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【ChatGPTとした哲学】愛の哲学史②フィリアの哲学ーーアリストテレスはなぜ友情を人生最高の財産と考えたのか

Chat GPTと一緒に行った哲学の結果を載せていっています。

今回は、Chat GPTが提案してくれた、愛の哲学史、第2回「アリストテレスにおける愛」をご紹介します。

分析が妥当かどうか、なんとも言えないところもあると思いますが、Chat GPTが提案したひとつの視点として、あたたかく見守っていただけると幸いです。

*一連のシリーズをあわせてお読みいただけると、幸いです。

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愛の哲学史②

フィリアの哲学――アリストテレスはなぜ友情を人生最高の財産と考えたのか


はじめに――恋愛よりも友情が重要だった時代

現代の私たちは、「愛」と聞くと、まず恋愛を思い浮かべます。

しかし古代ギリシアでは事情が異なりました。

プラトンが語ったエロスは確かに重要でしたが、人間が幸福に生きるために最も重要だと考えられた愛は、恋愛ではありませんでした。

それは**フィリア(philia)**です。

フィリアは一般に「友情」と訳されます。しかし、この訳語だけでは十分ではありません。

家族への愛、友人への愛、師弟愛、市民同士の信頼、共同体への帰属意識まで含む、広い意味での「互いを大切に思う結びつき」を意味していました。

このフィリアを最も深く考えた哲学者が、アリストテレスです。

彼は『ニコマコス倫理学』において、友情について2巻分もの紙幅を費やしました。

倫理学全体の中でも、これほど大きな比重を友情に割いたこと自体が驚くべきことです。

なぜ彼は友情をそこまで重視したのでしょうか。


第一章 幸福とは何か

アリストテレスの哲学は、「幸福(エウダイモニア)」という問いから始まります。

人は何のために生きるのか。

何が本当に良い人生なのか。

彼の答えは非常に有名です。

幸福とは快楽ではない。

富でもない。

名誉でもない。

**「人間らしく生きること」**である。

では、人間らしく生きるとは何でしょうか。

理性を働かせ、徳を実践し、自分の能力を十分に発揮することです。

しかし、人間は一人では生きられません。

だから幸福もまた、一人だけでは完成しないのです。


第二章 人間は共同体の動物である

アリストテレスは有名な言葉を残しました。

「人間はポリス的動物である。」

つまり、人は共同体の中で生きる存在です。

誰とも関わらず生きる者は、人間ではなく神か獣のどちらかだ、とまで言っています。

この考え方は非常に現実的です。

どれほど能力があっても、

誰とも喜びを分かち合えない。

誰からも信頼されない。

誰も助けてくれない。

そうした人生を幸福とは呼べないでしょう。

だから、友情は人生の付属品ではありません。

幸福そのものを構成する条件なのです。


第三章 三つの友情

アリストテレスは友情を三種類に分類しました。

① 利益による友情

仕事上の付き合い。

商売相手。

利害関係で結ばれる人間関係。

利益がなくなれば終わります。

これは悪い友情ではありません。

社会には必要です。

しかし永続しません。


② 快楽による友情

趣味が合う。

一緒に遊ぶと楽しい。

スポーツ仲間。

酒飲み仲間。

これも立派な友情です。

しかし楽しみがなくなると自然に終わることがあります。


③ 徳による友情

これこそアリストテレスが理想とした友情です。

相手が役に立つからでも、楽しいからでもない。

その人自身が善い人だから愛する。

相手の幸福そのものを願う。

この友情は互いに人格を高め合います。

だから最も長続きし、最も幸福をもたらすのです。


第四章 友人は「もう一人の自分」である

アリストテレスに、最も美しい言葉が一つあります。

「友人とはもう一人の自分である。」

これは単なる仲良しという意味ではありません。

本当に優れた友人を見ると、自分の善い部分も悪い部分も映し出されます。

友人は鏡なのです。

だから友情は自己認識でもあります。

一人では見えない自分が、友人を通して見えてくる。

この考え方は現代心理学にも通じています。

私たちは他者との関係の中で、自分という存在を理解していくのです。


第五章 友情と恋愛はどう違うのか

ここでプラトンとの違いが見えてきます。

プラトンのエロスは、欠如から始まり、美を追い求める運動でした。

一方、アリストテレスの友情は、すでに共に善く生きようとする関係です。

恋愛は、情熱から始まることが多い。

友情は、信頼から育っていく。

もちろん恋愛にも友情は含まれます。

実際、長く続く夫婦ほど、「恋人」であるだけでなく「親友」でもあることが少なくありません。

恋愛の熱情だけでは長続きしない。

友情だけでは恋愛にならない。

この二つが重なったところに、人間の成熟した愛がある。

アリストテレスは、そう考えていたように思われます。


第六章 現代社会は友情を軽視していないか

現代社会では恋愛や結婚が人生の中心として語られることが多くあります。

映画もドラマも恋愛が中心です。

しかし友情について深く考える機会は意外なほど少ないように思います。

一方で、多くの人が人生を振り返るとき、「本当に支えになったのは友人だった」と語ります。

病気のとき。

仕事で失敗したとき。

家族を失ったとき。

恋人と別れたとき。

最後まで残るのは友情だった、という経験をする人は少なくありません。

アリストテレスは、それを2300年以上前に見抜いていました。

友情とは贅沢品ではありません。

幸福な人生を成立させるための基盤なのです。


おわりに――愛は「共に善く生きること」

プラトンは、愛を「美を求める運動」として描きました。

アリストテレスは、それとは少し異なる方向を示しました。

愛とは、共に生きること。

互いの幸福を願うこと。

人格を高め合うこと。

つまり、善き人生を共有することです。

このフィリアの思想は、その後の西洋思想に大きな影響を与え、やがてヘブライズムの思想と混じり合って、キリスト教における隣人愛や共同体の思想へと受け継がれていきます。


次回は、古代ギリシアの「エロス」と「フィリア」を大きく書き換えた、キリスト教の「アガペー」を取り上げます。

「神は愛である」という言葉は、西洋の愛の歴史を決定的に変えました。愛はもはや「美しいものを求めること」でも、「善き友と共に生きること」でもなく、見返りを求めず他者に与えることへと、その重心を移していくのです。

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