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50代|知らん顔して今日も依存。あなたのことは好きじゃないのに、すがっている私へ。

誰のこと⁈
なんて思いました?


今回取り上げたいのは
私の依存対象のこと。



そう、それは「絵文字」。



絵文字かよ。と
どうか怒らないでください。



私は気がつけば、
文章の中に当たり前のように
絵文字を紛れ込ませている。


私が良く使っている一覧は
こんな感じだ。


😄😁😆🥹😂🫢🤭😨😱😇…


仕事でも日常のやりとりでも、
何か一つ添えないと落ち着かない。
そんな自分に、
ふと違和感を覚えた。


「これ、本当にいる?」



絵文字は便利である。
柔らかさも出るし、誤解も減る。


だがその一方で、
どこか“頼りすぎている感覚”が
拭えないのだ。


好きじゃないのに使っている

スマホが当たり前となった現代で
いつのまにか標準装備となった絵文字。


私はどちらかというと
多用してしまっている方だと思う。


でも正直に言えば、
今主流の立体的でつるんとした絵文字が、
あまり好きではない。


文章の合間で使う絵文字の存在感。
強すぎるし、目立ち過ぎるのだ。


今はアプリで多用なスタンプも
簡単に入手できる時代。


表情はわかりやすく、
誰が見ても視覚的に受け取れる。
しかしその完成されすぎた感じに、
どこか窮屈さを感じる。


それでも使ってしまう。


使わないと
冷たく見える気がするからである。


感情が伝わりにくくなる気が
するからである。


そう、その「…気がする」の
呪縛にとらわれている。


つまり私は、
好きではないものを
「…気がする」と思い込み
使い続けていることになる。


その事実こそが、
この違和感の出発点だった。


記憶の中の顔文字


そんなとき、
ふと昔の顔文字を思い出した。



スマホで「びっくり」と入力するだけで
たくさん出てくる昔の顔文字。
こういうやつだ。


( ゚д゚)!(◎_◎;)((((;゚Д゚)))))))…



記号や文字の組み合わせに過ぎないのに、
不思議なほど感情が伝わった。


むしろ今よりも、
想像の余地があったようにすら感じる。



あれは未完成だった。
だからこそ、
読み手に委ねる余白があった。


わずかな違いに、
人の気配や温度が宿っていたのである。



今の絵文字が
「完成された表現」だとすれば、


昔の顔文字は
「余地のある表現」だったのだと思う。


コレクションしてこっそり使う


気がつけば私は、
昔の顔文字を集めてストックしていた。


職場で使えるように、
さりげなくまとめてある。



そしてときどき、
こっそり使ってみる。


すると不思議なことに、
自分の言葉にすっとなじむ。


文章の流れを壊さず、
自然に感情が乗る感覚がある。


それは単なる懐かしさではない。


むしろ、
自分の表現に
手触りが戻ってくるような感覚である。


書いているのか、選んでいるのか


考えてみると、
顔文字や絵文字を加える時の違いは
「作るか選ぶか」ではなかった。


私は昔の顔文字を自分で一から
組み立てているわけではない。


誰かが生み出したものをストックし、
そこから選んで使っている。


その意味では、
現代の絵文字と同じく“選択”である。


それでも感覚が違うのはなぜか。


おそらくそれは顔文字が
キーボードで入力できる記号や文字を
組み合わせて作られており、


「文字の延長」にあるからだ。



完成された形であっても、
文章の流れの中に溶け込み、
わずかな揺らぎを残している。


一方で絵文字は、
文章とは別のレイヤーにある
“絵”である。


感情をはっきりと提示し、
意味を固定する。


つまり私は、どちらも選んでいながら
片方には「言葉としての連続性」を感じ、


もう片方には
「用意された感情を貼り付けている感覚」を
覚えているのだ。


そして私は
昔の顔文字を考えた人への
尊敬の念がある。


限られた記号や文字だけで、
ここまで豊かな感情を表現した発想。


あの“余白を残した完成度”こそが、
今もなお違和感なく使える
理由なのだと思う。


ちなみにAIに聞いた顔文字誕生の経緯や
特徴を一応載せておきたい。

日本の顔文字は、1986年にパソコン通信「アスキーネット」の電子掲示板で誕生しました。最大の特徴は、首を横に傾けず、正面を向いたまま「目」や「口」を多様な記号で組み合わせて、豊かな表情や感情をまっすぐに表現できる点にあります。

誕生の経緯
・1986年6月20日:パソコン通信ホスト「アスキーネット」の掲示板で、管理人だった若林泰志が喜びの感情を表現するために (^_^)  という記号の組み合わせを投稿したのが最初とされています。

・欧米式からの発展:アメリカで1982年に生まれた横向きの顔文字 :-) (首を左に傾けて見る)が伝わったものの、日本の文字文化や感性に合わせ、縦方向のまま顔のパーツを細かく表現する独自のスタイルへと発展しました。

ITANKEN 、INTERNET Watch


つくづく思う。


日本って、
すでにあるものを
より良いものに進化させて
発展させるのが上手いなぁって。


絵文字への依存


そして、
最も大きな気づきにたどり着く。



本来、文章だけでも
感情は伝えられる。


小説も手紙も、
絵文字なしで人の心を動かしてきた。


それは今も現在進行形だ。


それなのに私は、
絵文字を添えないと不安になる。



柔らかく見せたい。

冷たく思われたくない。

誤解されたくない。



その気持ちから、
無意識に絵文字を足している。


ここで起きているのは、
単なる装飾ではない。


“補助”だったものが、
“前提”に変わっているのである。


本来は「あると便利」なものだったはずが、
今では「ないと成立しない気がする」
ものになっている。



その背景には、
「文章だけでは伝わらないのではないか」
という、自分自身への不信がある。



さらに言えば、
絵文字は“感情を伝えるため”というより、
“誤解されないため”に
使われていることが多い。


それは表現というより、
防御に近い。



そう、私の場合は自分の文章が
間違って伝わってしまわないか?という
自信のない自分を防御するために
それを使うことが多いように思う。


伝えるために使っていたはずが、
使わないと伝わらない気がしている。


その状態に、
最近私は小さな息苦しさを
感じ始めている。


あとがき


もちろん、
現代の絵文字を否定するつもりはない。



あれはあれで、
時代に合った優れた表現方法だし
今後もどんどん進化していくのだろうなぁと。


私は今後も使うと思う。
(使うんかーい( ´Д`)y━・~~)
        ↑可愛い♡


そう、😆とか🥹とか🤭とかも
簡単にはやめられないかも。


ただ少しだけ立ち止まりたい。


自分の言葉だけで伝える感覚を取り戻す
〝修行〟を少しずつ始めていこうと思う。



あえてときどき、
文字の延長でもある
あの昔の顔文字も使いながら。



Σ(゚д゚lll)のような、
不完全で、少し頼りない表現を。


そのくらいの余白が、
今の自分には
ちょうどいいのかもしれない。


番外編

こちらのnoteでいつも素敵なエッセイ記事を書かれている「ちゃぷぼちさん」から、昨日届いた#エッセイしりとり バトン。

マイキーさんの企画です。

記事のタイトルでしりとり?バトン⁈

えっ?どうしよ((((;゚Д゚)))))))

昨日の今日なのであれでしたが、そのバトン。ちゃぶぼちさんへバトン返しするという大胆な決断を下すことにしました。ごめんなさい。だって素敵な記事ですからいいですよね?😆

ちゃぷぼちさんの記事タイトル「はた迷惑なジレと、私」なので、私の記事は「し」から始まる「知らん顔して今日も依存。あなたのことは好きじゃないのに、すがっている私へ」というタイトルにしてみました。

なので「へ」から始まる…あとのルールはよくご存知かと思います。強制じゃないですよ?よろしくお願いします🤭

ちゃぶぼちさんの記事はこちらです。
何気ない日常の生活の中で心がどう動いたか、内面やちゃぶぼちさん独自の視点で描かれる世界観。記事の合間に差し込む写真にも癒されています。


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