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たぶん、あれは最後の恋

四十数年ぶりに見た彼の写真は、私を一気に昭和へ引き戻した。

恋がまだ不便だった、あの時代。

土砂降りの中、私の頭の上にかざされた、何の雨よけにもならなかった彼の手。

         *

休み時間になると、私はベランダに出た。

風にあたりたかったわけではない。
そこから、グラウンドが見えたからだ。

彼はたいてい、そこにいた。

バスケ部なのに、休み時間にはサッカーをしていた。

明るくて、いつも友達に囲まれている人だった。

修学旅行の出し物では、当時流行っていたホンダ・シティのCMを真似した。

男子が一列になって、

「ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ」

と、ムカデダンスで前へ進んでくる。

その先頭にいたのが、彼。
いつも、人の輪の真ん中にいる。

私はといえば、大人しくて、まじめな優等生。

いつ、好きになったかなんて、私にもわからない。

気づいたら、休み時間になるたびベランダに出て、彼を目で追っていた。

         *

高校は別々になった。

それくらいで、私の恋は終わらなかった。

一途と言えば聞こえはいい。
なかなか諦めの悪い恋だった。

いつしか待ち合わせて、同じバスで帰るような仲になった。

小さな町まで、バスで30分ほど。

その30分が、私たちの時間だった。

バスが来る。
彼は来ない。

一本、見送る。

また来る。
また、見送る。

何台見送ったころだったか、

「ごめん! 部活が延びた!」

彼が息を切らして走ってきた。

遅れるとも、あと何分ともわからない。
来るのかどうかさえ、わからない。

それでも私は、待つことを楽しんだ。


バスを降りて、家まで送ってもらった日、突然、土砂降りになったことがある。

彼は、とっさに私の頭の上に手をかざした。

そんな手のひらひとつで、雨をよけられるはずもない。

二人とも、ずぶ濡れになった。

何だか、それが、楽しかった。


一度だけ、デートらしきものもした。


喫茶店で彼が頼んだのは、ミルクティー。

シナモンスティックで、くるくるとかき混ぜる。

少年だった彼が、ちょっと大人びて見えて、いつもより緊張した。


それから、長崎の、今はなきステラ座に、薬師丸ひろ子の『里見八犬伝』を観に行った。

今のような指定席ではなく、上映回が変わると、人がどっと動いた。

人波に押されそうになった私に、彼が手を伸ばした。

一瞬、触れた。

でも、握られなかった。

私も、握れなかった。

二人とも、そんなに奥手だった。

恋人同士らしい甘い記憶なんて、ほとんどない。

でも、あのころの私には、それで十分だった。

         *

バレンタインには、チョコレートを持っていった。

それだけではない。

勇み足で買ってしまった、ペアのマグカップも。

恋人とも言えない、微妙な関係の彼に渡すには、少し勇気がいるものだった。

渡すために持ってきたのに、照れくさくて渡せない。

バスに乗っても、まだ渡せない。

ひとつ、またひとつと、バス停が過ぎていく。

とうとう、私が降りるはずのバス停も通り過ぎた。

二人とも無言で、そのまま終点へ向かった。

終点に近づくにつれ、立っている人はいなくなり、席もがらがらになった。

すると彼は、ためらわず、二人掛けの私の隣に座った。

それだけのことで、少し勇気が出た。

それでも、なかなか渡せない。

とうとう彼が、少しすねたように手を差し出した。

ようやく、その手に渡した。

これができなくて、終点まで来てしまった。

顔を見合わせて、
遠いところまで来ちゃったね。と、
二人して笑った。



彼には、カセットテープも作った。

好きな曲を選んで、曲順を考えて、一曲ずつ録音した。

最後に入れたのは、荒井由実の『天気雨』。


🎵 荒井由実『天気雨』

聴いてみる 🎶

「優しくなくていいよ
クールなまま近くにいて」

あの土砂降りの日を、大切に覚えていること。

あの頃の私なりのメッセージを、最後の一曲に忍ばせた。

         *

やがて私は、大学受験で頭がいっぱいになった。

彼は部活を引退して、遊びを覚えた。

待ち合わせることも、いつの間にか減っていった。

ある日、偶然彼と会った。

彼は、たくさんの友達と一緒だった。

私は、受験生の顔をしていた。

目は合った。

でも、知らない人同士のふりをして、すれ違った。

彼との間に、大きな溝ができたような気がした。

しばらくして、人づてに短い手紙が届いた。

 「俺は自分にはふさわしくない。
 遊んでばかりで、将来も考えていないんだ。」

「自分」は、私のこと。

読んだ私は、案外冷静だった。

私たちはもう、少しずつ違う方を向いていた。

         *

それで終わったと思っていたが、

二十歳のころ、突然、彼から電話があった。

他県の大学へ行っていた彼が、

「免許を取ったから、ドライブに行かないか」

と誘ってくれた。

中学生の私が聞いたら、飛び上がっただろう。

何台もバスを見送りながら、彼が来るのを待っていた高校生の私だって、きっと。

でも、そのときの私はもう、別の人に夢中だった。

初めて知った、大人の恋。

私は、断った。

あれほど想っていた人なのに。

それが、彼の声を聞いた最後になった。

         *

その後、私は恋を重ねた。

恋をすれば、それなりに駆け引きも覚える。

少しずつ、恋に器用にもなった。

なのに若いころ、なぜか彼がよく夢に出てきた。

激しい恋の最中。

新しい恋が始まるとき。

少し危うい恋に、足を踏み入れそうになったとき。

不思議なくらい、彼の夢を見た。

でも、それも、いつの間にか見なくなった。

気づけば、もう四十年近くになる。

         *

彼にも私にも、互いの知らない四十数年がある。

私の中に残っていたのは、今の彼ではない。

グラウンドでボールを追っていた彼。

「ごめん!」と息を切らして走ってきた彼。

シナモンスティックでミルクティーをかき混ぜていた彼の手。

人混みの中で差し出された、握られなかった手。

土砂降りの中、何の雨よけにもならないのに、私の頭の上にかざされた手。

終点で、少しすねたように差し出された手。

彼の顔より、そんなことばかり覚えていた。

そのあと私は、もっと激しい恋も、甘い恋も知った。

でも、

ただ好きで、

ただ会えることがうれしくて、

何の計算も知らなかった恋は、

あれ以来、していない。

初めてだったから、忘れられないのではない。

    たぶん、 あれは最後の恋

        (完)


〈記憶のひだを、覗いたきっかけ〉

今回、こんなふうに記憶のひだを覗きこむことになったのは、トトさんから「エッセイしりとり」のバトンを受け取ったからだ。

トトさんの「だっふんだ」の【だ(た)】から、私へ。

しかもトトさん、「エッセイの師匠」なんて紹介してくださった。
……いきなり、ハードルが高い。

考えてみれば、私が普段書いているエッセイは、とても個人的なものが多い。
記憶の海の底に沈んでいた出来事を、ひとつ拾いあげて、そっと言葉にしてみる。
そんな書き方をしてきた。

だから今回も、面白いことも、気の利いたことも書けないけれど、同じ時代を過ごした方なら、
「ああ、こんな恋、あったな。」
と、どこか懐かしく思ってもらえるかもしれない。

そして若い方には、少しだけ。
スマホもLINEもなかった頃の、
昭和レトロな恋の空気を、どうぞ。

(参加中の企画)



(トトさんの記事)

タイトルでだまされることなかれ。

「だっふんだ」なんて始まるから、笑わせにきたのかと思ったら。

そこにあったのは、家族みんなでひとつのテレビを囲み、同じところで笑っていた、あの頃の「団らん」だ。

トトさんのエッセイは、ふっと笑わせたあと、不意に心の奥へ入ってくる。

投資の記事では数字を緻密に追いかける人なのに、エッセイになると、言葉にしすぎない感情や、過ぎてしまった時間をすくい上げるのが、とても心に響きます。

そんなトトさんの「だっふんだ」から、

私は「だ(た)」のバトンを受け取りました。


次にバトンを渡したいのは、みずさん。

同じ年頃で、猫好き。
それだけでも、勝手に親近感を持ってしまうのだけど、みずさんが紡ぐ話を読んでいると、いつも感じることがある。

この人は、言葉をちゃんと一歩に変える人なんだな、と。

「やってみたい」と書いたら、やってみる。
「会いたい」と思ったら、会いに行く。

大きな決意を声高に語るのではなく、日々の中で生まれた小さな気持ちを大切にして、少しずつ前へ進んでいく。

その姿が、なんだか温かい。

みずさんが書かれていた「言霊」と「予祝」という言葉も、心に残った。
未来を言葉にしてみる。
まだ来ていないその日を、少し先に喜んでみる。

そうすると、言葉に引っぱられるように、自分の足も少しずつそちらへ向かっていくのかもしれない。

私も、書くことでずいぶん遠くまで来た気がする。

だから次のバトンは、
言葉を一歩に変えていく、みずさんへ。

みずさん、【い】からお願いします。

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