令和のAI時代だからこそ、平成のインターネット話を
こんにちは、白石と申します。
今日は、生成AIの話をする前に、平成のインターネットの話をします。
普段はここに、新規事業やキャリアの話を書いています。今日は毛色が違います。子供だった頃から学生だった頃までの、ただの思い出話から始まります。しかも、いつもより口調が砕けます。
それでも書くのには、理由があります。
生成AIが出てきてから、これから何が変わるのか、という話をよく聞くようになりました。その話をしている時、自分が頭の中でずっと参照している経験があります。
インターネットが自分の生活に入ってきた時の記憶です。
あの時に何が変わったのかを、私は身体で覚えています。そして今起きていることは、あの時と同じ形をしています。最後まで読んでいただければ、思い出話で終わらないことは分かるはずです。
過去の技術の変わり目を持ち出して今を考える書き方は、前にも一度しています。手元から操作が離れていく感覚について書いたものです。
白石とインターネットとの出会い
世紀末の話です(いきなり怖い)
私は、ノストラダムスの予言を半分くらい信じている少年でした。世紀が変わった瞬間に世界は終わる。五割くらいの確率で、本気でそう思っていました。ついでに言うと、Y2Kの話も同じ頭の中に入っていました。予言とコンピューターの誤作動が、綺麗に混ざっていたわけです。世界の終わりを、二回予測していたことになります。
そんな少年が、インターネットと出会います。
皆さんもインターネットとの出会いはされてきていると思います。それぞれが色々な機会で。携帯やPCということが多いのではないでしょうか。
私も例に漏れていません。
そう、セガのドリームキャストでした。
ちなみに人生で最初に買い与えられたゲーム機は3歳の頃のセガサターンです。ソフトはバーチャファイターという、当時の親の思考が未だによくわかりませんが、子供ながらに「セガのゲームは世界一」と脳裏に刷り込まれている少年でした。
訳も分からないまま親に買ってもらったのが「ぐるぐる温泉」です。ドリームキャストをインターネットに繋ぐと、画面の中にいる知らない人とやり取りができる。麻雀や将棋やミニゲームを、一緒に遊べる。
ネットゲームの、本当の走りのようなソフトでした。

オンラインゲームが広く流行りだすのは、同じセガの「ファンタシースターオンライン」からだと記憶しています。ぐるぐる温泉は、その手前にいました。ネットゲームの始祖といえばで「ぐるぐる温泉」を出す人を、私は今まで一人も会ったことがありません。いたら友達になりましょう。
私が驚いたのは、ゲームの出来ではありませんでした。
顔も見えない、素性も知らない相手と、話せてしまうことのほうです。音声通話ではありません。短い文字を打ち合う程度のものです。それでも十分でした。画面の向こうにいるのが、コンピューターではない。誰か分からない誰かが、確かにそこにいて、意思が通じる。
今になって言葉にすると、こうです。人との接触の概念が、根底から変わった体験でした。
ちなみに、この時に一緒に麻雀を打っていたオンラインフレンドとは、大学生になってから再会することになります。ただ、それはまた別のお話です。
EZwebという名の宇宙
ドリームキャストの経験を経て、私は中学生になります。
興味を持ったのは、携帯電話でした。
当時はまだ、WINやFOMAが市場に出る前です。パケットは、使った分だけ課金されました。使い放題という考え方が、まだ世の中に無かった時代です。今になって思うと、これは生成AIのトークン消費と全く同じ概念です。使っただけ減る。使っただけ請求が来る。厄介なのは、どのくらい使ったかが可視化されていない点でした。請求額を見た親から怒られた子供が、あの世代には大量にいます。
最初に手にしたのは、auのA5405SAでした。
正確には三洋電機の機種です。auなので、ネットに繋がる入口はEZwebでした。

思春期の中学生が、その入口をくぐった瞬間の感覚を、今でも覚えています。自分の手のひらに、小さい宇宙がやってきた、そんな感覚。
情報との接触の概念が変わったのは、この時です。
変わったものは、三つありました。
一つ目が「取得」です。どんな情報でも、誰にも知られずにすぐ手に入る。調べたことを誰にも報告しなくてよいのが、当時は驚きでした。
二つ目が「他者を知る」です。見ず知らずの人の意見やレビューを読んで、共感したり反論したりできる。自分の周り以外の考えが、初めて視界に入りました。
三つ目が「アウトプット」です。自分の意見を、インターネットに向けて投稿する。ただ、これを私が本当に覚えるのは、もう少し後になります。
少し余談をさせてください。
ezwebには、掲示板が大量にありました。有名どころは2ちゃんねるですが、個人が作った野良掲示板も無数にあったのです(第三世界とかで着メロとってた)
思い返すと、至るところに「魔法のiらんど」という謎の表記がありました。それが何だったのかは大人になってから理解しましたが、当時の私は「この世の掲示板は全部同じ人が作っているんだ」くらいに思っていました。皆が背中を蹴りたくなり、世界の中心で愛を叫んでいた時代です、深くは考えておりませんでした。
その掲示板には、画像や音楽や動画を貼る人が大勢いました。JPEG、3GP、3G2、MP3。拡張子の違いを教わった場所は、教室ではなく掲示板でした。
正直に書くと、私はパソコン少年でもインターネット少年でもありません。ネットの上に何かを作ってやろう、という好奇心は、当時の私には持てていませんでした(クラスにいたS君は個人HPを既に作っていた、凄かった)
その代わり、誰かが作った環境を全力で楽しむことは、誰よりもしました。作る側ではなく、使う側。私はずっとそちら側で、インターネットと触れ合っていました。
動画というコミュニティ
ezwebの次に、私の中に新しい概念を作ったのが、ニコニコ動画です。
仕組みの説明は要らないでしょう。大事なのは、動画をコメントとセットで見る、という視聴の形が生まれたことです。当時はYouTubeより何倍も勢いがありました。
一人で画面を見ているのに、大勢と同時に見ている感覚になる。部屋には自分しかいません。それでも、同じ場面で同じように笑っている人がいることが、画面の上を流れる文字で分かってしまう。
似た感覚を、私はもっと前に点として経験していました。
情報の授業で、先生の目を盗んでFlash倉庫の動画を開いた記憶がある。同じ世代の方には、心当たりがあるのではないでしょうか。あれも、みんなで笑いながら画面を見る体験でした。
あの感覚に近かったので、私はニコニコ動画にのめり込みます(プレミアム課金勢)そしてここで、それまでのインターネットに無かったものを経験します。

使う側が、使う側に向けてUI/UXを考える、という概念です。
それまでの当たり前は、作り手と使い手の双方向、もしくは一方向による体験の授受でした。ニコニコ動画にあったのは、使う側同士で熱量を作っていける、という体験です。
熱量との接触、と私は呼んでいます。
もう少しだけ余談を続けます。
のめり込んだ結果、私はコメント職人になりました。同じ動画を見ている人に、動画だけでなくコメントでも楽しんでもらう。そのために面白い文字を画面へ入れていく役です。
職人と付くくらいなので、作法があります。複数のコメントを組み合わせて弾幕を作る。ここぞという場面で、クスッと笑える一言を置く。涼宮ハルヒ全盛期、と言えば伝わる方には伝わると思います。アニメや秋葉原が盛り上がっていた、あの時期の話です。
笑いのセンスや、ネットミームと呼ばれるものへの感覚は、この時期に身につけたものです。
SNSというコミュニティ
私の世代であれば、三つのSNSをとりあえず全員が使っていたのではないでしょうか。
mixi、モバゲー、GREE。
例に漏れず、私も三つともアカウントを持っていました。
中でもmixiは、高校時代にいちばん携帯で開いていたページだと思います。日記を書き、コミュニティを作り、好きなあの子のアカウントが足あとに残っていて一喜一憂する。まさしく青春でした。
ここで私は、また新しい接触の概念を経験します。
きっかけは、オフ会というものです
オンラインとオフラインの接触の仕方が、この時に変わりました。
ネットの上で知らない人と話すこと自体は、ぐるぐる温泉で済ませています。けれど、ネットでしか接触していない人と実世界で会うのは、全く別の体験でした。
今となっては当たり前ですが、当時の私には相当な衝撃です。画面の中にいた人が、待ち合わせ場所に立っている。
それから、私の世代の黒歴史として前略プロフィールがありました。今でいうFacebookの走りです。日記をつけ、その時に起こったことを書き、友人のリンクを貼り、掲示板を作る。ここで私が学んだのが、自らの日常をアウトプットする、という経験でした。
EZwebの見出しで予告した三つ目を、私はここで回収したことになります。取得と、他者を知ることは手のひらの中で先に覚え、アウトプットだけが少し遅れてやってきたわけです。
ただし、ここまで全部を通して、私はあくまで使う側です。
作り手では、まだありません。
この頃の自分が何を手放さずにいたのかは、30代半ばになってから別の記事にも書きました。
インターネットの登場で世界はどう変わったか
ここまでの話で、私はずっと学生でした。
だから正直に書いておきます。インターネットの登場でビジネスの何が変わったのかは、大人になってから後追いで知りました。当時の市場で何が起きていたのかを、現場で見てはいません。
一方で、使う側としての変化は純粋にたくさん享受しました。ここには自負があり、これが今の自分に効いています。何故なら、社会人になって事業を作る側に回った今、100%純粋な使う側の気持ちになることは、もう難しいからです。どうやっても、作り手のUI/UX戦略が見えてしまう。自分が作る側になった時も、作り手の意図を隠しきることは、やはり難しい。だからこそ、意図を知らずに全力で楽しんでいたあの時間は、後から取り戻せない持ち物になりました。
さて、ここからが今日の本題です。
インターネットの登場で、私は接触という概念が大きく変わる体験をしました。人との接触。情報との接触。熱量との接触。オンラインとオフラインの接触。
4つとも、技術そのものの話ではありません。
技術が変えたのは、接触という概念のほうです。
つまり、こういうことだと思っています。
産業革命とは、概念を変えるものである
道具が増えることでも、作業が速くなることでもありません。それまでの考え方そのものが、置き換わる。そして、今までの考え方を変化させていける人だけが、次の時代を楽しめて、活躍できて、走れます。
私はこれを、概念の乗り換えと呼んでいます。
これはインターネットの時代に限った話ではないはずです。遡れば、日本に稲作の技術が伝来した時も産業革命の一つで、概念の乗り換えが起きたはずです。インターネットが変えたものを一言でまとめるなら、いろいろなものが身近に感じられるようになったこと。そして、接触の速さです。
ここで、この記事を読んでくださっている方にお願いがあります。
インターネットが登場した時に、実際にビジネスをされていた方。その世代の方に、市場でどんな変革が起きたのかを、ぜひ教えていただきたいのです。
私は使う側にいたので、そちらの景色を知りません。コメントでも、どこでも構いません。読ませてください。
AIの台頭で産業はどう変わるか
では、生成AIの到来で何が変わるのか。
インターネットが接触の概念を変えたのだとすれば、生成AIが変えるのは、思考の概念だと考えています。
今までに考えられない速さで、時代が進んでいます。
1年かけて作られていたものが、1週間で作られる。10人で作られていたものが、1人で作られるようになる。
つまり、思考する時間と、思考する人の数。
この二つの概念が変わりました。
誤解されたくないので、はっきり書いておきます。思考することから逃げたわけではありません。思考をする代替手段が、生成AIになったというだけの話です。
問題は、その先で起きました。
代替手段であったはずのAIが、人間の思考の範囲を上回るようになってきた。それがここ数ヶ月の話です。未来が読めなくなりました。
昨今、AIによって無くなる仕事は何か、という話がよくされています。ただ、もうそんなことを話している場合ではない所まで来ています。そもそも仕事という概念自体が、変わろうとしているからです。
人間そのものの存在意義。働き方。生死観。そこまでもが変わろうとしている怖さが、確かにあります。
それでも、私は生成AIの到来にわくわくしている側の人間です。
AIによって新しく生まれる仕事は何か。新しく求められることは何なのか。そちらばかり考えています。
何故わくわくできるのか。理由は、この記事にずっと書いてきたとおりです。
インターネットが登場した時、私は使う側でほぼ100パーセント、楽しさだけを享受できました。つまり、概念が変わったことによる苦労を、私はしていません。
これは良い意味でも、悪い意味でも捉えられると思います。痛みを負っていないからこそ、無邪気でいられるだけかもしれません。生成AIの登場によって、変えなければいけないことは山ほどあります。辛い、苦しいという感情が出てくることも、絶対にあると認識しています。
ただ、それ以上に「新しく何ができるだろう」という前向きな気持ちを、初めから持てています。
そしてもう一つ、今までと違うことがあります。
これまでの私は、使う側でした。けれどAIによって、完全に作る側に回ることができます。
実際に、非エンジニアのまま手を動かして作ってみた記録も残しています。
インターネットの変革に心躍らせていた少年が、今度はAIの変革に心躍らせるおじさんになれる。概念を変えられる側に回れる。それが楽しみで仕方ありません。
私の好きなプロレスラーに、橋本真也さんという方がいます。
その言葉に「破壊なくして創造なし」というものがあります。
生成AIが登場したこの数年、まさしく破壊が行われています。
ただ、破壊の後には、新しく創造が見えています。
その創造に向けて、自分を準備しておく。今いちばん大事なのは、そこだと思っています。
さあ、どんな概念を変えてやろうか。
これを考えることで、人間として生きてるなという実感が湧く、今日この頃です。
非エンジニアのまま生成AIと向き合った記録は、こちらにまとめています。
いかがだったでしょうか。
貴方の中に少しでも気づきを与えられていたら嬉しいです。
それでは。
