【ホラー小説】すべて済んだら、私と踊って②
下
幸福な少女時代は、息を吐く暇もなく過ぎ去ってしまった。
私も彼女も無事に第一志望校に合格し、想像していたとおり、交換日記は途絶えた。
連絡手段はLINEになったし、高校になってからはお互いに忙しくて、連絡にはムラができた。
ただ、いつも彼女のことは思っていたし、彼女もそうだった。
どこかにでかければお互いにお土産を買い、それを口実に会う約束を取り付けた。吹奏楽部に入部したという彼女は、あまり変わっていないように感じたが、大会や高校野球の応援にと以前よりはアクティブな印象を受けた。
でも、私と話すときにふわっと微笑む様子を見ると、私たちの間にある特別な絆に気づける。
私は最近の気になったニュースを共有し、彼女は医学部を目指すのだと目標を教えてくれた。なるほど、彼女にこれ以上ぴったりな仕事はないかもしれない。心の底から納得した。
学校の友人たちとは、流行りのスイーツを食べたり、恋リアの感想を話したり、そういうどうでもいい話をしていたけれど、彼女はそんなことを一度も望まなかった。
それでいい。
私たちの魂の色は、ふたりだけが分かっていればいい。ほかの誰もが理解してくれなくても、私は彼女に出会い、最高の思い出を得たのだ。あの日の光を受けて輝く川面や、立ち上がった黒い煙、そして、揺れる炎のなかで死んでいく命。
私たちは、特別になった。あのとき、強い絆で結ばれた。
どこにいても、誰とすごしても、私たちは一緒にいるのだ。罪をふたりで背負ったのだから。
*
それから更に時は過ぎ、彼女が医学部を浪人した。
私も第一志望には落ちたが、親の説得もあって、滑り止めの大学にそのまま入学した。高校でも、大学でも、彼女を超える人はいなかったが、それなりに楽しく大学生活をスタートさせた。
ただ、ずっと成績がよく医学部浪人をすると思ってもいなかった彼女は、病みに病んだ。私を含めて周囲はみんな驚いた。模試はいつでもA判定で、高校でも成績は上位10位から落ちたことはないと聞いていた。
そのとき、彼女は泣きながら電話をくれた、「番号がないの。何度見ても何度見てもないの。殺してやりたい」と。具体的に何を殺すのかは分からなかったが、ひとり合格者が減れば彼女が合格するかもしれないのだから、そんなものは可愛らしい呪詛でしかなかった。
彼女が学習机に泣きながら突っ伏し誰かを呪う姿が思い浮かんだ。彼女の部屋に行ったことはないけれど、きっと整然としているだろう。子ども部屋なのに落ち着いた部屋の中、彼女は子どもらしく泣いている。
いつもの凜とした彼女からは想像ができない姿。
しかし、それが嬉しかった。
彼女はそこまで自分に気を許してくれたのだから。
真夜中に突然「死ぬ」と言って電話をかけてきた時は、何時間だって話を聞いた。
また別の時には、台風が直撃したその日に「うちの子が行っていないか」と、慌てた様子の彼女の母親から連絡がきたこともあった。
「心当たりがあります」
私はそれだけ言って、電話を切り、母を振り切ってレインブーツと傘で飛び出した。
関東地方に直撃したその台風は、天気予報通りの猛威をふるっていた。いつも、なんだかんだいって関東に近づく頃にはおとなしくなっていくイメージだったが、この日は違った。
すぐに風で傘はひっくり返って壊れてしまい、仕方ないので、投げ捨てる。灰色の街の中を、ビニール傘が飛んで行く。
消防に任せろと言った母の声が耳に残っている。
でも、そんなことはできない。だって、彼女がいる場所は、きっと『あそこ』だから。
風でよろけ、顔をぬらす雨に時折呼吸さえ阻まれながら、走る。
人気がなく、風の唸る音と、雨がたたきつけられる音だけが響く街。
私は、きっと試されている。
本当に心を預けていいものか、本当に同じ世界にいるのかを。
そして、同時に、私も試しているのだ。彼女があそこにいるかどうか。
あの河原。
私たちにとって特別な河原。
あの頃より背が伸びた。その影が見える。
橋のたもとに立って、横なぶりの雨に打たれた彼女は、じっと動かない。
ふたりだけの特別な思い出のために、私たちは夢を見た。
「透子!」
ごうごうと聞いたこともないほどの轟音で流れる川。
走り寄ると、彼女は振り向いた。唇まで真っ青になって、血の気が完全に引いた様子だ。
「……来てくれると思った」
見たこともない表情だった。その笑みは弱々しく、出会った頃よりも幼い。
あの日も、世界は灰色だった。でも、彼女だけは色づいていて、あざやかだったのに。
こんなに弱々しくなるなんて。彼女は灰色の風景の一部になってしまっていた。
「いくよ、いつだって。呼んでくれたら」
私がそう言うと彼女は目を細め、そして、ゆっくりとうなずいた。
青いほど透き通った白目に、黒曜石のような黒々とした瞳。
長い髪は体と、顔に張り付き、濡れそぼったワンピースのその出で立ちはまるで幽霊だ。
「いつだって、私はあなたの味方だよ」
かつて、私の孤独を救ったのは彼女だ。
自分の人生がつまらないと言うことを知り、内心を隠さずに伝えることができた。
彼女は本物を見たいとずっと言っていた。中学で解剖の授業がなくなったことをあんなに残念がっていたのだ、医学部を落ちたことは、とても耐えられないだろう。
目前だった。
彼女は合法的に、見たいと思っていた内部が見れる。しかも、それで人を救えるかもしれない。
「一緒に帰ろう」
私は彼女に手を差し伸べた。
彼女はじっとその手のひらを見下ろして、ゆっくりと瞬きをする。
そのまつげから、滴が落ちた。
*
転機は、大学進学後に訪れた。
彼女は志望していた医学部に合格したそのあとだ。連絡の間隔があき、夏頃には全く返事がなくなった。
こんなことははじめてだった。中学生の頃、交換日記はコンスタントに回していたし、高校ではメッセージが多かったとは言え、やりとりが消えたことはなかった。
なのに、夏休みにこちらに帰省するかというメッセージは未読のままだ。
(まさか……)
浪人中、雨の中で橋にいた彼女を思い出す。
思い出してしまえば、自分の不安は急に形を持った。
もしかして、うまくいってないのだろうか。高校時代あまり、同級生とは遊ばず、ずっと勉強をしていると言っていたが、それは実際は違ったのか?
賑やかな教室の隅、彼女はただひとりで自分の席につき、カバーを掛けた文庫本を読んでいる。制服は校則通りに身につけた少女はまるで誰にも見えないかのように、ぽつんとそこにいるだけ。
気が気ではなく、夏の日、私は彼女の実家を訪ねた。
それこそ、あの台風の日、彼女を送り届けた時に、家を初めて知った。幹線道路沿いにある。
何の変哲もない、マンションの一室、家族のものが無秩序に詰め込まれている。
少女趣味なファブリックに、何年もかけられて色あせたリースや賞状には微かに埃がかかっていた。
「ごめんなさいね。汚くて」
おばさんはそう言いながら、私に紅茶を差し出した。
異様に濃い色をしたそれは、香りが立つわけでもない。おそらく箱にたくさん詰まっているお徳用の紅茶のティーパックだろう。
私は、自分の母の偏執さに飼い慣らされていたので、こういうときに少し絶望する。
母は、紅茶は来客用のティーセットでしっかりと手順通りに準備したし、必ずお取り寄せの茶菓子を用意していた。賞味期限が近くなったり、試験前には私のお夜食に添えてくれていた。
彼女の自宅は、彼女の感性を支えるにはあまりにも凡庸だった。
目の前に座る女は、彼女のほっそりした肢体とは正反対に、だらしなく肉をつけ、ぽちゃぽちゃとしたその顔は人好きするだろう。
違いを挙げたらキリがない。
彼女の美しい黒髪とは似ても似つかない、赤身の強い染めた髪。
青いほどに透き通った白目も持っていない。
でも、こんな家で、彼女はひとり自分の世界を守っていたのだと思うと、その存在の尊さと、抱えていただろう孤独が急に私の身に迫ってきた。
「ごめんなさいね。浪人中は、麗ちゃんにすごく迷惑かけたのに、あの子ったら、連絡のひとつもしなくて」
「いえ。でも、また何かあったのかって、心配になっちゃって」
「元気ではあるのよ。むしろ元気過ぎるくらい」
私は戸惑って、じっと彼女の母を見た。
「頑張って医学部行ったでしょう、すごく楽しいみたいで」
「はぁ……」
「親の連絡も無視よ、夏休みも向こうで過ごんですって。本当、去年の荒れようはなんだったのよ、ねえ?」
曖昧に笑って返す。
医学部が一年生の時に何をどこまでやるかは知らないが、彼女には待望の土地だ。
ようやく手にしたその世界が楽しいときいて、私はほっとした。
もしも医学部が期待外れだったら、彼女はまた苦しいだろうから。
「よかったです、透子ちゃん、新しい環境になじめたみたいで」
「そうねえ、まさか自分の子どもが医学部目指すなんて思ったこともなかったけど、本人が決めたなら、親として叶えてあげたいじゃない」
私がうなずくと、彼女の母親はにっこりと笑った。
「嬉しいわ。あの子に麗ちゃんみたいな友達がいてくれて」
私も友達はいるが、彼女のような特別な人はいない。
私たちの秘密は、誰にも知られてはいけない。明確な罪をふたりで背負ったのだ。
「心配してくれてありがとうね。また気になることがあったら、いつでも連絡をちょうだいね」
なんと返事をしたかは覚えていない。
ただ、彼女の母親は私に彼女の住所を書き留めたメモをくれた。それを丁寧に四つ折にして、手にかくして持ち帰った。
*
夏は過ぎ、短い秋が駆け抜けていこうとしている頃。
私は彼女の住んでいるアパートを訪ねた。事前にGoogleEarthで見ると、オレンジ色の外壁が可愛らしい二階建てのアパートだ。
彼女の通う大学からもほど近い。
お祝いを、していなかった。
医学部に合格して、慣れた頃に会おうという約束はいつもどこか浮いたまま、ふわふわと漂っている。
充実した生活を聞きたかった。
あの美しい黒髪や、透き通る白目の青さが懐かしかった。他の誰といても感じないほどの幸福感を私にくれる彼女に、どうしても会いたくなった。
私は今日のためにレモン柄のワンピースと、サンダルを買った。カゴバッグと同色のカンカン帽。
手土産に、よく熟れた桃を用意している。
2階にある彼女の部屋のチャイムを押す。
きっと彼女は驚くだろう。私を見て、目を丸くする。素直に「お母さんが教えてくれよ」と言うべきか。まずは何食わぬ顔をして、再会を喜ぼうか。
ガタ。
思いのほか、重い音だった。
ドタバタと足音が近づいてくる。
私はとっさに、部屋番号を確認する。空白の表札の上半分には、イタリック体で「203」と刻印されている。
合っている。
これは、この間彼女の母親自身が教えてくた、彼女の自宅だ。
「はい」
ドアを開けたのは、男だった。
明らかに部屋着だと分かる格好の男。
「あの……この部屋……」
「あ、ああ。井上透子の家ですよ」
「……でも……」
男は、こぎれいな顔をしていた。ござっぱりとして、清潔感のある男だ。
「あいつ、今、サークルのみんなとディズニー行ってるんですけど、ええと……」
「地元の友人です」
「そうなんだ、ごめんなさい。あいつ忘れてたのかな、何か言ってたっけ。とりあえず、外は暑いし入って入って」
サークルのみんなとディズニー?
この男は、彼女の留守を預かるような間柄なのか?
分からない、頭は動いていないが、体は促されるまま部屋に上がった。
サンダルを脱ぎ、こわごわと廊下に立った。なんとなくだが、この廊下は腐っていて、踏んだ瞬間に抜け落ちるような気がしたのだ。
落ちなかった。
きちんと掃除の行き届いた学生がよく借りるようなワンルームだ。
南向きの大きな掃き出し窓のそばにはシングルベッドがあり、そこには明らかに、いままで人が寝ていた形跡がある。枕元に放り投げられた充電中のスマートフォンを手に取った男は、何やら操作している。
「すみません、いきなり。また連絡してきます」
この男の正体を知らない方がいい気がする。
分かっているのに、私は男をじっと見つめている。
「ごめんね、LINEしたけど既読つかないや。スマホ見てないっぽい」
「大丈夫です。これ、お土産です」
私は、シンクに桃の入った紙袋を置いた。
「ちょうど2個あるので、おふたりでどうぞ」
「ありがとう。約束してたのなら、本当にごめんね」
「いえ」
約束なんてしていない。
だって、私は突然きた。彼女の住所は、彼女の親から聞いただけだ。
「あたしはあんまり友達がいなかった、って言ってたけど、こうして来てくれる子がいるのにあんまりだよね」
私は、よろめく。
あたし?
あたし?
あたしって、誰だ。
ぼくたちが将来、べつべつの進路を選んだとしても、このことはずっと内緒にしておこう。
だからさ、ぼくと君だけのとびっきりの思い出が作りたいの。
あなたがそう言ったのに。
私の目を見て真っ直ぐと。
私たちだけの秘密を、と、望んだのに。
あの日、河原は燃えた。
私たちふたりのためだけに、燃えた。ひとりの男の命を奪ったことは誰の気さえも止めなかった。
それこそ、私たちだって。
それで良かったのだ、あれは儀式だった。ずっとふたりを結びつけるための。
あたし。
あたし。
あたし。
あたし。
あたし。
あたし。
私が、あなたの特別だったはずなのに。
どうして。
どうして、どうして。
だから、連絡を返してくれたなかったの?
こんな、どこにでもいそうな男のために、私たちの絆を犠牲にしたの?
そんなことって。
私は、ずっと信じていたのに。私たちの絆は強固で、誰にも邪魔されないって。
そのために、慎重に隠してきたのに。
「暑かっただろうし、お茶でも飲んで行って。もしよかったら、地元のこと、教えてくれると嬉しいな。あんまり話そうとしないんだよね」
「そうなんですか」
「うん、何もないつまんないところだよって」
私の横を通り過ぎて、男は冷蔵庫を開けた。
あの河原は。
あの台風の日は。
私と眺めたウサギの死骸は。
私と深めた親交は。
ふたりで隠した秘密は。
つまんない、そんなわけがない。だって、そのためだけに生きてきたのに。
今日は、彼女は驚きこそすれ、嬉しそうに私を招き入れ、医大でのエピソードを聞かせてくれるはずだった。
それは、女子大生に擬態するしか能のない私を潤わせるはずだった。
なのに、どうしておまえがいるのだ。
彼女のベッドで寝ていたのだ。
きもちがわるい。
(こいつが……彼女を……)
頭が真っ白になる。私たちの間を阻むのは、親でも社会でも学校でもなかった。
こいつだ。
しゅるり。
私は自分がワンピースのリボンを解いた。ゆるくウェストを絞るしか意味のないその細いほそい布。
鮮やかなレモンの柄が爽やかだ。
後ろから、男に手を伸ばす。
リボンは翻り、その首に回った。男が振り向こうとするので、その背中を後ろから蹴り飛ばし、冷蔵庫の中に倒し込む。
ガタゴトと醜い音を立てて、冷蔵庫の中を仕切るプラスチックの棚を割って、男が倒れた。
それでも、何か叫ぼうとするので、リボンを引っ張る両手に力を込め、男の背を踏みつける足に、全体重を込めた。
手の感覚がなくなるまで、ぎゅうぎゅうと。
男の腕は必死にリボンをほどこうとするが、無理だろう。
次第に、力と呻きが少なくなり、私の足が濡れた。
視線を落とせば、だらりと男の弛緩した体が冷蔵庫から飛び出していて、血と尿が混じって流れてきたのだ。
「死んだ。死んだ、死んだんだ……!」
涙が出た。
これで邪魔者は消えた。彼女との世界に平穏が戻ってくる。
それに。
「本物を、見せてあげられる」
男は、割れたプラスチックを腕に刺しながら、うつ伏せて倒れている。
ほとんどカラに近い冷蔵庫から引きずり出して、私は後始末をした。
どうせなら、きれいにしたい。
まずは、冷蔵庫のプラスチックの棚をすべて取り出し、プラスチック用のゴミ箱に投げ入れ、あの男が暴れたせいでだめになった卵や、そのほかのものも取り出し、燃えるゴミに投げ入れる。
一人暮らしの割に大きい冷蔵庫を使っていてくれて助かった。
わたしは空っぽの冷蔵庫に、全身を使って男をねじ込んだ。幼子のように丸まった姿勢で、ようやくはまってくれた。
意識を失った人間は重いと言うが、その通りだった。
冷蔵庫の扉を閉める頃には、体が悲鳴を上げていた。非力さを呪う。
でも、これで大丈夫。
だって、これは……私たちのために必要なこと。
あなたを理解できるのは私だけ、あなたの欲しいものを用意できるのも私だけ。
あとはあなたが帰るのを待つだけ。
少しだけ、眠ろうか。
うんうんと電子音を立てながら、男の死体を冷やしている冷蔵庫にもたれかかって、私はすぅっと眠りに落ちた。
「ただいまぁ」
彼女の声に目を覚ます。
そして、同時に拭いきれない違和感を覚えた。
甘ったるい、腐りかけた桃のような声色だった。
「えっ、何でいんの?」
この女は、誰だ。
まだ寝ぼけているのかもしれない。私は冷蔵庫から体を起こしつつ、目を擦った。
玄関先に立ち尽くす女は、私の知らない人だった。
「プレゼントがあるの」
「ってか、ここ教えてないじゃん。なんでいるの」
「お母さんが教えてくれたよ」
「ママってば……」
誰だろう。
彼女の唇と耳はそっくりなのに、そのほかのすべてが違う。
緑の黒髪は、よくある茶色に染め、ゆるくウェーブをかけている。ミニスカートとシアートップスという格好はおしゃれだったが有り触れていた。
首からはキャラクターが笑っているポップコーンのスーベニアカップを下げている。
おなかがすいた、と頭の隅で感じる。
「普通分かるでしょ」
「普通って何?」
「……」
彼女は鋭く睨み付ける。
ああ! あの美しかった黒曜石の瞳さえ、珍妙な色をつけたコンタクトレンズで隠されている。
なんてことだ。
彼女は変わってしまった。
こんなこと、きっと彼女も望んでいないはずだ。
「どいて。喉渇いた……って、床、何汚れてるの?」
床。
指摘されて視線を落とすと、確かに床は汚れていた。
血と、尿と、そのほかの調味料。
彼女は私の返事を待たずに、慌ただしく周囲を見渡した。
そして、真っ青になる。
ああ、その白目が青みがかるのを待っていたの。
そう、その色。
いつものあなたを彩った、素敵な色。
私は立ち上がり、キッチン部分に置かれていた包丁立てに近づく。
彼女は私を見てはいなかった。
冷蔵庫に駆け寄り、そのドアを開ける。
ずるりと、男がズリ出てきた。重いものが勢いよく床にぶつかる音と、彼女の声にならない悲鳴が響く。
包丁をそっと握って振り向くと、彼女は呆然と男を見下ろしている。大きな目をこれでもかと見開いて。
「何してんの、マジで」
「また作ろうよ、私たちだけの思い出を。ね?」
彼女の手を取り、その手のひらに包丁の柄を置いた。
「昔は燃やして殺しただけだけど、今回は解体できるよ。ね」
彼女は黙り込んで、包丁を見下ろした。
ああ、雰囲気が戻ってくる。まるでなんらかの鉱石そのものであるような、彼女の鋭さ、硬さ。
「そうだね。特別な思い出をありがとう」
「え……?」
痛みを、はじめは感じなかった。
彼女は両手でしっかり握ったそれを、私の腹に抱きつくようにして突き立てたのだ。
彼女の細い体が、少女と女性のあわいにまだたたずむその体が、私になじんでいく。
彼女は泣いていた。私を睨み付けながら、何度も何度も刺した。
私は床に倒れ込み、腹の上にまたがる彼女を見上げる。
血にまみれた刃物を振りかざす。
白目の青、漂白したような白い肌。
あなたの黒曜石の瞳は、世界でなにより美しかったのに。
どうして、そんなまがいものの色になってしまったの。
そのままで一番気高くて、美しかったのに。
私は、あなたの、その色を愛していたの。
私の魂の色を愛してくれていたから。
私も、あなたの魂の色を愛したから。
そうね。
これでいいのかもしれない。
だって、これで、私はあなたの一番特別になったのだから。
あなたの一番は、一生、私。
何度も何度も貫く包丁、痛みを凌駕するほどの恍惚。
セーラー服、長い黒髪、挑発的なまでに不敵だった少女。
私の愛した、あなたのすべて。
あなたの白目の青さを愛していた。
あなたがその目を失っても、私の中にその青さは生きている。
「ねえ」
声を上げたら、口から思った以上の血が飛び出した。
彼女は返事もしないし、表情を変えない。
包丁を振りかざした姿勢で動かない。
「私、今、とっても幸せなの」
そうして、最後の一撃が、私の喉を裂いた。
了
