瀬戸細胞さんの話。
先日noteに一大旋風を巻き起こした「エッセイしりとり2026夏の陣」が終了した。
今回、私が特別審査員として「🏆深そうに見えてペラペラで賞」に選んだのは瀬戸細胞さんのこちらの記事だ。
今回のエッセイしりとりに参加された方は400人以上。そして集まったエッセイは合計600本以上。それらをすべて読んだうえでこちらの作品を選んだわけだが、そこで私は立ち止まった。
私はこの企画に参加するまで瀬戸細胞さんのことを知らなかった。エッセイは生活の断片だ。その人を知っていれば知っているほど、ふだん読み慣れている人の文章ほど読みやすいものはない。
少なくとも私の場合だが、正直言うと初見の方の記事は結構読みにくい。それは内容とは別にして、どうしても嚙み砕いて飲み込むまでに時間がかかる。
それでも瀬戸細胞さんのこちらの記事は内容も、文章から出る声も、どこまでも心にストンと落ちてくる。頭から離れない。もしかしたらこの記事を読んだ瞬間から私の頭にはある種の呪いがかけられていたのかもしれない。
たった一本の記事しか読んでいない私が選評に書いたのはこちらの言葉だった。
この人は一体どういう世界を生きているのかと気になって仕方ない。
知っている、ではなく、知りたくなった。だから私は2024年7月に遡り、そこから瀬戸細胞さんの記事を全部読んだ。そして私はついに分かってしまった。それをこれから話したい。
瀬戸細胞さんのプロフィールには「パートタイム呪術師」と書かれている。記事にも時々、呪いという言葉が登場する。「のろい」と「まじない」はどちらも同じ漢字を使用するが、その意味は微妙に異なる。
瀬戸細胞さんはずっと呪っていた。恐らく、という言葉でしかないが、綴られたエッセイには巧妙なユーモアにまぶされて瀬戸細胞さんが味わったこれまでの壮絶な人生経験、葛藤が潜んでいる。それは人の生死に関わるものも含めて。
自分は無力だという諦念も感じる。それは、本質的に自分という存在は人の人生に介入できない条理と言い換えてもいいかもしれない。
辛い。しんどい。苦しい。死んでしまいたい。生きていれば、大人ならば一度も思ったことのない人間なんていないだろう。
では、なぜそう思ってしまうのか。私が瀬戸細胞さんの記事を読んで感じたのはひとつ、呪いだ。この世界は呪われているわけではない。ただ、自分が自分を呪ってしまっている。容姿、性別、環境、経験、トラウマ。見えない縄で自分を縛る。結果的にその縄が首元まで届いてしまうこともある。
瀬戸細胞さんの記事から感じるのは祈りだ。この世界はくだらない。この世界は面白い。だから、「生きてほしい」というお呪いを全世界にかけている。
でも、そんな言葉は簡単には届かない。それも瀬戸細胞さんは知っている。だから、とことんバカでしょーもないことを言う。こんなにバカバカしいことを言っている人間がここにいるだろと言う。
記事をゆっくりと読みながら、私は薄気味悪い笑顔を浮かべ、時折「フッ」とちびまる子ちゃんの野口さんのような声を出していた。悔しい。でもその瞬間心がフッと軽くなる。そして、自分を縛っていた見えない何かが音もなく解けていくような感覚を覚えた。
そして時は2024年から2026年に戻り、改めて受賞作を読む。一つ一つ置かれた言葉の意味を追う。どこまでも間違え続けても、自分が自分であることは変わらない。そんなセンチな気持ちを笑うように、ゼロカロ・リーもしくはあまね・ドゥーンが囁く。
「くだらねえだろ。笑」と。
そうだね、くだらない。だけど、そのくだらなさに救われたよ。
思わず敬語まで解けてしまったが、今だけご容赦願いたい。
だって今日は死ぬにはまだ早いから、さ。
あとがきにかえて
実は、瀬戸細胞さんの記事はそんなに数が多くない。なので、全部を貼ろうかと思ったがそれはあまりに蛇足が過ぎるのでやめた。その代わりにぜひこちらの記事を読んでください。
そして、最後になるが、瀬戸細胞さんがなんとプロフィールに深ペラ賞を記載してくれた。こんなに光栄なことはない。だが、よく見ると気になる文字がある。

初代・・・?
To be continued.
最後に、今回素敵な企画を立ち上げ、運営し、フィナーレとして参加者全員へ宛てた20万字以上の記事を書き上げたマイキー🐣さんへ心から感謝を申し上げます。
マイキー🐣さんのおかげで瀬戸細胞さんをはじめとしたたくさんの方と出会うことができました。本当にありがとうございました。
2026年夏、一番の思い出になりました。
エッセイしりとりコンテスト
主催者マイキー🐣さん
と、この記事をペーストしようと開いた瞬間に、あまりの重さで私のパソコンがフリーズした。このパソコン、たった数日前に手にいれたばっかなのに。やっぱり私、呪われてる。
