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敦賀行きの電車で、私はテスラ様と話していた

電車が動き出した瞬間、私は本気で思っていました。
「これで、やっと私の人生が再開する」
今から考えると、かなりオーバーです(笑)

でも、18歳の私は本気でした。

前回は、高校最後の大会を前に膝を怪我して、6年間続けたバスケ人生が突然終わったところから、日本一周を思いつき、山科駅から敦賀行きの電車に飛び乗るところまでを書きました。

今回は、その電車のなかの話です。
といっても、車窓を眺めながら優雅に旅を楽しんでいたわけではありません。

バッグに入れていたニコラ・テスラの伝記を見ながら、

「ああでもない」
「こうでもない」

と、頭のなかでずっと話をしていました。
相手はもちろん、テスラ様です。
完全に妄想です(笑)

18歳特有の妄想です。生暖かく見守ってください…💦

私は昔から、何か迷うことがあると、
「テスラなら、どう考えるやろう」と勝手に想像する癖がありました。

なので今回も、ときどき脳内テスラ様に登場してもらいます。

※この記事に登場する「テスラ様」の言葉は、実際のニコラ・テスラの発言ではありません。私が勝手に想像しているだけです。

ここテストにでるポイントだよ~

6年間、私の人生はバスケしかなかった

中学から高校までの6年間、
私の学生生活は、ほぼバスケでした。

朝から学校へ行って、授業を受けて、放課後はバスケ。

休日もバスケ。
試合もバスケ。
練習試合もバスケ。

周りでは彼氏ができたり、好きな人の話で盛り上がったりしていましたが、私はそういうことにもあまり興味がありませんでした。

というより、
私のなかでは、もうテスラが好きで終わっていた(笑)
恋愛より、バスケとテスラ。
だいぶ偏った高校生です。

ちなみに勉強も、まったくしていませんでした。
一番覚えているのは、5教科のテストを全部合わせても50点に届かなかったことです。
さすがに顧問に追いかけ回されました(笑)

高校3年生になってからは、補習で練習時間を削られたくなかったので、多少は真面目に授業へ出るようになりました。

でも、それまでは本当に、
「バスケさえできれば、それでいい」くらいに思っていたんですよね。

みんなが遊んでいるときも、ひたすら練習。
嫌になったこともありますよ、当然。
「今日、練習行きたくないな」と思った日も一度や二度ではありません。
それでも結局、バスケから離れることはできませんでした。

そんな6年間が、
最後の試合に出ることすらできないまま終わりました。

負けてもええから、あそこに立ちたかった

敦賀へ向かう電車のなかで、何度も考えていました。

悔しい。
たぶん、一番大きかったのはそれです。
もちろん、最後の大会は勝ちたかった。
ここまで来たら地区で一番になりたい、とも思っていました。

でも怪我をしたあと、一番強く残ったのは、
「負けてもええから、あそこに立ちたかった」という気持ちでした。

勝って終わりたかった、ではないんです。
最後まで、みんなと一緒にいたかった。

コートに立って、
自分のバスケ人生が終わる瞬間を、自分で見たかった。
怪我をしたのは、自分の不注意です。
チームメイトが悪いわけでもない。
顧問が悪いわけでもない。
みんな、いろいろ声をかけてくれました。

「お前がいたらな」
と言ってくれたメンバーもいました。
それでも、自分のなかでは整理できませんでした。

自分の不注意で全部が終わった。
次のチャンスもない。
「ちょっと待った~」もできない。
高校を卒業すれば、それで終わりです。

そんなことを考えながら、私は膝の上に置いたテスラの伝記を見ていました。

(*ロωロ)ゞ「テスラ様。負けてもええから、最後の試合に出たかったんです」
(๑•̀෴•́๑)「結果は変えられん」
(*ロωロ)ゞ「自分の不注意で終わったのが、めちゃめちゃ悔しいんです」
(๑•̀෴•́๑)「ならば、その悔しさも結果のひとつだ」
(*ロωロ)ゞ「結果……ですか?」
(๑•̀෴•́๑)「挑戦したから得られた結果だろう」
φ(❐_❐✧メモメモ「18歳の桐生、まだ納得していません」

桐生とテスラ様の妄想劇場①

今なら、少しだけわかります。
あのとき私が抱えていた後悔は、
「やらなかった後悔」ではありませんでした。

6年間、本気でやった。
最後までやろうとした。
でも、最後の一歩だけ、自分ではどうすることもできなかった。
だからこそ、あれだけ悔しかったんだと思います。

ただ、18歳の私はそんなふうには考えられません。

結果が出なかった=私は何も成し遂げられなかった。

若さ故の視野の狭さですよね~

すぐに、そっちへ沈んでいきました。

バスケは、私にとって人生そのものだった

そんなことを考えているうちに、ふと思いました。
そもそも、
私にとってバスケって、何だったんやろう。
また、勝手にテスラ様を召喚します。

(*ロωロ)ゞ「テスラ様にとって、研究って何なんですか?」
(๑•̀෴•́๑)「人生そのものだ」
(*ロωロ)ゞ「そんな即答します?」
(๑•̀෴•́๑)「他に何がある」
(*ロωロ)ゞ「……じゃあ私にとって、バスケがそうだったのかもしれません」

桐生とテスラ様の妄想劇場②

全国大会へ行ったわけではありません。
日本一になったわけでもない。
すごい選手だったわけでもありません。

それでも、私にとってバスケは人生そのものでした。

みんなが遊んでいるときも。
恋愛しているときも。
勉強しているときも。
私はずっとコートにいました。
だから、高校を卒業するというだけで、そこから強制的に追い出されるような感覚に納得できなかったんです。

自分では、「まだ終わってない」と思っているのに、
でも卒業式は来る。
学校には行けなくなる。
部活は下級生たちのものになる。

卒業って、自分の気持ちとは関係なく来るんや。

入学も卒業も待ってくれないからね💦

18歳になって、初めて知りました。
電車はどんどん前へ進んでいるのに、
中にいる私は、まだ最後のコートに立とうとしていました。

コートだけが居場所だった

なぜ、私はそこまでバスケにのめり込んだのか。
考えていると、家族のことも少しだけ頭に浮かびました。

私は子どものころ、家のなかに自分の居場所があると思えませんでした。
必要とされている感じがしない。
ここにいていいのかも、よくわからない。

大人たちの顔色を見ながら、
なるべく怒らせないように。
なるべく邪魔にならないように。
気配を消すことばかり考えていた気がします。

そんな私が初めて、
「ここにいていい」と思えた場所が、バスケのコートでした。

上手いとか、下手とかではありません。
コートに立てば、自分の役割があります。

走る。
守る。
パスを出す。
シュートを打つ。
やることがある。

そこでは、
「私はここにいていいんかな」なんて考えなくてよかった。
だから私は、6年間そこに全力でしがみついたんだと思います。

ぶっちゃけると、最後の試合に出て、負けて、「ああ、終わった」
と自分で納得できていたら、ここまで引きずらなかった気がします。

でも、それができなかった。
宙ぶらりんのまま終わった。

前回、
「知らないあいだに終わってしまった青春に、自分で区切りをつけたかった」と書きました。

たぶん、その正体はこのあたりにあります。

敦賀を選んだのには、もうひとつ理由があった

そんなことを延々考えているあいだにも、電車は順調に敦賀へ向かっています。

ちなみに前回、敦賀を選んだ理由を、
「山科から行ける、できるだけ遠いところだった」と書きました。

それも理由のひとつです。
でも、それだけではなくもうひとつあったんです。

せっかく日本一周するなら、行ったことのない場所へ行きたい。
滋賀県には、高校時代の練習試合で行ったことがありました。
なので、滋賀県、クリアということにしました(笑)
だいぶ雑です。

そして日本地図を見ると、その隣が福井県。
福井には行ったことがない。
「じゃあ次、福井やな」くらいの感覚です。

敦賀に何があるのかは知りません。
どこを観光するのかも決めていません。
宿も、決めていません。
福井の次にどこへ行くのかも決めていません。

考えていた作戦は、ひとつだけ。
着いたら観光協会みたいなところへ行って、どこを見ればいいか聞こう。
以上です(笑)

そもそも「旅行」がよくわかっていなかった

今考えると、無計画にもほどがあります。
でも、そもそも私は「旅行」というもの自体を、あまり知りませんでした。

一人旅はもちろん初めてです。
学生時代も、自分で計画してどこかへ旅行するような経験はありませんでした。
家族で旅行へ行くことも、ほとんどありませんでした。

旅行へ行くなら、
ホテルを予約して、
観光地を調べて、
交通手段を確認して、
何時にどこへ行くか決める。
そんな当たり前のことすら、よくわかっていません。

だから、
「現地に行って聞けばええやろ」くらいに思っていました。
今なら絶対に、出発前からスマホで検索しまくります(笑)

でも当時は、スマホもない。
紙の日本地図を広げて、
「次どこ行こう」と考えるしかありませんでした。

その不便さが怖かったかというと、不思議とそうでもなかったんですよね。

むしろ私は、なんでもできる気がしていました。

バスケという「鎖」がなくなった

それまでの私には、ずっとブレーキがありました。

バスケです。

もちろん、大好きでした。
ただ同時に、
「これをしたら試合に出られなくなるかもしれない」
「明日も練習がある」
「怪我したら困る」
そんなふうに、自分を縛り付けるものでもありました。

どれだけハメを外したくても、外せない。
ある意味では、
大好きなバスケが、私をつないでいる鎖でもあったんですよね。

その鎖が、突然なくなった。
卒業した。
部活もない。
試合もない。
顧問もいない。
次の日の練習もない。

そこで初めて、
「あれ? 私、何してもええんちゃう?」と思いました。

(*ロωロ)ゞ「テスラ様。私、もう何してもいいんですよね」
(๑•̀෴•́๑)「好きにすればいい」
(*ロωロ)ゞ「日本一周とかしても?」
(๑•̀෴•́๑)「もう電車に乗っているだろう」
(*ロωロ)ゞ「確かに」
φ(❐_❐✧メモメモ「行動だけは早い桐生でした」

桐生とテスラ様の妄想劇場③

もちろん、本当に何でもできるわけではありません。

所持金たかが10万円。(高校生にとっては大金ですけどね!)
泊まる場所も決まっていない。
手元にあるのは、日本地図と最低限の荷物。
そして、ニコラ・テスラの伝記。
できることなんて、たかが知れています(笑)

それでも、あのときの私には、
「自由」という言葉が、ものすごく大きく見えていました。

まずは福井を堪能しよう。
その先のことは、それから考えればいい。
そんなことを考えているうちに、少し眠くなったんだと思います。

電車の揺れに任せて、うとうとして、電車のアナウンスが聞こえてふっと目を開けました。

窓の外に見えたのは、知らない町。

そして聞こえてきたのが「次は~、つるが~、つるが~」
人生を再開するつもりで飛び乗った電車は、
とりあえず最初の目的地に到着しました。

第2回は、ここまで

今回は、敦賀へ向かう電車のなかの話を書きました。

電車が動いた瞬間は、
「人生が再開する」なんて思っていたのに、
頭のなかでは、まだ終わったばかりのバスケのことを考えてばかりいました。

家族のことを思い出して。
自分にとってバスケとは何だったのかを考えて。
その合間に、勝手にテスラ様を召喚する(笑)

体は前へ進んでいるのに、気持ちはまだ過去に残っていました。
それでも、敦賀には着きました。

問題は、
着いたはいいけど、何をすればいいのかまったくわからないことです。

頼みの綱は、
「観光協会みたいなところで聞けば、何とかなるやろう」という18歳らしい謎の自信だけ(笑)
次回は、敦賀に降りてから。

福井で私は何をしたのか。
本当に「福井を堪能」できたのか。
そして、このノープラン旅はどこへ向かっていくのか。

記憶をひとつずつ掘り起こしながら、この先も書いていこうと思います。
よければ、18歳の私の無計画な旅に、もう少しだけお付き合いください。

※不定期のため次回がいつになるかは未定です。

▼旅に出たきっかけを知りたい方はこちら▼


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