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円死縁徒渡裸魂【エンシェントドラゴン】 Project by. 魔威奇異【エッセイしりとり】

こちら、マイキーさんの企画、
「#エッセイしりとり」コンテスト2026夏の陣!

まさかのご本人から強制参加でぶん投げられましたw

私のお題は、

「円」から始まるタイトルで書くエッセイ。

……エッセイってなに?
これで合ってる??笑


円死縁徒渡裸魂【エンシェントドラゴン】

古い道具には、魂が宿る。

今は亡き先代や親方たちから引き継がれてきた道具。
大学時代には最先端だったのに、今ではすっかり古代文明になったソフトウェア。

使っていた人が亡くなっても。
パソコン本体が死んでも。

道具だけは、その先へ渡っていく。

手から手へ。
PCからPCへ。

縁を渡り、余計なものを削ぎ落としながら、最後には使う人の徒手になじむ。

ピンピンの角は取れ、メンテナンスサービス期間は終わる。

時代に取り残されたように見えて、そこからが本番だ。
徐々に、使いやすくなっていく。

それは、道具が少しずつ魂を得て、付喪神へと変異していく過程のようにも思える。

死んでも途切れず、縁を渡り、また誰かの手の中で生きる。

そうして道具は円環する。

――円死縁徒渡裸魂。

私が憧れているのは、たぶんそんなエンシェントドラゴンのような存在だ。


古代文明、現役です

うちのPhotoshopとIllustratorは、いまだにCS4である。

大学時代、最先端だったやつだ。

当時は夢のような道具だったはずなのに、気づけば世の中はずいぶん先へ行ってしまった。

AIが画像を作り、ワンクリックで背景を消し、勝手に被写体を選択してくれる時代。

それを横目に、私は今日もCS4を開く。

最新ソフトなら数秒で終わることに、ちまちま手を動かす。

でもどうせ、これ以上の機能が増えても、使いこなせない。

この古代文明にすら、まだ知らない機能が眠っているくらいだ。

動画編集も似たようなもの。

最近使い始めたのは、数年前に購入した買い切りの編集ソフト。
やっと使う機会ができたと思った頃には、もう古代文明と成り果てていた。

使える機能は地味だ。

絵を繋ぐ。
切り替える。
少しだけ動かす。
フェードイン、フェードアウト。

基本操作は直感的で、説明書など読んだこともない。

慣れてしまえば、あとは組み合わせればいい。

「この機能がないからできない」ではなく、

「これとこれを組み合わせたら、やりたいことができるんじゃないか」

と考える。

面倒ではある。
速くもない。

でも私は、このやり方が嫌いではない。

やってやれないことはない!

高機能より、手になじむもの

新しい道具は便利だ。

速いし、賢いし、できることも多い。

ただ、高機能な道具を持っていることと、それを使いこなせることは違う。

機能が百個あっても、自分が迷わず使えるのが十個なら、私にとっては十個分の道具でしかない。

反対に、機能が二十個しかなくても、その二十個が全部手になじんでいて、組み合わせ方を知っているなら、案外いろんなところまで行ける。

古いソフトのいいところは、単純なことだ。

どこに何があるか分かる。
押したら何が起きるか分かる。
余計なお世話をあまりしてこない。

たぶん私は、道具に考えてもらうより、

自分が考えたことを、素直にやってくれる道具が好きなのだと思う。


新品の鏝は、まだ未完成

左官の道具は、もっと露骨だ。

新品の鏝は使いづらい。

角が立っていて、使えば引っかかる。

土や漆喰を塗ろうにも、鏝の腹でうまく塗れず、こなすのに一苦労する。

ほんの少し角を引っかけただけで、せっかく整えた面を傷つけることもある。

だから、ひたすら使う。

モルタルなどの固い材料でゴリゴリ使う。

すると少しずつ角が取れ、鋼が減り、裏が丸みを帯びてくる。

使い手の力のかかり方に合わせて、ほんのわずかに形も変わる。

そうしてようやく、

「この鏝、使いやすいな」

というところにたどり着く。

買ったときが完成ではない。

むしろ、そこからが始まりだ。

私は左官を始めて十年ほどになるけれど、それでも自分の道具箱を見て、

「よし、育った」

と思える鏝は、まだ満足にない。

十年もやっているのに、である。

鏝の時間は、人間が思っているよりずっと長い。


裏の回った鏝

たまに、ものすごい鏝を見る。

何十年も使われた鏝。

親方から弟子へ。
先代から次の代へ。

人の手を渡りながら、ずっと使われてきた鏝。

鋼鉄の板はすっかり薄くなり、角は丸く、裏まで回っている。

新品とは、もう形そのものが違う。

格好いい。

めちゃくちゃ格好いい。

そこまで行くには、一人の職人の時間だけでは足りないことすらある。

何十年。

場合によっては、一代を越える。

誰かが使い、
誰かが手入れし、
誰かが残し、
また次の誰かの手に渡る。

そうやって生き残った道具には、新品にはない生きた形がある。

ひとりひとり、使い方のクセが違う。
だから、鏝の減り方も違う。

その鏝には、

使った職人の手の形が記憶されているのだ。

継承される技術の記憶

道具は、誰のものか

道具は所有物だ。

買えば自分のものになる。

でも、長く使われる道具を見ていると、少し見方が変わる。

本当は、

自分が預かっているだけなんじゃないか。

自分の手になじむまで使う。

そして自分が使わなくなったあと、それでもまだ道具が生きているなら、次の誰かのところへ行く。

後輩に譲ることもある。

最新のパーツで組んだ高スペックPCに、古代文明を搭載することもある。

いつまで使えるかは知らない。

ある日突然、古代遺跡になるかもしれない。

それでも長く使ったおかげで、やりたいことがあれば、

「あれをこうして、これを重ねればいけるな」

と先に道筋が見える。

滅多に編集ソフトなんぞ触らない左官職人だ。
新しいものを一から覚え直すのは、めんどくさい。

むしろ昔から使っているからこそ、道具が思考の一部になっている。

鏝も同じだ。

目で見て、考えて、手を動かし、その途中に道具がある。

うまくなじんだ道具ほど、存在を主張しなくなる。

だから私は、

徒手になじむ

という言葉が好きだ。

道具なのに、素手に近づいていく。

長く使えば使うほど、

「どう使うか」より、

「何をしたいか」で使い方を変える。


エンシェントドラゴン

別に、新しい道具が嫌いなわけではない。

便利なものは便利だし、必要なら新しいことも覚える。

わざわざ不便をありがたがるつもりもない。
むしろ、今やAIがないと生きていけないくらいどっぷりである。

ただ、

新しいから偉い。
高機能だから優れている。
古いから捨てる。

そんな単純なものでもないと思っている。

最新鋭には、最新鋭の強さがある。

まだ角の立った新品には、これから育つ余白がある。

そして長い時間を生き抜いた道具には、時間そのものが作った強さがある。

私はいつか、そんな鏝を一本持ちたい。

三十年、四十年。

できれば私一人の時間では育てきれないくらい古いやつ。

誰かが使った。

その前にも誰かが使った。

何人もの手を渡り、それでもまだ働ける。

裏が回り、角がなくなり、傷だらけで。

それなのに手に持てば、妙にしっくりなじむ。

そんな一本。

古いから残ったのではなく、
使われ続けたから古くなった道具。

それこそが私にとっての、
エンシェントドラゴンだ。

死を越え、縁を渡り、徒手になじみ、裸の魂だけを残して円環する。

――円死縁徒渡裸魂。

いつか私の道具箱にも、一匹くらい棲みついてくれたらいい。

使い続けていたらそのうち…

追伸――もう一匹候補いた

私の愛車は、前の親方から譲り受けた総走行距離30万km以上のハイエースだ。

鍵をささないとエンジンはかからない。

アシスト機能なんてものも付いていない。

Bluetoothも繋がらない。
CDすら入らない。

さすがに窓は手巻きではないが、スライドドアは手動。

だから坂道にとめると、車体が重すぎてドアが開かない。

でも私は、そのシンプルさが気に入っている。

……そうか。

エンシェントドラゴン候補、もう一匹いたわ。

この子もそのうち付喪神になって、自動走行くらいしてくれないかな。

こはる、乗せて、走る。走れる、、


というわけで、本人にカウンター攻撃!!
魂こもった美味しそうな夢の詰まったナポリタン!!

マイキーさん、「魂」抜けてませんか?
まだいけますか?😹


ここで祈ってみたら、何かが目醒めるかもしれない…


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