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「それっぽい指導」が消えていくAI時代に残るのは、届く人



断言しておきたい。

ピラティス、ヨガ、パーソナルトレーニング。
そして整体も含めて、
この業界の再編は、もう静かに始まっている。


大都市から、
でも確実に。


これはAIの話だけでも、
景気の話だけでもない。

もっと構造的な話だ。


「それっぽいもの」とは何か


資格を取った。
養成講座を修了した。
SNSでも発信している。

形は整っている。
でも、どこか薄い。

どこかで見たことがある言葉。
どこかで聞いたことがある説明。
どこかで体験したことがあるセッション。

既視感がある。
新しさではなく、
“再生産された安心感”だけがある。

それが、
ここで言う「それっぽいもの」だ。

悪意はない。
むしろ真面目に学んだ結果でもある。

でも、
平均の最適化としてつくられたサービスは、
AIや標準化に置き換えられやすい領域と
重なっていく。


AIは、
過去の膨大なデータから
最も無難で、
最もそれらしい答えを、
高速で出力する。

だからこそ、
「それっぽい指導」
「それっぽい説明」
「それっぽい修正」

は、今後ますます差がつきにくくなる。


業界は善意で量産体制を進めてきた


この問題は、
個人の努力不足というより、
構造の問題でもある。

養成講座は、
比較的短期間で一定数のインストラクターを育てる仕組みになっている。

資格は、
「取ったか、取っていないか」で区切られる。

カリキュラムは標準化され、
誰が教えても一定ラインまでは再現できるように設計される。

これは教育の効率化としては正しい。
必要なことでもあった。

でも同時に、
「誰がやっても似たようなもの」
を大量に生みやすい仕組みでもあった。

一定品質を担保することと、
唯一無二の価値を育てることは、
同じではない。

ここを混同すると、
業界は静かに薄くなる。


25年前から、身体は同じことを示していた


僕がボディワークの現場に立ち始めた頃、
呼吸を中心に据えたアプローチは主流ではなかった。

ピラティスはコアトレーニングとして語られ、
呼吸は補助的に扱われていることが多かった。

体幹という言葉やファシアの話をしても、
当時はほとんど伝わらなかった。

でも、
身体はずっと同じことを示し続けていた。

呼吸が変わらないまま、
動きだけ修正しても深くは届かない。

ファシアの緊張が残ったまま、
筋力だけを積み上げても、
機能しないどころか
パフォーマンスが落ちることもある。

身体感覚が育っていないまま、
ポーズやフォームだけを覚えても、
本質には届きにくい。

量産型の指導が見落としてきたのは、
この「順番」だと思っている。

技術の前に、感知する能力がある。
動きの前に、呼吸がある。
トレーニングの前に、身体との対話がある。


淘汰されないための条件は、たぶん一つしかない


差別化しよう。
個性を出そう。
専門性を高めよう。

そういう言葉はよく聞く。

でも、本質はもっとシンプルだと思う。

クライアントの身体に、届いているかどうか。


ここに尽きる。

届いているかどうかは、
言葉で決まらない。
理屈でも決まらない。

クライアントの身体が判断する。

「なんか違う」
「また来たい」
「あの人じゃないとだめだ」

この感覚は、
マニュアルからは生まれにくい。
短期養成だけでも育ちにくい。
AIにもまだ作れない。

臨床の現場で、
ひとりひとりの身体と向き合い続けた時間。
その蓄積だけが、
この“届く感じ”を育んでいく。


これから問われること


大都市の中心部から先に変わると思う。

家賃も人件費も高い場所では、
「それっぽいもの」では
収支がどんどん合わなくなっていく。

残るのは、好立地やプライスよりも
「あの人じゃないとだめだ」
と言われる人だ。

遠くてもわざわざ探して来られる人。
比較ではなく、指名で選ばれる人。

地方への波及には時間がかかる。
でも時間差があるだけで構造は同じだ。


ここで問うべきことは、たぶん一つだけだ。

今、自分が提供しているものは、
AIや標準化では届かない場所にあるか。

この問いから逃げている限り、
再編の波の上にも乗れないし、その波の外には立てない。


「届く」とはどういうことか。


その問いを、
これからも現場で確かめ続けたいと思っている。


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