挨拶が返ってこない事務所で、私は2年間すり減っていた。アドラー13年実践の作業療法士が考える「共同体感覚」のリアル
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プロローグ——宿直明けの事務所で、私の挨拶は宙に消えた
宿直明けの朝、事務所のドアを開ける。
「おはようございます」
その声が、誰にも拾われず、空気の中に消えていく。あの感覚を、今でもはっきり覚えている。
返事がない。あっても、こちらを見ない。聞こえているのか、いないのか。気持ちのいい朝の挨拶とは、ほど遠い何かが返ってくる。それも、特定の一人だけの話じゃない。事務所全体が、そういう空気だった。どんよりと重く、入った瞬間に肩の力が「抜ける」のではなく「入る」場所。
私は作業療法士16年目、特養勤務のHSP・ISFJだ。アドラー心理学を13年実践してきて、100人近くの方の最期に立ち会ってきた。
このアドラーシリーズも、今日で9回目になる。これまで「課題の分離」「目的論」「勇気づけ」などを書いてきた。今日のテーマは、アドラー心理学が「人間にとって最終的に必要なもの」と位置づけた、いちばん大事な概念だ。
共同体感覚。
「自分はここに居ていい」「周りは敵ではなく仲間だ」「自分は誰かの役に立っている」——その主観的な感覚のこと。
きれいごととして語るのは簡単だ。でも今日は、きれいごとを書かない。私が2年間、ある場所で共同体感覚をまったく持てずにすり減っていた話と、娘の居場所を守るために、HSPの私が「嫌われたくない」を越えて動いた話を、正直に書いていく。
第1章——共同体感覚とは「敵か、仲間か」の話だ
まず、共同体感覚を簡単におさらいしておきたい。
アドラーは、人間が幸福を感じるために最終的に必要なものを、共同体感覚だと考えた。これは3つの要素でできている。
ひとつめは「自己受容」。ありのままの自分を、否定せずに受け入れられること。ふたつめは「他者信頼」。周りの人を、敵ではなく仲間だと思えること。みっつめは「他者貢献」。自分が誰かの役に立っているという実感。
この3つが揃ったとき、人は深く満たされる。逆に言えば、このどれかが欠けると、人はじわじわと消耗していく。
ここで、いちばん大事なポイントを書く。
共同体感覚は、性格の問題ではない。環境との「相性」の問題だ。
これは、私が13年アドラーを実践してきて、頭ではわかっていたつもりで、実は身体ではわかっていなかったことだった。「他者を仲間だと思えるかどうかは、自分の心の持ちようだ」と、どこかで思っていた。自分の受け取り方を変えれば、どんな場所でも仲間だと思える、と。
違った。
人間には、どうしても「仲間だ」と思えない環境がある。そして、そういう場所に身を置き続けると、共同体感覚は確実に削られていく。心の持ちようでは、どうにもならないことがある。
その現実を、私はこの2年間で、骨身に染みて学んだ。
第2章——事務所に入る前から、その空気は重かった
時系列で書きたい。
2年前から、私は事務所での勤務を兼ねるようになった。それまでは現場が中心で、事務所には申し送りなどで出入りするくらいだった。
でも、その「出入りするくらい」の頃から、私は事務所の空気が苦手だった。
事務所に入って挨拶をしても、返事が返ってこない。これが、特定の誰か一人の話ではなく、全体的にそうだった。空気が、どんよりと淀んでいた。
特に忘れられないのが、宿直明けの申し送りだ。
宿直明けというのは、ただでさえ身体も頭も重い。一晩中、何かあれば対応しなければというプレッシャーの中で、浅い睡眠しか取れていない。その状態で、朝、事務所に申し送りに入る。
「おはようございます」と声をかける。ほとんど返ってこない。返ってきても、気持ちのいい挨拶ではない。
私には、ひとつの個人的な信念がある。
事務所は、施設の窓口だ。
外から来た人が最初に触れる場所。ここが暗ければ、施設そのものが暗いと思われてしまう。だから、事務所こそ明るくあってほしい。挨拶くらい、気持ちよく交わしたい。
でも、私はそれを口にできなかった。
なぜなら、私はHSPで、ISFJだからだ。「嫌われたくない」という防衛本能のアラームが、頭の中で鳴り響く。波風を立てたくない。新参者が、いきなり空気に物申すなんて、できるわけがない。
だから、何も言わなかった。ただ、その重い空気を、黙って受け止めていた。
第3章——「フキハラ」する人が2人、しかも仲が悪い
そして、いざ自分が事務所で本格的に勤務することが決まったとき。
私は、すごく警戒した。
正直に書く。あの事務所で仕事をするのが、本当に嫌だった。その気持ちを、今でもはっきり覚えている。
当時、事務所には私を含めて6人ほどがいた。そのうち2人が、いわゆる「フキハラ」——不機嫌をまき散らすことで、周囲をコントロールしようとするタイプの人だった。
ひとりは、事務所のお局的な存在の人。人の悪口をよく口にする。不機嫌を隠さない。そして、夕方17時を過ぎると、もう仕事はせず、インターネットを眺めている。その人と一緒にいると、私はいつも「しんどいな」と感じていた。
しかも厄介なことに、フキハラする2人は、互いに仲が悪かった。
これが、事務所をさらに息苦しくしていた。2人の間に流れる緊張。どちらの顔も立てなければいけない空気。板挟み。HSPの私にとって、これは地獄のようなコンディションだった。
人の感情を人一倍深く受け取ってしまう気質だ。場の不穏な空気、誰かの不機嫌、2人の間の冷たい緊張——それらが、全部、私の中に流れ込んでくる。
そして、私のデスクは、窓口からいちばん近い場所だった。
何かあれば、率先して動かなければいけない。動かなければ、お局からの視線が、痛いほど突き刺さる。常に見られている感覚。常に評価されている感覚。
アドラーで言えば、これは完全に「縦の関係」だ。対等な仲間ではなく、評価する人と、される人。そして「他者信頼」——周りを仲間だと思える感覚——が、まったく持てない環境だった。
毎日、神経をすり減らし続けた。
そして、すごく孤独だった。
第4章——「課題の分離」では、救いきれなかった
ここで、アドラーを13年やってきた人間として、正直に書いておきたいことがある。
この状況に対して、私はもちろん「課題の分離」を使おうとした。
「お局の不機嫌は、お局の課題だ」「フキハラする人の感情は、その人の問題であって、私の責任ではない」——そう心の中で、何度も線を引こうとした。
ある程度は、効いた。すべてを真正面から受け止めて潰れる、という最悪の事態は、課題の分離のおかげで避けられたと思う。
でも、正直に書く。課題の分離だけでは、救いきれなかった。
なぜか。
課題の分離は、「相手の感情を、自分が背負わない」ための技術だ。でも、共同体感覚——「ここは安心して居ていい場所だ」という感覚——そのものは、課題の分離では生み出せない。
線を引いて、相手の不機嫌を背負わないようにする。それでも、その場の空気は重いままだ。挨拶は返ってこないままだ。視線は痛いままだ。
つまり、課題の分離は「マイナスを減らす」技術ではあっても、「プラスを生む」技術ではない。
居心地の悪い場所で、課題の分離を駆使して、なんとかマイナスをゼロに近づけようともがく。でも、共同体感覚というプラスは、いつまでも生まれない。
私は、毎日、必死に線を引きながら、それでもすり減っていた。
このとき、私は学んだ。
アドラーの技術は万能ではない。環境そのものが、人間が仲間だと感じられない状態になっているとき、個人の心の技術だけで、それを覆すのは、ものすごく難しい。
第5章——空気は、変わった。ただし「人が変わった」からだ
では、この苦しい状況は、どうやって変わったのか。
正直に書く。私が何か劇的なことをして変えたわけではない。
フキハラをしていた2人のうち、ひとりが一昨年に退職した。そして、お局的な存在だったもうひとりも、去年、退職した。
それだけだ。
人が、変わった。
すると、事務所の空気は、驚くほど改善された。
今、事務所には、フキハラをするような人はいない。挨拶をすれば、みんなしっかり返してくれる。気持ちのいい挨拶が、交わされる。宿直明けに入っても、もう身構えなくていい。
だから今、私は事務所で、神経をすり減らすことなく過ごせている。あの頃のように、ビクビクすることもなくなった。
——この事実を、私はどう受け止めればいいのか、ずっと考えてきた。
「結局、人が辞めただけじゃないか」「自分は何も成長していないんじゃないか」と。
でも、アドラーの共同体感覚という視点で見ると、これはすごく大事なことを教えてくれている。
共同体感覚は、メンバーによって決まる。
「他者信頼」——周りを仲間だと思えるかどうか——は、自分の心の持ちようだけの問題ではない。実際に、信頼できる人たちがそこにいるかどうか、という現実的な問題でもあるのだ。
これは、自己責任論への、ひとつの強い反論でもある。
「あなたが職場で孤独なのは、あなたの受け取り方の問題だ」「もっと心を開けば、誰とでも仲間になれる」——そういう言葉は、半分は正しいかもしれない。でも、半分は、残酷な嘘だ。
仲間だと感じられない環境は、現実に存在する。そして、その環境の中で「仲間だと感じられない自分」を責める必要は、まったくない。
私が2年間すり減っていたのは、私が弱かったからでも、心が狭かったからでもない。事務所の空気が、本当に重かったからだ。
そして、メンバーが入れ替わって空気が変わった今、私は自然に共同体感覚を取り戻せている。
私の受け取り方は、ほとんど変わっていない。変わったのは、環境だ。
これが、私の共同体感覚の、いちばん正直なリアルだ。
第6章——でも、「環境が変わるのを待つ」だけでいいのか
ここまで読んで、こう思った人がいるかもしれない。
「結局、嫌な人が辞めるのを、ただ待っていただけじゃないか」と。
その通りだ。事務所の件に関しては、私は耐えて、待っていた。それが現実だ。
でも、共同体感覚には、もうひとつの側面がある。
時に、共同体感覚は、自分で守りに行かなければならない。
これを痛感した出来事が、最近、家庭であった。娘の話だ。
娘は、スイミングスクールに通っている。去年から、選手育成クラスに入った。
最初は、ついていくのも大変だった。周りの子と話すこともほとんどなく、ぽつんとしていた。学年もいちばん下。選手育成クラスに入ったのも、いちばん遅い。だから、どうしても泳ぎは遅い方だった。
そんな娘が、ある時期、涙ながらにこう言った。
「もう、スイミング辞めたい」
理由を聞いて、私は心の底から怒った。
当時、選手育成クラスを担当していたのは、初老の男性コーチだった。そのコーチが、娘に「おまえ、ばかか」と罵倒する。泳いでいる最中に、足を引っ張る。それも、一度や二度ではなかった。
娘にとって、スイミングは「居場所」になりかけていた。でも、その居場所が、安心できる場所どころか、傷つけられる場所になっていた。
共同体感覚の真逆だ。「ここに居ていい」ではなく、「ここに居ると傷つく」。
第7章——HSPの私が、「嫌われたくない」を越えた日
ここで、私の中で、いつものアラームが鳴った。
「嫌われたくない」「波風を立てたくない」「クレーマーだと思われたくない」——HSP・ISFJの、あの防衛本能だ。
事務所では、私はこのアラームに従って、何も言わなかった。
でも、今回は違った。これは、私自身のことではなく、娘の居場所のことだったからだ。
自分のことなら、私は耐えられる。でも、娘の安心できる場所が脅かされているなら、話は別だ。
ただ、ここで私は、自分の弱さも、ちゃんとわかっていた。
私は、感情的になると、うまく伝えられない。怒りに任せて電話をかけても、しどろもどろになって、言いたいことの半分も言えずに終わる。HSPで、その場の空気に飲まれやすいからだ。
だから、私は準備をした。
AI(Gemini)を相手に、壁打ちをした。何を、どういう順番で、どんなトーンで伝えるか。電話で伝える要件を、冷静に整理した。
そして、スイミングスクールの支配人に、電話をかけた。
怒り口調ではなく、冷静に。でも、少しだけ、強めに。
事実を、淡々と伝えた。コーチが娘を罵倒したこと。足を引っ張ったこと。それが一度ではないこと。娘が「辞めたい」と泣いていること。
ここが、アドラー的にも大事なところだった。
私は、コーチを人格否定しようとしたわけではない。「あのコーチは最低だ」と罵りたかったわけではない。ただ、「娘が安心して通える環境を、取り戻したい」という一点だけを、伝えた。
支配人の対応は、すごく丁寧で、迅速だった。
なんと、次の日には、コーチを変更してくれた。ずっとそのコーチが担当していたのに、あっさりと変わった。
第8章——居場所は、守られた
それから、選手育成クラスは、2人のコーチ体制になった。
娘は、どちらのコーチも好きになったようだ。
コーチが変わってから4か月経った今、娘は、楽しくスイミングに通えている。
それだけじゃない。今では、週3回の活動の中で、周りの子と楽しそうに会話している。2学年上の男の子や女の子とも話したり、お菓子を交換したりしている。
あれだけ「辞めたい」と泣いていた娘が、今では「体操の回数を減らして、スイミングを増やしたい」と言うほどだ。
娘にとって、スイミングは、ちゃんと「居場所」になった。
ここで、私が伝えたいことは、こうだ。
共同体感覚——安心して居られる場所、仲間だと思える場所——は、ときに、ただ与えられるのを待つものではない。誰かが脅かそうとしたとき、守りに行かなければならないものでもある。
事務所のときの私は、自分の居場所を、守りに行けなかった。「嫌われたくない」というアラームに従って、耐えて、待った。
でも、娘のときは、守りに行けた。
この差は、何だったのか。
ひとつは、「自分のことか、大切な人のことか」という違い。もうひとつは、AIの壁打ちという「準備の道具」があったこと。HSPで、その場では強く言えない私でも、事前に整理しておけば、冷静に、でも必要なことは伝えられた。
繊細さは、消えない。でも、繊細なまま、大切な居場所を守る方法は、ある。
第9章——私が複数の「居場所」を持つ理由
最後に、もうひとつ書いておきたい。
なぜ私が、事務所であれだけすり減っても、完全には潰れなかったのか。
それは、私が、複数の共同体を持っていたからだと思う。
アドラーの共同体感覚で、見落とされがちな点がある。共同体は、ひとつじゃなくていい、ということだ。むしろ、ひとつの共同体にすべてを賭けると、そこが崩れたときに、人は一気に倒れる。
事務所の空気が最悪だったあの2年間も、私には、他の居場所があった。
家族は、いつも私に、安心できる空間を提供してくれている。100%安心して、力を抜ける場所。テニスは、気の合う仲間と、ただ楽しくできる場所。
そして、noteだ。メンバーシップに誘ってもらえたり、フォロワーが増えることで、いろいろな方と交流できる機会が生まれた。それが、純粋に嬉しいし、楽しい。ここも、私にとっての、ひとつの共同体になっている。
ポケモンGOは、少し毛色が違う。私は基本的に一人でやるのが好きで、交流はしていない。でも、夜、一人で散歩しながらポケモンを捕まえるあの時間は、私にとって、心が穏やかになる大切な時間だった。誰かとつながる共同体ではないけれど、自分自身と静かに向き合える、もうひとつの「居場所」だったのだと思う。
職場という、ひとつの共同体で消耗しても、家族で、テニスで、noteで、夜の散歩で、呼吸ができた。
複数の場所に、少しずつ所属していたから、私は事務所で削られても、ゼロにはならずに済んだ。
これは、HSPの人にこそ、伝えたい。
ひとつの場所で、すべての共同体感覚を満たそうとしないでほしい。職場がつらいなら、職場以外に、自分が「ここに居ていい」と思える場所を、いくつか持っておく。それが、繊細な人が、潰れずに生き延びるための、現実的な戦略になる。
エピローグ——「ここに居ていい」を、待つことも、守ることも
共同体感覚について、今日は、きれいごとを抜きで書いた。
事務所で、私は2年間、共同体感覚を持てずにすり減った。そして、それは私の心の問題ではなく、環境の問題だった。メンバーが変わって、空気が変わって、私は自然に居場所を取り戻した。
娘のスイミングでは、居場所が脅かされたとき、HSPの私が、「嫌われたくない」を越えて、守りに行った。
そして私は、複数の居場所を持つことで、どこかで削られても、ゼロにならずに済んでいる。
共同体感覚は、「自分の心の持ちよう」だけで生まれるものではない。
環境との相性で決まる。だから、合わない場所で苦しむ自分を、責めなくていい。変わるのを待っていい。離れてもいい。
でも、大切な居場所が脅かされたときは、繊細なまま、守りに行っていい。
そして、ひとつの場所に、すべてを賭けない。
それが、13年アドラーを実践してきて、事務所で2年すり減って、娘の居場所を守って、私がたどり着いた、共同体感覚の、いちばん正直なリアルだ。
明日も、私は事務所のドアを開ける。
「おはようございます」
今は、その声が、ちゃんと返ってくる。
たったそれだけのことが、どれだけありがたいことか。あの2年間を知っている私は、もう知っている。
あなたには、「ここに居ていい」と思える場所が、いくつ、ありますか。
もし今、ひとつもないと感じているなら。それは、あなたのせいではないかもしれない。
プロフィール
作業療法士16年目|特養・ユニットケア勤務|元認知症ケア指導管理士|HSP・ISFJ|中学からテニス継続|7歳娘の父|アドラー心理学13年実践|106kgから77kgへ減量|うつ・対人恐怖を経て、薬なしで生きられるようになった現場ベースの発信を続けています。
ハッシュタグ
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