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プロの小説家になりたい人へ なぜ、作家になれないのだろう? そもそもを考える

本を読むのが大好き。なのに、小説家になれない。なぜ?


春とはいえ、生まれたてで、冬が名残惜しそうに、頬を冷たくさせる初春の頃、私に相談してきたお客さんがいました。

「この前、小説の賞に応募したでしょ? また最終選考すら残らなかったよ……何度も落ちてたら、モチベが……わたし、才能ないのかなぁ?」

彼女は幼い頃から小説家さんになる夢がありました。

「またかぁ~ 困ったね。どんまいだね」

私は彼女の頑張りを見続けてきました。

「プロの小説家になりたい。食べていきたい」


そう思っている人は、たくさんいると思います。

本を読むのが好き。小説が好き。
小さな頃から文章を書いている人。
いつか自分も、物語を書いてみたいと思っている人。

だから、本をたくさん読む。
小説の書き方を調べる。
文章の書き方を勉強する。
プロット(構成図)の作り方を覚える。
キャラクターの作り方を勉強するーー

それでも、なかなか小説が書けない。

書けても、思っていたものと、何かが違う。

最後まで書き上げても、面白くない。

賞に応募してもなかなか結果が出ない。落選ばかり。

……なぜ?

そもそも、

小説を書くって、どういうことなんでしょう?


本を読むのが好きなら、小説を書ける?


彼女の話があたまに残っていた頃、お宿に物書きさんの世界で暮らしている、その道に詳しいDさんがやってきました。

「ねえ、Dさん。人に共感や感動をあたえる物語って、そもそも、何なのでしょう?」

「なるほど。わたしの方法でよければ、どうぞ」

Dさんが穏やかな口調で、続けました。

まずは、ここから考えてみる。

本を読むのが大好き。

それなら、小説を書くことも得意になりそうな気がします。

でも、

「読むのが好き」と「書ける」は、本当に同じことでしょうか?

読者として物語を楽しむことと、作者として物語を作ること、同じなのでしょうか?

たくさん読めば、自然に書けるようになるのでしょうか?

それとも、読書量とは別の何かが必要なのでしょうかーー



「小説を書く」とは、文章を書くこと?


小説を書くーー

こう聞けば、文章を書くことだと思ってしまう。

では、文章が上手ければ小説が書けるのでしょうか。

文法を知っていればいい?

文章構成を知っていればいい?

美しい文章を書ければいい?

情景描写が入っていればいい?

心情描写は?

比喩や暗喩は?

そもそも、

「文章が上手い」と「小説が面白い」は同じなのでしょうか。


文法を勉強すれば、小説家になれるの?


小説を書くために、文章のルールやマナーを学ぶ。

必要なことです。

でも、文法を知っている人が、みんな小説を書けるわけではありません。あくまで、文法を研究することと、小説を書く能力は別ですからね。

なかには、主語、述語、助動詞など、文法用語をすべて説明できなくても、読んでいて心に残る文章を書く人もいる。

では、知識と実際に書く力は、どこまで同じなのでしょうか?

「知っている」と「使える」は、同じなのでしょうかーー


プロットを作れば、小説を書けるの?


プロット(構成図)を作る。

フィクションかノンフィクションなのか決める。

ジャンルを定める。

時代や世界を練る。

登場人物を考える。

「起承転結」や「序破急」など、物語りの展開を大筋で決める。

もちろん、それで書きやすくなる人もいるでしょう。

でも、

プロットを作れる=小説を書ける、ではありません。

細かいプロットを作らなくても書ける人は書けます。世界中に名が知れる著名な作家もいます。

「よかった~! 専門用語がいっぱいでてきて、あたまが!?!? 状態でしたよ。見切り発車? のような著名な作家さんもおられるのですね~」

「見切り発車! 面白い表現ですね。わたしは、見切り発車タイプなのですよ」

Dさんは、ほほほっと笑いました。

自分に合う書き方とは、そもそも? ですね。



自分は「設計型」なのか「感覚型」なのか?


最初から、物語を全て設計して書く人。言いたいこと、伝えたいテーマが明確にある。

登場人物や場面、言葉の感覚から始まって、書きながら物語を展開していく人。登場人物たちと一緒に物語の世界を生きる。

どちらが正しいのでしょう。

そもそも、正解なんてあるのでしょうか。

自分がどちらのタイプなのかも知らずに、他人の書き方を真似していたり、書き方講座で言われるがまま、作業していませんか?


なぜ、書きたいジャンルばかり読むの?


ミステリーを書きたいからミステリーばかりを読む。

恋愛小説を書きたいから恋愛小説ばかりを読む。

ライトノベルを書きたいからライトノベルをーー

悪いことではありません。好きなのですからね。

でも、

自分が書きたいものだけを読んでいるだけで、プロの作家になれるのでしょうか?

違うジャンルを読むことで得られる気付きはないのでしょうか?

そもそも、小説を書く人にとって「読む」とは何なのでしょう。

恋愛を知らなくても、恋愛を書けるの?


小説には、登場人物が出てきます。

喜ぶ。怒る。哀しむ。楽しむ。

喜怒哀楽。

笑う。泣く。ほめる。嫉妬する。

誰かを好きになる。誰かを嫌いになる。

強がる。弱音をはく。嘘をつく。弱さを隠す。

建前を言う。本音を隠し違うことをする。

人間の感情を知らずに、人間を書くことはできるのでしょうか。

人の感情の機微を、どこまで見ていますか?

その人がなぜそんなことを言ったのか。

なぜ、そんな行動をしたのか。

なぜ、本当のことを言わなかったのか。

なぜ、好きなのに離れたのか。

なぜ、嫌いなのに気にしてしまうのか。

人の心を、自分の心を、真剣に、考えていますか? 受けとめていますか?

「つらいですよね」「頑張ろう」「寄り添います」「励みになります」「大丈夫だよ」「ありがとう」

普段のその言葉には、重みがありますか?

何か思惑はありませんか? 建て前ではないですか?

本音を隠して建前ばかりで世渡りしていると、いつの間にか人の心を汲むことが難しくなっていくこともあります。ときには自分の心すら。

物語に人物が登場する場合、日頃の態度が文章にも表れてしまいます。

プロの選考委員や作品を読む人には、そこが伝わってしまうことがあります。言葉に重みがない、軽い。説得力がない。だから感動しない。共感できない。


日々「なぜ?」を考えている?


「深いですね。深すぎますーー」

「文章が粗削りでも、テクニックが無くても、プロの小説家になれる人が書く文章には、言葉に重みがあり、説得力がありますから。人間性が現れますよ」

私の困り顔を見て、Dさんはさりげなく言いました。

小説を書く人にとって、「なぜ?」はどこまで重要なのでしょう。

なぜ、この人は怒ったのか。

なぜ、この人は笑ったのか。

なぜ、この人は嘘をついたのか。

なぜ、この人はその言葉を選んだのか。

なぜ、自分はこの場面に引っかかったのか。

なぜ、この作品は面白いのか。

なぜ、この文章は上手いと感じるのか。

なぜ、この人物が嫌いなのか。

なぜ、この人物が好きなのか。

考え始めたら、きりがありません。

人生も人間も考えるときりがないからこそ、考える意味、価値があるのです。だからこそ小説が書かれ続けているのでしょうね。


自分の心に置き換えている?


人を観察するーー

それだけで十分なのでしょうか?

誰かの悲しみを見た。

誰かの怒りを見た。

誰かの喜びを見た。

そこで終わってしまっていないでしょうか。

「自分だったらどう感じるだろう」

「自分の心の中では、何が起きるだろう」

そうやって、自分の中に置き換えてみたことはあるでしょうか。

人間を書くということは、人間について知識を集めることだけなのでしょうか。



「才能がないから書けない」の?


小説家になれない=「自分には才能がない」と思ってしまう。

才能って、そもそも何?

生まれ持ったセンスはあります。

後から身につくものも才能ではないのでしょうか。

文章力。構成力。論理性。観察力。

感受性。言葉の感覚。テンポ。リズム。

人間を見る力。感情を理解する力ーー

それらは全て、「才能」という一言で片づけていいのでしょうか。

習得できるものと、できないものは?


勉強すれば身につくものがあります。

文章構成。文法。物語の基本。技術。知識。

感覚はどうでしょう。言葉のリズム。文章のテンポ。

人間の感情を感じ取る力。物事の奥にあるものを見る力。

それらも、同じように勉強すれば身につくのでしょうか。

それとも、

身につきやすいものと、身につきにくいものがあるのでしょうか?

「上手い文章」と「面白い小説」は違う?


たとえば、

ものすごく美しい文章を書く人がいる。

情景描写も美しい。

比喩も美しい。

言葉もきれい。

でも、なぜか読んでいて面白くない。

逆に、

文章そのものは派手ではない。

でも、なぜか続きが読みたくなる。

なぜでしょう?

「上手い」とは何でしょう。

「面白い」とは何でしょう。

小説に必要なのは何なのでしょう。


文章に「重み」があるって、どゆこと?


同じ言葉でも、なぜか重く感じる文章があります。

逆に、言葉はたくさん並んでいるのに、何も残らない文章もあります。

この違いは何でしょう。

知識でしょうか。

経験でしょうか。

人間理解でしょうか。

文章技術でしょうか。

それとも、その全部なのでしょうか。

独り善がりになっていない?


「自分が書きたいものを書く」

大切ですね。

自分が書きたいだけになっていないでしょうか?

自分だけ、或いは仲間内だけが分かる比喩。

自分だけが面白い展開。自分だけが感動する人物。

自分の中では成立しているけれど、読者には伝わらないーー

それでも「読者が分からないだけ」と言ってしまっていないでしょうか。わかる人だけわかればいいーー

小説は、自分だけのものなのでしょうか。

それとも、読者に渡すものなのでしょうか。

「小説家になりたい」と「小説を書きたい」は同じ?


かなり大きな問題かもしれません。

小説を書くことが好きなのか。

小説家という職業になりたいのか。

賞を取りたいのか。

お金を稼ぎたいのか。

有名になりたいのか。

誰かに認められたいのか。

自分の中にあるものを表現したいのか。

もちろん、どれも人間として自然な欲です。

でも、

小説を書く理由と、小説家になりたい理由は、本当に同じなのでしょうか。

賞を取れない=小説を書く力がない?


賞を取れなかった。

では、才能がないのでしょうか。

賞を取った。

では、その人はすべての面で優れているのでしょうか。

選考する人がいる。

出版社がある。

編集者がいる。

選ぶ側の好みもある。人間ですからね。

賞の傾向と作品との相性もある。

時代もある。

求められるジャンルもある。

人との縁や環境もある。

つまり、

「小説を書く力」と「プロになること」は、本当に同じ問題なのでしょうか。


プロの小説家なら、みんな同じ?


プロになった人にも、いろいろなタイプがいます。

設計して書く人。感覚で書く人。

文章が上手い人。構成が巧みな人。

キャラクターが良い人。人間描写が繊細な人。

商業的に強い人。メッセージ性が強い人。

「小説家」という一つの職業だけでも、様々な側面があるのです。

技術を知れば、小説家になれる?


ネットを見れば、小説の書き方はいくらでも出てきます。無料、有料問わずに。

プロット。キャラクター。世界観。

視点。文章。描写。構成。導線。伏線。設定ーー

それぞれを学ぶことはできます。

もし「小説家になるための技術」を知るだけで小説家になれるのなら、

なぜ、これほどたくさんの人が小説家になれないのでしょうか?

技術を知っていることと、小説を書く力は、本当に同じなのでしょうか。

そもそも「小説を書く」とは何なのか?


ここまで考えてくると、

最初の問いに戻ってきます。

小説を書くとは何でしょう。

文章を書くこと?

物語を作ること?

人間を描くこと?

自分の世界を表現すること?

読者を楽しませること?

誰かの心を動かすこと?

それとも、その全部なのでしょうか。

小説を書く力とは、一体何なのでしょうか?

「小説家になる」そもそもどゆこと?

「本をたくさん読めばいい」

「文章を勉強すればいい」

「プロットを作ればいい」

「キャラクターを作ればいい」

「毎日書けばいい」

そういう方法論は、もちろん役に立つでしょう。

でも、それだけでは説明できないこともある。

だから、一度立ち止まってみたい。

小説家になれないのは、何が足りないからなのか。

知識? 技術? 経験? 感性?

人間を見る力? 読む力? 書く力? 論理性?

言葉のセンス?

もしかすると、自分自身について知らないからーー

あるいは、

「小説家になれない」という問題そのものを、間違って捉えているのでしょうかーー

「考えること、たくさんありますね……」

「そうですね。何せ小説とは、ひとつの宇宙ですからね」

「確かに…… 世界があり人がいる。宇宙です」

この先では、これらの「なぜ?」を一つずつ整理して深掘りしていきます。

小説を書くために、プロになるために、本当に必要なものは何なのか。

自分には何が足りないのかーー

そこまで考えてみたいと思います。

続きはこちらです。


小さなお宿の管理人
くるかな🍵

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