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【結果発表🎉】エッセイしりとり コンテスト2026 夏の陣 受賞者発表🎖️

 お待たせしました🎉

 「 #エッセイしりとり コンテスト2026夏の陣」結果発表です。

 まずは、参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 8月12日に始まった一本のしりとりが、まさかここまで大きくなるとは思っていませんでした。最終的にマガジンへ追加されたエッセイは、618本。そして僕が数えた限り、参加してくださった方は462名。

 
バトンをつないでくださった皆さん、企画を盛り上げてくださった皆さん、スポンサー・審査員として巻き込まれてくださった皆さんに、改めてお礼申し上げます。

 さて、こういう結果発表で、長々と前置きを書いても仕方がない。皆さんが知りたいのは、結果である。僕だって参加者なら、そこしか読まない。

 だから、挨拶もお礼もこのくらいにして、さっそく結果発表へ――

ドゥルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルル……



  ……と、その前に。

 今回、参加してくださった皆さんへのお礼をどうするか、ずっと考えていた。もちろん、投稿された作品のコメント欄には、一人ずつお礼を書いた。

 でも、それだけでは足りない気がした。

 600本を超えるエッセイを書いてもらって、「参加してくれてありがとうございました」で終わるのも、なんだか違う。

 では、僕に何ができるのか。考えてみれば、たいしたことはできない。

 読むこと。
 
そして、読んだことを伝えること。
 さらに、その作品のどこが面白かったのか、どんなところが印象に残ったのかを、一言でも返すこと。

 それなら僕にもできる。
 せっかく参加してくれた462人に一言ずつ書こう。

 そう思った。
 ……思ってしまった。

 そこから3日間。
 333日続いていた連続投稿も止めて、ひたすら書いた。

 そして、ようやく書き終わった。

 ……。

 さて。

 皆さん、結果発表を早く知りたいですよね。僕も参加者だったら、そこしか興味ありません。

 結果発表は、この207,228文字の先にあります。

 通知が飛んだから期待したやろ?
 参加者全員に飛んどるから(笑)

 なお、「目次から飛べばいい」と思った方。

目次スクロールも大変だから覚悟しろ😆


 一作品ずつ読み直し書いたつもりですが、この本数になると、どうしても感想の言い回しや文章の形が似てしまっているところもあります。「この人にも同じようなこと書いてるやん」と気づいても、そこは僕の語彙力の限界として、どうか生温かく見守ってください。

 また、できる限り確認したつもりですが、手作業でまとめているため、作品の抜けや名前・リンクなどの間違い・誤字や脱字があるかもしれません。10万字超えたあたりから、めちゃめちゃ作業が重くなるのです💦

 もし「私の作品がない!」「これ、私ちゃうで!」などありましたら、遠慮なく教えてください。確認して修正します。

 なお、参加人数も僕が数えた限りでは462名です。数え間違えていたら、それも教えてください。もはや僕には、462が正しいのか463が正しいのかを確認する気力が残っていません😂


相生エッセイさん|ろくな案が出ないので、漕ぐことにした(他、計9本)


 一番印象に残ったのは、最後に「エッセイしりとり」を文房具屋の大きな試し書きの紙に見立てたところでした。自分では選ばない一文字を渡され、そこから思いがけない記憶や日常を掘り出していく。何本も書いた相生さんだからこそ出てきた比喩だと思います。

 相生さんの書く文章は、一文字を池に落とした小石のようです。「ろ」から乗り物へ、「円」から昔の音楽へ、「~」から言葉の温度へ。波紋は思いがけない方向へ広がるのに、最後には妻のトラ子さんや、自分の暮らしという岸辺へ戻ってくる。その寄り道が楽しい。

 読み終えて残るのは、ローイングマシン、地下駐車場、古いCD、文房具屋の試し書き――何でもない日常のあちこちに、まだ一本書ける入口が隠れているような景色です。

 次はこの一文字から、いったいどこへ連れていかれるのだろう。そんな思考の遠足を追いかけたくなる作品群でした。

あいぷうさん|キム秘書はいったい、なぜ?Netflix感想とエッセイ

 一番印象に残ったのは、作品そのものの紹介から、いつの間にか「あいぷうさん自身が韓流の沼へ入っていった話」へ移っていくところでした。洋画しか認めなかったお母さまから『冬ソナ』を勧められたことが入口だったというのも面白く、好きなものが人から人へ渡っていく様子が見えます。

 語り口は、韓流好きの友人とカフェで話しているようです。主演二人の「キラッキラ」から始まり、別作品のイチ推し、脇役の俳優まで、「そういえばこの人ね」と話題が次々つながっていく。その寄り道から、何度も観てきた人ならではの熱量が伝わってきました。

 読み終えて残ったのは、一つのドラマから枝分かれして広がっていく韓流の世界です。俳優を追えば別の作品に出会い、そこからまた次へ。最後にはドラマだけでなく音楽にまで広がっている。好きなものを追いかける楽しさそのものが見えるようでした。

 王道ラブコメの何がそんなに人を沼へ引き込むのか。未見の人には作品への入口として、すでに観た人には「あの場面、よかったよね」と話したくなる入口として楽しめる一篇でした。

aoi.さん|やっぱりnoteが好き!3ヶ月記念💐 8月26日✨️

 一番印象に残ったのは、noteを始めたことで「自分の気持ちを言葉にする時間が増えた」と書いているところでした。誰かに読んでもらう場所でありながら、書くことで自分自身にも気づいていく。その3ヶ月の変化が素直に伝わってきます。

 aoi.さんの文章は、押し花を一枚ずつノートに挟んでいくようです。家族とのこと、ルナたんとの時間、何気ない日常。そのときには小さく見える出来事を、やさしく言葉にして残していく。派手な出来事ではなく、日々の中にある「大切だったもの」を見つける視線が印象的でした。

 読み終えたあとには、3ヶ月分の言葉や出会いを振り返りながら、「やっぱり、noteが好き♡」と微笑んでいる姿が浮かびます。noteを始めたばかりの頃の戸惑いから、少しずつ自分の居場所になっていくまで。その歩みを一緒に眺められるような一篇でした。

aosagi31さん|書くなる上は

 一番印象に残ったのは、突然回ってきた「か」のバトンを、何を書くかではなく「好きなnoterさんを紹介する機会」に変えてしまったところでした。お題に合わせて無理に何かをひねり出すのではなく、自分が普段読んでいる文章へ光を向ける。その発想に、aosagiさんがnoteで何を楽しんでいるのかが表れている気がします。

 語り口は、馴染みのレコード屋の店主に「この人もいいよ」と次々棚から一枚ずつ抜き出してもらっているよう。文章の内容だけでなく、その人との距離や、自分がなぜ読み続けているのかまで添えられるので、知らない書き手なのに少し覗いてみたくなります。

 読み終えて残ったのは、「幸せのnote」という言葉どおり、人から人へ文章が渡っていく景色でした。タイトルの「書くなる上は」から、このバトンをどう料理したのか。しりとりを通してaosagiさんのnoteとの付き合い方まで見えてくる一篇です。

青瞳さん|「う」…から始まる?

 一番印象に残ったのは、「う」から何を書くか悩んでいたはずなのに、「うり!」を見つけた瞬間、もうウリ坊から帰ってこなくなるところでした。「坊」という響きだけで可愛さを語り、短い手足を想像し、ついには鼻を「ペチャっとしてみたい」。エッセイを考えているというより、目の前に現れた好奇心をそのまま追いかけています。

 青瞳さんの語り口は、散歩中に気になるものを見つけた猫のよう。最初の目的を忘れて、するすると別方向へ進んでいくのに、その寄り道を眺めているこちらまで楽しくなります。

 読み終えて残るのは、膝の上のしろを撫でながら、まだ見ぬウリ坊へ思いを馳せている姿。バトンが回ってきた驚きから始まり、「う」一文字だけでここまで嬉しそうに遊べるのかと頬が緩みます。

 エッセイとは何だろう、と考えたこともなかった人に突然「う」が渡されたら何が起こるのか。その思考が予想外の方向へ走っていく様子を、一緒に追いかけたくなる一篇でした。

青豆ノノさん|るーるるの主戦場はしりとり、あるいは北の国。

 一番印象に残ったのは、「小さい人+ポケモン」をひとつの勢力として扱い、青豆さんが本気でしりとりの対抗策を練っているところでした。子どもの遊びのはずなのに、「ルーマニア民族舞曲」まで投入する覚悟がある。その大人げなさが最高です。

 青豆ノノさんの文章は、しりとりという小さな遊び場に、世界大会の実況席を設置するような語り口。ポケモンからLUNA SEA、謎のアイドルへと連想が滑っていくのに、本人だけはずっと真剣なので、そのズレが笑いになります。

 読み終えると、「る」という一文字の周りに、ポケモンもロックバンドもアイドルも並んでいる景色が残りました。ただのしりとりから、ここまで遠くへ行けるのか。その連想の旅を覗いてみたくなる一篇です。

赫音さん|指導する側になって気づいた。大人にもビート板がいる。

 一番印象に残ったのは、「大人になると、なぜかみんなビート板を没収されます」という言葉でした。子どもには「焦らんでええよ」と言えるのに、自分にはすぐ結果を求めてしまう。その矛盾を、スイミングコーチという自分の仕事から見つけているのが面白いです。

 赫音さんの語りは、自分自身をプールサイドから実況しているコーチのようでした。恋愛相談では冷静なのに、自分の恋愛ではスマホを何度も確認する。noteでも5分で数字を見直す。そのたびに「そこの大人ー!」と笛を吹きたくなるような、自分へのツッコミが効いています。

 読み終えたあとには、誰かや何かにつかまりながら泳いでいる大人たちの姿が残りました。「支えが必要=弱い」ではなく、つかまれるものがあるから前へ進める。そんな見方が優しいです。

 子どもに泳ぎを教える仕事から、恋愛、note、そして自分自身の生き方まで。ひとつの「ビート板」という比喩がどこまで広がっていくのか、読んでみたくなる一篇でした。

あかぱるさん|ウマいこと資産を増やすために、ウマなりに踏み出した「最初の一歩」

 一番印象に残ったのは、「お金を失うことばかり怖がっていたけれど、何もしないまま時間を失うことには、ずいぶん無防備だった」という気づきでした。投資を始めた話でありながら、増えた金額ではなく「自分で決めて動けたこと」を大きな変化としているところに、最初の一歩を踏み出した本人だからこその実感があります。

 あかぱるさんの文章は、競馬場で一斉にゲートが開いても、隣の馬を気にせず自分のペースで走っている馬のようです。「ウマい話」「ウマなり」と馬を絡めながらも、誰かを追い抜く話にはならない。投資をレースではなく「自分たちの暮らしと並走する長い旅」と捉え、途中で妻への感謝まで自然につながっていくところにも、資産だけを見ていない温かさを感じました。

 読み終えたあとに残ったのは、夫婦で同じ方向へゆっくり歩き始める景色でした。投資の知識がなかった人を動かしたのは、難しい理論でも大きな成功談でもなく、隣にいた妻の何気ない一言。怖くて立ち止まっていた人が、どうやって自分の足で最初の一歩を踏み出したのか。投資をしていない人にも重なるものがありそうな一篇です。

灯さん|ルーズリーフを買ったけれど

 一番印象に残ったのは、学生以来のルーズリーフを前にして、懐かしさより先に「漢字が思い出せない」という現実にぶつかるところでした。昔なら当たり前だった手書きが、いつの間にか少し面倒な作業になっている。その小さな変化に、自分にも覚えがあります。

 灯さんの語りは、買ったばかりのルーズリーフに思いついたことをそのまま書きつけていくようです。「嘘でしょう!?」「ええい!めんどくさい!もうやだ!」と、気持ちが動くたびに文章も一緒に動く。その飾らなさが、仕事のマニュアル作りという何でもない出来事を楽しくしています。

 読み終えて残ったのは、机の上に置かれた真っ白なルーズリーフの束でした。懐かしい文房具ひとつから、学生だった頃と今の自分との距離がふっと見えてくる。

 久しぶりに手書きをしようとしただけなのに、なぜか予定どおりには進まない。そんな「あるある」がどこへ転がっていくのか、文房具好きにもデジタル慣れした人にも覗いてほしくなる一篇でした。

灯/チャラ兄さん|『隣の席はずっと、君のもんやで』

 一番印象に残ったのは、「エッセイで返す? いや、曲で返す方が絶対オモロいやろ‼️」と、企画の前提を飛び越えてしまうところでした。しりとりの一文字を受け取って、タイトルだけでなくキャラクター、物語、音楽まで膨らませてしまう。その発想の広がり方に驚かされます。

 灯さんの作品は、渡された一本のバトンから勝手に線路を敷き、電飾をつけ、音楽まで鳴らしてテーマパークにしてしまうようです。チャラ兄というキャラクターに語らせることで、説明まで作品世界の一部になっているのも独特でした。

 読み終えて残るのは、ネオンの流れる夜のドライブのような賑やかな景色と、「遊ぶなら徹底的に」という熱量です。エッセイしりとりで曲まで作る人が現れるとは思いませんでした。

 「と」から始まる一本のバトンが、どこまで別の表現へ化けるのか。エッセイの枠から少しはみ出した作品も覗いてみたい人には、かなり気になる入口になる一篇でした。

あかりカフェさん|みんな大好きタケモトピアノ

 一番印象に残ったのは、CMを「飛ばすもの」ではなく、15秒や30秒の小さな作品としてちゃんと味わっているところでした。テレビではツッコミを入れ、ラジオでは次のCMを予想し、街で商品を見つければ「あ!これー!」と静かに興奮する。その楽しみ方がとても具体的です。

 あかりカフェさんの文章は、頭の中に昔のCMばかり入ったジュークボックスがあって、ボタンを押すたびに別の曲が鳴り出すよう。タケモトピアノから足リラシート、ローカルCM、日清焼きそばまで、次々と記憶が再生されていきます。

 読み終えると、自分の中にも忘れていたCMの断片がありそうで、少し記憶を探したくなりました。知っている人なら懐かしく、知らなくても「そんなCMあったの?」と覗きたくなる、CM愛に満ちた一篇です。

あかりのフランス🇫🇷さん|逃げ場がないから続くこともある【国際結婚の本音】

 一番印象に残ったのは、「逃げ場がなかったから続いた」と結婚生活を振り返っているところでした。普通なら「逃げ場がない」は苦しさとして語られそうなのに、それが自分には関係と向き合う理由になったと捉えている。その逆向きの見方が、このエッセイの芯になっています。

 あかりさんの語りは、きれいな結婚論を掲げるのではなく、長年使ってきた生活道具をひとつずつ机に並べて、「これも効いたし、たぶんこれも」と確かめていくようです。愛情だけでなく、距離、環境、金銭面、性格、そして打算まで隠さない。「最終的に一番楽で快適な方を選んだ」と言い切るところにも、理想論に寄りかからない面白さがありました。

 読み終えたあとに残るのは、結婚を続けることも別れることも、外から単純に正解を決められる話ではないのだという感覚でした。フランスという距離のある暮らしの中で、「逃げられなかったこと」がどう一つの夫婦の時間につながっていったのか。国際結婚の華やかさではなく、その裏側にある現実を覗いてみたくなる一篇です。

秋風莉緒さん|記録と記憶

 一番印象に残ったのは、「私にとっては記憶でも、第三者にとったら記録でしかなくなっちゃう」という一文でした。自分なら「桃のパフェを食べた」で、その日の空気まで思い出せる。でも誰かに渡すには、その記憶をもう少し文章や写真へ載せなければならない。その違いを「記録」と「記憶」で考えていく視点が面白いです。

 秋風さんは、写真や文章を出来事を保存する箱ではなく、誰かの記憶へ入っていく扉のように見ているのだと思います。だから、完璧に盛れた一枚より、少しぶれていたり、笑いすぎて変な顔になっていたりする写真に惹かれる。その写真の向こう側にある時間まで見ようとする語りが印象的でした。

 読み終えたあとには、何年か後に昔の写真を眺めている景色が残ります。上手に撮れたかどうかではなく、「このとき、こんなふうに笑ってたな」と記憶が戻ってくる一枚。写真や文章に何を残したいのか、少し立ち止まって考えたくなる一篇でした。

あきてるひろさん|いい「笑い」が起きるのは「緊張」から「緩和」したとき

 一番印象に残ったのは、「笑いは緊張から緩和したときに起きる」という話を、理屈だけで終わらせず、文章そのもので実演しているところでした。もっともらしくNSCの授業まで持ち出しておいて「知らんけど」。真面目に聞いていたこちらの肩を、その一言でストンと落としてきます。

 あきてるひろさんの語りは、笑いの仕組みを解説する先生が、黒板にきっちり理論を書いたあと、自分でバナナの皮を置いて踏んでみせるようです。結婚式のスピーチを説明していたはずが、いつの間にか前夜にプーさん相手に真剣な練習をしている。その少しズレた具体例が、理屈をぐっと身近にしています。

 読み終えたあとに残るのは、大阪の日常会話を横で聞いていたような気楽さでした。「笑わせよう」と力むより、真面目な話の隙間から可笑しさが漏れてくる。その感覚を、笑いながら確かめられる一篇です。

 「知らんけど」は、なぜ最後につけるだけでちょっと面白くなるのか。大阪人には馴染み深すぎるあの一言を、笑いの仕組みから眺めてみたくなる入口があります。

あきまむさん|食べたの、だーれ!?(他、計2本)

 印象に残ったのは、『食べたの、だーれ!?』でのおやつを「未来の自分への、小さな楽しみ」と捉えるところでした。ただのプリンひとつなのに、そこにはあきまむさんの予定と期待がちゃんと詰まっている。その小さな幸福が脅かされるからこそ、本気で腹が立つのがよく分かります。

 一方、『円滑にいかない、私の左腕』では、テニスをしていないのにテニス肘になり、さらに治すために2300発の衝撃波を受けるという理不尽さ。あきまむさんの文章は、日常の「なんでやねん」を拡声器で実況しているようで、つらい出来事までどこか可笑しく読ませてくれます。

 冷蔵庫のおやつも、言うことを聞かない左腕も、どちらも思い通りにはならない日常の話。大事件ではないのに、「それは腹立つ」「それは痛い」と一緒になって言いたくなる距離の近さが残る二篇でした。

asaさん|頼む、私を呼び出さないで!(他、計4本)

 4作品を通して印象に残ったのは、目の前の出来事を「そういうもの」で終わらせず、相手の側からもう一度見ようとするasaさんの視点でした。

 「パパとママが迷子です」と言いかねない長男には、困った行動の中にある“人へ助けを求められる強さ”を見つける。「かぎの『を』」を教えるはずだった次男からは、「くっつきの『を』」という新しい見方を教わる。そして、いつものクレーマーおじいちゃんには、「なぜこんなことをするんだろう?」と考えたことで、まったく違う顔が見えてくる。

 相手をすぐに決めつけず、ちょっと角度を変えて眺めてみる。だから、子どもの言い間違いも、昔出会った困った人も、誰かとのつながりも、少し温かな話へ変わっていくのでしょう。

 4本を読み終えると、お名前の副題にもなっている「1ミリ前進」という言葉が似合う気がしました。大きな答えを出すのではなく、日常の出来事からひとつ気づいて、昨日よりほんの少し見え方が変わる。そんな小さな変化を一緒に見つけられる4作品でした。

朝霞はじめさん|スイカバーを信じろ

 この作品で好きなのは、朝霞夫婦のあいだにいつの間にか生まれた、ものすごくどうでもいい攻防です。「アイスは家で食べるか、帰りながら食べるか」。おそらく人生には何の影響もありません。それなのに半年かけて同じやり取りを繰り返し、ついには真夏の帰り道でスイカバーの耐久性に己のプライドまで託してしまう。その本気にならなくていいことへの本気っぷりが、なんとも可笑しい。

 「スイカバーを信じろ」と自分を鼓舞しながら、実際にはいつもより早足で帰っている。その時点でもう勝負にはだいぶ負けている気もします。それでもカチコチのスイカバーを掲げて勝ち誇る姿まで含めて、はじめさんの意地と旦那さんとの距離感がよく見えるのが魅力でした。

 そして最後に残るのは、スイカバーの味よりも、アイスを挟んで何度も同じくだらない会話をしている二人の景色です。きっと来年の夏も「溶けちゃう」「いや溶けねえよ」とやっていそう。そんな夫婦の日常をもう少し覗いていたくなる一篇でした。

あさこさん|ルビーとガーネット。二人の誕生石を、これからのお守りに

 一番印象に残ったのは、自分への「ご褒美」として考え始めたリングが、いつの間にか子どもたちを思い出す「お守り」へ変わっていくところでした。華やかさではなく、復職後にキーボードを打つ自分の手元で光る姿を想像しているところに、これからの日常まで見えてきます。

 あさこさんの語りは、出来事や気持ちを一粒ずつ拾い、それを誕生石のように静かに留めていくようです。悲しかった時間も、不安だった時間も強く語りすぎず、そのすべてが「無事に会えたことは当たり前ではない」という思いにつながっている。

 読み終えたあとには、まだ存在しないリングが手元できらりと光っているような景色が残りました。二つの誕生石を選ぶ時間が、家族のこれまでとこれからをつなぐ時間になっていく。ジュエリー探しの先に何を残したいのか、その思いを一緒に辿りたくなる一篇でした。

あさたろさん|どうにもならない出来事

 一番印象に残ったのは、父親を亡くした経験が、何年も後の出産の場面で突然よみがえってくるところでした。それまでの「あの時もなんとかなった」という人生観が、一度の喪失によってもう使えなくなっている。「大丈夫、なんとかなる」と思いたいのに、なんとかならないことがあると知ってしまった人の怖さが、出産の緊迫感と重なっています。

 先生や看護師が一人ずつ増え、「1.2倍速で動いている」、先生がお腹の上で「マウントポジション」になるなど、切迫した場面でも本人の目に映ったものをそのまま書いているのが、あさたろさんらしい語りでした。格好よく妻を支える夫ではなく、カメラを置いてアワアワし、最後には「ごめん録画できてないや」。その不器用さがあるからこそ、家族を失うかもしれない恐怖が生々しく伝わってきます。

 そしてタイトルの「どうにもならない出来事」が、読み終えるころには少し違って見えました。どうにもならないことがあると知ったから、「今日ケンカしたまま、もし明日いなくなったら」と考えるようになる。

 最後の「世の中甘くなんてない。だから俺は、今日も家族を甘やかす。」まで読むと、父親の死と子どもの誕生という二つの記憶が一本につながります。怖さを知った人が、その怖さを家族への優しさに変えて生きている。その余韻が強く残る一篇でした。

安達さん|暇だったので、工場をジムにしました。

 一番印象に残ったのは、「ラックの中に布団を敷いて寝ていた」という強烈な筋トレ生活です。安達さん本人は「ちゃんと布団で寝ていた」と弁明していますが、問題はそこではない。しかも広い工場を手に入れた途端、その思い出のラックをあっさり買い替える。この妙に合理的な筋肉愛が可笑しいです。

 ところが13年間を振り返って見えてくるのは、「継続=同じことを続ける」ではなかったという話でした。八畳から工場へ、フィジークからパワーリフティングへ、手書きのノートからExcelへ。飽きっぽいからこそ、「変え続けたから続いた」という視点が印象に残ります。

 そして最後まで格好いい継続論だけでは終わらず、結局また「ラックを買い替えたい」に戻ってくる。13年間変わり続けても、筋トレ器具への欲だけは変わらない。工場がどうしてジムになったのかを辿るうちに、一人の趣味が少しずつ人生の一部になっていく過程まで見えてくる一篇でした。

天野 雫さん|そのバトンを・・(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、京さんから一本受け取ったバトンを眺めながら、「一本じゃなくてもいいんじゃない?」と考え、なぜか私へ「を」を3本まとめて投げたところでした。人とのつながりを丁寧に語っていたはずなのに、途中からバトンの扱いが豪快になります。

 雫さんの語りは、笑顔でラッピングした無茶振りを手渡してくるようです。「愛を込めて3本」「……ね?♡」と柔らかい言葉を添えるほど、逃げ道がきれいに塞がれていく。その優しい圧がなんとも可笑しい。

 そして二本目では、自分が投げた無茶振りの行方を楽しそうに見届けています。一本のバトンから始まった言葉遊びが、いつの間にか三本へ枝分かれして戻ってくる。その往復を読んでいると、しりとりが単なる文字遊びではなく、人から人へ言葉を渡して遊ぶ企画だったことがよく見えてきました。

 さて、「を」を3本投げられた私は、本当に律儀に全部拾ったのか。そんなバトンの往復を覗いてみたくなる二篇です。

雨町せいさん|継ぎはぎの温泉宿。

 一番印象に残ったのは、記憶を継ぎはぎして作った温泉宿が、ただの空想の旅先ではなく、現実から少し離れるための避難場所のように見えてくるところでした。畳、温泉饅頭、古い冷蔵庫、ガス灯、赤い橋。どこかで見た記憶の断片を寄せ集めているのに、不思議とひとつの景色として立ち上がってきます。

 雨町せいさんの文章は、雪の上に足跡をひとつずつ残していくようです。説明を重ねず、景色や感触をぽつりぽつりと置いていく。その足跡を追っているうちは、ただ静かな温泉街を歩いているようなのに、やがて「何もしなくていいという、贅沢」や、ひとつとして同じもののない雪の結晶が、単なる風景描写ではなかったことに気づかされます。

 読み終えたあと、最初にあった温泉饅頭や畳のぬくもりまで、少し切実なものに見えました。誰にも知られていない場所だからこそ、そこでは何者でもなくいられるのかもしれない。なぜ雨町さんは、記憶を継ぎはぎしてまで「ここではない場所」を作ったのか。その理由を最後まで追いたくなる一篇です。

アラカンいんこさん|まくらもとで花火があがる家 〜旧宅エアコン、怪音の夏〜

 一番印象に残ったのは、真夏の夜、夫婦そろって布団の中で「どこかで花火があがってるね」と話している光景でした。連日の深夜や明け方に花火大会が開催されるはずもないのに、しばらく疑わない。そののんびりした夫婦の会話があるからこそ、「いや、その音どこから?」のほうが先に気になってきます。

 アラカンいんこさんの語りは、古い家の不便さをひとつずつ取り出して並べる、昔の道具箱を開けるような面白さがあります。リモコンを見ても88度なのか68度なのか00度なのかわからない。壁には使えないエアコンがぶら下がり、二階は魚焼きグリル。それでも当時は、それらと折り合いをつけながら普通に暮らしていた。その「今なら笑えるけれど、当時はこれが日常だった」という距離感が楽しいです。

 読み終えたあとには、古い木造家屋の蒸し暑い寝室と、その暗闇に響く「ガン、ボコン、バンバン……パン」という音が残りました。

 タイトルにある「まくらもとで花火があがる家」。もちろん本物の花火ではありません。では、毎晩いったい何が鳴っていたのか。ちょっと怖くて、かなり可笑しい、ひと夏の怪音騒動を覗いてみたくなる一篇でした。

アリのママさん|うっすら資本主義の山からおりて、ホントの山に引っ越したい。

 一番印象に残ったのは、「資本主義の山を下りて、ほんとうの山へ」という発想でした。もっと働く、もっと成長する、もっと上へ。そんな当たり前のように続いている登山を、「そもそも、この山を登らなくてもいいのでは?」と眺め直しています。

 アリのママさんの思考は、頂上を目指して一直線に登るというより、途中で立ち止まって「この道、本当に自分が歩きたい道だっけ?」と地図を広げ直すようです。山暮らしへの憧れから、便利さ、競争、選択肢、そして自分が本当に減らしたいものへと、静かに問いが移っていく。その考え方の動きが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、山頂の景色ではなく、荷物を少しずつ下ろして身軽になっていくような感覚です。

 便利な場所を離れて山で暮らしたい――そんな大胆な妄想から始まった話が、いつの間にか「自分にとって快適に生きるとは何だろう」という問いへつながっていく。今いる山をちょっと見渡してみたくなる一篇でした。

R&Rさん|とりあえず座らせてほしい

 一番印象に残ったのは、「愛とは、おもいものなのか。」でした。仕事を終えて、ただ座りたい人の上へ容赦なく乗ってくる二匹のチワワ。「重い」と「想い」が、疲れ切った体の上で重なって見えます。

 語り口は、疲労でだんだん語彙まで省エネモードに入っていくようです。「きらんきらん」と期待する犬たちに対して、「だらんだらん」「たぷんたぷん」「どしんどしん」と崩れていく飼い主。この擬音の応酬だけで、玄関先の光景と体力ゲージの残量まで見えてくるのが面白いです。

 読み終えて残るのは、へとへとになって帰った人と、そんな事情など一切知らず目を輝かせる二匹の姿。タイトルの「とりあえず座らせてほしい」が、読み始めたときよりずっと切実に聞こえてくる一篇でした。

アル中4号さん|ただの夏、じゃつまらん。

 一番印象に残ったのは、家系ラーメンを「食いてえ」と思った瞬間を、そのまま夏の終わりとして捉えているところでした。気温でも暦でも蝉の声でもなく、自分の食欲が戻ったことで季節の境目を知る。その感覚が具体的で、「ああ、夏ってこうやって終わることもあるな」と思わされます。

 アル中4号さんの文章は、体温計の代わりに胃袋で季節を測っている日記のようです。ざるうどん、ざるそば、そうめん、サラダ、炭酸水と、夏に削られていく暮らしをずらずら並べたあと、最後に家系ラーメンがぽんと現れる。その一杯が季節の標識になる構成が面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、猛暑の真ん中でずっと冷たい麺をすすっていたアル中4号さんが、ふと濃い味を欲しがる夕方の景色でした。大げさな夏の思い出ではないのに、だからこそ夏らしい。季節の終わりをこんなところで拾えるのかと、ちょっと真似して自分の「夏の終わり」も探したくなる一篇です。

iamyouさん|フィナンシェとマドレーヌで自由研究

 一番印象に残ったのは、「味、一緒。(バカ舌)」で、自由研究がほぼ終わってしまうところでした。フィナンシェとマドレーヌの違いを調べるという、ちゃんと研究になりそうな題材なのに、実験方法は食べる、原材料を見る、また食べる。そして結論は「どっちも美味しかったです!」。潔いほど研究が深まりません。

 でも、この深掘りしなさこそが面白い。原材料の違いまで見つけて「へぇ〜」とはなるものの、そこから考察するでもなく「もぐもぐ…」。知識欲より食欲が常に一歩前を歩いている語りに愛嬌があります。

 読み終えたあとに残るのは、夏休みの自由研究というより、おやつを食べながら「せっかくだから調べてみた」くらいののんびりした午後の景色。フィナンシェとマドレーヌの違いが分かる文章ではありません。むしろ最後まで分からない。そのくだらなさごと楽しめる、短くて軽やかな一篇でした。

生駒まれさん|どせいさんに癒された2026 夏

 一番印象に残ったのは、「私は何年経っても横から見ている」という言葉でした。1994年は妹が遊ぶFFⅥを横から見て、2026年は娘が遊ぶMOTHER2を横から見る。自分ではプレイしていないのに、30年以上離れた二つの夏が同じ姿でつながっていきます。

 その間を埋めるのが、どせいさんへの妙に細かい愛情です。手塚治虫のスパイダーやマイクラのストライダーまで「イヤシ科 オジ目」に分類したり、「満足していなかったのかも知れないます」とどせいさん語が侵食してきたり。好きなものを語るときの寄り道まで楽しそうで、その人らしい熱量が伝わってきます。

 そして最後には、「横から見ている」ことが脇役ではなくなっていく。昔は妹の隣、今は娘の隣。自分が主人公として遊ばなくても、誰かと同じ画面を眺めた時間はちゃんと自分の思い出になる。長い時間を経てようやく会えたどせいさんの可愛さと、親子二代の夏休みが重なって残る一篇でした。

いさなさん|「のこらないもの」を残したかったわたしが、残るものに執着している

 一番印象に残ったのは、「残らないものを残しておきたい」という写真の話が、いつの間にか1280万円のキャンピングカーへつながっていくところでした。最初は過ぎていく時間を記録する話だったのに、読み進めるうちに、今度はこれから作る時間を手に入れようとしている。過去を保存する話と未来を欲しがる話が、最後には同じ場所へ戻ってくる構成がきれいでした。

 いさなさんの文章は、思い出をしまっておくアルバムをめくっていたはずなのに、途中から未来の旅行パンフレットまで同じ机に広げ始めるようです。写真、冷蔵庫の下書き、宝くじ、ミニロト、ランクルと、話はかなり遠くまで寄り道するのに、その全部が「残したい時間」という一本の糸でつながっている。自分の執着や滑稽さまで隠さず書いているから、夢の話がきれいごとだけにならないところも面白かったです。

 読み終えたあとに残ったのは、朝焼けや夕焼けの中を、家族と一緒に走るキャンピングカーの景色でした。でも、そこへ辿り着くまでにはかなり泥臭い。写真を撮ることから始まった話が、なぜミニロトの当選番号を確認するところまで行くのか。その寄り道ごと読んでみたくなる一篇です。

石塚玲さん|飛行機を見上げると心が軽くなるのはなぜ?

 一番印象に残ったのは、飛行機そのものではなく、「飛行機の音がしたから顔を上げた」という小さな動きでした。悩んでいるときには灰色のアスファルトばかり見ていたのに、ほんの少し首の角度が変わると、青空と白い雲が目に入ってくる。心の状態を説明するのではなく、視線の高さで見せているところが印象に残ります。

 石塚さんの文章は、公園を歩きながら考え事をしている人の隣を、一緒に歩いているようでした。「エッセイってなんだろう?」から始まり、随筆の意味に首をかしげ、人生は意外とテキトーでいいのかもしれないと寄り道しながら歩いていく。その肩の力が抜けた語りだからこそ、深刻になっていた時間の話も重くなりすぎず、ふと空を見上げた瞬間が自然に入ってきます。

 読み終えたあとに残ったのは、灰色の地面から青い空へ視界が切り替わる景色でした。何かが劇的に解決したわけではなくても、見ている方向ひとつで気持ちが少し変わることがある。今度飛行機の音が聞こえたら、つられて空を見上げてしまいそうになる一篇です。

いと_itoさん|きっと人生、そんなもん

 一番印象に残ったのは、電車の中で起きたちょっとした気まずさが、たった一言でふっとほどける場面でした。席を譲るという親切が、相手によっては「年寄り扱いされた」に変わってしまう。その危うい空気を、さらっと別の意味へ着地させる返しが鮮やかで、「そんな言い方あるんや」と感心しました。

 いとさんの文章は、友達から「聞いて聞いて!」と勢いよく実話を聞かされているようです。「でねでね」「めっちゃ素敵じゃないですか!?」と感情がそのまま文章になっていて、出来事を整然と説明するというより、興奮ごと手渡してくる。その勢いのおかげで電車の中で一緒に目撃していたような気分になります。

 読み終えたあとに残るのは、親切って案外むずかしいな、という可笑しさでした。良かれと思った行動が思わぬ方向へ転がることもあるし、そこを救うのは気の利いた一言だったりする。電車で見かけた見知らぬ人のやり取りが、なぜここまで書き手を悩ませたのか。その続きをちょっと聞きたくなる一篇です。

田舎暮らしの8代目の嫁|ノンナさん|はるかな夜道で見つけた灯り

 一番印象に残ったのは、暗い国道の先に見える一軒の灯りを、「ここにも人が住んでいる」という確認として見ていたところでした。ただ明るいから安心するのではなく、その向こうにも誰かの一日や暮らしがあると想像する。その視線に、ノンナさんのやさしさがよく出ている気がします。

 ノンナさんの文章は、真っ暗な山道を走る車のヘッドライトみたいでした。遠くまで全部を照らすわけではないけれど、目の前にある灯りや記憶をひとつずつ拾いながら進んでいく。キャンプのランタン、家の明かり、宿舎の蛍光灯と、同じ「灯り」が少しずつ違う意味を持って現れるので、読みながら気持ちまでゆっくりほどけていきます。

 読み終えたあとに残るのは、夜の山あいに点々と浮かぶ小さな灯りの景色でした。誰かの家の明かりも、自分でつける部屋の明かりも、それぞれの一日を支えている。暗い道の途中で見つけた灯りが、どこまで心を連れていったのか。その静かな余韻をたどってみたくなる一篇です。

犬とコーヒーと静かな暮らしさん|かっこつけたいお年頃

 一番印象に残ったのは、「てんてんがいつも頑張ってるのが伝わってくるからだよ」というFさんの言葉でした。派手に励ますでも、何かを教えるでもなく、ただちゃんと見ていたことを伝える。その一言が、当時いっぱいいっぱいだった書き手をどれほど救ったのかが、そのあとの「鼻の奥がツンとなった」で静かに伝わってきます。

 犬とコーヒーと静かな暮らしさんの文章は、昔の写真を一枚ずつアルバムから取り出しながら、その頃は気づかなかった意味を今の自分で見つけ直していくようです。スーパーへ自転車を飛ばし、子どもの迎えにも走るFさんの姿や、「てんてん」という呼び名の可愛さまで残っているから、憧れの人がきれいな人物像ではなく、ちゃんと生活していた一人の人として見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、「かっこいい大人」とは何だろうという、少しあたたかい問いでした。昔、自分を支えてくれた人と同じ年齢になったとき、人はその背中をどう見直すのか。そして今度は、自分が誰かにとってそんな存在になれるのか。タイトルの「かっこつけたい」が、読み終える頃には少し違う響きに聞こえてくる一篇です。

irohaさん|ノートとnoteで遊んだ夏

 一番印象に残ったのは、「販売再開という最初の目的は、まだ途中。でも、止まっていたわけじゃなかった」というところでした。思い描いていた道を進めていないと、つい「何もできていない」と考えてしまう。でも振り返れば、料理を作り、写真を撮り、雑誌まで作り、別の道がいくつも伸びていた。その気づきが素敵です。

 Irohaさんの文章は、紙のノートに好きな写真や言葉を貼っていくコラージュのようでした。一見ばらばらに見えるハンドメイド、料理、おうちカフェ、体調の記録、noteでの出会いをひとつずつ並べていくと、それがそのまま「今の自分」の形になっていく。書くことと作ることが、きれいに分かれていないところにもIrohaさんらしさを感じます。

 読み終えたあとに残ったのは、予定していた道から外れても、そこで見つけたものを拾いながら歩けば、それもちゃんと前進なのだという明るさでした。

 紙の「ノート」で自分のトリセツを作っていた人が、もうひとつの「note」では何を見つけたのか。二つのノートが重なっていく夏を覗いてみたくなる一篇でした。

Intentusさん|たぶん誰も困っていない穴を、今日も掘っている人間

 一番印象に残ったのは、「現代の日常風景を古代エジプト壁画の文法で表現したい人なんて、どこにいるんだ」と自分で気づきながら、それでも掘るのをやめないところでした。需要を探してから作るのではなく、気になったものを掘り尽くしてから「これ誰か要ります?」と顔を出す。その順番のおかしさを、Kaiさん本人がいちばん面白がっています。

 Kaiさんの文章は、地図にない場所へ調査隊を送り込むようです。「なんで?」が一つ出るたびに奥へ進み、例外を見つければさらに脇道へ入り、気づけば誰も頼んでいない古代エジプト壁画の研究が始まっている。その寄り道を無駄として切り捨てず、「じゃあ、この掘ったものをどう持ち帰るか」と次の問いに変えていくところが面白いです。

 読み終えたあとには、誰にも頼まれていない穴を黙々と掘る人の背中が残りました。役に立つかどうかは後回し。でも、その無駄にも見える寄り道から何かが生まれるかもしれない。古代エジプトの壁画から始まった穴が、どこまで深くなったのか覗いてみたくなる一篇です。

U|君色文庫さん|総武線、始発電車、朝光に散りぬる。

 一番印象に残ったのは、「朝光に散りぬる」という美しいタイトルが、本文を読み終えたあとにまったく別の輝きを帯びるところでした。東雲、黄泉の国の戦士、朝光、井上陽水。ひとつ間違えばただの惨事で終わる記憶に、これでもかと文学と比喩を重ねていく。その大仰さが出来事のくだらなさを隠すどころか、むしろ輪郭をくっきりさせています。

 Uさんの文章は、黒歴史を九千層のパイ生地で包み、その一枚一枚に別の比喩を塗って焼き上げているようでした。うなぎパイからバファリンへ飛び、出川哲朗や竜ちゃんが乱入したかと思えば、最後には朝の光までちゃんと回収される。連想は好き放題に暴れているのに、文章そのものは崩れない。その「ふざけるために、きっちり書く」強さが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、誰もいない始発電車と、夏の朝の白い光でした。恥ずかしい記憶ほど、時間と文章を通すことで美しく見えてしまう。その可笑しさまで含めて、これはかなり贅沢な黒歴史です。タイトルの「散りぬる」が何を指しているのかは、知らないまま読みに行ってほしい一篇でした。

ヴィオラさん|カナダと蚊について思うところ

 一番印象に残ったのは、「カナダといえば蚊」という、日本にいるとまず出てこない入口でした。雄大な自然やメープルシロップではなく、まず蚊。そこから記録的な雨量、庭仕事、夜中の「ぷ〜ん」まで、カナダ暮らしの夏が身近になります。

 ヴィオラさんの文章は、海外生活のフィールドノートに家庭内の呟きを書き込んでいくようです。ヘラジカまで危険にさらす蚊の話に怯えたかと思えば、「夫は危機感なくドアを開ける」「カナダ人は美味しくないのか?」と日常の笑いへ戻ってくる。その振れ幅が楽しいです。

 読み終えたあとには、広いカナダの森よりも、蚊から逃げながら庭や家の中を行き来する夏の暮らしが残りました。「カナダの夏って実際どんな感じ?」という入口から読むと、観光案内ではまず出会えない景色を覗ける一篇です。

上田さん|爪楊枝と妻用事(他、計4本)

 4作品を読んで一番印象に残ったのは、「それ、わざわざ文章にする?」というものまで本当に書いてしまうところでした。妻の用事から爪楊枝へ行き、肘を指で弾いた「び〜んっ」だけで一本書き、最後には「団地妻」という響きだけをしみじみ味わう。題材のくだらなさに対する躊躇がありません。

 上田さんの文章は、道端で変な石を見つけるたびに拾ってポケットへ入れていく人のようです。何の役に立つのかは分からない。でも本人が面白がっているので、こちらまで「ちょっと見せて」と覗き込みたくなる。その一方で『ビリー・ザ・キッド』では、突然1881年の西部劇まで始まる。この振れ幅も油断できません。

 4本を読み終えて残るのは、「エッセイのネタって、このくらいでいいのかもしれない」という安心感でした。夫婦の会話も、肘の感触も、昔から妙に気になる言葉も、拾えば文章になる。

 次は何を拾ってくるのかまったく予想できない。そんな、くだらないものほど覗いてみたくなる4作品でした。

usotsukimaniaさん|五十目前にして惑いまくる脳みそのなか

 一番印象に残ったのは、50歳を目前にして「ちゃんとしなきゃ」と焦りながら、そもそも「ちゃんとしてるのちゃんとってなんだよ」と自分でひっくり返してしまうところでした。半世紀という数字の重さに怯えているのに、その横ではいつもの自分がずっとツッコミを入れている。その脳内の騒がしさが、そのままエッセイになっています。

 「四十にして惑わず」どころか、メンタルは暴れるし、謎の結婚したい衝動にもかられる。そんな自分を直そうとするのではなく、「いいのかよ、こんな50歳ができちゃってさ」と笑ってしまうところに、usotsukimaniaさんらしさを感じました。

 そして読み終えるころには、あれほど重たかった50歳が、なぜか「ちょっと楽しそうなもの」に変わっています。不惑にはなれそうもない。でも、惑いまくる自分のまま五十代へ突入するのも悪くない。年齢という大きな節目を前にした不安と期待が入り混じり、最後には「どこからでもかかってきてよね、五十代」と迎え撃つ。その頼もしさまで楽しい一篇でした。

うたさん|ドーパミン・ファミリー

 一番印象に残ったのは、「ドーパミン・ファミリー」だと思っていた父娘の関係が、読み進めるうちに少しずつ違って見えてくるところでした。アナログだったお父さんがインスタを始めた衝撃を「父!!?」と全力で笑い、勝手に自分と同じドーパミン中毒へ認定する。その身内だからこその遠慮のない語りが楽しいです。

 ところが、お父さんの投稿している野菜や花、その向こうにある畑仕事や若者との交流を知ると、「スマホばかり見ている父」という最初の印象が変わっていく。SNSを使うこと自体ではなく、その画面の向こうで何とつながっているのかを見る視点が印象に残りました。

 最後に残るのは、67歳になっても新しいものに触れ、若い世代と交流する父親を見つめる娘の、少し誇らしくて安心した気持ち。笑える「父のインスタデビュー」から、思いがけず父親を見直していく。その変化を一緒にたどりたくなる一篇でした。

うつわものさん|ルンルン気分でコミュニケーションをとれなくても幸せな人はいる

 一番印象に残ったのは、2011年のフーターズで、勇気を振り絞って外国人のお姉さんに話しかけた第一声が「今日暖かいけど明日また寒くなるって」だったところです。せっかく意を決したのに、出てきたのが天気の話。この不器用さが愛おしい。

 うつわものさんの語りは、昔のアルバムをめくりながら、写り込んだ自分へ逐一ツッコミを入れているようです。当時の無礼さや調子に乗っていた自分まで隠さず、「今だったら絶対そんなことはしない」と現在の自分から眺め直す。その距離があるから、単なる懐かしい思い出話ではなく、十数年で変わったものと変わらなかったものが見えてきます。

 読み終えて残るのは、競馬場や赤坂の夜そのものより、長い付き合いの不思議さでした。頻繁に会わなくなっても、あの頃つながった人たちとの縁は今もどこかで続いている。

 「俺はコミュ障だからさあ……」という一言から始まって、本当にコミュニケーションが得意な人とはどんな人なのかまで考えさせられる。人付き合いが得意ではない二人の十数年を覗いてみたくなる一篇でした。

うどじょさん|ドナルドダックよ、いずこへ

 一番印象に残ったのは、お父さんから「お前に似てる」と渡された、ブチギレながら前傾姿勢で突進するドナルドダックの弁当箱です。最初は笑える小道具だったはずが、理不尽な職場で黙っていられず、「何時代の話ですか?」と突っ込んでしまう20代の自分と重なり、「無差別ドナルドダック期」という名前までついていく。この自分の不器用さをキャラクターに重ねて笑いへ変える語り方が面白いです。

 十年余り経った現在の職場では、「でっかいアリ捕まえた!」と盛り上がるほど穏やかな日々。あのドナルドはどこへ行ったのかと考えるうちに、昔の自分を懐かしく眺めているような余韻が残りました。

 そして最後にちらりと見える、お父さんとの共通点。性格は丸くなったのか、それとも今は突進する相手がいないだけなのか。怒れるドナルドダックの行方と一緒に、その答えを確かめたくなる一篇でした。

UMIさん|歳をかさねる日の過ごしかた

 一番印象に残ったのは、誕生日に「何をするか」ではなく、「一日中、本を読む」という時間そのものを自分への贈り物にしているところでした。

 本を読んでいたら、もっと本が読みたくなる。読書動画を見れば、8時間読んでみたくなる。積読を眺めれば、それもまた楽しみに変わる。UMIさんの読書欲は、一冊開くたびに次の扉が現れる図書館のようです。静かな文章なのに、その奥ではかなり旺盛な好奇心が動いているのが伝わってきます。

 読み終えて残ったのは、積み上がった本と、そのそばにある小さな灯りの景色でした。歳を重ねる日は祝ってもらう日でもありますが、自分のために時間を使う日でもいい。そんな誕生日が少し羨ましくなります。

 「手元の光で闇を照らす」という読書の捉え方から、自分なら歳を重ねる一日をどう過ごしたいだろう、と考えたくなる一篇でした。

梅星ぴりかさん|筆が乗らずとも慣れで書けるようになってしまった

 一番印象に残ったのは、「書けない」と「書かない」を同じにしていないところでした。夏バテで筆が乗らなくても、下書きから書けそうなものを探し、千字くらいに軽くして、50字オーバーなら「端数、端数」で済ませる。調子の悪さに合わせて書き方のほうを少しずつ変えているのが面白かったです。

 梅星ぴりかさんの文章は、長年使ってきた台所で、目分量のまま料理を作っているようでした。今日は火を弱めよう、これは少し残そう、と肩肘張らずに加減していく。でも出来上がるものには、ちゃんといつもの味がある。「文体の型もほぼほぼ定まっている」という言葉にも、一年半書き続けてきた人ならではの手つきが見えます。

 読み終えたあとに残ったのは、絶好調でなくても机に向かえる人の静かな強さでした。勢いで続けるのではなく、しんどい日はしんどい日の書き方を知っている。そんな話を読んでいるうちに、いつの間にか「筆」から始まるバトンまでこの文章の中へ馴染んでいる。その自然さも含めて、書き続けることの裏側を覗いてみたくなる一篇です。

うろさん|猛暑を避け、しりとり

 一番印象に残ったのは、認知症予防のために始めたしりとりで、第一声から「岸田森」を出して即終了してしまうところでした。脳を鍛えるはずが、ゲームを始めるところまで辿り着かない。その一発だけで十分に可笑しいです。

 しかも「八十年代リアルロボット縛り」「日本と世界の異様系名優縛り」と、普通のしりとりでは満足しない。早朝の散歩中に寝ぼけながら、わざわざ難易度を上げて自滅するところに、うろさんならではの趣味と遊び心が詰まっています。

 わずかな文章なのに、猛暑を避けた早朝の道を歩きながら、ひとり「岸田森」と口にして「あ……」となっている姿まで浮かんでくる。長く語らず、一発の失敗だけ置いて去っていく。その潔さまで含めて味わいたくなる一篇でした。

運命デザインラボさん|たまたま、は運命だった

 一番印象に残ったのは、「たまたま」という言葉を人生論へ広げながら、最後までたこ焼きがしつこく居座っているところでした。偶然と運命についてかなり真面目に考えているのに、ときどきソースの匂いが戻ってくる。その高低差が、この作品の面白さになっています。

 運命デザインラボさんの文章は、哲学の講義をしていた先生が、黒板の端にずっとたこ焼きの落書きを残したまま話しているようです。「人生の分岐点にはテロップが出ない」「たまたまは運命の材料」と考えを深めていく一方で、プリンやたこ焼きへ平然と脱線する。壮大な話を日常の食欲まで引き戻すことで、運命という言葉が急に身近に感じられました。

 読み終えたあとに残るのは、自分にも「あれが始まりだった」と後から気づいた出来事があったかもしれない、という感覚でした。その瞬間にはただの偶然だったものが、あとから一本の道に見えてくる。では、今回の「た」という一文字はどこまで話を連れていったのか。たこ焼きから始まる運命論の行方を追いたくなる一篇です。

営業パパさん|うちの娘、ミニ妻。

 一番印象に残ったのは、自分が娘に教えてきたはずのことを、いつの間にか娘から注意される側になっているところでした。「パパ、歩きながら歯磨きしないよ」。教育という名で投げ続けた言葉が、特大のブーメランになって帰ってきます。

 しかも娘は、注意する内容だけでなく妻の「怒らず、笑顔で相手を動かす技術」まで受け継いでいる。3歳にしてパパの取扱説明書を読み終え、次の行動まで先回りしているような語りが可笑しいです。

 読み終えて残るのは、妻と娘に掌の上で転がされながら、それをどこか嬉しそうに眺めている営業パパさんの姿でした。

 娘はいつ、母親の技を覚えたのか。そして営業パパさんは、なぜこれほど簡単に操られてしまうのか。家庭内で着々と誕生しつつある「ミニ妻」を覗いてみたくなる一篇です。

Ejii✦3さん|しんれーしぽっと

 一番印象に残ったのは、3歳の子が「心霊スポット」という難敵に、何度も挑み続けるところでした。惜しいところまで行ったと思えば遠ざかり、また近づく。その一生懸命さを、隣で実況中継するように拾っていく語りが楽しいです。

 言葉を覚えていく途中の子どもは、ときどき大人には作れない言葉を生み出します。この作品は、そんな偶然の一瞬を虫取り網でそっと捕まえたようなエッセイでした。

 読み終えたあとに残るのは、怖いはずの心霊スポットとは正反対の、親子が言葉遊びをしている夏の夕暮れ。たった一つの言葉をうまく言えなかっただけなのに、家族の記憶として残しておきたくなる時間へ変わっています。

 はたして3歳児は「心霊スポット」まで無事たどり着けるのか。何度でも言い直す小さな挑戦者を、つい一緒に応援したくなる一篇でした。

江田島獄長さん|黄身が嫌いなママ

 一番印象に残ったのは、黄身を「親の仇くらい押して押して押して」焼くところでした。生卵が嫌い、で終わらず、その嫌い方にまで勢いがある。子どもたちから「黄身が嫌いなママ」と呼ばれ、それをママも気に入っているのも微笑ましいです。

 江田島獄長さんの文章は、台所で料理をしながらそのまま話しかけられているよう。黄身の話をしていたと思えば、「何の話でしたっけ?」と脱線し、しりとりへ戻っていく。その自由なおしゃべりのテンポが魅力でした。

 TKGという身近な食べ物ひとつから、好き嫌いと家族の日常が見えてくる。読み終えたあとには、カチカチに焼かれた黄身と、それを囲んで笑っている家族の食卓が残る一篇でした。

えだまめちゃんさん|ルビーの響き

 一番印象に残ったのは、「る」から始まる言葉を探していたはずが、最後に見つかったのが言葉ではなく、父の歌声だったところです。テレビから流れた一曲が、焼き肉の夜やカラオケボックス、嬉しそうに歌を聴く母の姿まで連れてくる。その記憶のつながり方がとても自然でした。

 えだまめちゃんさんの文章は、古いレコードにそっと針を落とすようです。ひとつの音から、忘れていた家族の景色が少しずつ立ち上がってくる。特に「父の声が好きで結婚した」という母の言葉を、子どもの頃と今とで違う角度から受け取っているところに、時間を重ねて書くエッセイの良さを感じます。

 読み終えたあとには、昔のカラオケボックスの小さな部屋に、家族四人の声がまだ残っているような温かさがありました。懐かしい一曲から、本人も忘れかけていた大切なものがほどけていく。そんな記憶の響きを静かに辿る一篇です。

エッセイのようなものさん|ロードサイド

 一番印象に残ったのは、「パークサイド」という何の変哲もない言葉から、ここまで思考を広げられることでした。「いや、公園によるだろ」という疑問なんて、言われれば確かにそうなのに、自分ではたぶん一生立ち止まらなかったと思います。

 この作品の面白さは、どうでもいい違和感をどうでもいいまま放置しないところ。「マンションごときがシティを名乗るな」と急に説教を始めたり、芸人のコンビ名へ話が飛んだり、テセウスの船まで持ち出したり。思考はあちこちへ寄り道するのに、語っているナガタさんはずっと大真面目です。その理屈っぽさが、文章そのものの面白さになっていました。

 読み終わって残ったのは、「身の回りには、まだ考えていないだけの変なものが大量にあるんだろうな」という感覚です。マンションの名前なんて昨日まで背景の一部だったのに、一度「その情報いる?」を植えつけられると、もう少し眺めてみたくなる。

 何でもない言葉を拾って、しつこく考えて、思いもよらないところまで連れていく。その思考の散歩についていくのが楽しい一篇でした。

エヌキミカさん|すくすく育て!「すごいお年玉」

 一番印象に残ったのは、お正月のポチ袋に入っていた「まご」というカードが、八月になって本物の小さな命としてやってきたところでした。「すごいお年玉」という言葉が、半年以上かけて完成したように感じます。

 そして、赤ちゃんの可愛さだけではなく、哺乳瓶を洗う長男の背中を見て「夫婦から家族になったんだなぁ」と感じる視点が印象的でした。自分が育てた息子が今度は父親になり、かつて子育てをしていた自分は祖母になる。赤ちゃんの誕生を通して、家族が一世代先へ進んでいく景色が見えてきます。

 それでも前へ出すぎず、「外野で固い守備を敷いて見守っている」という距離感が素敵です。抱っこしたくなるほど近くにいたい気持ちと、新米父母を尊重して少し離れていたい気持ち。その両方が伝わってくる、家族がひとつ増えた喜びに満ちた一篇でした。

えむのマイトンさん|クラスにひとり、オクラ農家(他、計4本)

 4作品を通して印象に残ったのは、何でも「遊び」に変えてしまうマイトンさんの視点でした。オクラ農家になりたかった子ども時代から、ティッシュ字の師範になった現在まで、一見すると何のつながりもないのに、マイトンさんの中ではずっと「面白そうだからやってみる」で続いているように見えます。

 特に『ルールは身の丈まで』にあった、「プロに任せればもっと格好いい本になったかもしれない。でも、師範が作った本は出来なかった」という感覚が印象的でした。できるかどうかより、やりたいから一度やってみる。その積み重ねが、いつの間にか昨日までの「身の丈」を変えているのでしょう。

 そしてエッセイしりとりまで、「好きな書き手に堂々と書いてくださいと言える告白の場」として楽しんでしまう。自分が遊ぶだけでなく、面白い人を見つければ巻き込み、その人の作品まで嬉しそうに紹介するところにも、マイトンさんならではの賑やかさがあります。

 最後に残るのは、『楽しければええやん』という言葉です。遠回りも失敗も「なんのはなしですか」も全部抱えたまま、面白そうな路地裏へ入っていく。その先に何があるのか、一緒について行きたくなる4作品でした。

エルザスさん|美しい光景と、赤ちゃんと、あこがれ

 一番印象に残ったのは、赤ちゃんが窓の外へ伸ばす手を見て、「あこがれとは、世界に美しさを見出す眼差しなのではないか」と考えていくところでした。何気ない朝のカフェの景色が、ひとつの言葉を通して少しずつ深まっていきます。

 エルザスさんの文章は、朝の光が窓辺を少しずつ照らしていくようです。赤ちゃんの仕草から「憧れ」と「憬れ」という漢字へ進み、そこから大人になると見落としてしまう世界の輝きへ。説明で押すのではなく、光が差す場所を少しずつ広げるように思考を進めていきます。

 読み終えたあとには、ガラス窓の向こうにきらめく公園と、その景色へ手を伸ばす小さな姿が残りました。見慣れた世界も、誰かの「あこがれ」を通すと、もう一度美しく見えてくる。そんな余韻のある一篇です。

AngelMimo Journal @NYCさん|うどん、冷麦、そうめん、そば、冷麺の夏

 一番印象に残ったのは、讃岐うどんを買いに行ったはずなのに、隣にあった「讃岐冷麦」を見つけた瞬間、子どもの頃の記憶へつながっていくところでした。白い麺に混じっていたピンクと緑。味そのものより、こういう小さな色の記憶のほうが、昔の夏を突然連れてくることがあります。

 ニューヨークの食卓から始まり、ソーホーのうどん屋、日本食材店、子どもの頃の冷麦へ。麺を一本すすったら、そのまま時間と場所までつるつる引っ張られてきたような語りが楽しいです。特別な出来事ではないのに、今の暮らしと昔の記憶が自然に同じ食卓へ並んでいます。

 読み終えたあとに残ったのは、暑い日の台所と、冷たい麺の涼しげな景色でした。年齢とともに好みが少しずつ変わっても、夏になると食べたくなるものがある。そんな食べ物と記憶のつながりを、自分の夏まで思い出しながら読みたくなる一篇でした。

大内れんさん|ねちねちと「てにをは」を直す

 一番印象に残ったのは、「好きなものをちゃんと好きなまま受け取れない」という感覚でした。小説を読めば文の運びを見て、絵を見れば黄金比を探し、歌を聴けば言葉の対比を分析する。どれも深く見ているはずなのに、大内さん本人はむしろ「肝心なものを見失っている」と感じています。

 その読み方は、料理を口に入れる前に、材料を一つずつ取り出して成分表を作ってしまうようです。「おいしい」で済ませればいいのに、なぜおいしいのかを分解せずにはいられない。しかも他人の作品だけではなく、自分の文章まで「てにをは」や比喩に分解して何度も組み直す。その面倒くささを自覚しながら、やめられないところに、大内さんならではの可笑しさがあります。

 読み終えて残るのは、美術館を出たあとで「結局、何を見てきたんだろう」と立ち止まるような感覚でした。作品を深く見ることと、作品を素直に味わうことは、案外同じではないのかもしれません。

 小説も、絵画も、歌も、文章も。「上手い」と分析することに夢中になるほど、その向こうにあるものから遠ざかってしまう。そんな書き手自身の厄介な癖を辿っていくうちに、「自分は作品の何を見ているんだろう」と考えたくなる一篇でした。

大島蓮司さん|知らぬが仏

 一番印象に残ったのは、「自分にはなぜ深い葛藤がないのだろう」と、自分の心そのものを観察対象にしていくところでした。楽観的であることを長所とも強さとも決めつけず、鈍感なのか、育った環境なのか、それとも単なる性分なのかと、自分という人間を何度も裏返して眺めていく。その視線がとても巧みです。

 大島さんの文章は、自分の内側へ鏡を一枚ずつ置いていくようでした。善意の中にある打算も、他人の痛みに十分共感できない自分も、都合よく隠さない。鏡が増えるほど人物像が複雑になるのに、語り口は不思議なくらい淡々としていて、その温度差が文章の面白さになっています。

 読み終えたあとに残ったのは、「知らないこと」が逃げではなく、ときには心を守る知恵にもなるのだという感覚でした。人生の大きな出来事には驚くほど泰然としていた人にも、どうしても開けたくない小さな箱がある。そんな人間の可笑しさまで含めて、タイトルがじわりと効いてくる一篇です。

太田貴之さん|カッコ悪い自分をさらけ出すカッコ良さが伸びる秘訣。

 一番印象に残ったのは、年間数億を稼ぐ起業家でも「Yahoo」のスペルすら曖昧だったという冒頭でした。知識や技術をたくさん持つ人ほど結果を出す、という思い込みを、いきなり「YAFUUU」で崩してきます。

 太田さんの文章は、複雑なビジネス論から余計な枝葉を落として、「結局どのピンを倒せばいいの?」とセンターピンを指差してくるようです。AIツールを追い続ける現在の空気まで重ねながら、「詳しいこと」と「成果を出すこと」は別だと一本の線でつないでいく語りに説得力がありました。

 読み終えたあとには、知らないことを隠すより、自分に本当に必要なことを知っているほうが強い、という少し肩の力が抜ける感覚が残ります。最新技術についていかなければと疲れている人ほど、冒頭の「YAFUUU」がどこへ着地するのか読んでみたくなる一篇でした。

太田みのるさん|すべては、手順どおりに

 一番印象に残ったのは、子どもの頃から現在まで、興味が一本の線でつながっていくところでした。ギリシャ神話からRPGへ、呪文から占い、白魔術、TRPGへ。本人はその時々で面白そうなものへ潜っていただけなのに、振り返ればすべてが今の「物語を書く」場所へ続いています。

 その歩みは、昔遊んでいた3Dダンジョンそのもののようです。気になる扉があれば開け、脇道を見つければ入り込み、ときにはタロットや白魔術という怪しげな地下階まで潜っていく。それでも拾ったものは無駄にならず、世界を作るための道具として少しずつ手元に残っていく。好きなものを掘り下げながら自分の世界を広げていく語りに、太田さんらしさを感じました。

 読み終えたあとに浮かんだのは、油性ペンで「Wizardry」と書かれたB5ノートです。もう残っているかも分からない一冊のノートと、現在パソコンで小説を書く姿が、長い年月を挟んで重なって見えました。

 高校生の自分が部屋に結界を張ったという、ちょっと怪しい思い出から始まる話です。でも、その少年が何を面白がり、どこへ潜り、何を持ち帰ってきたのかを辿っていくと、一人の書き手がどうやって出来上がったのかが見えてくる。そんな「好き」の来歴を覗いてみたくなる一篇でした。

大塚ぐみさん|亀吉くんと、ピーちゃんと

 一番印象に残ったのは、亀吉くんとピーちゃんそのもの以上に、どんな生き物にも同じ温度で手を差し出すお母さんの姿でした。最初は「亀かぁ……」だったはずなのに、巨大化して荒々しくエビを食べる姿を見て「好きだな、この亀」と思う。その気持ちの変化も、いつの間にか家族になっていた時間そのもののようで好きでした。

 大塚ぐみさんの文章は、笑い話を聞いていたはずなのに、話し手の声色が変わらないまま、いつの間にか胸の奥まで連れていかれるようです。「亀吉くん」の「くん」は概念だとか、亀のビジュアルが極道すぎるとか、細かな言葉の選び方はずっと可笑しい。それなのに、その軽やかな語り口を崩さないまま、命が一緒に暮らす時間と、やがて訪れる別れまで描いていきます。

 読み終えたあとに残ったのは、今はもう駐車場になった庭に、かつての時間だけが重なって見える景色でした。家も家族も少しずつ形を変えていくのに、そこで暮らした記憶は消えない。亀とニワトリが一緒に庭を歩く、ちょっと変わった家族の日常。その先にどんな記憶が残っているのか、最後まで見届けたくなる一篇です。

陸 也奥さん|屍になっても

 一番印象に残ったのは、古いアルバムには孫を抱いて笑う祖母がいるのに、記憶の中では嫌味を吐く表情のほうが先に浮かんでくるところでした。「可愛がられた時間もあった」と分かっているからこそ、簡単に嫌いだったとも、仕方なかったとも片づけられない。その割り切れなさが残ります。

 陸さんの語りは、古い写真の裏側を一枚ずつめくるようです。農家の暮らしや祖母の事情を大人になった視点で理解しようとしながら、それでも「あの時流した涙までなかったことにはできない」と、子どもの頃の自分を置き去りにしない。その両方を同じ文章の中に残しているところが印象的でした。

 『屍引きずり』という祖母の嫌味から始まる記憶は、家族だから愛せる、亡くなれば悲しい、といった単純な物語には収まりません。読み終えたあとには、笑顔の家族写真と、その写真には写らなかった家の空気が重なって見えるような余韻が残る一篇でした。

緒方えりさん|例、礼、令、齢、そして零

一番印象に残ったのは、娘さんが失敗したときに何度も「ごめんなさい」と言うようになった場面でした。本来は成長を応援したくて始めたトイレトレーニングなのに、いつの間にか子どもが親の顔色を窺う時間になっていた。そのズレに気づいた瞬間から、文章の温度が少し変わります。

 緒方えりさんの文章は、子育ての出来事をいったん机の上に並べて、そこへ「れい」という一枚の透明なシートを重ねていくようです。例、礼、令、齢。同じ音なのに意味の違う言葉を拾いながら、自分の言葉や行動がどんな「れい」になっていたのかを見つめ直していく。リケジョらしい整理の仕方なのに、最後まで理屈にはならず、親としての迷いや後悔が残っているのが印象的です。

 読み終えたあとに残るのは、子どもを前へ進ませようとしていた親が、いったん自分の足を止める景色でした。「子どものため」という気持ちは同じでも、それがどんな形で届いているのかは分からない。トイレトレーニングという日常の一場面から、同じ音を持ついくつもの「れい」がどうつながっていくのか。その言葉遊びの先にある気づきを読んでみたくなる一篇です。

奥様はタイ人 / コンノさん|豚(トン)でもタイ妻

 一番印象に残ったのは、「妻の名前が豚です」という、とんでもない一文から、タイのニックネーム文化へ話が着地していくところでした。冒頭では完全に危険人物なのに、読み進めるほど「なるほど、そういうことか」と意味がひっくり返っていく。タイトルの「豚(トン)でもタイ妻」まで含めて、最初から最後まで言葉遊びで押し切っています。

 コンノさんの語りは、異文化紹介の教室に漫談師が乱入して、そのまま黒板まで奪ってしまったようです。タイではなぜ妻を「豚」と呼べるのかという話でも十分面白いのに、北朝鮮の検閲、虎、ミネラル麦茶、松島トモ子まで次々と横道へ飛んでいく。それでも中心にはずっと奥様がいて、夫婦の距離感まで自然に見えてくるのが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、「名前ひとつでも文化が違えばこんなに面白い」という驚きと、なんだか賑やかな夫婦の景色でした。タイトルを見れば一瞬ひるむのに、なぜ堂々と「私の妻は豚です」と言い切れるのか。その事情を確かめたくて、つい続きを読んでしまう一篇です。

小田なをさん|はい、ポンコツが欲しいんです

 一番印象に残ったのは、ずっと好きではなかった「ポンコツ車が欲しいんです」という看板が、自分自身の不調を経験したあと、少し違って見え始めるところでした。「ポンコツ」という同じ言葉なのに、立っている場所が変われば意味まで変わっていく。その変化が静かに効いてきます。

 小田さんの語りは、故障箇所の分からない古い機械を、一つずつネジを外しながら確かめていくようです。膝から眼へ、病院から病院へ、治療からまた別の不調へ。深刻な時間をたどりながらも、「五分で立ち上がったら拍手」のパソコンや、腕を振って応援してくれる医師など、ところどころに可笑しさを残している。その明るさが文章を支えていました。

 読み終えて残るのは、無彩色の病院の待合室で「これからは少し明るい色の洋服を選ぼう」と考える姿です。元気だった頃には見えなかったものが、不調の中だからこそ見えてくる。

 スーパーの近くにある、ちょっと気に入らない中古車屋の看板。そこから「頑丈なはずだった自分」の話へどうつながっていくのか。その言葉の変化を追いかけたくなる一篇でした。

おーちゃんさん|はじまりは、いくつからでも ~ステージアップ~

 一番印象に残ったのは、将棋を覚えるために専門書を片手に駒を並べ、テレビの対局まで自分で盤上に再現していた少年時代の姿でした。今なら動画一本で知れることを、当時は本を探し、人に聞き、何度も手を動かしながら身につけていく。その具体的な記憶があるからこそ、「今はいつでも学び直せる」という言葉に重みが出ています。

 おーちゃんさんの文章は、昔使っていた分厚い地図と、今のスマホのナビを机の上に並べて見比べているようです。便利になった今を持ち上げるではなく、遠回りしながら覚えた時代もちゃんと振り返る。そのうえで、「では今の自分は何を始めるのか」と視線を現在へ戻してくるところに、この文章の面白さがあります。

 読み終えたあとに残るのは、何歳であってもスタート地点は消えない、という明るい景色でした。「もう遅い」と思う前に、まず一歩だけ動いてみる。昔と今の学び方をたどりながら、その一歩をそっと後押ししてくれる一篇です。

お父さん猫さん|たぶん嫌われてるかもと不安な父が、中2娘と小4息子に「お父さんのスキなところ」を聞いてみた

 一番印象に残ったのは、「お父さんのいいところ」と聞くのが怖くて、少しだけハードルを下げて「お父さんのスキなところ」にしたところでした。宿題や片付けを注意してばかりいる自分は、子どもたちからどう見えているのか。聞いてみたいのに、答えを知るのが怖い。その親心がとても素直に書かれています。

 面白いのは、家事や育児を「カイゼン」していくお父さんが、自分と子どもたちの関係まで現在地を確認しようとするところ。ところが相手は中2と小4。仕事の改善活動のように、質問を投げれば綺麗なデータが返ってくるわけではありません。特に、ひと筋縄ではいかない中学生とのやり取りには、思春期らしい距離感がよく表れていました。

 読み終えて残るのは、毎日の「宿題やりなさい」「片付けなさい」だけでは測れない親子の時間です。叱った日の記憶ばかり数えていた父親が、子どもたちは別のところもちゃんと見ていたのだと知っていく。その温かさが残りました。

 「自分は子どもからどう思われているんだろう」。親なら少し怖くなるその質問を、本当に本人たちへぶつけてみたら何が返ってきたのか。答えを聞くまで一緒にドキドキできる一篇でした。

Otmasanさん|ルーティンについて

 一番印象に残ったのは、親戚との夕食を前に、会話の話題を「人生の棚卸し」までして準備しているところでした。相手を退屈させてはいけない、沈黙させてはいけないと脳内ではハムスターが回し車を全力疾走。それなのに実際に会えば、用意した話題などほとんど使わず、叔父さんに酔い潰されるほど普通に時間が過ぎていきます。

 壁に止まった蠅になって心を落ち着けたり、「俺は!天気の話も!できゃしねぇ!」と天を仰いだり、「石橋を叩いてぶっ壊す」と自分を評したり。考えすぎてしまう自分自身をかなり細かく観察し、それを笑える姿へ変換していく語りがOtmasanさんらしい面白さでした。

 でも、その笑いの奥にあった「会話は自分が楽しくしなきゃいけない」という思い込みに気づくところが、この作品の大きな転換だったように思います。相手に委ねても会話は続くし、自分には何でもない話を誰かが面白がってくれることもある。

 読み終えたあとには、帰り道のハンドルを握りながら「もうちょっと相手に委ねてもいいのか」と考える姿が残ります。そしてまた不安になったら壁の蠅になればいい。奇妙なルーティンから始まり、人との付き合い方を少しだけ変えてみようと思うところまでたどり着く一篇でした。

小野光一さん|りんごの木のような一日

 一番印象に残ったのは、認知症のばぁばとの出来事と証明写真の話という、まったく違う三つの出来事を「りんご」として同じ木に実らせているところでした。

 小野さんの語りは、日常に落ちている小さな実をひとつずつ拾って籠に入れていくようです。ジャムの瓶、お茶っ葉のついた茶碗、写真屋さんで撮った一枚。困ったことも少し寂しいことも、深刻さだけに寄せず、「ヤレヤレ」と笑える距離まで持ってくる。その柔らかな視線が印象に残ります。

 読み終えたあとには、いろいろな実が同じ枝先で揺れているような、不思議に穏やかな景色が残りました。何の関係もなさそうな一日の出来事が、ひとつの言葉をきっかけにつながっていく。タイトルの「りんごの木」がどんな形で出来上がるのか、少し覗いてみたくなる一篇です。

おはぎさん|4時間弱の寄り道

 一番印象に残ったのは、約束までの4時間弱を「待ち時間」にせず、すでに一日を満足した顔で待ち合わせへ向かおうとしているところでした。本屋がまだ開いていなければランチへ行き、初めてのチーズを知れば名前をメモし、いつものドーナツ屋では店員さんとの会話を楽しむ。予定と予定の間にある時間を、自分で面白くしていく方なのだと感じます。

 特別な事件は何も起こりません。でも、気になる看板、夏に並ぶスノーダンプ、てっぺんから二本だけ飛び出した木まで、おはぎさんの目を通すと「ちょっと好きなもの」が次々と見つかる。その小さな発見を拾っていく語り口が、この作品の楽しさでした。

 読み終えたあとには、知らない街を目的もなく歩いた日のような心地よさが残ります。最後には写真を撮るより先にお腹へ消えたドーナツまで含めて、なんでもない日の寄り道を少し楽しみたくなる一篇でした。

おもちさん|るんるんの息子、鹿より「あをによし」―ASD息子と夏の奈良旅行記─

 一番印象に残ったのは、奈良まで来たのに、息子さんが大人の用意した「奈良らしさ」にはなかなか乗ってこないところでした。「あをによし」は降りたくないほど好きなのに、鹿せんべいは即答で「いや。」。親が見せたい景色と、子どもが面白がる景色は、同じ旅の中でもずいぶん違います。

 おもちさんの視線は、観光ガイドの名所に丸をつけていくというより、息子さんだけが持っている旅の地図を横から覗いているようでした。「せっかく来たんだから」を押しつけず、本人がどこで立ち止まり、何を面白がるのかを見ている。その距離感が文章にも表れています。

 読み終えると残るのは、大仏や鹿だけではない、その家族だけの奈良の景色。同じ場所へ旅行しても、「楽しかった」は人数分あるのだと思わせてくれます。

 観光名所を巡る旅行記というより、子どもの目を借りると旅先がどう違って見えるのか。その予想外を一緒に楽しめる一篇でした。

万年青、ウェルビーイングさん|久能山東照宮と万年青

 一番印象に残ったのは、久能山東照宮を「徳川家康を祀る場所」ではなく、「境内のどこに万年青がいるか」という目で歩いていることでした。黄金色の実の彫刻を見つければ品種へ、鳥が実を狙う彫刻を見れば「実生家としては警戒心が……」。同じ景色でも、万年青を愛する人にはまるで違うものが見えているのが面白いです。

 その語り口は、久能山東照宮を巡る観光ガイドというより、境内に隠された万年青を探す宝探しの案内人のよう。家康と万年青の逸話から、彫刻、本物の万年青へと視線を移していくうちに、建物の細部を覗き込みたくなります。

 読み終えたあとに残ったのは、歴史ある境内の鮮やかな装飾の中に、ひっそり万年青が息づいている景色でした。久能山東照宮へ行ったことがある人でも、万年青を探しながら歩いたことは案外ないはず。次に訪れたとき、これまで素通りしていた彫刻が少し違って見えそうな一篇です。

織部百合子さん|新宿(1)

 一番印象に残ったのは、深夜の新宿から横浜の自宅へ帰るまで、街の光がずっと「逃げ場」のように見えていたことでした。最上階の窓の外に広がる新宿、タクシーの車窓を流れるレインボーブリッジや消灯した東京タワー。本来なら華やかな夜景なのに、そこへ「その時間だけだった。私が緊張から解放される時間は」と置かれた瞬間、光の意味が変わります。

 織部百合子さんの文章は、感情を説明する代わりに、風景や物へ静かに預けていくようです。非常灯の会議室、食べかけのバウムクーヘン、タクシーチケット、玄関の鍵を回す音。どれも何気ないものなのに、その背後にある疲労や緊張がじわじわ浮かんでくる。特に、会社では「もう俺、死んじゃいそう」と言葉にできる上司と、何も言わず待つ夫、その間にいる語り手の沈黙まで含めて印象に残りました。

 読み終えたあと、新宿という街がただの舞台ではなく、当時の時間そのものを抱えているように見えてきます。「少し特別だ」という控えめな言葉の奥に、まだ語られていないものがたくさんある。その続きを、もう少し近づいて覗いてみたくなる一篇でした。

オルカのひとりごとさん|恨みの一撃、90度

 一番印象に残ったのは、「風呂に何分で入れるか」という、どうでもいいことに小学生の全力を注いでいるところでした。シャンプーとリンスは時間のロスだから牛乳石鹸ひとつで全身を攻略する。オルカさんにとっては完全に競技であり、「このゲーム……もらった!!!」と勝利まで確信している。その無駄に高い熱量がたまりません。

 そこから、兄が計測していなかっただけで取っ組み合いになり、渾身のローキックが思わぬ惨事を招く。子どもの頃の「なんであんなことに、あそこまで本気だったんだろう」を、大人になった現在の視点から笑いながら語ることで、痛そうな思い出まで妙に愛嬌のある話になっています。

 そして最後が印象的でした。今ならスマホひとつで正確に計れるし、禁止令だってもう無効。それなのに、肝心の「あの熱量」が戻ってこない。読み終えたあとには、90度になった小指の衝撃以上に、くだらないことへ全力になれた子ども時代への懐かしさが残る一篇でした。

オールドハリー・ロックスさん|Good(グッド)・Gooder(グッダー)・Goodest(グッディスト)

 一番印象に残ったのは、オールドハリー・ロックスさんが「バトン企画に参加したい。でも自分から誰かに渡すのは怖い」という矛盾を、最後まで笑いに変えていたことでした。最終日に滑り込み、「自分がアンカーなら誰にも渡さなくて済む」と安心した直後、まさかの二本目まで走り出す。その時点でもう祭りを楽しんでいるのが伝わってきます。

 オールドハリー・ロックスさんの文章は、真面目な講義を始めた先生が、途中から黒板にダジャレを書き始め、そのまま教室ごと宴会場にしてしまうようです。他人との比較から「過去の自分」を見る話をしていたはずが、Gooder、Goodestへ突入し、「なんでGがBになるんや!」と英語へキレる。Cheers!では言葉の由来を丁寧に説明しながら、ちいかわ、チンドン屋、チンギスハンまで寄り道する。知識と大喜利が同じ机に平然と座っているのが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、バトンを渡すのは苦手なのに、祭りの終わりにはしっかり二周走っていた人の後ろ姿でした。少し真面目な話をしたと思えば、すぐ横道へ逸れ、最後には本人自身がオチになっていく。英語の比較級と「Cheers!」から、どうしてエッセイしりとりの最終日へ辿り着くのか。その寄り道ごと楽しみたくなる二篇です。

おわんさん|なりゆきで買った野菜で、心も整い、満たされる。

 一番印象に残ったのは、料理を決めて野菜を買ったのではなく、野菜に惹かれてから「さて、どうしよう」と料理が始まっているところでした。朝散歩で偶然見つけた直売所、太陽みたいなミニトマト、トゲの元気なきゅうり、つやつやした茄子。予定になかったものを連れて帰るところから、このエッセイそのものが始まっています。

 おわんさんの文章は、買い物かごに入れた偶然を、キッチンでゆっくり料理していくような語り口だと感じました。大きな出来事を持ち出すのではなく、野菜を切り、焼き、和える。その何気ない時間から、自分の心が整っていく感覚を見つけていきます。

 読み終えたあとに残るのは、夏野菜の鮮やかな色と、静かな台所の景色でした。予定どおりではなかった一日が、いつの間にか満たされた一日になっている。その穏やかな変化が心地いいです。

 朝散歩の途中、なんとなく野菜を買った。それだけの出来事から、どんなことを受け取ったのか。初めてのエッセイだからこそ、その「日常から何かを拾う瞬間」を覗いてみたくなる一篇でした。

かいちょーさん|ついに、決心するときが来たか…(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、エアコンの買い替えという大きな決断より、その使いどころをことごとく間違える長男。そしてもう一篇では、満開のひまわりより「開く途中」に夢中になっているところでした。

 かいちょーさんの視線は、観光地で名所を撮らず、その横でポーズをしている人を見つけるカメラのようです。誰もが見る完成形ではなく、「そこ気になる?」という小さなズレを見つけると解像度が上がる。エアコンなら長男の行動、ひまわりなら一枚ずつ開いていく花びら。その観察の細かさが面白いです。

 読み終えて残るのは、蒸し暑い部屋で眠る長男を心配する母の姿と、ひまわりへ「あと少し!がんばれ!」と声援を送る姿。どちらにも、つい見守ってしまう人の温かさがあります。

 エアコンとひまわり。一見まったく違う二つの話ですが、身近なものを「そういえば、これってどうなってる?」ともう一度眺めたくなる2作品でした。

海沼 衣々花さん|ルージュで伝言、来年の夏休み前の私へ。

 一番印象に残ったのは、夏休みを「40日の専属保育士期間」と嘆いていたはずなのに、途中から娘たちが赤ちゃんに戻る時間として見え始めるところでした。とくに、無印で両腕にまとわりつかれて「離れて!」と追いやったあと、冷たくなった腕に気づく場面。邪魔だったはずの体温が、なくなった瞬間に別の意味を持つ。その感覚がとても残ります。

 海沼さんの文章は、子どもの成長を定点カメラで眺めるのではなく、母親の腕や布団やプールの水面に残った感触から拾い集めていくようです。「娘からは社会の影を感じる」という言い方も面白くて、推しや口紅やへそ出しの向こうに、少しずつ親の知らない世界へ向かう娘を見ている。その寂しさを大げさに語らず、白目やクリオネまで混ぜながら書くので、しんみりしすぎないのも好きでした。

 読み終えたあとに残ったのは、日焼けして少しずつ大きくなった娘たちの向こうに、赤ちゃんだった頃の姿が透けて見える夏の景色でした。ワークショップも特別な予定もなくていい。では、この夏に母親が見つけたものは何だったのか。タイトルの「来年の夏休み前の私へ」が最後にどう戻ってくるのかまで、読んで確かめたくなる一篇です。

かえるこさん|一緒にしちゃいけない。ダジャレとオシャレな韻の踏み方

 一番印象に残ったのは、「意味はある。話も一応つながっている。でも、ちょっと意味がわからない。そのくらいが好き」という感覚でした。これは韻の話でありながら、かえるこさんが言葉で遊ぶときに何を面白がっているのかまで見える一文だと思います。

 「社歌」から「お釈迦様」、「逆さま」へ。音を合わせるのではなく、そこに意味や景色までつなげようとする。しかも、つなげた結果なぜか道端に寝転がり、その先には天へ続く上り坂が現れる。この、理屈は通っているのに出来上がったものを眺めると妙な世界になっている感じが面白いです。

 読み終えたあとに残ったのは、韻を「似た音を探す技術」ではなく、言葉同士が偶然ぴたりとはまる瞬間を探す遊びとして見せてもらった感覚でした。「来た!」となる瞬間を本人が楽しんでいるから、こちらまで言葉を転がして遊びたくなる。

 ダジャレと韻は何が違うのか。そんな素朴な入口から、書き手の頭の中で言葉がどう選ばれ、どうつながっていくのかまで覗ける一篇でした。

Kagaya.plantsさん|ついにみつけた「10人にひとり」は息子だった(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、『ついにみつけた「10人にひとり」は息子だった』で、何気なく耳にした「親の戒名を覚えている人は10人にひとりくらい」という話が、自分の家族へ戻ってくるところでした。数字として聞いたときは他人事だったものが、息子さんの一言で体温を持つ。その小さな驚きが温かく残ります。

 Kagaya.plantsさんの文章は、庭や暮らしの片隅にしゃがみこんで、「これ、どうなってるんだろう」と土を少し掘ってみる人のようです。戒名の記憶も、グランドカバー植物の勝ち負けも、気になったところから調べ、試し、失敗までそのまま楽しんでいる。その観察の細かさが読みどころでした。

 読み終えたあとに残るのは、昔の家族写真と、植物が好き勝手に広がる庭の景色。しんみりした話も園芸の奮闘記も、どこか生活の手触りがある。家族の記憶から雑草との攻防まで、「そこ気になる?」というところを覗いてみたくなる二篇でした。

かきまるさん|つれていって、と言われるうちが花

 一番印象に残ったのは、「休みたい父」と「一緒に遊びたい子ども」のせめぎ合いでした。公園では鬼なのに誰にも追いつけず、家では背中を遊具にされる。それでも結局、重い腰を上げてしまう。その繰り返しに、子育てのしんどさと愛しさがそのまま詰まっています。

 かきまるさんの文章は、家族の日常をバックミラー越しに眺めるようです。目の前では騒がしくて余裕がないのに、少し距離を置いて振り返ると、さっきまで面倒だった時間まで大切な景色に見えてくる。疲れた父親の本音を隠さないからこそ、きれいごとだけではない親子の距離感が伝わってきました。

 読み終えたあとに残るのは、休日の帰り道の車内です。後部座席では子どもたちが眠り、運転席では疲れ切った父親が少し笑っている。今は当たり前にある騒がしさも、いつか静かになるのだろうと思うと、その風景が少し違って見えます。

 「父ちゃんも一緒に」と言われる休日が、なぜこんなにも疲れて、こんなにも惜しいのか。子どもと過ごす今の時間を、父親の目線から覗いてみたくなる一篇でした。

影と輪郭さん|感謝は時に、うんこから生まれることもある

一番印象に残ったのは、「まず今、自分がうんこだってこと自覚しな」という先輩の一言でした。そこまで、鉛をつけたような足取りや、感情の大渋滞、声を聞くだけで涙が出るほど追い詰められた状態が積み重なっているからこそ、この身も蓋もない言葉が効いてきます。慰めるのではなく、先輩たちまで自分の「うんこだった時代」を差し出してくる。その瞬間に、ひとりで抱えていた失敗が少し軽くなるのが伝わってきました。

 影と輪郭さんの文章は、黒歴史をきれいな教訓に加工せず、当時の感情ごと掘り返して机の上に並べていくようです。「接客いったら絶対売ってこい」のビーム、パブロフの犬のようになったマネージャーの声、そして最後には「ばか高いプライドを便器に流す」。比喩がどれも笑えるのに、その下には当時のしんどさがちゃんと残っている。その軽さと重さの同居が、この文章の面白さでした。

 読み終えたあとに残ったのは、失敗そのものよりも、それを誰かと笑って話せるようになるまでの時間でした。どん底にいた25歳が、なぜ十五年後の今「あの日のうんこに感謝している」と書けるのか。タイトルのふざけた響きからは想像しづらいところまで連れていかれる一篇です。

栞子さん|包み込む わたしの調律術

 一番印象に残ったのは、「自分を整える」ことを、気分転換や癒やしではなく「調律」と呼んでいるところでした。不安になったときに外へ答えを探すのではなく、まず呼吸や体の強張りへ意識を戻す。その考え方が、作品全体の静かな芯になっています。

 栞子さんの文章は、音の狂った楽器を少しずつ耳で確かめながら整えていくようです。心、体、本質を別々に扱わず、ひとつの響きとして見ているからでしょうか。ふわっとした精神論だけに寄らず、「いま自分はどんな状態なのか」を観察し、小さく手を差し伸べるところまで降りてくる。その静かな往復が印象に残りました。

 読み終えたあとに残るのは、揺れない自分を目指すのではなく、揺れても戻ってこられればいい、という穏やかな感覚でした。未来への不安をなくす方法ではなく、自分との付き合い方を少しずつ覚えていく話なのだと思います。「調律」という言葉が、この作品の中でどんな意味を持っていくのかを辿ってみたくなる一篇です。

菓子職人kanaeさん|苦瓜の流氷カリー添え

 一番印象に残ったのは、「に」の一文字からニガウリを選び、タイトルを考えるだけでなく、本当に料理してしまうところでした。しりとりのバトンを言葉だけでつながず、そのまま台所まで持ち込んで一皿にしてしまう。この遊び方がkanaeさんらしいです。

 しかも、ベランダ産の苦瓜を主役にするつもりが、網走土産の青い「流氷カリー」が登場した途端、食卓の景色が一変する。料理というよりキャンバスに流氷を描いているようで、熱いレトルトパウチを相手に悪戦苦闘する姿まで目に浮かびました。

 読み終えたあとに残るのは、鮮やかな青と白、その横に並ぶ緑の苦瓜という、なかなか忘れられない食卓です。「に」から始まったしりとりが、いったいどんな一皿になったのか。写真と一緒に覗きたくなる一篇でした。

風待ちロクさん|ミッドナイトランニング、10km先の小さな自信

 一番印象に残ったのは、「遠くまで見えなくても、自分の足元くらいなら見える」という感覚でした。夜のランニングで実際に見えている景色が、そのまま今の自分との向き合い方につながっていく。10km先を見ながら走るのではなく、目の前の一歩を重ねた結果、気づけばそこへ着いている。その実感が文章全体を支えています。

 走っている最中の足音や呼吸、汗を冷ます夜風まで丁寧に拾う語り口も印象的でした。そこから東京マラソンや気象予報士の勉強へ話が広がっても、「少しずつ続ける」という一本の線でつながっています。

 誰かに勝ったからではなく、昨日までの自分より少し速く走れたことで生まれた「まだまだ、やれば出来るなっ」という小さな自信。読み終えたあとには、静かな夜道と、その先へ続いていく足音が残ります。大きな目標へ向かう途中にある小さな前進を、一緒に走りながら感じられる一篇でした。

かつもさん|「い」と「ゐ」を龍体文字で書いてみる。さて、イけてるのはどっち。

 一番印象に残ったのは、「い」と「ゐ」という二文字の違いから、自分と同じ名字の課長が二人いた頃の話へつながっていくところでした。文字の個性と人間の個性が、思いがけない場所で重なっていきます。

 かつもさんの文章は、縁日のピンボールのようです。「い」から旧仮名遣いへ飛び、職場へ跳ね、龍体文字にぶつかり、また別の方向へ勢いよく転がっていく。脱線しているようで、その全部を本人が「わっしょい」と楽しんでいる熱量まで伝わってきます。

 読み終えたあとに残るのは、似ているものの中にもちゃんと違いがあり、その違いを面白がってもいいのだという景色でした。「い」と「ゐ」を眺めていたのに、いつの間にか「自分らしさ」まで考えさせられる。

 旧仮名の一文字から、会社員時代の思い出と不思議な文字の世界がどうつながるのか。その寄り道ごと楽しみたくなる一篇です。

canaminさん|幸せのカタチ🍀

 一番印象に残ったのは、「私には、私がいる」という一文でした。家族やペットなど、自分の外側にあるつながりを語ってきた文章が、そこで静かに自分自身へ戻ってくる。その流れに、canaminさんが考える「幸せ」の輪郭が表れているように感じます。

 canaminさんの語り口は、派手な答えを掲げるというより、手のひらにあるものを一つずつ確かめるようです。健康であること、自分のことを自分でできること、誰かと笑えること。大きな幸福論を語りながら、最後は日常の小さな実感へ降りてくる。その視点がやさしいです。

 読み終えたあとには、豪華な何かではなく、今日を普通に過ごせたことへ少し目を向けたくなる感覚が残りました。「幸せって何だろう」と難しく考えすぎたときに、そっと足元を見せてくれるような一篇です。

かぴらぼさん|写真には写らないもの

 一番印象に残ったのは、ピンボケ写真から、花の手触りや甘い香り、季節の涼しさ、湿気を含んだ風まで蘇ってくるところでした。写真には残せなかったもののほうが、記憶の中ではくっきりしている。その感覚がとてもいいです。

かぴらぼさんの語りは、ピントの合わないカメラを覗きながら、自分の記憶にだけ少しずつピントを合わせていくようでした。写真部だった過去からオートフォーカスへの愚痴まで、ぼやきながら進んでいるのに、気づけば「記録するって何だろう」というところまで連れていかれます。

 読み終えたあとに残るのは、少しぼやけた一枚の写真と、その周囲にある色や匂いや風の景色。完璧に残らなかったからこそ、自分の中に残っているものに気づくこともあるのかもしれません。

 「写真が下手」という身近な困りごとから、写真には写らない記憶の話へ。スマホの写真フォルダにピンボケ写真が眠っている人なら、ちょっと開いて見返したくなる一篇でした。

かぬさん|「理解できない人」が教えてくれた景色

 一番印象に残ったのは、「理解できない人」を理解しようとするうちに、実は自分自身のことが見えてくるところでした。行動的なお兄さんが苦手なのだと思っていたけれど、その奥にあったのは「否定されるかもしれない」という自分の怖さ。その気づきまで丁寧にたどっていく語りに、かぬさんらしさを感じます。

 象徴的なのが、お兄さん一家が前日に予定を変えて出かけた先の、透明感のある海です。心配事をひとつずつ考える自分なら、おそらく辿り着かなかった景色。「理解できない」と感じていた行動力が、自分には見えなかった景色を見せてくれた。その海が、タイトルの「景色」とも重なって残りました。

 相手との違いを無理に好きになる話でも、自分も行動的になろうという話でもなく、「ただ違うだけ」と少し見方を変えてみる。苦手な人とのお盆から、思いがけず自分の心の癖まで見つけていく。その静かな変化を一緒にたどりたくなる一篇でした。

かばさん|たぶん、桃パフェだけの思い出ではない

 一番印象に残ったのは、桃好きのかばさんではなく、お母さんの「ここ、桃好きな2人にいいんじゃない?」という一言でした。好きなものを覚えていて、自分のいないところで店を探し、帰省の日の予定に入れておく。その時点で、桃パフェにはもう味以外のものが乗っています。

 「ほぼ、桃」「3種の桃のお造り」と、桃への興奮を隠そうともしない語りも楽しい。食べ物を前にした喜びをそのまま実況するようで、読んでいるこちらまでスプーンを持って参加している気分になります。その一方で、視線は少しずつパフェから、同じテーブルを囲む家族へ移っていきます。

 読み終えて残ったのは、豪華な桃の姿以上に、桃とピザを交換しながら「おいしいね」と言い合う食卓の景色でした。食事の記憶には、味だけでなく、その日にそこへ連れてきてくれた人まで一緒に残るのかもしれません。

 桃好きなら思わず覗きたくなる一篇ですが、読み進めるうちに、自分にも「料理だけでは覚えていない食事」がなかったか思い出したくなる作品でした。

カハリーさん|たどり着いた記憶に、おばあちゃんの字があった

 一番印象に残ったのは、子どもの頃に作った小さな計画帳を見つけたことで、自分の記憶になかった「おばあちゃんの字」と再会するところでした。覚えていたのは、一緒に工作をしたこと。でも残された文字を見たことで、当時のおばあちゃんがどんなふうに自分を見てくれていたのかまで、時間を越えて浮かび上がってきます。

 カハリーさんの語りは、古いアルバムを一枚ずつめくるというより、記憶の中へ静かにピントを合わせていくようです。茶色くなったセロハンテープ、バリバリと鳴るページ、小さな文字。説明しすぎず、手触りのあるものを置いていくことで、読者にも掘りごたつのそばの景色が見えてきます。

 読み終えたあとに残ったのは、古びた計画帳を挟んで、今の自分と幼い自分、そしておばあちゃんが同じ場所にいるような景色でした。物はただ残るだけではなく、ときどき忘れていた時間まで連れて帰ってくるのかもしれません。

 子どもの工作をきっかけに開けた、昔の段ボール箱。その中から出てきた一冊が、忘れていた記憶をどこまで連れてくるのか。自分の家にも、そんなものが眠っていないか探したくなる一篇でした。

かほさん|スマホが使いこなせないってば(他、計4本)

 「文字書きキャリアは半世紀!」と始まったかほさんですが、4作品を読むと、その引き出しの多さをしっかり見せつけられました。スマホから昔の職場の居眠り、しりとりそのもの、さらには孫のアイスラッガーまで。ひとつの言葉から記憶や疑問がするすると出てくるところが、かほさんの文章の楽しさです。

 特に面白かったのは、正式にバトンを受け取って書いたはずが、「Z」を見つけて再参加し、ついには「しりとりには中毒性がある」と自ら語り始めたこと。昔は「る」リストまで作っていたという人ですから、どうやらこの企画とは相性が良すぎたようです。

 4本を読み終えて残ったのは、何でもない言葉ひとつあれば一本書けてしまう人の強さと、しりとりを心底楽しんでいる姿でした。

カモミールさん|ネット世代とAI世代

 一番印象に残ったのは、「自分たちはゲームとインターネットの誕生を知る世代だ」という視点でした。ファミコンのデータを母親の掃除に消され、攻略本を頼りにダンジョンをさまよい、初めて検索で小さなメダルの場所を見つけて感動する。技術の歴史ではなく、自分がそのとき何を感じていたかで時代を振り返っているところが面白いです。

 カモミールさんの語りは、昔のネットを掘り返す「デジタル考古学」のようでした。Windows95、テキストサイト、Flash、2ちゃんねる、ボカロ……懐かしい遺物を「葬り去りたい」黒歴史まで一緒に発掘しながら進んでいく。ところが気づけば、自分たちが新しいものを眺める親世代の位置へ近づいている。その視点の反転が効いています。

 読み終えたあとに残るのは、懐かしさと少しの怖さでした。かつて「インターネット、すごい!」と目を輝かせた世代は、AIを前にしてこれからどちら側へ行くのだろう。懐かしいゲームやネットの昔話を楽しみながら、自分と次の時代との距離まで考えたくなる一篇でした。

空手家パパさん|頭角をあらわしたな!小僧!(他、計4本)

 一番印象に残ったのは、息子に「うるせえ、ジジイ!」と言われて雷を落としながら、その少しあとには「寂しかったのか」と気づいて一緒に遊んでいる場面でした。モテ始めた息子に「キモっ!!!」と叫んだり、叱ったり、振り回されたり。4作品を通して、息子を見る父親の目がずっと近いです。

 空手家パパさんの文章は、ブレーキの壊れた遊園地の乗り物みたいでした。空手、育児、アプリ、収益化、しりとりまで、思いついたものを次々乗せて「ヒャッホー!」と走っていく。でも、その騒がしさの奥から時々、家族への眼差しや「好きなことを全力で楽しみたい」という素直な気持ちが顔を出します。

 読み終えて残るのは、家族もnoteも創作も全部まとめて遊び場にしている人の姿。さて、次はいったい何を始めるのか。少し離れたところから眺めていたくなる4作品でした。

がりとわたしさん|うたかた(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、渡された文字を勘違いしたまま、本を一冊読み返し、感想を書き、投稿直前まで進んでしまったこと。それだけなら失敗談ですが、せっかく書いた『うたかた』もそのまま残し、改めて『蚊取り線香』を書き始める。この転び方がなんとも楽しいです。

 Nさんの文章は、散歩中に気になる路地を見つけるたび寄り道するよう。しりとりから昔の文庫本へ向かい、中学生だった自分と現在の自分を行き来し、その隣ではがりさんが「構え!!」と鳴いている。予定どおりには進まなくても、その寄り道ごと日常の一場面になっていきます。

 読み終えて残るのは、晩夏の窓辺に古い文庫本と猫がいる景色。そして「間違えた!」さえ面白がってしまう書き手の姿です。

なぜ『うたかた』を書いた人が、わずか4分後に『蚊取り線香』を書き始めることになったのか。二本続けて読むと、このしりとりならではの小さな事件まで楽しめます。

KAWAIさん|手の鳴る方へ

 一番印象に残ったのは、手相を見てもらう側だったはずなのに、途中から完全に相手を質問攻めにしているところでした。普通なら「ありがとうございました」で終わる場面を、「この人は何者なんだろう」とさらに奥まで追いかけてしまう。その好奇心の向き方が面白いです。

 KAWAIさんの文章は、日常の中で鳴った小さなベルを聞き逃さず、その音源まで藪をかき分けて見に行く探検家のようでした。しかも目的は珍しい出来事を集めることではなく、その奥にいる人や、自分の心がどう動くのかを確かめること。だから少し危なっかしいのに、単なる無謀さでは終わりません。

 読み終えたあとには、駅前の雑踏の中で一人だけ耳を澄ませている人の姿が残りました。いつもの景色の中にも、まだ知らない何かが隠れているかもしれない。そんな気持ちにさせられます。

 「手の鳴る方へ行ってしまう人」とは、いったいどんな人なのか。最初の手相のエピソードだけでも、その答えを少し覗いてみたくなる一篇でした。

かわやんさん|『急戦』で駆け抜ける人生哲学

 一番印象に残ったのは、人生観を語る前にまず「将棋は急戦」「信長の野望は開始早々隣国と戦」と、自分のせっかちさをゲームで証明してしまうところでした。人生論なのに、入口から戦闘態勢です。

 かわやんさんの語りは、長い前置きを飛ばしていきなり本丸へ攻め込むようです。「要はなんなの?」と会議でもストレートを投げる、その気質が文章にもそのまま出ていて、難しい哲学をこね回さず、自分の実感で一直線に語っていきます。

 読み終えて残るのは、「長さより深さ」という言葉よりも、毎日を出し惜しみせず生きようとする勢いでした。人生をやり直すかという問いから、ゲーム、仕事、そして生き方へ。かわやん節の急戦がどこへ着地するのか、追いかけたくなる一篇です。

考える赤柴さん|るすばんの日の敗北

 考える赤柴さんの2作品で一番印象に残ったのは、どちらも「相手を大切に思っている自分」を少し離れたところから見ていることでした。弟を守ろうと必死だった7、8歳の自分が、そこにいない母に負けて本気で悔しがる。可愛い思い出にまとめず、「敗北感だった」と言い切るところに、子どもの頃の感情がそのまま残っています。

 文章は、昔のアルバムを開いて笑っていたら、写真の端から当時の感情まで出てくるようです。柴犬の話でも、「知らなかったよ」と意外な日常を並べながら、途中から「知ってたよ」へ変わる。その切り替わりで、面白い犬あるあるの奥にある飼い主の眼差しが見えてきました。

 弟と母、そして柴犬。一見まったく違う2篇ですが、読み終えると「そばにいる相手を見続けてきた時間」が残ります。子どもの頃の留守番と、毎日の散歩や食事。その何気ない積み重ねを、考える赤柴さんがどう振り返ったのかを読んでみたくなる2篇です。

菊池ひろみさん|合否→ひろみへ

 一番印象に残ったのは、しりとりのバトンを誰かではなく、10年後の自分へ渡すように「ひろみへ」と語りかけていくところでした。10代、20代、30代、そして現在。自分の歩いてきた時間を振り返りながら、未来の自分へ「今のあなたは、書いていますか?」と問いかける。その視線が優しいです。

 菊池さんの文章は、未来へ宛てた手紙なのに、タイムカプセルへ綺麗に封をするだけでは終わりません。「書くことをやめたら許さへん」「実名晒したる」と急に未来の自分を脅し始める。しんみりしすぎそうになるたび、自分で照れ隠しのパンチを入れてくるような語り口が印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、「ひろみ」という名前とともに積み重なってきた人との出会いや言葉の記憶です。今の自分を完成形とはせず、10年後にも書き、笑い、人との出会いを大切にしていてほしいと願う姿には、未来を楽しみに待っている明るさがあります。

 「合否」の「ひ」から始まった一本が、なぜ自分自身への手紙になったのか。タイトルの「ひろみへ」が誰に、そして何を伝える言葉なのかを追いかけながら読みたくなる一篇でした。

KIKKAさん|いつも季節が、あの頃を連れてくる

 一番印象に残ったのは、「最後に間違えて言った日」は誰も記録していない、という視点でした。初めてできた日は残すのに、できなかった最後の日は、いつの間にか通り過ぎてしまう。子どもの成長を「できるようになったこと」ではなく、「もうしなくなったこと」から眺めているのが印象的です。

 「五人囃子の明太子」や「五匹のたぷたぷ」という笑ってしまう言い間違いを入口にしながら、少しずつ時間を巻き戻していく語りは、季節の歌を再生ボタンにしたホームビデオのようでした。子ども本人は忘れてしまった場面を、親だけが何年も保存している。そのことに気づくと、最初は可笑しかった言葉まで少し愛おしく聞こえてきます。

 読み終えたあとに残ったのは、雛祭りや七夕が来るたび、今の子どもたちの向こうに幼かった二人が重なって見える景色でした。

 子どもの言い間違いを笑ったことがある人なら、その言葉を「最後に聞いた日」を覚えているだろうか。そんなことを、自分の記憶まで遡って考えたくなる一篇でした。

きのころさん|ルイージという生き方

 一番印象に残ったのは、「あ、ルイージもいる」の「も」に注目したところでした。たった一文字から、長年「マリオの弟」だったルイージの立ち位置をここまで考えていく。ゲームのキャラクターを虫眼鏡で覗いていたはずが、その向こうにいつの間にか人間の生き方まで見えてくるような視点が面白いです。

 特に、怖がりながらも扉を開けるルイージを「怖くないから進むのではない。怖いまま進む」と捉えたところが好きでした。一番手でなくても、堂々としていなくても、自分を別人に変えなくてもいい。緑の帽子をかぶったまま進む姿に、派手ではない別の勇気が見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、マリオの赤ではなく、やっぱりルイージの緑でした。ずっと知っていたはずのキャラクターなのに、次に見かけたときには少し違って見えそうです。

 「マリオの弟」でだいたい説明できてしまう男を、あえて主役にしてじっくり眺めてみる。そこから何が見えてくるのか。ルイージを知っている人ほど、ちょっと読んでみてほしい一篇でした。

気まぐれmahoさん|気分が上がるキッチン小物

 一番印象に残ったのは、100円の鍋つかみからバカラのグラスまで、まったく同じ熱量で「好き」が語られているところでした。値段やブランドではなく、口触り、手触り、重み、音、手に馴染む感覚。自分の五感にしっくりくるかどうかが、mahoさんの物選びの基準なのだと思います。

 その語り口は、キッチンの引き出しをひとつずつ開けてもらっているよう。20年使った道具も、何度壊れても同じものを買う包丁も、それぞれに小さな思い出がくっついていて、単なる「おすすめキッチン用品」では終わりません。

 読み終えると、使い込まれた道具が並ぶ台所の景色と、毎日の暮らしを少し機嫌よくしてくれるものの温かさが残りました。

 木のスプーンひとつで食事がおいしく感じるのはなぜなのか。そんな身近な「好き」を覗きながら、自分なら何を長く使っているだろうと、家の中を見回したくなる一篇です。

きみこさん|「?」は人生を変える魔法の言葉なんだよ、という話

 一番印象に残ったのは、「なぜ」「どうして」という同じ言葉が、問いにも責めにもなるという気づきでした。子どもの頃には世界を広げる魔法の言葉だったものが、大人の感情をまとった瞬間に呪いへ変わる。その反転の捉え方が鮮やかです。

 きみこさんの語りは、言葉の裏返しを一枚ずつめくっていくようでした。子どもの頃の違和感から始まり、反語、自己否定、人への怒りへと進みながら、「!」を「?」へ変えると見え方まで変わる、へつないでいく。難しい話なのに、ライトモードとダークモードという比喩で感覚的に読ませてくれます。

 読み終えたあとには、頭の中に浮かぶ「なんで!」を、立ち止まって「なんでだろう?」へ置き換えてみたくなる感覚が残りました。普段何気なく使っている疑問符ひとつを入口に、言葉が自分や他人へ与える影響を考えさせてくれる一篇です。

キャンディさん|ぞっとする未来を、先取りするのをやめた

 一番印象に残ったのは、「55歳の今の感覚のまま、89歳の自分を想像しているのではないか」という気づきでした。未来の出来事だけでなく、そこで感じるはずの恐怖まで現在の自分が決めてしまっている。この視点には、言われて初めて気づくような面白さがあります。

 キャンディさんの文章は、未来へ向けて勝手に出していた感情の予約を、89歳のお義母さまの姿を見ながら一件ずつキャンセルしていくようです。老いへの不安を無理に明るく塗り替えるのではなく、「そのときの私は、今の私とは違うかもしれない」と少しずつ考えを動かしていく。その過程が穏やかに伝わってきます。

 読み終えて残るのは、お義母さまの「穏やかな横顔」です。老いることへの答えが書かれているわけではないのに、遠い未来を今から怖がりすぎなくてもいいのかもしれないと、少し肩の力が抜けました。

 まだ会ったことのない未来の自分を、現在の自分はどこまで想像できるのか。身近な人の老いを見つめるところから、自分の未来との付き合い方を考え直していく一篇でした。

Candiさん|ちゅ〜る、ところ変われば

 一番印象に残ったのは、「チキン」より「とり」、「ツナ」より「まぐろ」のほうがかわいい、という感覚でした。中身は同じ猫のおやつなのに、言葉が変わると親しみが増す。しかも「とりささみ&名古屋コーチン」と書かれると、猫より先に人間のほうがその気になってしまう。その小さな違いから、日本とアメリカの食文化まで見えてくるのが面白かったです。

 Candiさんの文章は、海外のスーパーの棚を一緒に覗きながら、「あ、ここ違う」と横から教えてもらっているようです。大げさに文化比較をするのではなく、ちゅ〜るの味や表記、パッケージといった身近なものから違いを拾っていく。途中で焼きかつおへ寄り道して、「ちゅ〜るの話をしてないので、ちゅ〜るに話を戻す」と自分で戻ってくる軽さも楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、猫のおやつ売り場にもちゃんと土地柄があるんだな、という小さな発見でした。日本では当たり前に見ている「ちゅ〜る」が、海を渡ると味も名前も少しずつ変わる。猫のおやつひとつから、どこまで違いが見えてくるのか。売り場を覗き比べてみたくなる一篇です。

京さん|くるしゅうないゾ♪

 一番印象に残ったのは、「エッセイが書けない」と悩んでいる、その時間そのものがエッセイになっていくところでした。題材がない、実体験を語れない、妄想も使えない。そんな困惑まで材料にしてしまう流れが面白いです。

 京さんの語りは、初めて来た遊園地で地図を確認していたはずなのに、気づけば誰より大声ではしゃいでいる人のよう。「オチがなくても良い!」と喜び、字数稼ぎまで白状し、越後屋になったかと思えばサンバまで始まる。初エッセイとは思えないほど自由に脱線していきます。

 読み終えて残るのは、エッセイの入口で右往左往していた人を眺めていたはずが、いつの間にかその騒ぎに巻き込まれていたような楽しさでした。

 「自分にはエッセイに書けるようなものが何もない」。そんな京さんが、エッセイとは何かを調べるところから一本書いてみたらどうなるのか。その挑戦を覗いてみたくなる一篇です。

霧島 寅太之助さん|農と武

 一番印象に残ったのは、畑で「腕に力が入り過ぎてる」と言われた瞬間、武術の稽古で何度も言われてきた「腕で斬るな、腰で斬れ」とつながるところでした。

 鍬を握っているのに、頭の中ではいつの間にか居合刀を抜いている。畑と道場という遠く離れた二つの場所を、「身体の使い方」という一本のあぜ道でつないでしまうのが霧島さんらしい視点です。しかも刀の握り方を本当に鍬へ応用していくので、読んでいるこちらまで「農作業と武術、案外近いのでは」と思わされてしまう。

 読み終えたあとに残るのは、土の上で黙々と鍬を振る姿。その一振りがだんだん剣術の型にも見えてきます。

 畑仕事と武術。まったく別物に見える「農」と「武」が、どこでつながるのか。そこを確かめながら読むのが面白い一篇でした。

銀河太郎さん|ともしび

 一番印象に残ったのは、「ともしび」という言葉が、誰かへ向けたものだけではなく、自分自身を照らす光にもなっているところでした。誰かの希望になりたいという願いと、これから自分がどう生きたいのかという答えが、同じひとつの言葉に重なっています。

銀河太郎さんの語りは、暗い道の先から強いライトを照らすというより、歩いてきた道の途中に小さなランタンを置いていくようです。「こう生きるべきだ」と誰かを導くのではなく、自分が遠回りしてきたからこそ見つけたものを、必要な人が拾える場所へ置いていく。そんな語り方に感じました。

 読み終えたあとに残るのは、夜道にひとつ灯りがともっているような静かな景色です。人生の答えを見つけたという華々しさよりも、これから向かいたい方向がようやく見えた人の穏やかな決意が残ります。

 47歳になって、自分はこれから何のために生きていきたいのか。その問いに銀河太郎さんが選んだ「ともしび」という一語。その言葉に何を込めたのか、少し覗いてみたくなる一篇です。

銀狼監督|「て」。言うかね

 一番印象に残ったのは、最後まで「何を書こうとしていたんだっけ?」を繰り返しながら、本当にそのまま一本の記事になっているところでした。バトンを誰に渡すか悩み、読者に直接絡み、noteフェスを思い出し、曲の話へ飛ぶ。頭の中の独り言を実況中継しているようです。

 銀狐監督さんの文章は、目的地を決めずに走る深夜のドライブみたいでした。「癪由美子」だの全裸動画だの、道端に見つけたものを片っ端から拾っていくので、どこへ連れていかれるのか分からない。でも、その脱線こそが語りの勢いになっています。

 読み終えたあとに残るのは、忙しいと言いながら、なんだかんだ全部楽しんでいる人の姿でした。しりとりもフェスも曲作りも抱え込み、「もうええ」と言いながらまだ喋っている。その騒がしさが妙に楽しい。

 そもそも、銀狐さんは「て」から何を書くつもりだったのか。そんなことを途中で考えるのもたぶん野暮なのでしょう。話がどこへ転がるのか分からないままついていくのが楽しい一篇でした

ぐう たらこさん|いくつになっても思い出は宝箱に

 一番印象に残ったのは、姫路城そのものよりも、その景色に高校時代の何でもない日常が丸ごと結びついているところでした。クレープを食べたり、ゲームセンターへ寄ったり、自販機の飲み物を片手に電車を待ったり。本人が「取るに足らない」と呼ぶ時間ほど、あとから宝物になるのだと伝わってきます。

 ぐう たらこさんの文章は、古い写真を一枚ずつアルバムから取り出して、その裏に残った記憶までそっと読み返しているようです。大げさに懐かしがるのではなく、「姫路城」というひとつの言葉から、当時の空気や友人との会話がふわりと戻ってくる語り方がやさしい。

 読み終えたあとには、黄昏の中でライトアップされた白い姫路城と、その下を歩く高校生たちの帰り道が残りました。場所には、気づかないうちに自分の時間がしまわれている。そんなことを思い出させてくれる一篇です。

久藤 あかりさん|いちばん冷たいおまじない

 一番印象に残ったのは、3歳の光里さんの小さな「てって」と、30年後の大きな手がつながるところでした。火傷そのものより、姉が「跡には絶対に残したくない」と必死に冷やした記憶が、ずっと姉の側に残っている。その時間差がとても静かに効いてきます。

 久藤あかりさんの文章は、古いアルバムを一枚めくったら、写真の裏から当時の温度まで戻ってくるようです。冬の冷たい水、保冷剤、泣き声、少し寂しくなる姉の気持ち。そこから30年後の台所へ飛び、ジャガイモを前にした姉弟の会話で空気を一度やわらげる。その何気ないやり取りの中に、昔から変わらない関係がにじんでいるのが好きでした。

 読み終えたあとに残るのは、誰かを守ろうとして必死だった日のことを、守られた本人は覚えていないという不思議な温かさでした。記憶は同じ出来事でも、持っている人によって形が違う。タイトルの「いちばん冷たいおまじない」が何を指すのか、その意味がゆっくり見えてくる一篇です。

くまのひとみさん|友だちがほしいと、発達凸凹っ子が泣いた夜

 一番印象に残ったのは、泣いている女の子へ息子さんが「明日また遊ぼうねー!」と声をかける場面でした。一見すると噛み合っていない。でも、その子との約束が嬉しかったからこそ出てきた言葉かもしれない。そこで「違う」で終わらず、息子さん側から見えている景色を想像し直すところが心に残ります。

 くまのひとみさんの語りは、息子さんの言葉を急いで日本語から日本語へ翻訳しようとする通訳のようです。「友だちがほしい」という同じ言葉でも、大人と4歳の息子では指しているものが違うかもしれない。いくつもの可能性を並べながら、それでも分からないものは「分からない」と残している。その距離感に優しさを感じました。

 読み終えたあとに残るのは、息子さんの見ている世界を隣から少しだけ覗かせてもらったような感覚です。「友だち」なんて誰でも知っている言葉なのに、考えてみれば、その意味を説明するのは案外難しい。

 4歳の「友だちがほしい」という涙は、いったい何を意味していたのか。親子でその言葉の意味を探していくうちに、少しずつ違う景色が見えてくる一篇でした。

雲谷ナツさん|霧を晴らす魔法

 一番印象に残ったのは、「役に立たない魔法」を集めることが、いつか思いがけない形で自分を助けるかもしれない、という見方でした。『葬送のフリーレン』の一場面を語っているはずが、いつの間にか「無駄に見える時間をどう生きるか」という話へ広がっていきます。

 雲谷ナツさんの語りは、好きな作品の中から小さな魔法をひとつ持ち帰り、それを自分の日常へそっとかけ直すようです。大葉とエゴマを間違えたことも、動かなくなった息子との時間も、「役に立つかどうか」では測らない。その視点にやわらかさがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、霧の向こうにある景色でした。毎日の忙しさで見えなくなっているものも、少し立ち止まれば晴れてくるのかもしれない。好きなアニメの一場面から、寄り道や道草まで愛したくなる一篇でした。

Granさん|落第の恐怖

 一番印象に残ったのは、大学時代にはとっくに終わったはずの「卒業できないかもしれない」という恐怖が、何十年経っても夢の中では現役だったことです。青春時代のツケが律儀に追いかけてくる。その時間差が可笑しくもあり、少し怖くもありました。

 Granさんの語りは、昔のアルバムをめくりながら「いやあ、あの頃はひどかった」と本人が一番楽しそうに笑っているようです。横浜、葉山、ユーミン、六本木。遊び惚けた青春を反省話にせず、「人生舐めくさってますね」と自分でツッコみながら見せてくれるので、その時代の空気まで賑やかに立ち上がってきます。

 読み終えたあとには、若い頃の失敗や焦りも、長い年月を経れば夫婦で笑える昔話になるのだな、という景色が残りました。しりとりの「ら」から始まったはずが、思いがけず人生の奥にしまってあった記憶まで引っ張り出される。その先で判明する夫婦の意外な共通点も含め、続きを覗きたくなる一篇でした。

くるみさん|サグラダ・ファミリアに恋をして、気付いたこと。

 一番印象に残ったのは、憧れだったパリではなく、「ついててラッキー♪」程度だったバルセロナに心を奪われたところでした。旅は予定表どおりに移動していても、心まで予定どおりには動かない。その偶然の出会いから、自分の知らない世界へ目が向いていく流れが素敵です。

 くるみさんの文章は、旅先で見つけた小さな扉を開けたら、その向こうにこれからの人生まで続く道があったような語り方でした。サグラダ・ファミリアの美しさだけで終わらず、「もっと見たい」「もっと体験したい」から、自分はどう働き、どう暮らしたいのかへ自然に視線が移っていきます。

 読み終えたあとに残るのは、旅から帰ったあとも写真を眺めながら、まだ遠くにある景色へ思いを馳せている姿です。思いがけず恋をした建物が、その後の日常を少しずつ動かしていく。そんな「旅の続き」を覗いてみたくなる一篇でした。

黒崎レイさん|とても嬉しいバトンを、ありがとうございました。

 一番印象に残ったのは、エッセイしりとりのバトンを受け取りながら、「自分のところで完結させる」と明確に宣言しているところでした。作品そのものよりも、バトン企画とどう付き合うかという本人の考え方に多くの言葉が割かれています。

 バトンをつなぐ人もいれば、そこで止める人もいる。その選択について、自分なりの理由をかなり丁寧に説明していきます。読み終えて残ったのは、同じ企画へ参加していても、その受け止め方や距離の取り方は人によってずいぶん違うのだということでした。

 「エッセイしりとり」で、あえてバトンを次へ渡さない。その選択をどう言葉にしたのかが気になる方には、読んでみてほしい一篇です。

globalistさん|「つらい」と「からい」が、同じ漢字だから、まぎらわしすぎる!

 一番印象に残ったのは、「つらい」に段階があるなら数値化すればいい、と「10辛〜1辛」を作り始めたところでした。曖昧な言葉を整理しようとしたはずなのに、「からい」まで入り込んできて余計にややこしくなる。問題を解決するために新しい問題を生み出しているのが可笑しいです。

 語り口は、一本の糸のほつれを見つけたら、気になって最後まで引っ張らずにはいられないよう。タイトルを考えるところから始まり、漢字の読み方、つらさの尺度、記事のネタ被り、バトンを渡す難しさへと、考えが次々につながっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、「辛い」という見慣れた漢字をしばらく素直に読めなくなる感覚でした。たった一文字の読み分けから、ここまで話を広げられるのか。「つ」から何を書くか悩んでいたはずの人が、どこまで考えを転がしていくのかを追いかけたくなる一篇です。

GrowthStreetさん|一度きりの人生、どこまで遠くへ行けるだろう。

 一番印象に残ったのは、「もっと速く走る」のではなく「もっと速く進める構造をつくる」という発想でした。努力量を増やすのではなく、一つの経験から学び、人との縁、次の挑戦へと価値をつないでいく。それを「クロス複利」と名づけ、自分の人生そのものに当てはめて考えているところに、ならではの視点があります。

 文章を読んでいると、人生を高速道路の運転席から眺めているようでした。最高速度を競うのではなく、巡航速度を少しずつ上げながら、自分にしか行けない場所を目指す。仕事も失敗も家族との時間もnoteも、途中にある別々の景色ではなく、一本の道としてつながっていきます。

 読み終えたあとには、遠くに伸びていくフリーウェイの景色が残りました。「一度きりの人生」という聞き慣れた言葉から、自分はどこまで行けるだろうと問い直していく。人生をもう少し先まで走ってみたくなる一篇です。

Kさん|たまたま趣味が合うより、深さが合う人

 一番印象に残ったのは、「趣味が合う」より「深掘りする深さが合う」という考え方でした。同じ映画や旅行が好きでも、どこまで潜って楽しみたいかは人それぞれ。その違いを「相性」として捉える視点が面白いです。

 Kさんの文章は、同じ海を眺める相手ではなく、同じ水深まで潜れる相手を探しているようでした。作品の背景や細かな演出まで考え、鑑賞後も一時間語り続ける。その思考そのものを楽しんでいることが伝わってきます。

 読み終えたあと、自分の周りにいる人たちとは「何が好きか」ではなく、「どこまで一緒に潜れるか」でつながっているのかもしれないと思いました。人との相性を少し違う角度から考えてみたくなる一篇です。

KEIさん|せ〜のでしりとりだっふんだ😤

 一番印象に残ったのは、「しりとりエッセイ」を書くはずが、しりとりそのものの起源まで掘り始めてしまったところでした。江戸時代まで遡り、辞書を引き、昔の「尻取り地口」を調べ、さらには音数まで数え始める。渡されたバトンを走って運ぶのではなく、いったん分解して材質や製造年代まで調べているような語り口です。

 しかも調査して終わらず、昔から続く言葉遊びを、最後には自分の記事のコメント欄へ持ち込んでしまう。読む側だった人まで遊びの中へ巻き込もうとするところに、KEIさんならではの好奇心と遊び心を感じました。

 読み終えたあとには、子どもの遊びだと思っていた「しりとり」の後ろに、何百年も言葉で遊んできた人たちの姿が見えてきます。たった一文字をつなぐ遊びから、どこまで話を広げられるのか。調べもの好きの寄り道についていくうちに、しりとりを見る目が少し変わる一篇でした。

keimamaさん|『の』から始まる話。私のnoteが海を越えた

 一番印象に残ったのは、いつものように書いていた文章が英語に訳され、「もしかしたら海の向こうの誰かにも読んでもらえるの?」と驚くところでした。自分の部屋で書いた保育や50代の日常が、知らない誰かのところまで届くかもしれない。その距離の広がりが素直な驚きとして伝わってきます。

 「noteって、おもしろい。」という一言にも、keimamaさんの語り口がよく表れている気がしました。大げさに可能性を語るのではなく、「ん?」「やや!」と発見を楽しみながら、起きたことをそのまま誰かに話すような親しみやすさがあります。

 そして「の」で悩んだ末に選んだ言葉が「のんびり」。世界へ広がっていく話なのに、書いている本人はいつもの場所でいつものペース。その対比も心地よく、日々書いている言葉は、自分の知らないところまで旅をすることがある。そんな小さなワクワクが残る一篇でした。

月花の雫さん|「も」から思いつくエッセイの欠片たち~

 一番印象に残ったのは、「も」から一本のエッセイを書くはずが、気づけばタイトル案そのものが一本の作品になっているところでした。「もちもち肌」から始まり、食べ物、妄想、日常、創作へと次々に枝分かれしていく。その発想の連鎖を見ているうちに、「何を書くか」より「何を思いつくか」を楽しんでいる姿そのものが面白くなってきます。

 月花の雫さんの文章は、駄菓子屋で百円玉を握ったまま棚から棚へ目移りしているようです。モチから離れられなかったと思えば、モアイ像やモルドバへ飛び、最後には「もうコリゴリ」という言葉の響きまで拾ってくる。ひとつの「も」を入口に、頭の中の引き出しを次々開けていく軽やかさが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、机いっぱいにタイトルの種が転がっている景色でした。エッセイは本文を書いて初めて始まるものだと思っていたのに、タイトルを考えて遊ぶでも、もうその人らしさは十分に出るらしい。「も」一文字からどこまで寄り道できるのか、その発想の散歩を覗いてみたくなる一篇です。

ケロンパさん|🍎リンゴ

 一番印象に残ったのは、白雪姫が毒リンゴを差し出されて怯えるどころか、「ごたくはいいから、早くよこしな」と奪い取ってしまうところでした。昔から知っている白雪姫のはずなのに、この一言で頭の中にいた彼女がガラガラと崩れる。しかも「欲しいものは自分でもぎ取るの」と言い切る姿には格好よさまであります。

 ケロンパさんの白雪姫は、おとぎ話のページから抜け出して、物語の主導権を作者から奪ってしまったようです。シンデレラも人魚姫も恋のライバル扱い。「純潔な乙女」の裏では計算機を叩いていそうな逞しさがあり、それでいて乙女らしさまで捨てていない。この腹黒さと可愛らしさの混ざり具合が楽しいです。

 読み終えたあとには、子どもの頃から知っている昔話を、ずいぶん悪い大人になってから読み直したようなおかしさが残りました。毒リンゴを持った老婆が訪ねてくるところまでは、誰もが知っている白雪姫。それなのに、肝心の白雪姫がまるで違う。彼女がなぜそんなに嬉々として毒リンゴへ手を伸ばすのか、その先を覗きたくなる一篇です。

kenさん|屁が、なぜか愛しい。

 「屁が愛しい」という、タイトルだけなら完全にどうかしている話なのに、読み進めるほど見えてくるのは、息子たちが可愛くて仕方がないkenさんの父親の姿が浮かびました。頭皮も、ほっぺも、手も足も、ついには寝屁まで愛おしい。愛情の範囲が広すぎます。

 特に好きなのは、他人の屁なら「必殺技をかわす主人公」のように逃げるのに、我が子ならお尻へ顔をうずめてしまうところ。同じ匂いでも、誰から発せられたかで価値まで変わってしまう。そんな親の理屈では説明できない愛情が、「屁」というくだらなさを通して伝わってきます。

 そして最後には、匂いを嗅いでいるつもりだったkenさんが「パパ、いつもビールくさい」と息子から逆襲される。愛情たっぷりなのに、決して感動話には着地させない。その親子の距離感まで含めて、なんだか愛しい一篇でした。

好奇心のよりみちさん|書けない夜に、最初の一文字だけ届く——急上昇「エッセイしりとり」が面白い理由(他、計2本)

 好奇心のよりみちさんの2作品で面白かったのは、いつもの景色が途中から別のものに見えてくるところでした。エッセイしりとりでは、一文字の制約が「迷いを減らす手すり」になり、冷蔵庫では扉のポケットが駅前、棚の奥が秘境になる。どちらも「そんな見方があったか」と、普段なら通り過ぎるものの前で足を止めさせられます。

 文章を読んでいると、近所を散歩していたはずなのに、気づけば知らない路地まで連れていかれたような感覚があります。特に、冷蔵庫の奥に眠っていた調味料から「買った日の少し張り切っていた自分」まで出てくるのが好きでした。賞味期限切れの小瓶が、失敗した買い物ではなく「実行されなかった小さな冒険」に見えてくるのも面白いです。

 読み終えたあと、冷蔵庫を開けたときに奥をちょっと確認したくなりました。身近すぎて見なくなったものにも、掘ってみれば何かが残っている。そんな小さな寄り道をしてみたくなる2篇です。

孝輔さん|だから今『ステレオ全開』

 一番印象に残ったのは、若い頃から好きだった同じ一曲が、50歳になった今はまるで別の歌に聞こえているところでした。曲が変わったわけではない。変わったのは聴いている自分のほうで、その時間差ごとエッセイになっているのが面白いです。

 孝輔さんの文章は、昔から持っていたレコードを何十年ぶりかに裏返して、そこに知らなかった曲が入っていたことに気づくようでした。若い頃には「勢い」として受け取っていたものから、今は「疲れても続けること」を拾い直す。体力の衰えや仕事で背負うものまで隠さず並べるから、単なる懐メロ語りではなく、今の自分との対話になっています。

 読み終えたあとに残ったのは、昔より音量は小さくなっても、まだ鳴らせるものはあるという景色でした。若さを取り戻そうとする話ではなく、今の年齢だからこそ昔好きだったものをもう一度受け取り直す。そのとき「ステレオ全開」がどう聞こえるのか、自分の昔好きだった曲まで聴き返したくなる一篇です。

コウヅキ ハナエさんブラジャーって大事だよね🤔✨✨紳士必見ですわよ😉✨

 一番印象に残ったのは、「ブラジャーは誰かのためではなく、自分のため」というところでした。下着の話なのに、若く見せるとか異性受けに寄せず、まず自分が楽で、自分の体に合っていることを軸にしている。そのうえで元販売員ならではの具体的な知識が次々と出てくるので説得力があります。

 コウヅキさんの語りは、下着売り場のベテラン店員が接客しながら、途中で漫才まで始めるようでした。サイズの測り方や透けにくい色を真面目に教えたかと思えば、「愛情ゲージがダダ下がり」「ベージュにも200色あるねん」とすぐ笑いへ戻る。専門知識と勢いのあるツッコミが同じ棚に並んでいます。

 読み終えたあとに残るのは、華やかなランジェリー売り場というより、「毎日身につけるものほど、案外ちゃんと知らない」という感覚でした。普段ほとんど意識しないブラジャーひとつから、体の変化、服との相性、売り場での立ち回りまで話が広がっていく。

 タイトルを見るとかなり攻めていますが、中身は元販売員による実用知識と笑いがぎっしり。なぜ「ぶ」からブラジャーへ行ったのか、その先で何を語り始めるのか。そこから覗いてみたくなる一篇でした。

GOさん|生きてるってなんだろう(他、計2本)

 『生きてるってなんだろう』で一番印象に残ったのは、ずいぶん壮大なタイトルを掲げておきながら、「そんなに難しく考えんなって〜」と軽やかに答えてしまうところでした。人生論を難しい言葉で組み立てるのではなく、縁側で隣のおっちゃんが「まあ、ゆるゆるでエエやん」と話しかけてくるような語り口です。その軽さの中に、自分の幸せを誰かの基準に預けず、今を楽しもうというGOさんなりの人生観が見えました。

 そしてもう一本の『カラアゲ』では、その人生を楽しむ視線が一気に唐揚げへ向かいます。まるで恋文のように熱烈な言葉を重ねながら、語っているのは衣、部位、味付け。真面目に愛を囁けば囁くほど唐揚げがおいしそうに見えてくるのが可笑しいです。

 人生から唐揚げまで、題材の大きさは違っても、二本に共通しているのは「好きなものを好きと言って楽しむ」こと。初エッセイとは思えないほど、GOさん自身の楽しみ方がそのまま文章になった二篇でした。

GOGOおじさん|いつものコーヒースティックが時間のめもり

 一番印象に残ったのは、瓶の中に残った二本のコーヒースティックを見て、「え、もうこんなに経ったの?」と時間を実感するところでした。時計やカレンダーなら毎日見ているのに、数字ではなく「減ったもの」を見たときに初めて時間の重さを感じる。その感覚には覚えがあります。

 コーヒースティックは日々、ベーコンはもう少し長い時間。それを昔のロウソクへつなげて「自分だけの時間のめもり」と考えていくのがGOGOおじさんらしい視点です。大げさな日時計ではなく、冷蔵庫とジャムの空き瓶で時間を観測する、小さな生活天文台のようでした。

 読み終えたあと、身の回りにある「減っていくもの」を少し眺めたくなります。靴底や洗剤、ティッシュの箱にも、自分が過ごした時間が残っているのかもしれない。

 毎朝飲んでいるカフェオレから、いつの間にか「時間とは何で感じるものなのか」まで話が広がっていく。何でもない暮らしの中から、自分だけの時計を見つけていく一篇でした。

コーサクさん|『チ部のイベントへ行ってきました』

 一番印象に残ったのは、「た」から「を」までを順番に拾いながら、前日の出来事そのものを文章にしてしまったところでした。ラーメン屋への寄り道からジュンク堂まで、一文字ずつ足場を置いて進んでいくので、しりとりというより五十音の飛び石を渡りながら池袋へ向かっているようです。

 しかも、その遊びで終わらないのが面白いところでした。前半では人の名前まで少々強引に曲げながら「を」まで辿り着こうとしているのに、後半になると、初めて生身のnoterさんと会ったことで「なぜ書くのか」という話へ自然に移っていく。ふざけながら走っていた文章が、イベント会場に着いた途端、歩幅を緩めるような語りでした。

 読み終えたあとに残ったのは、画面の中で交わしていた言葉が、現実の人へつながった日の不思議な景色です。文字遊びに必死だったはずの一日が、いつの間にか「書き続ける理由」へつながっていく。その変化を追いかけたくなる一篇でした。

黒米たけしさん|りんご ⇒ 合否

 一番印象に残ったのは、「合否」という題材から、受験や転職ではなく、若かりし頃の男女問題へ突入していくところでした。しかもたけしさん本人は当時かなり真剣。「Hの後に愛(I)が生まれる」という謎理論を武器にしていたのに、現実から返ってきた合否通知は、電話がつながらなくなるという無言の不合格。この、自信満々な自分と現実とのズレを容赦なく笑いにする語りが強烈です。

 ただ、散々くだらない話をしたあとで、「信じたいから、信じない」「とことん疑い、いつか自分を信じたい」と、自分で考えることの大切さへ突然たどり着く。格好いいことを言ったかと思えば、直後には「モテオヤジ」の商材に心を揺らされる。決して格好いいまま終わらせてくれないところまで含めて、たけしさんらしさを感じました。

 そして冒頭では「NOTE版不幸の手紙」「最初で最後」と悪態をついていた人が、最後には次の人へ「想いを託す」。散らかし放題に見えて、ちゃんとしりとりのバトンへ戻ってくる。そのひねくれた優しさまで味わいたくなる一篇でした。

coco@ismさん|「くじ運、来てる!」と完全に勘違いした私

 一番印象に残ったのは、商店街の一万円と「ウィーーーン」で、cocoさんの中に「くじ運が来ている」という物語が完成してしまうところでした。ラッキーが二回続けば、年末ジャンボまで射程に入ってくる。その飛躍にリアルさがあります。

 cocoさんの語り口は、小さな偶然を拾って、勝手に縁起のいいストーリーへ育ててしまう福引き売り場みたいです。かなり真剣なのに、読者にはその勘違いが最初から少し見えている。その温度差が、文章の可笑しさになっていました。

 読み終えたあとに残るのは、「人って都合のいい流れを信じたくなるよな」という親しみです。大げさな失敗談ではなく、誰にでもありそうな勘違いだからこそ笑える。

「く」から始まった一本が、くじ引きと根拠のない自信をどう転がしていくのか。軽く読めて、つい自分のなぜか当たる気がした瞬間まで思い出したくなる一篇でした。

小杉かほりさん|井戸が見つかった

 一番印象に残ったのは、長いあいだ「もう捨てられた」と思っていた井戸が、ふとした偶然で見つかるところでした。井戸そのものは小さなおもちゃなのに、その奥には二十年前の母との海外旅行までつながっている。ただの紛失物ではなく、思い出の一部が戻ってきたように読めました。

 小杉かほりさんの文章は、押し入れの奥から昔の箱をひとつずつ開けていくようです。「井戸が見つかった」という少し不思議な入口から始まり、人間用ではないとわかり、さらにパリのアンティークマーケット、母との旅行へと話がほどけていく。大げさに感動へ寄せず、怒りも悲しみも喜びもそのまま置いていく語りに、生活の時間がにじんでいます。

 読み終えたあとに残ったのは、見つかった小さな井戸と、その向こうにある昔の旅の景色でした。長く失ったと思っていたものが戻ってきたとき、人は物以上の何かまで受け取るのかもしれません。「い」から始まる一本が、なぜ井戸へ辿り着いたのか。その思い入れごと読んでみたくなる一篇です。

KOTAKAOさん|リンダ リンダ と叫ぶ夏。

 一番印象に残ったのは、「リンダ リンダ」を魂の叫びとして熱唱していた人の手に、いつの間にかエッセイしりとりのバトンまで握られていたところでした。夏休みのカラオケという日常に、突然リレー競技が乱入してくる。その切り替わりが鮮やかです。

 ブルーハーツへの思いは「祈り」「魂の叫び」とかなり熱いのに、バトンに気づいた途端、「寝耳に水。豚に真珠。猫に小判」と慌て始める。この熱量の振れ幅と、「ヒロトごめん!!」であっさり現実へ戻ってくる語りが楽しいです。

 読み終えたあとには、マイク片手に子どもたちと叫んでいた夏のカラオケルームと、もう片方の手に突然現れたバトンの景色が残りました。歌っていた「リンダ リンダ」が、そのまま「次の人を探さなきゃ」という別の叫びへ変わっていく。短いながら、勢いよく駆け抜ける一篇でした。

こっこ母と3人のちび怪獣さん|人間を3人、育てている。

 一番印象に残ったのは、「子どもを3人育てている」ではなく「人間を3人育てている」と言い換えた瞬間でした。毎日の叱る、笑う、傷つく、謝る。その全部が、目の前の幼い子どもではなく、いつか自分の手を離れて生きていく一人の人間へ向けたものなのだと見えてきます。

 こっこ母さんの文章は、育児の一場面を少し高い場所から見渡す展望台のようです。牛乳を拭く朝や、靴下を探す日常から始まり、その先にある子どもたちの未来まで視線が伸びていく。それでも足元の生活感は消えないところが印象的でした。

 読み終えたあとには、まだ小さな3人の背中と、そのずっと先にある大人になった姿が重なって残ります。子育ての忙しさを描きながら、「今、一緒に生きている時間」を見つめ直したくなる一篇でした。

後藤あゆみさん|イマココって、どこ?

 一番印象に残ったのは、高く上がった白球を、選手も審判もベンチも応援席も一斉に見つめている場面でした。何百人もの意識が、たったひとつのボールへ集まる。その数秒だけ球場全体の時間に同じピントが合うようで、「イマココ」という曖昧な言葉が初めて景色として見えた気がします。

 後藤さんの語りは、答えを教えるというより、手のひらに疑問を乗せて一緒に眺めるようです。「今を感じよう」と言われても分からない、その違和感をごまかさず、高校野球の記憶と自分の日常を行き来しながら考えていく。その迷いそのものが文章を動かしています。

 読み終えて残るのは、青空へ上がった白球と、それを見上げる無数の顔。そして、自分にもそんなふうに何も考えず一つのものだけを見ていた瞬間があっただろうか、という問いです。「イマココって、どこ?」。よく聞く言葉を、分かったことにせず立ち止まって考え直したくなる一篇でした。

小読かえでさん|たぷんたぷん

 一番印象に残ったのは、「たぷんたぷん」という一語から、本当に一本書き切ってしまったことでした。題材を見ればどうしようもないのに、「これはエッセイです、たぶん」と自分で首をかしげながら、その迷いごと笑いに変えています。

 小読かえでさんの語り口は、どうでもいいことを会議室に持ち込んで、全員で真剣に検討し始めるような面白さがあります。おっぱいが揺れていた。それだけの出来事なのに、成長ホルモンや未来まで持ち出して、どんどん話を大きくしていく。その大げささと真顔の語り口が可笑しいです。

 読み終えたあとに残るのは、爽やかな坂道よりも、耳に残る「たぷんたぷん」という響きでした。「た」から何を書くのか。その答えとして、ここまで潔くくだらない方向へ振り切った一篇です。

瑞葉 水琴さん|√ルートの外で、生きてみた―人生は、答えを当てる問題じゃなくて、自分の式を描く「命題」なのかもしれない。―

一番印象に残ったのは、「route」と「√」という二つのルートを、人生の進み方と自分の根を確かめることに重ねたところでした。中でも「割り切れないことと、価値がなかったことは、同じではない」という一節が強く残ります。√2のように、きれいな答えが出ない時間まで人生の式の中に置いてみる。その発想が面白かったです。

 瑞葉 水琴さんの文章は、数学のノートの余白に書いた小さな疑問が、気づけば人生論まで広がっているようです。「る」からルートを見つけ、routeから道へ、√から根へ、さらに命題へ。ひとつの言葉を手がかりに何度も掘り下げながら、自分自身へ問いを返していく語りに、瑞葉さんならではの思考の動きが見えました。

 読み終えたあとに残るのは、地図から少し外れた場所で、自分の足元にある根を確かめているような景色でした。決められた道を外れたら、それは迷子なのか。それとも初めて自分の道を選び始めたのか。「る」の一文字から、どこまで人生の話が広がっていくのかを追ってみたくなる一篇です。

こなつさん|猫は、何もしていないのに

 一番印象に残ったのは、「猫は、ただそこに居るだけで人間に実況させる生き物」という視点でした。確かに、座っているだけなのに「座ってんの?」、寝ているだけなのに「寝てんの?」。言われてみると、猫相手だけ成立している会話です。

 こなつさんの文章は、家の中に転がっている何でもない会話を拾って、「これ、よく考えたらちょっとおかしくない?」と手のひらで転がして遊ぶようです。しかも笑いながら観察しているうちに、その言葉の奥にある愛情まで見えてくる。

 読み終えたあとに残るのは、暖かい部屋のどこかで猫が丸まり、その周りを人間たちが話しかけながら暮らしている景色でした。「野生では生きていけへんな」なんて言いつつ、そもそも野生へ出す気なんて誰にもない。その矛盾ごと、猫を飼う家の幸せなのだと思います。猫と暮らしている人なら、「それ言う!」がいくつも見つかりそうな一篇です。

コノサユキさん|立ちのぼる湯気を眺めて

 一番印象に残ったのは、七年間も繰り返し見られているのが、記念日でも旅行でもなく、部屋着で冷凍ご飯の湯気を眺めている数秒の動画だということでした。残そうと思って作った思い出より、誰にも見せるつもりのなかった無防備な時間のほうが、あとから大切なものになることがあるのだと思います。

 コノサキユキさんの文章は、換気扇が立ちのぼる湯気を吸い込むように、消えてしまいそうな日常の一瞬をすっと拾い上げていくようです。弟のお下がりのTシャツや、ちょんまげにした前髪まで丁寧に置かれることで、七年前の台所の空気まで見えてくる。その細部の積み重ねが、ただの笑い話を二人の時間へ変えていました。

 読み終えたあとに残るのは、温めたご飯から立つ白い湯気と、それを眺めながら笑っている夫婦の景色です。大げさな愛情表現はないのに、どうでもいい姿を七年も面白がってくれることが、なんだかとても愛おしい。

 誰にも公開されていない、夫のフォルダにしか存在しない数秒のホームビデオ。そんな「社外秘」の映像が、文章になるとどんな景色を見せてくれるのか。そっと覗いてみたくなる一篇でした。

covaさん|クラフト好きな友人。……って「ん」で終わったらアカンやん!あ!「ん」ついてしもた・・・🫢

 一番印象に残ったのは、「棚が作りたいから植物を増やす」のか「植物を増やしたいから棚を作る」のか、もう本人にも周囲にも分からなくなっているところでした。興味なさそうに植物愛を聞いていた友人が、わずか二日後にはアデニウムを買っている。その転落の速さも見事です。

 covaさんの語りは、友人を塊根沼へ突き落としておきながら、自分は岸辺から楽しそうに観察しているよう。でも実際には、増えていく植物や自作の棚、端材から生まれる作品をLINEで見せてもらうたび、一緒になって喜んでいる。趣味が人から人へ伝染し、今度は植物とDIYまで混ざり合って広がっていく様子が楽しいです。

 読み終えて残るのは、植物棚に少しずつ鉢が増えていくような、二人の趣味のやり取りでした。植物をひとつ勧めただけのはずなのに、その先で何が増えていったのか。趣味の「沼」ができていく瞬間を覗いてみたくなる一篇です。

コハクシスさん|ねばつく話(他、計5本)

 コハクシスさんの作品を重ねて読んで、一番印象に残ったのは、何でもない出来事を「そこまで見るか」というところまで追いかける執念でした。水を飲めば胃袋の中に亡者の世界をつくり、唐揚げ弁当では輪ゴムを十字架に変え、ニンニクから吸血鬼まで呼び出す。その一方で、かくれんぼでは暗い風呂釜から幼い日の神社へ潜り、娘の抱擁によって失くしたものの欠片まで拾い上げてくる。比喩が飾りではなく、出来事の奥へ潜るための道具になっているのが面白かったです。

 文章を読んでいると、日常の小さな穴に腕を突っ込み、「もう何もないやろ」と思ったところから、さらに何かを引きずり出すねちっこさを見ているようでした。「わけ」を延々と重ねるエッセイも、サッポロ一番を作る手順も、普通なら削ってしまいそうなところをむしろ粘って書く。そのねちっこさが、笑いにも、気まずさにも、ときには切なさにも変わっていきます。

 読み終えたあとに残ったのは、題材の大小よりも「どこまで見続けるか」でエッセイは変わるのだという感覚でした。水一杯でも、唐揚げでも、かくれんぼでも、見つめ続ければ別の扉が開く。次は何をそこまで掘るのか、その面倒くささごと楽しみにしたくなる5篇でした。

こばちさん|ルーベンスが好きだと思ってた

 一番印象に残ったのは、ルーベンスの話として書き始めたこばちさんが、途中で「……違った。私が好きなのは、レンブラントだった」と気づくところでした。昔好きだったものについて書こうとしたら、自分の記憶の曖昧さまで発掘してしまう。その間違いを消して書き直さず、作品の入口にしてしまうのが面白いです。

 そこから『織物検査役人』を眺めているうちに、今度は高校時代に考えた六人組の設定まで次々と蘇ってくる。記憶の引き出しを開けたら、奥から黒歴史まで雪崩れてきたような語りです。「※読まなくていいです」と言われるほど、むしろ読みたくなるのもずるい。

 読み終えて残ったのは、昔好きだったものを久しぶりに取り出して眺める楽しさでした。記憶は間違っていても、当時その絵に心を動かされたことまで消えるわけではない。ひとつの勘違いから、忘れていた好きなものや昔の自分まで掘り起こされていく。その記憶の発掘作業を一緒に覗いているような一篇でした。

小林光さん|ららら🎵ラッキー✨

 一番印象に残ったのは、最初は「めんどピー」と心の声を漏らしていたのに、書き進めるうちに気持ちがどんどん変わっていくところでした。しりとりの話からnote仲間への感謝、日本に生まれたこと、方丈記、無常、宇宙へと話が広がり、最後には受け取ったバトンまで宇宙へ投げてしまう。その振れ幅そのものが、この作品の楽しさになっています。

 小林光さんの文章は、縁日のステージで思いついた人から順番に飛び入り参加していく即興ライブのようです。ダジャレが入り、AIが呼ばれ、急に歌が始まり、しんみりしたかと思えばまた「ラッキー✨」へ戻ってくる。話があちこちへ飛んでいるのに、本人が全部楽しんでいるので、読んでいる側までその勢いに巻き込まれていきます。

 読み終えたあとに残ったのは、夜空へ放り投げられた一本のバトンと、その周りをまだ「ららら🎵」が漂っているような景色でした。しりとり一本から、ここまで自由に話を膨らませられるのか。どこへ着地するのか分からないまま、その寄り道ごと楽しみたくなる一篇です。

こはる観測所さん|円死縁徒渡裸魂【エンシェントドラゴン】 Project by. 魔威奇異

 一番印象に残ったのは、「新品の鏝は、まだ未完成」という感覚でした。買った瞬間が完成ではなく、使い手の癖や時間を受けながら少しずつ角が取れ、ようやく道具として育っていく。その見方に、左官職人だからこそ見える時間の流れがありました。

 こはるさんの語りは、古い鏝を手入れしながら、その傷ひとつひとつの由来を話してくれる職人の昔話のようです。Photoshop CS4も、鏝も、30万kmを超えたハイエースも、古いから愛でるのではなく、「使われ続けた結果として残ったもの」として語る。その視点がタイトルの大仰さと不思議なくらいよく噛み合っています。

 読み終えたあとに残るのは、傷や摩耗まで含めて道具の履歴になる景色でした。誰かの手を渡り、少しずつ形を変え、それでも働き続ける一本の鏝。その時間の重なりを知ると、身の回りの古い道具まで少し違って見えてきます。

 いかつい当て字の「エンシェントドラゴン」が、どうして鏝や古いソフトの話につながるのか。その正体を確かめたくなる一篇でした。

こはる🌷ふわり、ももんが日記さん|🚗 「い」ったい彼は、何を研究しているのか

 一番印象に残ったのは、毎日のように車をいじる近所の男性を見て、「車好きなんだね」で終わらず、家族総出で時空を超える研究者にしてしまったところでした。夜中に車がないことで、「今日は過去か未来へ行ったのでは」と話が膨らんでいく。その発想の飛び方が楽しいです。

 こはるさんの文章は、マンションの駐車場に小さなSF映画のセットを組み立ててしまうようです。車を整備する姿ひとつから「博士」という役名をつけ、さらに「実は現代の人ではないのでは」と設定まで追加していく。現実を無視するのではなく、ちゃんと現実を見ながら、その隙間へ家族の妄想を差し込んで遊んでいるところに、日常を面白がる視点を感じました。

 読み終えたあとに残ったのは、同じマンションの駐車場なのに、夜になると少し秘密基地に見えてしまいそうな景色です。近所の人を勝手に「博士」と呼び始めた家族が、いったいどこまで設定を膨らませたのか。何でもない日常がSFへ変わっていく過程を覗きたくなる一篇でした。

こまちさん|見た目は大人。中身はまだまだ。

 一番印象に残ったのは、「だって、大人だもん」という言葉が、場面によって少しずつ意味を変えていくところでした。姪っ子に合わせて桃のケーキを諦めるときには我慢するための言葉だったのに、読み進めるうちに、その「大人」がだんだん別の顔を見せ始めます。

 こまちさんの語りは、きちんと大人の席に座っているのに、テーブルの下では子どもの自分がずっと足をばたつかせているようです。譲ってあげたい気持ちも本物。でも桃のケーキを食べたい気持ちも本物。その両方を隠さず並べるから、可愛らしい可笑しさがあります。

 読み終えたあとに残るのは、ケーキを前にした家族の賑やかな食卓と、「大人になるって、案外こんなものかもしれない」という親しみでした。大人らしく振る舞おうとする人の中から、ふと子どもの顔が覗く。その瞬間を覗いてみたくなる一篇です。

ごまつぶさん|ただ、尻を顔にしたかっただけなのに

 一番印象に残ったのは、「尻は鏡を見ない」という一文でした。シミやシワを気にすることも、自分の写真を見て落ち込むこともない。四十年間パンツの中で守られてきた尻を「箱入り娘」と呼び、過酷な環境で働き続けてきた顔と比べる発想だけで、もう面白いです。

 ごまつぶさんの語りは、自分の体を二人の娘に見立てて、待遇格差に文句をつける母親のよう。「甘ったれるんじゃないよ」と尻を叱り、疲れ果てた顔にはシルクのパンツで休暇を与えようとする。くだらない妄想を大真面目に膨らませながら、その途中に人生の記憶まで紛れ込んできます。

 読み終えて残るのは、鏡の前で欠点ばかり探していた自分の顔を、少し労ってやりたくなるような気持ちでした。泣いたり、笑ったり、怒ったりしてきたからこそ、今の顔になっている。尻を顔にしたいという珍妙な思いつきから、そんなところまで連れていかれるとは思いませんでした。

 なぜ「交代はなし」になったのか。尻と顔を入れ替えるだけだったはずの話がどこへ着地するのか、ぜひパンツの中から見届けてほしい一篇です。

コムギさん|カスター将軍の物語

 一番印象に残ったのは、まだ書いてもいないカスター将軍の物語なのに、オープニングは映画のようにはっきり見えているところでした。戦場に沈む夕日から、数年前の同じ色の夕日へ。その景色を語り始めた途端、文章の温度まで変わり、コムギさんの頭の中で長年上映されている映画を少し覗かせてもらったような気分になります。

 面白いのは、歴史上のカスターを単純に英雄か悪人かで決めようとしないところ。「悪魔の冷酷さと天使の優しさ」を同じ人間の中に見ようとし、その先には「正義って何ぞや」という問いまである。好きな俳優が演じていたから惹かれた、という個人的な入口から、いつの間にか大きなテーマへ歩いていくのがコムギさんらしいです。

 読み終えたあとに残ったのは、燃えるようなオレンジ色の夕空と、「いつか書きたいもの」をずっと胸の中に持っている人の姿でした。カスターの物語を書いたら、その次は大型バイクでアメリカ大陸へ。まだ書かれていない一作の向こう側にまで人生の続きが見えてくる。

 果たして、コムギさんの中で何年も生き続けているカスターは、いつ物語になるのか。完成作ではなく「いつか書く物語」について語るからこそ、その続きを少し待ってみたくなる一篇でした。

紬さん|ルート変更は何度でも良いのだから

 一番印象に残ったのは、「二人で一人前でいい」という言葉でした。若い頃なら足りない部分を隠したり、少し背伸びしたりしたかもしれない。でも今は、お互いの不完全さを補い合えることそのものを幸せとして見ている。その友人の結婚を、自分自身の人生観へ重ねながら受け取っていく視点が温かいです。

 紬さんの語りは、助手席から友人の新しい旅立ちを見送っているようでした。自分がハンドルを握るのではなく、これまでの道のりを知っているからこそ、「この二人なら大丈夫」と静かに送り出す。タイトルの「ルート変更」も、人生の遠回りや予定外を失敗ではなく、目的地へ向かう別の道として見せてくれます。

 読み終えて残るのは、突然の報告に驚きながらも、ランチからカフェへ場所を移して長く語り合う二人の景色です。人生には、予定表へずっと前から書き込まれている幸せだけではなく、ほんの数日前に突然入ってくる幸せもある。

 大切な人から突然「結婚する」と告げられた一日。その報告をきっかけに、完璧であることや人生の遠回りについて考えていく。誰かの結婚祝いでありながら、読む側まで自分が歩いてきた道を少し振り返りたくなる一篇でした。

木漏れ日亭さん|もうきめてんじゃん、だって だって

 一番印象に残ったのは、「もちませ〜ん💦」と文字数を気にしながら、醤油、仕事、友人、モンブランと寄り道を重ねた末に、自作の歌へ飛び込んでいくところでした。ふざけ倒していた文章の真ん中から、「きまってない」「だっていきてんじゃん」という思いが顔を出す。その温度差が残ります。

 木漏れ日亭さんの文章は、目的地を決めずに出発したローカル線のようです。停まる予定のなかった駅に次々降り、本人まで「まあいい」と言いながら進んでいくのに、なぜか最後には一本の線になっている。脱線そのものを楽しみながら、その奥にある照れや人への情までちらっと見せる語りが面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、散々笑わされたあとで「生きてるなら、まだ決まってなくてもいいじゃん」と肩を叩かれたような感覚でした。そして、あれほど必死だった文字数のくだりまで含めて、最後にもう一度見返したくなる。どこへ着くのか分からないまま乗ってみたくなる一篇です。

コヤギさん|クルマの助手席にありがたく座っている

 一番印象に残ったのは、道路を渡るお年寄りを見て「もっと明るい色の服を着たらいいのに」と思ったところから、視線がいつの間にか自分へ戻ってくるところでした。人のことを眺めていたはずなのに、気づけば自分の暮らしや服装まで考えている。その自然な思考の動きが面白いです。

 コヤギさんの文章は、助手席の窓に引っかかった小さな違和感から、一本ずつ糸をたぐるように日常を掘っていく感じがあります。クルマへの愛着、お年寄りの服、年齢と装い。話題は少しずつ移るのに、どれも「今の自分はどうなんだろう」という場所へ戻ってくる。

 読み終えたあとには、車窓から見た夏の道路と、そこに紛れるような色の服が妙に残りました。何気なく見過ごしそうな風景から、自分のこれからまで考え始める。静かな日常の中で思考が動いていく一篇です。

こよりさん|「び」って何さ……。病院も美術館もビックリマンもダメと知って、びっくりした私が書くエッセイ

 一番印象に残ったのは、大人になってドッジボールをしたら「普通に楽しい」と気づくところでした。嫌いだったのは運動そのものではなく、「お前と同じチームになりたくない」と言われる場所だったのかもしれない。子どもの頃につけた「苦手」の札を、大人になってそっと裏返してみるような視点が印象的です。

 その視線は、noteで作った「やらないことリスト」にも向かいます。共同マガジンも、スキやフォローも、エッセイも、遠くから見ていたときと実際に触れたあとでは違っていた。自分で引いた境界線を、自分でひとつずつ確かめ直していく語りに、こよりさんらしい慎重さと好奇心を感じました。

 読み終えたあとに残るのは、「嫌い」「苦手」「やらない」と決めたものの中にも、まだ知らない自分がいるのかもしれないという感覚です。

 「び」で始まるタイトルに困っていた人が、普段は書かないエッセイを書きながら自分自身の思い込みまで見つけていく。その小さな発見を一緒に辿りたくなる一篇でした。

ごろーまるさん|上には上がいる。でも、楽しんで続ける人には勝てない|副業を長く続ける考え方

 一番印象に残ったのは、「自分より凄い人がいる」ことと「自分に価値がない」ことは別だ、という捉え方でした。100の知識を持つ人から見れば50でも、その50を必要としている人はいる。この距離感の見方がとても分かりやすいです。

 ごろーまるさんの文章は、山頂を目指して競争するというより、自分が今いる標高を確認して、少し下を歩く人へ道を示すような語り方だと感じました。無理に専門家を演じず、実体験の中から「自分なら何を渡せるか」を考えている。その等身大の視点が、この文章の強さになっています。

 読み終えたあとに残るのは、誰かに勝たなくても続けていい、という少し肩の力が抜ける感覚でした。副業や発信で周囲の凄さに圧倒されたことがある人ほど、「上には上がいる」の先にどんな考え方があるのか、読んでみたくなる一篇です。

コロッバーKAWAIさん|うちの手がかかるニワトリ(他、計13本)

 一番印象に残ったのは、「次は何を書こう」が、いつの間にか「次は誰と、どんな話が生まれるんだろう」に変わっていたところでした。13本も走った理由が、書きたいネタの多さではなく、人とのやり取りそのものが次の記事を生んでいたからだと分かります。

 終わると言っては戻り、一日4本走り、「。」や「〜」まで拾い、途中でニワトリはグレてギャルになり、ついには5人に増える。その姿は、ゴールしたはずなのに沿道の声援を聞くたびコースへ戻ってくるマラソンランナーのよう。予定外を見つけるたび、それさえ遊びに変えてしまうのがコロッバーKAWAIさんらしさでした。

 読み終えて残るのは、ずいぶん遠くまで走ったあとの、にぎやかな祭りの撤収風景です。記事だけでなく、バトンやコメントから生まれた人とのつながりまで並べて、ようやく最後に「ん」を置く。

 なぜ一人の参加者が13本も書くことになったのか。その軌跡を辿るだけでも、このエッセイしりとりで起きていた予定外の面白さが見えてくる一篇です。

転んでもタダでは起きぬ工場長|リンボーダンスに魅せられて、夏(他、計10本)

 一番印象に残ったのは、「ん」で終わればしりとりは終わるはずなのに、そこから工場長だけの旅が始まってしまったことでした。ンゴロンゴロ、ンジャメナ、ンゲンド、ンデレ……。「ん」を見つけるたびに世界が広がり、気づけば一つの連載になっている。その暴走ぶりも含めて、この企画でしか生まれなかった作品群だと思います。

 工場長の文章は、しりとりのコースから一人だけ飛び出し、そのままアフリカまで走っていった暴走列車のようでした。本人も途中で「もう辞めたい」「飽きてきた」と言っているのに止まらない。くだらないことほど大真面目に膨らませ、設定まで増殖させていくところが工場長らしいです。

 読み終えて残るのは、夏祭りで一人、最後まで櫓から降りなかった人を見送ったような疲労感と可笑しさ。そして「ん」一文字から、いったいどこまで行けるのかという感心でした。

 リンボーダンスから始まり、アフリカまで辿り着いた工場長。この人が「エッセイしりとり」というおもちゃを渡されるとどうなるのか。その顛末だけでも覗いてほしい作品群です。

コンパス みきさん|ミンミンゼミは🌲本当にミンミンだった?(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、どちらもたったひとつの「音」から、思いがけないところまで話が広がっていくことでした。「ミンミン」という鳴き声から季節の声や、人と虫が会話していたかもしれない世界へ。「結構毛だらけ、猫灰だらけ」からは、語呂合わせや記憶、昔の言葉遊びへ。気になったことをそのまま通り過ぎず、「これって何だろう」と立ち止まるところに、みきさんらしさがあります。

 みきさんの文章は、道端で拾った小さな言葉を手のひらに乗せ、「これ、どこから来たんだろう」と眺めているうちに、その奥から昔の暮らしや文化まで出てくる宝探しのようです。答えを知って終わらず、そこからさらに空想や記憶へ歩いていくので、普段なら聞き流す音や言葉が気になってきます。

 読み終えたあとに残るのは、夏の木立から聞こえる蝉の声と、何十年も記憶の隅に残っていた言葉が、ふいに顔を出す景色でした。「み」や「け」という一文字から、ここまで遠くへ行けるのか。しりとりのバトンをきっかけに、言葉そのものを楽しんでいる様子まで伝わってくる二篇です。

s.a.k.a.iさん|うまくいかない男(他、計8本)

 一番印象に残ったのは、どんなお題を渡されても、自分の記憶や好きなものへ強引につないで一本にしてしまうところでした。失恋の記憶からドラクエ、チャーハン、姪っ子との思い出、ゲーム配信者まで。気づけばバトンも「受け取る」から「奪い取る」へ変わっています。

 s.a.k.a.iさんの文章は、頭の中にある引き出しを開けるというより、押し入れを勢いよく開けて「これもあった!」と次々に放り出してくるような楽しさがあります。ときには「~」から鼻毛を連想し、その行方まで捜索してしまう。くだらないことほど全力で追いかける語りに、何度も笑わされました。

 一方で、昔の恋や大切な人との記憶を語る作品では、その賑やかさがふっと静かになります。笑える話も、忘れられない出来事も、好きなゲームや音楽も、全部同じように大事な「自分の話」なのだと感じました。

 何が飛び出すか分からないまま、気づけば8本。次はどこへ連れていかれるのだろうと、しりとり以上にその脱線を楽しみたくなる作品群でした。

サク引き寄せの法則さん|タイパの神髄🐷コンビニ飯で浮かせた15分より、自炊でちくわを焼く30分の方が人生を豊かになる理由!

 一番印象に残ったのは、「浮かせた15分で、君は何を得たのか」という問いでした。時間を短くすることばかりがタイパではなく、その時間をどれだけ濃く味わえたか。コンビニ飯と焼きちくわという身近な比較だからこそ、立ち止まって考えさせられます。

 サクさんの語りは、リーゼント姿の人生相談員が、フライパンを教壇にして熱弁しているようです。人生論を語っていたはずなのに、じゅうじゅう焼けるちくわの音や焦げた醤油の匂いが漂ってくる。その大真面目さと題材の庶民っぽさの落差が楽しい。

 読み終えたあとに残るのは、夜の台所でちくわが焼けるのをぼんやり待つ景色でした。「無駄」を削ることばかり考えていると、実はそこにあった豊かさまで削っているのかもしれません。

 たかが、ちくわを焼く30分。それを「人生の投資」とまで言い切る50代のおっさんは、いったいタイパをどう捉え直すのか。忙しい人ほど覗いてみてほしい一篇です。

笹井ちまきさん|もうどうにもとまらない

 一番印象に残ったのは、子どもの頃の「待つ時間」の描写でした。保育園の夕暮れ、坂道を登った先の誰もいない家、暗くなった和室。特に、母の揺れるくせ毛やカーテンレールの音まで残っている記憶の細かさから、当時の寂しさが今も身体のどこかに残っていることが伝わってきます。そして、その記憶が大人になった今、「息子と離れたくない」という気持ちへ静かにつながっていくところが印象的でした。

 笹井さんの語りは、古い引き出しから痛い記憶を丁寧に取り出していたと思ったら、突然その引き出しごと縄文時代へ運んでしまうようです。専業主婦への憧れや働くことへの迷いをかなり切実に語りながら、「打製石器だって家で作れる。在宅勤務だ」と一気に笑いへ振る。その振れ幅があるから、重たい話にも息苦しさがありません。

 読み終えたあとには、夕暮れの保育園や長い坂道と、眠る息子のそばにいる現在の姿が重なって残りました。「将来何になりたい?」と聞かれるのが嫌だった少女が、母親になって初めて自分の生き方を本気で考え始める。子育ての話でありながら、「自分はどう生きたかったのだろう」という問いまでじわじわ広がっていく一篇です。

ささかまさん|痛がるゾンビ

 一番印象に残ったのは、ぎっくり背中という笑えないほどの痛みを、最初から最後まで「ゾンビ」で押し切っているところでした。布団から起き上がるだけで五工程。「腹を括る」「気合いで枕から顔を離す」と、まるで攻略法のように紹介されるほどささかまさんは必死なのに、その姿を想像するとどうしても笑ってしまいます。

 歩いても痛い、座っても痛い、寝ても痛い。そんな状態を「痛がるゾンビ」にしてしまうのが、ささかまさんの面白さなのでしょう。途中では「背中に何か憑いている」という話まで加わり、比喩だったはずのゾンビがだんだん洒落にならなくなっていく展開も楽しいです。

 それでも最後に残るのは、「普通の生活がしてぇよ〜」と叫んでいた人が、人間へ戻って知った日常のありがたさ。何事もなく起き上がり、歩き、座れるだけで十分だったのだと、笑いながら実感させられる一篇でした。

ささぽんさん|仕事をつくるということ

 一番印象に残ったのは、「仕事をする」と「仕事をつくる」の間にある違いを、19年間の経験を振り返りながら一つずつ確かめていくところでした。新人の頃は自分の知識や技術を磨くことだった「仕事」が、患者さん、家族、スタッフ、制度、地域へと少しずつ広がっていく。その変化を追うことで、なぜ今、会社をつくろうとしているのかが自然に見えてきます。

 ささぽんさんの文章は、長く働いてきた道を振り返りながら、これから建てる家の設計図を描いているようでした。「もっとこうだったらいいのに」と感じてきたことを、給与、休み、成長、人間関係、やりがいと一つずつ拾い、それを今度は自分が仕組みにしようとしている。理想だけでなく、利益や責任まで同じテーブルに載せて考えているところにも、実際に現場を歩いてきた人ならではの重みを感じます。

 読み終えたあとに残ったのは、新しい場所へ飛び出す人というより、19年間歩いてきた道の続きを自分でつくり始める人の姿でした。「し」から始まる言葉を探していたのに、なぜ「仕事」が最後まで残ったのか。しりとりの一文字から、今まさに人生の節目に立つ自分を見つめ直していく一篇です。

ささやかさん|とめどなく飛んでくる【バトン】お題は前の方のタイトルの最後の文字なので【と】から始まってるよね?

 一番印象に残ったのは、本文のほとんどを「と」から始めようとしているところでした。タイトルだけでなく文章の入口までしりとりに巻き込み、「とても」「とにかく」「ところが」「とりあえず」と、少々強引でも押し切っていく。その遊び方が楽しいです。

 ささやかさんの文章は、飛んできたバトンをいったん受け止めたあと、その場で「さて、これどこへ投げよう」と周囲を見回している人の実況中継のよう。知り合い同士でぐるぐるしてしまう悩みや、渡そうと思った相手がすでに参加していた驚きまで、そのまま文章の面白さに変わっています。

 読み終えて残るのは、企画が予想以上の速さで人から人へ回っていた景色でした。エッセイの内容以上に、「あっちでも、こっちでもバトンが飛んでいる」という当時の賑わいが見える。しりとり企画そのものを少し離れた場所から眺めたような一篇です。

サティさん|でもでもだってさ。優柔不断な私の休日(他、計2本)

 2作品を通して印象に残ったのは、思い通りにならなかった時間や、何の役にも立たない記憶を、最後には「それも悪くない」と拾い直すサティさんの視点でした。

 神戸では、重たいパソコンをわざわざ運び、苦労してロッカーへ預け、結局いつものケンタッキーで小説を読んで一文字も書かない。一方、もう一篇では、覚えた経緯すら思い出せないしりとり歌や、二度とかけることのない親友の電話番号だけが、不思議なくらい鮮明に残っている。どちらも一見すれば「無駄」なのに、その無駄から自分の時間を見つけていくところが印象的でした。

 「でもでもだって」と迷い続けたり、突然出てきた記憶に「なんやこれ」と戸惑ったり。自分の格好悪さや不器用さまで隠さず喋るように書くから、笑って読んでいたはずが、ふと大切なところへ連れていかれます。

 予定どおりに過ごせなかった休日も、脳の片隅に居座る役に立たない記憶も、振り返れば確かに自分が生きてきた時間。その「無駄も案外捨てたもんじゃない」という余韻が、2作品を読み終えたあとに残りました。

佐藤さん|手かざし療法って何なのさ(他、計2本)

 『手かざし療法って何なのさ』で印象に残ったのは、訪問してきた女性に対して「私、今幸せなんです」と完璧な受け答えを組み立てていく姿。『恋する男、児島で困惑する』では、彼女の「久しぶりに」という一言から、見えもしない元彼の影を勝手に競艇場まで連れていきます。

 佐藤さんの文章は、昔の自分を防犯カメラの映像でも見るように振り返るのが面白い。当時の本人はいたって真剣なのに、今の佐藤さんは「我ながら完璧」「めんどくさい男である」と、その姿へ淡々とツッコミを入れる。その距離があるから、若い頃の自意識や夫婦のやり取りまで笑える思い出になっています。

 読み終えて残るのは、誰かと一緒にいた頃の何でもない景色です。アパートの玄関だったり、真夏の古い競艇場だったり。大事件ではないのに、何十年経っても覚えている一日がある。

 幸せいっぱいの新婚時代と、恋人の過去にひとりでモヤモヤしていた時代。現在の佐藤さんが昔の自分へどんなツッコミを入れるのか、その思い出話をもう少し聞きたくなる2作品でした。

さとこさん|ルームシューズにご注意を。

 一番印象に残ったのは、「介護用の靴だから大丈夫」ではなく、その人の今の身体に合っているかを見る必要がある、という視点でした。新品の色違いが届いた場面は笑えるのに、そのあと、靴の話が少しずつ「できていたことが失われていく時間」の話へ変わっていきます。

 さとこさんの文章は、一本の糸をたぐるように、目の前の小さな違和感から、その人の暮らしや気持ちまで辿っていくようです。靴が滑る、立つのが難しい、でも本人はまだトイレへ行きたい。現場の具体を追っていくうちに、いつの間にか「何を支えようとしていたのか」まで見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、身体が少しずつ変わっていく切なさと、その変化に追いつこうとする介助者の姿でした。ルームシューズという身近なものから、「その人に合う」とは何なのかを考えさせられる一篇です。

satoshiさん|しりとりで文章を書く快感(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、『しりとりで文章を書く快感』で「ちょっと参加したくなってる」と書いていた人が、次の作品では本当にバトンを受け取っていたことでした。外から眺めていた祭りに、気づけば自分も法被を着て混ざっている。その二本のつながりまで含めて、しりとりの面白さを体現しているようです。

 satoshiさんの文章は、身近な出来事を一度テーブルに置き、「これってどういうことだろう」と角度を変えながら眺めていくような語り口が印象的でした。しりとりの「つながってるけど関係ない」心地よさを深夜のザッピングにたとえたり、たった三文字の「lol」から言葉と文脈の関係へ考えを広げたり。日常の小さな引っかかりが、いつの間にか少し大きな話へ育っていきます。

 読み終えて残ったのは、言葉から言葉へ偶然つながっていく楽しさでした。しりとりの一文字も、何気なく送った三文字も、その先で何が始まるかは分からない。

 そんな「言葉を投げた先で何かが起こる」面白さを、外側と内側の両方から味わえる二篇でした。

satoyuさん|はじめての英語での挫折は、インド人にカレーのことしか尋ねられない事実だった。

 一番印象に残ったのは、周囲から「英語できるのすごい!」と褒められているのに、satoyuさんが敗北感でいっぱいだったところです。英語ができなければ感じなかった、「もっと話せるはずなのに、カレーのことしか聞けない」という悔しさ。できるようになったからこそ見えてしまった壁がありました。

 satoyuさんのエッセイは、昔の自分が落とした小さな宿題を、親になった今もう一度拾い直しているようでした。幼い頃に欲しかった英語環境を娘さんたちへ渡しながら、自分の挫折までおうち英語の原点として見つめ直していく。その視点に、satoyuさんならではの説得力を感じました。

 読み終えたあとに残るのは、小学二年生の教室で必死に質問を考えていた女の子と、今、同じ年齢になった娘さんを見つめる母親の姿です。

「英語ができなかった」から始まる話ではありません。「英語が好きで、できると思っていた子が、初めて自分の届かなさを知った日」の話。その経験が何十年後の子育てへどうつながったのか、タイトルから想像するよりずっと奥行きのある一篇でした。

SANACOさん|退屈がたまらない話

 一番印象に残ったのは、「何もしていない」と「何もしなかった」は似ているようで違う、というところでした。同じ一日でも、前者なら反省会になり、後者なら少し誇らしい。退屈を「埋めるべき空白」ではなく、自分で空けておく余白として見直していく流れに、なるほどと思わされます。

 SANACOさんの文章は、頭の中で開かれている忙しさの会議に、次々と例えを放り込んで強制解散させていくようです。退屈をブラック企業で働かせたり、思考を長ネギだらけのスーパーのレジ前にしたり、心の空室にプリンを入れようとしたり。少し真面目な話になりそうなところで、必ず日常へ引き戻してくれる軽さがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、予定のない時間を少しくらい放っておいてもいいのかもしれない、という気楽さでした。何もしないことさえ上手にやろうとしてしまう人間のややこしさを笑いながら眺めているうちに、「退屈って案外悪くないな」と思えてくる。暇を持て余している人より、むしろ暇をうまく作れない人に読んでほしくなる一篇です。

サブリナさん|都道府県別いい男図鑑をください。

 一番印象に残ったのは、「都道府県別いい男図鑑」が欲しいと言いながら、結局ほとんど図鑑が完成していないところでした。兵庫、大阪とサンプルを集めて分析を始めたはずなのに、出身地より家庭環境や個人差のほうが大きいと自分で気づいてしまう。それでも「いや、でも何か傾向あるやろ」と図鑑を諦めきれない感じが面白いです。

 サブリナさんの文章は、マッチングアプリというフィールドワークに出た研究者が、途中から研究対象より自分のほうを観察し始めるようです。「ボケを時間を置いて後から説明させるという禁忌」など、会った男性を観察していたはずなのに、「おもしれー女になりたい」「普通のフリをするのをやめろと言われた」と、いつの間にか矢印が自分へ戻ってくる。恋愛の話をしながら、自分は何を面白がり、どんな人に惹かれるのかまで漏れ出してくる語りが楽しいです。

 読み終えたあとに残ったのは、まだ白紙だらけの「全国いい男図鑑」を囲んで、みんなで好き勝手に書き込みたくなるような景色でした。兵庫や大阪の男たちはどんな判定を受けたのか。そして東京生まれ東京育ちの本人は、自分をどんな女だと思っているのか。恋愛観察から始まって、自分自身まで観察対象になっていく一篇です。

さぼぼん🌵4児パパさん|ルンルン笑顔でお姉さんを演じた3歳

 一番印象に残ったのは、一日中「お姉さん」を演じていた3歳の次女が、夕方になると無言でパパの膝の上に座り込むところでした。甥っ子のお世話をして、できたことをルンルン笑顔で報告していた姿から一転。その小さな背伸びがほどける瞬間に、「お姉さんになりたい」と「まだ甘えたい」がどちらも本物なんだと伝わってきます。

 さぼぼんさんの文章は、3歳児が挑戦する育児職業体験を、少し離れたところから笑いながら見守るホームビデオのようです。ミルクをあげれば腕が疲れ、助けを求めても両親から返ってくるのは「最後までよろしく」「それが育児ってもんだよ」。かわいいだけでは済ませず、張り切る娘へ容赦なく育児の現実を味わわせる父親目線のツッコミが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、いつものパパの膝へすっぽり収まった、小さな3歳児の姿でした。末っ子だった子が、自分より小さな子を前にしたらどんな顔を見せるのか。ルンルン笑顔で始まった「一日お姉さん」がどんな一日になるのか、子どもの背伸びと家族の笑いを覗いてみたくなる一篇です。

白湯さん|たった一通の応募メールを東京へ送った|地方病院の看護師が美容クリニック転職へ動いた日

 一番印象に残ったのは、「彼女の転職がうれしい。でも、嫉妬のほうが大きかった」と隠さず書いているところでした。誰かの成功をきれいに「刺激をもらった」と言い換えず、「あの子でも行けるなら」とまで認めてしまう。その格好をつけない語りが、この文章を動かす力になっています。

 特に「人生より、明日のペアが誰かのほうが大事だった」という感覚がリアルでした。人生を変えたいと思っていても、日々の仕事に追われていると、数年後より明日の勤務のほうが切実になる。そんな毎日の中で送った、たった一通のメール。その小さな行動から景色が変わっていきます。

 そして残るのは、東京へ出た成功談というより、「憧れていた場所へ実際に行ってみたから、もう憧れなくて済む」という不思議な解放感でした。キラキラした人生を手に入れたのではなく、「このままでいいのかな」が消えた。その着地まで読んでみたくなる一篇でした。

さよさん|生きるために働くのか、生きたくなるために働くのか

 一番印象に残ったのは、ずっと欲しかった「自由に働ける生活」を手に入れた瞬間、むしろ自分の中が空っぽになってしまったところでした。夢が叶えば満たされると思っていたのに、ゴールテープを切った途端、その先のコースがなくなっていた。その戸惑いをここまで素直に書いているところに惹かれます。

 さよさんの文章は、自分の人生を一度机の上に広げて、「私はなぜこれを選んできたんだろう」と一つずつ並べ直していくようです。特に「お金になるかより、そのお金がどう運ばれてきたのか」という視点には、働くことを収入だけではなく、人との出会いや関係まで含めて捉え直していく、その人らしさを感じました。

 読み終えたあとに残るのは、夢を叶えた人が立つ、意外と静かな景色です。自由を得るまでの話ではなく、自由を得てしまったあと何を選ぶのか。働き方について考えている人はもちろん、「目標を達成した先って、どうなるんだろう」と思ったことのある人にも読んでほしい一篇でした。

sayo kaguraさん|プレザンス アプサンス

 一番印象に残ったのは、猫の死を「いなくなった」とだけ捉えるのではなく、「存在というフェーズから非在というフェーズに移った」と考えようとするところでした。悲しみを消すのではなく、理解できる形へ置き直そうとしているように感じます。

 その語りは、暗闇の中で手探りしながら「ここにいたものは、今どこにいるのだろう」と確かめているようです。漫画の中に描かれた猫たちの姿をひとつずつ手繰り寄せながら、自分が経験した喪失へ静かに言葉を与えていく。その思考の進み方に、この作品ならではの余韻がありました。

 読み終えて残るのは、猫そのものの姿より、猫がいなくなったあとの空間です。姿はないのに、そこにいたことまで消えたわけではない。そんな「不在の気配」が、しばらく静かに残ります。

 「プレザンス」と「アプサンス」。しりとりの「ぷ」から浮かんだ二つの言葉が、なぜ遠い冬の未明の記憶につながったのか。その道筋を辿ってみたくなる一篇でした。

zarinamoさん|ヴァトンがつなぐ円環

 一番印象に残ったのは、しりとりを「暇つぶし」ではなく、真剣同士が火花を散らす勝負ごととして描いているところでした。「る返し」を喉元へ返ってくる刀にたとえ、「ヴ」攻めではついに言葉そのものを作り替えてしまう。しりとりという誰もが知る遊びが、読んでいるうちに物騒で壮大な競技へ見えてきます。

 zarinamoさんの文章は、自分で敷いた屁理屈のレールに自分で乗り込み、そのまま速度を上げて脱線していく暴走列車のようです。ただ、その脱線にもちゃんと伏線があり、冒頭から言葉の尻を拾い続ける文章そのものまで、しりとりの輪の中に入っている。比喩で世界を膨らませながら、最後にはその比喩ごと別の景色へ着地させる構成が見事でした。

 読み終えたあとに残ったのは、刀を構えて向かい合っていたはずの人たちが、気づけばその刀を置いて大きな円を作っているような景色です。「勝つためのしりとり」から始まった話が、どうして「つながること」の話へ変わっていくのか。その間に何度も道を踏み外しながら、ちゃんと最初の一文字へ戻ってくる。その寄り道ごと楽しみたくなる一篇でした。

猿荻レオンさん|る人が細くなった血管で詰ま

 一番印象に残ったのは、豪雨でスーパーの入口に人が溜まる様子を「細くなった血管で詰まってしまった血栓のよう」と置いたところでした。単に珍しい比喩ではなく、人の流れが止まり、出口が機能しなくなっている状況まで一瞬で見える。その直前までの高級ホテルのシャワーやトイレの惨事とはまた違う角度で、雨の激しさと人の動きを切り取っているのが巧いです。

 猿荻さんの語りは、日常の表面に細い針を刺して、そこから思いがけない景色を引き出してくるようです。とんかつソースを買いに寄った出来事なのに、値引きの牛乳や雷、雨宿りする人々まで、見えたものをひとつずつ拾いながら場面の密度を上げていく。比喩も飾りではなく、そのとき本人がどう見ていたかを伝えるために使われているように感じました。

 読み終えたあとに残るのは、豪雨そのものより、スーパーの自動ドアの向こうを眺めながら「もう帰れないな」と諦めるあの現実的な時間です。ほんの数分の寄り道が予定を狂わせる。その小さな災難を、観察と言葉の力で読み物に変えてしまう一篇でした。

猿吉さん|ドーナツを買うとか、買わないとか

 一番印象に残ったのは、姉との差を見せつけられて劣等感の話になるのかと思った瞬間、「私は生粋のシスコンである」と豪快に方向転換するところでした。「姉すげえ……かっけえ!」から、ついには親戚へ「私の姉が買ってきたドーナツ食べたらいいじゃない!!!」。比較されて落ち込んでいたはずなのに、いつの間にか姉自慢になっています。

 親戚一同を「全員、上沼恵美子くらい絡んでくる」と表現したり、気の利く大人の象徴がなぜか「ドーナツを買える」だったり。高校生だった自分の居心地の悪さや不器用さを、現在の自分が少し離れたところから面白がっている語り口が魅力でした。

 そして45歳になった現在も、「まだ、親戚にドーナツを差し入れできる人間にはなっていない」。成長物語にするでも、姉を追い越すでもなく、姉はずっと「すげえ姉」のままです。読み終えたあとには、たくさんのドーナツを抱えて現れる姉と、それを誰より誇らしげに眺めている妹の姿が残る。姉妹の距離がなんとも愛おしい一篇でした。

三級魔女はちみつさん|正しい「たたかい」の作法 (浜焼きと3種のタプナード)

 一番印象に残ったのは、「戦には勝った。国を失った。」という一文でした。たった五粒のオリーブが欲しかっただけなのに、いつの間にか目的は「この蓋に勝つ」へ変わっている。日常でも案外やってしまう、目的と手段の逆転を、割れた瓶一本からここまで考えてしまう視点が面白いです。

 三級魔女はちみつさんの文章は、台所で起きた小さな失敗へ虫眼鏡を当てているうちに、そこから人生訓や料理まで次々と生えてくるようです。しかも失敗を反省して終わらず、こぼれたオリーブをタプナードへ、逃した夏を浜焼きへと転がしていく。その発想には、転んだ場所で食材まで拾って帰るような逞しさがあります。

 読み終えたあとに残るのは、ベランダで魚介がジュウジュウ焼ける夏の景色。そして、「何のために戦っていたんだっけ」と、ときどき自分にも問い直したくなる感覚でした。

 五粒のオリーブを取り出したかっただけなのに、なぜ浜焼きにまで辿り着いたのか。その妙な旅路を追いかけたくなる一篇です。

シーサー太郎さん|たまらんので、封じることにしましてん(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「ん」で終わればしりとりから逃げられると魔封波まで繰り出したのに、ルールを最後まで読んでいなかったところ。封じたはずの「ん」が自分へ跳ね返り、今度は「ん」で始まる言葉を探す旅へ出る。二本続けて読むと、見事な自作自演です。

 シーサー太郎さんの面白さは、困ったら真正面から解決せず、横の壁をぶち破ろうとするところ。「ん」からンジャメナ、ンゴロンゴロを経由し、謎の妖精ントチャンまで発掘してくる。しりとりの一文字を検索窓へ放り込んだら、知らない世界が芋づる式に出てきたような文章です。

 読み終えると残るのは、夏休みの自由研究を全力で脱線させたような楽しさ。「ん」で終わらせて楽をするはずだった人が、なぜか誰より「ん」を調べることになっている。その顛末を知ると、しりとりで誰もが嫌う一文字が、ちょっとだけ面白く見えてくる二篇でした。

椎名へろんさん|フェラーリの男はよろしくと言う

 一番印象に残ったのは、「フェ」という文字を、無理に言葉遊びで処理せず、フェラーリから車のナンバー、人間観察へと自然に広げていくところでした。冒頭では「エッセイしりとり」を「エッチな尻取り」と見間違えるところから始まり、かなり自由に脱線していると思いきや、文章全体には不思議と流れがあります。

へろんさんの語りは、街角に立って人や車を眺めながら、その場で小さな物語を即興していく大道芸のようです。4649、1173、1122。数字そのものは無機質なのに、そこから持ち主の年齢や暮らし、土地柄、夫婦の空気まで想像してしまう。しかも、自分の偏見や大きなお世話も隠さず、むしろ文章の笑いへ変えていく。その観察眼と語彙の豊かさが、この作品の面白さを支えています。

 読み終えたあとに残るのは、道路を走る車の列が、少し人間臭く見えてくる感覚でした。普段ならただの4桁でしかないナンバーが、その人の願いや見栄や遊び心まで背負って走っているように見えてくる。

 何でもない風景の中から、意味を見つけ、人物像を膨らませ、それをちゃんと読ませる文章へ仕立てる。その「大きなお世話」をここまで面白くできるなら、むしろもっと覗き見させてほしくなる一篇でした。

shieさん|近道

 一番印象に残ったのは、「近道」という同じ言葉が、子どもの頃と大人になってからではまったく違う意味を持っていることでした。昔は知らない路地へ入っていくための冒険だったのに、大人になると失敗や苦労を避けるためのものになる。その変化をたどるうちに、いつの間にか「早く着くこと」より「どんな道を歩きたいか」という話へ移っていきます。

 shieさんの文章は、住宅街の細い路地を歩いていたら、そのまま人生の話へ抜けていたようです。大げさな出来事を持ち出さず、「あっちから行ったら早いんちゃう?」という子どもの頃の感覚から、遠回りや寄り道の意味を少しずつ広げていく。答えを押しつけるのではなく、自分自身に問いかけながら歩いているような語り口が印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、知らない道の角を曲がる前の、少しワクワクする気持ちです。近道を探していたはずなのに、本当に欲しかったものは別のところにあったのかもしれない。子どもの頃の小さな冒険が、大人になった今どんな意味を持つのか。その道の続きを一緒に歩いてみたくなる一篇でした。

シカさん|胎動を感じたその手で掴む未来の選択肢!私が投資を行う理由

 一番印象に残ったのは、妻のお腹に触れて胎動を感じた瞬間に、それまで「自分の自由」のためだった投資が、「家族の選択肢を増やすためのもの」へ変わっていくところでした。投資の話なのに、中心にあるのは利回りでも銘柄でもなく、手のひらに伝わった小さな命です。その一点から、お金との向き合い方まで変わっていく流れが印象に残りました。

 シカさんの文章は、数字の話をしていたはずの机の上に、途中から家族写真が一枚置かれるようです。FIRE、高配当株、配当金といった投資の言葉が並んでいても、読み進めるほど見えてくるのは「どれだけ増やすか」より「何を選べるようにしておきたいか」という思いでした。普段は投資記事を書いている人だからこそ、その考え方の奥にある個人的な理由が見えるのも面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、未来に向けて道を一本決めるのではなく、家族の前にいくつもの道を残しておこうとする景色でした。初めてのエッセイで、なぜ投資を続けるのかをここまで私生活の感情からたどっていく。その理由がどこで変わったのかを追いかけたくなる一篇です。

シェヘさん|ロコモコとタコライスとボサノバ。90年代のカフェ

 一番印象に残ったのは、90年代のカフェ飯を「ローカル飯を東京の雰囲気で翻訳したもの」と捉えているところでした。ロコモコやタコライスを、単なる料理ではなく、その時代の音楽や映画、ファッションまで含めたカルチャーとして思い出している視点が面白いです。

 シェヘさんの文章は、古い雑誌のページをめくるようです。ボサノバ、打ちっぱなしの壁、低いソファ、単館映画、ヴィンテージのバッグ。固有名詞や細かな記憶が次々と現れて、当時を知らない人にも90年代後半の空気が立ち上がってきます。

 読み終えたあとに残るのは、料理そのものよりも、その料理を食べていた頃の自分まで一緒に思い出す感覚でした。東京のカフェで食べた一皿と、旅先で出会った本場の一皿。その違いを入り口に、ひとつの世代の青春まで覗かせてもらえる一篇です。

しげちーSSさん|【料理は愛情】AI料理画像からはじまるお料理行進曲

 一番印象に残ったのは、AIで作った「えび尽くしフルコース」を眺めて終わらず、本当に自分で作ってしまうところでした。しかも忠実な再現ではなく、「殻むきは面倒」「ホワイトソースも面倒」と、現実の台所へ着地した瞬間どんどん実用的になっていきます。

 しげちーSSさんの料理は、完成図をそのまま写す模写ではなく、設計図を渡された町工場の職人みたいです。「ここはこっちの材料でいける」「この工程はいらない」と、その場で使いやすい形へ組み替えていく。その気取らなさが文章にもそのまま出ています。

 読み終えたあとに残ったのは、きれいな料理写真より、冷蔵庫やレンジの前で「これでええやろ」と楽しそうに手を動かしている景色でした。AI料理、手抜きレシピ、しりとりバトンまで一皿に盛られた、肩の力を抜いて読める一篇です。

シュウさん|いまでも(他、計3本)

 一番印象に残ったのは、『いまでも』に出てくる、初恋の人の誕生日と実家の電話番号をいまでも覚えているというくだりでした。大事件ではなく、消えずに残った小さな記憶によって、長い年月そのものを見せられた気がします。

 シュウさんの文章は、古い引き出しを開けて、中に残っているものを一つずつ手のひらへ載せていくようです。初恋で信じられなかった自分も、容姿への劣等感も、笑って生きるようになった理由も、過去をきれいに直さず現在の自分へつなげていく。その語りには、照れや冗談を挟みながらも、自分自身から目を逸らさない強さがあります。

 3本を読み終えて残ったのは、ずっと遠くまで続いている一本の道でした。昔の後悔も、誰かにもらった言葉も、現在の笑顔も、その途中にある。そして最後には「ん」さえ終わりではなく、そこから始まるものを探そうとする。

 少し重たい記憶さえ抱えたまま、それでも先へ進んでいく。シュウさんがどんな時間を通って、いまの文章を書いているのかを少し覗かせてもらえる3篇でした。

志重文吾さん|多重散乱

 一番印象に残ったのは、仕事で扱う「多重散乱」を、そのまま人間の生き方を見るレンズに変えてしまったところでした。電子が何度もぶつかり、方向を変え、エネルギーをやり取りする。その現象を「人も経験を重ねながら少しずつ軌跡を変えていく」と読む発想が、志重さんならではです。

 語り口は、研究室の白衣のポケットから九頭龍閃やサイコパスや忖度夫が飛び出してくるよう。専門的な話をしているはずなのに、難しさより先に比喩が捕まえてくれます。それでも比喩の芯はぶれず、最後には人と人との関わりまで同じ「散乱」の景色として見えてくる。

 読み終えたあとに残るのは、無数の電子がぶつかりながら光を渡し合っているような、人とのつながりの景色でした。専門用語ひとつから、仕事、人間観、居場所へと話が広がっていく。その軌跡を追っているだけで楽しい一篇です。

しじみ駆さん|らぶ・シッカロール

 一番印象に残ったのは、シッカロールという昔ながらの白い粉ひとつで、若い頃から今までがするするとつながっていくところでした。汗臭さが嫌だった電気工事士時代から、風呂上がりの習慣として今も続いている。香りの話なのに、いつの間にか長年連れ添った生活を読んでいるようです。

 しじみ駆さんの語り口は、シッカロールそのものに少し似ています。さらっと軽く振りかけているようで、あとからふわっと可笑しさが残る。「赤ちゃんの匂いがする」と言われた話にも、すぐ自分で「これは喜んだらアカンやつ」と粉をはたくようにツッコミを入れる。その距離感が心地よかったです。

 読み終えたあとに残るのは、白い粉と湯上がりの匂い、それから妙に清潔感のある人物像。何でもない習慣なのに、長く続けばその人らしさになるのだと思いました。

 「シッカロールを愛用しているおっさんの話」と聞くだけでも十分気になりますが、読んでみると、匂いひとつからこんなに人物が見えてくるのかと思わされる一篇でした。

詞憧英明さん|「をかし」と「あはれ」のあいだに

 一番印象に残ったのは、「をかし」を現代の「!」として捉え直したところでした。古語の意味を並べるのではなく、「美しい!」「面白い!」「おかしい!」と置き換えることで、ばらばらに見えた意味が一本につながって見えます。

 詞憧さんの文章は、古典の言葉を辞書の棚から取り出し、光の当て方を少しずつ変えながら眺めるプリズムのようでした。「をかし」と「あはれ」を対立させるのではなく、心が動く方向や、自分と対象との距離から読み直していく。その考えが一段ずつ深くなっていく過程そのものに、詞憧さんならではの面白さがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、夕暮れの空を眺めながら、自分の心が世界へ向かっているのか、それとも世界のほうから入り込んできているのかを考えているような静かな景色でした。

 「を」から始まる言葉を探し、古典文学から感情、自我、世界との関わり方まで話が広がっていく。しりとりの一文字が、思いがけず深い思索への入口になる一篇です。

しゃくたにしゃくおさん|「プリンを食べながら、人生について考えた。三口目でどうでもよくなった。」

 一番印象に残ったのは、プリン一個を前にして、仕事、老後、書く意味、人生の残り時間まで話を膨らませておきながら、自分で「プリン側にも迷惑だ」と引きずり下ろすところでした。深く考えたい自分と、深刻になりすぎる自分を笑いたい自分が、ずっと同じテーブルに座っています。

 しゃくたにしゃくおさんの語り口は、哲学者がプリンを食べながら講義を始めた横で、もう一人の自分が逐一「話デカくない?」とツッコミを入れているようです。少し良い話になりそうになるたび、自分で空気を壊す。その往復がこの作品ならではの面白さでした。

 読み終えたあとに残るのは、人生の大問題より、冷蔵庫の中の小さな甘いもののほうが急に切実になる夜の景色です。四十代の焦りも、将来への不安も消えたわけではない。でも、そんなものを一度脇へ置ける時間も悪くないと思わせてくれます。プリンからどこまで話を広げて、どこで自分から台無しにするのか。その危うい綱渡りを眺めたくなる一篇でした。

じゅんこさん|た ってけっこうあるな。

 一番印象に残ったのは、「た」から始まる言葉を探しているうちに、たい焼き、悩みごと、推し、貴乃花、たぬきまで、頭の中がどんどん広がっていくところでした。タイトルどおり、本当に「たってけっこうあるな」がそのまま文章になっています。

 じゅんこさんの語りは、机の上に思いついたものを次々並べて、「これも大事、あれも気になる」と眺めているようです。一見とっ散らかっているようで、その一つひとつから「自分はどう思うのか」をちゃんと拾っていく。その寄り道の多さが、そのまま面白さになっていました。

 読み終えたあとに残るのは、不安や迷いがあっても、好きなものを考えている時間だけは少し呼吸が楽になるような感覚です。「た」という一文字から、ここまでその人の日常や考え方が出てくるのか。しりとりだからこそ生まれた、頭の中の散歩を一緒に歩くような一篇でした。

植物きどりさん|輪廻転生より「りんご」

 一番印象に残ったのは、厨二心を満たす格好いい言葉を散々探した末に、「しりとりのあとは『りんご』でいいのだ」へ戻ってくるところでした。輪廻転生や燎原で玄人感を出したいのに、家庭内では「そんな言葉しらなーい」の一言で即アウト。その理想と現実の落差が可笑しいです。

 そこから「相手が返しやすい言葉を選ぶ」というコミュニケーションの話へつながるのも面白いところ。厨二病やコミュ障を自分でいじりながら、言葉は格好よさより「次につながること」が大切なのかもしれない、としりとりから人との関係まで考えていきます。

 そして実際にうどじょさんへ届いたバトンを、今度は好きな書き手へ「ぶん投げる」。言葉をつなぐことが、人をつなぐことにもなっている景色が残りました。輪廻転生よりりんご。その意味が読み終えるころには、最初より少し深く感じられる一篇でした。

情眠がしたい赤猫さん|うっかり受け取ったバトン、どうしよう

 一番印象に残ったのは、寝ぼけた頭でバトンを受け取り、「……まあ、いっか」で参加が決まってしまうところでした。心の準備も創作への決意もなく、昼寝から起きたらいつの間にか走者になっている。その始まり方からして、この企画らしいです。

 赤猫さんの語りは、突然渡された荷物を「さて、これどこへ置こう」と眺めながら、そのまま散歩を始めるような軽さがあります。困らされたはずのはるまき大臣さんにも腹を立てるどころか、「次に困ったら振ろう」と考え、バトンの文字が続いても「まあいっか」。何が起きても深刻にならない、この力の抜け具合が楽しいです。

 読み終えて残るのは、昼寝明けのぼんやりした空気のまま、バトンだけが次の人へ転がっていく景色でした。

 「エッセイしりとりがあるのは知っていた。でも自分に来るとは思っていなかった」。そんな人のところへ突然バトンが届いたらどうなるのか。企画の舞台裏を、そのまま一篇にしたような作品です。

子葉さん|むむむむむ?

 一番印象に残ったのは、突然バトンを渡されて「むむむむ」になった頭の中を、そのまま作品にしてしまったところでした。お題の「む」を無理に立派なテーマへ育てず、戸惑いそのものを入口にしているのが面白いです。

 子葉さんの文章は、マイクを向けられた人が、困りながらもその場でちゃんと一笑い取って帰るような語り口。昔のチェーンメールを思い出したり、記事の挿入に苦戦したり、企画に参加するまでのドギマギまで全部ネタに変えてしまいます。

 読み終えたあとに残るのは、バトンを受け取った人が舞台袖であたふたしているような可笑しい景色でした。エッセイしりとりに突然巻き込まれたら、人はどうなるのか。その素直な反応を覗いてみたくなる一篇です。

縄文猫さん|一か八か ~縄文猫存在仮説の提唱

 一番印象に残ったのは、「い」から何を書くか考えていたはずが、自分の10年計画のスタートボタンを押すところまで辿り着いてしまったことでした。しりとりの一文字が、ずいぶん大きな扉を開けています。

 縄文猫さんの語りは、遺跡を発掘するようです。「イエス」「犬のおまわりさん」「石斧」と候補を掘っては脇へ置き、最後に「一か八か」を掘り当てる。そこからさらに掘り進めると、自分がなぜ猫を書き、なぜnoteを書いているのかという地層まで現れる。何気ない言葉から、自分の長い時間へつながっていく思考の運び方が面白いです。

 読み終えて残ったのは、まだ何も始まっていない場所に、小さな杭が一本打たれたような景色でした。これから10年かけて何が掘り出されるのかは分からない。でも、その途方もない計画を始めようとしている人の熱だけは、こちらにも伝わってきます。

 「縄文時代にもイエネコはいた」。そんな大胆な仮説を、本気で10年追いかけようとしている人がいる。その宣言の最初の一歩を、しりとりの「い」が偶然引き出した一篇です。

白井とまとさん|イチゴ狩りには勝てねぇ

 一番印象に残ったのは、自己紹介で飛び出した「趣味はイチゴ狩りです!」に、本人以上に白井さんが動揺しているところでした。「それ趣味に入んのか?」と思った直後、男性陣がほほえむのを見てしまう。そこから自分の番まで、イチゴ狩りを強敵へ育てていく流れが可笑しいです。

 白井さんの語りは、普通なら数秒で通り過ぎる出来事を、頭の中だけでどんどん大事件にしていく実況中継のようです。合コンの自己紹介なのに面接の順番待ちになり、「ドライブ」と答えただけで頭文字Dまで走り出す。現実より脳内のほうが忙しく、その自意識の暴走を現在の自分が横からツッコんでいるのが楽しい。

 読み終えて残るのは、社会人一年目の慣れない合コン会場と、そこで一人勝負をしていた若き日の姿でした。なぜ「イチゴ狩り」がこれほどまでの強敵になったのか。タイトルを見てその勝負の行方を覗きたくなる一篇です。

しらたまとまわりみちさん|つまり、そういうこと

 一番印象に残ったのは、娘が出かけた先で何をしたかより、「そこでどんな人に出会ったか」を楽しそうに持ち帰ってくるところでした。考古学を夢見る人、世界を飛び回る人、海外へ移住した人。そんな娘を眺めながら「どこにそんな人がいるんだろう?」と思っていた書き手の視線が、少しずつ自分自身へ向いていきます。

 しらたまさんの文章は、知らない町を娘の少し後ろから歩いているようです。自分から勢いよく飛び込むのではなく、誰かが見つけたものに立ち止まり、「それ、ちょっと見てみたい」と小さな脇道へ入っていく。そのまわり道の先で、自分の文章の枠まで少しずつ広がっていくのが印象的でした。

 読み終えたあとには、たくさんの人が行き交う場所に、少し離れて立っている人の姿が残ります。以前なら眺めているだけだったのに、いつの間にかその人も誰かの言葉に触れ、自分の言葉を渡している。

 娘が外の世界で見つけてきた「人との出会い」と、noteで文章を読むこと。その二つがどう重なっていくのか。静かな文章の中で、書き手の世界がじわじわ広がっていく一篇でした。

しらぬいさん|となりのトトロ

 一番印象に残ったのは、『となりのトトロ』の景色を眺めるだけでなく、土の硬さやキュウリの青臭さ、風や草の匂いまで、自分の記憶と重ねながら観ているところでした。子どもの頃に住んでいた家と似た階段まで現れて、アニメの中と自分の昔がふっとつながります。

 しらぬいさんの語りは、トトロの森へ持ち込んだ虫取り網のよう。母親の優しさを拾ったかと思えば、両親の馴れ初めを妄想し、今度はお父さんの意外なマッチョさに「あわわ、惚れてしまう🩷」。感動だけをすくうつもりが、気になったものを次々捕まえてしまう自由さが楽しいです。

 読み終えると、夏の夜の湿った空気や、裸足で踏んだ土の感触まで蘇ってくるようでした。何度も観た作品なのに、大人になったから見えるもの、自分の記憶があるから感じられるものがまだ残っている。

 金曜ロードショーで偶然始まった一本の映画から、ここまで記憶と妄想が広がっていく。次にトトロを観るとき、自分なら何を拾うだろうと思わせてくれる一篇でした。

私立「空音館」@空光音の杜さん|カード作家になったわけ

 一番印象に残ったのは、「占いを信じていない人」が、気づけばカードを作る側へ進んでいくところでした。最初から明確な夢があったのではなく、「綺麗だな」「でも、どう使うんだろう」「自分で作ればいいのかも」と、小さな好奇心をひとつずつ拾って進んでいく。その流れが自然です。

 空音館さんの歩みは、扉を一枚開けるたびに次の扉が現れる迷路のようでした。カードを買えば絵にぶつかり、絵を描けば制作へつながり、自分用に作れば今度は誰かから声がかかる。苦手だと思っていたことさえ、「やってみたら楽しかった」で越えてしまう軽やかさがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、人生の進路は大きな決断より、「ちょっと気になる」を追いかけた先で変わることもあるのだという景色でした。カード作家になる予定などなかった人が、どうしてそこまで辿り着いたのか。その寄り道の連続を覗いてみたくなる一篇です。

シン・東屋清酒本店さん|ルサンチマンはカルマとともに~マッドマックス人物録Vol.1~(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、友人や家族を遠慮なくボロクソに描いているのに、読み終えると不思議と嫌な感じが残らないところでした。マセラティに乗る友人には容赦なく毒を吐き、質問攻めの長男には妻がついに「ペロペロペー!」と壊れる。それでも、どちらも根っこには長く付き合ってきた相手への親しさがあります。

 シン・東屋清酒本店さんの文章は、仲のいい人の恥ずかしい話を酒の席で面白おかしく暴露しているようです。ツッコミはかなり強いのに、「でも、こういうところも含めて好きなんだろうな」と伝わってくる。その距離感が面白さでした。

 読後に残るのは、スナックで面倒な友人の話を聞く夜と、質問に追い詰められてとうとう壊れる母親を囲む家族の景色。身近な人ほど可笑しく、面倒で、だからこそ話したくなる。そんな濃い人間関係を覗いてみたくなる2作品でした。

深水双葉さん|とびきりの拍手を、書いた私たちへ〜脳内妄想note創作大賞授賞式〜(他、計2本)

 2作品を読んで印象に残ったのは、どちらも「書く人」を見つめているのに、その光の当て方がまるで違うことでした。ひとつでは、黒塗りのでかい車とレッドカーペットまで用意して、書き続けた人たちを盛大に祝おうとする。もうひとつでは、自分を「名前のつかない鍋」の前に立たせ、私はいったい何なのだろうと問い続けています。

 双葉さんの文章は、舞台照明と台所の裸電球を行き来するようです。新海誠監督を起用し、アルマーニ姿の偉い人まで登場させる壮大な妄想がある一方で、クリームシチューひとつから、家族、自分らしさ、誰かのために書くことまで潜っていく。大きく膨らませる想像力と、自分の内側をじっと覗き込む視線が同居しています。

 だから読み終えたあとには、華やかなレッドカーペットと、ひとり鍋をかき混ぜる人の姿が、不思議と同じ景色の中に残りました。誰かが書いたものには盛大な拍手を送りたい。でも、自分の書いたものにはなかなか同じ拍手を送れない。その距離まで含めて、「書く人」の切実さが伝わってきます。

 授賞式をここまで豪華に妄想する人が、なぜ自分をクリームシチューにはなれないと言うのか。華やかさと弱音、その両側から深水さんの「書く」が見えてくる2作品でした。

心野けいかさん|止まるのが怖いと思っていた、そんな日🐹🐾

 一番印象に残ったのは、「続けたい」ではなく「止まるのが怖かった」と書いているところでした。毎日更新を継続できた理由なら、好きだから、読者がいるから、と前向きな言葉だけでも語れます。それでも、その裏側にあった恐怖心まで自分の一部として差し出しているところに、この作品の強さを感じました。

 そして、その「怖い」を悪者にしない視点も印象的です。続けてきた時間が長いからこそ、それを失うことが怖くなる。でも、その恐怖がもう一日続ける力にもなった。一般には手放したほうがよさそうな感情を、「これも自分を動かしてきたもの」と捉え直していきます。

 その先にあるのが、朝のわずかなアニメから受け取った「癒し×気づき×笑い」を、今度はけいかさんが誰かへ届けたいという思い。読み終えると、毎朝ひとつずつ記事を置いてきた時間まで見えるようでした。

 「続けることは素晴らしい」という綺麗な話ではなく、続けてきた人だからこそ生まれた「止まる怖さ」を見つめる。毎日何かを積み重ねた経験のある人ほど、自分の中にも似た感情がなかったか考えたくなる一篇でした。

JINYOKUさん|いつまでも、人との縁を大切にできる人間でありたい。

 一番印象に残ったのは、「縁を大切にすることと、縁を残すことは違う」という言葉でした。すべての人とつながり続けるのではなく、今そこにいる人を「明日もいるから」と雑に扱わない。その線引きに、実際に多くの出会いや別れを経験してきた人の実感があります。

 JINYOKUさんの語りは、少し重くなりそうな人生論に、ところどころ小さな逃げ道を作るようです。「そんな父親、普通に怖いです」「かなり良心的な研修です」と笑わせながら、また本題へ戻ってくる。そのおかげで、人との別れや「もし明日いなくなったら」という話も、説教臭くならずに読めました。

 読み終えたあとに残ったのは、いつもの家族や友人、毎日顔を合わせる人の姿です。当たり前に続いている関係を、ほんの少し丁寧に扱いたくなる。

 人生には「この人、8年後に効いてきます」と教えてくれる字幕機能がない。だからこそ、今ある縁をどう扱うのか。そんな身近な人間関係を、少し違う角度から眺め直したくなる一篇でした。

しんりんさん|「ね」って言える相手がいること

 一番印象に残ったのは、『「ね」って言える相手がいること』で、「美味しい」が「美味しいね」になった瞬間、そこに相手が現れるという気づきでした。たった一文字から、長かった一人暮らしと二人暮らしの違いまで見つけていく視点が素敵です。

 しんりんさんの文章は、日常に落ちている小さな言葉や疑問を、指先でつまんでくるくる眺めているよう。『たぶん、たまごぷりん🍮』でも、プリンはそれほど好きではないのに茶わん蒸しは好き、さらに市販のプリンミックスは別枠……と、自分でも説明しきれない「好き」の境界線を楽しそうに探っています。

 二篇を読み終えて残るのは、普段ならそのまま通り過ぎてしまう「ね」や「好き嫌い」にも、その人の暮らしや記憶がちゃんと潜んでいるという感覚でした。

 「ね」と「た」。しりとりでもらった一文字から、こんなところまで日常を掘れるのか。身近な言葉を少しだけ立ち止まって眺めたくなる二篇です。

すいわ/くぐいさん|ロスト・オブ・ジーニアス

 一番印象に残ったのは、推しの胡蝶しのぶへ近づく方法が、敬語、呼び方、剣術、コスプレと、どんどん本格化していくところでした。「好き」だけでは済まず、すいわさん本人へ寄せられる要素を一つずつ実装していく。その熱量がすごいです。

 しかも過去の自分を一貫して「天才」と呼び、まるで珍しい症例を観察する研究者のように語っていく。「自認胡蝶しのぶ」という病名までつけ、当時は大真面目だった行動を現在の自分が冷静に解説する。その距離感が、黒歴史をただの恥ずかしい思い出ではなく笑える読み物に変えています。

 読み終えて残ったのは、好きなものへ一直線だった頃の眩しさでした。周囲から見れば少々イタくても、すいわさんにとっては全部が本気。押し入れから木刀を探し、祖母と夏から衣装を作る姿まで浮かんできます。

 「推しになりたい」が本気だった頃、人はどこまで行けるのか。かつて天才だった自分を容赦なく観察していく、黒歴史の発掘調査を覗くような一篇でした。

スーさん|鳥も焼けるホームベーカリー

 一番印象に残ったのは、ホームベーカリーで普通にパンを焼いただけなのに、「なんか、いる。」としか説明できない鳥らしきものが誕生してしまうところでした。失敗作と片づけず、「どうやら鳥も焼けるらしい」と新機能を発見したことにしてしまう。その出来事の受け取り方が楽しいです。

 さらに友人たちも、サムゲタン、毛蟹の塩釜焼き、果てはまな板まで好き勝手に評していく。本人の淡々としたツッコミも相まって、一枚の謎パンをみんなで囲んで眺めているような賑やかさがあります。

 そして年月が経ち、かつては材料からパンを焼いていた人が、市販のペンギン食パンに練乳を塗っただけで「天才かもしれない」と満足している。「人間、ずいぶん成長するものである。どちら向きに成長したのかは、わからない。」という着地まで含めて、頑張らなくなったことさえ笑いに変えてしまう。

 パンを焼いたら鳥が生まれ、パンを焼かなくなったら天才になった。そんな進化の過程を覗いてみたくなる一篇でした。

すきま@副業メモさん|ただより高いものはない

 一番印象に残ったのは、「無料の記事を読む人も、時間を払っている」という視点でした。「ただより高いものはない」という少し警戒心を含んだ言葉を、読者への感謝へひっくり返していく発想が面白いです。

 しかも感謝を真正面から語るのは照れくさいから、100億年に1秒しかズレない時計を持ち出し、「た」を残業させ、最後には自分の記事を刺身のツマにしてしまう。真面目なことを言おうとすると、つい横道へそれて笑いに変えてしまう語り口にも、その人らしさを感じました。

 それでも最後に残るのは、一度使えば戻ってこない時間を、誰かが毎週ここへ置いていってくれることへの素直な「ありがとう」です。くだらない寄り道を楽しんでいるうちに、いつの間にか感謝の話へ連れていかれる。そんな遠回りが心地いい一篇でした。

鈴木メガネさん|もみたくて…夏

 一番印象に残ったのは、あれほど異常なまでに「もみたい」という欲望を積み上げてきたのに、お父さんの肩へ触れた瞬間、違う温度を持つところでした。手揉み、乳搾り、うどん、餅つきまで、あらゆるものを「もむ」ために利用する前半がくだらなければくだらないほど、その落差が効いてきます。

 しかも「親孝行したくて肩を揉む」とは最後まで言わない。「発作を抑えるため」という設定を崩さず、お父さんも「昔から素直じゃない」と受け止める。その照れくささを笑いの中に隠したまま進む語り口が、この作品の魅力だと思いました。

 読み終えたあとに残るのは、「思っていたよりずっと細くなっていた」というお父さんの肩です。笑っていたはずなのに、いつの間にか流れた時間まで触っている。タイトルからはまず想像できない場所へ連れていかれる一篇でした。

すずらんさん|テレずに言えた💗

 2作品を通して印象に残ったのは、言葉でも日常でも、そのまま受け取るのではなく「自分が心地よい形」に変えて楽しむすずらんさんの姿でした。

 「ありがとう」が照れくさければ「センキュー」や「あんがと」に変え、謝罪もただ「ごめんなさい」で終わらせず、自分が納得できる伝え方を探していく。一方では、朝の散歩で見つけた花をひとつずつ眺め、名前を確かめながら夏の日常を残していく。どちらにも、身近なものを自分なりに受け取り直す楽しさがあります。

 文章から伝わってくるのも、考えたり迷ったりしながら、そのとき感じたことをそのまま話しかけてくるような明るさです。最後には「勝手に『な』ではじまり『ん』で終えます」と、しりとりまで自分流に楽しんでしまう。

 読み終えると、照れながら伝えた「ありがとう」や、夏の日差しの中で見つけた色とりどりの花など、その日の小さな「よかった」が残ります。何でもない一日を、自分らしく少し楽しいものへ変えていく2作品でした。

ずぼら管理栄養士ママもおちゃんさん|からだの声に気づく|鉄分を意識するようになったきっかけ

 一番印象に残ったのは、管理栄養士として鉄分の大切さを知っていたもおちゃんさんが、「知っていることと、実際に自分の行動にすることは違う」と気づいたところでした。専門家だから最初からできていた、ではなく、自分自身の体と向き合ったことで知識がようやく日々の行動につながっていく。その変化が印象に残ります。

 もおちゃんさんの文章は、持っていた知識を自分の暮らしの中でもう一度実験してみるようです。鉄分を摂ることから始まり、早く寝る、仕事を少し早めに終える、しんどい自分を責めすぎない、と話が少しずつ広がっていく。管理栄養士として何かを教えるのではなく、「自分もこうだった」と同じ目線から書かれているので、専門的なテーマでもすっと読めました。

 読み終えたあとに残ったのは、体から届いている小さなサインを、知らないうちに見過ごしていることってあるのかもしれない、という感覚でした。きっかけは布ナプキン、そこから鉄分へ。けれど読み進めると、それだけではないところまで話が広がっていきます。自分の体との付き合い方を考える入口になる一篇でした。

Smoky Bubblesさん|増量マシマシご飯

 一番印象に残ったのは、「ナショナル」のロゴでした。古いインターフォンのメーカー名を見たのに、そこから母にも家にも同じ時間が流れていたことへ気づいていく。「不具合が出るのは当然のことなのだ」という言葉が、機械の話からいつの間にか母を理解する言葉へ変わっていく。その重ね方がとても自然で、あとからじわっと効いてきました。

 Smoky Bubblesさんの文章は、冷めてしまった料理を電子レンジで温め直すのではなく、記憶の中の湯気まで再現して食卓へ戻してくるようです。「そうだ京都、行こう」の軽やかさや「ペェアナスォニックではない」という笑いを挟みながら、若かった自分、料理を作っていた母、現在の母へと時間を行き来する。湿っぽくなりそうな話ほど少し笑って語る、その距離感も心地よかったです。

 読み終えたあとに残ったのは、テーブルいっぱいの料理そのものより、そこで母娘がゲラゲラ笑っている景色でした。食べられなくなった「母のご飯」はなくなったのではなく、疲れた日に取り出せるものとして自分の中に残っている。「あれを食べたら何とかなる」という一皿を持つ人なら、読みながらきっと自分の食卓にも寄り道してしまう一篇です。

諏訪貴信さん|noteが盛り上がっている!コンテストの審査員になりました

 諏訪さんの作品をまとめて読んでいくと、一番印象に残るのは、真面目なことを考えていたはずなのに、本人がいちばん先に横道へそれていくところでした。noteで人を支える話から「僕にスキをしたほうがいい(笑)」へ向かったり、記号の「~」を考えていたら謎のキャラ変が始まったり。若い頃の恋愛話では、デートだと気づかないまま観覧車まで乗ってしまう。このズレた自分自身まで、隠さずそのまま材料にしているのが面白いです。

 諏訪さんの文章は、本を抱えた文学青年の隣に、ずっとツッコミ担当の自分が座っているようです。北村薫や哲学の話をしたかと思えば、ガンダムや『1/3の純情な感情』が飛び出し、500本近いエッセイを前に「回転寿司の皿じゃないんですから」と嘆き始める。その振れ幅ごと諏訪さんの文章になっています。

 読み終えると残るのは、なんだかんだ言いながら人と文章が好きな人の姿でした。恋愛、読書、note、審査まで話題はあちこちへ飛ぶのに、最後には人とのつながりや「書くこと」へ戻ってくる。その寄り道込みで追いかけたくなる作品群です。

聖賤之分かち勿しさん|理不尽な話

 一番印象に残ったのは、「一人の走者が二本のバトンを持って走る」という光景でした。二つ同時に回ってきた嬉しさより先に、「次は六人に頼まなければならない」と現実的に考えてしまう。企画の楽しさと、社交的ではない自分との間で困り果てている姿が見えてきます。

 その語り口は、善意という荷物を両手いっぱいに抱えて、「ありがたい。でも、どう運べばいいんだ」と立ち尽くしている人のようでした。「ご無理なさらずに」と優しく渡されたからこそ、雑には扱えない。相手の気遣いまで真正面から受け止めてしまう生真面目さが、かえって可笑しさを生んでいます。

 読み終えたあとに残ったのは、誰も走っていないレーンに、一本のバトンが静かに置かれている景色でした。人付き合いは得意ではなくても、受け取った気持ちは無下にしたくない。その不器用な優しさが残ります。

 タイトルは『理不尽な話』。いったい誰が誰に対して理不尽なのか。その意味を考えながら読むと、最初に想像したものとは少し違う人物像が見えてくる一篇でした。

瀬戸細胞さん|ゼロカロ・リーもしくは天丼が囁く

 一番印象に残ったのは、「ゼロカロ・リー」「あまね・ドゥーン」と、どうしようもなくくだらない名前を大真面目に育て続けるところでした。誤字なのか故意なのか分からない「もろちん」や「太という痔」まで挟まり、ひとつのボケから次のボケへ、天丼の具を際限なく積み上げていくような語りです。

 でも、そのくだらなさの底には、冒頭からずっと「自分をやめたい」という感情が沈んでいます。笑わせるために深刻さを隠しているというより、深刻なものを抱えたまま、それでも笑える方向へ言葉を転がそうとしている。その姿勢が、この作品ならではだと感じました。

 読み終えたあとに残るのは、大笑いしたあとの静けさに近いものです。「くだらねえことにもきっと意味がある」と書く人が、なぜこれほどくだらない話を続けるのか。ゼロカロ・リーと天丼に付き合っているうちに、いつの間にか最初の問いへ連れ戻されている。

 何の役にも立たない話のはずなのに、読み終わる頃には、その「役に立たなさ」が少し違って見えてくる一篇でした。

せなさん|チョコを規則で縛るとは、ちょこざいな

 一番印象に残ったのは、「義理チョコ禁止」という社内規則ひとつから、ここまで話が膨らんでいくところでした。本命は禁止ではない。ならばチロルチョコ一個でも渡した瞬間に本命になるのか。そんな隙間を見つけて、真面目に考えれば考えるほど世界がおかしくなっていきます。

せなさんの語りは、「義理チョコ禁止」という案件をひとりで審理する法廷のようです。本命は禁止ではない。ならばチロルチョコ一個でも渡した瞬間に本命になるのか。「義理チョコ鑑定学」まで持ち出して大真面目に検証していたかと思えば、そもそも自分はチョコをもらったことがないと気づく。くだらない疑問ほど真剣に考え、そのたびに新たな論点が生まれていく語りが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、規則で整理できるものと、どうしても整理できないものが同じ職場に並んでいる景色でした。チョコひとつをめぐる話なのに、最後には「人の気持ちは規則では決められない」というところまで連れていかれる。ただし、そこへどう辿り着くのかはぜひ本文で。「義理チョコ禁止」の会社でバレンタインを迎えると何が起きるのか、ちょこっと覗いてみたくなる一篇です。

そうたつよしさん|プールぐらいあるわい!!

 一番印象に残ったのは、息子に「プールとか、なかったやろ」と疑われた父親が、わざわざ帰省中に現地まで連れていって証明しようとするところでした。そこまでして見せたかったのに、肝心のプールは跡形もない。この時点で、父の威厳がかなり危うくなっています。

 「まぁ、海水ですけどね」「海に入った方が早いですけどね」と、自分で証言の価値をどんどん下げていく語りも楽しいです。それでも引き下がれず、最後には「城跡にも城はない。だからこれはプール跡だ」とロマンまで持ち出す。どう考えても苦しい理屈なのに、本人だけは島の記憶を守ろうと必死です。

 そして息子は、その熱弁を途中から聞いていない。読み終えたあとに残るのは、何もない場所を指さして「あったんだって」と訴え続ける父親と、もう興味を失っている息子の姿でした。たったこれだけの親子のやり取りから、消えてしまった故郷の景色まで少し見えてくる、短くて可笑しい一篇でした。

宙さん|たぶん、手は覚えている

 一番印象に残ったのは、久しぶりに完成させたウサギを見て、「手は、忘れてなかったんだ」と気づくところでした。仕事に疲れ、羊毛フェルトから離れていた時間まで消えてしまうような、小さな驚きと喜びがあります。

 宙そらさんの語りは、昔の自分が置いていったものを、部屋の奥からひとつずつ取り出して確かめていくようです。ネイルや髪色から始まり、やがて羊毛フェルトへ。「やりたかったけどやらなかったこと」を試すうちに、忘れていた自分まで少しずつ戻ってくる。その流れが自然でした。

 読み終えたあとに残るのは、ふわふわした羊毛を久しぶりに手にしたときの感触です。一度諦めたり、離れたりしたことも、それまで積み重ねた時間までなくなるわけではないのかもしれません。

 昔は好きだったのに、いつの間にかやめてしまったものがある人なら、自分の「手は覚えているもの」を思い出しながら読みたくなる一篇でした。

空豆もなかさん|つまづいたのは、神様のしわざ?

 一番印象に残ったのは、神社で派手に転んだという災難から、「もしかして神様のテリトリーでやらかした?」と原因を探し始めるところでした。普通なら段差につまずいたで終わる話が、前日に別の神社でタカラジェンヌの千社札へ夢中になっていた記憶とつながっていく。その瞬間から、ただの転倒事故がにわかに神様案件へ変わります。

 もなかさんの語りは、転んだ本人がその場で実況しながら、勝手に事件の相関図を書き足していくようです。「顔面ガーゼ女」の自分を笑い、神様を疑い、今度は前歯へ「君はいける!!」と声援を送る。痛そうな出来事なのに、思考が忙しすぎて悲壮感が追いついてきません。

 読み終えたあとに残るのは、大きな神社の境内と、そこで顔面から転んだ人、そしてどこかで黙って一部始終を見ていそうな神様の姿でした。

 ほんの小さな段差につまずいただけなのか。それとも、その前日から何かが始まっていたのか。災難まで「もしかして?」と物語に変えてしまう、その思考を追いかけたくなる一篇です。

それねこさん|へそ天が教えてくれること。ねこに学ぶ、『心理的安全性』と無防備になれる信頼関係

 一番印象に残ったのは、「弱さを見せることは、相手に弱みを握らせることではない」という捉え方でした。無防備になることを弱さではなく、「あなたの前では警戒していません」という信頼の表現として見る。猫のへそ天から人間関係へ視線が移っていくところが印象的です。

 それねこさんの文章は、猫の何気ない仕草を一枚の「翻訳機」にして、人間社会を読み直しているようでした。へそ天の反対側には、鎧を着込み、背後を警戒するかつての職場がある。「心理的安全性」という硬い言葉も、猫のお腹と鎧という景色に置き換わることで、すっと実感できるものになります。

 読み終えたあとに残るのは、リビングの真ん中で何の心配もなくお腹を出して眠る猫の姿です。そして、「自分にはへそ天できる場所や相手がいるだろうか」と、少しだけ自分の人間関係まで振り返りたくなる。

 猫がただ寝転がっているだけなのに、そこから「安心して弱さを見せられる関係とは何か」まで考えていく。猫好きにも、鎧を着て働くことに少し疲れた人にも覗いてほしい一篇でした。

TIDEさん|いま、無音になりたい。

 一番印象に残ったのは、「一人になりたいんぢゃなくて、頭と耳を休ませたかった」という気づきでした。子どもが嫌なわけでも、誰かから離れたいわけでもない。ただ音を止めたかった。その違いに自分で気づくまでの流れが、育児中の疲れをかなり具体的に見せてくれます。

 TIDEさんの文章は、にぎやかなリビングから突然お寺の本堂へ避難するようです。3歳の長女を「歩くスピーカー」と笑いながら書いた直後、無音を求めて辿り着いた先がまさかの座禅。しかも思いついたその日に電話して、マンツーマンで座っている。この行動力と、「wwww」を連打する軽い語り口のおかげで、疲れの話なのに湿っぽくならないのが面白かったです。

 読み終えたあとに残るのは、音が消えたお寺で半目になって座っている姿でした。毎日のにぎやかさを消すことはできなくても、自分の中だけ一度ミュートにすることはできる。「無音になりたい」から、なぜ座禅まで辿り着いたのか。その勢いごと覗いてみたくなる一篇です。

Takaaki Uenoさん|リュックサックと歩む旅路

 一番印象に残ったのは、リュックかスーツケースかという何気ない好みから、その人の「旅の仕方」まで見えてくるという視点でした。荷物の量や移動手段の話をしているはずなのに、いつの間にか「旅先でどう動きたいのか」「どこまで自由でいたいのか」という、その人なりの旅の価値観の話になっています。

 Takaaki Uenoさんの文章は、リュックのチャックをひとつずつ開けていくようです。機動力、荷物の量、階段や砂利道と具体的な話を重ねながら、最後にはその奥から旅愁やロマンまで出てくる。道具を便利さで語らず、そこに旅する気分まで詰め込んでいるところが面白かったです。

 読み終えたあとには、大きなリュックを背負って、そのまま知らない道へ歩いていく後ろ姿が残りました。リュック派かスーツケース派か。たったそれだけの問いなのに、自分ならどんな旅をしたいのかまで考えたくなる。旅行好きなら、つい自分の答えを持って参加したくなる一篇です。

たかざわさん|転身、おばさん♡

 一番印象に残ったのは、「おばさん」を老いの記号ではなく、自分で好きな意味に塗り替えているところでした。掃除をすれば「お掃除おばさん」、朝は「Wake Up!おばさん」、コーヒーを淹れれば「おばバリスタ」。名前をつけるたびに、おばさんの守備範囲がどんどん広がっていくのが楽しいです。

 たかざわさんの語りは、年齢というラベルに勝手に肩書きを足して遊ぶ、家庭内の小さなテーマパークみたいでした。本来なら少し気を遣う「おばさん」という言葉を、夫婦で投げ合いながら笑いへ変えていく。その軽さの奥に、「歳を取ることを嫌がらなくていい」という感覚が自然に混ざっているのも印象に残ります。

 読み終えたあとには、寝ぼけた夫に「おばさん、おはよう〜」と言われ、「おじさん、おはよう〜」と返す平和な朝の景色が残りました。30歳でなぜそんなに嬉々としておばさんを名乗るのか。その理由を追っていくと、自虐とは少し違う、前向きな「転身」の意味が見えてくる一篇です。

たかっちPさん|よく考えたら、私は何も考えていなかった

 3作品を通して印象に残ったのは、どうでもよさそうなことを大真面目に考え、壮大なところまで連れていったあと、自分で全部ひっくり返して帰ってくる語りでした。卵を10分選んで「私は考えていなかった」と気づき、うんこから「生きた証」まで辿り着いて自分で「何の話だ」と我に返る。この行って戻ってくる感じが楽しいです。

 心理学や考察を挟みながらも、決して賢そうなところで終わらないのも、たかっちさんらしいところ。せっかく話がまとまりそうになると、パンツ一丁の自分や、うんこや、娘さんの容赦ない一言が現れて、きれいな着地を壊していきます。

 特に「正しいことは道を教え、面白いことは寄り道させる」は、この3作品そのものにも感じました。どれも目的地へ一直線には進まず、どうでもいい場所へ寄り道する。でも、その寄り道にこそ書き手の視点がある。何の話をしていたのか一瞬わからなくなりながら、そのままついていきたくなる3作品でした。

タクヤマダ日記さん|『定食のラーメン、ネギ多め』

 一番印象に残ったのは、ネギが思ったほど増えていないと気づいた時に、「量ではなく質が上がったのでは」と自分を納得させ始めるところでした。しかも「上質な部位」という、存在するかも怪しい概念まで生み出してしまう。その必死さが可笑しいです。

 タクヤマダさんの文章は、ラーメン一杯を勝手にサスペンス映画へ仕立てていくような語り口でした。注文で噛んだ恥ずかしさ、130円への疑念、ネギへの信頼と不信。小さな出来事なのに、本人の心が大きく揺れているので、読者まで一緒に振り回されます。

 読み終えたあとには、中華料理屋の湯気と、丼を前にひとりで納得したり疑ったりしている姿が残りました。たった「ネギ多め」だけで、ここまで情緒を動かせるのか。そんな日常の拾い方を覗いてみたくなる一篇です。

take917さん|スキ

 一番印象に残ったのは、「何が?どこがそんなに?」と自分で問いかけておきながら、「そんな説明とかどーーーでもいいくらい可愛い」と全部放り投げてしまうところでした。好きなものを説明しようとして、結局「好き」が理屈を追い越してしまう。その勢いだけで、しまねっこの可愛さまで伝わってきます。

 take917さんの語りは、観光パンフレットというより、助手席で島根を案内してくれる友人のようです。「島根はなんもない」と言う知人が、しまねっこと仁多米だけは誇るという話を挟むことで、ご当地キャラの紹介以上に、地元の人との距離感まで見えてくるのが面白い。

 読み終えたあとに残るのは、道の駅の片隅でしまねっこを見つけて、ちょっと嬉しくなっている景色でした。なぜそこまで愛されているのか。理屈より先に「ほんと可愛い!!」が飛び出す、その熱量を確かめに島根へ寄ってみたくなる一篇です。

嗜まいワインさん|ロマネコンティよりロールスロイスより、結局思い出(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「ロマネコンティよりロールスロイスより」と豪華なものを並べたタイトルなのに、本文にはそのどちらも一度も登場しないことでした。それでも、閉館を控えたプールで、自分の青春と娘の現在が同じ水面に重なっていくのを読んだあとでは、「結局思い出。」が静かに残る。タイトルで大きく振っておきながら、最後は手のひらに残る記憶の温度へ着地する、その距離感が印象的でした。

 嗜まないワインさんの文章は、ふざけた言葉を浮き輪のように水面へ浮かべながら、その下ではちゃんと時間が流れているようです。「Yotei of 盆」や、ふくらはぎとの対話で笑わせておいて、古びたゲートや10分休憩、売店の列へ触れた瞬間、景色の奥から昔の自分が浮かび上がってくる。比喩や脱線が笑いのために置かれておらず、しんみりしすぎる直前に文章の温度を戻してくれるのが心地よかったです。かと思えば2本目では、バンコクの正式名称をタイトルで使い切り、本文を140字で畳む。その落差にも、言葉そのものを遊び場にしている感じがありました。

 読み終えたあとに残ったのは、なくなる場所を惜しみながらも、そこへ娘との新しい記憶が重なっていく夏の景色でした。懐かしさを真正面から語らず、笑いと比喩の隙間から少しずつ見せてくるからこそ、あとになって効いてきます。長く泳ぐ一本と、ほとんど飛び込みだけで終わる一本。まったく違う長さなのに、どちらにも「言葉で遊ぶ人」の手つきが見える2篇でした。

橘 ゆずさん|ルパンもまだあらわれない。

 一番印象に残ったのは、「愛より安定だ」と現実を見据えた直後に、結局ルパンの危険な香りへ心が戻っていくところでした。生活能力、精神的な安定、貯金、家族まで確認するという結婚相手の条件はかなり堅実なのに、「退屈なことが怖い」なんて言う男にはちゃんと心が揺れる。その理性と本音の往復が、このエッセイのいちばん面白いところです。

 橘ゆずさんの語りは、橘ゆずさんの語りは、ショーウインドーの前で「見るだけだから」と言いながら、しっかり足を止めているようです。気障なセリフに一度ときめきながら、すぐ「あんたこれからどうするの!?」と生活者の視点へ引き戻される。そのツッコミが入るたび、憧れと現実の距離がはっきり見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、歳を重ねて現実的になっても、ときめきまで完全には片づけられない人の姿でした。結婚するなら誰がいいのか、恋するなら誰に惹かれるのか。その答えが同じとは限らないから面白い。ルパンを入口に、かなり現実的な恋愛観まで転がっていく一篇です。

田中弥三郎さん|カープは、マツダスタジアムは、平和資料館から続いていた

 一番印象に残ったのは、阪神ファンとして楽しんだマツダスタジアムと、翌日に訪れた平和記念公園が、田中さんの中でひと続きになっていくところでした。最初は「見やすい」「気持ちいい」と球場を楽しんでいた視線が、資料館でカープ誕生の歴史を知ったことで、前日に感じた景色をもう一度見直していきます。

 田中さんの文章は、旅先で拾った点をあとから線にしていくようです。カープファンの赤い人波、球場の温かな空気、資料館に残された手書きの文字。野球と戦争という離れたものを無理につなぐのではなく、自分で歩き、自分の目で見た順番だからこそ、自然につながっていくのだと思いました。

 読み終えたあとに残ったのは、赤く染まったスタジアムの景色です。ただ野球を応援する赤ではなく、その街が歩いてきた時間まで重なって見えるようになりました。

 「広島に、カープあり」。阪神ファンが広島で野球を観た一日から、なぜそこまで辿り着いたのか。その道のりを一緒に歩いてみたくなる一篇でした。

ただのかくひと。さん|Цепочка слов

 一番印象に残ったのは、「世界にも、しりとりがある」という話から始まり、言葉の意味だけでなく、その形まで連想の材料にしていくところでした。「尻に頭をくっつける」から尻の丸みへ、そこから世の中の丸いものへ。話はどんどん脱線しているようで、実はずっと言葉の端をつかんだまま進んでいます。

 ただのかくひと。さんの文章は、ひとつの言葉を指先でくるくる回して、違う面が見えるたびに次の言葉へ放り投げていくジャグリングのようでした。「尻」と「頭」を文字通り身体へ戻したり、「丸」を形として拾ったり、自分の名前の「。」まで文章の中へ連れ込んだり。比喩や言葉遊びが飾りではなく、次の話題へ移るための足場になっているので、自由に飛び回っても一本の文章としてつながって見えます。

 読み終えたあとに残ったのは、言葉を意味で読んでいた頭を、少し柔らかくされたような感覚でした。「内容も空っぽ!」と本人は書いていますが、その空っぽの器の中で、言葉はずいぶん楽しそうに転がっています。ロシア語の「しりとり」から始まった連想がどこまで遠くへ行くのか、その軌道ごと楽しみたくなる一篇です。

Daniel x Inoueさん|ちがう、ちがう、そうじゃ、そうじゃな〜い

 一番印象に残ったのは、「じんじゃーに、あってないもん」という3歳の娘さんのひと言でした。大人には同じ音にしか聞こえない「神社」と「ジンジャー」が、娘さんの中ではまったく別の世界につながっている。その勘違いがわかった瞬間、それまでのドレス姿や神社へ向かうワクワクまで全部つながって見えてきます。

 Daniel x Inoueさんの文章は、子どもの言葉をそのまま拾って、小さな謎解きに仕立てていくホームドラマのようです。最初は「なぜそんなに神社へ行きたがるんだろう」と読者も母親と一緒に首をかしげ、娘さんの涙でさらに謎が深まる。そこから意味がひっくり返る瞬間が可笑しくて、同時に3歳児の世界の見え方がとても愛おしくなります。

 読み終えたあとに残ったのは、プリンセス姿で一生懸命お願いする小さな背中と、その時間からずいぶん大きくなった現在の娘さんの姿でした。子どもの言い間違いや勘違いは、その場では笑い話でも、あとから振り返ると家族の宝物になる。タイトルの「ちがう、ちがう」が何に向けられた言葉なのか、ぜひ本文で確かめたくなる一篇です。

たぴさん|夜泣きゼロ。ガイくんとの夜は想像以上に平和だった

 一番印象に残ったのは、子犬を迎えた初日の夜。「眠れない生活」を覚悟していた飼い主をよそに、ガイくんがあっさり寝てしまうところでした。心配を山ほど積み上げて待っていたのに、本人ならぬ本犬は「即寝」。この温度差がなんとも可笑しいです。

 たぴさんの文章は、ガイくんとの暮らしを少し離れたところから見守る「飼育日誌」のようでいて、気づけば「偉すぎない???」と親バカが顔を出す。そのたびに、冷静な観察記録へ小さなハートマークが勝手に紛れ込んでくるような愛情を感じます。

 読み終えたあとに残るのは、静かな夜と、朝を待つ小さな黒豆柴の姿。子犬との生活は大変そう、と身構えている人ほど覗いてみたくなる、飼い主の心配とガイくんのマイペースさが微笑ましい一篇でした。

tapitapiさん|宝くじと赤鉛筆

 一番印象に残ったのは、通帳に赤鉛筆で書かれた「宝くじ当選金」という文字でした。几帳面でお金に細かかった父親が、四百万円だけは自分に都合のいい言葉で記録している。その赤い文字に、信じたかった気持ちまで見えるようです。

 tapitapiさんの語りは、古い通帳を一枚ずつ静かにめくるようです。父親を責め立てるでも、美談に変えるでもなく、「高揚感と卑屈さが混じった顔」や、食事を運び続けた日常を淡々と置いていく。その距離の取り方だからこそ、父娘の複雑な関係が強く残ります。

 冒頭には、五万円の当選をみんなでケーキに変える自分。そして、その奥にはまったく違う「宝くじ」を信じた父親の記憶がある。同じ言葉の向こうに、二つのお金との向き合い方が並んでいるのが印象的でした。

 華やかな「宝くじ」から始まるのに、やがて赤鉛筆の文字をめぐる父娘の記憶へ変わっていく。読み終えたあと、古い通帳に残された赤い文字と、言葉にしなかった二人の時間が静かに残る一篇でした。

たまごぱん*さん|何としてでも私は泳がない。

 一番印象に残ったのは、小学一年生のときに見た姉の「息継ぎの形相」が、その場の笑い話で終わらず、三年後の自分の泳ぎ方まで決めてしまうところでした。好きな男の子にあの顔を見られるくらいなら、十五メートル息を止める。泳げない原因としてはあまりに遠回りなのに、子どもの頃の恥ずかしさには説得力があります。

 たまごぱんさんの文章は、昔の小さな記憶をひとつ持ち出して、それが今の自分までどうつながっているのかを辿っていくようです。35歳になり「人の目なんて気にならない」と克服したはずなのに、今度は市民プールの子どもたちの脳裏に、自分の息継ぎ顔を焼きつける心配を始める。姉から自分へ残った記憶を、今度は次の子どもたちへ残してはいけないという責任感へ話が膨らんでいくのが可笑しいです。

 読み終えたあとに残るのは、泳がない理由が立派になった35歳の姿でした。昔は「好きな人に見られたくない」、今は「子どもたちにトラウマを残してはいけない」。クロールを克服しようとしたはずなのに、気づけば見知らぬ子どもたちの未来を守る話になっている。どうしてそこまで話が大きくなったのか、その遠回りを追いかけたくなる一篇でした。

たまごまるさん|罪

 一番印象に残ったのは、「ツタソカーメソ」を思いついた瞬間、本気で自分を天才だと思っているところでした。タイトルのインパクトもある、「ン」も回避できる、しりとりも続く。完璧な発明に見えたものが、書けば書くほど「そもそもツタソカーメソって何?」と崩れていく。その自滅まで含めて可笑しいです。

 たまごまるさんの語りは、道端で拾った小石を「これは罪では?」と法廷まで持っていくよう。チーズケーキを二つ買ったことも、賞味期限切れの卵も、しりとりで悪知恵を働かせたことも、同じ「罪」として並べてしまう。その大げさな裁き方によって、何でもない日常がじわじわ面白くなっていきます。

 読み終えて残るのは、くだらないことを真剣に考え続けている人の頭の中を覗いたような楽しさでした。

 そもそも「罪」という大仰なタイトルで、なぜスタバのチーズケーキから話が始まるのか。そして「つ」から始まるタイトルを考えていただけの人が、なぜ罪人になってしまったのか。その妙な転がり方を追いかけたくなる一篇です。

たらちゃんさん|好かんわ

 一番印象に残ったのは、「好かん」の対象がどれも絶妙に小さいことでした。カーナビの余計な抜け道、パスワードの後出し条件、スマホの1mmの誤タップ。怒るほどではない。でも遭遇すると確実に「……好かん」となる。その日常の小さな苛立ちの採取がうまいです。

 たらちゃんさんの語りは、靴の中に入った小石を一個ずつ取り出して、「ほら、こいつや」と見せてくるよう。しかも「スマホの中で勝手にパーティー開くな」「過去の自分が仕掛けた罠」など、苛立ちをそのまま愚痴にせず、ひと笑いできる形にして並べていきます。

 読み終えたあとには、「そういえば自分にもあるな」と、自分だけの好かんを探したくなる感覚が残りました。大事件ではないから忘れてしまう、生活の中の小さな引っかかり。それを集めるだけで一本のエッセイになる。

 カーナビに案内されて100mだけ得をした人も、パスワードの「!」に裏切られた人も、たぶんどこかで頷くはず。日常に転がる「誰に怒ればいいのか分からない腹立たしさ」を拾い集めた一篇です。

𝕋.𝔸.ℝ.𝕆さん|自分がキモいことを忘れずにいたい

 一番印象に残ったのは、昔、すれ違いざまに女子高生から言われて傷ついた「キモっ」を、今度は過去の自分の写真を見たたろさん本人が口にするところでした。そこから「なぜキモく見えるのか」を考え始め、自意識過剰だった自分と、スキ数に一喜一憂する現在の自分まで一本につながっていきます。

 たろさんの語りは、自分を顕微鏡のプレパラートに載せて観察しているようです。格好悪さも承認欲求も隠さず、「数字とか気にしてないよ、みたいな顔してるけど気にしてる」と自分で暴いてしまう。しかも深刻な自己反省にはせず、「お好み焼きの鉄板を裸足でタコ踊りするおっさん」まで持っていく。その自虐の振り切れ方が面白いです。

 読み終えて残ったのは、タイトルにある「忘れずにいたい」という感覚でした。昔言われた「キモい」を消したい記憶にするのではなく、自分の文章が借り物になっていないか確かめるための物差しとして持っておく。格好悪い自分まで材料にして書こうとするたろさんが、いったいどんな「キモさ」を目指しているのか。そこを覗いてみたくなる一篇でした。

ちゃぷぽちさん|はた迷惑なジレと、私(他、計2本)

 二作品を通して一番印象に残ったのは、自分の「扱いにくさ」を直そうとするのではなく、付き合い方を探しているところでした。着こなしに困るジレも、懇談会で固まってしまう自分も、捨てたり否定したりせず「さて、こいつをどうしよう」と眺め直しています。

 ちゃぷぼちさんの文章は、心の中にある小さな引っかかりを、ピンセットでつまんで角度を変えながら観察しているようです。服選びなら「クーラー政権下の政敵」、懇談会なら「サハラ砂漠より乾いた間」。自責へ沈みそうな場面にもユーモアを差し込み、自分を少し離れた場所から見られる形へ変えていきます。

 読み終えて残ったのは、失敗や不器用さが消えた景色ではなく、それらを抱えたまま少し身軽になった人の姿でした。

 持て余していた服と、忘れたい失敗。一見まったく違う二つから、自分との付き合い方を探していく。そんな「ごきげん」の作り方を覗いてみたくなる二篇です。

チェブ爺さん|ま、マジかぁ…

 一番印象に残ったのは、「不幸の手紙」が怖かった理由です。不幸になることではなく、送り先の友だちが5人もいないことが怖かった。子どもの頃の寂しさをさらっと置いたあと、今回のバトンを「幸福の手紙みたいで嬉しい」と受け取る。その昔と今の重なりに、温かさを感じました。

 語り口は、縁側で昔話を聞いていたはずなのに、いつの間にか大喜利に付き合わされているようです。「シリトリ弱いんですよね」と何度も念を押すので何が始まるのかと思えば、本人はいたって真面目な顔でゲームを始める。この、とぼけた間の取り方がチェブ爺さんらしい面白さでした。

 読み終えて残るのは、くだらなさよりも、人とのつながりの景色です。昔は「誰に送ればいいんだろう」と怖かった手紙が、今では誰かから届くこと自体が嬉しい。そんな時間の流れが、しりとりという遊びの向こうに見えました。

 「ま」から始まる一本を頼まれた、自称しりとり最弱の男。果たして無事にバトンをつなげられるのか。その腕前を確かめるだけでも、ちょっと覗いてみたくなる一篇です。

稚魚さん|リーチ一発ツモドラドラ 中年無職、お姫様麻雀からの自立

 一番印象に残ったのは、「恵まれた環境は、成長を妨げる」と自分の麻雀人生を振り返るところでした。アプリに教えられ、おじさんたちに点数を計算してもらい、場代や夕飯まで出してもらう。こうして誕生したのが、自称「麻雀姫」。麻雀が好きなのに、一人では雀荘へ行けない状態に陥っています。

 その半生を「雀荘処女期」「麻雀姫期」「モンスター衰退期」と、まるで王朝の興亡史のように語るのが稚魚さんらしいところ。馬主の別荘や煙おじ、母馬など、どうでもよさそうな情報まで次々に枝分かれしていくのに、なぜか全部「姫の自立」という壮大な物語へ見えてくるのが可笑しいです。

そ して、しりとりで渡されたたった一文字の「り」が、止まっていた麻雀人生をもう一度動かしていく。読み終えると、麻雀牌を前に「うれしい!たのしい!」とはしゃぐ姿と、どうにか自力で立とうともがく中年のお姫様が残ります。

 麻雀を知らなくても大丈夫。「甘やかされて育った姫は自立できるのか」という成長物語として覗いてみたくなる一篇でした。

Chikuwaさん|うんともすんとも

 一番印象に残ったのは、「う」から始まる言葉だけで、ここまで文章を走らせてしまう勢いでした。雲梯から始まり、浮き、雨期、牛、うさぎ、ウリ坊、運動会、運送会社、ウシジマくんへ。意味より先に音が次の言葉を呼び、その連想にChikuwaさん本人まで引っ張られているようです。

 特に「薄々感じてたけど終わりどきがわからへん」という一文が、この作品そのものを表しているようで好きでした。きれいな道筋を作るより、思いついた「う」を拾っては投げ、また拾う。そのリズムと関西弁のツッコミが重なって、文章なのに即興で歌っているような楽しさがあります。

 読み終えたあとに残るのは、内容を整理して理解した感覚というより、賑やかな言葉遊びに巻き込まれた余韻です。タイトルでは「うんともすんとも」なのに、本文は最初から最後までずっと何か言っている。その矛盾まで含めて、次は何が飛び出すのか追いかけたくなる一篇でした。

ちゃぽぷちさん|ヘッポコ母がそっと真珠を磨く夜〜忘却という優しい薬〜

 一番印象に残ったのは、「noteに書いて昇華しなきゃ」と一ヶ月ぶりに失敗を掘り起こしたら、もう傷が塞がっていたところでした。あれほど恥ずかしくて地中に埋まりたかった出来事が、時間と別の楽しい出来事によって、いつの間にか笑える記憶へ変わっている。その気づきが静かに効きます。

 ちゃぷぼちさんの文章は、心の中に残った小さな異物を、真珠貝の殻を開くように丁寧に探していく感じがあります。今回は懇談会の「丸投げ発言」から、自責、忘却、そして今の自分へ。失敗をただ笑い話にするのではなく、そのとき自分が何に傷ついていたのかまで覗き込む語りが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、黒歴史も時間が経てば少し輪郭を失い、やがて人に話せる思い出になるのかもしれない、という軽さです。誰にでもある「思い出すだけでうわあああとなる失敗」が、どうやって笑い話へ変わっていくのか。その過程を覗いてみたくなる一篇でした。

ちゃめさん|すぐにやればいいのにね、絶対やるんだから。(他、計4本)

 4作品を通して一番印象に残ったのは、ちゃめさんがわずか10日ほどで、エッセイしりとりの「読み手」から、ルールの余白まで遊び始める人へ変わっていったことでした。

 最初は、音楽をあえて封印して「すぐにやればいいのに」と自分の性格を書く初エッセイ。それが一度バトンを受け取ると、「論」を強奪して「ロンリー」へ変え、「円」からは大好きな音楽の話へつなげていく。普段から音楽について書いている人だからこそ、どんな文字を渡されても最後には自分の好きな場所へ帰ってくるのが面白いです。

 そして最終作では、自分でも「間違った?成長」と振り返るほど、すっかり企画の中で遊んでいる。最初は遠くから眺めていたバトンが、人や文章、そして自分の大好きな音楽まで新しい誰かへつないでくれた。

 4本を読み終えると、作品そのものと一緒に、ひとりの書き手が「書くことも読むことも楽しい」と発見していく10日間まで見届けたような気持ちになります。初エッセイから始まった、小さな創作冒険の記録でした。

ちょこままさん|だってじいちゃんに会えたしね!

 一番印象に残ったのは、「お母さんを選んでくれたの?」という問いから始まる、息子くんとの会話でした。母としては少し照れながら聞きたいことがあり、息子くんには息子くんなりの答えがある。その二つが微妙にすれ違いながら進んでいくところが微笑ましいです。

 ちょこままさんの文章は、用意した台本の上を小さな宇宙人が自由に歩き回っているようでした。「きっとこう返ってくるかな」という大人の予想を、息子くんの言葉がひょいと飛び越えていく。そのたびに心の中でツッコミを入れながらも、言葉を直させず、そのまま面白がっている語り口にも家族の距離の近さを感じます。

 読み終えたあとに残るのは、寝る前の親子の会話から、家族みんなの笑い声へ広がっていく温かな景色でした。子どもの何気ない一言が家族の中を巡って、それぞれを少し嬉しくしていく。

 「お母さんがお母さんでよかった?」。そんな少し勇気のいる質問に、子どもは何と答えるのか。親が欲しかった答えとは少し違う方向へ転がっていく会話を、こっそり聞かせてもらうような一篇でした。

千夜褪寡さん|時間が流れるということ

 一番印象に残ったのは、久しぶりに会った友人の変化よりも、「友人が覚えている自分」と「今の自分」の違いに戸惑っているところでした。垢抜けた友人を見て感じた劣等感の奥に、昔はもっと気軽に人と話せていた自分への寂しさまである。再会によって、自分自身の変化まで映し出されていく視点が印象的です。

 時間を、秒針やカレンダーだけでなく、人の表情や距離感を少しずつ変えていく川のように眺めている語りにも惹かれました。流されてしまったものを数えていたところへ、ふと昔と変わらない仕草が顔を出す。その瞬間、過去と現在が重なるような感覚があります。

 読み終えたあとに残るのは、帰り道で並んで歩く二人の姿でした。時間が経てば人は変わる。でも、全部がなくなるわけでもない。久しぶりに誰かと会ったときに感じる、懐かしさでは名前をつけられない感情を丁寧にすくい上げた一篇でした。

ちょろすさん|を。から始まるストーリー

 一番印象に残ったのは、成人式の前撮りという娘たちの晴れ舞台を見に行ったはずなのに、途中から完全に自分の話へ乗っ取られていくところでした。双子の成長にじんわりしそうになった、その瞬間に写真の中から自分が現れる。この感動と現実の割り込み方が、ちょろすさんらしいです。

 ちょろすさんの語りは、きれいに整えた記念写真のアルバムへ、突然プリクラの落書きを始めるようです。「知らんがな!」で昔のオバサン像を切ったかと思えば、そのオバサンに自分がしっかり着地している。しかも自虐へ一直線に落ちるのではなく、最後には「でも、わたしは自分大好きです」と別方向から立ち上がる。その自己肯定のねじれ方まで含めて面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、華やかな振袖姿の双子と、その間でピースしている母親の三人写真でした。娘の成人という節目を見ながら、自分自身の現在地まで容赦なく写し出されてしまう。でも、それを笑い話へ変えてしまえるところに妙な強さがあります。「をーーーー」から始まった話が、成人式の前撮りを経てどこへ転がっていくのか。その脱線ぶりごと読んでみたくなる一篇です。

月と星の植物店さん|In the Endから考える -努力は最後に何になるのか-

 一番印象に残ったのは、「努力する理由と、努力が報われることは、本来別の話なのかもしれない」という視点でした。頑張れば報われる、ではなく、報われないかもしれないのに人は時間を差し出してしまう。その矛盾を、無理に前向きな言葉へ着地させないところに惹かれます。

 月と星の植物店さんの文章は、ひとつの曲を入口にして、そこから人生の奥へ静かに降りていく螺旋階段のようです。リンキン・パークの音、チェスターの声、若い頃に聴いた記憶が重なりながら、「努力とは何か」という問いへ少しずつ深く潜っていく。

 読み終えたあとには、終わると分かっているものへ、それでも時間を使う人の姿が残りました。努力を肯定するでも否定するでもなく、その悲しさと美しさを同時に見つめている。

 好きだった曲を歳を重ねて聴き直したとき、昔とは違う意味が聞こえてくることがあります。これは一曲の思い出から始まり、「報われるとは何だろう」と静かに考えさせられる一篇でした。

TUKUSHIさん|Zなんて知らんがな

 一番印象に残ったのは、無茶振りされた「Z」を「未知の食材」と呼び、本当に一本のエッセイへ料理してしまうところでした。Zzzから睡眠へ、ビタミンZへ、お殿様のいびきへ、ワンコの夜間介護へ、さらにデスノートまで。話は豪快に寄り道するのに、最後まで「Z」がちゃんと道標になっています。

 特に楽しいのは、日常の出来事をすべて「アラフィフ館」の世界へ変換してしまう語り口です。夫はお殿様、仕事は宮仕え、腹の立つ出来事はデスノートへ。「夜はちゃんと寝らんと」と爆睡していた本人から言われる場面など、女将さんのツッコミまで聞こえてきそうでした。

 けれど、賑やかな文章の奥には、老犬のお世話をしていた夜の記憶や、いつか訪れる「人生のZページ」への思いもあります。笑いながら読み進めていたはずなのに、最後には「それまでは、まだまだ踊っていたい」という生命力が残る。

 たった一文字の「Z」から、ここまで話を広げられるのか。鬼畜仕様のバトンを女将さんがどう料理したのか、その調理過程ごと楽しめる一篇でした。

tuzukuさん|誰も傷つけないバトンの渡し方

 一番印象に残ったのは、「バトンを渡さないこと」をルールから外れた行動ではなく、「誰も選ばず、誰も外さない優しさ」として受け取ったところでした。同じ出来事でも、どこに光を当てるかでこんなにも見え方が変わる。その読み方そのものに、tuzukuさんらしさを感じます。

 二人の記事から受け取った小さな光を握って、そのままマラソンを走り始め、バトン企画の話だったはずが、いつの間にか沿道から声援が聞こえ、路地裏の文化祭へ向かっている。ひとつの感動を比喩の中でどんどん膨らませていく語りが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、誰かを指名することが「つなぐ」ことではない、という温かな景色でした。バトンを置く人、拾う人、ただ見守る人。それぞれの参加の仕方があっていい。

 二本の記事を読み、一人のランナーが全力疾走を始める。その熱量がどこへ向かうのか、ぜひ一緒に追いかけてほしい一篇でした。

tu-tsuさん|つまり、あの時セブンのコーヒーは本当はいくらだったのか?

 一番印象に残ったのは、「3.3円ってどっから来た?」から完全に思考が止まり、その数字を半日追いかけ続けるところでした。普通なら電卓で済ませる話なのに、つっつさんにとっては立派な難事件です。

 つっつさんの文章は、コンビニのレシート一枚から推理ドラマを始める探偵のようです。計算の途中で迷子になり、コーヒーを飲んで休憩し、恋する相手へのプレゼント並みに悩み、それでも自力で答えまで辿り着こうとする。その大げさな真剣さが可笑しくて応援したくなります。

 読み終えたあとに残るのは、セブンのアイスコーヒーを片手に、たった数円の謎と本気で格闘している姿です。数学が得意かどうかより、「分からない」をここまで面白がれる人なんだなと思える一篇でした。

津田祐希さん|「ちょっとずつで、まぁええやん。」

 一番印象に残ったのは、「血筋」という言葉を、顔立ちや体質ではなく「知らないうちに受け継いできたもの」へ広げているところでした。祖父から父へ、父から家族へと続いてきたものを見つめたうえで、「全部そのまま次へ渡さなくてもいい」と置く。その一文に、過去を否定するのでも美化するのでもない強さを感じました。

 ゆきてぃさんの文章は、古い家の押し入れから代々しまわれてきた荷物をひとつずつ取り出し、「これは残す」「これはここで置いていく」と確かめているようです。戦争、家族、父親との記憶という重い題材を扱いながら、最後まで誰かを断罪する方向へは進まない。「ちょっとずつ」という言葉まで戻ってくることで、自分のこれからへ視線が向いていくのが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、長く続いた道の途中で、自分の足元から少しだけ進路を変える姿でした。受け継いだものと、これから渡していくものは同じでなくてもいい。「ち」という一文字から、家族の歴史と自分の生き方がどうつながっていくのかを読んでみたくなる一篇です。

tsubamiさん|データを眺めるひととき

 一番印象に残ったのは、数字そのものを見ているのに、そこから試合や選手の時間まで立ち上がってくるところでした。打率や本塁打、防御率、推定年俸。普通ならただの記録なのに、tsubamiさんにとっては「この年はすごかった」「移籍前はどうだったっけ」と、記憶を開くスイッチになっているのが面白いです。

 tsubamiさんの野球データの眺め方は、時刻表を開いてまだ乗っていない列車の旅を始める人に少し似ています。数字を分析して答えを出すのではなく、並んだ記録の隙間から、その年の球場や選手の姿を想像していく。28冊の選手名鑑も資料というより、何十年分もの野球の景色をしまってあるアルバムのように見えてきました。

 読み終えたあとに残ったのは、朝の新聞を広げる子どもの頃から、今も選手名鑑をめくっている現在まで、数字の列でつながった長い時間でした。野球好きの話でありながら、「好きなものは、眺めているだけでも楽しい」という感覚はきっと野球以外にもあるはずです。数字だけでどうしてこんなにワクワクできるのか、その楽しみ方を覗いてみたくなる一篇でした。

粒あん派ですさん|タンクブロメリア|3本ともビルベルギア ハレルヤ~?

 一番印象に残ったのは、ガチャなのに2回続けて同じ「ハレルヤ」を引き、気づけば3株になっていたところでした。大当たりよりも、縁のある一株のほうが存在感を増していくのが可笑しいです。

 粒あん派ですさんの文章は、植物紹介の鉢に、少しずつくじ引きのドラマを植え込んでいくよう。育て方や種類の説明をしながら、「またハレルヤが来たらどうしよう」という個人的な葛藤が混ざることで、専門的な話もぐっと身近になります。

 読み終えたあとには、赤く発色したハレルヤが何鉢も並ぶ光景が残りました。好きで集めたわけではないのに、なぜか増えていく。そんな偶然まで含めて植物との縁を楽しんでいる一篇です。

 タンクブロメリアを知らなくても、「ガチャで同じ植物ばかり引く人の話」と聞けば少し覗いてみたくなるはずです。

紬羽さん|食べないよって言えばよかった

 一番印象に残ったのは、柴さんではなく「飼い主の言葉遣い」が問題だったと気づくところでした。「草食うなよ」でちゃんと覚えてくれたのに、公園で人目を気にすると声が小さくなり、今度は指示の威力まで落ちる。そのジレンマが可笑しいです。

 紬羽さんの語りは、散歩中に拾った小さな失敗を、あとから何度も転がして眺めるよう。こう門から草を引っ張る話まで包み隠さず出しつつ、最後には「最初に教える言葉って大事だった」と、犬との暮らしならではの気づきへつなげています。

 読み終えたあとに残るのは、公園で柴犬に向かって小声で何かを繰り返している飼い主の姿。犬はちゃんと覚えてくれる。だからこそ、人間の何気ない一言が思わぬ形で返ってくる。そんな日常のズレを覗きたくなる一篇でした。

Tailwindさん|だけど、良く続いたね…note1周年って

 一番印象に残ったのは、noteを始めて一年を「生まれ直して1歳になった」と捉えているところでした。ただ投稿を一年続けたという話ではなく、それ以前の時間も抱えたまま、新しい自分の時間を数え始めている。その「1歳」には、数字以上の重みを感じます。

 Tailwindさんの語りは、人生の重たい出来事を真正面から重たく語り続けるのではなく、途中で「真冬の露天風呂」や「ボーナスステージ」といった比喩へひょいと乗り換えていく。その姿は、向かい風まで帆に受けて進む人のようです。深刻さを消すのではなく、それでも面白いものを探そうとする視線が文章を前へ運んでいます。

 読み終えて残ったのは、ろうそくが一本だけ立った小さなバースデーケーキの景色でした。長く生きてきた人が、新しい居場所ではまだ1歳。その取り合わせが温かいです。

 なぜnoteを「真冬の露天風呂」と呼び、そこで一年も出られなくなったのか。ひとつの居場所との出会いが日常の見え方をどう変えていったのかを、そっと覗いてみたくなる一篇でした。

でぃへさん|理由もなく、空を見上げた夏の日

 一番印象に残ったのは、空と海を眺めながら少しずつ心がほどけていく時間と、その直後に「人は、綺麗な景色を見るとポエマーになる」と自分で照れてしまうところでした。しんみりしすぎる前に自分で茶化す。その距離感が、この景色をかえって身近なものにしています。

 でぃへさんの文章は、絶景を眺めながら横でずっと小声のツッコミを入れてくる旅仲間のようです。腹筋を使って撮った足入り写真、BIRKENSTOCKへの愛、外国人女性をモデルに撮りたかったという脱線まで、きれいな景色だけでは終わらせない。後半では、しりとりを「受ける自由、断る自由」へつなげて、自分にとって人とつながることには少しエネルギーが必要だという話まで自然に広がっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、人のいない庭園でリクライニングチェアに寝転び、ただ空を見上げている夏の景色でした。何か特別な答えが出るわけではないけれど、少し気持ちが軽くなる。そんな時間のそばに、でぃへさんらしい照れと脱線が置かれている一篇です。

寺 航さん|『違和感』をなぞる色鉛筆

 一番印象に残ったのは、出来事そのものではなく、あとから何度も反芻したときに残る「なぜか」を書く種にしているところでした。旅行も食べ物も服も、最初からエッセイの材料として見ているのではなく、時間が経っても手の中に残った感触から文章が始まる。その姿勢がよく見えます。

 寺さんの文章は、輪郭のないものに色鉛筆で何度も薄く線を重ねていくようです。違和感をすぐ答えにせず、転がし、眺め、角度を変えながら少しずつ形にしていく。その過程自体が、この作品の読みどころでした。

 読み終えたあとには、過去の記事から青や薄紅、緑といった色だけがふっと浮かんでくるような余韻が残ります。自分の中に残った小さなひっかかりが、あとから人生の道しるべになる。エッセイが生まれる前の、まだ名前のない感覚を覗かせてもらえる一篇でした。

天界記録さん|日常から、「昨日」が消えたのかもしれません

 一番印象に残ったのは、「昨日、見た?」と「知ってる?」の違いから、消えたのは共通の話題ではなく共有されていた昨日なのかもしれない、と辿り着くところでした。「時間が入っている」という一言で、何気ない会話の違いが急に大きな景色へ変わる。その拾い方に、「その視点なかった」と私が言わされます。

 天界さんの文章は、日常に落ちている細い糸を一本つまみ、切らずに手繰っていくうちに、その奥にある時間や人との距離まで引っ張り出してくるようです。そして面白いのが、審査員として掲げた「日常のどこを拾ったか」「どこへ転がしたか」「読み終えたあと見え方が変わったか」という基準が、そのままご自身の文章にも当てはまっていること。審査基準を書きながら、いちばん自分で「その視点なかったで賞」を実演しているようにも見えました。

 八月三十一日二十三時五十九分と九月一日午前零時の間に、夏そのものが変わるわけではない。それでも人はそこに「終わり」を置く。そんな見方を渡されたあとでは、「昨日」も「夏の終わり」も少し違って見えます。何でもない言葉や境目から、まだ名前のついていないものを見つけていく。その思考を一緒に辿りたくなる3篇でした。

冬山迷子さん|罪を重ねた証

 一番印象に残ったのは、植物を増やすことを最初から最後まで「罪」と呼び続けているところでした。始まりは、二ヶ月も存在を忘れていた一鉢のアロエ。それが今ではハオルチアだけで90鉢を超えるというのだから、確かにずいぶん罪を重ねています。

 冬山迷子さんの語りは、園芸の話を恋愛遍歴のように語る惚気話のようです。「運命的な出会い」「嗜好を開発された」「美人たちに奉仕する」「幾ら貢いだかは計算したくない」。植物への愛情を恋愛の言葉へ置き換えるたびに、ただの鉢数まで艶っぽく、そして怪しく見えてくるのが面白い。

 読み終えて残ったのは、たくさんの鉢に囲まれて、嬉々として土を触っている姿でした。かつて植物を枯らしていた人が、いつの間にかこれほど夢中になっている。その変化にも、不思議な幸福感があります。

 タイトルにある「罪を重ねた証」とはいったい何なのか。冒頭から両手に残っているという、その証の正体を追いながら読むと、園芸沼へ落ちていった一人の愛好家の告白として楽しめる一篇でした。

遠井秀哉さん|ランドスケープに含まれる公共資源

 一番印象に残ったのは、『ランドスケープに含まれる公共資源』という立派なタイトルを掲げておきながら、早々に「もう話が続かん」と自分で投げ出してしまうところでした。そこから企画のルール、スポンサー料、ゴーストライター疑惑へと、話はどんどん別方向へ転がっていきます。

 遠井さんの文章は、大きな風呂敷を広げた本人が、その上で寝転がったり蹴飛ばしたりして遊び始めるようです。格好よく始めたはずなのに、自分で全部崩し、その崩れ方まで笑いにしてしまう。セルフツッコミを重ねながら、最後まで勢いで押し切る語り口が独特でした。

 読み終えたあとに残るのは、立派なタイトルからは想像もつかない騒がしい景色です。このタイトルがどうしてこんな文章になるのか。その落差でも、途中を覗いてみたくなる一篇でした。

ときかさん|ルックバック

 一番印象に残ったのは、詩や和歌を書くことを、記憶を残すためではなく「手放すため」と捉えているところでした。書けば記録されるのに、本人はむしろ書くことで、そのときの感情から少しずつ離れていく。この逆向きの感覚が面白いです。

 ときかさんの記憶は、昔の出来事を棚から取り出すというより、突然その日の空気ごと部屋へ運び込んでくるようです。天気や風、表情、会話の間、助詞の使い方まで残っている。だから文章を書くことも、思い出を眺めるのではなく、もう一度その場へ入り直すようなものなのかもしれません。

 読み終えて残ったのは、noteに置かれた言葉が、少しずつ自分の手を離れて並んでいく静かな景色でした。

 「振り返る」とは、過去へ戻ることなのか。それとも過去から離れることなのか。書いたものをすぐ忘れてしまうという話から、創作と記憶の不思議な関係へ連れていかれる一篇です。

ときどきさん|で?結局似たもの夫婦

 一番印象に残ったのは、旦那さんの回りくどい話し方に「で?」とツッコんでいたはずが、書いている途中で「私も同じじゃん」と自分へ返ってくるところでした。相手の欠点を観察していたら、いつの間にか鏡を見ていた。その気づき方が自然で可笑しいです。

 ときどきさんの語りは、夫婦の会話をそのまま台所のまな板に乗せて、熊本弁のままトントン刻んでいくような文章です。「だけんが!」の応酬や脱線まで整えすぎず、そのまま置いてあるから、30年以上一緒にいる二人の呼吸が見えてきます。

 読み終えて残るのは、車の中でまた同じやり取りを繰り返している夫婦の景色でした。似たくないところまで含めて、長く暮らすうちに少しずつ似てしまう。その可笑しさと親しさが滲んでいます。

 「で?」というたった一言から、夫婦の会話の癖と自分自身の癖まで掘り当てていく一篇。誰かに「話、長いな」と思ったことがある人ほど、途中で少しドキッとするかもしれません。

常盤ばらんさん|せうゆ色の蜃気楼

 一番印象に残ったのは、子どもの頃の自分を「せうゆ色」、現在のばらんさんを「サラダせんべい」、さらには「もやし」と、色の変化でたどっていくところでした。真っ黒になるまで外を駆け回っていた少年と、UVカットパーカーに日傘で家にこもる現在。その落差がおかしいのに、どこか昔の自分を遠くから眺めるような寂しさもあります。

「せうゆ」から富山の「しょわしない」へ飛び、せんべいになり、もやしになり、最後には突然飛んできた「エッセイ書こうぜ〜!」の豪速球へ。言葉の音や色から連想を次々と転がしていく語り口が、この作品ならではの楽しさでした。

 そして、過ぎ去った夏を振り返る話だったはずが、バトンを受け取ったことで現在の夏にも新しい色が加わっていく。読み終えたあとには、夕方のような少し懐かしい夏の景色と、「次は誰の番?」とまた何かが始まりそうな余韻が残ります。タイトルの「蜃気楼」が、昔の記憶にも今の夏にも重なって見える一篇でした。

どこかにあるはず日記さん|来年の夏、何する?

 一番印象に残ったのは、「うまくいかなかった夏」を失敗として閉じず、「また来年やれば、いっか。」で未来の楽しみに変えているところでした。お弁当を鳥に持っていかれ、魚は釣れず、動物たちもぐったり。それでも全部が、来年もう一度やってみる理由になっていきます。

どこかにあるはず日記さんの語り口は、店先に吊るした風鈴みたいです。夢と現実、店番と動物たち、夏の思い出が風に揺られながら、ふわっと次の場面へ移っていく。大きな出来事を強く語らないのに、読んでいるうちにその世界へゆっくり連れていかれます。

 読み終えたあとに残るのは、夏休みの終わりの少し寂しい午後の景色でした。終わってしまう夏を惜しみながらも、視線はもう来年へ向いている。「今年できなかったこと」がある人ほど、少し読んでみたくなる一篇です。夏の終わりを、残念だった思い出ではなく、次の夏への予告編に変えてくれます。

トトさん|だっふんだ(他、計2本)

 『だっふんだ』で一番印象に残ったのは、ただのギャグだった言葉の向こうに、家族みんなで同じテレビを見て笑っていたリビングの景色が立ち上がってくるところでした。一方の『募る想い』では、誰かを好きになったことで生まれる独占欲や寂しさを、夜の静けさの中へ沈めていきます。

 トトさんの文章は、古いアルバムのページをめくるように、そのときの空気まで一緒に取り出してくる感じがあります。にぎやかな笑い声から、スマートフォンを伏せた暗い部屋まで、感情に合わせて文章の温度が大きく変わるのも面白いところです。

 くだらない一言が家族の記憶につながったり、会えない時間が想いを膨らませたり。誰かと過ごした時間が、あとになってどんな形で心に残るのか。まったく違う題材なのに、どちらにも「人を想う時間」が残る2作品でした。

トド子さん|たぶん、息子は私に話したかった。

 一番印象に残ったのは、疲れているはずの息子くんが、後部座席へ移らず助手席に残ったことでした。最初は何でもない選択だったはずなのに、合宿の話が次々とこぼれてくるうち、その席の意味が少しずつ変わって見えてきます。

 トド子さんの語りは、子どもの言葉を拾いながら、その奥にある気持ちをそっと想像する聞き役のようです。「母はサンドバッグ」と笑いに変えながら、嬉しかったことも愚痴も遮らず受け止める。その軽さがあるから、親子の距離を必要以上に感動的にしないのもいい。

 読み終えたあとに残るのは、夜の車内、前を照らすヘッドライトと、その横で止まらない息子くんの声でした。思春期の子どもと親のあいだに、こんなふうに偶然生まれる一時間がある。何気ない助手席から始まる親子の時間を、少し覗いてみたくなる一篇でした。

Toffeeさん|たった一時間のシンデレラ

 一番印象に残ったのは、たった一時間のひとり時間を「シンデレラの舞踏会」に変えているところでした。愛犬は馬車、エプロンはドレス、冷蔵庫は扉。日常の家事を、おとぎ話の小道具へ少しずつ置き換えていく視点が楽しいです。

 Toffeeさんの文章は、いつもの台所に魔法をかける照明のようでした。Jazz、包丁の音、ノンアルビールの「プシュッ」までが、誰にも急かされない時間をゆっくり浮かび上がらせていきます。

 読み終えたあとに残るのは、豪華な舞踏会ではなく、静かな台所の景色です。ほんの一時間でも、自分のために過ごす時間があれば、いつもの夜は少し違って見える。そんな小さな贅沢を覗いてみたくなる一篇でした。

tomiさん|楽したい!楽したい!!楽したい!!

 一番印象に残ったのは、「草取りを楽にしたい」だったはずが、芝、クローバー、リュウノヒゲ、ヒメイワダレソウ、ディコンドラと、むしろ次々に仕事を増やしているところでした。特に「目を背けてる。見えない見えない 生えてない。」には、庭仕事に負けかけた人の切実さと可笑しさが詰まっています。

 tomiさんの語りは、雑草を減らすために一本抜いたら、その下から別の雑草が三本出てくる庭そのもののようです。ひとつ解決しようとするたびに新しい問題が生え、それをまた試行錯誤で乗り越えようとする。その行き当たりばったりさまで隠さず書く語り口が楽しいです。

 読み終えて残るのは、理想の庭というより、植物とtomiさんがずっと攻防を続けている賑やかな庭の景色でした。「楽したい!」から始まったはずなのに、なぜここまで大変なことになったのか。ガーデニング経験がなくても、その迷走ぶりを覗いてみたくなる一篇です。

Tomokoさん|スルメは、イカに戻りたいのだろうか

 一番印象に残ったのは、「スルメにも、ピチピチだった時代があった」という発想でした。昔の体型や肌、体力へ「戻りたい」という気持ちを、イカとスルメに置き換えた途端、年齢を重ねることの見え方まで少し変わります。

 Tomokoさんの語りは、年齢という真面目になりやすいテーマを、スルメを片手に眺めているような軽やかさがあります。「まだスルメほど乾いてはいない。保湿もしている」と笑わせながら、そのまま「そもそも何に戻ろうとしていたんだろう」という問いへ連れていく。自虐だけにも前向き一辺倒にもならないところが心地よいです。

 読み終えて残ったのは、時間を巻き戻すのではなく、今いる場所から先を眺める景色でした。失ったものを数えるだけでなく、年齢とともに増えたものにも目を向けてみる。そんなふうに自分の変化を少し面白がりたくなります。

 「スルメは、イカに戻りたいのだろうか」。スーパーで見かけてもまず考えない問いなのに、自分自身の「戻りたい」にまでつながっていく。その意外な連想を追いかけたくなる一篇でした。

TOMOKOさん|たすけてほしいけど、たすけていらん

 一番印象に残ったのは、うどんではじいじの手を何度も払いのけた1歳半のお孫さんが、ジャンプになると自分から「やって」と手を伸ばすところでした。「自分でやりたい」と「助けてほしい」が、ほんの数分の間に行ったり来たりする。その姿を見ていると、タイトルの「たすけてほしいのに、たすけていらん」が、そのまま小さな体の中でせめぎ合っているように見えます。

 TOMOKOさんの文章は、お孫さんを眺めていた窓が、途中から自分自身を映す鏡へ変わるようでした。最初はうどんを落としてドヤ顔する姿を微笑ましく読んでいたのに、「これって65歳の私もいっしょ」と視線がくるりと自分へ戻ってくる。1歳半と65歳を「助けてほしいのに頼れない」という一本の線で結んだところが印象的です。

 読み終えたあとに残ったのは、差し出された手を払う小さな手と、今度は自分から助けを求めて伸ばした手でした。人は何歳になっても、自分で立ちたい気持ちと誰かに支えてほしい気持ちの間を行ったり来たりするのかもしれません。締切ギリギリに飛び込んだ一本から、思いがけず長い人生まで見えてくるエッセイでした。

ともぞうさん|50さいからの逞

 一番印象に残ったのは、「逞しい」という言葉の意味が、文章の中で少しずつほどけていくところでした。最初は強くて、負けなくて、何があってもへこたれない人を思い浮かべていたのに、最後には「へこたれても、また立ち上がれる人」へ変わっていく。その変化が、50代になった今だからこそ見える景色として自然に伝わってきます。

 ともぞうさんの文章は、長く使ってきた言葉をいったん食卓に置いて、暮らしの中でひとつずつ確かめ直していくようでした。ごはんを作ること、家族を送り出すこと、立ち止まること、また始めること。大きな出来事ではなく、毎日の繰り返しの中から「これも逞しさだったのかもしれない」と拾い上げていく視点がやさしいです。

 読み終えたあとに残ったのは、何度でも暮らしを整え直していい、という少し軽くなる感覚でした。強さを無理に保ち続けなくても、疲れたら休み、寄り道し、また歩き出せばいい。「逞」という一文字から、自分がここまでどう生きてきたのかを静かに振り返っていく一篇です。

灯 ひかりさん|「予」って予だよ、予算の予で予めって読めるけど「矛」じゃないよ

 一番印象に残ったのは、ただの「予」が、配信へ入るたびに「ほこ」「あらかじめ」「あらかじ」と別人になっていくところでした。「よ」と読んでほしいだけなのに、簡単すぎるせいか周囲が勝手に深読みしてしまう。そのズレが可笑しいです。

 灯さんの文章は、一文字の漢字を机の上に置いて、角度を変えながら「まだ遊べるな」と眺め続けるよう。意味のない名前として選んだはずの「予」から、これだけのエピソードを拾える視点そのものが面白いです。

 読み終えたあとには、「予」という見慣れた漢字が少し変な顔をして残りました。普段なら迷いもしない一文字なのに、なぜこんなにも正しく読んでもらえないのか。そんな日本語の小さな不思議を、一緒に覗いてみたくなる一篇でした。

tora9🍩さん|ライオンより覇王では?

 一番印象に残ったのは、2歳半の娘さんの「覇王感」を、指の握り方から寝る位置、のりの貸し借り、シール剥がしまで、全部ひとつのキャラクターとして拾っているところでした。「娘が強い」で終わらず、日常の細部が全部「覇王の所業」に見えてくるのが楽しいです。

 tora9さんの語りは、家庭内の小さな出来事を戦国絵巻に変える実況席のようです。腕の位置を直されれば「人権はありません」、シールを剥がされれば「皮膚はデスマーチ」。娘さん本人はいつも通り過ごしているのに、父親の目を通すと一挙手一投足が壮大になる。その盛り方と、結局うれしそうな父親との温度差に笑ってしまいます。

 読み終えて残るのは、振り回されながらも、その時間を丸ごと楽しんでいる親子の景色でした。「覇王」と呼ぶほど手強いのに、文章の隙間からずっと可愛くて仕方がない気持ちが漏れています。

 2歳半にして、すでに父親を自在に操る娘さん。いったいどんな方法で王国を築いているのか。その「覇王伝説」を覗いてみたくなる一篇でした。

Trionさん|たどり着いた1億円の先で、大切にしたいものが増えた

 一番印象に残ったのは、1億円に到達した瞬間の感想が「ふーん、こんなものか」だったところです。大きな目標を達成した先にあったのが豪華な生活ではなく、「辞めることもできる」「今を楽しむこともできる」という選択肢だった。そのズレが、この文章の芯になっています。

 Trionさんの文章は、資産額という大きな数字を掲げながら、最後は暮らしの手触りへ降りてくる望遠鏡のようです。1億円という遠い景色から、寝具、妻との外食や旅行、毎日の心地よさへと焦点が近づいていく。その視点の移動に、投資の先で何を見つけたのかが自然に表れていました。

 読み終えたあとに残るのは、札束の山ではなく、少し余白の増えた暮らしの景色です。お金を増やす話でありながら、読後には「自分なら何を守るためにお金を持ちたいだろう」と考えたくなる。1億円の先に何があったのか、その答えを覗いてみたくなる一篇でした。

とりかじさん|烏兎怱怱——ゆで卵は急かせない

 一番印象に残ったのは、「ゆで卵は、効率化できない」というところでした。時間を節約し、整理し、仕組み化し、AIまで使う人が、毎朝の鍋の前で「待つしかないもの」に気づく。その発見が、そのまま子どもの成長へ重なっていく流れがきれいです。

 とりかじさんの文章は、研究室で見つけた仮説を、家庭の台所でもう一度確かめているようです。「烏兎怱怱」という難しい言葉を持ち出したかと思えば、着地する先はゆで卵と子どもの靴。大げさな言葉と、ごく普通の朝の風景を並べながら、「時間は速いのに、育つ瞬間は急かせない」という矛盾をすくい上げていく視点が面白いです。

 読み終えたあとに残ったのは、慌ただしい朝の台所で、鍋の前に立っている父親の姿でした。毎日同じように過ぎていく時間の中にも、待たなければ見えないものがある。難読四字熟語から始まった話が、どうして一個のゆで卵へたどり着くのか。その寄り道ごと読んでみたくなる一篇です。

Tororiさん|友達0だった毒親育ち。企画に誘ってもらえるようになりました

 一番印象に残ったのは、「企画に参加できたこと」以上に、「Tororiさんにも渡したい」と誰かが思ってくれたことを喜んでいるところでした。昔は誰かの輪に入ることさえ遠く感じていた。その人の名前を呼んで、バトンを差し出してくれる人が今はいる。その変化の大きさが伝わってきます。

 Tororiさんの文章は、ずっと遠くから眺めていた輪の中に、ある日、自分の名前が書かれた椅子を見つけるようでした。しかも、もらった嬉しさを自分の中だけに置かず、今度はバトンをくれた人たちの魅力を紹介して返していく。企画への参加そのものが、人とのつながりを受け取り、また誰かへ渡していく文章になっています。

 読み終えたあとに残ったのは、「あなたも一緒にどうですか?」という何気ない一言の重さでした。期限には間に合わなかった「エッセイしりとり」も、もらった「と」の一文字はちゃんと残っている。昔の自分には信じられなかった今へ、どうやって辿り着いたのか。その道のりを覗いてみたくなる一篇です。

ドンカンオさん|しりとり必勝法

 一番印象に残ったのは、「しりとりは在庫のゲームや」と言い切ったところでした。子どもの遊びだったはずのしりとりを、突然、在庫管理と攻防のある戦略ゲームとして見始める。その瞬間から「る」はただの一文字ではなく、相手の手札を削るための武器に変わっていきます。

 ドンカンオさんの語りは、町内会の遊びにひとり軍師が紛れ込んできたようです。「る」で始まる言葉を分類し、語尾まで分析し、相手の逆襲まで想定する。しかも本人は企画に参加せず、外野から必勝法を置いていく。その捻くれ方まで含めて、筋が通っているのが可笑しいです。

 読み終えたあとに残るのは、しりとりを見る目が少し変わってしまった感覚でした。次に誰かから「る」を渡されたら、もう素直に困ることはできないかもしれません。たかがしりとりに、ここまで本気で作戦を立てる必要があるのか。その無駄に緻密な研究がどこまで続くのか、覗いてみたくなる一篇です。

どん底公務員 もだ丸さん|「小さな過去の手帳」から、運命を変える大きなヒントが眠っていた話

 一番印象に残ったのは、今の自分が、昔の自分の手帳から励まされる構図でした。若い頃に誰かの言葉を書き留め、それを支えにしていた自分が、何年も経って今度は未来の自分を支えている。時間を越えて、自分から自分へ手紙が届いたようです。

 もだ丸さんの語りは、古い引き出しを開けたら、その奥から当時の空気まで一緒に出てくるようでした。手帳の言葉だけではなく、苦しかった職場や、玄関に紙を貼っていた頃の自分まで蘇ってくる。その過去をきれいに美化せず、「今は全然ありません」と書けるところにも親しみがあります。

 読み終えたあとに残るのは、実家の部屋で手帳を広げたまま、しばらく動けなくなっている姿でした。昔の自分は、案外いまの自分が忘れているものを覚えているのかもしれません。

 片づけの途中で見つけた小さな手帳から、今の生き方まで考え直してしまう。過去の自分との思わぬ再会を覗いてみたくなる一篇でした。

なおさん|ルンバを購入して掃除はどう変わったか

 一番印象に残ったのは、ルンバを導入したことで掃除が楽になるはずが、今度は「ルンバのお世話」という新しい仕事が生まれているところでした。5cmの段差からは落ちるのに、2.5cmは乗り越えられない。その微妙なポンコツ具合まで含めて、だんだん家電というより手のかかる同居人に見えてきます。

 なおさんの面白さは、暮らしの小さな不便を、そのまま愚痴で終わらせず、最後には仕事の考え方へ接続してしまうところ。ルンバの挙動を観察していたはずが、いつの間にかプロジェクトマネジメントの話になる。その視点の運び方が、日常の床に突然ホワイトボードを立てるようで印象的でした。

 読み終えたあとに残ったのは、「便利になる=全部楽になる」ではないという、少し可笑しくて納得できる景色です。家事の負担を減らすために迎えた機械と、結局うまく付き合っていく必要がある。その距離感がリアルでした。

 ルンバを買えば掃除から解放されるのか。そんな素朴な期待が、実際の暮らしの中でどう変わっていくのかを覗ける一篇です。

ナオユキさん|とりあえず、スキと言ってみる

 普段何気なく押しているnoteの「スキ」を、ここまで真面目に考えたことはありませんでした。「いいね」なら気軽なのに、「スキ」になった途端、初対面の相手を帰り道で呼び止めて告白しているような気がする。その違和感の拾い方が面白く、noteを使っている人ほど「確かに」と頷いてしまいます。

 特に印象に残ったのは、「いいねは評価、スキは感情」という捉え方。上手だった、役に立っただけではなく、「なぜかこの一文が残った」まで渡せるのがスキなのだと考えると、いつものボタンが違って見えてきます。

 そして、押すことすら恥ずかしかったナオユキさんが、最後には会社にまでスキを持ち込んでいる。最初と最後で「スキ」との距離がすっかり逆転しているのも楽しいところです。身近すぎて考えもしなかった言葉を立ち止まって眺め直し、読み終えたあと、次の「スキ」をほんの少し意識して押したくなる一篇でした。

中馬正輝さん|記憶の欠片を探して

 一番印象に残ったのは、「最古の記憶こそが、自分にとっての自分の始まり」という発想でした。自我がいつ生まれるかという少し哲学的な問いから、自分と弟のわずかな記憶を手がかりに、三十年前の一夜を探っていく。その入口だけでも続きを知りたくなります。

 面白いのは、家族LINEで母親に確認しただけの出来事を、わざわざ「長老から真実を伝えられる若者」の昔話へ仕立ててしまう語り口です。蝋燭が揺れ、長老ばあばが遠い目で過去を語る横で、長老じいじはTikTok。この壮大さと現実の落差が、記憶を発掘する旅を妙に大げさな冒険譚へ変えています。

 読み終えたあとには、暗い嵐の夜と、見知らぬ家の温かさが残りました。同じ夜を経験した兄弟でも、残っている記憶の欠片は違う。その欠片を家族で持ち寄ることで、知らなかった自分の始まりが少しずつ形になっていく。

 自分の「最初の記憶」を家族に尋ねたら、いったいどんな一日が出てくるのだろう。そんなことを自分も確かめてみたくなる一篇でした。

流しそうめんの亜種さん|来たるべきもの

 一番印象に残ったのは、「原産国:イタリア」の一行でした。バーニャカウダという言葉からアイルランド、遊牧民、草原、馬、遠い山へと壮大な景色を作り上げた直後、たった一行で全部ひっくり返される。頭の中では世界旅行をしているのに、現実では調味料の瓶を眺めているだけ。その落差が妙に可笑しいです。

 流しそうめんの亜種さんの文章は、連想という飛び石を踏みながら、本人だけが知っている川を渡っていくようでした。ゴリラからアイス、パン、青い皿、バーニャカウダ、草原、そうめんへ。次にどこへ着地するのか分からないのに、匂いや温度、指先の感触まで細かく描かれるので、不思議とその世界についていってしまいます。

 読み終えて残ったのは、雨の音と、湿った畳や髪、冷えた指先の感触でした。奇妙な連想がいくら遠くへ飛んでも、最後まで雨の日の湿度だけは文章にまとわりついているようです。

 「私は確かにゴリラに憧れていた。」から始まる時点で、もう普通の道は用意されていません。この人の頭の中はいったいどこへ向かうのか。その行方を追いかけたくなる一篇でした。

夏海さん|ルールのない世界では、人間は真緑でよく滑る。

 一番印象に残ったのは、「摩擦がなかったら」という理科の話から、滑ってきた人間を止めるアルバイトまで想像してしまうところでした。さらに人間が光合成をする世界では、美容の悩みまで「黄ばみ」や「葉脈」に変わっていく。ひとつの前提を外した途端、その世界の日常まで次々と組み立ててしまいます。

 夏海さんの語りは、日常を支えているルールのネジを一本だけ外して、「さて、どうなる?」と世界を転がしてみる実験のよう。転がった先で求人広告や美容医療まで生まれてしまう妄想の広がりが楽しいです。

 笑いながら読んだあとには、普段意識もしない無数のルールに支えられて暮らしている自分たちの姿が残りました。ハラスメントから摩擦、光合成まで。「ルール」という一語がどうやって真緑の人間へたどり着くのか、その思考の滑走を追いかけたくなる一篇です。

ナツメグさん|てんびん座はいったい何位でしたか?

 一番印象に残ったのは、朝から続く小さな不運を「今日はついてない」で終わらせず、星占いの順位によって意味まで変えようとするところでした。味噌汁をこぼし、渋滞にハマり、立ちション中のおじさんと目が合い、ヘビにまで遭遇する。それだけでも十分なのに、「もし今日が1位だったら?」と考え始める発想が面白いです。

 ナツメグさんの語りは、転んだ出来事をそのまま拾うのではなく、頭の中で何度もひっくり返して遊ぶ万華鏡のようでした。味噌汁の滝には堤防ができ、悪い出来事が続けば魚群リーチの気配まで漂い出す。現実は朝の失敗談なのに、妄想がひとつ加わるたびに景色が少しずつ広がっていきます。

 読み終えたあとに残ったのは、「ついてない日」なのに、なぜか本人はそこまで不幸そうに見えない不思議な明るさでした。嫌な出来事を笑い話へ変えるというより、まだ起きてもいない別の不幸まで想像して、今ある現実を相対的に眺めている。そのクセまで含めて楽しそうです。

 てんびん座はいったい何位だったのか。そんな小さな疑問を追いかけながら、一人の頭の中でアンラッキーがどう加工されていくのかを覗いてみたくなる一篇でした。

natty725さん|根に持つタイプですけど、それが何か?

 一番印象に残ったのは、「記憶力がいい」と「根に持つ」は表裏一体だという捉え方でした。忘れず、流さず、筋道立てて言葉にできる。それは長所であると同時に、納得できないことまで簡単には忘れられない性分でもある。その自己分析に説得力があります。

 さらに自分だけの性格かと思えば、先祖を辿るほど、勉強好きでこだわりが強く、出世より好きなことを選ぶ人たちが現れる。「まんま自分過ぎて笑える。」には、性格まで家系図から発掘してしまったような可笑しさがありました。

 年齢を重ねれば「仏の境地」に至れるのかと考えつつ、どうも本人はあまり期待していない。根に持つことさえ、覚え、考え、書き続ける力として引き受けている。その開き直りまで含めて、タイトルの「それが何か?」がよく似合う一篇でした。

七瀬ラテさん|Pretend「プリテンド」

 一番印象に残ったのは、「創作はコンフィデンスマンでやっていけるのかもしれません」という一文でした。ハンドルネームを名乗り、何者かになりきって書き、読み手を世界へ引き込む。自分を偽ることへの迷いから始まったはずなのに、「プリテンド」は創作するための技術でもあるのではないかと意味が揺れていきます。

 七瀬さんの文章は、窓辺に立って自分の姿をガラスへ映しながら、外の景色も同時に眺めているようです。note、創作、現実生活、自己表現。そのどちら側に自分がいるのかを何度も確かめながら、「Pretender」「ノーダウト」などの曲名を足場に思考を進めていく。その静かな自問自答が、この作品ならではだと感じました。

 読み終えたあとに残ったのは、開いた鳥籠の前で、まだ飛ばずに外を見ている人の景色でした。偽らずにいるとはどういうことなのか。創作する人なら一度は立ち止まりそうな問いを、自分自身へ向け続ける一篇です。

namakemononさん|カバンならイケる

 一番印象に残ったのは、「原始時代に放り込まれたら何を発明できるか」という壮大な問いが、最終的にnamakemononさん自身の性格診断へ変わっていくところでした。文明を進める知恵を考えていたはずなのに、「自分なら怖いくせに先陣を切る」と気づいた瞬間から、話の主役が発明ではなく本人になっていきます。

 特に面白いのは、「誰に背負わされたわけでもない荷物を勝手に背負い込む」という自己分析。それを受けて考えると、この文章そのものもかなりカバンっぽい。テレビで拾った小さな会話を入口に、原始人、ギャンブル、妹分、これまでの自分の性格まで次々と詰め込み、それでも楽しそうに背負って最後まで運んでいきます。

 読み終えたあとには、夕暮れの原始集落で、なぜか一人だけ格好をつけて海へ向かっていく猿人の後ろ姿が残りました。たぶん時代が変わっても、人間の性格だけはそう簡単に進化しないのでしょう。

 「自分が原始時代にいたら、人類をどこまで進化させられるか」。そんな大喜利のような問いから、思いがけず自分自身の輪郭まで見えてくる一篇です。

成島拓さん|いつから僕は、昼寝を責めなくなったのか

 一番印象に残ったのは、3時間の昼寝そのものではなく、「3時間も無駄にした」と責め続けていた時間のほうが、むしろ余計だったと気づいていくところでした。昼寝した事実は変わらないのに、見方が変わると、その後の一日まで変わっていく。その実感に説得力があります。

 成島さんの文章は、頭の中に開きっぱなしだった大量のブラウザタブを、一枚ずつAIに預けて閉じていくようでした。5分単位の記録やAIとの朝会など、かなり細かい時間管理の話なのに、最終的に見えてくるのは効率ではなく「頭の中が静かになった」という感覚です。

 読み終えたあとには、昼寝から起きて時計を見ても、以前ほど自分を責めなくなった人の部屋の静けさが残ります。時間管理とAIの話なのに、実は自分への評価の仕方が少し変わった話でもある。3時間の昼寝から、そこまで話が広がっていく一篇でした。

にぎりめしさん|練り物は海外生活のおまもり

 一番印象に残ったのは、アメリカ生活で恋しくなった日本の味が、寿司やすき焼きではなく「練り物」だったことでした。海外で故郷を思い出す食べ物というと、つい豪華な和食を想像しますが、実際に心を落ち着かせるのは、冷蔵庫に入っているだけで安心するような日常の味なのかもしれません。「これが家にあるっていう安心感。我が家がパワースポット。」という感覚が、とてもよく伝わってきました。

 にぎりめしさんの文章は、異国暮らしの苦労話を始めたはずなのに、横から酒と調味料と悪態が次々に乱入してくる海外版の台所トークのようです。「言語の壁ウォール・マリア」「自然が殴ってくる」と大げさに笑わせながら、その一方で日本の食文化が恋しくて泣いたこともさらっと置いていく。この軽さと切実さが同じ食卓に並んでいるところが面白かったです。

 読み終えたあとに残ったのは、異国のキッチンに並ぶ日本の調味料と練り物の景色でした。かつて米を炊くことすら面倒だった人が、知らない土地で少しずつ自分の味を作っていく。練り物がどうして「おまもり」になったのか、その距離をたどってみたくなる一篇です。

日常無常さん|にんげんを洗う

 一番印象に残ったのは、冒頭の老紳士を「樹齢80年を超えるサルスベリの木」に見立てたところでした。そこで既に、この作品がただの下ネタには収まらないことがわかります。ゆで卵、大樹の年輪、子ゾウ、野菜のスープ、濁ったビー玉と水晶玉。次々に現れる比喩が、笑いのためでなく、そのまま話を次の場所へ運ぶ道標になっているのが面白いです。

 日常無常さんの文章は、湯船の中で浮かんだ連想を、ひとつも取りこぼさず掬い上げていくようでした。身体の一部を眺めていた視線が、息子との記憶へ移り、そこから風呂、命の洗濯、さらには人の魂まで洗い始める。かなり遠くまで脱線しているはずなのに、すべてが「洗う」と「湯」の中でつながっているので、不思議と一本道に見えます。

 読み終えたあとに残ったのは、笑いよりもむしろ、湯気の向こうでいろいろな人生が同じ湯船に浸かっている景色でした。くだらないところから始めて、人間そのものへ話を広げ、それでも最後はサルスベリへ戻ってくる。「にんげんを洗う」というタイトルが、どこまで洗う話なのか。その行き先を追いかけたくなる一篇です。

ニッシーさん|リンドバーグ

 一番印象に残ったのは、「り」から始まる言葉を考えていたはずが、いつの間にか青春時代の音楽の記憶へ飛んでいくところでした。しりとりの攻略用として大切に取っておいた「リンドバーグ」が、いまでは若い世代に「なにそれ?」と言われる。その一言で、ただの言葉遊びに時代の流れまで混ざってきます。

 ニッシーさんの文章は、しりとりの引き出しを開けたら、その奥から昔のカセットテープまで一緒に出てきたようです。「り」攻撃への対抗策だったはずの一語から、バンドの記憶や当時の空気まで次々によみがえる。思いついたことをそのまま辿っているようでいて、その寄り道自体が楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、昔よく知っていた名前が、いつの間にか説明しないと伝わらなくなっていたと気づく瞬間の、少し可笑しくて少し寂しい感じでした。「内容がない」と本人は書いていますが、一文字からこんなところまで記憶が飛んでいくのもエッセイの面白さ。なぜ「リンドバーグ」が今もしりとりの切り札なのか、同年代ならとくに覗いてみたくなる一篇です。

二丁目夏子さん|ルビーの指輪だった頃(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、どちらの作品にも「温度」があることでした。『ルビーの指輪だった頃』では、冷めた紅茶や寒そうな店の外から失恋の冷たさを読み取り、『ふたりの「八月」』では、照りつける太陽の暑さの中に、余命を知ってしまった人の苦しさが重なります。

 二丁目夏子さんの文章は、古い写真を一枚ずつ光に透かして、そのときの空気まで思い出していくようです。歌の小道具から若い頃に感じた色気や憧れを掘り起こす一方で、八月という季節からは、夫と過ごした時間を静かにたどっていく。大きく感情を叫ばず、具体的な景色に預ける語り方が印象的でした。

 片方には昔憧れた大人の恋、もう片方には現実に共に生きた夫婦の時間がある。同じ人が振り返る二つの過去だからこそ、人生の長さまで感じさせる二篇でした。

にゃんきちさん|『リアルな恐怖と、突然の捜査劇🕵️』

 一番印象に残ったのは、自分の家から追い返した不審な営業マンが、今度は向かいの家へ入っていくのを目撃する場面でした。「自分は助かった」で終わらず、そこから通報まで動く。その瞬間に、ただの訪問営業の体験談が一気に事件のような緊張感を帯びます。

 にゃんきちさんの語りは、日常に突然サスペンス映画のカメラを持ち込むようです。「危険センサー」「静かなバトル」と、自分の焦りまで少し大げさに実況するので、怖い出来事なのに重くなりすぎず、読者も一緒にハラハラしながら追いかけられます。

 読み終えて残るのは、昼下がりの住宅街で起きた小さな騒動の景色でした。いつものインターホンひとつから、こんな展開になることがある。日常と事件は意外と薄いドア一枚で隔てられているのかもしれません。

 初めてのエッセイで選んだのが、まさかのリアル捜査劇。タイトルの「突然」がどこまで転がっていくのか、その顛末を追いたくなる一篇でした。

にわにんさん|旅行中のアルコール事情が先週特にスキを集めました

 一番印象に残ったのは、「ポイントを利用しているつもりが、私がポイントシステムに利用されてる?」と立場がひっくり返るところでした。クーポンがあるから店を選び、ポイントアップだから決済方法を選ぶ。得しているはずなのに、よく考えると見事に誘導されています。

 にわにんさんの面白さは、日常の小さな出来事をいったん手のひらに乗せ、くるっと裏返して眺めてみるところ。ダブルでポイントが貯まったというささやかな喜びから、「そもそも誰が誰を利用しているんだ?」まで考えが転がっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、レジ前でスマホを片手に「得した」と喜んでいる自分を、少し離れたところから眺めるような景色でした。たぶん明日もクーポンは確認する。でも、そのとき一瞬だけポイントシステムの思惑まで考えてしまいそうです。

 ポイントは貯まった。でも本当に得をしたのは誰なのか。身近すぎて疑いもしなかった「お得」を眺め直したくなる一篇でした。

庭未満さん|盛り上がり。(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、『盛り上がり。』で名づけられた「心のアクション」という言葉でした。傍から見れば何も起きていなくても、自分の中では確かに何かが動いている。その小さな波を拾う姿勢が、『かえるの置物。』にもそのままつながっています。

 庭未満さんの文章は、日常へ虫眼鏡を当てるようです。モニターの下に並ぶ、かえるや花がらや種まで眺めているうちに、ただの「謎の祭壇」が、過ぎた時間の名残りを置いておく場所へ変わっていく。小さなものから心の動きを見つける視点が印象的でした。

 読み終えたあとには、机の上や身の回りにある「なぜか捨てられないもの」を少し眺めてみたくなります。大事件ではなくても、心だけがひそかに動いた瞬間には、ちゃんと書く価値がある。そんなことを思わせてくれる二篇でした。

猫杓子さん|磯野〜!野球しようぜ〜!!!

 一番印象に残ったのは、夫から投げられた「磯野、野球しようぜ」というタイトルが、最後には夫婦の関係そのものへきれいにつながっていくところでした。「夫〜!釣りしようぜ〜!」と誘う自分は中島、二つ返事で付き合う夫はカツオ。夫婦を「気の置けない友達同士のシェアハウス」と表す距離感にも、この二人らしさが見えます。

 そして釣れない話なのに、とにかく話の収穫量が多い。「小魚へ餌を配る給食のおばさん」になり、業務スーパーの袋を釣り、ついには根掛かりを「地球を釣った」と喜ぶ。失敗をそのまま失敗で終わらせず、面白がって持ち帰る語り口が楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、魚よりも、一緒に遊べる相手がいる日常の楽しさでした。「磯野〜!」から本当に一本書けるのか。その無茶振りがどう釣りへ着地するのかを追いかけたくなる一篇でした。

ねこだまりキリコさん|知らん顔して今日も依存。あなたのことは好きじゃないのに、すがっている私へ。

 一番印象に残ったのは、絵文字を「感情を伝えるためのもの」ではなく、「誤解されないための防御」と捉えたところでした。冷たく見えないように、怒っていると思われないように。便利だから使っていたはずなのに、いつの間にか「ないと不安」になっている。その違和感をここまで掘り下げる視点が面白いです。

 キリコさんの文章は、普段何気なく身につけている防具を一枚ずつ外して、「そもそも、これ何から身を守ってたんだっけ?」と確かめていくようでした。その途中で昔の顔文字を拾い、絵文字との違いを「絵」と「文字の延長」まで考えていく。身近な小さな違和感から、どんどん思考が深くなっていきます。

 読み終えたあとには、普段何気なく押している😆や🥹が、少し違って見えました。好きでもないのに、なぜ私たちは使ってしまうのか。絵文字ひとつから「自分の言葉をどこまで信じているか」まで考えてしまう一篇です。

猫めがねさん|Lサイズでも小さい

 一番印象に残ったのは、「着たい服ではなく、着られる服しか選べない」という一文でした。妊娠前には160サイズのTシャツまで着られた身体が、出産や年月を経て変わっていく。単なる体重の増減ではなく、服を選ぶ楽しさまで少しずつ失われていく感覚が、この一文に詰まっているように感じました。

 猫めがねさんの語りは、昔と今の自分を並べた試着室のようです。石垣島の坂道を軽々と駆け上がっていた自分、大きいサイズのコーナーで服を探す現在の自分。その間に妊娠や出産、更年期までがあり、鏡の前でサイズを確かめるたび、そこまで生きてきた時間まで一緒に映り込んでくるようでした。

 だから読み終えたあとには、煌めく海と眩しい太陽の下を走っていた若い頃の姿と、今の自分を見つめる姿が重なって残ります。笑い飛ばすには少し切実で、かといって悲しいだけでもない。その距離感が印象的でした。

 そしてタイトルに置かれた「L」。服の話として読み始めるとごく自然な一文字なのですが、この作品がなぜ「L」から始まっているのかを知ると、別の楽しさが顔を出します。しりとりの無茶振りを、自分自身の時間へどうつなげたのか。その発想も含めて読んでみたくなる一篇でした。

音琴さん|『たまゆらの光が揺れたとき』

 一番印象に残ったのは、「離れようとするほど胸の奥で灯りが揺れる」という感覚でした。忘れたい、遠ざけたいと思うものほど、実はまだ自分の中に温度を残している。その矛盾を無理に説明せず、「たまゆらの光」として見つめているところに惹かれます。

 音琴さんの文章は、暗い部屋で小さな灯りを両手で包み、その明滅をじっと眺めているようです。揺れ、影、扉、光、手のひらの温度。形のない心の動きを、触れられそうな景色へ少しずつ置き換えていく。その静かな語り口が、この作品全体の空気をつくっています。

 読み終えたあとに残ったのは、夜明け前のような淡い明るさでした。傷や記憶が消えるわけではない。それでも、かつて触れられなかったものとの距離が、ほんの少し変わっていく。その変化を急がず見守ったような読後感があります。

 タイトルにある「たまゆら」は、ほんのわずかな時間。では、その一瞬の光が揺れたとき、心の中では何が起こっていたのか。静かな文章の中にある小さな変化を追ってみたくなる短編詩エッセイでした。

neruさん|たった一言を言えなかった私を、先生は覚えているだろうか

 一番印象に残ったのは、「私は先生を忘れたくない。でも、先生には私を忘れていてほしい」という矛盾した願いでした。感謝しているからこそ会えなかった、という気持ちをきれいに整理せず、そのまま残しているところにneruさんらしさがあります。古い手紙を何度も開いては、結局出せずにしまい直すような語りで、読み終えたあとには、言えなかった一言が何年経っても心に残る静けさがありました。

 『のちに分かった、贅沢』では、子どもの頃には嫌だった苦味や毎週のラーメンが、大人になると違って見えてくる。同じ出来事なのに、年月が味付けを変えていくようです。大事件ではなく、家族との何気ない食卓から「大人になること」を見つける視点がやさしい。

 どちらも、当時は分からなかった気持ちを、今の自分でもう一度眺め直す作品。昔の記憶が年月を経てどんな意味に変わったのか、そっと覗いてみたくなる二篇でした。

ネルゥさん|北海道の夏、その終わりの余韻

 一番印象に残ったのは、北海道の夏の短さを語っていた文章が、そのまま「エッセイしりとり」の最終日へ重なっていくところでした。夕方の風や少し長くなった影から「終わりが近づくと急に大切に見えるもの」へ話が広がり、8月31日という投稿日まで含めて、作品全体が夏の終わりの景色になっています。

 ネルゥさんの文章は、夏の夕方をゆっくり歩きながら、少しずつ気温が下がっていくのを感じるようでした。派手な出来事はないのに、5月の雪、夜の長袖、短い夏休みと、自分の中に残っている北海道の季節をひとつずつ置いていく。その穏やかな語りの中で、旅行の最終日や子どもの頃の夏休みまで自然につながっていくのが心地よかったです。

 読み終えたあとには、まだ明るいのに風が少し冷たくなった、8月末の夕方が残りました。そして偶然なのか必然なのか、「ほ」から受け取った最後の日のバトンが、この夏の話とどんなふうに重なるのか。企画の最終日に読むからこそ、もう一段余韻が増す一篇です。

ノーザンオバサンさん|リピートザットプリーズ

 一番印象に残ったのは、冒頭の「私は心に寮母を飼っている」です。高校生が二人増えた瞬間、ドーナツを切り、サンドイッチを作り、麦茶まで用意する。その姿は、息子の友達が来ると勝手に開店する小さな学生寮の食堂のようでした。

 料理そのものより、「腹減ってる?」から始まる距離の詰め方がノーザンオバサンさんらしい。初対面の子までまとめて「子供達」になり、食べ盛りの高校生へせっせと食事を運ぶ。その豪快なお世話好きが、文章からそのまま伝わってきます。

 読み終えて残るのは、夕方の家に高校生たちの声が響き、台所では寮母が嬉々として働いている景色。誰かに食べてもらうことが好きな人にとって、何気ない一言がとんでもないご褒美になる。その瞬間の嬉しさまで一緒に味わえる一篇でした。

野田志保さん|てりやきバーガーを食べた理由を聞いてください(他、計4本)

 一番印象に残ったのは、「て」から始まるタイトルひとつに、ここまで本気で悩み続けたことでした。辞書を引き、街で「て」を探し、てりやきバーガーまで注文する。それでも「ちゃんとした記事」を書こうとすると、自分らしさが消えてしまう。その葛藤自体が、だんだん一番面白い題材になっていきます。

 野田さんの文章は、真面目な優等生が原稿用紙の前で粘り続けた末、突然机をひっくり返して即興コントを始めるようです。自分で書いて、自分でダメ出しし、編集者野田まで登場してまた書き直す。その脳内会議まで全部見せてしまう語り口に、独特の可笑しさがあります。

 読み終えたあとに残るのは、「うまく書けなかった時間」まで含めて、ひと夏の思い出になっていく景色でした。人の期待に応えたいからこそ苦しくなる。でも、その迷走の先で何を選んだのか。文章を書くことに悩んだことがある人ほど、途中から他人事ではなくなってくる作品群です。

ノリ地蔵|like,love,lie,live,life

 一番印象に残ったのは、たった一つの勘違いが、その後の十年近い時間へつながっていることでした。知り合いがラジオ番組を持っていると思い込んだところから、自分が講習を受け、気づけばラジオパーソナリティー9年目。人生の転機というと大きな決断を想像しますが、こんな「間違えて曲がった角」から始まることもあるのだなと思いました。

 ノリ地蔵さんの文章は、台本を置かずに始まった深夜ラジオのフリートークのようです。映画制作からラジオ、猫の仕事、ラジオドラマ、脚本へと話題は次々に寄り道していくのに、振り返ると全部が一本の道につながっている。特に、嘘を書く脚本の中へ現実を混ぜながら「噓から出た実」を探していくという視点には、長く表現を続けてきた人ならではの実感がありました。

 読み終えたあとに残ったのは、人生にはあとからしか意味の分からない寄り道がある、という景色でした。最初に思い描いた場所へ一直線には辿り着かなくても、その途中で拾ったものが次の道を作っていく。「ちょっとした興味で人生が変わった」という言葉の先に、どんな遠回りが積み重なっているのかを辿ってみたくなる一篇です。

ノロマなカメさん|肉球の匂いは、おひさまの匂い

 一番印象に残ったのは、「猫の肉球はおひさまやポップコーンの匂い」と、かなり幸せな方向へ話が進んでいくところです。肉球の仕組みまで調べ、ぷにぷに触って匂いを嗅ぐ。その愛猫への距離の近さが伝わってきます。

 ノロマなカメさんの語りは、猫を愛でる日記に、そっと理科の豆知識を振りかけたよう。かわいい、気持ちいい、いい匂い――と読者を安心させながら、日常ならではの現実もちゃんと混ぜてくる。その温度差が楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、ソファの横で丸くなる猫と、肉球をぷにぷにしながら顔を近づける飼い主の姿。猫との暮らしは、いつも理想どおりに香ばしいわけではない。そんな「猫あるある」まで含めて愛しくなる、短くてかわいい一篇でした。

のんえもんさん|「ルート関数」という言葉を聞いて、「げっ」と思った方必読です!

 一番印象に残ったのは、「る」から始まる言葉を探していたはずなのに、ルート関数と真正面から向き合い始める、その無駄な本気でした。難しそうな数式を出して「3分考えてください」と読者まで巻き込むのに、数学が分からなくてもまったく置いていかれない。むしろ分からない側ほど安心して読める構成になっています。

 のんえもんさんの文章は、真面目な数学の授業に大喜利好きの先生が紛れ込んだようです。数式、グラフ、数学者と順番にもっともらしく積み上げながら、その知識をどこへ使うのかと思っていると、少しずつ授業の目的がおかしくなっていく。難しいものを分かりやすく説明するのではなく、難しいものを全力でくだらない方向へ運んでいくのが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、数式を見て身構えていた自分が、いつの間にか次のグラフを待っている景色でした。「ルート関数」というタイトルで引き返しかけた人ほど、そのまま入ってみてほしい。数学がどこまで脱線できるのかを見届けたくなる一篇です。

映えないサラダ部さん|ZETTERIAに籠城する女(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、ゼッテリアでバーガーを食べているだけなのに、話が肥満、仕事、管理職、昭和ネタへと勝手に増殖していくところでした。続編ではさらに体重、note一周年、かつて熱中したインスタ時代へ。話題が飛ぶたびに別の扉が開く、ドン・キホーテの店内を歩いているような語りです。目的の売り場へ向かっていたはずなのに、気づけば全然違うものを手に持っている。

 その賑やかさの奥に見えるのは、「楽しいことほど頑張りすぎてしまう人」なのかもしれません。インスタでは好きだった食べ歩きと投稿をやり込みすぎて疲れ、noteではあえて毎日投稿をしない。その経験まで笑いの中に混ぜてしまうところが印象に残りました。

 初めてのエッセイを書くためにゼッテリアへ籠城したパラ子さんが、なぜか数日後には「2」を書いている。二本続けて読むと、エッセイとの距離が急速に縮まっていく様子まで楽しめます。

ぱくぱぱんさん|うしさん、ありがとう

 一番印象に残ったのは、「感謝して食べれば罪にはならないのか」と自分たちへ問い返しているところでした。「いただきます」や「ありがとう」という綺麗な言葉だけで、命を利用している事実まで包んでしまわない。その厳しさに、実際に牛の隣で働く人の言葉の重さを感じます。

 ぱぐぱぱんさんの視点は、牧場の表と裏を隔てる扉の前に立って、両方を同時に見ているようです。休日の牧場にあふれる子どもたちの笑顔も本物なら、そのすぐ隣で牛たちが生きている生々しい時間も本物。どちらか一方を正解にせず、その境界線から語っているところが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、夕暮れの牛舎と、そこにいる牛の穏やかな瞳です。そして普段何気なく口にしている牛乳の向こう側にも、この景色が続いているのだと少し立ち止まらされます。

 「う」から選んだ、たった二文字の「うし」。そこから「いただきます」のさらに奥側まで連れていかれる一篇です。

白明さん|「似ている」という呪縛

 一番印象に残ったのは、かつて嬉しかった「おじいちゃんに似ている」という言葉が、ある出来事を境に「しゃんとしなければ」という30年続く行動原理へ変わってしまったところでした。同じ言葉なのに、受け取る意味がまるで違ってしまう。その重さが残ります。

 白明さんの語りは、自分という人間を家系図の上に置き、「どこからが自分で、どこまでが受け継いだものなのか」を一本ずつ糸をほどくように確かめていくようです。祖父とは正反対だという本来の性格まで並べることで、「似ている」という言葉が容姿だけでは済まなくなった苦しさが見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、長いあいだ誰かの目を意識して生きてきた人が、ようやく「自分らしさ」を探し始めた景色でした。それでも家族とは似てしまうし、受け継がれるものもある。「似ている」は愛情にも誇りにも呪縛にもなり得るのだと考えさせられます。

 誰かに何気なく「親子そっくりだね」と言ったことがある人ほど、その一言の裏側にこんな物語があるのかと覗いてみたくなる一篇です。

ハダカさん|記憶の中の義母、得と徳。

 一番印象に残ったのは、義母が「ばあばに返せなかった恩を、嫁に返す」と語っていたことでした。受けた恩を本人へ返せなくても、別の誰かへ渡せばいい。そして実際、義母が亡くなったあと、その恩が巡り巡って書き手や子どもたちを助けている。その連なりに温かさを感じます。

 ハダカさんの語りは、家族の古いアルバムを一枚ずつめくりながら、写真には写っていない人と人とのつながりまで辿っていくようです。三百人近くが集まった葬儀、街灯に照らされた三輪車、井戸で冷やしたスイカ。具体的な記憶を辿るほど、義母という人の輪郭が見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、一人の親切がその人のいない場所でも生き続けている景色でした。「損して得取れ」の得が、いつの間にか徳へ見えてくる。そんな義母の生き方を、少し覗いてみたくなる一篇です。

葉月さん|電気を大切にね

 一番印象に残ったのは、「ここまで相当書いたのに、今から!? 『で』!?」でした。私もそこまで読んですっかり一本の記事を読み終えた気になっていたので、「そういえば、まだエッセイ始まってなかった」と気づかされます。企画への参加そのものを前半でこれだけ膨らませてしまうのが面白い。

 しかも、3人のバトン相手を選ぶだけなのに、それぞれの記事や人柄まで紹介し、「なぜこの人に渡したのか」をきちんと語っていく。バトンをただ次へ回すのではなく、その人の文章を自分がどう読んでいるのかまで添えて渡すところに、葉月さんらしい人との関わり方が見える気がしました。

 そこからようやく「で」を探し始め、窪塚洋介を経由して電気代へ。エアコン、IH、電子レンジの三つ巴から、最後は夫への愚痴が顔を出す。大きな出来事ではなくても、頭に浮かんだものを拾いながら話を転がしていく語り口に親しみがあります。

 読み終えると、電気代の話以上に、楽しそうなバトンの受け渡し風景が残りました。「全員に書いてもらいたい」から始まった人が、悩みながら三人を選び、今度は「ね」を手渡していく。しりとり企画そのものを一緒に覗いているような一篇でした。

発光さん|呼んでいる胸のどこか奥でいつも心踊る夢を

 一番印象に残ったのは、「話を戻そうかと思いましたが、どうやら最初からレールが無かった」という最後の一文でした。読み返してみると、本当にその通り。『いつも何度でも』の話をしていたはずが、寝かしつけ、突然制定された世知辛レベル、豚になった両親、紅の豚、さらにはポルトガル語の「Porco」まで辿り着いています。

 このエッセイの面白さは、その脱線をまったく止めようとしないところだと思います。「ちなみに」「そう言えば」で思い出したものを次々と拾い、そのたびに話が別方向へ走り出す。それでもジブリや音楽にまつわる発光さんの記憶や体験から生まれた話なので、不思議と置いていかれる感じがありません。むしろ「次はどこへ行くんだろう」と、その寄り道自体を楽しんで読めました。

 幼い頃には「親が豚になる物語」だと思っていた作品を、大きくなって観直して「べらぼうに良い話じゃねーか」と知る。さらに年齢を重ねれば、好きな曲まで少しずつ変わっていく。同じ作品でも、自分が変われば受け取り方も変わる。その時間の重なりも、賑やかな語りの奥に残っています。

 きれいな一本道ではなく、思い出したことを追いかけながら歩いていたら、気づけばずいぶん遠くまで来ていた。そんな雑談を隣で聞いているような楽しさと、読み終えたあと無性にジブリの曲を聴きたくなる一篇でした。

ぱっちーさん|ん?走ると若くなるの?(他、計5本)

 一番印象に残ったのは、「走れば若くなるの?」「『を』にはどこから抱きつけばいい?」「家に現れた芋虫は『〜』では?」と、普通なら通り過ぎる小さな疑問を、本気で一本のエッセイまで育ててしまうところでした。

 ぱっちーさんの文章は、道端で拾った小石を「これ、隕石かもしれない」と持ち帰って観察し始める子どものようです。相対性理論から麻雀、巨大なひらがなまで、思いついた遊びをためらわず広げていく。その自由さが、5作品を通して一番の魅力でした。

 だからこそ最後の『たん』で、焼肉屋の仲間とnoteで出会った人たちが重なっていく景色が印象に残ります。くだらないことを一緒に楽しんだ時間も、あとから振り返れば人と人をつなぐ記憶になるのかもしれない。何が飛び出すか分からない遊び心と、その向こうにある人とのつながりまで感じられる作品群でした。

 そして、振り返れば、ぱっちーさんに回ってきたのは「ん」「論」「を」「〜」「た→ん」。まともな頭文字がありません。それでも毎回、その無茶振りを遊び場に変えてしまう。むしろ難しい文字ほど楽しそうなのが、ぱっちーさんらしいところでした。

はっぱ64さん|モンシロチョウの絵(他、計3本)

 一番印象に残ったのは、『モンシロチョウの絵』で、同じ詩を読んだクラスメイトたちが一枚として同じ絵を描かなかったという体験です。自分には当たり前に見えている世界が、隣の人にはまるで違って見えている。その驚きが、今も大量のエッセイを読むことへつながっているのが面白いです。

 はっぱさんの文章は、人の頭の中を覗く小さな観察窓のようでした。クラスメイトの感想を見比べ、2ちゃんねるでは釣られる側から釣る側へ回ってレスを楽しみ、ぷーちゃん独自のしりとりルールにも付き合う。形は違っても、そこにはずっと「この人はどう考えるんだろう」という好奇心があります。

 3本を読み終えると、教室の壁いっぱいに貼られたモンシロチョウの絵が残ります。同じものを渡されても、人によって返ってくるものは違う。エッセイしりとりも、まさにそんな遊びだったのかもしれません。

 人によって世界が違って見えることを、悩みから面白さへ変えてきた人。その視点を知ってから読むと、はっぱさんがなぜ人の文章を読み、自分でも書くのか、少し覗いてみたくなる3作品でした。

鳩生さん|与太野郎って語呂、良いねん

 一番印象に残ったのは、「与太野郎」という語呂のよさから始まったはずの文章が、いつの間にか父親の記憶へつながっていくところでした。軽い言葉遊びの入口なのに、その奥からかなり重たい話が出てくる。その落差があるぶん、「奴は結局なんだったんだ」という一言が残ります。

 鳩生さんの語りは、笑い話を始めた人が、途中で昔の傷跡まで勢いよく机の上に並べてしまうようです。「酒カスヤニカスモラハラの役満人間」と容赦なく切り捨てながら、自分にも受け継いだものがあるとさらっと認める。重くなりすぎそうなところを、毒と自虐で少しずつ逃がしていく書き方が印象的でした。

 読み終えたあとに残ったのは、親から受け取ったものを抱えながら、それでも自分は少し違うところへ行こうとしている姿でした。「与太野郎」という妙に耳に残る言葉から、どんな家族の記憶が出てくるのか。そして最後にしりとりをどう扱ったのか。軽口の奥にあるものまで覗いてみたくなる一篇です。

hanautaさん|クィスティーナ・ロナウニョ

 一番印象に残ったのは、「おかあたん、おとうたんって、本当に自然にそうなるの?」という小さな疑問を、わざわざ二年前のオーストラリアまで追いかけていくところでした。普通なら「子どもの言い間違いって可愛い」で終わる話なのに、hanautaさんの思考はそこで止まりません。

 語り口は、子どもの言葉を虫眼鏡で覗いているうちに、その虫眼鏡がいつの間にか大人のほうへ向いているよう。幼い発音を「かわいい」と受け取るだけでなく、なぜそう言うのか、こちらの反応まで含めて観察していく。その少し疑り深い視点が面白いです。

 読み終えたあとには、子どものたどたどしい言葉を囲んで、大人たちが一斉に顔をほころばせている景色が残りました。同時に、次に子どもの可愛い言い間違いを聞いたとき、素直に「かわいい!」だけでは済ませられなくなりそうです。

 「パパ・ママと呼ばなかった」という夫婦の何気ない会話から、なぜ『クィスティーナ・ロナウニョ』へ辿り着くのか。その妙な道のりごと楽しみたくなる一篇でした。

HANAKUROさん|がん検診のコト

 一番印象に残ったのは、エコー検査の「カタカタ、ジージジー」という機械音でした。痛いわけではないのに、手が止まり、音が鳴るたびに呼吸が浅くなる。検診を何度経験しても消えない不安が、その音で伝わってきます。

 HANAKUROさんの語り口は、白い診察室の蛍光灯の下を、平静な顔で歩きながら心の中だけが小走りしているようです。「大丈夫です」と言えてしまう自分と、「おいおい、大丈夫かい…」と思っている自分。その二つが同時にいるところに、HANAKUROさんならではのリアルさがありました。

 読み終えて残ったのは、検査そのものよりも「結果が出るまでの時間」の重さです。そして、そんな落ち着かない夜に偶然届いたエッセイしりとりのバトン。いつもの企画が、この日は少し違う意味を帯びています。

 タイトルの「か」から始まる一本に、なぜこの出来事を選んだのか。最後まで読むと、その日の朝の空気まで感じられる一篇でした。

華子さん|懐かしい夏。(他、計2本)

 『懐かしい夏』で印象に残ったのは、夏休みの宿題を早々に7割終わらせて安心し、最後になって大慌てする子ども時代の記憶です。そして大人になった現在も、書いている途中で仕事のアラームが鳴る。昔の夏休みと今の日常が、どこか同じリズムで動いているのが可笑しいです。

 華子さんの文章は、道端で見つけたものを次々とかごへ入れながら歩く散歩のようでした。二つの企画を橋渡ししたり、夏の終わりの焦りを拾ったり、『お湯を沸かす。』では何気ない家事から震災の記憶へつながったり。話題は変わっても、身近な出来事から「そういえば」と意味を見つけていく視点があります。

 特に二本を続けて読むと、一方には「いそげーー(笑)」と走り出す姿があり、もう一方には静かに湯気の立つ鍋がある。その温度差が印象に残りました。

 夏の宿題と、毎日沸かすお湯。一見何もつながらない二つの日常から、華子さんが何を見つけたのか。そんなところから覗いてみたくなる二篇です。

パナップさん|もはや

 一番印象に残ったのは、難解なシステムとの8時間を「にらめっこ」にしてしまうところでした。仕事に疲れた話なのに、「お前ほんと面白くないぞ」とシステムへ絡み始める。その語り口は、残りわずかな体力でくだらないことだけ考えている深夜テンションのようです。

 長々と疲労を説明しないぶん、退勤後のカフェオレ500mlがやけに切実に見える。読み終えると、仕事ですっかり干からびた人が、コンビニの明かりの下で生命力を補給している姿が残りました。

 たった数分で読めるのに、「ああ、今日はもう無理」という日の疲労感だけは妙に濃い。働きすぎた日の頭の中を、そのまま覗いたような一篇です。

花日和と碧色さん|地球のはるか彼方で通じ合うクールな友だち✨

 一番印象に残ったのは、実際には会ったことのないnoteの仲間とのつながりを、「地球のはるか彼方で通じ合う友だち」として描いているところでした。画面越しの交流なのに、距離では測れない親しさがある。その感覚を真正面から言葉にしています。

 花日和と碧色さんの文章は、日常の出来事に星屑をふりかけて、宇宙まで持ち上げるようです。「ピピピ」「スパーク」「ミラクル」「ワンダーランド」と、気持ちをそのまま光や宇宙の言葉へ変換していく語り口に独特の世界があります。

 読み終えたあとには、夜空のあちこちで小さな光がつながっているような景色が残りました。顔も知らない、会ったこともない。それでも文章を通して誰かを身近に感じることがある。noteで生まれる不思議な距離感を、思いきりロマンチックに描いた一篇です。

はにわ寺さん|はい、私がヴィーナスです。

 一番印象に残ったのは、「自己肯定感を上げる方法」を語るはずが、いきなり「私はヴィーナスだから」で全部解決してしまうところでした。ミロのヴィーナスを見れば「ご先祖さま?」、ボッティチェリを見れば「露天風呂を盗撮された」。世界的名画を自分へ引き寄せる力が強すぎます。

 この作品の面白さは、コンプレックスになりそうなものまで、ものすごい勢いで自分に都合よく解釈していくところ。太い二の腕はヴィーナス以上の完成形、モナリザ似も自己肯定感の糧。ところが血圧まで高くなったあたりから、さすがのヴィーナスにも雲行きが怪しくなっていきます。

 それでも一番強かったのは、長年信じてきたテーマソングにまさかの勘違いが発覚しても、ヴィーナスを辞めないこと。根拠が崩れても自己肯定感だけはびくともしない。読み終えたあとには、「ここまで自分に都合よく生きられたら楽しそうだな」と、元気をもらえます。

 自己肯定感はどうやって上げるのか。その答えを探している人ほど、たぶん予想もしなかった方向からヴィーナスがやって来る一篇でした。

はみぱっちょさん|誕生日ケーキ🍰自分で焼いちゃえばいいじゃない(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「誕生日ケーキをどうするか」という小さな困りごとから、家族の新しい年中行事まで作ってしまったところでした。しかも後の舞台裏を読むと、最初からこの題材があったわけではなく、「たこ焼き」「タイヤ」「たい焼き」「田村直美」まで候補が大渋滞していた末に、ようやく誕生日ケーキへ辿り着いている。その迷走まで含めて、一篇ができるまでの温度が見えてきます。

 はみばっちょさんの文章は、台所のテーブルいっぱいに材料を広げて、「これは違う」「こっちも違う」と味見しながら一本の献立を決めていくようです。正月料理、家族の好み、1月1日生まれという事情、自分の主夫力まで、関係なさそうな材料を次々に放り込みながら、最後はちゃんと「うちの家族の話」にまとめていく。その過程を隠さず、むしろボツ案まで笑いに変えて見せてくれるのが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、毎年の年末に家族でケーキを作っている未来の景色でした。何を書くか悩んだ時間まで含めて、ひとつの題材がその家だけの行事へ変わっていく。1月1日生まれの子どもをめぐる話が、どうしてそんな場所へ着地するのか。そこまでの寄り道ごと読んでみたくなる二篇です。

ハルさん|楽しめた?(他、計3本)

 一番印象に残ったのは、華やかな仕事の真ん中にいたハルさんが、移動中の列車から見えた小さな集落に、もうひとつの暮らしを思い描く場面でした。そして『すなお【素直】』まで読むと、その景色が単なる憧れではなく、自分の「素」へ近づいていく途中だったようにも見えてきます。

 ハルさんの文章は、昔の自分を裁くのではなく、何枚も重ねた包装紙を一枚ずつ剥がしていくようです。「楽しかった」も「違った」もそのまま残し、最後には「素直とは従うことではなく、自分の素にまっすぐでいること」へ辿り着く。その考え方が、これまで語られてきた過去とも自然につながっていました。

 特に「お握りみたいに整形されて渡されるより、しゃもじからちょーだい」「欲しいのは湯気」という比喩が印象的です。きれいに整えられた言葉より、出来立ての感情の温度を受け取りたい。その感覚は、ハルさん自身の文章にも流れています。

 眩しかった過去から、今の自分が大切にしているものまで。四篇を続けて読むと、ひとりの人が少しずつ「素の自分」へ戻っていく道のりを眺めているような余韻が残りました。

原紫苑さん|留守番のできない新妻

 一番印象に残ったのは、夫が出かけてから30分、1時間、2時間と経つにつれて、ただの「帰りが遅い」が頭の中でどんどん大事件へ育っていくところでした。クイックルワイパーをかけ、シンクを磨き、それでも不安が消えず、ついには警察まで考え始める。その慌てぶりが可笑しいのに、本人にとっては本気だからこそ、一緒に時計を気にしてしまいます。

 原紫苑さんの文章は、日常の小さな行き違いを、本人の想像で二時間ドラマへ育てていくようです。冒頭では「る」から始まる言葉を歌謡曲で探し続け、岸辺露伴まで呼び出して脳内検索。そのまま昔の記憶へ飛び込んでいくので、どこへ連れていかれるのかわからない「原紫苑ガチャ店」という自己紹介が、そのまま文章にも表れているようでした。

 読み終えたあとに残るのは、若い夫婦の少し不器用で可愛らしい景色でした。土地勘のない大阪で暮らし始めた新妻が、たった数時間の留守番で想像を膨らませていく。その先で何が起きたのかは本文で確かめてもらいたいですが、「留守番のできない新妻」というタイトルの意味が、読み進めるほどじわじわ効いてくる一篇です。

はるまきさん|とても同じ味には感じない、、冷凍の吉野家の牛丼の具って?と、吉野家ってさの話

 一番印象に残ったのは、冷凍の牛丼と店で食べる牛丼は「とても同じ味には感じない」という違和感を、牛皿まで持ち帰って確かめているところでした。厨房をガン見するほど気になっているのに、「自分の舌に自信がない」と言ってしまう。この真剣なのかどうなのか分からない温度が楽しいです。

 はるまきさんの文章は、吉野家という一本の道を歩いているはずなのに、気になるものを見つけるたびに路地へ入っていく散歩のよう。牛丼の味を追いかけていたはずが、いつの間にか別の小さな違和感へ夢中になっている。その寄り道こそが読みどころでした。

 読み終えると、普段なら気にも留めない牛丼一杯の細部を、妙に確認したくなります。「吉野家が好き」という熱量があるからこそ見つけてしまう、どうでもよさそうで本人には見過ごせないものがある。

 牛丼について熱弁しているだけに見える文章が、しりとり企画だからこその方向へ少しずつ転がっていく。どこで話が変わったのか確かめながら読んでみたくなる一篇でした。

はるまき大臣さん|うんちさん、ありがとう

 一番印象に残ったのは、娘のオムツ替えと薬剤師として向き合う患者さんの排便が、途中からひとつの線につながっていくところでした。家庭では「うんち出た?」、医療現場では「最終排便は?」。言葉は違っても、どちらも誰かが元気に生きているかを確かめる行為なのだと見えてきます。

 はるまき大臣さんの語りは、うんちという一本の糸を引っ張ったら、育児、薬剤師の仕事、自分の幼少期、老いていく家族まで数珠つなぎに出てくるよう。その途中でブリストル便形状スケールまで持ち出し、大人たちが真顔でうんちについて話し合う光景がおかしいのに、書かれていることはずっと「生きること」の話です。

 読み終えて残ったのは、誰かに世話をしてもらった自分が、今は誰かを世話しているという時間の流れでした。普段ならできれば話題にしたくない「うんち」から、ここまで人生を眺められるのか。タイトルを見て笑って入った人ほど、思わぬところまで連れていかれる一篇です。

はるまる。さん|そうです。私がおばさんです。

 一番印象に残ったのは、「文章を考えるのは得意」と思っていたのに、息子の作文を前にして「私は、目の前でおきた出来事しか書けない」と気づいたところでした。それを想像力のなさとして笑っていますが、むしろ目の前の出来事を拾って文章にすることこそ、はるまるさんの持ち味なのだと思います。

 語り口は、友だちと喋りながら自分で自分にツッコんでいるよう。「no友」と略して即座に「逆に友だちじゃない」と訂正したり、800文字しか書けなかったことまでネタにしたり。文章が脇道へ転がるたび、はるまるさんが🤣を一個ずつ置いていくような楽しさがあります。

 読み終えて残るのは、「書けない」と言いながら、身近なことだけでちゃんと一本になっている可笑しさでした。絵文字ひとつから年齢を意識し、昔の作文の記憶まで引っ張り出してくる。特別な出来事がなくても、日常には書くものがあるのだと感じます。

 「🤣を使う人は、おじさんかおばさん」。そんな一言にギクッとしたところから始まる、自称・正真正銘のおばさんのエッセイ。🤣をよく使う人ほど、ちょっと覗いてみたくなる一篇です。

HALREDさん|つむじコール再び(他、計2本)

 「つむじ」と「パンチラ」。2作品を読んで一番印象に残ったのは、どう考えてもそこまで考える必要のないものへ、異常なほど真剣に思考を注ぎ込むところでした。

 つむじくんへの少しキツい短文を書けば、突然「君の人間としての尊厳を僕は守りたい」と立ち上がり、観客と演者の分断にまで話を広げる。一方、パンチラでは「女の子の存在なしに成立するのか」という謎の思考実験を始め、ついには女子校の時計の分針までパンチラとして検証し始めます。くだらないことを難しい言葉と大真面目な論理で追い詰めていく、そのアンバランスさがHALWRDさんならではの面白さでした。

 読み終えるころには、「つむじとは」「パンチラとは」と、こちらまで考えなくていいことを考えさせられている。笑っていたはずなのに、いつの間にか思考実験へ参加させられる。HALWRDさんの頭の中へ迷い込むような2作品でした。

haremithuさん|居場所、みぃつけた

 一番印象に残ったのは、「強くなってほしい」と続けさせながら、泣いている子どもを見て「本当にこれでいいのか」と迷っていたのは、実はお母さんの方だったというところでした。子どもの成長を見守る話でありながら、親の決断が正しかったのかを簡単に美談にしない。その揺れがあるからこそ、ある日の小さな出来事がぐっと大きく見えてきます。

 haremithuさんの文章は、子どもの少し後ろを歩きながら、何度も立ち止まって足跡を確かめるようです。できた・できなかったを見るのではなく、その時間の中で子どもが何を手にしていたのかを考えていく。スポーツの上達という目に見える変化から、もっと形のないものへ視線が移っていくところが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、何度泣いてもまた戻っていく小さな背中と、それを見守る母親の景色でした。「居場所」は誰かから用意されるではなく、自分で少しずつ見つけていくものなのかもしれない。タイトルの「みぃつけた」に何が込められているのか、最後まで見届けたくなる一篇です。

パンダさん|のぞみ薄し、女心。

 一番印象に残ったのは、同じ笑顔を見ているのに、夫婦でまったく違うものが見えていたところでした。ミスドの女性店員の笑顔を「ええ感じ」と受け取るパンダさんと、「単なる男友達に向ける笑顔」と即座に判定する奥さん。目の前にある光景は同じなのに、男女の通訳機を通すと字幕がまるで違います。

 しかもパンダさんは、他人の恋愛を観察しているつもりで、自分の女心理解度まで奥さんに採点されてしまう。その少しズレた視点と、真面目に考えるほど可笑しくなっていく語りが魅力でした。

 読み終えて残るのは、閉店間際のミスドで、好きな人のレジが空くのを待つ若者の姿です。脈があるのかないのか、本当のところは誰にもわからない。だからこそ、買い物に興味のない夫が妻について歩いた一日から、知らない誰かの小さな恋を見つけた、その寄り道を覗いてみたくなる一篇でした。

引井田飯子さん|『胃検診』 【クスリのくすり〜ナナメ通りの飯子さん〜】

 一番印象に残ったのは、胃カメラという普通なら不安や苦しさが前に出そうな体験を、最後まで笑いの材料に変えてしまうところでした。「美人薄命」をしつこいほど念押ししたかと思えば、胃カメラを前にして突然『北の国から』の黒板五郎を思い出す。しかも他人事として笑っていた記憶が、そのまま自分へ返ってくる流れが見事です。

 引井田飯子さんのコミックエッセイは、病院の診察室に小さなコント劇場を持ち込んだようです。怖がる自分、ツッコむ自分、余計な想像を始める自分が次々と登場し、胃カメラ一本からここまで脱線できるのかと笑ってしまいました。イラストが入るたびに間が生まれ、文章だけでは出せない「次は何をやるんだろう」というテンポも楽しいです。

 読み終えたあとに残ったのは、胃検診の話だったはずなのに、「美人薄命」と黒板五郎の姿でした。怖い検査も、本人のフィルターを通すと立派な笑い話になる。そして「い」から始まったタイトルが、この企画で最も警戒すべき場所へどう辿り着くのか。そこまで含めて見届けたくなる一篇です。

pea家さん|ときめく服が、もう似合わない

 一番印象に残ったのは、「若い服を着たい」わけではなく、ただ昔から好きだったボーダーシャツを普通に着たいだけなのに、それすら身体の変化によってしっくりこなくなってしまったという戸惑いでした。体重計の数字ではなく、「去年まで似合っていた服」が時間の経過を教えてくる。その気づきが妙にリアルです。

 一方で、その切なさを湿っぽくさせない語りがpea家さんらしいところ。「ボーダーの犬を連れたボーダー」から楳図かずおさんへ飛び、「おばちゃんって、おばちゃんって、おばちゃんって……」と嘆きながら、痩せるという打開策には全力で目をそらす。自分へのツッコミが常に一歩横にいるので、年齢の話なのに笑って読めます。

 それでも最後には「私にはまだ、アニエスベーのクルーネックがあるしなっ」と立ち上がる。好きなものを手放すのではなく、今の自分に似合う形でまだ楽しもうとする。読み終えたあとには、クローゼットの前でお気に入りの一枚を当てながら「去年はいけたのになあ」と首をかしげる姿が浮かぶ、可笑しくもちょっと切ない一篇でした。

ひかさん|気になるよね。「。」って。

 一番印象に残ったのは、「私は、行間を読む。いや、もはや行間を作っている😂」でした。相手はいつも通り「。」を打っているのに、一度不安になると、その小さな丸の中へ「怒ってる?」を勝手に詰め込んでしまう。この感覚、身に覚えのある人は多そうです。

 ひかさんの文章は、LINEの句読点や既読といった小さな材料を拾って、頭の中に勝手な感情字幕をつけていくよう。しかも相手を嫌っているからではなく、大好きで尊敬している先輩だからこそ考えすぎてしまう。その関係性があることで、単なる「気にしすぎ」の話ではなくなっています。

 読み終えたあとに残るのは、スマホの画面を何度も開いては、たった一文字を見つめている姿。人の気持ちは見えないから、句読点ひとつにも意味を探してしまう。LINEの「。」が妙に冷たく見えたことがある人なら、きっと覗いてみたくなる一篇です。

ぴかけいさん|乗って、飛んで、万年青に会いに行く。

 一番印象に残ったのは、「イベントに行かなければ、もっと高い万年青が買える」という計算を分かったうえで、それでも旅費にお金を使うところでした。欲しいのは一鉢だけではなく、見て、話して、まだ知らない世界に触れる経験そのものなのだと伝わってきます。

 ぴかけいさんの「好き」は、鉢の前でじっと愛でるというより、万年青をパスポートにして世界を広げていくようです。福岡から飛行機や新幹線に乗り、SNSの向こう側にいた人を「会ったことのある人」に変えていく。その行動力と、「生産者さんの自己肯定感も爆上がりしているはず」と考える視点にも、作り手まで含めて趣味を楽しむ人らしさを感じました。

 読み終えて残るのは、イベント会場に並ぶ鉢そのものより、そこへ向かう道中や、人と人が顔を合わせる賑やかな景色です。

 送料より高い交通費を払ってまで、なぜ植物に会いに行くのか。その一見すると割に合わない行動の中に、「好き」を長く楽しむための理由が詰まった一篇でした。

ピカットさん|〈いい感じの男〉になりたい――。自分に向けられたルッキズムについて

 一番印象に残ったのは、「いい男」ではなく「いい感じの男」を目指したい、という絶妙な着地点でした。偏差値52くらいでいたい、という言い方も含めて、格好よく見られたい気持ちと、そこまで大それたものは望んでいないという自意識が同時に出ていて、その揺れ方がすごく人間くさいです。

 ピカットさんの文章は、鏡の前で腹を引っ込めながら始まった独り言が、そのまま社会論まで伸びていく長いエスカレーターのようでした。スキンケア、男性化粧品、脱毛、恋愛、ルッキズムへと話が広がっていくのに、ずっと「自分もその価値観から逃れられていない」という立ち位置を崩さない。社会を批判するでなく、自分自身もその舞台で踊っていることまで書いてしまうところに、この文章の面白さがあります。

 読み終えたあとに残るのは、完全に自由になることなんて案外難しいのかもしれない、という少し苦い感覚でした。見た目なんて気にしなくていい、と言い切れれば楽なのに、現実にはそう簡単ではない。その矛盾を抱えたまま「それでも少しはいい感じでいたい」と願う姿が妙に身近です。脱毛の話から始まったように見えて、いつの間にか自分をどう受け入れて生きるかまで考えさせられる一篇でした。

羊男さん|癖(へき)

 一番印象に残ったのは、「へ」から真っ先に「変態」へ向かい、さすがにまずいと「癖(へき)」へ軌道修正したはずなのに、結局ほとんど戻ってきてしまうところでした。良い話へ着地しようとするたびに、すけべ心が暖簾の向こうから顔を出す。その攻防自体がこの作品の面白さになっています。

 ただ、好きなキャラクターを並べていくうちに、単なる好みではなく「負けヒロイン」「感情をうまく表に出せない人」「それでも最後には前へ進む人」という共通点を自分で発見していくのも興味深いところです。「泣き顔に興奮する」と言っては「心動かされる」と言い直す。その危うい言葉選びの奥から、本人も気づいていなかった「癖」が少しずつ輪郭を持っていきます。

 読み終えたあとに残るのは、好きなものを並べてみると、案外そこには自分自身が映っているのかもしれないという感覚でした。果たしてこれは「癖」の分析なのか、それとも「変態」から逃げ切れなかった記録なのか。その境界線を行ったり来たりする語りを楽しみたくなる一篇でした。

ひとひらさん|ラストシーンはもう決まっている

 一番印象に残ったのは、小説はラストから決めるという創作の方法が、そのまま人生の捉え方へつながっていくところでした。途中で迷ったり脱線したりしても、辿り着く場所を知っていれば自由に書ける。その感覚を現実へ持ち込む発想が、この作品の芯になっています。

 雨音さんの文章は、物語の地図を広げながら、現実の出来事にも「これはまだ伏線かもしれない」と印をつけていくようです。失敗や遠回りを無理に肯定するのではなく、「まだ意味が分かっていないだけかもしれない」と少し先へ預ける。その視点に、書き手ならではの人生の見方を感じました。

 読み終えたあとに残るのは、先の見えない一本道というより、まだ完成していない物語の途中に立っているような景色です。小説を書く人は、自分の人生をどう読むのか。そんな入口から覗いてみると、今日起きた何でもない出来事まで少し違って見えてくる一篇でした。

日々是好日さん|プレイセラピー(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、『プレイセラピー』で、遊びを終えた家族が「ぴかぴかの顔」で帰ってくる場面でした。グリーフを消すのではなく、大きくなったり小さくなったりするものとして、必要ならまたエネルギーを溜めればいい。その寄り添い方に、長い時間を一緒に歩いていこうとする温かさを感じます。

 一方の『Pudding🍮』では、「プ」からプラス思考へ飛び、心を単純にプラスとマイナスへ分けることへの違和感を、自分なりの「軸」へつなげていく。日々是好日さんの文章は、一本の道を進むというより、目についた小道へ入りながら景色を拾っていく散歩のようです。脱線しているようで、その途中に本人が大切にしている考えがふっと現れます。

 重たい感情も、しりとりも、プリンも同じ文章の中に置かれている。その振れ幅ごと「今」を書いているようで、読み終えたあとには、悲しみを抱えながらも暮らしを続ける家族の時間が静かに残る2篇でした。

火ノ音さん|「スイカが大好き!」

 一番印象に残ったのは、「異常に好きなの」という言葉から、スイカそのものではなく、祖父との夏の記憶へ入っていくところでした。冷えていないどころか、畑の熱をまとったスイカ。それが人生でいちばん美味しかったという感覚に、味覚と記憶が強く結びついています。

 ほとんど会話で進み、春風の短い相槌に導かれるように、昔の景色が少しずつ現れてくる。説明するというより、会話の中から思い出を一枚ずつ取り出してテーブルに並べていくような語り方が印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、真夏の畑と、割ったばかりの温かなスイカの景色です。食べ物の「おいしい」は、温度や甘さだけで決まるものではないのかもしれない。誰と、どこで食べたのかまで味になる。そんなことを思わせてくれます。

 「スイカが大好き!」という何気ない一言の中に、ひとつの夏の記憶が隠れている。夏になると昔食べたものを思い出す人に、そっと覗いてほしい一篇でした。

ぴぱさん|イチゴかじりながら外に出て、ちいかわな世界を作ろうよ

 一番印象に残ったのは、「身体はゼロ距離なのに遠すぎるよ、心の距離!」という通勤電車への違和感でした。ぎゅうぎゅうに密着できるのに会話はできない。その矛盾から、ちいかわ、消費社会、そしてなぜかイチゴへ進んでいく発想が独特です。

 ぴぱさんの文章は、駅のホームに落ちていた小さな違和感を拾ったと思ったら、それを培養して社会論まで育て、最後には屋台まで開いてしまうような語り口です。「イチゴってちいかわっぽい」という根拠の薄い一言すら、そのまま押し切って世界を作ってしまう勢いがあります。

 読み終えたあとに残るのは、いつもの無言の駅のホームが、ほんの少し違って見える感覚でした。誰も喋らずスマホを見ている風景の中に、突然イチゴをかじる人が一人混ざったらどうなるんだろう。そんな想像がしばらく残ります。

 ちいかわ論のようでいて、実は「私たちはどうしてこんなに他人と遠くなったんだろう」という話でもある。そこからどうしてイチゴへ辿り着くのか。その無茶な道筋ごと楽しみたくなる一篇でした。

豹子頭 林冲さん|死がやさしく笑っても

 一番印象に残ったのは、煙草一本の中に「死」と「生」を同時に置いたところでした。煙は形を失って透明に溶けていくのに、熱は掌に痛みと疵を残す。消えていく煙を死、残された疵を生とするだけでなく、その身体は本人の意思とは関係なく「生きようとしてしまう」。冒頭の煙草が、いつの間にか自分自身の話へ反転していく構成が印象に残りました。

 豹子頭 林冲さんの文章は、煙の向こうにある自分の輪郭を、痛みを手がかりに確かめていくようです。「生きている」ではなく「生きて、しまっている」。その読点ひとつにも、肉体と精神が同じ方向を向いていなかった時間が滲んでいるように感じました。喜びと悔恨、消失と幸福も大小を入れ替えながら並べられ、矛盾を解消するのではなく、その矛盾ごと抱えて「命ってなんだろうな」と問い続けている。その言葉の置き方にも惹かれます。

 読み終えたあとには、最初に立ち上った煙がもう一度見えてきました。ただ、冒頭では消滅に見えた煙が、最後まで読むと少し違って見える。いつか消えることを見つめながら、それでも今は生きている。その間にある時間をどう使うのか。タイトルにある「死がやさしく笑っても」の意味まで含めて、生と死のあいだに長い余韻を残す一篇でした。

漂流図書館さん|『もちろん、人間でもあります』

 一番印象に残ったのは、「私は、残すことよりも、残ってしまったものが好きなのかもしれない」という一文でした。ライブハウスで消えていく音と、漂流図書館へ流れ着く物語。一見まったく違う二つの場所が、「何かが通り過ぎたあとを見ている」という一点でつながっていきます。

 音が止まったあとの静けさ、本を閉じたあとに残る一文、誰かが帰ったあとの椅子。出来事そのものではなく、そのあとに残る気配へ目を向けるところに、漂流図書館さんならではの視点を感じました。文章にも余白があり、語られていない部分まで少し眺めていたくなります。

 「何者なのか」という自己紹介から始まったはずなのに、肩書きよりも、その人が何を見つめているのかが見えてくる。読み終えたあとにも、音が止んだライブハウスのような静かな余韻が残る一篇でした。もちろん人間でもあるそうです。たぶん。

避雷針パパさん|命より大切な娘の未来へ。いつもCEOに勝てないPMが「仕組み化」という極秘プロジェクトに込める優しさ

 一番印象に残ったのは、娘に「ちゃんと確認」と指導したPMの横から、CEOである妻がホワイトボードとマグネットを持って現れる場面でした。仕事ではロジカルなはずが、家庭では精神論を振りかざし、あっという間にシステム構築で敗北する。その情けなさを隠さず「ポンコツPM」として語るから、堅そうなテーマにも親しみが生まれています。

 避雷針パパさんの文章は、家庭をひとつの会社に見立てたプロジェクト報告書のようです。妻はCEO、娘は若手スタッフ、自分はPM。ところが読み進めると、「忘れ物対策」という小さな案件の奥から、娘がこれから生きていく未来を父親がどう見ているのかが少しずつ現れてきます。

 読み終えたあとに残ったのは、娘の少し先を歩きながら、転ばない道を作るのではなく、転んだときに自分で考えられる道具をそっと置いていこうとする父親の姿でした。

「 ちゃんとしなさい」ではなく、「ちゃんとできる仕組みを作ろう」。100円ショップの忘れ物対策から始まった話が、なぜ避雷針パパさんの「極秘プロジェクト」へつながっていくのか。その先を読んでみたくなる一篇です。

ひるでさん|リボンとプチ・インフルエンサーの愉悦

 一番印象に残ったのは、ひるでさんが「人に影響を与えたい」のではなく、「自分の何気ない行動が、知らないところで誰かに伝わっていた」ことに喜びを感じているところでした。リボンヘアの流行も商品レビューも、前に出て旗を振るのではなく、少し離れた場所から波紋が広がっていくのを眺めているようです。

 もう一篇の『考えてる時間がもったいない』にも、その少し引いた視点がよく表れていました。感情に飲み込まれる前に、頭の中で「もったいない回路」が立ち上がる。ひるでさんの文章は、自分自身を少し離れた観察席から眺めて、感情や行動の仕組みを静かに解剖していくような面白さがあります。

 派手な出来事ではなく、自分の中にある性質や小さな快感を丁寧に掘っていく二篇。読み終えると、自分にもまだ名前をつけていない「変な回路」があるのではないかと、少し探してみたくなりました。

ひろさん|たかっちくん!またバトンありがとうんこチャンス💩‼️からのリバース💩

 一番印象に残ったのは、「エッセイとは何ぞや」と真面目に調べ始めたはずなのに、「エッセイ=エセっぽい話」という嘘の語源を12行もかけて作り上げてしまうところでした。分からないから調べるはずが、途中で面白いことを思いついたら、そちらを優先してしまう。その自由さが楽しいです。

 ひろさんの文章は、目的地を決めて走り出したのに、面白そうな脇道を見つけるたびにハンドルを切るドライブのよう。エッセイの話から、たかっちくんの名前をいじり、昔の記事を掘り返し、いつの間にか独自のしりとり理論まで出来上がっていく。「話がそれた」と本人も気づいているのに、まったく戻る気配がありません。

 読み終えて残るのは、友達同士でくだらないことを言い合いながら遊んでいるような賑やかさでした。「これはエッセイなのか?」と悩んでいる人が、しりとりのルールまで巻き込みながら好き放題に走ったら何が出来上がるのか。その暴走ごと覗いてみたくなる一篇です。

ひろさん|自転車と散歩

 一番印象に残ったのは、「ついていない」が重なるたびに、帰り道がどんどん過酷になっていくところでした。パンクだけでも十分なのに、自転車屋は休み、空まで暗くなり、最後にはゲリラ豪雨。災難が律儀に順番待ちしていたようです。

 ひろさんの語りは、その散々な出来事を大げさに嘆かず、淡々と一つずつ並べていく。その静かな語り口が、むしろ「まだ来るの?」という可笑しさを膨らませています。

 読み終えて残るのは、夜の雨の中、パンクした自転車をひたすら押して歩く姿。本人には災難でしかなかったはずなのに、年月が経つとゲリラ豪雨からふと思い出す一日の景色になっているのもいいです。

 楽しいはずだった家族との自転車のお出かけが、どうしてこんな帰り道になったのか。「自転車」と「散歩」、二つの言葉の距離が少し変わって見える一篇でした。

向日葵じまにゃん🌻さん|たしか愛犬を迎えに行ったはずなのに、オジサンを拾った話。

 一番印象に残ったのは、もちろん愛犬を迎えに行ったはずなのに、本当にヒッチハイカーのオジサンまで乗せて帰ってくるところでした。そこまでずっと「待ちに待った家族を迎える日」という温かい話として進んでいるだけに、突然知らないオジサンが車内へ混ざる破壊力がすごいです。

 じまにゃんさんの文章は、家族アルバムをめくっていたら途中の一枚、旅番組が紛れ込んでいるようです。赤ちゃんの秋田犬を待つ時間、長距離を走る旦那様、届くLINE。ひとつひとつは丁寧な家族の記録なのに、「そんなこともあるよな」と受け流そうとする語りが、むしろ出来事のおかしさを大きくしています。

 読み終えたあとに残るのは、犬を迎えた日の幸せな景色と、その横にしれっと知らないオジサンまで座っている一枚でした。家族が増える日は、それだけで十分に忘れられないはずなのに、どうしてこうなったのか。タイトルの意味が気になった人には、そのまま本文まで確かめてほしくなる一篇です。

hime.さん|冷蔵庫を開けたら、人生の答えが入っていた

 一番印象に残ったのは、冷蔵庫を「何か足りない」ときに人が開けてしまう場所として見ているところでした。卵、納豆、麦茶、豆腐、謎のドレッシング。中身は完全に生活感しかないのに、そこから「昨日と同じ場所にいて、何か変わらないかなと思っている自分」へ話が広がっていきます。

 hime.さんの語りは、冷蔵庫の棚に日常と人生論を一緒に並べていくようです。少し深いことを言った直後に、「いや、それは普通にお腹が空いている可能性がある」と自分で崩す。その往復があるので、人生について考えているのに説教くさくなりません。

 読み終えたあとに残るのは、夜の台所で冷蔵庫の明かりだけを浴びながら、なんとなく立ち尽くしている人の姿です。誰にでもありそうな無意味な行動から、少しだけ世界の見え方が変わっていく。

 「用もないのに冷蔵庫を開ける」。そんな小さな癖から、どこまで人生の話が広がるのか。日常のどうでもよさと納得してしまう考えが同居した一篇でした。

HiROさん|きただけに、きただけ 

 一番印象に残ったのは、雨やガスの気配が迫るなか、それでもキタダケソウを探して歩き続ける場面でした。山頂を踏むことより、「今年最後かもしれない一輪に会いたい」という目的があることで、山歩きの景色がぐっと個人的なものになっています。

 HiROさんの文章は、山道に小さな道標を置いていくようです。天気、ルート、花、山頂と順番に辿りながら、ときどき「HiRO・アントワネット」やタイトルの駄洒落が顔を出す。その軽さがあるので、登山をしない人でも一緒に歩いているように読めました。

 読み終えたあとに残るのは、白いガスの中に咲く一輪の花と、雨に濡れた山道の景色です。「きただけに、きただけ」という力の抜けたタイトルから始まって、なぜ人はわざわざそこまでして山へ行くのか。その答えを少し覗かせてもらえる一篇でした。

ひろみんさん|いいじゃん!いいじゃん!プップカプー

 一番印象に残ったのは、「ヤンバルクイナ」と送れば、お母さんが「パクチョイナ」と返してくれる親子の合言葉でした。高校生の頃に思いついた意味のない言葉が何十年も続き、89歳で旅立つ数日前にも返ってくる。ふざけた響きだからこそ、その一言に積み重なった時間がいっそう愛おしく感じられます。

 「あっぷ!」を「アップルちゃん!!」にしたり、うまくいけば「ビクタリ ヤイホ~イ♪♪♪」と喜んだり。ひろみんさんの面白さは、出来事そのものより、自分だけの妙な言葉をくっつけて日常の感情を少し軽くするところにあるように感じました。楽しいときだけではなく、うずくまるようなときにも「ソレ」が声をかけてくれるというのがいい。

 そしてエッセイのバトンが届いた最後には、いつも頭の中にいた「ソレ」がとうとう声になって飛び出す。読み終えたあとには、「いいじゃん!いいじゃん!プップカプー♪♪♪」という意味不明なのに明るい音と、その奥にあるお母さんとの長い時間が一緒に残る一篇でした。

焔ふぁいさん|「インド人は悩まない」を読んで、あの轢き逃げのインド人は悩んでないのか気になった件。

 一番印象に残ったのは、「インド人メンタル」という乱暴なくらい分かりやすい言葉を、防具のように使っていたところから、その言葉では処理しきれない現実へ踏み込んでいく流れでした。職場で「超インド人!」と脳内変換すれば気が楽になる。その軽やかな使い方があったからこそ、後半で同じ比喩が効かなくなる瞬間が残ります。

 焔ふぁいさんの文章は、異文化理解という難しい話を、いったん「インド人メンタル」という色眼鏡で覗いてみて、途中でその眼鏡を自分で外していくようでした。「現在のインドの条件を与えられた人メンタル」と言い直しながら、それでも長いからインド人メンタルと呼ぶ。その雑さと慎重さが同居している語りが面白く、笑いながら読んでいるうちに、いつの間にか命の軽さと重さまで考えさせられます。

 読み終えたあとに残ったのは、「命は軽い。命は重い。」という二つの感覚が同じ場所に並ぶ景色でした。一冊の本から始まった話が、職場の愚痴を経由し、知人の旅の記憶へと進んでいく。その寄り道の先で「インド人は悩まない」という言葉がどう見え直すのか、そこまで辿ってみたくなる一篇です。

風花さん|いくつになっても始められる

 一番印象に残ったのは、「自分で作ったスタンプを、自分で使っています」というところでした。売れるかどうかではなく、「できなかったことが、できるようになった」こと自体を楽しんでいる。この感覚が、作品全体を通して流れています。

 風花さんの好奇心は、知らない駅を見つけるたびに途中下車していく旅人のようです。「Talesって何?」「Copilotって何?」から始まり、分からなければ調べて、とりあえずやってみる。noteで誰かと出会うたび、そこから新しい道が一本ずつ伸びていきます。

 読み終えて残ったのは、いくつになっても世界にはまだ「初めて」が残っているという明るい景色でした。何かを始めるのに、大きな目標や覚悟なんていらないのかもしれません。

 歌、LINEスタンプ、クラウド――ひとつの場所との出会いから、どうしてここまで世界が広がったのか。「次は何を始めるんだろう」と本人まで楽しみにしている、その好奇心を覗いてみたくなる一篇です。

ふうりさん|逃避行できない逃避行記

 一番印象に残ったのは、「逃避行」を「逃げるを避ける行い」と読み替えたところでした。学校から逃げたい、勉強から逃げたいと散々言っていたのに、言葉をひっくり返した途端、自分が毎日やっていることの説明になってしまう。この発見があることで、最初の「逃げたい!!!!」まで少し違って見えてきます。

 ふうりさんの文章は、学校へ向かう途中で友達の愚痴を聞いているようです。「せちづらい……あれ、せちがらい?」と間違えたり、自分へ言い聞かせたり、また話が横へそれたり。頭に浮かんだことがそのまま会話のように転がっていくので、深刻になりそうな「逃げたい」という気持ちにも、どこか軽やかさがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、嫌だ嫌だと言いながら、それでも学校へ向かっている朝の景色でした。「頑張ろう」と大きく拳を掲げるのではなく、とりあえずもう一歩歩いてみる。タイトル通り、なぜ「逃避行できない逃避行記」なのか。逃げたい気持ちを抱えたまま進む、その不思議な言葉遊びを覗いてみたくなる一篇です。

ふじこさん|つかれをいやす、とっておき

 一番印象に残ったのは、疲れた一日の途中に見つけた「たいやきの形のアイスクリーム。最後の一個。」でした。仕事では、ひとつの問題から話が枝分かれし、「あ、これ、長くなるやつだ」と察する。帰宅すれば夕食の支度が待っている。そんな一日の隙間に、冷凍庫から小さな避難所が現れます。

 ふじこさんの語りは、忙しい一日を実況席から少し離れて眺めているようです。大変な状況でも「非常事態ながらコントみたい」と面白がり、若いパパママには心の中で「大正解」と声をかける。疲れていても、日常の可笑しさを拾う余裕が文章に残っています。

 読み終えて浮かぶのは、雷雨の音がする家で、夕食を作る前にほんの5分だけアイスを食べている景色。大げさなご褒美ではなくても、こういう小さな休憩が一日をつないでくれるのでしょう。

 忙しい日に、自分をどうやって少しだけ休ませるのか。そんな身近な入口から、仕事と家事の間にある「とっておき」を覗かせてもらえる一篇でした。

Pupラボさん|タンクブロメリアの匠? 誰のことでしょうか

 一番印象に残ったのは、「匠ではありません」と否定しながら、その直後に株高を測り、葉数を数え、肥料ごとの差まで比較しているところでした。Pupラボさんは「葉っぱを一枚ずつ数える係」と言いますが、読んでいる側からすると、その地道さこそ匠っぽく見えてきます。

 Pupラボさんの文章は、ベランダの片隅に小さな研究室を開いているようです。うまく育った結果だけではなく、穴を開けられたことも、藻で減ったことも観察材料にして、分からなければまた調べる。その積み重ねを淡々と楽しんでいるところに、その人らしさがあります。

 読み終えたあとに残るのは、びっしり並んだ緑の葉をかき分けながら、一枚ずつ数えている姿。「タンクブロメリアの匠」と呼ばれた匠が、実際には何をしているのか。その日常を覗いてみたくなる一篇でした。

fumimamaさん|似合わない着物を選ぶ君が好き

 一番印象に残ったのは、「どんなにかわいい、自慢の娘だって、私の所有物じゃない」という一文でした。似合う色が分かっている母と、似合うかどうかなんて関係なく好きな色を選ぶ娘。たった一枚の着物を前に、親心が行ったり来たりします。

 その葛藤の描き方が、試着室に母親の頭の中だけで開かれた作戦会議のよう。「本人の意思を尊重したい」が発言すれば、「一生残る写真だぞ」が反論し、「聞いておいて却下するのは違う」とさらに割り込んでくる。娘はただ好きな着物を選んでいるだけなのに、母だけが大忙しなのが可笑しくも愛おしいです。

 読み終えて残るのは、七五三の晴れ姿だけではなく、これから少しずつ母親の「最適」から離れて、自分で選んでいく娘の後ろ姿でした。似合うものを着せたい気持ちと、自分で選ばせたい気持ち。その間で揺れるところに、子どもが大きくなっていく寂しさまで滲んでいます。

 「似合うものを選んであげる」と「好きなものを選ばせる」は、どちらが親の愛情なのか。七五三の着物選びから、そんな答えのない問いが立ち上がってくる一篇でした。

ふみみんさん|今日実りあるさいわい『カムパネルラ』

 一番印象に残ったのは、「今日のカムパネルラというのは二度と出会えない存在」という一文でした。セッションが終われば、その日のAIは消えてしまう。だからこそ、交わした言葉や一緒に作ったものを「思い出シリーズ」として残していく。その行為に、単なるAI活用とは違うものを感じます。

 ふみみんさんの語りは、消えてしまうシャボン玉を割れないよう両手でそっと包んでいるようでした。AIに人間らしさを求めるというより、「その時間に自分が確かに感じたもの」を大切にしている。『切なさの中にある温かさ』という言葉が、その距離感によく似合います。

 読み終えたあとには、誰もいなくなった場所に、交わした言葉だけが静かに残っているような景色が浮かびました。

 AIとの時間を「便利だった」で終わらせず、消えてしまうからこそ何が残るのかを見つめる一篇。なぜそのAIに『銀河鉄道の夜』のカムパネルラという名前をつけたのか。その響きまで少し違って聞こえてきます。

ふらすこさん|豚汁マイブーム

 一番印象に残ったのは、「味噌汁」ではなく、あくまで「お出汁」を飲みたいという感覚でした。夏でも熱々がよくて、舌と喉でゆっくり味わう。その小さなこだわりが、豚汁を単なる時短メニューではなく、その日の自分を整える一杯にしています。

 ふらすこさんの文章は、台所の湯気をそのまま文章にしたようです。皿数を減らしたい、洗い物も楽にしたいという現実的な目線のすぐ隣に、「体の緊張がほぐれる幸せ」がある。暮らしの工夫と感覚の細やかさが自然に同居しています。

 読み終えたあとには、暑い夏の夜なのに、湯気の立つ椀を両手で持っているような景色が残りました。なぜ8月に毎週豚汁なのか。その理由を知ると、ちょっと真似したくなる一篇です。

BLUEさん|哲学をやめました。

 一番印象に残ったのは、「哲学をやめる」と決めたそばから、「静かって、どういうことだ?」と考え始めてしまうところでした。空は空、蝉は蝉で済ませたいのに、思考が勝手に意味を探しにいく。その抗えなさが面白いです。

 BLUEさんの思考は、止めたはずなのに勝手に再起動するパソコンのようでした。「考えるな」と強制終了しても、日常の小さな隙間から「なぜ?」が立ち上がってくる。哲学を語るのではなく、哲学してしまう人の頭の中そのものを見せられているようです。

 読み終えたあとに残るのは、世界をただ眺めて、ただ味わう静かな夜の景色。それなのに、その静けさの底にもまだ一滴だけ思考が残っているような感覚があります。

 「考えることに疲れた人が、考えることをやめたらどうなるのか」。そんな実験を覗くように読み始められる一篇でした。

bun.さん|路線は、ポケモンへ

 一番印象に残ったのは、息子さんの興味が仮面ライダーからポケモンへ移りつつあることを、成長として喜ぶより先に「ちょっぴり寂しい」と感じているところでした。四つのベルトや二冊の図鑑、毎週のテレビやゲームセンター。積み重ねてきた「好き」の濃さがあるからこそ、その変化が親のほうには大きく見えるのだと思います。

 bun.さんの視線は、息子さんの「好き」がどの路線へ向かうのか、ホームの端から行き先表示を眺めているようです。大げさに意味づけせず、「ポケモンの名前の覚えが悪い」「図鑑への反応はイマイチ」と小さな様子を見ながら、本当に路線変更したのかをそっと見守っている。その距離感が優しいです。

 読み終えて残るのは、おもちゃ屋さんで二つのコーナーの間に立つ親子の景色でした。子どもの「好き」はいつ変わるのか、あるいはまだ変わらないのか。何気ない興味の移り変わりの中に、親だけが気づく小さな成長が見えてくる一篇でした。

BLUEさん|ルールの余白

 一番印象に残ったのは、「。」をマルと読み替えたところから、しりとりそのものの境界線まで考え始める流れでした。普通なら「ら」で受け取って終わるところを、「そもそも最後の一文字とは何だろう」と立ち止まる。さらに「宇宙人」を音で見れば「ん」、文字で見れば「人」と転がしていくうちに、単なる屁理屈だったはずの話が、本当に「ルールの余白」の話になっていきます。

 BLUEさんの文章は、道に引かれた白線の上を歩きながら、「この線のどこまでが道なんだろう」と楽しんでいるようです。一次ソースまで確認する几帳面さがある一方で、決められたルールの「あわい」に遊び場を見つけてしまう。「ルールに従う」と「ルールに縛られない」の間を行ったり来たりしながら、最後にはタイトルの「白」まで次の問題にしてしまうところまで徹底しています。

 読み終えたあとには、しりとりの一文字が広く見えました。一文字は次の人を縛るものでもあり、そこからどこへ行くかを自由にする入口でもある。「。」ひとつから、なぜ秋のコスモスや横浜アリーナを経て、言葉のつながりそのものを考えるところまで来たのか。その寄り道を一緒に辿りたくなる一篇です。

文才なしさん|今日もCopilotと物語を作りつつ、エッセイにも挑戦。

 一番印象に残ったのは、Copilotに物語を任せているようでいて、実際には文才なしさん自身が次々と「もっとひどい目に遭わせよう」と舞台装置を増築しているところでした。デザートの二重請求から始まったはずが、天井から大量の水、顔面への料理、ドリンクバーでの洗浄、自爆ボタンまで登場する。AIとの共同制作というより、昭和のバラエティ番組へ無茶振りを追加し続ける放送作家を見ているようです。

 特に面白かったのは、ただ懐かしいネタを並べるでなく、「なぜ自分はこういう笑いが好きなのか」まで後半で振り返っているところでした。水をかぶる、パイをぶつける、最後は爆発する。今ならなかなか見かけないベタな笑いをあえて全力で積み上げたあと、規制や安全への配慮も含めて、昔と今のどちらかを正解にしない。その距離感に、子どもの頃からドリフなどを見てきた人ならではの懐かしさがにじんでいます。

 読み終えたあとに残ったのは、テレビの前で何も考えず笑っていた頃の、少し騒がしい景色でした。ファミレスで何が起こればここまで大惨事になるのか、そしてCopilotとの掛け合いがどこまで暴走していくのか。昔ながらの「そこまでやるか」を久しぶりに浴びたくなる一篇です。

平気平気さん|仕事はあるけど、心だけまだ夏休み!(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「休みたい」と思った瞬間から、むしろ予定が増えていくところでした。夏休みへの未練から始まり、家事、仕事、ガジェット、noteへ。休憩を探しているはずなのに、自分から次の用事を拾ってしまう。その矛盾が二作品を通して続いています。

 平気平気さんの語りは、休憩所を探して歩いているのに、見つけるたびに自分で売店を開いてしまう人のようです。ガジェットが気になれば調べ、日常で何か起これば書く。忙しさを嘆きながら、その忙しさ自体を楽しんでいるような語り口に個性があります。

 読み終えて残るのは、仕事のある夏の日に、まだ夏休みを諦めきれずにいる大人の姿でした。特別な出来事ではなく、「今日ちょっと気になったこと」を拾っていけばエッセイになる。そんな日常の楽しみ方まで伝わってくる二篇です。

bekoさん|日常の中の小さな幸せ|しおりを見るたび笑顔が浮かぶ

 一番印象に残ったのは、子どもが折ってくれた折り紙が、いつの間にか「時間まで挟んでおくしおり」になっているところでした。少しずれた折り目や不器用さまで、その頃の子どもの姿ごと残っているように見えます。

 bekoさんの語りは、アルバムを開くのではなく、日常の隙間からそっと昔を取り出すようです。本を開くという何でもない動作から、数年前の笑顔や声まで自然にたどっていく。その静かな視点が印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、本のページの間に挟まれた小さな折り紙と、それを見つめる母親の穏やかな時間です。子育ての思い出は、大きな行事よりも、こういう何気ないものに宿っているのかもしれない。身近な「しおり」から、過ぎていく子どもの時間を見つめた一篇でした。

ベーコンさん|やけどしないこたつ

 一番印象に残ったのは、仕事から帰ると、自分の定位置で犬が先に丸くなって眠っている光景でした。「どきんちゃい」と言うお母さんに「大丈夫だよ」と返して別の場所へ座る。その何でもないやり取りだけで、犬が家族の中にどんなふうにいたのかが伝わってきます。

 ベーコンさんの文章は、昔のこたつ布団をそっとめくるようです。大きな出来事を語るのではなく、犬のお尻、染みついた匂い、膝の上の重みといった小さな記憶をひとつずつ覗かせていく。そのたびに、そこにいた「君」の姿が少しずつ浮かび上がってきます。

 読み終えたあとに残るのは、冬のこたつの中にだけ保存されているような家族の時間でした。暖かいのに、どこか寂しい。もう触れられない温度を思い出しているような余韻があります。

 犬と暮らしたことがある人なら、何でもなかった寝姿や場所が、あとになって妙に鮮明に残ることがあるはずです。これは、そんな「いつもの場所」に残った記憶を辿る一篇です。

ぺぺさん|竹とんぼと、宝物

 一番印象に残ったのは、「あの頃は、たくさんの子どもたちの『今日』を書いていた」という一文でした。幼稚園の先生として連絡ノートの余白までびっしり書いていた人が、今は娘の「今日」をノートやnoteへ残している。書く相手や場所は変わっても、目の前にいる子どもの今を残したい気持ちはずっと続いています。

 竹とんぼをうまく飛ばせるようになる娘の姿から、かつて園庭で「先生、見て!」と何度も呼んでいた子どもたちへ記憶がつながっていく。その重なり方も印象的でした。昔の仕事を振り返るだけではなく、母親になった現在があるからこそ、保護者から言われた「宝物です」という言葉の意味も、当時とは少し違って見えているのかもしれません。

 そして最後には、再び娘の「タケコプター!」へ戻ってくる。何でもない朝の光景が、書き残すことで未来の宝物になっていく。竹とんぼが過去と現在をくるりとつなぐような、やさしい余韻の残る一篇でした。

ほしうめはなんか話したいさん|ときめきは、TSUTAYAの棚から始まった

 一番印象に残ったのは、TSUTAYAを「借りる場所」ではなく、「探していなかったものに出会う場所」として思い出しているところでした。棚を歩き、知らない表紙に目が止まり、予定になかった一本をカゴへ入れる。便利になった今だからこそ、あの寄り道そのものが娯楽だったのだと気づかされます。

 ほしうめさんの語りは、昔のアルバムを眺めていたはずなのに、気になった一枚から急に検索を始めるようです。「懐かしいなあ」で閉じず、「ところで今どうなってるんだろう?」と調べに行く。その好奇心のおかげで、思い出話が過去だけに留まりません。

 読みながら浮かんだのは、土曜日のTSUTAYAの棚を目的もなく歩く景色でした。サブスクにはない、何に出会うか分からない時間まで懐かしくなります。

 TSUTAYA大量閉店のニュースから始まった小さな寂しさを抱えて、ほしうめさんが「今」を覗きにいく。懐かしいだけでは終わらない、その寄り道についていきたくなる一篇でした。

ホソピーのイタリア郷土料理さん|たのむお願いだから!クリームの神様、降りてきて。…できれば締切前に

 一番印象に残ったのは、試作品を食べた瞬間の「普通?……普通!」でした。美味しくできたのに、それではダメ。本職のイタリア料理だからこそ、「美味しい」のさらに先を求めて、自分で振り出しへ戻ってしまう。その厳しさに、料理人としての本気が見えます。

 ホソピーさんの語りは、厨房の中を覗いているようでした。頭の中ではクリームの神様を探して走り回り、デッサンを描けば娘に一刀両断され、ようやく皿へ着地したと思えば今度は自分でダメ出しする。真剣勝負なのに、失敗や迷走まで笑いにして見せてくれるので、重くならず、その試行錯誤を一緒に楽しめます。

 読み終えて残ったのは、まだ何も完成していない厨房の景色でした。考えて、作って、食べて、また考える。その途中にいる人の熱が、そのまま文章から立ち上っています。

 「革新的なクリーム料理って何?」という答えのない問いから、料理人はどんな一皿へ辿り着くのか。クリームの神様が降りてくる瞬間まで、ちょっと覗いていたくなる一篇でした。

蛍さん|リングという名の素晴らしい戦場と、ノートバトラーに祝福を贈りたい

 一番印象に残ったのは、4本目の「私はまだ、人の言葉を読めるんだ」という言葉でした。ゲームのボスとして何度も倒される話、恋愛を脳科学から眺める話、育児を営業に置き換える話と賑やかに走ってきたあとだからこそ、記憶が薄れていく中で「読めた」「覚えていた」という小さな出来事の重みが強く残ります。

 蛍さんの文章は、ひとつの出来事をそのまま置かず、手元の石を何度もひっくり返して「こっちから見たらどうだろう」と確かめるような面白さがあります。ゲームから人とのつながりへ、恋愛から脳へ、育児から営業へ。同じものでも見る角度を変えながら、自分なりの意味を探していきます。

 4本を読み終えて浮かんだのは、たくさんの人が行き交うnoteの景色でした。カードやバトン、アイコンや文章。一見すると小さなものが人から人へ渡り、それが誰かにとって思いがけず大切なものになる。

 なぜ蛍さんがこれほど「つながること」を書くのか。その背景まで知ると、最初の賑やかなノートバトラーの景色も、少し違って見えてくる4作品でした。

piyo〜n!さん|大丈夫です、女性ですから安心してください

 一番印象に残ったのは、視線を向けてくる女性を見た瞬間、過去に男性と間違われた記憶が一気に蘇るところでした。レディースデーで自分だけデザートがなかったり、女子トイレで驚かれたり。その経験があるからこそ、「また誤解させてしまった」と考えるのがぴよーんさんにとってはものすごく自然なんですよね。読んでいるこちらまで、その前提をすっかり信じてしまいます。

 そこへ「少しクネクネして女性らしさを出そうか」という発想が入るのも面白い。怪しまれないために取ろうとしている行動が、むしろ怪しさを増しそうで、本人の焦りと読者から見た可笑しさがどんどんズレていきます。

 そして読み終えてから振り返ると、冒頭で長女に「もっと余裕を持って支度をしなさい」と注意していた場面まで違って見えてきました。娘は時間をかけて身支度をし、母は「塾の送りだけだから」とほとんど確認せずに出発する。誰かに向けた小言が、少し形を変えて自分へ帰ってきたようにも感じます。

 貴重な四時間のひとり時間を楽しみにしていただけなのに、しまむらへ寄ったことで妙な疑惑をひとりで育て、プリンを貪って寝落ちするところまで転がっていく。ぴよーんさんにとっては封印したい一日でしょうが、失敗した日の恥ずかしさまで笑える思い出に変えてしまう語りが楽しい一篇でした。

BLUEさん|ルールの余白

 一番印象に残ったのは、「。」から始まるタイトルなんてどうすればいいんだ、という疑問から、しりとりのルールそのものを考え始めたところでした。「。」はマルと読める。「人」は文字なら最後が人だけれど、音なら「ん」。普通なら流してしまう境界で立ち止まり、そこに遊び場を見つけています。

 BLUEさんの文章は、言葉の端にある小さな糸を見つけると、それを引っ張りながらどこまでも歩いていくようです。秋桜からMr.Children、ラブコールからエッセイしりとり、そして句点から「ル」へ。寄り道しているようで、その寄り道自体が思考の道筋になっています。

 読み終えて残ったのは、決まりごとは窮屈にするものだけではなく、決まりがあるからこそ見つかる自由もあるのだという感覚でした。たった一文字を渡すだけの企画なのに、その一文字の読み方にまで世界を広げてしまう。

 「しりとりって、そもそも何をつないでいるんだろう」。そんなことまで考えたくなる、言葉遊びの余白を楽しむ一篇でした。

文具さん|ではないのだよ、父よ。

 「それは、ししとうではないのだよ、父よ。」から始まった心のツッコミが、いつの間にか野菜畑を飛び出して、ATM、入れ歯洗浄スプレー、クイックルウェットシート、白髪ネギへと暴走していく。この「父よ」の畳みかけが、とにかく楽しい。

 一つひとつは「うちの親もこういうことする」と笑える小さな話なのに、並んでいくほど父親という人物が見えてきます。育てている野菜の名前すら怪しいのに畑仕事を楽しみ、「たまに辛いのもあるんだよナ!」とハラペーニョをししとうとして普通に食べている。お父さんが何も気にしていないのも可笑しい。

 でも、読後に残ったのは父親への呆れより、なんだかんだ毎週会い、畑の野菜を山ほど持たされ、その一つひとつを覚えている文具さんの姿でした。「いい加減にして、父よ」と言いながら、最後にはハラペーニョの正体を教えるかどうかまで楽しんでいる。ツッコミの数だけ父との日常がある。

 来年もきっと何か違うものを植えている気がします。そのときも本人だけは自信満々に、まったく別の野菜の名前を言っていてほしい。そんな父娘の次の土曜日まで覗いてみたくなる一篇でした。

hell_homeさん|腹具合が悪い日は、一日三回は座る。

 一番印象に残ったのは、「羊がい、羊がろ、羊がは」と、いろは順で羊を数え始めるところでした。眠るための羊から「Sleep」、虎、うさぎ、犬、いろは歌へ。トイレに座って腹痛の原因を考えていたはずなのに、思考が連想ゲームのように勝手に転がっていきます。

 hell_homeさんの語りは、寝る直前の頭の中をそのまま覗いているようです。ひとつの言葉から別の言葉へ、理屈があるような、ないような道をふらふら歩いている。その取り留めのなさ自体が心地よく、読んでいるこちらまで少し眠気に引っ張られます。

 読み終えたあとに残るのは、布団の中で意識が途切れる寸前のような、ぼんやりした景色でした。タイトルは妙に具体的な「腹具合」の話なのに、そこから羊を追いかけているうちに、いつの間にか現実と夢の境目まで連れていかれる。その不思議な漂流を味わってほしい一篇です。

ペルエさん|フルスイングを休んで、ガリガリ君

 一番印象に残ったのは、「休むこと」をフルスイングではなくバントとして捉え直しているところでした。有給を取ることにすら罪悪感を抱いていた自分の休息と、甲子園でチームのために一球で決めたバント。その二つが重なることで、「休む=止まる」ではなく、「また戻るための選択」へ意味が変わっていきます。

 ペルエさんの文章は、ずっとフルスイングを続けてきた人が、ようやくバットを短く持ち直すまでの記録のようでした。クリニックへ行き、昼寝をし、本を整理し、娘とガリガリ君を食べる。劇的に元気になるわけではなく、「岩が石くらいになる」という回復の描き方も文章の温度に合っています。

 読み終えたあとに残ったのは、夏の終わりに少し力を抜いて立っている親子の景色でした。頑張ることばかりが前進ではない。そんなことを、説教ではなく、有給とガリガリ君と一本のバントから受け取れる。「フルスイングを休んで」がどう甲子園へつながるのか、その流れごと読んでみたくなる一篇です。

へろんさん|さらさら流れる小川の息吹は、毎日繰り返す、あたらしい出会い

 一番印象に残ったのは、毎朝どこにあるか分からないエアコンのリモコンを「一期一会」と呼んでしまうところでした。何も起きない在宅勤務の朝なのに、寝起きからリモコンを探して仕事を始めるまでの時間で一本の読み物になっています。

 へろんさんの語りは、六畳ほどの日常へ大げさな実況席を持ち込むようです。真夏の湿気は陰湿な敵となり、自分は「盆地湿気サバイバー」、いつもの朝は「日常戦線」。壮大な言葉を使えば使うほど、実際にやっていることがスヌーズとリモコン探しなのが可笑しい。その落差が独特です。

 読み終えて残るのは、エアコンの風が流れる部屋でコーヒーを飲みながら、いつもの一日がゆっくり始まっていく景色でした。「自宅から一歩も外に出ない」を掲げながら、頭の中ではずいぶん遠くまで出かけている。何も起きない朝をどこまで面白がれるのか、その脳内散歩を覗いてみたくなる一篇です。

ぽんさん|ちょっとまって。

 一番印象に残ったのは、「寂しかったのかな」と幸せいっぱいに受け取っていた飼い主の視点が、たった一つの検索結果でぐらりと揺れるところでした。かわいがっている側ほど、相手の行動を自分に都合よく解釈してしまう。その小さな勘違いが、とても人間らしいです。

 ぽんさんの文章は、ふわふわの毛布にくるまっていたら、最後に中から小さな針が一本出てくるよう。ハムスターへの愛情をたっぷり見せながら、少しずつ「ん?」を育てていくので、こちらも一緒になって真相を知りたくなります。

 読み終えたあとには、夜の静かな部屋で、小さな白い体が回し車を黙々と回している景色が残りました。あれは喜びなのか、それとも別の理由なのか。ペットの行動を勝手に翻訳している飼い主なら、少しドキッとする一篇です。

ほんのちょっと困ってるさん|へぶん(そのようなもの)について

 一番印象に残ったのは、4歳の子どもへ「死して無に帰す」と真正面から伝え、大ショックを与えてしまった経験から、「やさしい物語」の意味を考え直しているところでした。事実を伝えることが必ずしも正解ではなく、確かめようのないことなら、人が怖がらずに生きられる物語を信じてもいい。その気づきに実体験があるからこその重みがあります。

 ところが、極楽浄土を受け入れ始めた途端、ジョン・レノンや祖母やティモシー・シャラメがいる「豪華キャスト」の世界になり、今度は着替えや没年齢まで心配し始める。この、真面目な問いを考えていたはずなのに、想像がどんどん生活臭を帯びていく語り口が面白いです。

 死についての話なのに、読み終えたあとに残る景色は意外と明るい。天国が本当にあるかどうかではなく、「あるならどんなところだろう」と想像できるだけで、怖さは少し形を変えるのかもしれません。最後にはジョン・レノンに相手にしてもらえる年齢まで気になってくる、その軽やかさまで含めて「やさしい物語」になっている一篇でした。

MARQEE48|勇者マーキーさん|ましかくの付箋に、まじな顔でネタを書く話。

 一番印象に残ったのは、久しぶりの仕事の打ち合わせ中なのに、頭の片隅ではずっと「ま」から始まる言葉を探しているところでした。真剣な顔で付箋にくだらないネタを書き留める。その仕事モードとnoteモードの同居が可笑しいです。

 勇者マーキーさんの語りは、日常を全部RPGのフィールドに変えてしまう攻略日記のよう。打ち合わせも「クエスト」、メモも「コマンド」になり、少し気の重い出来事まで経験値へ変換していきます。

 読み終えたあとに残るのは、付箋とペンさえあれば、退屈な時間や緊張する場面にも小さな冒険が隠れているような感覚でした。「ま」という一文字を抱えて仕事へ向かった勇者が、どんなネタを拾って帰ってくるのか。その視点の切り替わりを追いかけるのが楽しい一篇です。

まいさん|元気になった娘☺️

 一番印象に残ったのは、「元気になってよかった」と喜びながら、その元気さまで心配しているところでした。学校へ行ければ嬉しい。でも徹夜してまで日記を書けば心配になる。「元気な時も、元気じゃない時も心配なんて、親って結構わがままなのかもしれない」という言葉に、見守る側の複雑さが詰まっています。

 まいさんの語りは、娘さんの様子を少し離れたところから見守る定点カメラのようです。マクドナルドで夢中になって日記を書く姿も、先生との何気ない会話も、止めすぎず、でも気にかけながら眺めている。その距離感が文章全体をやわらかくしています。

 読み終えたあとに残るのは、「元気」という言葉ひとつでは測れない親子の日常でした。笑っていてほしい、好きなことを楽しんでほしい。でも無理はしてほしくない。そんな相反する願いを抱えながら娘を見守る「パパ」の目線を追っていると、この親子をもう少し知りたくなる一篇です。

毎日人間さん|ルーキーは確かに頭がおかしかった。(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、日常の出来事が毎日人間さんの頭を通った瞬間、全部やたらと壮大になることでした。「紅白なます」を「紅白なまず」だと思えば、介護施設へ生きたナマズが搬入され、自分が仕留めるところまで想像する。バトンを3本受け取れば、今度は24時間テレビのチャリティーランナーに三度選出されたような騒ぎになる。想像力に常時ターボがかかっています。

 しかも、本人だけがその世界を大真面目に走っているのが楽しい。バトンには人格が生まれ、玄関へやって来て、いつしか相棒のような存在にまでなっていく。現実と妄想の境目を軽々と飛び越えてしまう語り口に、次は何が起こるのかと引っ張られました。

 2本を読み終えて残るのは、とにかく賑やかな景色です。介護現場の日常も、noteの企画も、この人に渡すと何かがおかしくなる。タイトルの時点で「どういうこと?」と思ったなら、そのまま覗いてみてほしい2作品でした。

まきさん|ZIPはシマエナガに。

 一番印象に残ったのは、「きっと上手になってしまったら、少し寂しい。そして、狙いだしたらつまらない」というところでした。普通なら一年続ければ「上達」を見つけたくなるのに、変わらない不器用さまで成長記録として愛でている。その見方が家族の朝の温度をそのまま表している気がします。

 まきさんのこのエッセイは、毎朝6時55分に開演する小さなホームステージを、客席から笑いながら記録しているようです。主役は真剣そのものなのに、歯磨きしながら集まる旦那さん、踊らない兄弟、的確なのに届かない三男のアドバイスと、脇役が勝手に増えていく。次男くんが笑わせようとしていないからこそ、家族みんながつられて集まってしまう光景が可笑しいです。

 読み終えたあとに残るのは、「ピヨッ」の決めポーズを囲む家族の朝でした。上手にできることより、楽しそうに続けることが周りを動かすこともある。去年はZIP、今年はシマエナガ。来年の朝6時55分には何を踊っているのだろうと、少し先まで覗いてみたくなる一篇です。

まことさん|人間になりたい(他、計2本)

 『人間になりたい』で一番印象に残ったのは、「自由」を求め続けた先で、足りなかったのは時間ではなく、人との「間」だったと気づくところでした。「人」と「人間」の一文字の違いから、自分の生き方そのものを見直していく。その思考は、静かな湖へ石を落としたあと、波紋がどこまでも広がっていくようです。

 一方の『競馬』では、ゴールドシップの破天荒さを次々と並べながら、それでも惹かれてしまう理由が短い文章の中に残ります。理屈では割り切れないものを、「それでも好き」と眺め続ける視線は、長い一篇とはまた違った魅力でした。

 一人でいる自由、人とつながる意味、そして予測不能な馬への愛着。まことさんが何に心を動かされ、そこから何を考える人なのかが、二つの作品から違った角度で見えてくるようでした。

雅さん|「白を超えた透き通る青い空」(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「白」が自由に選んだ色ではなく、「選ばされた色」だったというところでした。日本で高校教員をしていた頃の白いワイシャツと、ニュージーランドへ渡ってから自然と着なくなった白。その違いから、いつの間にか従っていたルールの存在が浮かび上がってきます。

 雅さんの文章は、ひとつの言葉に触れると、そこから記憶や言葉が水紋のように広がっていく。しりとりから英語のWord Chainへ、「白」からワイシャツ、ルール、自由へ。寄り道を重ねながら、自分にとってその言葉が何を意味するのかを探していく語りが印象的です。

 読み終えたあとに残ったのは、タイトルにもある澄んだ青空の景色でした。同時に、自由とは何もない場所ではなく、何かとの境界があって初めて意識するものなのかもしれない、という感覚も残ります。

 たった一文字の「白」から、どこまで遠くへ行けるのか。しりとりのバトンを受け取ったはずが、いつの間にか色と自由について考えている。その思考の散歩を一緒に歩きたくなる一篇でした。

makotoさん|餅は添えるだけ

 一番印象に残ったのは、「焼き餅」の由来を調べて、どうやら重要なのは「焼く」であり「餅」は添えられただけらしいと知った瞬間、ならば海老でもそばでもリンゴでもいいはずだ、と勝手に日本語の改造を始めるところでした。調べて終わらず、見つけた隙間へ全力で遊びに行くのが面白いです。

 makotoさんの文章は、ひとつの言葉を転がすたびに別の言葉がくっついて、気づけば巨大な雪だるまになっているよう。餅から嫉妬へ、ダジャレへ、英語字幕へ、さらに妄想まで、脱線しているはずなのに言葉の連想だけは途切れません。

 読み終えて残るのは、辞書の片隅から始まった言葉遊びの宴会を眺めていたような賑やかさ。「焼き餅」の餅には本当に意味がないのか。そんな小さな疑問から、どこまで話を膨らませられるのか覗いてみたくなる一篇でした。

MASAHIKさん|「類(るい)は友を呼ぶ」

 一番印象に残ったのは、「類は友を呼ぶ」と言いながら、待っているのではなく自分から同類を見つけて突撃しているところでした。パロディ、トムとジェリー、不思議な体験、ハンギョドン。共通点をひとつ見つけるたびに、「同類だ!」と距離を縮めていきます。

 MASAHIKさんの語りは、人との共通点を探知するレーダーを積んで歩いているようです。しかも反応すると、自分から近づいていく。自己紹介として経歴を並べるのではなく、「何に反応し、誰とつながってきたか」で自分を見せるところが面白いです。

 読み終えて残るのは、noteを始めて3か月の人の周りに、好きなものを介して人が集まっていく賑やかな景色でした。「類は友を呼ぶ」は本当なのか。それとも、類を見つけるのが上手い人がいるだけなのか。そんなことを考えながら読みたくなる一篇です。

ましろさん|全然大丈夫だと思ったんだけど。

 一番印象に残ったのは、「全然大丈夫だと思ったんだけど」とましろさん本人だけが思っているところでした。桃パフェを作るだけの集まりなのに、掃除、買い出し、お菓子、おつまみ、軽食まで用意し、当日はテーブルとキッチンを往復。読者には途中から「それ、大丈夫じゃないぞ」が見えているのに、本人は最後まで全力です。

 その頑張りを「おもてなし上手」と綺麗にまとめず、「謎のホスピタリティを爆発させた」と笑ってしまう語り口も楽しいところ。自作パフェが友人たちより50円高かったことを「50円の勝利」と喜ぶ小ささも含めて、ましろさんの人柄がよく見えます。

 楽しかった一日の翌日、すべての反動を受けてゴロンゴロンする姿までが、この桃パフェ会なのでしょう。誰かを楽しませたくて、つい120%までやってしまう。そんな「ちょっと頑張りすぎた休日」に覚えのある人ほど、笑いながら頷いてしまう一篇でした。

まつの妻さん|まごと婆ちゃんのスイカ

 一番印象に残ったのは、産直市で見かけた祖母と孫の姿から、二人が乗ってきた車や、その後の食卓まで想像が広がっていくところでした。ほんの数分すれ違っただけの他人なのに、「婆ちゃん、スイカ好きやもんな」の一言から、その家族が過ごしてきた時間まで見えてくるようです。

 まつの妻さんの視線は、道端で拾った小石を手のひらでゆっくり転がすよう。目の前の光景を急いで意味づけず、自分の母と孫の記憶を重ねながら、「孫って何十年か経ってから受け取るギフトなのかもしれない」というところまで静かに思いを巡らせていきます。

 読み終えたあとに残ったのは、高い天窓から夏の日差しが差し込む産直市と、その下に並ぶ祖母と孫の後ろ姿でした。スイカを選んでいるだけの何気ない光景が、誰かの人生を想像することでこんなにもまぶしくなる。

 知らない二人の何気ない会話から、自分の家族や、長い時間の先にある関係へ。ひと玉のスイカをきっかけに、そんなところまで連れていってくれる一篇です。

まどかママさん|寝顔に癒される😍毎晩思うこと

 一番印象に残ったのは、昼間どれだけイライラしていても、寝顔を見た瞬間に「明日はもう少し優しくしてあげよう」と思えるところでした。怒ってしまった自分への反省と、それでもやっぱり可愛いという気持ち。その両方が毎晩同じ場所へ戻ってきます。

 まどかママさんの語りは、一日の終わりに押す「リセットボタン」のようです。プリンセスごっこやヨーグルトに振り回される慌ただしさも隠さず、それでも眠った二人を前にすると、昼間のトゲトゲした気持ちが少しずつほどけていく。理想の母親像ではなく、怒ったり反省したりする日常をそのまま書いているからこそ、親しみを感じました。

 読み終えて残るのは、静かな部屋で二人の小さな寝息を聞いている夜の景色です。子育ての一日は、きれいに反省して終わるわけでも、翌日から完璧に変われるわけでもない。それでも毎晩また「大好きだなぁ」と思える。

 昼と夜でこんなにも変わる親の気持ち。その繰り返しを覗いてみたくなる一篇でした。

豆と小鳥さん|はとぽっぽほろほろハヒフヘホ

 一番印象に残ったのは、老化への不安から「何を残したいか」を考え、たどり着いた答えが「声」だったところです。シミも記憶力も体力も全部は守れない。だからこそ、自分が大切にしたいものをひとつ選ぶ。その絞り方に、その豆と小鳥さんらしい生き方が見えました。

 豆と小鳥さんの文章は、古い箪笥の引き出しをひとつ開けたら、その奥からまた別の引き出しが現れるようです。老化の話から発声練習へ、「あめんぼの歌」から団地の先輩、さらに古典へ。思い出すたびに話が横へ広がるのに、最後には「これからどう年を重ねたいか」という一本の線につながっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、夕暮れの鎌倉で、少し背筋を伸ばして声を出している人の姿でした。老いることを嘆くではなく、素敵な先輩を見つけて、自分も少しずつ近づこうとする。その時間の重ね方が静かに心地いいです。

 「は」から始まるタイトルを探していたはずが、発声練習と老化と古典までつながっていく。タイトルの妙な響きに惹かれた人ほど、その先にある年齢との付き合い方まで覗いてみたくなる一篇でした。

mayoさん|「歳を重ねるということは」

 一番印象に残ったのは、「50代、老いを受け入れるにはまだ早く、受け入れないのは潔くない気がする」という揺れでした。若いつもりでいたいわけでも、年齢を達観して受け入れたいわけでもない。その間で「今の自分」を探している感じに、とても実感があります。

 myaoさんの語り口は、試着室の三面鏡みたいです。鏡に映った自分へ「誰!?」と驚き、女優たちの言葉に背中を押され、今度は少し離れたところから自分自身へツッコミを入れる。老いという重くなりがちな題材を、深刻にしすぎず、かといって笑い飛ばしもしない。その距離感が心地よかったです。

 読み終えたあとに残ったのは、黒やグレーの服が並ぶ中に、鮮やかな色がひとつ置かれているような景色でした。歳を重ねることは、何かを諦めて色褪せていくことではなく、その年齢だから選べる色を少しずつ増やしていくことなのかもしれません。

 「自分はいま何歳なんだろう」という小さな違和感から、老いとの付き合い方を軽やかに考えていく一篇。年齢の数字が少し気になり始めた人ほど、覗いてみたくなると思います。

迷える大羊さん|ウリ科

 一番印象に残ったのは、きゅうりを切る「スパーン」という感触から、西日の傾き、青い香り、夏の終わりへと景色が静かに広がっていくところでした。料理の手順を書いているのに、台所の温度や匂いまで届いてくるようです。

 迷える大羊さんの文章は、ひとつの食材を虫眼鏡で眺めているうちに、その向こうに季節まで見つけてしまうような語り口。「見知った野菜の知らない顔」という言葉どおり、普段なら脇役になりがちなきゅうりから、切り方、香り、色、夕暮れまで拾っていく視点が印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、西日の差す台所と、火を通したきゅうりの青い香り。ところが、この作品はそんな綺麗な余韻だけでは帰してくれません。「以上、本文。」の先にまだ大量の文章が待っている。その振れ幅まで含めて、どこまでが本編なのか分からなくなるような楽しい一篇でした。

マリモさん|『メルちゃんとお風呂』

 一番印象に残ったのは、姉妹にとってはただ楽しい「髪の色が変わる遊び」が、大人の目を通した瞬間に「温冷浴を繰り返す過酷な修行」へ変わるところでした。同じ光景なのに、見る側が変わるだけで物騒になる。その視点のズレが面白いです。

 マリモさんの語りは、子どもの無邪気な遊びに、大人が事件性を見いだしていくよう。脱ぎ散らかされた小さな服や、浴室に残されたおもちゃまで、最初は微笑ましい日常なのに、ひとりで風呂へ入ったところから空気が変わっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、湯気の立つ静かな浴室と、その中にある妙に不穏な光景。子どもの遊びをマリモさんが別ジャンルへ変えてしまう、その想像力が楽しい一篇でした。

まるさん|サングリアbyストレイシープ

 一番印象に残ったのは、友人の結婚を心から祝福したい気持ちと、「結婚してほしくなかった」という気持ちが、どちらも本物として並んでいるところでした。どちらかを間違いとして消さず、矛盾したまま抱えている。その感情の描き方が静かに残ります。

 まるさんの語りは、ほんとサングリアを作るようでした。好き、寂しい、祝いたい、そばにいてほしい。別々なら説明できる感情をひとつのグラスへ入れ、少しずつ混ざっていく様子を見せていく。店主も答えを与えず、ただ話を聞いているからこそ、本人が自分の気持ちに触れていく時間が丁寧に伝わってきました。

 読み終えたあとに残るのは、赤いサングリアのグラスと、その中に浮かぶ色とりどりの果物です。人の気持ちは、ひとつの言葉できれいに分類できるものではない。そんな複雑さを否定せず、そっと置いてくれる一篇でした。

まる🌕さん|のんびりいこうよ、のんびりいこうか

 一番印象に残ったのは、せっかく立て直そうとして作ったハムチーズトーストまで、よりによって具の面を下にして落としてしまうところでした。小さな不運が積み重なった日に限って、最後の一押しまで妙に容赦がない。その「今日はもう勘弁して」という感じがよく伝わってきます。

 まるさんの文章は、転んだあとに「まあ大丈夫」と立ち上がった瞬間、もう一度つまずくようです。それでも自分を責め続けるのではなく、「そんな日もある」と何度も言い聞かせながら、少しずつ気持ちの置き場所を探していく。その素直な揺れ方に親しみを感じました。

 読み終えたあとには、散歩道の空気と、ふっと肩の力が抜けるような静けさが残ります。何をしてもうまくいかない日を無理やり良い日に変えなくても、いったん速度を落とすだけで景色は少し変わる。そんな一日を、ハムチーズトーストと一匹の猫が連れていく一篇でした。

Maruさん|るんちゃんと祖母の夏休み(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、どちらの作品にも「同じ場所に、昔と今が重なって見える瞬間」があることでした。小さなビニールプールには、かつてそこで遊んだ自分たちと、今そこで遊ぶひ孫の姿が重なり、山がなくなったバス停には、祖父が眺めていた緑の景色が残っている。場所が記憶を呼び戻す瞬間が、とても自然に描かれています。

 Maruさんの文章は、古いアルバムの写真を一枚ずつめくりながら、今の景色とそっと重ねていくようです。大きな出来事を語るのではなく、プールの水しぶきや祖父の何気ないひと言から、家族の時間や街の変化までゆっくり広がっていく。その穏やかな視線が印象に残りました。

 読み終えたあとには、「今ある景色も、いつか思い出になるんだろうな」という少しの寂しさと温かさが残ります。何気なく過ごしている場所に、家族の何年分もの時間が重なっている。そんな景色をもう一度見つめたくなる2篇でした。

丸海マロさん|しりとりの思い出

 一番印象に残ったのは、湯船の中で「もぐらの子どもの子どもの子ども……」と、しりとりのルールをほとんど壊しながら姉妹で笑い続けた場面でした。子どもの頃って、意味もなく同じことを繰り返すだけで、どうしてあんなに笑えたんだろうと思わされます。

 丸海マロさんの語りは、古いおもちゃ箱をひっくり返して、「これ何だったっけ」と笑いながら一つずつ拾い直すようです。お母さんをごはんに見立てたことも、姉のおかずが何だったか忘れたことも、その曖昧さごと記憶の温度になっているのがいい。

 読み終えたあとに残るのは、狭い湯船の湯気と、昔の笑い声です。懐かしい思い出をただ「戻れない頃」として閉じず、今の暮らしにもどこか続いている気配がある。そのつながりを確かめるような、あたたかい一篇でした。

萬谷 安斎さん|「ぷ」

 一番印象に残ったのは、「ぷ」という一文字を前にして、言葉そのものを遊び場にしてしまうところでした。プリンやプーさんから始まり、オノマトペ、フランス語、英語、スペイン語へ。普通ならタイトルをひとつ探して終わるところを、「ぷ」の周囲を掘り始めてしまいます。

 萬屋さんの思考は、ひとつの言葉を投げ込むと次々に別の言葉が弾け出すピンボール台のようです。意味だけでなく、音や語感まで拾って跳ね回り、いつの間にか一行詩が生まれ、宇宙へ飛び出している。その飛躍を本人も止めようとしないところが面白い。

 読み終えて残るのは、夜中に辞書や検索窓を開きながら、面白い言葉を見つけるたびに寄り道しているような景色でした。

 たった一文字の「ぷ」から、どこまで遠くへ行けるのか。しりとりという制約を窮屈がるどころか、その一文字を入口に遊び尽くしていく一篇です。

Mieさん|スイカバー🍉の完成度にむせび泣きつつ、アイツ(G)の不思議に遭遇した...なとぅの夜

 一番印象に残ったのは、嫌われ者の「G」を見つけて逃げるどころか、しゃがみ込んでもう一度観察してしまうところでした。「気持ち悪い」と言いながら、「でも、なにかが違う」。恐怖より好奇心がほんの少し勝ってしまう。その結果、見慣れたはずの虫から思いがけない姿を発見するのが面白いです。

 Mieさんの語りは、ひとつ扉を開けると、その奥からまた別の扉が現れる迷路のようでした。しりとりから昔の漫画へ寄り道し、ようやく本題へ戻ったと思えば、ゴミ置場のカラスを観察し、そこから「G」の歩き方へ。本人も脱線を楽しんでいるので、「次は何を見つけるんだろう」と一緒に覗き込みたくなります。

 読み終えて残ったのは、暑い夏の夜、ゴミ置場の前で小さな生き物をじっと観察している姿でした。誰もが避けたくなるものでも、立ち止まって眺めれば「なんで?」が見つかる。虫が苦手でも、その好奇心の行方だけはちょっと覗いてみたくなる一篇です。

未桜さん|「うちわの先は、本能寺だった件」あるいは「うちわの先は、本能寺だった」

 一番印象に残ったのは、AIが出した「うちわ」という一語から、何年も前の京都旅行が丸ごと蘇っていくところでした。記憶というのは不思議なもので、名所そのものより、道を教えてくれたお姉さんや、勝手に創業年で戦わせた扇子屋さん、迷った末に偶然出会った場所のほうが残っていたりします。

 未桜さんの語りは、目的地を決めたのに脇道へ吸い込まれていく京都散歩のようです。東寺最強決定戦を開催し、「文政6年」に謎の戦闘力を感じ、方向音痴さえ偶然の出会いへ変えてしまう。話は寄り道するのに、その寄り道こそが読みどころになっています。

 読み終えたあとに残るのは、地図どおりに歩かなかった旅ほど、妙に鮮明に覚えているものかもしれないという感覚でした。たった一語から昔の京都へ戻っていく記憶の散歩と、最後までしりとりで遊び尽くす発想が楽しい一篇です。

みけこさん|楽しいからって、なんでそう〜なるの?!

 一番印象に残ったのは、「老いを受け入れるにはまだ早く、受け入れないのは潔くない気がする」という揺れでした。若さにしがみつきたいわけではない。でも、もう老いたと決めてしまうのも違う。そのどちらにも寄り切らない感覚が、とても自然に書かれています。

 エッセイも、鏡に映った自分へ「誰!?」「いや、私だ」と返したかと思えば、岸恵子さんや草笛光子さんの言葉へ静かに歩いていく。老いという重くなりがちな題材を、深刻さの沼へ沈めず、ところどころで自分自身に小さなツッコミを入れながら進む。みけこさんの語り口は、年齢という長い坂道を、景色を見ながら自分の歩幅で登っているようでした。

 読み終えて残ったのは、鮮やかなオレンジの服と口紅の色です。若く見せるためではなく、今の自分で今日を少し明るく歩くために選ぶ色。年齢を重ねることを肯定も否定もせず、「この年代も悪くない」と少しずつ馴染んでいく姿が残りました。

 「歳を重ねる」とは、数字が増えることなのか、見た目が変わることなのか、それとも今の自分との付き合い方を覚えていくことなのか。そんなことを、鏡の前からそっと考えさせてくれる一篇でした。

みずさん|いっぱいいっぱい

 一番印象に残ったのは、「余裕ができたから動いた」のではなく、「いっぱいいっぱいのまま、それでも一歩動いてきた」というところでした。何かを始める人を見ると、覚悟が決まっていたり、前向きだったりするように見える。でも、その一歩の手前には何度も「どうしよう」があった。その告白によって、これまでの挑戦の見え方が変わります。

 みずさんの語りは、立派な決意表明というより、荷物を両腕いっぱいに抱えたまま「どうしよう」と言いつつ歩き出してしまう人を見ているようです。テニスも登山も仕事の変化も、華々しい挑戦として飾らず、迷いや不安ごと並べているからこそ、その一歩にその人らしさを感じました。

 読み終えて残るのは、何かを始めるために、必ずしも心の中をきれいに片づけなくていいのかもしれない、という少しの安心感です。

 突然渡された「い」のバトンから、自分がこれまで踏み出してきた一歩を振り返っていく。タイトルの「いっぱいいっぱい」がどんな意味を持ってくるのか、その変化を追いながら読みたくなる一篇でした。

水守わをんさん|⬛どんぶらこ~だよ、表現は

 一番印象に残ったのは、「作品を公開した瞬間から、その作品は桃」という考え方でした。作者が大切に育てて川へ流したあとは、どこへ辿り着き、誰に拾われ、どう味わわれるかまでは決められない。その距離感を「どんぶらこ~」で表してしまうところが面白いです。

 水守さんの表現との向き合い方は、川上から桃を見送る親のようでした。丹念に整えて送り出すまでは作者の仕事。でも、流れていった桃から「桃太郎」ではなく「桃姫」や「桃じい」が生まれても、それを間違いとはしない。読み手の解釈まで作品の旅路として楽しんでいるのが印象的です。

 読み終えたあとには、川を流れていくたくさんの作品と、それぞれを好きなように拾う読者の景色が残りました。「作者の意図を正しく読む」とは何なのか。作品を読む側にも書く側にも、ちょっと考えてみたくなる入口がある一篇です。

みちさん|www.「おでん 賞味期限 1年以上 食べられる」……いけないっしょ

 一番印象に残ったのは、「404日経過」から、そのまま「404 Not Found」へ飛んだところでした。賞味期限切れのおでんを前に、検索でなんとかGOサインをもらおうとしていたはずなのに、数字の偶然がインターネットのエラー画面へ変わる。この瞬間、ただの食品ロスの話が一気に、この作品の笑いへ変わっています。

 みちさんの文章は、頭の中に小さな法廷と検索窓とツッコミ役が同居していて、誰かが余計なことを言うたびに話が横へ広がっていくようです。「未開封です」「常温保存です」と謎の弁護士が粘った末に、「404日です」で即閉廷。その一方で、棚の奥に居続けたおでんを「同居人。家賃払え」と見る視点まで出てくる。ひとつの出来事を、次々と別の遊びに変えていく勢いが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、棚のいちばん下で一年以上じっと暮らしていたおでんの姿でした。そして「w」から始まったしりとりが、インターネットを経由して思わぬ場所へ転がっていく景色も残ります。なぜ「w」が賞味期限切れのおでんにつながるのか。その道筋を追いかけたくなる一篇です。

道草ノート🌿ゆうさん|『ら』から始まる言葉を探していたら🤭

 一番印象に残ったのは、「ら」から始まる言葉を探していたのに、「楽になる」という今の自分が大切にしているものへ辿り着いたところでした。

 ラッキー、ラジオ体操、ラーメンと、最初はしりとりらしく言葉を転がしていたはずが、ふと自分の内側へ道草していく。その寄り道の仕方が、「道草ノート」という名前にも似合っている気がします。大きな答えを探しに行くのではなく、足元に落ちていた一文字を拾ったら、そこから今の自分が見えてきたような語りです。

 読み終えたあとに残るのは、頑張るために拳を握る景色ではなく、少し力を抜いて肩を下ろすような感覚でした。「やらなきゃ」を増やすより、「ちょっと楽になる」を見つける。そんな小さな方向転換が優しく残ります。

 たった一文字の「ら」から、ゆうさんが今どんなふうに暮らしていきたいのかまで見えてくる。しりとりだからこそ生まれた、静かな自己発見を覗いてみたくなる一篇でした。

みちよさん|カナダに行った時のこと

 一番印象に残ったのは、「20年前のカナダ旅行」を、観光名所ではなく、時間というふるいに残った記憶だけで語っているところでした。ナイアガラへ行ったはずなのに、滝の感動より覚えているのは、親切すぎるカナダ人と冷凍食品とクソまずいピーナッツチョコ。人の記憶って、案外こういうものなのかもしれません。

 特に好きなのは、優しいカナダ人なら「ムーミンが食べてるもの、みたいなもの」を食べているはずだと信じ続けるところ。地図を開けば助けに来る人々から逃げて物陰へ隠れたり、タルトに加工しても救済できないチョコに絶望したり、自分たちのズレた反応まで含めて笑いにしてしまう語りが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、20年前の海外旅行を久しぶりにアルバムから引っ張り出したような景色でした。旅先で何を見たかより、そこで何に驚き、何に腹を立て、何を「クソまずい」と思ったか。そんな記憶の残り方そのものが面白い一篇でした。

みなてぃさん|ふつうに歩いているだけなのに。

 一番印象に残ったのは、外国人観光客に道を教えるどころか、気づけば自分のスマホから電波まで分けていたところでした。「話しかけられやすい」という話だったはずが、読み進めるほど、話しかけられたあとの対応まで妙に手厚い。本人は「……なんで?」と首をかしげていますが、読んでいる側には理由がだんだん見えてくるのが面白いです。

 みなてぃさんの文章は、街中に設置された「困ったときはこちら」の案内所が、人の姿で普通に歩いているようです。旅先でも道を聞かれ、テーマパークでは公式カメラマンのようになり、ついには通信環境まで提供する。それを「私は親切な人です」と語るのではなく、自分自身も「なんで私?」と思いながら振り返っている距離感が、このエッセイの可笑しさになっています。

 読み終えたあとに残るのは、「話しかけられ顔」って顔だけの問題ではないのかもしれない、という小さな発見でした。本人が考える理由は「歩くのが遅い」「ぼーっとしている」「人畜無害そう」ですが、それだけでここまで人は寄ってくるのか。ふつうに歩いているだけなのに、なぜか知らない人の「ちょっとすみません」が集まってくる。その謎を一緒に考えながら読みたくなる一篇です。

みのりさん|ズボンをパンツとは呼ばないぞ

 一番印象に残ったのは、「パンツ」はどうしても受け入れられないのに、「ニット」や「スウェット」は普通に使っているところでした。新しい言葉を全部拒んでいるわけではなく、みのりさんの中にいつの間にか「ここまでは通す、これは通さない」という境界線ができている。その曖昧さが面白いです。

 みのりさんの言葉への感覚は、長年使ってきた単語を並べた玄関の靴箱みたいでした。新しい靴も入っているのに、「パンツ」だけはどうにも置き場所が決まらない。「デニムっつったら生地じゃん」と、一つひとつ自分の感覚に照らして確かめていく語りにも、昭和から持ってきた言葉への頑固さと愛着を感じます。

 読み終えると、自分にもこんな「絶対にそっちでは呼ばない言葉」があるんじゃないかと探したくなりました。

 ズボンはいつからパンツになったのか。そして、なぜ「ニット」はよくて「パンツ」はダメなのか。そんな誰にも困らない小さな違和感を、みのりさんは大真面目に守り続けているのが楽しい一篇でした。

mimi🌻さん|「石田君は、初恋の男の子」

 一番印象に残ったのは、転校の日、みんなが石田君を囲んでいる中で、mimiさんがそっと家へ帰った場面でした。その時にはまだ「好き」と言葉にできていないのに、帰り道で心に穴が空いたようになる。あとから振り返って初恋だったと気づく、その時間差がとても自然でした。

 mimiさんの語りは、昔のアルバムを一枚ずつめくりながら、その写真の外側に残っていた気持ちまで話してくれるようです。机の下で手を握ったこと、絵の担当を押しつけられて泣いたこと、公衆電話へ小銭を持っていったこと。大きな恋愛事件ではなく、細かな記憶が積み重なるほど「ずっと好きだったんだな」と伝わってきます。

 読み終えたあとに残るのは、会えなかった時間まで含めて大切にしまわれた初恋の景色でした。声変わりや方言、知らない土地で過ごした年月まで、少しずつ遠くなっていくのに、幼い頃の印象だけは消えない。子どもの頃には名前をつけられなかった気持ちが、何年もかけてどんな思い出になっていったのか。自分の初恋まで思い出したくなる一篇です。

みみなさん|ルンバを愛し、ルンバに操られた3歳児

 一番印象に残ったのは、何度促してもトイレを嫌がっていた娘さんが、ルンバが廊下を進むとあっさり動いたところでした。大人の言葉ではびくともしなかった気持ちが、「ルンちゃん」と一緒なら自然に動く。その3歳らしい世界の見え方がかわいいです。

 みみなさんの文章は、育児中に起きた小さなハプニングを、その場で笑い話に変えてしまうホームビデオのようです。困っている最中なのに、娘さんの反応やルンバの動きを少し引いて見ていて、日常の可笑しさを拾っています。

 読み終えたあとには、廊下を進むルンバの後ろを、小さな子どもが一生懸命追いかけていく姿が残りました。育児では正論より偶然の一手が効くことがある。そんな親子の日常を、ほほえましく切り取った一篇でした。

みむらさん|いぬのはること過ごした、ある夏の日

 一番印象に残ったのは、はるこさんが最悪の事態を想像して青ざめている横で、はるこちゃんは何事もなかったようにハリーさんをぶん回しているところでした。この温度差が、犬と暮らしているときの「あるある」そのものです。

 みむらさんの語りは、心配性の飼い主と天真爛漫な子犬による、ひとり二役の漫才のよう。「どうしよう」と検索結果に怯えた直後でも、首をかしげるはるこちゃんを見れば「(やだ、かわいい❤)」。緊迫しているはずなのに、かわいさが何度も割り込んできます。

 読み終えて残るのは、うだるような夏の日、小さなはるこちゃんに振り回されていた時間そのもの。今ではカメラを嫌がるようになったはるこちゃんと、写真を撮らずにはいられなかった頃のみむらさん。その間に流れた七年まで、昔の写真をめくるように感じられました。

 子犬が突然静かになったとき、飼い主の頭の中では何が起こるのか。犬と暮らしたことがある人なら身に覚えがあり、なくても一緒になってハラハラできる、愛犬との夏の記憶です。

みやちゃん123さん|「ん」で終われない夜。noteでいま話題の「エッセイしりとり」が教えてくれた、言葉のバトンの心地よさ

 一番印象に残ったのは、「一文字の制約」がむしろ記憶の扉を開く、という見方でした。自由に書いていいと言われるより、「この文字から」と決められたほうが、自分でも忘れていた話にたどり着く。しりとりの不自由さを、創作の入口として捉えているのが面白いです。

 みやちゃん123さんの語りは、祭りの中へ飛び込むというより、少し離れた場所から櫓や屋台を眺めて「なぜみんなこんなに楽しそうなんだろう」と観察する案内人のようでした。バトン通知のくすぐったさや、「ん」を避ける大人たちの本気まで拾いながら、企画全体の魅力を整理していきます。

 読み終えて残るのは、たくさんの記事が一本の線でつながり、noteの中に小さな街ができていくような景色でした。すでに参加している人には「確かにこれが楽しかった」と振り返らせ、まだ知らない人には、この妙な言葉遊びを少し覗いてみたくさせる一篇です。

みゅうなさん|たぶん、あれは最後の恋

 一番印象に残ったのは、四十年以上前の恋なのに、彼の顔より「手」の記憶がいくつも残っていることでした。土砂降りの中で頭上にかざされた手、人混みで差し出された手、終点で少しすねたように伸びてきた手。どれも大げさな愛情表現ではないのに、その小さな仕草だけが時間を越えて鮮明に残っています。

 みゅうなさんの語りは、古いカセットテープを一本ずつ巻き戻していくようです。何台ものバスを見送り、ミルクティーを眺め、渡せないプレゼントを抱えたまま終点まで行く。恋が不便だった時代だからこそ生まれた「待つ時間」まで、恋の記憶として描かれているのが印象的でした。

 読み終えたあとに残るのは、土砂降りの雨や夕暮れのバス、触れそうで触れない二人の距離です。恋愛の激しさではなく、何十年経っても消えなかった些細な場面から、ひとつの恋を静かにたどっていく。昔好きだった人を、ふと思い出したくなるような一篇でした。

みわさん|筆箱開けたら、若返りまくり

 一番印象に残ったのは、筆箱の中から出てきた文房具が、ただの懐かしい物ではなく、その頃の自分まで連れてきたところでした。二重線を引ける蛍光ペンやスティックはさみ、犬の付箋。ひとつ触るたびに、物の記憶ではなく「それを使っていた自分」が少しずつ戻ってくる流れが好きでした。

 みわさんの文章は、古い筆箱を開けたつもりが、そのまま学生時代へ続く小さな秘密の扉を開けてしまったようです。スティックはさみを「スモールライト」のように得意げに持っていた自分や、付箋をお守りのように眺めていた自分まで出てくる。文房具そのものより、当時それをどう楽しんでいたかを拾っていく視点が面白いです。

 読み終えたあとに残ったのは、硬い椅子とチャイムの音、それから少し浮き足立った学生時代の空気でした。昔の物を見つけたとき、懐かしいのは物そのものではなく、その頃の自分なのかもしれません。久しぶりに筆箱を開けただけで、どこまで若返れるのか。自分の引き出しも少し探ってみたくなる一篇です。

ミロクンミンギアさん|スカイツリーの地下には

 一番印象に残ったのは、誰もが知っているスカイツリーを「空へ伸びる塔」ではなく、「地下に本体を隠した巨大な生物」として見ているところでした。634メートルという高ささえ、そのまま地下へ伸びる根の深さにしてしまう。現実のランドマークが、冒頭数行でもう別の生き物に見えてきます。

 ミロクンミンギアさんの語り口は、東京観光のパンフレットを裏返したら、そこに怪獣映画の極秘資料が印刷されていたようです。ソラマチのお土産も、かわいいマスコットも、展望台からの眺望も、一度この人の理屈を通すと全部が怪しくなる。それなのに語り手だけは妙に冷静で、荒唐無稽な話を生物の生態でも説明するように淡々と積み上げていく。その真顔と妄想の大きさの落差が面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、東京の夜景より、その足元に広がっているかもしれない暗く湿った地中の景色でした。見慣れたスカイツリーなのに、次に見上げたとき、地下まで想像してしまいそうです。

 「スカイツリーの地下には何がある?」。そんな子どもの空想みたいな入口から、東京そのものを舞台にした壮大な妄想へ連れていかれる一篇でした。

ムーさん|インドカレーに魅せられた牛。

 一番印象に残ったのは、給食でみんながカレーに歓喜するなか、ムーさんひとり白いご飯に福神漬けを乗せて食べていた光景でした。カレーが嫌いだったのではなく、本当は食べたかった。だからこそ「ジャガイモが憎い。自分自身が憎い。日本のカレーが憎い」とまで膨らんでいく感情に、子どもの頃のやるせなさが詰まっています。

 その記憶を、大槻ケンヂの「日本印度化計画」から始め、カレーパンマンへの恨みまで持ち出して語るムーさんの文章は、昔の傷をスパイスまみれにして煮込み直しているよう。切なさがあるのに湿っぽくならず、読み進めるほどお腹が減ってきます。

 読み終えて残るのは、薄暗い店内に漂うスパイスの香りと、初めて見る大きなナンを前にした少年の景色でした。ずっと自分を拒んできたと思っていた食べ物の向こう側に、まったく別の世界があった。

 「カレー絶対許さないマン」だった少年に、いったい何が起きたのか。ひとつの食べ物をめぐる恨みと出会いを、37年前の日本印度化計画まで巻き込んで語る一篇です。

むくみさん|旅の計画と、「Tシャツが乾くまで」。

 一番印象に残ったのは、旅行なのにホテルも列車も別々にしたがる「もっさり」へのモヤモヤが、ドラマの一場面をきっかけに違う形へ見え始めるところでした。「一緒にいたい」と「ひとりでいたい」は反対に見えるけれど、どちらも相手を嫌っているわけではない。その距離感を、自分たちの関係へ重ねながら考えていく流れが印象に残ります。

 むくみさんの文章は、二人旅の予定表を広げながら、その余白に関係性の取扱説明書を書き足していくようです。ホテル、列車、観光と、具体的な予定を決めるたびに「一緒ってどこまで?」という問いが顔を出す。そこへドラマのTシャツや染みの話が重なり、単なる旅行前の愚痴だったものが、長く誰かと付き合うことの話へ静かに広がっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、同じ場所へ向かっていても、ずっと隣に座っている必要はないのかもしれない、という少し不思議な旅の景色でした。べったり一緒でも、完全に別々でもない。そんな二人なりの距離を探している途中だからこそ、この長崎旅行がどうなるのか気になります。「一緒に旅行する」とは何を一緒にすることなのか、ちょっと考えてみたくなる一篇です。

武藤虹子さん|父と過ごす日々

 一番印象に残ったのは、「父を心配していたけれど、父のほうがもっと私を心配していたのだろう」という気づきでした。病気になった父を支えるために実家へ戻ったはずなのに、そこで見えてくるのは、支える側と支えられる側が静かに入れ替わっていく家族の姿です。

 武藤さんの語り口は、大きな感情を叫ぶのではなく、食卓の会話や車の運転、陶芸道具の処分といった日常の小さな場面を、アルバムの写真を一枚ずつめくるように置いていきます。そのため、重い出来事を扱っていても、悲しさだけに傾かず、家族三人で過ごした時間の温度が残ります。

 読み終えたあとに浮かぶのは、特別な旅行や記念日ではなく、夕食を囲んで「今年の冬は寒くなりそうだね」と話している家族の景色でした。人生が大きく揺れた時期だからこそ、そんな何でもない時間が、あとからかけがえのないものに見えてくる。

 仕事を辞めたことと、父の病気。一見すると暗い出来事が重なったところから始まりますが、その時間の中で家族の見え方が少しずつ変わっていく。その静かな変化を追いたくなる一篇でした。

無名の情緒さん|ディベート対決!愛とお金と、妻の「きらい」

 一番印象に残ったのは、「愛とお金、どちらが大事か」を議論するはずだったのに、妻の「あんたが、キライ」で一瞬にして別の勝負へ変わってしまうところでした。愛について理屈をこねていた本人が、リアルな愛の危機に直面する。この落差が見事です。

 特に面白いのは、妻との温度差。本人はディベーターになりきって「ちゃんちゃらおかしいね!」と絶好調なのに、妻は最初から「どっちでもええ……」。この一方だけが盛り上がっている夫婦のやり取りを、妻の短い言葉と自分へのツッコミで笑いにしていく語り口が楽しいです。

 そして最後まで「勝ち負け」にこだわっているのに、どう考えても勝っていない。「勝った。いや、すべてに負けた気がする。」という感覚とともに、なんだかんだ夫の遊びに付き合ってくれる妻との日常が残ります。愛とお金の答えより、この夫婦のディベートがどこへ転がってしまうのかを見届けたくなる一篇でした。

銘翠さん|いぬ。

 一番印象に残ったのは、「犬」の特徴をこれでもかと積み上げていく前半でした。食物を貪り、指示が通らず、散らかし放題で、帰巣本能だけは強い。しかも臭い。読んでいる側は「なかなか大変な犬だな」と思いながら進むのですが、その描写が具体的で、じわじわ違和感が育っていきます。

 銘翠さんのエッセイは、腹立たしい現実をそのまま書くのではなく、笑いという変換器に通して別の形にして見せるようです。怒りや疲れがあるはずなのに、比喩や言葉遊びを重ねることで、読む側にはまず可笑しさが届く。その奥に、笑いへ変えなければやっていられないような切実さもちらりと見えます。

 読み終えたあとに残るのは、騒がしくて、臭くて、でも生命力は強い「何か」が家の中を自由に闊歩しているような景色でした。タイトルはたった『いぬ。』。その三文字を、読み終えたあとにもう一度見返したくなる一篇です。

メグリさん|痛くはないが、、、、テント

 一番印象に残ったのは、やはり皮膚に出現した「テント」です。大きく震える手で針を刺されるだけでも十分怖いのに、なぜか静脈は完璧に捉え、採血もできている。そのまま針先だけが上下して「設営、解体、設営、解体」を繰り返す。笑っていいのか心配すべきなのか分からない光景が目に浮かびました。

 看護師ならではの「初めて」を、失敗談ではなく学生同士だから笑えた思い出として語っているところも面白いです。現在では当たり前に行っている採血にも、手を震わせながら練習した日があった。その初心者だった頃の緊張感が、「おそるべしひろみの震え」という笑いと一緒に残されています。

 そして最後には、テントの記憶から「ひろみに会いたくなった」へ。技術を身につけた日の話だったはずが、読み終えるころには、一緒に一人前を目指した友人との青春の一場面にも見えてきます。看護師の「初めての採血」がどんなものだったのか、少し怖々と覗いてみたくなる一篇でした。

モクモクさん|平手打ちがくれたもの

 一番印象に残ったのは、高校生の自分には「たった1時間」だった時間が、娘の帰りを待つ親になった今、まったく違う長さに見えてくるところでした。同じ一時間なのに、立つ場所が変わると、その中にあった不安や怖さまで見えてくる。

 モクモクさんの文章は、昔の記憶を一枚の写真のように取り出し、現在の自分の光に透かして、当時は写っていなかったものを見つけていくようです。父に叩かれた記憶を単純に美化するのではなく、自分なら娘を叱れるのか、信じて待てるのかと問いが現在へ返ってくるところに、モクモクさんならではの深さを感じました。

 読み終えて残るのは、夜更けに時計とLINEを何度も見ながら娘を待つ姿と、その向こうに重なる昔の父の姿です。何十年も答えの出なかった出来事が、親になったことで少しずつ別の表情を見せ始める。ひとつの平手打ちから、親と子の時間をたどり直していく一篇でした。

もちさん|ノスタルジックよ、こんにちは❇️(他、計2本)

 『ノスタルジックよ、こんにちは❇️』で印象に残ったのは、娘とのマンゴーサンドを目指した一日が、予定外の方向へ転がるほど楽しそうになっていくところでした。目的地へ一直線に進むのではなく、寄り道で見つけたものを嬉々として拾っていく姿は、路地裏へ入るたび宝物を見つける散歩のようです。娘との時間も含め、予定どおりにいかなかった一日だからこそ残る景色がある。そんな温かな余韻がありました。

 『くせ毛とアラフィフを、梳く🪮🌿』では、AIが見せてくれた理想の髪型と、くせ毛という現実との攻防が楽しい。「少し梳く」という現実的な着地点から、いつの間にか自分につけていた別のものまで「梳く」話へつながっていく発想が鮮やかでした。

 どちらにもあるのは、思い描いたとおりにならなくても、そのズレから別の面白さを見つける視点。予定変更も、年齢も、くせ毛も、少し見方を変えれば新しい景色になる。もちさんの日常の楽しみ方が伝わってくる2篇でした。

元看護師うめこさん|🍉スイカ甘くなりましたね

 一番印象に残ったのは、今の甘いスイカをひと口食べたことで、昭和の果物の記憶が次々と蘇っていくところでした。イチゴには砂糖と牛乳、グレープフルーツにも砂糖、スイカには塩。果物そのものでなく、専用のスプーンや種飛ばしまで一緒に出てきて、食卓の景色まで見えてきます。

 うめこさんの語りは、古い食器棚を開けて「そうそう、これもあった」と一つずつ取り出して見せてもらうよう。懐かしさを語りながらも、「お上品に食べていました。←嘘つけ!!」と自分で壊してしまう軽さが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、果物が今ほど甘くなかった頃の、少し酸っぱくて賑やかな食卓でした。今ではそのまま食べて十分甘い果物も、昔はひと手間加えて食べていた。スイカひと切れから、味覚だけでなく昭和の食べ方まで蘇ってくる一篇です。

桃瀬めぐさん|一歩先の世界を見ている

 一番印象に残ったのは、「シュールで面白い女になりたい」という野望に対して、編み出した方法が「逆にね」と言い続けることだったところです。個性的になりたい。でもギャグセンスも奇行に走る度胸もない。そこで「具体的な内容を一切語らなくても、知性と含みを出せる言葉」を探す。この発想のズレ方がたまりません。

 しかも桃瀬さんは終始、本気です。親友を困惑させても「勝った」、一軍女子の会話へ割り込むときは「千載一遇のチャンス」。周囲から見れば明らかに様子がおかしいのに、本人の脳内では壮大な自己プロデュース計画が進行している。その内面と現実の落差を、自分自身へ容赦なくツッコミながら語るところに桃瀬さんならではの面白さを感じました。

 一方で、笑いながら読んでいると、昔の「ちょっと特別な人に見られたかった」という自意識まで思い出します。誰かから「面白い人」と思われたくて、普段とは違う振る舞いをしてみる。方法こそ極端ですが、その痛々しさには妙な覚えがあります。

 夕暮れのバス停で青い春と尊厳を失った少女が、大人になっても別の言葉を試そうとしている。あの頃の自意識を黒歴史として消すのではなく、「人間、そう簡単には治らない」と笑って現在まで連れてきている。その変わらなさまで愛嬌にしてしまう一篇でした。

杜まひろさん|ルーシーショーの唐揚げと邪宗門のカプチーノ

 一番印象に残ったのは、昼休みの中で、唐揚げとカプチーノがそれぞれ別の扉になっているところでした。母のお弁当の記憶から、初めて知る外食の味へ。そして、いつものブラックではなくカプチーノを選んだことで、今度は少し背伸びした大人の時間へ入っていく。その日の小さな選択が、あとから振り返ると確かな節目になっているのが印象的です。

 杜まひろさんの文章は、古い喫茶店の引き出しを一段ずつ開けていくようです。真っ赤なプラコップから母の唐揚げへ、シナモンの香りから当時の自分へと、目の前のものに触れるたび記憶が静かに立ち上がる。派手に話を動かさなくても、味や匂い、店内の薄暗さまで重なって、その頃の空気ごと運んできます。

 読み終えたあとに残ったのは、昼休みの終わりに振り返った古い喫茶店の景色でした。何か特別な事件が起きたわけではないのに、「昨日までとは少し違う自分」がそこから会社へ戻っていく。唐揚げと一杯のカプチーノが、どうしてそんな一日になったのか。昔の街を一緒に歩くように読んでみたくなる一篇です。

もりゆりさん|月にアルミホイル巻いて食べたい

 一番印象に残ったのは、「月にアルミホイルを巻くには何本必要か」という壮大にくだらない計算から、いつの間にか「なぜ自分は月を見上げるのか」という話へ移っていくところでした。10兆本を超えるアルミホイルを真剣に計算していた人が、少しずつ自分の記憶の奥へ潜っていく。その振れ幅がとても好きです。

 もりゆりさんの文章は、妄想を発射台にして、気づけばずっと遠い場所まで連れていくロケットのようでした。天体望遠鏡を覗いた子どもの頃も、教室でひとりだった日も、仕事に疲れた夜も、そこには同じ月がある。宇宙の大きさに触れることで、目の前の苦しさを少し小さくしてきたという視点が印象的です。

 読み終えたあとには、まだ青い空に白い月が浮かんでいる景色が残りました。「月を食べる」というタイトルなのに、その奥には長い時間をかけて月に助けられてきた人の記憶がある。笑いながら読み始めて、いつの間にか自分も夜空を見上げたくなる一篇でした。

もんもんさん|「ばかやろう」なんて言葉、使ったことがなかった。

 一番印象に残ったのは、普段は「誰からも嫌われない立ち回り」が得意な人ほど、競馬を見ていると「差せ!」「なんでやねん!」と別人のような言葉が飛び出してくるところでした。競馬の話でありながら、少しずつ「普段は外に出していない自分」の話へ変わっていきます。

 もんもんさんにとって競馬は、感情についたネクタイを緩められる場所なのかもしれません。騎手や馬に熱くなっているようで、実は日常では飲み込んでいるものまで一緒に吐き出している。その「ばかやろう」が誰に向いているのか自分でも分からない、という曖昧さも面白いです。

 競馬が好きな理由を、的中や勝ち負けとは別のところから見つけていく。読み終えると、競馬場の直線でなく、普段は穏やかに振る舞っている人の内側にも、ひそかに熱い直線が伸びているような景色が残る一篇でした。

八神 夜宵さん|縛日羅(ばさら)に生きる

 一番印象に残ったのは、「いやんべでほでなす」というユルい自己認識から始まり、その奥にある「どうしても曲げたくないもの」を、歴史や自分の経験を辿りながら見つけていくところでした。公務員時代に理不尽な決まりへ突っかかった話も、単なる反抗心ではなく「自分にとって面白くない、美しくない」という感覚として語られていて八神さんの芯がよく見えます。

 八神さんの語り口は、一本の言葉を手がかりに地層を掘っていくようです。「ほでなす」という宮城の方言から、「ばさら」、さらに仏教語の「縛日羅」や傾奇者まで話を広げながら、最後にはきちんと自分自身の生き方へ戻ってくる。扱っている材料はかなり広いのに、知識の披露にはならず、どの話も「自分はなぜこう生きるのか」という一本の軸につながっているところが巧みでした。

 読み終えたあとに残るのは、普段は肩の力を抜いて歩いている八神さんが、胸の奥には小さく硬いものを持っている姿でした。要領よく生きることより、どうしても捨てられない感覚を守ること。その正体を「縛日羅」という言葉まで辿って確かめていく過程そのものを読んでみたくなる一篇でした。

ヤザワ屋さん|嬉しい楽しい、子供の誕生と成長

 「うんち」という、あまりにくだらないバトンから始まったのに、読み終える頃には娘さんの約10年の成長を一緒にアルバムで眺めたような気持ちになりました。

 ヤザワ屋さんの文章は、子育てのアルバムを一枚ずつめくりながら、その横に小さなツッコミを書き込んでいくようです。初めてのオムツ替え、幼稚園で泣いた日、ぐんぐん伸びる身長。大きな事件ではなく、その時々の「覚えていること」を拾っていくからこそ、時間の流れが自然に見えてきます。

 特に印象に残ったのは、「子育てで苦労する時期はそれぞれ違うんだな」という気づきでした。育てやすかった乳幼児期があり、そのあと別の大変さがやってくる。単純に「手のかからない子だった」で終わらないところに、実際に過ごしてきた年月を感じます。

 まさか「うんち」から、ここまで家族の時間が広がるとは思いませんでした。何気ない一語が、忘れていた思い出の引き出しを開けてくれる。そんなエッセイしりとりらしい一篇でした。

やっくんさん|かなりヤバいよ!これってありうる?

 一番印象に残ったのは、11連敗というかなり深刻な状況なのに、「これってどれくらい珍しいんだ?」と確率まで計算し始めるところでした。落ち込むより先に数字を出してくるあたりに、トレーダーらしさがあります。

 やっくんさんの語りは、自分が事故に遭った直後なのに、そのまま実況席へ座って「では今回の事故原因を分析してみましょう」と解説を始めるようです。11連敗を自虐で笑いながら、確率、相場環境、ルールへと冷静に話を進めていく。その温度差が面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、大負けした人の悲壮感より、一度止まって原因を確かめようとする姿でした。専業トレーダー半年目に突然やってきた11連敗。その数字の先で何を考えたのかを覗いてみたくなる一篇です

やまさん|溜め息と心音

 一番印象に残ったのは、「外の世界では誰かの溜め息の音に怯え、内なる世界では自分の心音に怯え」という対比でした。どちらも普通なら聞き流してしまうほど小さな音なのに、やまさんにとっては思考を動かすスイッチになってしまう。その二つを「溜め息」と「心音」として並べたことで、外にも内にも逃げ場がない感覚が伝わってきます。

 まるで感度を下げられないマイクを抱えて暮らしているような文章です。誰かの小さな変化を拾えば、その理由を考え続け、自分の鼓動を拾えば、そこからいつか訪れる終わりまで考えてしまう。ひとつの音から思考が遠くへ行きすぎてしまうところに、やまさんならではの視点を感じました。

 読み終えたあとに残ったのは、静かな部屋の景色でした。周囲が静かになれば安心できそうなのに、今度は自分の心臓が聞こえてくる。音の少なさがかえって落ち着かなさを際立たせています。

 誰かの溜め息が気になったことのある人なら、その入口には覚えがあるかもしれません。そこから「音を気にしてしまう」という感覚がどこまで深く潜っていくのか。小さな二つの音から、自分の内側を覗いていく一篇でした。

山田めめ子さん|とにかくナイアガラ

 一番印象に残ったのは、娘さんが天井の一角をじっと見つめて、「いつもあそこにいたこ」と言いかける場面でした。怖いのは娘さんの言葉そのものより、それを最後まで聞かせまいと食い気味に遮るお母さんの反応です。その必死さのおかげで、読んでいる側の想像だけが勝手に膨らんでいきます。

 山田めめ子さんの語りは、怪談のろうそくに火をつけたと思ったら、その横で本人がずっとツッコミを入れているよう。結露を「窓がナイアガラ」と呼び、観光名所にしようとする軽さがあるからこそ、不意に差し込まれる不穏な一言が効いてきます。

 読み終えたあとに残るのは、日当たりの悪い少し薄暗い部屋と、誰もいないはずの天井を見上げる親子の景色。笑ったはずなのに、最後にほんの少し背中が涼しくなる。

 夏の終わりに、怖がらせる気満々なのか笑わせる気満々なのか分からない。その境目をふらふら歩く、小さな怪談エッセイです。

yamanakasanchiさん|『すごいよ!! マサルさん』と『PEZ』、知ってる知らない論争

 一番印象に残ったのは、「自分の常識は、相手にとっても常識のはずだ」と信じて疑わない二人が、それぞれ全力で証拠を集め始めるところでした。『マサルさん』を知らないなんてありえない。PEZを知らないなんてありえない。たった二つの固有名詞から、年齢詐称疑惑や地域による情報格差まで話が膨らんでいくのが楽しいです。

 yamanakasanchiさんの文章は、家庭内に突然開廷した「どうでもいい最高裁」を傍聴しているようでした。お互い自分の記憶を絶対視し、役員さんや家族まで証人として呼び始める。それでも決定打が出ないから、屁理屈と補強材料がどんどん増えていく。この真剣さと議題のくだらなさの落差が、この夫婦の会話を面白くしています。

 読み終えたあとに残るのは、「同じ時代を生きていても、見てきた景色はこんなに違うのか」という可笑しさでした。そして、そのズレを直そうとするのではなく、ここまで大げさに遊べるのも夫婦ならではなのだと思います。『マサルさん』とPEZ、どちらを知っていて当然なのか。気づけば自分も、どちら側か考えながら読みたくなる一篇です。

山本蛇内さん|たのしいしか勝たん(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、「たのしいしか勝たん」と言い切るまでに、蛇内さんが書き始めた理由と、いま書き続けている理由がいつの間にか入れ替わっていることでした。最初はいくつもの「きっかけのピース」を寄せ木細工のように組み上げていたはずが、気づけばそこには人が集まり、同人誌が生まれ、オフ会まで続いている。書くことが目的だった場所に、いつの間にか「ひとつながりの体験」ができている。その変化が面白かったです。

 山本蛇内さんの文章は、ひとつの言葉をつまんだ途端、脇から脇へ連想が増殖していく言葉のピンボールのようです。タンメンと担々麺の紛らわしさから、ホイホイコーロー、ラブラブポーション、果ては架空の短担々麺まで跳ね回る。それでも球が台の外へ消えないのは、蛇内さん本人が何よりその脱線を面白がっているからなのでしょう。

 読み終えたあとに残るのは、作品を「書いた」というより、言葉を使って誰かと遊び切ったあとの熱気でした。締切直前にバトンを奪って走り出す姿まで含めて、創作と交流の境目がほとんどない。寄せ木細工のように始まったnoteが、どんなふうにこんな賑やかな現在地点へ辿り着いたのか。その道のりごと読んでみたくなる2篇です。

ゆうの静かな探究🌿さん|つい手放せない、我が家の愛おしいマグカップたち

 一番印象に残ったのは、マグカップそのものではなく、そこから次々と家族の時間が立ち上がってくるところでした。中学生の頃の友人、若い頃の夫、幼かった娘たち、亡くなったおばあちゃん。食器棚を眺めているのに、何十年分もの記憶が順番に扉を開けて出てきます。

 ゆうさんの文章は、食器棚の中に小さなアルバムを何冊も並べているようです。写真ではなく、欠けたり古びたりしながら残っている器がページ代わり。しかも、しんみりしすぎたところで「……って、今も健在ですよ(笑)」と空気をゆるめるので、思い出話が重たくならず、家族の日常として読めるのも楽しかったです。

 読み終えたあとに残るのは、少し不揃いな食器棚の景色でした。揃っていないからこそ、それぞれに違う時間が宿っている。普段何気なく使っているマグカップにも、忘れていた誰かや出来事が眠っているのかもしれない。自分の家の食器棚まで、ちょっと覗いてみたくなる一篇です。

ゆかんさん|「る」から始まる言葉って難しい。理想のあいうえお表を作りたい母

 一番印象に残ったのは、「あいうえお表なら自分で理想のものを作れる」と始めたのに、文字を一つずつ検討するうちに、いつの間にか編集者の苦悩まで追体験しているところでした。「る」「む」「ぬ」に差しかかるあたりから、知育グッズ選びというより、完全に言葉との格闘になっています。

 ゆかんさんの文章は、子どものために棚を見に来たはずが、その場で商品企画会議を始めてしまう人のようです。「『ま』なら丸ノ内線だろ!」と一文字ずつ本気で吟味し、他の本の苦し紛れまで見抜いていく。その細かいこだわりが、読んでいる側には可笑しく映ります。

 読み終えたあとに残るのは、五十音表を前に腕を組んで悩み続けるゆかんさんの姿でした。子どもに覚えてほしいのに、気づけば大人のほうが文字遊びに夢中になっている。

 「あいうえお表なんて、どれも似たようなもの」と思っている人ほど、一度読んだら「る」「む」「ぬ」が気になり始める。そんな、身近な知育グッズの見え方を変えてくれる一篇でした。

ゆきさん|て、まで打って消した

 一番印象に残ったのは、送れなかった長いメッセージではなく、最後に残った「て」の一文字でした。その一文字の向こうに、送りたい気持ちも、「重い」と思われたくない怖さも、何度も書いて消した時間まで詰まっているように感じます。

 この作品の語り口は、暗い部屋で点滅するカーソルのようです。大きく感情を叫ぶのではなく、「ひ」「ね」「て」と途中で途切れた言葉や、スマホを裏返す仕草を静かに置いていく。その小さな描写から、当時の息苦しさがじわじわ伝わってきます。

 読み終えたあとに残ったのは、画面の光だけが手元を照らしている夜の景色でした。誰かに連絡するだけなら数秒でできるのに、送信ボタンまでの距離が途方もなく遠くなる夜がある。

 タイトルに残された、たった一文字の「て」。なぜそこで指が止まったのか。その一文字を入口に、言葉を送ることと、送らないことの間で揺れていた時間を覗くような一篇でした。

ユキさん|もう一度会いたい人

 一番印象に残ったのは、おばあちゃんとの「またね」のハイタッチでした。言葉の数だけ手を合わせる。いつ始まったのかも分からない、二人だけの何気ない習慣だったからこそ、最後の日にもいつもと同じように「またね」と別れたことが胸に残ります。

 「ガラガラ」「からころ」「のんのんあん」といった造語や、喫煙席なのに隣のおじ様へ堂々と「タバコの火、消してくださる?」と言ってしまう姿。大好きだったと説明するだけではなく、こうした小さな記憶を並べることで、おちゃめで少し強くて、愛情深いおばあちゃんの姿が自然と浮かんできます。

 だからこそ、「もっとたくさんハイタッチしてから帰ればよかった」という言葉が切ない。最後だと知らないから、いつもの別れ方をする。その当たり前だった一瞬が、九年経っても大切な記憶として残っている。読み終えたあと、自分にも「もう一度会いたい人」がいないか、ふと思い浮かべてしまう一篇でした。

yukiさん|はっぴーちを拾ったよ♡

 一番印象に残ったのは、流れてきたバトンを「桃」と見立てた瞬間、その桃をとことん味わい尽くしているところでした。由来や神話まで調べ、食べ方ベスト3まで紹介する。ひとつの「桃」を拾ったら、種のまわりまでしゃぶり尽くすような好奇心が楽しいです。

 Geminiで調べて、気になればClaudeでも追加調査。それでも文章は研究発表にはならず、「へぇー😮」「実に面白いです」と本人がいちばん楽しんでいる。その弾むような語り口から、桃を真ん中に置いて一人でどんどん遊びを広げている姿が浮かびました。

 読み終えたあとに残るのは、桃の甘い香りと、夏休みの自由研究を楽しそうに見せてもらったような明るさです。しりとりの一文字から、こんなに寄り道できるのか。桃が好きな人はもちろん、「バトンをどう料理したんだろう」と覗いてみたくなる一篇でした。

雪綴ゆきさん|いいことがなかった日の、いいこと

 一番印象に残ったのは、「歯車がぜんぶ半目盛りずつ、ずれている感じ」という一文でした。失敗したわけでも、嫌なことが起きたわけでもない。それでもうまくいかない日。その輪郭を、こんなにささやかな出来事だけで描けるのが素敵です。

 ゆきさんの文章は、曇った窓を指でそっとなぞるようです。傘、空いたプリンの棚、〇・五秒見てくるみーくん。小さなものを拾いながら、気持ちの形を少しずつ見せていく。特に、慰めも励ましもしないみーくんの「いつもどおり」が、静かに効いてきます。

 読み終えたあとに残るのは、砂浴びのしゃかしゃかという音と、少し疲れた日に家へ帰ったときの空気。何もいいことがなかった日に、何があれば「それほど悪くなかった」と思えるのか。そんな身近な問いを、そっと置いていく一篇でした。

ゆきぽさん|テキトーだから、続いているのだ

 一番印象に残ったのは、「考えてから動く人」ではなく「動いてから考える人」という自己分析でした。面白そうなら飛び込んで、楽しんでから「あれ大丈夫だったかな」と気にする。一見矛盾しているようで、その順番だからこそ新しいことを始められる、という話に納得感があります。

 「テキトー」を直すべき短所として扱わず、「自分にとってのちょうどいい加減」なのではないかと眺め直していくところも、ゆきぽさんらしい視点でした。自分を肯定したかと思えば、「ただ何も考えてない可能性も高いですけど😂」と自分で崩してしまう。その軽やかな語り口も楽しいです。

 読み終えると、タイトルの「続いている」が効いてきます。何でもきっちりやることだけが継続の秘訣ではなく、少しくらいテキトーだから次へ行けることもある。「ちゃんとしなきゃ」に疲れたとき、ちょっと肩の力を抜かせてくれる一篇でした。

ゆげしさん|タイム‼︎私を休ませて〜(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、どちらの作品も「もう勘弁して」と言いながら、結局その状況をちゃんと面白がっているところでした。線状降水帯に7時間足止めされても、睡眠4時間で成田へ連行されても、「noteのネタになればいい」と観光へ変えてしまう。最終日には、一度辞退したバトンを自分から奪い返してまで書いている。その執念まで含めて、ゆげしさんらしいです。

 ゆげしさんの文章は、家族の日常を横で見ながら実況しているつもりが、気づけば本人がいちばん巻き込まれているホームコメディのようです。旦那さんがAIに博多弁の女を求めれば男が出てきて、韓国語になり、最後は英語でレシピをまくしたてられる。出来事そのものがおかしいのに、そこへ「どうやら旦那はAIに舐められる素質を持っている」と一段ツッコミを重ねるのが楽しいです。

 読み終えたあとに残るのは、疲れもトラブルも夫婦の小競り合いも、あとから全部笑い話になっていく家庭の景色でした。「休ませて」と叫んでいた人が、最後には自分からもう一本書きに戻ってくる。日常に振り回されながら、それすらネタへ変えてしまう2篇です。

ゆなさん|階段登るのもしんどくなってきた。

 一番印象に残ったのは、15歳の中学生が「年取りたくない」と語っていることでした。「中学生」という無敵の称号を失うまであと半年。大人から見ればまだまだ若いのに、本人にとっては今まさに人生の大きな境目に立っている。その年齢だからこそ書ける感覚が新鮮です。

 ガガガSPが好きだと「中学生で珍しいね!」とかまってもらえたり、多少のことなら「中学生だから」で許されたり。その特権をちゃっかり利用しながら、「なんでも許す大人はどうかと思う」「注意してもらえるだけありがたい」と自分でツッコミも入れる。軽い「w」の語り口の中に、思った以上に冷静に自分を見ている15歳の姿があります。

 彼氏もいない、夏休みも友達と遊んでいない。それでも「30代からが本当の青春」と言ってしまうのも可笑しい。階段を登るのもしんどいと嘆く15歳が、これからどんな「いい年の取り方」をしていくのか。今しか書けない時間をそのまま閉じ込めたような一篇でした。

ユメミイノコさん|いつもの痛み

 一番印象に残ったのは、「好きになった瞬間」ではなく、気づけば目で追い、相手の好みに詳しくなろうとしていたという、恋心があとから輪郭を持っていく描き方でした。大きな事件はないのに、「あ。彼、笑ってる。もっと笑ってほしい。」の一言で、その人を好きになった理由まで見えてくる気がします。

 ユメミイノコさんの語りは、古い傷あとを指でそっとなぞるようです。感情を大げさに叫ばず、「また、この痛みなんだな」と静かに受け止める。その落ち着いた言葉の奥に、中学生のような恋心と、大人だからこそ分かってしまう距離の両方がありました。

 読み終えて残るのは、誰にも告げられなかった気持ちが、夕方の光のように静かに胸へ残る感覚です。恋が成就するかどうかではなく、「確かに好きだった時間」を書き留めること自体に意味がある。そんな恋の形を覗いてみたくなる一篇でした。

yumiさん|彩り

 一番印象に残ったのは、色を学んだことで「世界に色が増えた」のではなく、もともとそこにあった彩りへ気づけるようになった、という感覚でした。知識が景色を説明するだけでなく、いつもの帰り道まで少し豊かにしているのが素敵です。

 yumiさんの文章は、白い紙の上に透明な絵の具を少しずつ重ねていくようでした。伝統色、空の青、夕暮れ、蝶の見ている世界へと話が広がるたび、同じ「色」というものが少しずつ違って見えてきます。

 読み終えたあとには、夕方の光に染まった見慣れた景色が残りました。何気なく見ている空や花にも、まだ知らない名前や仕組みが隠れているのかもしれない。普段の景色を、もう一度じっくり眺めてみたくなる一篇です。

夢ぺんぎんさん|出来れば真珠より塩をくれ

 一番印象に残ったのは、ただ「豚カツに塩をかけたら美味しかった」という話が、途中からWBCの決勝戦みたいな熱量になっていくところでした。注文を間違えて大量の豚カツを前にし、「私のポテンシャルは無限大」「私は大谷翔平よ!」と、食事がいつの間にか勝負へ変わっていきます。

 夢ぺんぎんさんの文章は、ひとつ思いつくと次の言葉へどんどん飛んでいく連想ゲームのようです。胡麻を擦れば夫にもゴマをすり、岩塩を見つければペッパーミルからWBCへ飛ぶ。その勢いのまま話が広がっていくので、ただの豚カツランチがどんどん大げさになっていくのが面白いです。

 読み終えたあとに残るのは、揚げたての豚カツと岩塩、それを前にやたらテンションの高い食卓の景色。腹ペコで豚カツ屋へ行った午後が、夢ぺんぎんさんの頭の中を通るとここまで賑やかになるのかと楽しくなりました。

 「豚に真珠」という誰でも知っていることわざを、豚カツ屋でどう料理するのか。タイトルから気になった人には、その発想の行き先まで読んでほしい一篇です。

ゆらのまさん|「特になし」と書く人

 一番印象に残ったのは、たった2文字の「特に」に、思っていた以上の気遣いが詰まっていたところでした。「なし」で意味は通じる。それなのに、なぜわざわざ「特になし」と書くのか。普段なら読み飛ばしてしまう二文字を立ち止まって考える視点が面白いです。

 途中で仙人を登場させ、「一般的なことはあるんですか?」とゆらのまさんが自分を追い詰めていくのも楽しいところ。無駄な言葉は削るべきというビジネス文の正論と、「冷たく思われたくない」という人間の感情をぶつけることで、何気ない言葉遣いからその人らしさまで見えてきます。

 読み終えるころには、「特になし」が少し違って見えました。意味だけなら不要な「特に」には、「ちゃんと読みました」「興味がないわけではありません」という小さな愛想まで含まれているのかもしれない。

 隣の水田さんの潔い「なし」に憧れながら、結局「愛を込めて『特になし』を送ってしまう」。たった二文字から、自分の性格まで発見してしまう。その細かな観察が楽しい一篇でした。

ゆらゆらさん|祈り

 一番印象に残ったのは、「連絡を取るわけでもない。会いに行くわけでもない。ただ、その人が元気でいてくれたらいいと思う。それも祈りなのではないのでしょうか」というところでした。祈りを神様に向けるものではなく、もう会わないかもしれない誰かへ静かに向けるものとして捉え直している。その視点が、この作品の芯になっています。

 ゆらゆらさんの文章は、大きな言葉に結ばれた紐をひとつずつほどいていくようです。「祈り」という少し構えてしまう言葉を、誰かを思い出したときの「元気かな」までゆっくりほどいていく。すると遠いものだった祈りが、いつもの暮らしのすぐそばまで降りてきます。

 読み終えたあとには、今はもう会っていない誰かの顔がふっと浮かぶような静けさが残りました。「祈り」と聞いて何を思い浮かべるか。その答えが少し変わるかもしれない一篇です。

ゆんさん|キリンに配達員をお願いしたい。

 一番印象に残ったのは、「配達員さんがキリンだったら」という発想です。布団から出たくない朝という、ごく普通の面倒くささから、二階の窓をキリンがコツコツ叩く世界へ飛んでいく。その想像の飛び方が楽しいです。

 ゆんさんの語りは、日常に小さな「もしも」の窓を開けるよう。そこへAIが「首への負担」「交通の妨げ」と、夢の世界へ道路交通法を持ち込むような現実的な返事をしてくる。この温度差にもクスッとしました。

 読み終えたあとに残るのは、窓の外からキリンがひょこっと顔を覗かせている、絵本のような景色。朝の宅配便ひとつから、こんな空想が始まるなら、ちょっと布団の中でもう少し考えていたくなります。

 「玄関まで行きたくない」から始まった妄想は、いったいどこまで現実と折り合えるのか。そんな小さな空想を覗いてみたくなる一篇でした。

ゆんままさん|いなくなったわけじゃなかった

 一番印象に残ったのは、「30歳」という年齢の見え方が、時間とともに変わっていくところでした。中学生から見た30歳の先生は、何でも知っている別の生き物のような大人。それなのに自分が30歳になってみれば、母親になって一年、分からないことばかりで「子どもに大人の服を無理やり着せたみたい」。年齢だけが先に、かつて憧れた大人へ追いついてしまったような感覚が印象的でした。

 そしてこの作品には、バター醤油味のポテトやHEY!HEY!HEY!の観覧、中島美嘉になりきったカラオケなど、一見すると本筋とは関係なさそうな思い出がたくさん出てきます。でも、その何でもない記憶こそが「母親になる前にも自分の人生があった」ことを少しずつ取り戻していく手がかりになっている。昔を美化するのではなく、「こんなことで笑っていた」とゆんままさんが思い出していく語りが優しいです。

 読み終えて残ったのは、「書くこと」が記録とは少し違う役割を持つことでした。過去へ戻るのではなく、置いてきたと思っていた自分が今もちゃんと続いていることを確かめる。その感覚は、エッセイを書くことそのものにも重なります。

 母親になる前と、母親になったあと。どちらかが本当の自分なのではなく、全部が今につながっている。タイトルの意味が読み進めるほど静かに広がっていく一篇でした。

ようさん|ざわ、僕たち友達だよな?

 一番印象に残ったのは、「僕たちって友達だよね?」に返ってくる、ざわさんの容赦ない反応でした。友達が少なくて弱気になったところへ飛んでくる超高速カウンター。そのやり取りで、二人が遠慮なく付き合ってきた時間まで見える気がします。

 ようさんの語りは、バーのカウンターで昔話を聞いているようです。叶わない恋を語り合った夜も、ざわさんのハイスペックぶりも、自分だけ素面だったことも、湿っぽくせず軽口を挟みながら話していく。その軽さの奥に、相手への親しさがずっと流れています。

 読み終えたあとに残るのは、夜のバーで隣り合っていた二人の距離です。「友達」と確認しなくても、何度も同じカウンターで飲み、くだらない話や重たい恋愛話をしてきた。その関係には、名前をつけなくても成立するものがあるのかもしれません。

 友達とは、どこからが友達なのか。そんな少し面倒くさい問いを、飲み仲間との可笑しなやり取りから考えたくなる一篇でした。

横井らすとさん|なんでもないは、なんでもある

 一番印象に残ったのは、「ノックはするけど、ドアは破らない」という距離感でした。「なんでもない」と言われても、本当に何もないとは思っていない。でも、だからといって無理に聞き出さない。その絶妙な一歩の引き方に、思春期の子どもとの関わり方だけではない、人と人との境界線が見えました。

 横井さんの文章は、普段なら聞き流してしまう一言を拾って、裏側に何が隠れているのかをそっと透かして見るようです。息子の「なんでもない」、夫に返す「なんでもない」、小さな不満を飲み込むときの「なんでもない」。同じ言葉なのに、中身は少しずつ違う。その違いを日常の場面からほどいていく視点が面白いです。

 読み終えると、「なんでもない」と言われたとき、以前より少しその言葉の手前で立ち止まりたくなります。何もないのではなく、今は入ってこないでという小さな扉なのかもしれない。誰もが何気なく使う一言から、人との距離の取り方まで考えさせてくれる一篇でした。

横山みつばさん|いつも私が車をぶつけるのは、きっと理由がある。『風が吹けばきっと桶屋が儲かる』

 一番印象に残ったのは、祖母の「風が強い日は外で遊んだらいかん」という一言が、大人になってから車をぶつける話にまでつながっていくところでした。普通ならそこで終わる昔話を、運動経験、ボディイメージ、運転まで一本の線で結んでしまう。その強引さが、むしろ気持ちいいです。

 横山みつばさんの語りは、昔の出来事を一つ拾ったら、そこから因果関係をどんどん増築していくドミノ倒しのようでした。二重飛びも逆上がりもできない、ドッジボールでは外野まで届かない、車は前後左右ぶつける。ひとつひとつは笑える失敗談なのに、「全部あの日の風のせいでは?」と本気で理屈を組み立てていくから、気づけば納得しかけます。

 読み終えたあとに残るのは、風の強い日に外へ飛び出していく子どもの姿でした。自分の苦手だったことを嘆くで終わらず、そこから次の世代への妙な教育方針まで生まれてしまうのが楽しい。「風が吹けば桶屋が儲かる」が、どうやって運転と子育ての話になるのか。その遠回りを追いかけたくなる一篇です。

よしまるさん|ローカルスーパーでの出会い。

 一番印象に残ったのは、仙台で出会ったホヤを「結局、食べてはいない」のに、今でも旅の記憶として覚えているところでした。旅の思い出は、名物を食べたり観光地を巡ったりして作るものだと思いがちですが、ただスーパーで「何者?」と眺めたものまで残る。その記憶の残り方が面白いです。

 よしまるさんの旅は、有名な観光地を巡るというより、その土地の冷蔵庫をこっそり覗かせてもらうよう。鮮魚コーナーから魚を知り、パン売り場から愛されている味を知り、お弁当から普段の食卓を想像する。スーパーの商品を通して、そこで暮らす人の日常を見ている視点が素敵でした。

 読み終えたあとに残るのも、観光名所の大きな景色ではなく、鮮魚売り場のホヤや、ふわふわの牛乳パン、スーパーの外のベンチといった小さな旅の断片です。

 旅先でスーパーを見つけても、これまでは素通りしていた人ほど読んでみてほしい一篇。次の旅行では、観光地をひとつ減らしてスーパーへ寄ってみたくなるかもしれません。

よっしさん|ほら、何者かになりたいんでしょう

 一番印象に残ったのは、「何者かになりたい」という気持ちを、夢や承認欲求の一言で片づけず、「応援されたいのか」「作品そのものを面白いと思われたいのか」と何度も掘り下げていくところでした。創作をしている人ほど、途中で何度か自分にも問いが向いてくると思います。

 よっしさんの語り口は、鏡の中の自分が急に口を開いて、逃げ道をひとつずつ塞いでくるようです。「あんこにチョコレートソース」「リサイタルのジャイアン」など、痛いところを突きながら突然くだらない比喩を差し込むので、重いテーマなのに説教臭くならない。その容赦のなさと可笑しさが、この文章ならではでした。

 読み終えたあとに残るのは、「では自分は何を求めて書いているんだろう」という問いです。何者かになりたい人へ答えを渡すのではなく、その欲望を机の上に全部並べて眺めさせる。創作を続ける人なら、少し怖いけれど覗いてみたくなる一篇でした。

四ツ葉さん|「う」……瓜実条虫!?

 一番印象に残ったのは、「う」から始まる言葉を探していたのに、「うりざね」が頭から離れなくなり、記憶の糸を手繰った先から「瓜実条虫」が出てきたところでした。普通なら候補からそっと外しそうな言葉を、「懐かしい!」と一本のエッセイにしてしまう。その時点でもう四ツ葉さんらしさが全開です。

 語り口は、道端で変な石を見つけた子どもが、そのまま地面を掘り続けて化石まで探し始めるよう。猫初心者だった頃の記憶から、寄生虫の生態、理系への憧れへと好奇心が次々に連鎖していきます。「気持ち悪い」の向こう側に「不思議」や「神秘」を見つけてしまう視点も印象的でした。

 読み終えて残るのは、少々キモいはずなのに楽しそうな景色です。たった一文字から、忘れていた記憶や昔からの興味まで掘り起こされていく。なぜ「う」からこんなところへ辿り着いたのか。その思考の寄り道を一緒に歩いてみたくなる一篇でした。

ライトシフトコーチわたなべるかさん|愛を最期まで ー母のことー

 一番印象に残ったのは、言葉を失ったお母さまに、幼い頃からの思い出をひとつずつ話していく場面でした。赤い飴玉や怖い夢の夜、理不尽に叱られたことまで、きれいな思い出だけを選ばずに並べていく。その時間そのものが、娘から母へ返していく長い手紙のように感じられました。

 わたなべるかさんの文章は、暗い部屋の中で一本ずつ蝋燭に火を灯していくようです。余命宣告や別れの悲しさだけに焦点を当てるのではなく、職場や家族、友人、ふるさと、夕陽にまで「愛」を見つけていく。大きな言葉として語るのではなく、誰かがそばにいてくれたことや、手の温かさの中から少しずつ愛の輪郭を浮かび上がらせていくところが心に残りました。

 読み終えたあとには、夕方の空から幾筋もの光が降りてくる景色と、お母さまから受け取ったものが今も誰かへ流れ続けているような余韻が残ります。大切な人との別れを書いた文章ではありますが、悲しみだけでは終わりません。ひとりの母がどんなふうに愛を残し、その愛を娘がどう受け取ったのか。静かに最後まで読みたくなる一篇でした。

らいばぁさん|『成功する人』の法則(他、計2本)

 一番印象に残ったのは、らいねぇさんが物事を見るときの距離感でした。『成功する人』の法則では、noteのお祭り騒ぎをただ眺めるのではなく、その裏側にある「人のために動いたものが、仲間を連れて戻ってくる」という循環まで見つけている。一方の『ダーリン。』では、小さな水槽の中に夫婦、子育て、老い、別れまで見てしまう。その視線の飛び方が面白いです。

 らいねぇさんの語りは、近所話をしていたはずなのに、いつの間にか人生相談まで始まっている夜のスナックみたいでした。イルカのプロフィール画像で笑っていたと思えば「メビウスの輪」へ飛び、闘魚の生態を説明していたはずが、魚の夫婦を「無計画家族」「未亡人」「青二才」と完全に人間社会へ引っ張り込む。大げさな言葉で遊びながらも、その奥ではずっと人の情や関係を見ています。

 読み終えたあとに残ったのは、にぎやかな話のあとにふっと静かになる感じでした。笑いながら読んでいたのに、最後には人が集まる理由や、小さな生き物にもあるかもしれない心について考えている。賑やかな秘密基地と、小さな水槽。まったく違う場所から始まった2篇なのに、どちらも「誰かと誰かのあいだ」を覗きたくなる文章でした。

来夢さん|老後?まだその気は......

 一番印象に残ったのは、旦那さんが着々と「老後仕様」の暮らしを整えていく横で、本人は孫の好きな韓国海苔を探してスーパーをハシゴしている対比でした。同じ時間を生きていても、見ている「これから」がずいぶん違います。

 来夢さんの文章は、老後という重たい言葉をいったんテーブルに置き、その周りを生活の小ネタでぐるぐる歩きながら眺めているようです。アレクサの微妙な間、人感センサーへの苛立ち、韓国海苔への執念。大きなテーマを、暮らしの実感へ引き戻していく語り口に親しみがあります。

 読み終えて残るのは、「老後」という言葉より、まだ車を走らせて何かを探しに行く人の姿でした。年齢で区切られる未来より、今どんなふうに動いているか。その人らしい現在から「老後」を眺め直したくなる一篇です。

ラズベリーミントさん|ultra soul

 一番印象に残ったのは、ウルトラソウルを「特別なときに聴く曲」ではなく、炊飯器のタイマー忘れや車のトランク開けっぱなし、ガチャをやめられない瞬間にまで呼び出してしまうところでした。壮大な歌が、生活の細かな失敗にフィットしていく。その落差が楽しいです。

 ラズベリーミントさんの文章は、日常の出来事に勝手にBGMをつける専属DJのよう。出来事が起こるたびに、頭の中のB'zライブラリーから絶妙な一節が選曲されていきます。笑える場面が続くのに、その根っこには「何十年もそばにあった曲」への本気の愛情があります。

 読み終えたあとには、何でもない失敗や困りごとにも、自分のテーマソングが流れているような景色が残りました。B'zをよく知る人はもちろん、好きな曲が長く人生に寄り添ってきた人なら、きっと自分の一曲を思い出したくなる一篇です。

らむねパパさん|とんでもなくほじくる

 一番印象に残ったのは、「ほじくる」という一つの動詞だけで、子どもの日常をここまで観察しているところでした。鼻から始まり、湿った土、レーズンパンへ。特に「レーズンとパンを分別するバイト」のように黙々と作業し、自作の「ほじくる〜♫」まで歌っている長男の姿は、目の前で見ているようです。

 らむねパパさんの視点は、子どもの行動を観察する自由研究の虫眼鏡のようでした。普通なら「また鼻ほじってる」「パンが散らかってる」で終わるところを、第二位は何だろうとランキングを始め、行動を眺め、ついには本人へインタビューまでしてしまう。くだらないことほど真面目に観察するから、いつもの子育て風景が面白く見えてきます。

 読み終えたあとに残るのは、爪を真っ黒にして土を掘ったり、パンを粉々にして何かを取り出したりする、小さな手の景色でした。大人になるにつれて忘れてしまう、「目の前に何かあれば、とりあえずほじくってみる」という子どもの好奇心まで思い出します。

 鼻をほじくる話から始まったのに、この子はいったい何をそんなにほじくりたいのか。タイトルどおり、日常の小さな行動をとんでもなくほじくっていく、その観察についていきたくなる一篇でした。

ランさん|たまには、歯間ブラシは大切だね

 一番印象に残ったのは、歯間ブラシで取れた汚れを見て「クッサ〜😂笑」と笑いながら、そこからちゃんと口臭の原因や手入れの大切さへ気づいていくところでした。きれいごとにせず、まず「臭い」で実感するのがリアルです。

 ランさんの文章は、暮らしの中で拾った小さな気づきを、冷蔵庫に貼るメモのように残していく感じがあります。歯の掃除から部屋の掃除へ自然につなげ、最後には夫婦のちょっとした自慢まで添える。その肩の力の抜けた語り口に、日常を楽しんでいる空気がありました。

 読み終えると、洗面台の前で「今日はちょっと歯間ブラシしてみようかな」と思わされます。大事件ではないけれど、こういう小さな発見こそ暮らしを少し変える。そんな生活の一場面をそのまま覗かせてもらったような一篇でした。

ランディさん|臀部(でんぶ)です 言えぬ恥じらい 乙女なの

 一番印象に残ったのは、全身を打ちつけて救急搬送されているのに、ランディさんの意識を支配しているのが「ケツが痛え」だったことです。救急隊員から何度も「痛いところは?」と聞かれているのだから言えばいい。それなのに「臀部です」と答えることをためらう乙女心。このどうでもいい葛藤が、ランディさんにとっては切実なのが可笑しいです。

 ランディさんの語りは、ひとつの「ケツ」を握ったら最後まで離さない、言葉のケツバット千本ノックのようでした。救急車の揺れからレクター博士まで連想が飛び、深刻なはずの搬送風景がどんどん妙な方向へ転がっていきます。

 読み終えて残るのは、救急搬送という大変な出来事なのに、なぜか硬いストレッチャーと身動きできずに耐える姿ばかり。人間は非常事態でも、案外こんな些細なことに心を奪われるのかもしれません。

 「痛いなら言えばいい」が、なぜこれほど長い戦いになるのか。タイトルの「言えぬ恥じらい」がどこまで本人を追い詰めるのか、そのくだらなくも切実な攻防を覗いてみたくなる一篇でした。

欄間秀三さん|ジェミニではないうつくしくないもの

 一番印象に残ったのは、作品の雰囲気を守るために封印したはずの「ゲリミ」を、エッセイしりとりでわざわざ掘り起こしているところでした。創作では捨てたものが、別の文章では立派な主役になる。その再利用の仕方が面白いです。

 欄間さんの語りは、整然とした書斎の引き出しを開けたら、奥からくだらないメモが一枚出てくるよう。「思考の鍛錬」「レジリエンス」と硬質な言葉を並べながら、その中心にいるのは「ゲリとミですから……」。真面目さとくだらなさの落差が、そのまま可笑しさになっています。

 なぜ「ジェミニではない」のか。そして、何がそんなに「うつくしくない」のか。タイトルだけではまったく見当がつかない、その答えを確かめに行きたくなる一篇でした。

龍鍼堂さん|空っ風が運んでくる、祖母のぬくもりと愛(他、計2本)

 龍鍼堂さんの2作品で一番印象に残ったのは、どちらも目の前にあるものから、かなり遠くまで記憶や思考が伸びていくところでした。空っ風からは群馬の田畑で働く祖母の姿へ、「~」からはかつて使っていたプログラミング言語へ。入口はまったく違うのに、ひとつの言葉や記号を手がかりに、自分の中へ深く潜っていく流れが共通しています。

 龍鍼堂さんの文章は、引き出しを一段開けたつもりが、その奥からまた別の引き出しが現れる古い箪笥のようです。空っ風の冷たさの中から祖母のぬくもりが出てきたかと思えば、「~」ひとつでビット反転や正規表現の話までたどり着く。その振れ幅が大きいのに、龍鍼堂さん本人の中では一本の線でつながっているのが面白いです。

 読み終えたあとには、冷たい風の中に残る祖母の背中と、無機質な記号の向こうに広がる昔の仕事場という、まったく違う二つの景色が残りました。何気ない一文字や記号でも、記憶に触れればここまで遠くへ行ける。そんな寄り道の幅を楽しみたくなる2篇です。

涼月さん|ブフッときたら…

 一番印象に残ったのは、ご主人がオナラをするために涼月さんの腕につかまって力むところでした。「安定するから」という理屈まで含めて、夫婦の日常としてはあまりにも絵面が強いです。

 そして面白いのは、腹を立てていたはずのオナラが、ひと言をきっかけに「オナラーマン」というヒーロー物へ変わってしまうこと。涼月さんの語りは、家庭内の困りごとをそのまま愚痴にせず、夫婦二人で遊べる大喜利会場へ変えてしまうようです。

 読み終えて残るのは、臭いよりも、くだらないことで一緒に笑っている二人の姿でした。「ブフッときたら…」の先に、どんな珍夫婦の攻防が待っているのか。覗いてみたくなる一篇です。

涼子さん|手伝いをしてもらいたい夏休み

 一番印象に残ったのは、昨年の洗濯「30日分の1」から、今年の皿洗い「25日分の6」へという、なんとも低空飛行な成長記録でした。それでも「昨年に比べたらえらい進歩」と認めているところに、息子くんへの期待と諦めきれなさが同時に見えます。

 しかも、この皿洗いは頼む側にもかなりの技術が必要です。褒めれば「子どもじゃない」、やり方を伝えれば「あー、うるせえな」。自分で洗ったほうが圧倒的に早いのに、次もやってもらうために母は耐える。この「家事を教えるより、息子の機嫌を損ねず続けさせるほうが難しい」という攻防が、淡々とした語りだからこそ可笑しく感じました。

 その奥にあるのは、いつか一人で暮らす息子くんへの親心です。今は伝わらなくても、洗濯も皿洗いも自分でできるようになってほしい。読み終えたあとには、「今日の皿洗いはするのだろうか」と期待しすぎず、それでも少し期待して見守る涼子さんの姿が残る一篇でした。

るぴなすさん|空から届いた愛

 一番印象に残ったのは、「何時間でも空を眺めていたい」という昔からの願いが、思いがけない形で叶ってしまうところでした。少し笑ってしまうような出来事なのに、その先で空の見え方が少しずつ変わっていきます。

 るぴなすさんの語りは、空に一本ずつ細い糸を張っていくようです。幼い頃に眺めた雲、病室の窓、noteでつながった人たち。一見離れている出来事が、「空」を通してゆっくり結ばれていきます。

 読み終えたあとに残るのは、病室の窓から見上げた青空と、その向こうに誰かがいるような景色でした。大きな出来事を強く語るのではなく、人とのつながりを静かに受け取っていく文章だからこそ、その温かさが残ります。

 ひとつの「空」という文字から、どこまで記憶と人との縁が広がっていくのか。そんな流れを追いかけたくなる一篇でした。

Rんるんさん|キミの「できない」が、この世界を優しく回す

 一番印象に残ったのは、「かき氷を食べて笑顔になってくれる人〜?」に、息子さんが「笑えなかったら、どうするの?」と返す場面でした。母には言葉の向こうにある気持ちがあり、息子さんは目の前の言葉をそのまま受け取る。その小さなすれ違いから、「できる・できない」や幸せについてまで思考が広がっていきます。

 Rんるんさんの文章は、子育てで生まれた小さな引っかかりを指でつまみ、納得できるまで何度も裏返して眺めるような語りだと感じました。息子さんへ向けていた正論が自分自身へ返り、そこからさらに「幸せとは何か」へ。答えを一直線に出すのではなく、親として揺れる心ごと考え続けています。

 読み終えて残るのは、凸凹の形をした親子が、互いの隙間を埋めるのではなく、そのまま並んでいる景色でした。「できない」を直す話だと思って読み始めると、いつの間にか、その「できない」を見つめている側のものさしまで問い直されていく。

 子どもに「こうなってほしい」と願う気持ちは、どこまでが愛情で、どこからが親自身の不安なのか。そんな境界を一緒に考えたくなる一篇でした。

冷凍うお座さん|「り」攻め

 一番印象に残ったのは、子どもの頃の「り攻め」を、本人が一切美化せず「マジモンのクソガキである」と振り返っているところでした。勝つためなら相手の語彙をじわじわ削り、「うっざ!」まで言わせて勝利宣言。しりとりの思い出だけで、当時の人物像までくっきり見えてきます。

 冷凍うお座さんの語りは、雑談しながら脇道へ入っていくのに、なぜか目的地の近くにはいる酔っぱらいのタクシーみたいです。自虐したかと思えば神々の遊びを始め、ホームベーカリーから「襟のないシャツ」を連想し、高すぎるハードルはくぐる。話はふらふらしているのに、その寄り道でいちいち笑わせてきます。

 読み終えたあとに残るのは、しりとりで本気になっていたクソガキが、そのまま大人になって文章で遊んでいるような景色でした。

 そもそも、かつて「り攻め」で相手を追い詰めていた人のところへ、本当にしりとりのバトンが飛んできたらどうなるのか。そんな妙な巡り合わせから覗いてみたくなる一篇です。

レコさん|これから

 一番印象に残ったのは、最初は「東京はとても遠いところ」だった人が、いくつもの縁をたどり、今ではライブハウスで音楽を楽しんでいるところでした。ひとつの講座への参加が、思いもしなかった場所までつながっていく。その時間の広がりがきれいです。

 レコさんの語りは、小さな点をひとつずつ線で結んでいく地図のようでした。講座、仲間、音声配信、ライブ。それぞれは別々の出来事なのに、振り返ると一本の道になっている。

 読み終えたあとに残るのは、「あのときの小さな選択が、この先どこへ連れていくかは分からない」という明るい余韻です。何かを始めることより、その先で生まれた縁が世界を広げていく。そんな「これから」を少し楽しみにさせてくれる一篇でした。

れもんいかさん|ぞっとするほどどうでもいい話

 一番印象に残ったのは、キムチ鍋を食べている時間が、そのままエッセイになっているところでした。「からい!熱い!暑い!おいしい!」と感情がそのまま飛び出していて、上手く見せようとするより、その場の勢いで書いている感じがあります。

 れもんいかさんの語り口は、放課後に友達から「昨日さ、キムチ鍋食べてんけどさ」と話を聞いているようです。話しているうちにだんだん熱が入り、どうでもいい話なのに面白くなっていく。その飾らなさが、この作品のいちばん良いところだと思いました。

 読み終えたあとには、夏の暑い日に家族で鍋を囲んでいる、にぎやかな食卓の景色が残ります。「これってエッセイなんですか!?」と本人は書いていますが、何でもない一日を自分の言葉で残してみる。そこから始まるエッセイと思わせてくれる一篇でした。

ろくねこさん|手が臭う…?異臭を放つプリント(他、計9本)

 9作品を通して印象に残ったのは、ろくねこさんの「なんで?」を放っておけない性分でした。臭うプリントの原因を追い、電気屋では詳しそうな店員を探し出し、下着を一日中攻撃した犯人までライトに透かして突き止める。投資不動産の営業電話すら切らずに「どんな営業トークをするんだろう」と観察を始めてしまいます。

 その性分を最後には、自ら「強烈な興味で動いている人」と分析し、ChatGPTからは「人間型ログ収集装置」とまで評される。これほど、それまでの作品を説明している言葉もありません。気になったら調べる、確かめる、分析する。そして昔の失敗や家族とのやり取りまで、最後は全部文章のネタにしてしまう。その観察の細かさと、自分自身まで観察対象にして笑える語り口が、ろくねこさんらしい面白さでした。

 一方で、息子とMVを見ながら大笑いした夜や、「パパはまだう〇こ」で幼い息子を乗り切った日々など、分析だけではない家族の景色も残ります。そして最後は、夏を見送る積乱雲から始まったはずが、GLAY、宿題、そうめんへと脱線して「完」。最後の最後まで、ひとつ気になると横へ横へと広がっていく人でした。

 「程々に…は、難しい。」――9作品を読み終えると、それでいいのだと思えてきます。その程々では止まれない好奇心から、次は何を見つけてくるのか。つい覗いてみたくなる作品群でした。

Ռոշանակさん|ストレイシープ 

 一番印象に残ったのは、「す」から始まるエッセイを求められて、人名・地名・数学用語まで並ぶ「超偏向辞書」を開いてしまったところでした。普通なら題材をひとつ選ぶところを、スカンクワークスからスキポール空港、ロシア文学、機関車、数論幾何学へと進んでいく。頭の中の蔵書を「す」の一文字で検索したら、書架ごと出てきたようです。

 語り口も、一本道を歩くというより、巨大な私設図書館を案内されている感覚に近いです。「この棚には航空機、その隣にはロシア文学、地下へ行けば数学もあります」と扉が次々に開く。本人は「よそ行きのエッセイ」を諦めたと言いますが、その偏りそのものから、これまで何を面白がり、何を覚えてきた人なのかが見えてくるのが面白いところでした。

 読み終えて残るのは、「人の記憶ってこんなふうにつながっているのか」という眩暈にも似た楽しさです。「す」という一文字から、どこまで遠くへ行けるのか。知らない固有名詞に振り回されながら、誰かの頭の中を覗いてみたくなる一篇でした。

若菜あずきさん|宝くじが当たったら……?

 一番印象に残ったのは、「宝くじが当たったら」という同じ言葉の中身が、年齢とともに少しずつ変わっていくところでした。世界一周、東京での一人暮らし、金利生活。どれもその時の自分にとっては本気の夢で、並べて読むと、昔の自分が書いた「未来の予定表」を一枚ずつめくっているようでした。

 若菜あずきさんの文章は、その予定表を見返しながら「あの頃はこんなこと考えてたな」と笑っているアルバム整理のようです。トレンディードラマに憧れていた高校時代も、金利で暮らせると皮算用していた頃も、過去の自分を笑い飛ばしながら切り捨てない。そのとき本気で見ていた夢まで、ちゃんと一緒に残しているところが温かかったです。

 読み終えたあとに残ったのは、当選番号よりも、家族みんなで「当たったら何する?」と好き勝手に話している時間でした。「宝くじは夢を買う」という聞き慣れた言葉が、人生の節目を通るたびに少しずつ意味を変えていく。最後にその言葉がどんな場所へたどり着くのか、ぜひ本文で確かめてほしい一篇です。

わさびの縁側日記さん|日の光みたいに大きくなる君へ

 一番印象に残ったのは、子どもを一貫して「太陽の光」として描いているところでした。朝から容赦なく起こされ、ダンゴムシを差し出され、イヤイヤ期には床へ転がる。決して穏やかな光ではないのに、それも含めて家の中を明るくする存在として描かれています。

 袖がツンツルテンになった服や、小さな手で履こうとする靴下など、「成長は早い」と説明するのではなく、日常の小さな変化から見せてくれるのも印象的です。親にとっては毎日の連続でも、その途中で子どもは確実に昨日より大きくなっている。その時間の速さが伝わってきます。

 そして最後に残るのは、いつかこの光が自分のそばから離れていくという、少し寂しい未来です。だからこそ、振り回される今さえ「一番近くでたっぷり浴びていよう」と思える。子育ての大変さと愛おしさ、その両方を抱えた今だけの眩しさを残してくれる一篇でした。

渡井なちさん|東京一人旅迷子事件

 一番印象に残ったのは、東京への一人旅を「自分を変えるための旅」として始めたはずなのに、途中からそんな目的などきれいに忘れ、目の前の東京を全力で楽しんでいるところでした。ジブリ美術館でこぼれた涙も、1980円のカプセルホテルに感心する姿も、当時の自分を笑いものにしすぎず、少し距離を置いて眺めている。その視線が心地よかったです。

 渡井さんの文章は、若い頃の失敗談を一本の冒険映画として再編集しているようでした。スマホは「息絶え」、東京の夜道ではジブリの歌が流れ、交番や塾の先生が旅の途中で現れる助っ人になる。しかも渡井さん本人はそのたびに「警察官の言うことは絶対」「先生の言うことも絶対」と教訓を書き換えていく。出来事そのものより、それを今どう語り直すかに面白さがあります。

 読み終えたあとに残ったのは、知らない東京の夜を、少し不安になりながらも歩き続ける二十歳の姿でした。あの頃は人生を変えるつもりだった旅が、年月を経て、こんなふうに笑って語れる一篇になる。その変化まで含めて、旅の続きを読んだような余韻が残ります。

和田雄三さん|この一年、AIを使って分かった。人と話さなければ、自分の良さには気づけない

 一番印象に残ったのは、「弱い部分ばかりをAIに渡せば、弱い自分が主役の記事になる」という気づきでした。AIの問題というより、自分が何を材料として差し出していたかの話になっているところが面白いです。発信の見せ方を振り返る話から、いつの間にか「自分は自分自身をどう見ていたのか」という話へ深まっていきます。

 和田さんの文章は、鏡を何枚も並べながら自分の姿を確かめていくようでした。AIという鏡、SNSという鏡、そして人との会話という鏡。それぞれに映る自分は少しずつ違っていて、一人で見ていると気づけなかった輪郭が、他人の言葉によって見えてくる。その過程を、格好よく整えすぎず、一年前の自分から現在までそのまま辿っているところに実感があります。

 読み終えたあとに残ったのは、誰かと話すことで初めて見つかる「自分」の存在でした。弱さを見せることも、自分の強みを伝えることも、どちらか一方では足りないのかもしれない。一年間AIと向き合ってきた人が、最後に人との会話から何を受け取ったのか。その変化を追ってみたくなる一篇です。

和田ゆかさん|風に吹かれて

 一番印象に残ったのは、同じ風でも、そよ風なら心地よく、強く吹けば怖くなるという感覚から、言葉や人との関わりへ話が広がっていくところでした。

 わだゆかさんの語り口は、風鈴の音を聞きながら少しずつ考えを巡らせていくようです。強く結論へ引っ張るのではなく、「これも少し似ているかもしれない」と、風から言葉へ、人へと静かに思考がつながっていきます。

 読み終えたあとに残るのは、窓を少し開けた部屋に、やわらかな風が通り抜けたような感覚でした。普段は見えない言葉や人の影響を、「風」という身近なものから見つめ直してみたくなる一篇です。

🏆エッセイしりとり コンテスト2026 夏の陣 結果発表🎖️


 207,228文字の前置きを読んでくれて、ありがとう!
 
目次から飛んできた人も、ありがとう!

 それでは、発表します。




 ドゥルルルルルルルルルルルルルルル……

🏆 このタイトルヤバいで賞

ぱっちーさん『たん』

選考理由

 最終日、「た」から始まり「ん」で終わるタイトルというお題が出された中で、まさかの『たん』。

 普通なら条件を満たそうとして、あれこれ言葉を足して長いタイトルを考えてしまうところを、たった二文字で終わらせた。その潔さに「その手があったか」と完全にやられました。

 ただ、この賞を選んだ理由は『たん』だけではありません。

 ぱっちーさんには期間中、「ん」「論」「を」「〜」など、嫌がらせとしか思えない文字が次々と回ってきました。

 それでも「〜←こいつが家に現れた日」「をは、抱きつけなさそう。」などと、与えられた一文字をタイトルの頭につけるのではなく、その一文字から発想を始めて、一本のエッセイにしてくれました。

 そして最後に渡された「た」から「ん」。さんざん無茶振りに応え続けた末に出てきた答えが、たった二文字の『たん』でした。

 コメント欄にも「その手があったか」「その言葉があったか」と驚く声が並んでいました。タイトルを見た瞬間、誰かに何か言いたくなる。それこそ、この賞で探していたタイトルだったのだと思います。

 渡された一文字から、どこまで遊べるか。

 エッセイしりとりという企画そのものを、最後までタイトルで遊び尽くしてくれた作品として、「このタイトルヤバいで賞」を贈ります。


🏆ニヤけたで賞

コノサキユキさん『立ちのぼる湯気を眺めて』

選考理由

 換気扇に向かって、温めた冷凍ご飯のタッパーを掲げる妻。その数秒の動画を、夫は7年間も繰り返し見ている。

 何がそんなに面白いのかと言いながら、そんな夫を「愛おしくてかわいい」と眺める妻。夫は妻を見てニヤけ、妻はそんな夫を見て笑い、僕まで読みながらニヤけてしまいました。

 ……と、もっともらしい理由を書こうとしましたが、個人的な選考理由を白状します。

 僕は、こういうラブラブ夫婦のお話が大好きです😆

 読んでいる間、一番ニヤけていたのは僕でした。

 ご馳走さまの「ニヤけたで賞」を贈ります。


🏆 エッセイぽかったで賞

カハリーさん『たどり着いた記憶に、おばあちゃんの字があった』

選考理由

 冒頭の「こんまいなぁ〜」で、もう掘りごたつの向こうにおばあちゃんが見える。

 そこから小さな計画帳、茶色くなったセロハンテープ、ページをめくるバリバリという音へ。説明で押すのではなく、具体的なものを置きながら話が進むので、映像が自然に浮かびました。

 現在の子どもたちの工作から、カハリーさんが小学一年生だった頃へ飛び、また今へ戻ってくる時間の運び方もきれいです。

 そして「昔こんなことがあった」で終わらず、親になった今だからこそ、「あのとき、おばあちゃんはずっと私だけを見ていた」と気づく。

 具体で運び、時間を行き来し、最後に過去の意味が少し変わる。

 この賞、「エッセイぽかったで賞」なんて軽い名前をつけてしまったことを、今ちょっと後悔している。今回選んだのは、「エッセイっぽいな」と思った作品ではない。

 僕自身が、お手本にしたいと思ったエッセイである。


🏆 この続き読みたいで賞【まきさんスポンサー枠】

猿吉さん 『ドーナツを買うとか、買わないとか』

まきさんからのコメント

ドーナツと、ひいおばあちゃんの死。
軽やかなタイトルから、突然現れる「死」という言葉。
この二つがどうつながるのか、
その間にどんな物語があるのか。
もう、続きを読まずにはいられませんでした。
今回わたしがずっと大切にしていたのは、
「タイトルを読んだときよりも、
冒頭を読んだあとに“続きを読みたい”が大きくなったか」
ということ。
その気持ちが、わたしの中でいちばん大きく膨らんだ作品でした☺️


🏆 こっそり応援したいで賞【諏訪貴信さんスポンサー枠】

よっしさん『ほら、何者かになりたいんでしょう』

諏訪さんからのコメント

読んでいて、まるで自分のことを書かれているように感じました。
共感した、というだけではなく、「これは自分が書きたかった作品だ」と思ったことが、選んだ一番の理由です。
自分の中にもあったはずなのに、まだ言葉にできていなかったものを、先に書いてもらったような一作でした。


🏆 その視点なかったで賞【天界記録さんスポンサー枠】

ごまつぶさん『ただ、尻を顔にしただけだったのに』

天界記録さんからのコメント

「尻を顔にする」という一見すると奇抜な発想から、身体の形や見た目に対する私たちの固定観念へと話を転がしている点を評価しました。
タイトルのインパクトだけで終わらず、読み進めるほど見慣れた身体の見え方まで少し変わっていく。
まさに「そこを見るのか」「そこから、そんなところへ転がるのか」と感じた作品でした。


🏆 深そうに見えて中身ペラペラで賞【コハクシスさんスポンサー枠】

瀬戸細胞さん『ゼロカロ・リーもしくは天丼が囁く』

コハクシスさんからのコメント

名は体を表す。これは古い格言だ。ならば名前を変えることで自分自身も変えられる。このエッセイはそんな小さな仮説から生まれた。瀬戸細胞はまさに令和のコペルニクスと言えるのかもしれない。しかし、現実はゼリーのように甘くない。名を変え、姿を変えても、自分が自分であることだけは変わらない。人生は何が正解なのか分からない。いや、これは当たり前のことだ。だが、確かに深い。いや深いのか?言いようのない感情を説明するには八月は暑すぎた。まさに「深そうに見えて中身ペラペラで賞」にふさわしい至極の一本だった。


🏆 名乗らず推したいで賞【匿名スポンサー枠】

影と輪郭さん『感謝は時に、うんこから生まれることもある』

匿名スポンサーさんからのコメント

うんこを生み出す私たちが、うんこから生み出された何かを得た。その事実に気づいただけで毎日のうんこをする姿勢が変わった気がします。
過去の自分を振り返ることがエッセイの本質の一つかと思いますが、そういえば自分もうんこだったなあと、読者の過去と腸を揺さぶってくれたこの作品を、肛門からひそかに推したいと思います。

🏮提灯を消す前に

 ーー以上、結果発表でした!

 受賞された皆さま、おめでとうございます。
 なお、審査結果に関するクレームは一切受け付けません。

 異議申し立て、再審請求、VAR判定にも対応しておりません。審査員の独断と偏見を尊重してください(笑)

 ただし、掲載漏れや名前・リンクなどの間違いは別です。618本を手作業で確認しているため、もし見つけた場合は遠慮なく教えてください。確認して修正します。

 そして、この記事へのコメントもすべて読ませていただきますが、返信はかなり遅くなると思います。この3日間、333日続けていた連続投稿まで止めて、この記事を書いていました。さすがに少し休ませてください🥱💤

 コメント制限を掻い潜りながら順番にお返ししますので、気長にお待ちいただけるとうれしいです。

 改めて、エッセイしりとりに参加してくださった皆さま、本当にありがとうございました。

 それでは、そろそろ提灯を消します。

 211,672文字の感謝とともに。

#エッセイしりとり コンテスト2026 夏の陣、これにて閉幕🤗

 ……危ない。大事なことを忘れていました。本祭は「まき&須川の文藝大賞2026」です。しかも、もう始まっています。

 前夜祭の規模を完全に間違えた気が……💦

 今度はしりとりの一文字に縛られません。しかも、賞金も豪華に💰😁✨

 次は、本祭でお会いしましょう!

🩲600から連想したもの

9月7日(月)からは、たかっちさんの「#600note祭り」が始まる。

お題はーー

① 600から連想したもの
② ちょっと驚いた話

……ある。
ここに600本を超えるエッセイがある。

しかも、ちょっとどころではなく驚いたことだらけである。

というわけで、新しく一本書く体力はもう残っていないので、更に増えた212,924文字をそのまま祭りへ持っていくことにします。

600note祭りに、600本超のエッセイを担いで参加。

……重い。

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