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短編「続きは私が書く」

 毎週月曜日は連載まとめですが、
今週は連載中の原稿がないので、公募落ちの短編を掲載します。
作ったのは昨年の9月です。


1

小説投稿サイト〈スズラン〉掲載作品
『Fragment』第1話   作者:Kivra

Scene0

 鏡の中に、まだ見慣れない自分がいた。
 肩までの黒髪を梳かす指先が、わずかに震えている。けれど、それを気にしているのは鏡の中だけで、実際の彼女はただ静かに髪を整えているように見えた。
「友達、できるといいね」
 台所から母の声がした。声の温度が、半分だけ現実を明るくする。遥は、うまく返事ができず、「うん」とだけ小さく答えた。
胸の奥に沈んでいるのは、期待と不安の混ざり合った重さ。新しい場所へ向かう朝は、軽くもあり、ひどく心細くもあった。

 机の上には、入学したばかりの大学の学生証。まだカードの角が固く、使い慣れていない手触りが残っている。カバンの横には、新しいノートとペン。すべてが“最初の日”の印のように並んでいた。

 出かける支度はととのっているのに、靴を履くまでに小さな間があった。玄関の扉を開けると、春の空は曇りがちで、光は雲にやわらかく溶けていた。湿った風が頬をかすめる。
 ──今日、何かが始まる。そんな確信めいた感覚が、不意に心を掠めた。

Scene1

 住宅街の角を曲がったとき、路地の真ん中に影が落ちていた。
 白と黒のまだら模様。小さな体が、そこにいることを当然とするように、静かに座っている。

 遥は足を止めた。猫は逃げなかった。まっすぐな視線が射抜くように向けられ、胸の奥に沈んだ不安を覗かれた気がした。

 少し迷ってから、彼女はしゃがみ込む。伸ばした手の先に、やわらかな毛並みが触れる。驚くほど自然に、猫は身を寄せてきた。
 その瞬間、胸の奥で、ほどけるような温かさが広がった。

「──ミル!」

 不意に声がして振り返ると、青年が駆けてきた。息を切らしながら猫を抱き上げる。
 その仕草に安堵が宿り、腕の中の生きものがほんの少し鳴いた。

「……ありがとう。助かりました」

 遥は首を振る。
「いえ……たまたま見つけただけです」

 ふたりの言葉は短く、触れ合った瞬間にほどけていった。
 名前を知らないまま、道の両端へと分かれていく。
 曇り空の下に残ったのは、すれ違った気配だけだった。

Scene2

 講義棟の廊下は、まだ朝の冷たい光に満ちていた。
 教室を探して歩くうちに、ふと視線の先に、見覚えのある横顔が現れる。

 猫を抱いていた青年。
 今はその腕に何もいないが、確かに同じ人だった。
 立ち止まった彼と、遥の足も同じ場所で止まった。

 短い沈黙。
 やがて、互いに名を名乗る。
 朝比奈悠希。
 遠野遥。
 新しい文字が心の奥に書き込まれていくような感覚。始まりを告げる響きが、ほんのわずか胸を揺らした。

「……文学部?」
悠希が問いかける。

「はい。同じですか?」
遥は少し緊張しながら答えた。

「うん、俺も。じゃあ同級生だな」

 それだけのやりとりなのに、小さな安心が芽生える。少なくとも、この広い大学でまったくの他人ではない。
 そのとき──

「こんなとこにいた!」

 明るい声が廊下に響いた。
 ひとりの少女が駆け寄ってくる。軽く悠希の腕を叩きながら笑った。
「朝から探したんだよ。遅刻かと思ったじゃん」

 悠希は困ったように笑い、肩をすくめた。
「……悪い。ミルがまた逃げてな。
 この子が見つけてくれたんだ」

 少女の視線が遥に向けられる。
 一瞬だけ驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。
「そうだったんだ。ありがとう」

 悠希は腕時計を見て、顔をしかめる。
「やばい、次の講義に間に合わない!」
 言い残し、慌ただしく廊下を駆けていった。

 残されたのは、少女と遥。
 少女は息を整えるように小さく肩をすくめ、それから遥をまっすぐに見つめた。

「──あいつ、ちょっと変わってるけどさ。悪いヤツじゃないよ。仲良くしてあげて」

 思わず遥は問い返す。
「……あの、あなたは?」

「あ、ごめん。自己紹介してなかったね」
 少女は笑って一歩近づいた。
「夏目凛。悠希とは高校からの友達なの、私も文学部。」

 その名が、初めて遥の胸に刻まれた。

「……遠野遥です」
 思わず背筋を正して名乗ると、凛はうれしそうにうなずいた。

「そっか。じゃあ、これからよろしくね」
 軽やかにそう告げると、凛は手を振りながら廊下の奥へ歩き出した。

 残された静けさの中で、遥は胸の奥に小さなざわめきを抱えた。
 それは期待にも似ていたが、どこか、最初から埋まっていた席に遅れて座ったような感覚でもあった。

Scene3

 講義棟を出ると、広いキャンパスに風が流れていた。
 人の群れにまぎれながら歩いても、胸の奥のざわめきは消えない。

 白い猫の毛並み。
 悠希の声。
 凛の笑顔。

 断片のように浮かんでは、重なり合い、またほどけていく。
 残されたのは、言葉にならない余白だけだった。

 ぽつり、と冷たいものが頬に落ちた。
 次の瞬間、湿った風に雨の匂いが混じる。
 見上げると、曇り空の底から細かな粒が舞い始めていた。
 傘を差す手の先、遠くに時計台が霞んで見える。

 時刻を告げる鐘の音はない。
 けれど、静かに時が動き出す気配があった。

 ──ここから何が始まるのだろう。

 遥は足を止め、胸の奥に残された余白を抱えたまま、答えを持たずに立ち尽くした。



2

「ねえねえ、みんな見た!? スズランでKivraの新作アップしてたよ!」
 マリナが文芸部のドアを開けるなり、スマホを掲げて声を張り上げた。

 ここは放課後の文芸部。部員は多くないが、この三人──マリナ、ユリ、アヤメ──は自然と机を囲む常連になっていた。
 気づけば、好きな作家の話や創作のアイデアを持ち寄る時間が、部室の日課のようになっている。

「『Fragment』! もうタイムライン大騒ぎ! だってKivraだよ?
 青春もファンタジーも恋愛も、ジャンル関係なく書いて必ずランキング一位のカリスマ!
 しかも今回は猫と青年と雨! はい、恋愛フラグ立ちましたー!」

「……恋愛、かな?」
 本のしおりを挟んだユリが、控えめに顔を上げる。
「友情の話にも見えたけど。……凛と悠希の関係とか」

「友情!? いやいや、猫を抱き上げる青年=イケメンって決まってるんだよ?
 そこからの再会シーン! 運命の出会いイベント以外の何ものでもないでしょ!」
 マリナは机をばんっと叩いて身を乗り出す。

「恋か友情か──そんな区別に意味はない」
 窓際に座っていたアヤメが、低く呟いた。
「語りには裂け目がある。人じゃなく、別の何かが選ぶこともある」

「……何それ?」
 ユリが眉をひそめる。

「出たよ、アヤメワールド!」
 マリナが両手を広げて笑った。
「もう、詩人みたいでわけわかんないんだから」

「でも確かに、第1話だけでジャンルが定まらないのは珍しいかも」
 ユリは指先で机をなぞりながら言った。
「恋愛にも、友情にも、幻想にも転べる。読み手によって解釈が揺れる」

「そうそう! だから考察も盛り上がってるんだよね」
 マリナがスマホを操作して画面を見せる。
「『猫が選んだ?』『凛ルート濃厚?』──ほら、みんな好き勝手に言ってる」

「人によって読み方が変わる。……それって、面白いことかもしれない」
 ユリの小さな声は、部室の空気を静かに揺らした。

「だったら」
 マリナは視線を二人に向け、にやりと笑う。
「創作の練習としてさ──私たちも“続き”を書いてみない?」

「続き……って?」
 ユリが目を瞬かせる。

「そう! Fragment第1話のあとを、それぞれが書いてみるの。
 私はもちろん恋愛一直線! 出会い→再会→雨の中で告白! 青春ドラマ完成!」

「早い……」
 ユリは小さく笑い、そして首を振る。
「私はもっと別の方向かな。悠希は凛に特別な思いを残してる気がしたし……。
 “選ばれる人”がいるなら、私は“選ばれない人”を書きたい」

「出た、ユリの切ないやつ」
 マリナは苦笑しつつも興味深そうに耳を傾ける。

 窓際のアヤメが、ゆっくりと目を開いた。
「恋でも友情でもない道もある。語りはまだ形を持たず、ただ裂け目に立っている。
 ──物語の続きは、その影の向こうから現れるかもしれない」

「ほらまた難しいこと言ってる……」
 マリナが肩をすくめて笑った。
「でも、まあ……それもアリかもね」

 三人の言葉が机の上に散らばり、まだ形を持たない物語の芽を作り出していた。


3

 Fragment 仮想第2話 「偶然じゃない」  佐倉 真里奈

Scene4

 校門を出たところで、視界の隅に白と黒がよぎった。
 ……え、また?足を止めると、朝の猫──ミルがちょこんと座っていた。まるで「ここにいるよ」と言わんばかりに。

「ミル……?」

 名前を呼ぶと、猫は小さく鳴いた。
 その声に応えるみたいに、後ろから足音が近づいてくる。

「やっぱり……また君のところか」

 息を切らせながら現れたのは、朝比奈悠希だった。
 猫を抱き上げ、安堵の笑みを浮かべる。

「こいつさ、気になる人のところに勝手に行くんだよ」

 さらっとした言葉に、心臓が跳ねる。
 ──そんなふうに言われたら、もう偶然には聞こえない。

「……ほんとに、不思議ですね」
 腕の中で落ち着いているミルを見ながら、私は小さく言った。
「私なんて、今日会ったばかりなのに」

 悠希は苦笑する。
「そういうやつなんだよ。昔から、勝手にどこかに行って、気づいたら戻ってくる」

 猫を撫でる指先は優しくて、当たり前みたいに自然。
 でもその自然さが、逆に胸をざわつかせる。
 ──気配りが上手すぎて、少女マンガの王子様みたい。

「あの……さっき、一緒にいた人」
 言葉が少し揺れる。
「夏目さん、でしたっけ」

 悠希は一瞬目を瞬かせてから、ああ、と頷いた。
「凛か。高校のときからの友達で、なんでも遠慮なく言えるやつだよ」

 軽い調子でそう言う。その“気安さ”がかえって危ない。
 ただの友達? ──そんな言葉ほど、あてにならないものはない。

 胸に残るのは、安心とモヤモヤの入り混じった感情だった。

 そのとき、冷たい雫が頬に落ちた。
 見上げると、曇り空の底から細かな雨粒がこぼれはじめている。

「……あ」

 慌てて鞄を探る。けれど、傘は奥にしまい込んでいて、なかなか取り出せない。
 そんな私の横で、ふいに影が落ちた。

 ──ぱっと、差し出された傘。

「よかったら、一緒に入る?」

 声は穏やかで、気負いもなく自然。
 そのさりげなさが、むしろ心臓に効きすぎる。
 ……ほんとに、この人、少女マンガから出てきたの?

 ためらいながらも傘の中に入る。距離が近い。
 肩と肩がかすかに触れそうで、息がうまく整わない。

 悠希は気づかないふりで前を見ている。
 私は──雨粒に濡れて光っている横顔から目を離せない。

「気にしなくていいよ。こっちこそ助けてもらったし」
 ふいにそう言って笑う。
「それに、このまま濡れて帰ったら、風邪ひいて初日からサボり疑惑だろ?」

 軽口まじりの言葉に、不意に笑ってしまう。
 緊張がゆるんだ瞬間、心臓がまた跳ね上がる。

 雨脚はさらに強くなり、傘の外は白く煙っていた。
 小さな傘の下、ふたりきりの世界。
 ──わかってしまった。
 これはもう、始まっている。


4

 Fragment 仮想第2話 「傘の外で」  白川 由梨

Scene4

 次の朝、ただ歩くだけの道が、昨日の続きかもしれないと思えてしまった。住宅街の角を曲がれば、あの路地。昨日、猫が座っていた場所。
 足が自然にゆっくりになる。早足で通り過ぎる人たちの靴音が背中を追い越していく。けれど私だけが、そこだけ時間の速さを変えられたみたいに、歩幅を小さくしていた。
──いるかもしれない。そう思った。
けれど、そこには何もいなかった。濡れたアスファルトの上には、白い毛一本すら残っていない。
 昨日の出来事は、もしかすると夢だったのではないかと思うほどに、ただの通学路が静かに広がっていた。
手の中に残っていたはずの温かさも、思い出そうとすると輪郭を失っていく。
 猫に会いたかったのか。それとも。

 答えを見つけられないまま、見上げた空は薄く曇っていた。電線に吊られた雫が風に揺れ、光を細かく散らしている。遠くの窓ガラスには、小さな水滴が列になってついていた。

 今日も、雨が降るのかもしれない。そう思ったとき、胸の奥が少しだけ重くなった。

Scene 5

 講義棟の前に着いたとき、ちょうど自動ドアが開いて、悠希が出てきた。
 昨日より少しだけ眠そうな顔で、紙コップを手にしている。

「あ……」
 思わず声が漏れる。彼も気づいて、小さく手を上げた。

「おはよう。……昨日は、ありがとな」
「いえ……ほんとに、たまたま見つけただけで」

 言葉はそれ以上つながらず、並んで歩く形になった。廊下の窓から差し込む光が、まだ冷たい。

「ミル、あのあとすぐに寝てさ。何事もなかったみたいな顔で」
 悠希の口調は穏やかで、少し呆れたように笑っている。
「俺ばっかり探して、走って……まあ、いつものことだけど」

 そこで、ふと彼が続けた。
「昔から、凛にもよく笑われるんだよ。『また走ってんの?』って」

 何気ない一言だった。
 でも、耳の奥に残る。
 ──ああ、この人には、すでにそうやって笑い合える誰かがいるんだ。

 返す言葉を見つけられなくて、ただ「そうなんですね」と小さく答える。
 けれどその声を聞いた悠希が、こちらを見て笑った。
「でも、昨日はほんと助かったよ。ありがとな」

 その笑顔がまぶしいと思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。
 痛みといっしょに、誰かに必要とされたという温かさも、確かにそこに残ってしまった。

Scene 6

 帰り道、空は朝から我慢していたものを一気に降らせたように、ざあっと音を立てていた。
 傘の内側にこもる雨音に、足音までかき消されそうになる。

 信号の角を曲がったとき、前方にふたりの姿が見えた。
 悠希と、凛。
 一本の傘を差して、肩が自然に触れ合う距離を保ったまま並んで歩いている。

 声は届かない。
 でも、悠希の横顔が、ふとこちらからも見えた。
 何かを言おうとして、少しだけ口を開き、それから笑ってごまかすような仕草。
 その視線は、確かに隣の凛に向けられていた。

 凛は気づいていないように見えた。
 ただ真っ直ぐ前を向いて、雨粒の向こうに揺れる街灯を見ている。
 悠希の想いに重さがあるのだとしたら、その重さをまだ受け取らないまま。

 私は足を止めて、傘の先から滴る水をただ見つめた。
 ──こんなにも近くにいるのに、まるで違う場所のことみたいだ。

 胸の奥は痛む。けれど同時に、あのふたりが笑い合えるなら、それも悪くないと思ってしまう。
 雨音が強くなり、ふたりの背中は遠くの光に溶けていった。

 残されたのは、私の傘に落ち続ける透明な粒と、その音だけだった。


5

Fragment 仮想第2話 「裂け目の先で」 黒瀬 菖

Scene 4

わたしは猫。
名を呼ばれれば振り向くが、従ったことはない。
籠の中で暮らしていても、風の隙間を見つければ、外へとにじみ出る。

あの日もそうだった。
曇り空の下、住宅街の路地の真ん中に、わたしは座っていた。
ひとりの人間が立ち止まる。黒い髪の少女。
胸の奥に揺らぎを抱えた目で、じっとわたしを見ていた。

逃げたのではない。呼ばれたのだ。
その震える手に。

指先は、まだ誰の温度も知らない。
心細さの匂いが、風に溶けていた。
猫は強い者には寄らない。
隙間を抱えた者に、そっと近づく。

だから、わたしは彼女――遠野遥に身を寄せた。
その名を、まだ知らないままに。

Scene 5

扉の影には、裂け目がある。
人間は気づかない。猫には見える。
風が押し出すとき、わたしは身体を細くして外へにじみ出る。

土のにおい。春の風。足音。
室内にはない響きが、世界を膨らませる。

「ミル!」
飼い主――悠希の声。
必死に名を呼ぶ、その声に振り返る。

「また逃げたの? 本当に世話が焼けるんだから!」
夏目凛。
昔、わたしに鈴を結んだ手。匂いを覚えている。
困ったように笑いながら、今も走ってくる。

そのとき――
「……ミル?」
遠野遥。
小道の角に立ち、胸の前で手を握りしめていた。
声はかすかに震えていた。

三つの声が重なる。
叱る声。懐かしむ声。震える声。
それらすべてが、わたしを包む。

Scene 6

植え込みをすり抜ける。足音が迫る。
「危ないから戻ってこい!」
悠希がつまずき、手をついた。
その掌には、責任の重さがにじんでいた。

ころん、と石の転がる音。
凛がしゃがみ、呼ぶ。
「ほら、こっちおいで」
昔の遊びが、記憶をふっと揺らす。

「……ミル」
遥が小さく呼んだ。
膝を抱えて、逃げないで待っていた。

遊ぶように、逃げるように。
けれど、三人の視線は、同じ一点に注がれていた。

やがて、声も足音も、ひとつの輪に収束する。
わたしは立ち止まり、尾を揺らす。

「……ミル」
悠希の手。
「もう、ほんとに手がかかるんだから」
凛の声。
「……来てくれるの?」
遥のささやき。

三つの手が伸びる。
わたしは身をひねり、草むらへ滑り込む。

捕まらない。けれど、逃げきる気もない。

ただ見ていた。
三つの心が、同じ瞬間に触れようとするのを。

選ぶのはわたしではない。
けれど、この瞬間、三人は同じように――わたしを選んでいた。


6

 三人が最初に読んだのは、マリナが書いた仮想第2話「偶然じゃない」だった。
机の上に置かれたプリントを読み終えると、部室に小さな沈黙が落ちる。
最初に口を開いたのは、やっぱり本人だった。

「ねっ、キュンとしたでしょ!」
マリナが勢いよく身を乗り出し、ユリの顔を覗き込む。

「……心臓は動いたけど」
 ユリは視線をそらし、プリントを丁寧に揃えながら小さな声で言った。
「ちょっと直球すぎるかな」

「直球がいちばん効くんだって!」
 マリナはばんっと机を叩いた。
「少女マンガでもドラマでも、まずはベタから始めるの!」

「雨は、心臓じゃなく檻の音だった」
 アヤメが不意に口を開く。窓の外を見ながら、独り言のように。

「ちょ、檻!? なんでロマンチックをホラーに変えるの!」
 マリナが振り返り、両手を広げる。

 ユリが思わず口元を押さえて笑った。
「でも……“閉じられた時間”って意味なら、ちょっと分かるかも」

「そう。檻は孤独の影」
 アヤメは淡々とうなずく。

「出たよ、アヤメワールド!」
 マリナが頭を抱える。
「でもまあ……とりあえずキュンとしたってことで、私の勝ち!」

 彼女の明るい声が、部室の空気を軽くした。

 次に回ってきたのは、ユリの仮想第2話「傘の外で」。
読み終えたマリナが、ぱたんとプリントを机に置いて声を上げた。

「ちょっと……切なすぎるんだけど!」
 言葉とは裏腹に、声はどこか弾んでいる。
「雨の中でふたりが並んで歩くとか、映画じゃん! 胸ぎゅーってなった!」

 ユリは耳まで赤くして、指先で髪を耳にかけた。
「……暗すぎたかなって思ったけど」

「暗いんじゃなくて、ドラマチック!」
 マリナが身を乗り出し、机をばんばん叩く。
「恋愛マンガ派の私でも、こういう“届かない想い”はアリ! 泣けるやつ!」

 アヤメが静かに紙を重ね直した。
「影を描くことで、光が形を持つ。……選ばれない視点こそ、物語を深くする」

「え、アヤメが真面目に褒めてる!?」
 マリナが目を丸くする。
「珍しすぎ!」

 ユリは思わず笑みをこぼし、俯いたまま小さく言った。
「……褒めすぎだよ」

 その笑みは控えめだったが、部室の空気をやわらかく温めた。

 最後は、アヤメが書いた仮想第2話「裂け目の先で」。
読み終えた瞬間、部室に沈黙が落ちる。
最初に声を上げたのは、案の定マリナだった。
「……意味わかんない!」
 プリントを机にばさっと置き、両手を広げる。
「猫がしゃべってるし! 選ぶとか選ばないとか言ってるし! これ、ホラー?寓話?どっち!?」

 アヤメは真顔のまま、窓の外を見ていた。
「ホラーでも寓話でもない。……猫の視線が世界を決める」

「はあ!? でも絵は浮かぶんだよね!」
 マリナは頭を抱えつつも、悔しそうに笑う。
「走る足音とか、三人が同時に手を伸ばすとことか……なんか映画のクライマックスっぽくてズルい!」

 ユリは黙って紙を見つめていたが、やがて小さく頷いた。
「……私は好き。人間が主役じゃないって、新鮮。
 三人とも猫を通してつながって……誰も置いていかれない感じがした」

「置いていかれない?」
 マリナが首をかしげる。

「うん。誰も“選ばれなかった人”にならない。……そういう物語も、ありかもしれない」

 アヤメの口元がわずかに緩む。
「……解釈は自由だ。猫はただ、そこにいるだけだから」

 マリナは大げさに机に突っ伏した。
「もう、難しいんだから! でも……これはこれでアリかもね」

 三人の笑い声が、夕暮れの部室にやわらかく響いた。

 「で、結局どれが正解なの?」
 マリナが頬杖をついて笑う。

 ユリは首を横に振った。
「正解なんてないと思う。……全部、あり」

 アヤメは静かに三枚のプリントを見下ろした。
「なら、重ねればいい。恋も友情も、猫の視線も。矛盾はしない」

 言葉に導かれるように、三人はプリントを机の真ん中に寄せた。
 一枚ずつ重なっていく紙の音が、小さく響く。

 重なった瞬間、そこにひとつの物語が立ち上がったような気がした。
 恋と友情と幻想が、同じ光を帯びて溶け合っていく。

 「ね、悪くないでしょ」
 マリナが笑い、ユリがうなずき、アヤメも口元をわずかに緩める。

 部室の窓の外では、雨上がりの雲の切れ間から光が差し込んでいた。

 ──続きは、私が書く。


 以上です。
明日、創作メモをアップします。
https://note.com/kitten89/n/nc1c2f83db6c0

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