建物が城だった。
三階まで組み上げられた木の建物で、一番上には周囲を見るための小さな見張りの場所があった。
その西側には、さらに大きな高床の建物が立っていた。
御屋だった。
床は地面から高く持ち上げられ、それを二十本の太い柱が支えていた。
一本一本が、普通の家に使う柱とは比べものにならなかった。
城と御屋の高いところには、長い木の渡り廊下が架けられていた。
遠くからなら、その二つの建物と渡り廊下まで見えた。
けれど、近くへ来ると高い木々や土地の起伏に隠れ、全体を見ることはできなかった。
クコチヒコは何度もここへ来ていた。
それでも、西から戻るたびに大きいと思った。
山から、あれだけの木を出す。
運ぶ。
削る。
立てる。
高いところで組む。
床を張る。
屋根を載せる。
さらに、その二つを空中でつなぐ。
一つでもできなければ、この姿にはならなかった。
ミヤシロは、王が住むから大きいというだけの場所ではなかった。
クナの者たちが何をできるのか。
それを見せつけるように立っていた。
その周囲にも村が広がっていた。
けれど、ヤマタイの人が集まるところとは少し違った。
物を売る者もいる。
食べ物を並べる者もいる。
けれど、売り声はそれほど多くなかった。
それよりも、木を削る音がした。
槌を打つ音がした。
土を叩く音がした。
道の脇には長い柱が並べられていた。
板を削っている者がいた。
縄を編んでいる者がいた。
土を練っている者がいた。
石を選んでいる者がいた。
刃物や道具を直している者がいた。
大工。
土を扱う者。
木を切り出す者。
縄を作る者。
道具を作る者。
運ぶ者。
ミヤシロの周りには、そうした者たちが集まっていた。
家族で同じ仕事をする者も多かった。
父から子へ。
叔父から甥へ。
子がいなければ、別の家から若い者を入れることもあった。
少し先では、年配の大工が若い男に柱の削り方を教えていた。
「違う。そこじゃない」
若い男が手を止めた。
「昨日はここだって言ったじゃないか」
「昨日のは細いやつだ。これは違う」
年配の大工は道具を取り、柱に刃を当てた。
ほんの少しだけ削った。
「ここで止める」
「それだけ?」
「それだけだ。それ以上やったら弱くなる」
道具を返した。
「もう一回やれ」
若い男は、今度はゆっくり刃を当てた。
クコチヒコはその横を通り過ぎた。
少し行くと、人が何人か集まっている場所があった。
大きな穴の周りを木で固め、その上から桶を下ろしていた。
井戸だった。
ミヤシロは高いところにあった。
水を得るだけなら、低いところまで下りればよかった。
けれど、クナの者たちはここを掘った。
初めから水が出たわけではなかった。
何も出なかった穴もあった。
崩れた穴もあった。
場所を変えた。
土を見た。
石を見た。
湿りを見た。
崩れないように木を入れた。
また掘った。
そうして、水が出るところを見つけた。
今では、その井戸から次々と桶が上がっていた。
女が水を受け取り、その横では別の者が次の桶を下ろしている。
高い土地の上で、水が使える。
それもまた、この場所を大きくした理由の一つだった。
そういう井戸掘りの技も、クナの力だった。
クコチヒコは少しの間、井戸を見た。
暗い底で、水が揺れていた。
「クコチヒコ様」
声をかけられた。
顔を上げると、井戸のそばにいた老人が笑っていた。
「西にも掘るか」
クコチヒコは少し考えた。
「掘れるところがあれば」
老人が笑った。
「お前ならそう言うと思った」
「私が掘るわけではありません」
「知っとるよ」
老人はまた笑った。
クコチヒコは首を傾げながら歩き出した。
ミヤシロへ近づくにつれて、道は広くなった。
大きな木を運べるように作られていた。
ちょうど長い柱を運んでくる者たちがいた。
何人もの男が声を合わせ、道の端へ人が避けた。
長い柱がゆっくりと横を通り過ぎていった。
さらに進むと、空堀があった。
深く掘ったところもあれば、雨が降れば水の溜まる低い土地を、そのまま使っているところもあった。
土を盛った場所もあった。
その外には、先ほどから見えていた高い木々が残されていた。
木の間を抜けようとすれば歩きにくく、枝や幹に遮られて先も見えない。
通りやすい場所へ行けば、自然と決められた道へ出る。
大きな石の壁などなかった。
巨大な門があるわけでもなかった。
それでも近づけば近づくほど、守るために土地そのものを使っていることが分かった。
入口を通った。
ミヤシロの中へ入る。
外から見上げるのとは、また違った。
太い柱が立ち並んでいた。
高いところで木が組まれている。
柱の間を人が行き来し、その向こうでは兵が荷を運んでいた。
城の一階の門を抜けると、カナンが待っていた。
クコチヒコを見ると、少し笑った。
「遅かったな、クコチヒコ」
クコチヒコは眉を寄せた。
「あなたまで、そう呼ぶのですか」
「西じゃ皆そう呼んでおるだろ」
「クノチヒコです」
「言えてないぞ」
「言えています」
今では、クノチヒコと言えるようになっていた。
それでもカナンは笑った。
もう直す気はないらしい。
クコチヒコは納得していない顔をした。
「行くぞ」
カナンが歩き出した。
クコチヒコもその後をついていった。
城の一階は薄暗かった。
外から入る光は少なく、壁に開けられた窓も小さかった。
人の姿は見える。
けれど、少し離れると顔まではよく分からなかった。
奥へ行くと、段があった。
二人は上がった。
一段。
また一段。
二階も、それほど明るくはなかった。
小さな窓から細く光が入り、床や柱の一部だけを照らしていた。
下にいた人の声が、少しずつ遠くなっていった。
さらに上がる。
途中から風が入ってきた。
段を上がりきると、長い廊下へ出た。
城の高いところだった。
その先に、御屋へ続く渡り廊下が伸びていた。
空中に架けられた木の道だった。
けれど、はじめのうちは外がよく見えなかった。
城側の壁が続き、その向こうには高い木々があった。
枝の影が廊下へ落ちていた。
昼だというのに、少し薄暗かった。
カナンは何も言わず、その上を歩き始めた。
クコチヒコも続いた。
床板を踏む音が、小さく響いた。
一歩。
また一歩。
遠くの木を削る音も、槌を打つ音も、ここではずいぶん小さくなっていた。
しばらく進むと、風が強くなった。
前の方が、少しずつ明るくなっていった。
御屋の手前まで来ると、廊下の壁がなくなった。
腰ほどの高さの板だけになった。
その瞬間、視界が開けた。
光が入った。
風が抜けた。
下には、高い木々の梢があった。
その少し上を、自分たちは歩いていた。
木々の向こうには、先ほどまで通ってきた村が見えた。
職人たちがいる。
木を運ぶ者がいる。
井戸から水を汲む者がいる。
兵が歩いている。
人の姿が小さく見えた。
その先に、御屋があった。
二十本の太い柱が、下からその巨大な床を支えている。
近くで見ると、外から見た時よりもさらに大きかった。
御屋を支える柱は、朱に塗られていた。
薄暗い渡り廊下を抜けた先で、その朱はひときわ明るく見えた。
クコチヒコは柱の間から下を見た。
遠くからは姿の見えたミヤシロも、近くへ来ると形が分からなくなった。
そして今は、その中の高いところにいる。
地上から見上げた時とは逆だった。
カナンはそのまま進んだ。
クコチヒコも続いた。
渡り廊下を渡りきる。
そのまま御屋へ入った。
そこで、また空気が変わった。
外の音が遠くなった。
木を削る音も。
槌を打つ音も。
人の声も。
ここまで来ると、ほとんど聞こえなかった。
兵がいた。
左右に立っていた。
カナンがその間を歩く。
クコチヒコも続いた。
誰も声をかけない。
兵たちは道を開けたまま動かなかった。
少し奥へ行く。
また兵がいた。
槍を持つ者。
剣を下げた者。
壁際に座っている者。
皆、静かだった。
御屋の下にも兵のいる場所があった。
ここには、いつでも人がいた。
けれど騒がしくはなかった。
クコチヒコが床を踏む音が聞こえた。
一歩。
また一歩。
薄暗い城を上がり、渡り廊下を越えた。
それだけだった。
それなのに、先ほどまでいた村とは、まるで違う場所へ入ったようだった。
カナンは何度もここを歩いている。
クコチヒコも初めてではなかった。
それでも、この場所へ来ると自然と声が小さくなった。
奥に大きな戸があった。
その前にも兵が二人いた。
カナンが止まった。
クコチヒコも止まった。
兵の一人が中へ声をかけた。
少しして、返事があった。
戸が開いた。
広い空間の奥に、イキがいた。
クコチヒコが中へ入る。
イキはその姿を見るなり立ち上がった。
少し楽しそうな顔をして、足早にクコチヒコの前まで来た。
「待ったぞ。クコチヒコ」
次回予告
西から戻ったクコチヒコが見たのは、遠くからは大きく、近づくほど森の中へ姿を隠していくクナの城でした。
その周りでは、大工が木を削り、土を扱う者が道を整え、井戸からは水が汲み上げられていました。
城下には、人と技が集まり、それぞれの仕事が動いていました。
そして、その先にある御屋で待っていたのはイキ。
「待ったぞ。クコチヒコ」
困った顔をするクコチヒコ。
笑いをこらえるカナン。
ため息をつくナシメ。
次回 ヒミコの決断
第27話 御屋城の王
クナの中心で、また少し、人の関係が動きます。
