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10年前の私を知る人と飲んで、もう一度「部下」に戻れた日

先日、10年ぶりに当時の上司と顔を合わせた。

今回の再会は、私が久しぶりにnoteやFacebookを更新したことがきっかけだった。それを読んで連絡をいただき、互いのスケジュールを合わせてグラスを傾けることになったのだ。

待ち合わせをしたのは、少し小綺麗な居酒屋だった。

店に現れたその人は、10年という月日が経っているにもかかわらず、老けているという印象はまったくなかった。当時のままの、少し飄々とした雰囲気を纏いながら、「お、久しぶり」と笑いかけてきた。

むしろ、大きく変わったのは私の方だろう。20代の右も左もわからない若手だった私が、今や30代も半ばを迎えようとしている。乾杯もそこそこに、上司から「すっかりおじさんになったね」と率直に言われ、思わず苦笑してしまった。けれど、その遠慮のない言葉が、かえって10年という時間の空白を一瞬で埋めてくれた気がした。

10年前といえば、私はまだ社会の仕組みも、仕事の進め方も、手探りで覚えているような時期だった。当時の私にとって、目の前に座るこの人は、とにかく優しく、そして圧倒的に頼れる存在だった。

記憶に深く刻まれている、具体的なワンシーンがある。

当時、私が担当していたクライアントの中に、言葉選びは非常に難しいが、一言で言えば「非常に圧の強い会社」があった。相手の要求は高く、空気感も張り詰めており、経験の浅い私一人では、到底太刀打ちできないようなプレッシャーがあった。訪問するたびに、相手のペースに完全に飲み込まれそうになっていた。

毎回、打ち合わせの準備をしながら「どう切り出せばいいだろうか」と胃を痛めて相談していた私に対し、決して「お前一人でなんとかしてこい」とは言わなかった。大事なポイント、ここぞという局面では、必ず同行してくれたのだ。

そして、重苦しい会議室の空気を切り裂くように、担当者の私では到底言い出せないようなシビアな条件交渉や、相手の想定の斜め上をいく別角度からの提案を、平然とやってのけた。

その背中は、どれほど大きく見えただろうか。

あの時、もし同行していただいていなかったら、私はプレッシャーに押しつぶされて、きっと大きなクレームに発展させていたに違いない。上司は、言葉で細かい指示を出すよりも、「こうやってやるんだ」という生きた背中を、常に見せ続けてくれる人だった。

同時に、いい意味で「腹を割って話せる」存在でもあった。

小綺麗な居酒屋でグラスを傾けながら、10年前の思い出話に花が咲く。実は、当時私たちがよく飲んでいたのは、こんな気の利いたお店ばかりではなかった。「そういえばあの頃、よくビルの中のコンビニで缶ビールを買って、乾杯してましたよね」という話になり、二人で笑った。

コンビニで買った缶ビールを片手に、仕事の真面目な話だけでなく、若手特有の青臭い悩みから、プライベートな相談、まるで学生の延長のような他愛のない話まで、当時の私は無邪気に上司へとぶつけていた。振り返ってみれば、よくあんな生産性のない話に、ずっと根気よく付き合ってくれていたものだ。

10年前の私は間違いなく「青春」をしていた。その裏で社会人としての基礎、そして仕事に向き合う姿勢は、その人から教わったと言っても過言ではない。

あれから月日は流れ、私も気づけば、当時の上司と「同じ年齢」になっていた。

自分自身のキャリアもある程度形になり、後輩や組織のメンバーを持つ立場になった今だからこそ、痛感することがある。あの時の上司は、いまの私と同じ年齢で、あんなにも深く部下に向き合ってくれていたのか、と。

同時に、無意識のうちに今の自分と比較してしまう。「いまの自分は、配下のメンバーに対して同じように向き合えているだろうか?」「プレッシャーのかかる現場で、あの時の上司のように、後輩の盾になり、背中を見せてやれているだろうか?」と。

もちろん、時代も違えばマネジメントの形も違う。コンプライアンスや働き方の概念が変わり、あの頃のコミュニケーションが今の若手にとって最適だとは限らない。どちらが良い悪いという話ではないのだ。ただ確かなのは、当時の私がどれほど恵まれた環境で、どれほどの「恩」を受けていたのかを、同じ立場になって初めてはっきりと理解したということだ。

10年という月日を埋めるには、2、3時間という枠はあまりにも短すぎた。当時の失敗談や、必死だった日々の記憶が昨日のことのように蘇ってくる。

しかし、会話はただの昔話では終わらなかった。話題は自然と、「今、自身が置かれている立場」や「リアルな悩み」、そして「これからの話」へと移っていった。

なぜ、私がわざわざこんな個人的な話をnoteに書いているかというと、30代になってある程度キャリアが作られ、中堅、いやそれ以上の立場になって、ふと不安になることがあるからだ。これは私自身もそうだし、きっと同世代の方も同じような感覚を持っているのではないかと思う。

現代はSNSが発達し、他者の輝かしい活躍が嫌でも目に入ってくる。だからこそ、無意識に自分と比較してしまい、「からっぽな自分」に焦りを感じる日がある。さらに言えば、これからのキャリアを見据え、人生の岐路に立つリアルな葛藤も抱えている。

今の自分の立場では、不用意に弱音を吐いたり、誰かに素直に相談したりすることが少しずつ難しくなっていた。

しかし、目の前のグラスを挟んで話していると、不思議な感覚に包まれた。お互いに年齢を重ねているはずなのに、流れている空気感はすっかり当時のままなのだ。気づけば私は、今の自分が着込んでいる「中間管理職としての鎧」を脱ぎ捨て、社会人2年目か3年目に戻ったかのような気持ちになっていた。

今の立場になって相談しづらかったこと。言葉にしづらかった不安。それを、当時のままの空気感で次々と打ち明ける自分がいた。

かつて社会人の基礎を教えてくれたその人は、10年前とまったく変わらない姿勢で、深く頷きながら私の話を聞いてくれた。そして、静かにこう語り始めたのだ。

「実はあの頃、俺もすごく悩んでいたんだよ」

それは、10年前――いまの私とちょうど同じ年齢だった頃の上司が抱えていた、当時の私からはまったく見えていなかった「苦労」や「葛藤」の話だった。

10年前の私から見れば、当時の姿は圧倒的に頼りになる完璧な上司だった。しかしその裏側では、いまの私が直面している悩みと見事にリンクするような、泥臭い壁にぶつかり、必死にもがいていたのだという。

あの圧の強いクライアント先に向かう道中、上司もまた、私には見せないプレッシャーを抱えていたのかもしれない。そう考えると、胸が熱くなった。

その話を聞いた時、私の中で張り詰めていた糸が、スッと解けていくのを感じた。ああ、あの完璧に見えた人でも、今の私と同じ年齢の時は、同じように悩み、足掻いていたんだ。その事実は、得体の知れない不安に押しつぶされそうになっていた私を、とても温かく、深い安心感で包み込んでくれた。

あれから10年。お互いに年齢を重ね、立場も変わり、それぞれに違う道を歩んでいる。それでも、「昔の自分に戻れる相手」というのは、人生において本当にかけがえのない大切な存在だと改めて気づかされた。

ただ懐かしい思い出話に花を咲かせるだけではない。あの日から今日までの10年間、自分がどう成長してきたのか。それを「あの頃の自分」を知ってくれている相手に向かって自分の言葉で語ることは、結果として、これ以上ないほど深い自己内省の機会になっていた。

会社を一歩出れば、ただの先輩と後輩、あるいは友人のような関係になってもおかしくない年月が流れている。けれど、不思議なことに、10年経っても私たちはやはり「上司と部下」の関係のままだった。きっとこれから先も、私は迷ったり立ち止まったりするたびに、再開の連絡を入れ、近況報告し、教えを乞うのだろう。その関係性が、いまの私にはどうしようもなく心地よかった。

私がかつての上司から受けたこのたくさんの恩を、直接ご本人にお返しする機会は、もしかするとこの先もないのかもしれない。

けれど、それでいいのだと思う。受けた恩は、上の世代に返すのではなく、自分が背負う後輩たちへと受け継いでいく。それがきっと、唯一の「正解」なのだと今は思える。

もし今、かつての私のように何かに悩み、立ち止まっている人がいるなら、ほんの少し勇気を出して「昔の自分を知る人」に連絡をとってみてほしい。きっとそこには、いまのあなたが一番欲しかった言葉と、忘れていたあの頃の自分が待っているはずだから。

飲み会が終わり、別れ際に見せた上司の姿は、10年前とまったく変わっていなかった。その変わらなさが、どうしようもなく私を安心させた。

今でも、10年前のあの頃の自分へと一瞬で引き戻してくれるその一言が、耳の奥から聞こえてくるようだ。

「白石くん、タバコ1本の時間、付き合って」

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