自分の本心は、自分がいちばん知らない
こんにちは。
未知です。

前回のnoteでは、
初めてわたしのツレの話を
書きました。
ツレがうつ病になったとき、
私は心から、
元気になってほしい!
と、思っていました。
苦しみから抜け出してほしい。
以前のように笑ってほしい。
もう一度、自分の人生を歩けるようになってほしい。
その気持ちに、嘘はありません。
けれど、今振り返ると、あの願いは本当にツレのためだけのものだったのだろうかと思うのです。
でも、ずっとあとになってから気づいたんです。
「元気になってほしい」には、
私自身も見ていなかった続きがあったと。。。
ツレが元気になれば
ツレがうつ病になったのは、
結婚してまだ3年目のことでした。
少し元気そうなら、
今日は大丈夫かもしれない。
と安心する。
表情が暗ければ、
何かあったのかな。
今日は良く無いのかな。
と不安になる。
いつの間にか、
私の心まで、ツレの状態に合わせて
上がったり下がったりするようになっていました。
そんな毎日の中で、
私は何度も、、、
「元気になってほしい」
と願っていました。
けれど、その言葉の続きを
私は長い間、見ていませんでした。
「ありのままに観る」を知って
瞑想をはじめて、
自分の内側に起きていることを
ありのままに観る
という方法を知りました。
ありのままに観るとは、
浮かんできた感情を
良い、悪いと裁かないことです。
消そうともしない。
きれいな答えに変えようともしない。
たとえば、
なんで私が、こんな思いをしなくちゃいけないの?
ツレが変わってくれたら、私は楽になれるのに。
そんな、できれば見たくない言葉が浮かんでも、
「ああ、私は今、そう思っているんだ」
と、そこにあるものを、
そのまま観る。
そんな言葉が浮かんでも、
押し込めない。
正当化もしない。
ただ、ありのままに観ていく。
それを重ねていくうちに、
私はあることに気づきました。
「元気になってほしい」の奥にあったもの
私は、ツレに元気になってほしかった。
それは本当です。
でも、その願いの奥には、
私も、この苦しみから楽になりたい。
という気持ちがありました。
そして、その言葉には
さらに続きがありました。
ツレが元気になれば、家の中の空気が変わる。
ツレが元気になれば、私は安心できる。
ツレが元気になれば、私の人生も元に戻る。
つまり私は、心のどこかで、
私が楽になるためには、
ツレが変わらなければならない。
と思っていたのです。
これに気づいたとき、
少しショックでした。
夫を心配しているつもりで、
本当は自分のことを考えていたのではないか。
夫を支えているつもりで、
自分の望む夫に戻そうとしていたのではないか。
そんなふうに思ったからです。
二つとも、本心だった
でも、ここでもう一つ
気づいたことがありました。
「夫に元気になってほしい」
という気持ちと、
「私も楽になりたい」
という気持ちは、
どちらか一方だけが、本当だったわけではありませんでした。
どちらも、私の本心でした。
夫への思いの中に、
私自身の願いが混ざっていたからといって、
夫を思う気持ちまで
偽物になるわけではなかったのです。
むしろ私は、
そんな気持ちを持っている自分を
認めたくなかったのだと思います。
優しくないように見える自分。
身勝手に見える自分。
そんな自分まで含めて観たとき、
ようやく次のことが見えてきました。
夫の苦しみと、私の苦しみ
それまでの私は、
ツレが苦しんでいると、
私まで一緒に苦しくなっていました。
ツレの機嫌が悪ければ、私も沈む。
ツレが少し元気なら、私も安心する。
まるで、
私の心のハンドルまで
ツレに預けていたような状態でした。
でも、ありのままに観ることで、
「私は今、こう思っている」
と、自分の気持ちを
少し離れて見られるようになりました。
そこで初めて、
夫の苦しみと、私の苦しみは同じものではない。
と分かってきたのです。
夫の気持ちは、夫のもの。
夫の機嫌も、夫のもの。
私がどれだけ考えても、
夫の心を思いどおりに変えることはできません。
でも同時に、
私の心を穏やかにすることまで、
夫に任せなくてよかった。
ということにも気づきました。

私の人生まで、夫の変化に預けなくてよかった
夫の苦しみが、
消えたわけではありません。
今も私は、
夫を支えながら暮らしています。
劇的に何かが
解決したわけでもありません。
ただ、以前の私は、
「夫が元気にならなければ、私も幸せにはなれない」
と思っていました。
でも今は違います。
夫を夫のまま見ながら、
私は私の人生を生きていい。
それは、夫を見放すことではありません。
どうでもいいと思うことでもありません。
夫の変化に預けていた私の人生を、
自分の手に戻すことだったのです。
自分の本心は、ときどき、自分がいちばん認めたくない姿をしています。
きれいではないかもしれない。
優しくないように見えるかもしれない。
それでも、その声を責めずに観てみると、
自分が本当は何を求めていたのか
が見えてくることがあります。
もし今、誰かに
「変わってほしい」
と願っていることがあるなら、
その願いの続きを観てみてください。
その人が変わったら、
私はどうなれるとおもっているのだろう。
安心できる。
自由になれる。
ようやく、
自分の人生を生きられる。
そこに出てきた答えは、
相手への愛情を否定するものではありません。
むしろそこには、
誰かに渡していた自分の人生を、
自分へ返していく入口
があるのかもしれません。
未知(みち)

