大学院時代は人生で一番幸せな時
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https://note.com/kurinobut/n/nc1175634e2b1
そんなこんなで,大学院博士後期課程に首席で進学した私。
大学院は,一般的に
博士前期課程(もしくは修士課程)と
博士後期課程というのがあって,
博士前期課程を修了すると修士の学位が,
博士後期課程を修了すると博士の学位がもらえる。
(ちなみに学部を卒業すると学士の学位がもらえる)
で,私の場合,学部も修士も博士も違う大学に行ったんだけど,
博士後期課程で行った大学院は八王子というところにあって,
「東京」というところに,こんな雄大な土地があるのかと。
平成狸合戦ぽんぽこの舞台のモデルになった場所?
らしいんだけど,キャンパスが広い!
駅から遊歩道を通って三井アウトレットパークを抜ける。
このあたり,夜はまるでディズニーランドみたいだ。
(ディズニーランド,あんまり行ったことはないけど。)
大学まで行く。
とここまで書くと,どこの大学かわかる人にはわかってしまうね。
まあいいか,別に隠してないし。
田舎出身の私には,この土地が本当に魅力的で,
学部時代,本当に毎日死んでしまうんじゃないか,
もしくは誰かを殺してしまうんじゃないかと思いながら,
ぎゅうぎゅう詰めの中央線に乗っていて,
あの中央線のトラウマがあって,私は1限に行けなくなった。
なんとか1限に行けないかと思い,
ある人から「寝坊したくなかったら寝なければいい。」という金言をいただき,
朝までライブハウスでバイオリンを弾いて,
へろへろになりながら始発で大学に行ったら,
門が閉まってたよね。
仕方ないから近くのカフェで過ごしてたら,寝過ごして1限は終わってた。
私は大学の1限には行けない人間なんだと絶望したのを覚えている。
でも,この大学院は,24時間,建物に入れる。
私の研究室は,「院生室」というのがあって,
基本的に24時間出入りできる。
学生の生態を考えたら,ましてや院生なんて,
こういう環境じゃないと,何もできないんじゃないかと思う。
この院生室に,自分のデスクがもらえたとき,めちゃくちゃ嬉しかった。
自分のデスクがあって,自分専用のPCが置いてある。
意外と学生にとって,大学に「自分専用」の居場所があるって,
大事なんじゃないだろうか。
院生室のメンバーは,私の師匠のY先生の,
博士の院生,修士の院生,学部3年以上のゼミ生。
大体7,8人くらいだったかな。
院生室のボスであるTさんが,みんなからのいじられるキャラで,
Tさんがいたから,みんな仲良くやっていた。
他の心理の院生もTさんをいじりにきていて仲が良くて,
よく院生室で飲み会をやっていた。
話題は当然研究の話で,こんなに楽しい飲み会はない。
研究というのは総合格闘技みたいなものだ。
(と言いつつ,私は総合格闘技を全然知らないんだけど)
①研究のアイディアを思いつく力
②論文を読み解く力
③研究を実現可能な形で計画する力
④研究を実行する力
⑤結果をまとめる力・分析する力
⑥まとめた結果を発表する力
⑦論文化する力
⑧査読コメントに耐えて,修正する力
他にもたぶんいろんな力が必要なんだけど,
研究室によっては,①と③は指導教官がやって,
院生は指導教官の研究のお手伝いをして,論文化する
というやり方を取っているところも少なくない。
特に③が固まっていれば,その研究は大概論文化できるので,
院生にとってもありがたいけど,
反面,研究の種を育てる力が育成されないデメリットもある。
私の師匠のY先生は,基本的に院生には0から研究をスタートさせる人だった。
どうしても難しい学生にだけ,
「いやー,いつも泣きながら〇〇をやっててさ,大変なんだよー。
ちょっと研究の方,手伝ってくれない?」
とか言いながら,手を差し伸べる。
おまけに,学部生それぞれに院生をつけて担当させていた。
一見,放置して,学部生の面倒も見させているようにみえるが,
指導はきちんとしてくれて,院生には教え方にも指導が入る。
いま思えば博士課程の院生が,外に出ても耐えられるよう,
指導の仕方も指導してくれていたわけだ。
そんな感じだから,私は基本的には研究に関しては自分の好き勝手やらせてもらえてて,
必要最低限のことしか言われなかった。
師匠の研究者の特性としては,話を作るのが本当にうまい。
研究の種を説得力のある形で表現して,研究費の申請書を書いたり,
一見大したことがないような,普通なら捨ててしまうような結果でも,
きちんとストーリーを作って形にしたり。
師匠すごい!と思わされる場面がいくつもあった。
いま思えば,師匠にもっとくっついて学べばよかった。
厳しいことは言わないし,いつもサポーティブなんだけど,
常に笑いながらクリティカルなことを言ってくる人で,
なんだろう,常に笑いながらぐさぐさ刺してくるような感じで,
ある意味怖かった。
自虐が多くておもしろい先生だ。
「僕はカラオケとか苦手だからさー,誘われてもいかないんだけど,
そしたら,『カラオケ嫌いなんて人生半分損してるぞ』とか言われてさ,
それで,お酒も飲めないでしょ?そしたらまた別の人に,
『お酒飲めないなんて,人生の半分損してるぞ』って言われてさ。
だから僕は,もう人生楽しめることなんてないんだよー。」
みたいな。
こういうやわらかい感じはずっと変わらない。
うちの子どもが2歳くらいになったときに,
子どもを連れてご挨拶にいくメールをしたら,
「それはとても嬉しい.
お子さんは,もうバク転ができるくらいに成長していると思います.楽しみにしています.」
と返ってきて,師匠は本当に変わらないなと思った。
そんな師匠が,私が博士になったとき,かけてくれた言葉がずっと心に残っている。
「これで君と僕は,同じ土俵に立つライバルだからね。
頑張ろうね。」
「滅相もないです。」というのは,師匠の期待を裏切るような気もして,
ただ「ありがとうございます。」と言った記憶がある。
そういえば,結婚式の挨拶をお願いした時も,
みんなの前で「論文書こうね」とプレッシャーをかけられたっけ。
研究者にとって,論文を書くというのは絶対の使命だけど,
いつもいつも背中を押してくれる,
ありがたい存在だ。
私にとって,修士課程も含めた大学院の5年間は,
人生の中で一番幸せな時期だった。
こんな話をしたら,妻に「いまは幸せじゃないのか。」と言われるけど。
もちろん結婚したり,子育てをしたり,
いまも十分すぎるほど幸せではあるのだけど。
シンプルに研究のことだけを考えられて,
周りも研究のことだけを考えている人だらけで,
あのシンプルで充実していた日々は,私にとって一番幸せな時期だった。
