程よく、ここまで。
「無理しないで、程々にね」
そんな言葉を、
ときどき聞きます。
優しい言葉です。
頑張りすぎなくていい。
無理をしなくていい。
そういう意味なのだと思います。
でも。
よく考えてみると、
「程々」って、どのくらいなのでしょう。
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「程よい」には、目盛りがない
たとえば、
「腹八分目」なら、
なんとなく分かります。
八分。
つまり、
満腹になる少し手前。
正確に測ることはできませんが、
一応、数字があります。
でも、
「程よく頑張る」
となると、
急に難しくなります。
どこまで頑張ったら、
程よいのでしょう。
「程よく休む」
も同じです。
一時間?
半日?
一日?
三日?
休みすぎたら、
今度は、
「そろそろ何かしないと」
と落ち着かなくなる。
「程よい」には、目盛りがありません。
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毎日、「程」を探している
考えてみると、
私たちは毎日のように、
「程よい」を探しています。
コーヒー。
熱すぎると、
飲めません。
少し待ちます。
でも、
待ちすぎると、
今度は冷めてしまいます。
お風呂もそうです。
熱すぎれば入れない。
ぬるすぎれば、
少し物足りない。
エアコンなんて、
もっと大変です。
暑い。
温度を下げる。
寒い。
上げる。
暑い。
また下げる。
……。
人間は思っている以上に、
毎日「ちょうどいい」を探しているのかもしれません。
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昨日の「程よい」と、今日の「程よい」
さらに難しいのは、
「程よい」が、
いつも同じではないことです。
元気な日は、
「もう少しできる」
と思う。
疲れている日は、
同じことでも、
「今日はここまで」
と思う。
昨日なら平気だったことが、
今日は少ししんどい。
逆に、
昨日は面倒だったことが、
今日は不思議と楽しい。
人付き合いだって、
そうかもしれません。
誰かにとって心地よい距離が、
別の誰かには、
少し近すぎることもあります。
つまり、
「程よい」というのは、
世の中のどこかに、
正解が書いてあるものではない。
その日の自分が、
その都度探していくものなのかもしれません。
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続けることにも、「程」がある
何かを始めるときには、
たいてい理由があります。
やってみたい。
面白そう。
誰かに誘われた。
せっかくだから参加してみよう。
でも、
続けているうちに、
いつの間にか、
「続けること」そのものが目的になることがあります。
まだできる。
まだ楽しい。
まだ次がある。
だったら、
もう少し続けよう。
それは、
悪いことではありません。
続けたからこそ、
見えるものもあります。
でも、
最近、
少し思うようになりました。
続けられることと、
続けることは、
同じではない。
まだできる。
でも、
ここまでにする。
そんな終わり方があっても、
いいのかもしれません。
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そういえば、ずいぶん走りました
ここまで書いて、
思い当たるものがありました。
エッセイしりとり。
最初にバトンを受け取ったときは、
まさか、
こんなに走ることになるとは思っていませんでした。
一文字を受け取る。
考える。
書く。
すると、
またバトンが来る。
考える。
また書く。
気づけば、
「う」。
「る」。
「て」。
「く」。
「る」。
「な」。
「を」。
ずいぶん来ました。
途中、
別腹もありました。
そして、
「す」。
さらに――
「。」
……。
しりとりで、
句点が回ってきました。
普通なら、
終わりです。
なんといっても、
「。」
ですから。
ところが。
終わりませんでした。
「。」でも、
一本書いてしまいました。
そして今、
私は、
「程」で一本書いています。
どうやら、
記号に止めてもらうのではなく、
自分で「程」を決める必要があるようです。
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「す」と「。」の話
せっかくなので、
ここで少しだけ、
前の二つのエッセイについて。
「す」で書いた、
『すこしだけ、遠回り。』
そして、
その直後に投稿した、
『。』
この二つには、
ちょっとした仕掛けを入れました。
二つに登場するのは、
同じ一日。
同じ「私」。
同じ道。
同じ公園。
そして、
同じ青いキーホルダー。
『すこしだけ、遠回り。』から『。』へ読むと、
分からなかったことが、
あとから見えてきます。
でも、
『。』から『すこしだけ、遠回り。』へ読むと、
今度は最初から事情を知った状態で、
その行動を見ることになります。
同じ出来事なのに、
読む順番によって、
少しだけ見え方が変わる。
そんな二つのエッセイにしてみました。
もし、
両方読んでくださった方がいましたら。
今度は、
逆の順番でも。
少し違って見えるかもしれません。
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「。」でもなく、「程」
考えてみれば、
「。」は、
文章を終わらせる記号です。
ここまで。
これで終わり。
そう伝えるために、
最後に置きます。
でも、
今回の私に必要だったのは、
終わらせてくれる記号ではなかったのかもしれません。
誰かに止めてもらうのでもなく。
何かがなくなったから終わるのでもなく。
自分で、
「ここまででちょうどいい」
と決めること。
そう考えると、
最後に「程」という文字が回ってきたのは、
なんだか不思議です。
もちろん、
偶然です。
でも、
終わるには、
妙にちょうどいい文字でした。
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まだ書けるから、ここまで
エッセイしりとりのバトンが来るたびに、
書きました。
難しい文字でも、
考えました。
「。」まで来ても、
書きました。
たぶん、
この先も、
何か渡されたら、
また考えると思います。
そして、
何か思いつくかもしれません。
まだ、
書こうと思えば書けます。
だからこそ。
ここで終わるのも、
悪くない気がします。
何かができなくなってから、
終わらせなくてもいい。
飽きてから、
終わらせなくてもいい。
嫌いになってから、
終わらせなくてもいい。
楽しかったまま、
「ここまで」
と決めてもいい。
それも、
一つの「程」なのだと思います。
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程よく、ここまで。
始めることにも。
続けることにも。
休むことにも。
そして、
終わらせることにも。
きっと、
それぞれの「程」があります。
私にとっては、
たぶん今が、
ちょうどいい。
バトンが来るたび、
ずいぶん走りました。
書いた本人が、
一番楽しんでいたような気もします。
ということで。
コロッバーのエッセイしりとりは、
そろそろ程よく終わらせていただきます。
バトンをくださった皆さん。
読んでくださった皆さん。
ここまで、
ありがとうございました。
程よく、ここまで。
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