「画竜点睛」を猿に託したら? 知財の視点で考える、創作の「おいしいところ」と著作権のゆくえ
ここで、著作権とは「人間が大部分を描いたもの」かつ「創造性の高いもの」を言い、気ままな猫ちゃんの偶然ついた足跡アートやおさるのジョージが単独で描いた絵には著作権はつかない、ということになる話を書きました(それらを人間が写真に撮ったり、新たな著作物の材料にしたら、写真や新たな著作物に関して著作権が発生します)。
そこで私、ふと「画竜点睛」の故事を思い出してしまったことわけです。
例えば「目を入れるまではどこにでもある龍の絵(どこにでもあるものではないが)」が、「目を入れることで稀代の名作」になったとしましょう。
そして、その「目」を描いたのがおさるのジョージだったとしたら?
以下はちょっとした思考実験になります。
著作権における「創造性」とは、ざっくり言うと「その人にしか出せない個性の表れ」のことらしいです。
だとすると、この絵で最も創造的な部分は「目」ということになります。
しかし、その目を描いたのは動物。
法律上、動物は「思想や感情を持つ主体」と認められていないため、著作権は発生しません。
つまり、「体」を描いた人間はいるけれど、最も重要な部分を作ったのはおさる(ジョージ)。
この絵の著作権は、いったいどこへ行くのか。
「サル自撮り訴訟」が教えてくれること
実はこれ、現実に近い事件がアメリカで起きています。
「ナルト事件」です。
「ナルト」というサルが、写真家のカメラを奪って自撮りをしました。いい写真がとれたんでしょうね。写真家は「俺のカメラを使ったんだから、著作権は俺のものだ」と主張しました。でも裁判所の判断は「NO」でした、というやつ。
理由はシンプルで、「シャッターを切ったのはサルであり、その決定的な瞬間に人間は関与していない」というものです。
結果として、この写真は「誰のものでもない=誰でも自由に使える」ものになりました。
機材を用意しても、創造の核心にいなければ権利は生まれない。
これが法律の考え方らしいです。
「キャンバスを用意した俺」は報われないのか
龍の絵の場合、きっと体を描いた黄色の帽子のおじさんは思うのでしょう。
「いや、でも体を描いたのは人間(俺)じゃないか!」と。
その気持ち、めちゃくちゃわかります。
確かに人間の著作物には基本的に著作権が生まれます。
眼を入れるまでは黄色い帽子のオジサンが描いた著作権のついた絵だったはず。
しかし創造性の最後の一点が「目こそすべて」という場合、全体としての著作物はパブリックドメイン扱いになる可能性がある。
価値を落とし、目を抜いた状態なら保護対象になるという、なかなかシュールな結論が発生する気がします。
どうなんでしょう。そのあたりは弁護士さんや弁理士さんがきっと詳しい、ハズ。
という、ただの思考実験をしてみました。
実際には著作権はつくけど、価値はない扱いされて落ち着く気がしますけどね。
芸術は「何を創造的な表現の主体とするか」という点で評価がだいぶ変わってくるのがやっかいな感じですよね。
※本記事は知的財産検定3級の学習記録をもとに、著作権法の条文と各社の調査報告書を参照してまとめたものです。
法的な判断・アドバイスを提供するものではありません。
いいなと思ったら応援しよう!
温かいサポートをいただき、本当にありがとうございます! いただいたお気持ちは、これからの執筆活動や新しい創作の糧として大切に活用させていただきます。