掌編「うそつきゲーム」
毎週月曜日は、短編を投稿しています。
今回は論理パズルを基にした掌編です。
放課後の教室には、もう自分たちのほかに誰もいなかった。窓から差し込む光が、埃っぽい床に長い線を引いている。
「ねぇ蒼、みつきに聞いたんだけど今日の給食、隣のクラスはプリン二個だったらしいよ。一クラス急に学級閉鎖になったから余ったんだって」
佐伯ひよりが、ランドセルを肩にかけながらさらりと言った。山田蒼はぱっと顔を上げる。
「え、マジで?」
「うそ〜、引っかかった」
ひよりがけらけら笑う。蒼は一瞬むくれてから、すぐに笑い出した。
「またかよ〜。もう何回目だよそれ」
「蒼が単純だからでしょ」
幼稚園からの付き合いで、こんなやり取りはいつものことだった。
ひよりの軽い嘘は、蒼にとってはもう遊びの一つだ。投げられたら、笑って受け止める。それだけだった。
ひよりは机の縁に軽く腰をかけると、笑いをすっと引っ込めた。
目の奥だけがまだ楽しそうに輝いていたが、声のトーンは一段低くなっていた。
「そんな簡単に引っかかってたら」
ひよりは、そこで一度言葉を切った。窓の外を見るふりをして、それからゆっくりと蒼のほうに視線を戻す。
「うそつきゲームに勝てないよ」
「うそつきゲーム?」
蒼が身を乗り出す。聞いたことのない言葉だった。
だが、その言葉より先に、蒼の中で反応していたのは「ひよりの声」のほうだった。落ち着いていて、急かすこともなく、まるで当たり前の事実を話すような口ぶり。
「隣のクラスで、今日やってるらしいよ」
ひよりは指を一本立てて、まるで秘密を打ち明けるように声をひそめた。
「本当のこと言ったら負けなんだって。加藤先生、こういうの好きじゃん?」
蒼は腕を組んで唸った。隣のクラスの担任の加藤先生は、たしかに変わった遊びを取り入れるタイプだ。
朝の会で急に「今日は逆さ言葉の日」とか言い出すこともある先生だった。ありえない話ではない、と蒼は思う。むしろ、あの先生ならやりそうだ。
「本当のこと言ったら負け、かぁ……」
蒼は「本当のこと言ったら負け」とぶつぶつ繰り返した。
ひよりはそんな蒼の様子を、机に頬杖をついて眺めている。
そして何より——隣のクラスには、藤原みつきがいる。
真面目で、うそが大嫌いな女子。蒼が最近、なんとなく気になっている相手だ。もし本当にそんなゲームをやっているなら、そこに顔を出して、うまく立ち回ってみせたら。
ちょっとくらい、かっこよく見えるかもしれない。
「よし、ぼくも参加してくる」
蒼は椅子を鳴らして立ち上がった。ひよりは何も言わず、ただにこにこして見送った。
隣のクラスの扉をがらりと開けると、教室にはまだ数人残っていた。
藤原みつき、田中颯太、黒川陸。そして、黒板を消している加藤先生。
夕方の教室には、静かでどこか間延びした空気が漂っていた。
蒼は息を弾ませたまま、教室の真ん中まで進み出る。
「ねぇねぇ、うそつきゲームって、今日ここでやってるんだよね?」
みつきが手を止めて、こちらを振り返った。三つ編みの毛先を指先でくるりと巻きながら、小さく首をかしげる。
「そんなゲームしてないよ」
蒼はそれを聞くなり、うんうんと何度も頷いた。
(やっぱりな。本当のことを言ったら負けなんだから、そう言うよな)
「なるほど。みつき、いきなり上手いな」
「え?」
「だって、本当のこと言ったら負けなんでしょ?」
みつきはますます不思議そうな顔をした。
その隣で片づけをしていた颯太が、呆れたように顔を上げる。
「何言ってんの。うそなんかついちゃダメだよ」
(颯太もか)
蒼は思わず頬がゆるむ。
(嘘をついちゃダメってことは……嘘をついていいってことだな)
「そうそう」
少し離れた席から、陸がにやにやしながら口を挟んだ。
「加藤先生、嘘ついたら怒るからな」
颯太が陸を見る。
「いや、普通そうだろ」
「だから言ってんじゃん」
陸は笑いをこらえるように肩を揺らしている。
蒼は三人を順番に見回した。
みつきは困ったように首をかしげ、颯太は呆れた顔をしている。陸だけは、なぜか楽しそうだ。
(みんな、うまいな……)
誰一人として、本当のことを言おうとしない。
さっきまで何でもない放課後の教室だったはずなのに、急に全員が油断ならない相手に見えてきた。
蒼はごくりと唾を飲み込んだ。
そこで、加藤先生が黒板消しを置いて、こちらに向き直った。手についたチョークの粉を軽く払いながら、陸の言葉を引き取る。
「そうだぞ。小さな嘘でも、つかないほうがいい。正直なのが一番だからな」
蒼は目を見開いた。
(先生まで……!)
こんなに穏やかな顔で、こんなに堂々と言えるなんて。
(先生の嘘、レベル違う……)
蒼はもう一度、教室を見回した。
困ったような顔のみつき。呆れた顔の颯太。笑いをこらえているような陸。そして、何事もなかったように黒板消しを手にしている加藤先生。
ここまで全員が徹底しているなら、間違いない。
(よし。ぼくだって)
せっかく来たのだ。みつきの前で、ただ見ているだけで帰るわけにはいかない。蒼は一度深呼吸をすると、姿勢を正した。
「先生、ぼく、先生の言葉に感動しました。このクラスは本当に誰一人として嘘をついてません!ぼくも先生を見習って、一生、嘘をつかないようにします!」
言い切った。我ながら、かなりうまく言えたと思う。
(決まった……!)
ところが、教室は妙に静かだった。
颯太はぽかんと蒼を見ている。
陸は口元を押さえて、肩を震わせていた。
「……いい子だね」
みつきが小さく笑った。蒼の胸が、どきりと跳ねる。
(……いや、これもうそなんだよな)
危ないところだった。ここで喜んだら、きっと負けだ。
「その気持ちを忘れないようにな」
加藤先生も満足そうに頷いた。蒼は四人の顔を順番に見る。
誰も「うそだ」と言わない。誰も悔しそうな顔をしない。
(……見破られてない?)
じわじわと嬉しくなってきた。
初めてにしては、かなりうまくできたのかもしれない。
蒼は得意げに胸を張った。
蒼は自分の教室に戻るなり、ひよりに駆け寄った。
「ひより!うそつきゲーム、めちゃ面白かった!ぼく、『一生、嘘をつかないようにします』って言ったんだ。誰にも見破られなかった!」
興奮気味にまくしたてる蒼を、ひよりはランドセルを背負ったまま、じっと見ていた。
それから、いつもと変わらない軽い調子で言った。
「何言ってるの。あれ、私のうそだよ」
蒼の笑顔が固まった。
「……え?」
「うそつきゲームなんて、誰もやってないよ」
蒼は口を開けたまま、しばらく動かなかった。
「……じゃあ、ぼくが言ったやつって」
「ただの本当のことだよ」
ひよりはにやりと笑う。
「みつきちゃん、感動したんじゃない?」
蒼の顔が、一気に赤くなった。みつきの笑顔が頭に浮かぶ。
『……いい子だね』
あれも、うそじゃなかった。
「う、うるさい!」
ひよりはとうとう我慢できなくなって、声を上げて笑った。
以上です。
明日、創作メモをアップします。
