家族と向き合うことは、わかり合うことじゃなかった
「家族と向き合う準備を始めた」という記事を書いたのは、12月13日だった。
でも、実際に公開できたのは1月9日。
そのあいだ、何をしていたかというと・・・
特別な出来事があったわけでも、気持ちが大きく変わったわけでもない。
ただ、少し暗くて、じめっとしたものを、ずっと抱えていた。
わたしの内側にある、ドロっとしたもの。
まだ整理できていない感情を、そのまま外に出すことに、正直、抵抗があった。
「これは今、出していいものなんだろうか」
「ちゃんとした言葉になっているんだろうか」
そんなふうに立ち止まっているうちに、時間だけが過ぎていった。
あの記事を書いた翌日のわたしは、
スッキリした、とは言えなかった。
むしろ、心は静かだったように思う。
それは、覚悟を決めたから、というよりも、
「これはわたしひとりで解決できることじゃない」と、ちゃんと分かったからかもしれない。
家族の問題は、努力すればどうにかなる話じゃない。
相手がいて、時間があって、どうにもならないこともある。
その事実を前にして、
わたしの中には、淡々とした諦めがある。
でも同時に、
諦めたくないわたしも、確かにいる。
それが正直、ちょっと面倒くさい。
どっちかに振り切れたら楽なのに、と思う。
「もういい」と手放したい気持ちと、
「それでも」と粘っているわたしが、同時に存在している。
その感じが、少し戸惑うし、扱いづらい。
でも、今はそのままにしておこうと、自分に許可を出すことにした。
最近、ひとつだけ、はっきりしたことがある。
家族と向き合うことは、
関係を良くするためのプロセスではなかった。
自分の人生を、
他人に預けないための選択だった。
わかり合うためでも、
許すためでもない。
ただ、自分の人生のハンドルを、
ちゃんと自分の手に戻すためのものだった。
これは、何かが解決した話じゃない。
前向きに着地した話でもない。
今も、暗さは少し残っているし、
諦めと、諦めきれなさが、同居している。
でも、わたしは、今ここに立っている。
それだけは、確かだ。
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