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衝撃は打った場所だけには留まらない|臨床メモ⑥


転んだとき、
身体に残るのは痛みだけではない。

衝撃は、
打った場所だけで終わらず、
身体の中を抜けていく。

問題は、
その通り道が見落とされやすいことだ。



転ぶ。
ぶつける。
打つ。

衝撃は、その場で終わらない。

痛いのは、打った場所だ。
打撲する。腫れる。
ひどければ骨折もする。

だから普通は、
その場所を冷やし、湿布を貼り、安静にする。

もちろん、それは必要だ。

でも、よくよく身体を見ていると、
問題はそこだけで終わっていないことがある。



衝撃には、入口がある。
通り道がある。
そして、衝撃が抜ける場所がある。


にもかかわらず、
見られるのはだいたい入口だけだ。

どこから入りどこを通って、
どこへ抜けたのか。
そのライン上で何が起きたのか。


そこは意外なほど放置される。



身体は、
どこかが凹めば、
どこかで凸をつくって帳尻を合わせる。

その場ではうまくやり過ごしても、
時間が経つにつれて、
そのライン上に
緊張、弛緩、偏ったテンションが残る。

これが、
目に見えない後遺症の始まりになることがある。



いわゆるむち打ちも、
構造としては近い。

首だけの問題ではない。

衝撃が入って、
抜けて、
その途中で何が起きたのか。

そこまで含めて見ないと、
整理はつかない。

入口だけを見る。
出口だけを見る。
痛い場所だけを見る。

そうやって片側だけを追いかけると、
かえって症状を慢性化させることがある。



昔のケガでも同じだ。

もう治ったと思っている。
痛みもない。

でも、
きちんとケアして整理されないまま残った衝撃のラインは、
ずっと陰で悪さをすることがある。

未完了のものは、
その過去へと引き戻す。

アンカーのように。

それは、
物理世界でも
精神世界でも
同じだ。

今ある不調と、
昔の転倒や打撲が、
まったく無関係とは言い切れない。



臨床では、
「今ここが痛い」で終わらせない。

どこが入口だったのか。
どこを通ったのか。
どこへ抜けたのか。
その結果、どこが代わりに頑張っているのか。

そこまで見ていく。

身体は、局所で完結していない。
衝撃もまた、局所だけには留まらない。

だから本当に整えるなら、
入口と出口と通り路を
ひとつの流れとして捉えること。

それが、
後から残る違和感や慢性化を防ぐうえでも
大切だと思っている。



深く整理したい人は、施術。
自分でほどいていきたい人は、ワーク。


どちらにしても、
身体の中に残った「通り道」を
なかったことにしないこと。

そこからしか、
本当の意味での整理は始まらない。


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