【エッセイ】#94 「似ている」という呪縛
その言葉が、私に嫌悪感を抱かせる
「よく似ているね~!」
私はこの言葉に強い嫌悪感を抱く。
幼いころより言われ続けているから、というだけではない。
この言葉を聞くたびに、私の全身に巻き付いた鎖で締め付けられている感覚に陥る。
私だって、似たくて、似ているのではない。
生物学的にそうなってしまった、だけなのだ。
ただ、外見だけ似ていることに留まっていてくれれば、よかった。
でも、周囲は容姿だけではなく、私のアイデンティティさえ、「似ている」と見ていた。
***
近所でも、本家でもずっと言われてきた言葉がある。
「白|《はく》は、おじいちゃんにそっくりだね~」
私は幼いころから、大のおじいちゃん子だったため、そう言われて嬉しかった。
両親よりも、じいちゃんに似ているといわれることが、少し誇らしくおもえた。
(大丈夫です。私は、しっかりと、親父と、お袋の子どもです)
じいちゃんは、某有名新聞社で役員を務めたのち、今でいうライトノベル専門の出版社を経営していた。
(今では、某有名新聞社に合併しました)
そのため、実家には天井までの本棚に所狭しと、サイン入りの古書が並んでいる。
私も半分ぐらいしか読めていないが、歴史的価値が大きいものもあるらしい。
そんな、じいちゃんは勤め人を退いた後にも、自ら会社を立ち上げた。
今の私から見ても、なんともバイタリティ溢れる人だと思う。
だから、じいちゃんに「似ている」と言われるることは、私にとっては最大の喜びだった。
でも、そのように思っていたのは、小学校低学年までだった。
自縄自縛のはじまり
「お爺様は温厚なのに、気性が荒いみたいで、喧嘩をして大怪我をしたらしいわよ……」
休日に近所の井戸端会議が耳に入り、幼い私は愕然とした。
まだ、痛みが残る右腕を強く握りしめた思い出がある。
小学五年生の夏。
クラスでも目立った存在が、アニメのキャラクターよろしく、悪ふざけで彫刻刀を振り回していた。
私は、クラス委員ということもあり、彼を注意し、その行動を止めようとした。
調子に乗っている子どもとは、手に負えないもので、注意をした私に対して彫刻刀を執拗に振り回してきた。
「実際に人を傷つけることなどない」と、タカをくくっていた私は彼に近づき、彫刻刀を取り上げようとした。
グサリ。
私の右拳のあたりに、彫刻刀がめり込む。
彫刻刀はすぐに私の拳から引き抜かれ、彼は恐怖心から絶叫する。
驚いた私は、彼から遠のき、後ろへとつんのめる。
体勢を立て直そうと、傷ついた右手で寄りかかるものを探る。
だが、その先にあったのは「窓」だった。
しかも、片側が開いていたため、二重になっている。
私の体重(当時、40㎏くらい)を窓ガラスが受け止められるわけもなく、私の右腕は、二枚の窓ガラスをぶち破った。
暴走するクラスメイトを止めに入ったにも関わらず、私は右腕に24針の傷を負うことになった。
この話は、彼の行動と私のケガが合わさり、盛りに盛られ、私が「問題行動を起こした」として、保護者の間で広がる。
じいちゃんは、私に対し、冷たい目で、静かに、
「恥を知れ……」
と、言った。
同居しているにも関わらず、そこから1か月ほど口をきいてもらえなかったことを覚えている。
そのときから、私の中に生まれた信念。
「じいちゃんに似ているんだから、『しゃんと』しなければ、いけない」
それが、このあと数十年にわたって、私の行動原理になっていった。
違い過ぎる自分
正直、私はじいちゃんに似ているのは容姿だけだ。
性格は、まったく似ていない。
むしろ、性格は親父に似ているのではないだろうか?とも思う。
じいちゃんは、
潔癖症
完璧主義
行動よりも、計画が先
無駄を一切、許さない性格
本来の私は、
だらしない
てきとー
思い立ったら行動する
無駄なことばかりやる
このように、正反対なのだ。
だが、じいちゃんを失望させたくない。
じいちゃんの名前を汚したくない。
じいちゃんの期待に添えたい。
あのときのような目を向けられたくない。
そこから、私は本来の自分に蓋をし、じいちゃんに「似る」ように行動し、振舞ってきた。
スポーツや武道、勉強、コミュニケーション、会話、礼儀作法、マナー。
普通以上のレベルができて、「当たり前」。
むしろ、各分野で圧倒的に秀でることを自分に強いた。
それは、じいちゃんから無言の圧力があったようにも思う。
「お前は、俺に似ているのだから、これぐらいは『当たり前』だ」
そのようにずっと言われているような気がして、自分ではない、自分をずっと演じ続けてきた30年間だった。
其による功利
自分自身を抑圧して、じいちゃんの意に沿うように生きてきたことで、功利を得たこともある。
言ってしまえば、「人としてしっかりしている」「任せても大丈夫」といった、「人としての信頼」に関しては多く積み重なった。
おかげで、本業や家業、副業でも多くの人と関わらせていただき、一緒に進んでいく仲間を多く得ることができた。
「人は誰しも、曲りそうになる心を矯正しつつ生きていくもの」(森鴎外)
私の生来の気質のままに生きてきたのであれば、今の自分はないのかもしれない。
呪縛からの解放
そんな、じいちゃんが数年前に亡くなった。
私は深い悲しみに打ちひしがれた。
目標とする人、指導してくれる人の喪失感であたまがおかしくなりそうだった。
だが、一方、じいちゃんからの目から「解放された」と感じる自分もいた。
「これからは自分らしくしていい」
「じいちゃんのことを考えて、行動しなくてもいい」
「好きに生きていい」
「自分の好きなように考え、行動していい」
そんなことが思い浮かんだ。
だが、
「私って、いったいなんだ?」
「私らしいって、どういうことだ……?」
あたまの中は、そんな言葉で溢れる。
いままで、じいちゃんに求められるように生きてきた。
強制、矯正、拘束、呪縛の中で生きてきた。
だから、「自分らしい」がわからなかった。
じいちゃんが亡くなった後も、ずっと私は縛られ続けていた。
怨嗟という連鎖
じいちゃんの7回忌を先日、行った。
今では私も少しずつ「自分らしさ」というものを理解し、体現しはじめている。
だが、未だに存在しない影に怯え、自らの行動が「自分の意に反した」ことになってしまうこともある。
このあたりは、日にち薬だと自分でも解している。
ゆっくりと私が私らしく、生きやすいように生きて行けばいいと思っている。
法事の帰り、黒ネクタイを外し、車に乗り込む。
妻に運転を任せ、私は助手席で缶ビールを開けようとする。
すると、後部座席に座った娘と息子から、言葉が飛んでくる。
「「ひいじいじが、よく言ってたじゃない! 自分だけのんびりしないで、みんながゆっくりできるようになるまで、『しゃんと』しているのが、当代の役目だって!」」
娘と息子は、驚くほどに私に似ている。
容姿も、性格も。
ああ。
面倒くさい。
「似ている」ということは、これからも私を縛り、苦しめていくのかもしれない。
(了)
今回の企画
今回のエッセイは、実は、指名をいただき、ある企画に参加をしたものです。
一緒に日々研鑽し、小説を書く仲間である「太田みのる」さんから、リレーを受け取りました。
太田みのるさんの作品は以下から。
今回のリレーエッセイの発起人は以下から。
漂流図書館の館長から
『エッセイしりとり』という企画だそうです。
以下、太田みのるさんの文章を一部、流用させていただいています。
***
漂流図書館に流れ着いた掌編、短編は、とても美しく、とても味わい深い物語ばかりです。いつも、館長の感性に惚れ惚れしています。
この受け取ったバトンは、最初、何だろうと思いました。
だけれども、いつものことなのですが、新しい企画は好奇心が刺激されます。
この『エッセイしりとり』
源流は、マイキーさんという方です。
僕は、こちらで、企画の内容をよく知ることができました。
本当に面白い企画ですね。
僕はこういうリレーエッセイも大好きです。
企画してくださって、ありがとうございます。
エッセイしりとりのルールを、マイキーさんのnoteから引用します。
参加の仕方は、期間中に誰かから「 #エッセイしりとり 」のバトンが回ってきた人です。
前の人の記事タイトルの最後の一文字から始まるタイトルをつけ、本文140文字以上のエッセイを書いてください。
※タイトルは文字数に含みません。文字数上限は3000文字以内がありがたいな😉本文(エッセイ部分3000文字内)、紹介文等は文字数には含みません。
そして記事には、「#エッセイしりとり」のタグをつけてください。タグがないと見つけられないので、審査対象外になります。
※「エッセイぽかったで賞」に参加の方は追加で「#初めてのエッセイ」タグも追加してください。
🌀 次の人へバトンを回す
書き終わったら、次にバトンを渡したい人を最大3人まで指名できます。指名した相手に通知が届くよう、その人の記事を一つ、自分の記事内へ貼ってください。
誰にも回さず、そこで終了しても構いません。また、別ルートから二度目、三度目のバトンが飛んできた場合も参加OKです!
「さっき書いたところや!」という苦情は、バトンを投げてきた人へお願いします|`∀´)Ψヶヶヶ
次のバトンは、あなた。
と、言うことで、次のバトンを渡す方を指名させていただきます。
(ニヤニヤ( ^ω^)・・・)
忙しい場合は、対応しなくてもOKとのことですので、無理はしないでください。
私のエッセイのタイトルの最後の一文字、「く」からはじまるエッセイを書いてください!!
よろしくおねがいします!!
***
一人目は、一緒に歩んでいただいている黒珈さん。
アオハル系の作品の大家である黒珈さんに是非とも、エッセイを書いてもらいたい!!
二人目は、私が尊敬し、学ばせていただいている八神夜宵さん。
ガチの文芸系作家さんであり、2024年、2025年の創作大賞中間選考を突破されている実力派。
エッセイをマジで読んでみたいです!
最後の三人目は、私がずっと追いかけている作家さんである、京さん。
2025年の創作大賞中間選考を突破するほどの筆力。
特に自衛隊作品(恋愛要素あり)は勉強になるだけでなく、読者としてもどっぷりとつかっております。
是非ともエッセイを読んでみたい!!
と、まあ。
勢いで、書いたエッセイ。
企画として楽しんでいただければ、私としては、幸いです。
では、今日はこのあたりで。
あなたには、白く輝く、明るい場所にいて欲しい。
白明でした~。
