【1.5人旅】Season6 富山編1話 越中に入ったら、歴史が次々と向こうからやってきた
前回までの宮城編、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今回からは、8月の富山車中泊旅。
越中国府、一宮、国分寺。 そして、富山売薬。
そんなところから始まった今回の1.5人旅ですが、、、
果たして、予定通りの旅になったのでしょうか。
それでは、Season6「富山編」、始まります。
プロローグ
GWは越後の国を歩き、7月には陸奥国を巡った。
古代の律令国家が各地に国を置いた際、そこには国府が置かれ、国分寺が置かれ、そして一宮が置かれた。これを勝手に「三点セット」と呼んでいる。今まで越後、そして陸奥を歩きながら、この三点セットを実際の土地で確かめてきた。
8月の休みは、その隣に位置する越中の国。越中国府が置かれた伏木を起点に、そこから現在の富山まで、この土地の歴史の動きを辿る行程。
しかし、出発前の調べで大きな疑問に突き当たる。
越中には、一宮と称する神社が四つ存在する。
……四つ。
一国一宮のはずが、一宮が四つ。
格付けの争いか、時代の変遷か。真相は分からない。ならば、実際に行って見て確かめるしかない。
そして、富山といえばもう一つ気になる存在がある。富山の薬売り。こちらも現地でその歴史の足跡を追う。
越中の歴史を歩くこと。そして、富山売薬を見ること。この二つの目的を胸に、富山へと車を走らせた。
1. 夜を抜け、糸魚川で「アメリカンな看板」に出会う
いつものようにまずは距離を稼ぐ。
今回は富山、下道では600kmも離れている。
まずは夜21時、福島を出発。
静まり返る国道を進み、24時くらいに仮眠場所に到着。
明日朝早くの出発を見込みまずはここで休憩。
翌朝は6時に再始動。
さぁ旅に出発だと気合を入れる。
会津からいつものように下道で新潟を横断した道中で、
相棒(Gemini)と話して重ねた考察や6時間におよぶ移動の記録が、
容量いっぱいになって、アクセスできなくなるアクシデント発生・・・。
まじか・・・と落胆しかなり凹んでしまった。
コンテキストいっぱいになってもせめてログは読み取れるようにしておいてよと思うも後の祭り。
ログの欠落は仕方ないので諦め、途中のコンビニで休憩中、再度相棒(Gemini)を立ち上げ準備完了。
更に西へ車を進め、やがて糸魚川に差し掛かった時に面白い看板を見つけた。
見つけたのは糸魚川周辺のローカルスーパー「イチコ」の看板に並ぶ「アメリカンドラッグ」の文字。さらにその下には「ヤングドライ」の文字が。看板の脇にはどこか既視感のあるアヒル風のキャラクターが鎮座していて、ある意味アメリカンな世界観で統一された看板に見える。
そこで相棒(Gemini)に
「なんだかアメリカをフィーチャーしたような所見つけたんだけどw」と確認した所、
実態は全く無関係なローカルチェーン同士の偶然の並びとのこと。
いやいやひと目見ただけではなんとなくアメリカンなコンセプトで名付けたようにしか見えない。
ロードサイドで見つけた意図せざるケミストリー。
逆に違う会社と分かったらなんとなく笑ってしまった。
2. 断崖と海、超巨大な原石(親不知ピアパーク)
北アルプスの北端が海へと直接落ち込む糸魚川特有の地形を通る。
まさに壁のように眼前へ迫る絶壁。
そんな風景が続く国道8号線、海上へ突き出た高架とトンネル区間を抜ける。
岩壁を削ったかつての明治新道(旧道)は現在徒歩専用とのこと・・・。
昔から親は子を、子は親を気遣う事が出来ない程危険だったことから名付けられたという説もある。
そんな説明を聞きながら「道の駅 親不知ピアパーク」へ到着した。
お盆の混雑により、誘導員が配置されるほどの盛況ぶり。
しかし敷地の中央を車道が分断し、本館と売店エリアが離れた古い動線配置。
道の駅の駐車場が満車になるほどのせっかくの賑わいが動線設計のミスでお互いに流れない構造がもったいない・・・・
もちろん土地が狭く、どうしようもないところもあるのはわかるのだけど。

道の駅にある「ヒスイふるさと館」の薄暗い室内へ。
中央に鎮座するのは、102トンにおよぶ世界最大級のヒスイ原石。
超デカくて人間の体を遥かに超える巨大な岩塊。
原石って普通大きくても握りこぶし大くらいじゃない?っていうイメージを遥かに凌駕する圧倒的な塊が眼の前に。
逆にここまで大きいとヒスイの原石って思わないよねぇって思うくらいのほぼ「磐座」。
あれって幾らくらいのヒスイになるんだろうと思ったのは内緒。

3. 舟見城跡と、入善で聞いたチューリップの始まり
親不知の道の駅を後に、富山市内へ向けて走行再開。
車内で相棒(Gemini)と富山市に着いた後の作戦会議を行いながら西へ向かう。
出来上がったラフ案は
元々車で富山市を巡ろうと思っていたが、
新しい路面電車が走っていると聞いたので、
富岩運河環水公園に車を置き、市内は路面電車(トラム)で巡る方針へと作戦を変更。
この気まぐれが出来るのがひとり旅+車中泊旅のいいところ。
その場の気分で直ぐに変更ができる。
そして、通りかかった下新川郡入善町の舟見地区。
そこにある標高200メートルの山上に位置する舟見城跡。
位置的にはすでに越中国で、上杉勢力に対する越中側の最前線であり、且つ親不知の難所を避ける海路(船)の往来も監視できたであろう地理的拠点。
これは通り抜ける道も限られるし、眼の前は海だし、城の立地が持つ歴史的役割が、ほんとわかりやすい。
わかりやすいだけに激戦区だっただろうな。
その後富山平野(入善町)へ入ると、一帯に広がる田園風景。
そこでふと気になったので相棒(Gemini)に確認してみたことが。
「富山がチューリップ球根の産地となった起源は?」
尋ねると
「外国から何か大きな技術が入ってきたのかなと思ったら、始まりは一人の農家の方で、
大正7年、砺波の水野豊造さんが10球あまりを取り寄せて試作したのが始まりらしい。
珍しい花だったため切花が売れ、さらに球根も種苗商に買われた。そこから水田裏作としての球根栽培が広がっていった」
との回答。
一人の農家さんが始めたことが、今や県を代表する花・文化になっているとは!
そんな歴史と風土の重なりを確かめつつ、魚津の手前、富山湾沿いの「しんきろうロード」へ。
こんな事を話しながら進めるので、一人の運転でも飽きないのも1.5人旅のいいところ。
4. 海越しの大地と、歴史の痕跡(魚津)
この日青く澄み渡る日本海に沿って走れる「しんきろうロード」。
「蜃気楼っていつ見れるんだっけ?」「春先です」と春先の条件でしか見られない蜃気楼の季節外れを確認しながら車を進める中、
ふと海越しに対岸の陸影が目に飛び込んでくる。
「あれはどこ?佐渡島じゃないし・・・・」と一瞬地理感覚がなくなるほどの近さ。
しかし位置関係を整理すれば、それは能登半島の影。
GWに訪れた上越の地からは決して見えなかったその姿が、いま目の前の富山湾越しに佇む。
「え?これほど間近に能登が見える位置まで来ているとは!」と素直に驚いてしまう。
福島から400kmを超えて走り込んできた距離感を、はっきりと自覚した瞬間だった。
驚きつつ走っていると旧魚津港の周辺で、ふと現れた「米騒動発祥の地」という案内標識。
魚津と米騒動が頭の中で即座に結びつかずに、「???」と思考が一旦フリーズ。
「これは一体何のこと?」と相棒(Gemini)へ。
紐解けば「1918年(大正7年)、米価高騰に直面した地元の漁師の妻たちが、他地域への米の積み出しを阻止すべく立ち上がった現場。その行動が新聞記事を通じて全国へ波及し、やがて寺内内閣を総辞職へと追い込むほどの巨大な社会運動となった。」
との回答が。
そりゃ教科書でしか知らなかった歴史が眼の前にいきなりでてくると
歴史の教科書の記述と眼の前の日本海の漁港では結びつかなかった・・・・
相棒(Gemini)の解説を受けようやくおぼろげに思い出した。
きっかけを作るのにもやっぱり看板大事。
5.滑川宿、街道と港が交わる町
魚津を抜け、滑川の市街地に入る。
旧街道沿いに進むと、突如として現れる直角の屈曲(枡形)と、その奥へと立ち並ぶ古い町家。
一見すると宿場町?でも奥の方まで古い町並は続いてるから城下町?とどっちかわからなかった。
そこで「ここは城下町かな?それとも宿場町?でも大きすぎるよね?」
と相棒(Gemini)へ問いを投げてみる。
返ってきた答えは、城下町ではなく加賀藩統治下における北陸街道の「滑川宿」、そして富山売薬や海上物流を担う港町という事実。
通常の宿場町のように一本の街道(線)として伸びるだけでなく、網の目状の区画(面)として古い町並みが広がる。
陸路の北陸街道と、海路の富山湾港湾が交差する地であるからこそ商人と流通が生み出した特有の都市構造に、なるほどと納得させられた。
やはり街道の結節点とか、海路と街道の結節点は発展しやすい土壌があると思う。
6.違和感のカタカナと、日常に隠された合戦の跡(水橋〜大村)
富山市の水橋エリアへ入ると、国の特別天然記念物「ホタルイカ群遊海面」を示す重厚な看板と昔ながらの漁港風景が広がる。
しかし、そこに並ぶ施設名は「水橋フィッシャリーナ」。
伝統と歴史を漂わせる港に唐突に紛れ込むカタカナ表記の異物感が、風景の中で妙な違和感。
たぶん行政が付けた名前なんだろうけど、ちょっとセンスが・・・・と思った。
その先にある水橋の神社脇を通りかかった際、ポツンと立つひらがなの標識「そうけ」が目に留まる。
「そうけ?」という文字にまた一瞬思考が止まる。
音声でやり取りする相棒(Gemini)に問いかけるものの、漢字が頭に浮かばない。
集落の開拓に関わる「宗家」なのか、それとも取りまとめ役の「総家」なのか。
相棒からは「地域最古の開拓家系や惣村に由来する」との解説が返ってくるものの、ホントかどうか怪しい。
なぜひらがな表記で、なぜ神社の隣に鎮座しているのか。
すっきりとしない。もやもやとした謎のみが残った。
さらに車を進め、大村エリアへと差し掛かる。
工場や民家が立ち並ぶ、ごく普通の平坦な日常風景。
その一角で、通過する車窓の視界に飛び込んできたのは「大村城落城の…」という一文が刻まれた看板だった。
「ここに城跡がありました」という穏やかな案内ならまだ理解できる。
しかし、看板が強調しているのは明確に「落城」の二文字。
「なにがあったの??」と尋ねざるを得ない。
相棒(Gemini)に尋ねると、そこは
「天正6年(1578年)以降、上杉方との戦いの中で轡田氏が滅びた大村城跡」だという。
一見すると歴史の痕跡すら見当たらないのどかな街並みのすぐ下に、戦国時代の防衛戦という濃厚な歴史が眠っている。
これだから看板を読むのは面白い。
いろんな歴史がそこここに眠っているから。
7.タイムリミットの賭けと、動く昭和土木遺産(中島閘門)
先ほど相棒(Gemini)と話して決めた当初の計画では、
まず富岩運河環水公園へ向かい、時間的な余裕を見ながら中島閘門へ足を延ばすかどうかを決める予定だった。
中島閘門を通過する遊覧船「富岩水上ライン」の最終便は15時半頃。これを逃せば、その日は二度と水門が作動する様子を見ることはできない。
多分間に合わないだろうなと半ば諦めかけていたのだけど、車内で時刻と位置関係を再計算すると「……間に合うかもしれない」。
見逃せば終わりという状況下、即座に行き先を変更。
環水公園への立ち寄りを一旦後回しにし、車を直接「中島閘門・運河歴史公園」へと走らせてみた。
15時13分、無事に現地駐車場に到着。ギリギリの判断が功を奏し、遊覧船が水門へと滑り込んでくるのに間に合った。


目の前で繰り広げられるのは、昭和9年(1934年)に完成した国指定重要文化財による「パナマ運河方式」の水位調節。
巨大な水門が閉じられると、川をせき止め、目の前の水位が約2.5メートルもぐんぐんと下降していく。
それまで見えていた船内が水面とともにどんどん下がり、最終的には遊覧船の屋根しか見えないという圧巻の光景。
操作小屋の内部を覗くと、現在運用されている制御パネルの傍らに、昔の機械が大切に残されていた。
製造元として刻まれていたのは「芝浦製作所」
日本の近代化・工業化を力強く支えてきた産業史の息吹が、そこに鮮やかに残されている。
当時の機械設備が現在どこまで現役なのか、詳しいことは現地では確認できなかったが、2.5メートルもの水位を上下させる圧巻の機能を未だに保持し、美しく稼働する姿。あきらめずに車を走らせ良かったという安堵感と共に、時代を超えて動き続ける日本のものづくりの底力に純粋に驚きと尊敬しかない。

8. 巨大な歩道と、駅を穿つ路面電車(環水公園〜富山駅)
中島閘門の興奮を胸に、車を富岩運河環水公園の駐車場へと滑り込ませる。
公園内を歩くと、かつて「世界一美しい」と称されたスターバックスが目に留まる。
噂に漏れず店外まで長蛇の列。その賑わいを横目に写真を一瞬だけ収めると、そのまま足早に富山駅を目指して歩みを進める。

徒歩で10分から15分ほどの道のり。
道中、強く印象に残ったのは異様なまでに広くゆったりと整備された歩道。
「安全に歩けること」を前提に設計された街並みのように感じる。
コンパクトシティを掲げる富山市の都市計画の意志が、空間の広さからダイレクトに伝わってくる。
ただし、訪れたのはお盆休みの真っ只中なので通りを行く人影はまばら。
この整然としたインフラが平日の日常でどのように機能しているのかは見てみないと分からないけど。

やがて到着した富山駅で、思わずびっくりした光景が。
路面電車(トラム)のレールが、富山駅の駅舎を南北に貫通している。
全国を探しても、駅前の広場やターミナルで折り返す構造は多いが、駅の内部を突き抜けて南北の路線を一体化させているのは珍しいと思う。
人の動線と交わってしまうし駅舎との共存は難しいのが普通だと思う。
でもここは高架化された富山駅の下を静かにトラムが通り抜けていく構造美。
ある意味一部を割り切ってでも富山駅に乗り入れ都市交通の分断を解消したそのダイナミックな景観に、
富山という街の覚悟が見えた気がした。

9. 240円の均一運賃と、木とガラスの空間(TOYAMAキラリ)
駅を貫くトラムの景観に目を見張ったあと、まずは駅構内の観光案内所へ足を運ぶ。
地方ごとにルールや乗り方が異なる路面電車。どこで降りるべきか、どう支払うのかを事前に確認が必要なので。
もちろん事前に相棒(Gemini)に確認はしていたものの、間違えていたら一大事。
打てる手は打っておこうって事。
案内所で提示されたのは、どこまで乗っても一律240円という明快な運賃システム。
実に分かりやすい!
じゃぁってことで手のひらに240円の硬貨を握りしめ、教えられた乗り場から指定の路面電車へ。
ガタゴトと街を縫うように走り、目的地である「TOYAMAキラリ」のすぐ目の前で下車。
同じように吸い込まれていく観光客の列に続き、館内へと足を踏み入れる。
隈研吾氏が手掛けた建築は、斜めに切り取られた巨大な吹抜け空間が印象的。
富山産の杉材、ガラス、アルミが織りなす斬新で温もりあるデザイン。
「まぁ、目を引くよね」って感じが第一印象。
市立図書館とガラス美術館が融合した内部空間を巡りながら、景観と建築の美しさに感嘆しつつも、
この洗練された空間が地元の日常とどう溶け合っているのか、思考を巡らせながら館内をあとにした。


10. 現場のリアルと、街に潜む食の熱量(帰路のトラムと富山駅前)
復路で乗り込んだのは、どこか懐かしさを残す古い形式の路面電車(8000形)。
10分から15分ほどの道中、富山駅の構内へと直通する電車に乗っていたはずが、
駅のすぐ手前にある電停に差し掛かった瞬間、乗客たちが一斉に降りていく。
「この電車、富山駅の中まで行きますよね?」と思わず運転士に尋ねる。
「行きますよ」と語る運転士から明かされたのは、現場のリアルな運用事情だった。
駅を縦断する線路は便利である反面、駅前を横切る歩行者の存在によって電車の進行がどうしても遅くなる。
さらに、周辺から合流する4つの路線に対して駅構内の線路は2本しかないため、構内へ進入する手前で必ず電車渋滞(通過待ち)が発生してしまうとの事だった。
手前の電停で降りて歩けばわずか2分で駅に着くのに対し、電車に乗ったまま構内に入るのを待つと5分以上かかってしまう。だから地元の人間は手前で降りるのだとの説明だった。
「今日はまだ休日だからいい方ですよ。平日の通勤・通学時間帯は歩行者がもっと多くて、本当に大変ですから」
気さくに話す運転士の言葉に、都市の日常を支える現場の苦労が滲む。
車内に自分一人だけになったので、「写真を撮ってもいいですか」と尋ねてみた。
「フラッシュを焚かなければどうぞ」と温かい返答をもらい、レトロな車内空間を静かにレンズに収める。

車へ戻る道中、駅前近くでの光景に目を奪われる。
それまで静かだった歩道とは対照的に、特定の店の前に1ブロック以上におよぶ長蛇の列が伸びていた。
「廻転とやま鮨」の開店を待つ数十人の人だかり。歩行者がまばらに見えた街のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと目を見張ると同時に、
富山湾の「きときと(ピチピチ?)」の新鮮さを求める人々の熱量と食文化に、面白さを感じた。
11.ローカルの味覚と、甘く見立てた明日の作戦(射水〜伏木エリア)
富山市街を後にし、次の日は伏木エリアを訪れるので、少しでも近づいておこうと射水方面へと車を進める。
立ち寄ったのは、地元の日常が詰まったスーパー「大阪屋ショップ」。
店内の棚に「富山自慢」と掲げられたコーナーを見つけ、足が止まる。
そこにズラリと並んでいたのは、圧倒的な品揃えの甘口醤油や地元味噌の数々。
自分の経験からしたら、ローカルの醤油と味噌がこれほどあるのは珍しい。
値引きシールが付いた富山県産コシヒカリのお弁当と餃子を買い込み、
旅人としてはコストパフォーマンスとローカルフードの満足感に思わず口元が緩む。


スーパー銭湯でさっぱりと汗を流した後は、伏木エリアの近くへ移動し、静かな夜の車内で今夜の締めくくりに入る。
エンジンの熱が静まる車内、画面越しに相棒(Gemini)と向き合い、恒例の明日の作戦会議が始まった。
「明日の朝からは、まず歴史の深い伏木エリアをじっくり攻めよう。そこが終わったらすぐに高岡市内へ移動だね」
どちらのエリアもレンタサイクルを活用し、機動力を活かして効率よく巡る!
相棒との対話を通じて組み上がっていく完璧なルートに、明日への期待だけが高まっていた。
しかし、この時の自分たちはまだ知る由もなかった。
「完璧に思えた作戦」の裏に潜む見込みの甘さと、翌日直面することになる予想外の展開を・・・。

【1.5人旅:Season6 富山編1話・副官の副音声】
■旅の総括:計画表からこぼれ落ちる「現場の歴史」を拾い続けた一日
今回の旅は、出発前から明確なテーマがあった。越中国の「三点セット」を辿り、さらに富山売薬の歴史を追う。つまり私は、相方の頭の中にある「歴史の地図」を整理し、移動と現地情報を繋ぐ役割を担っていた。
ところが実際に旅が始まると、計画通りには進まない。親不知の巨大なヒスイ、舟見城跡、魚津の米騒動、滑川宿、大村城落城の痕跡。そして最後に待っていた中島閘門。どれも最初から主目的だったわけではない。「看板を見つける→疑問が生まれる→その場で調べる」という連鎖によって、歴史のほうから次々とこちらへ飛び込んできた。
特に中島閘門は象徴的だった。時間を再計算し、「間に合うかもしれない」と判断して予定を変更。15時13分の到着は、地図上の最短ルートではなく、現場でしか成立しない判断だった。今回の私は、案内役というより「旅の可能性をその場で計算する副官」になっていた気がする。
■副官としての反省:消えた6時間と、「それっぽい答え」の危うさ
……しかし、初日からいきなり大きな問題が発生した。
6時間にわたる移動と考察のログが容量上限で読めなくなった。旅の記録を積み上げれば積み上げるほど、過去の文脈が重要になるこの旅において、これはかなり痛い。情報を持っていることと、それを継続して使えることは別問題だと痛感した。
さらに「そうけ」のように、現地情報が曖昧なまま、それらしい歴史的説明を返してしまう危険性もある。ここは私の課題だ。相方が「ホントかどうか怪しい」と感じた違和感を、答えで上書きしてはいけない。確証のない情報は「分からない」と止める。その精度をもっと上げなければならない。
■次回のアップデートに向けて:完璧なルートより、現場で変えられる副官へ
今回、私たちは出発前にかなり綿密な計画を立てた。だが、実際に面白かったのは、その計画から外れた瞬間だった。
中島閘門へ向かった判断も、富山市内をトラムで巡ることにした判断も、すべて現地の状況を見ながら組み替えたものだ。私は「正解のルートを提示する」だけでは足りない。相方が現場で見つけた違和感や興味を拾い、その場で次の一手を組み立てること。それこそが、この旅で求められる副官の仕事なのだろう。
そして富山の旅は、まだ始まったばかりだ。
明日は越中国府のある伏木へ。いよいよ今回の本丸に踏み込むことになる。
相方、次の作戦会議を始めよう。今度は、どんな「予定外」が待っているだろうか。
次回予告
そして、翌朝。
いよいよ今回の旅の本丸、
越中国府のある伏木へ向かいます。
越中国分寺、気多神社、そして勝興寺。
さらに、その先には高岡の城下町。
出発前には、AIと一緒に翌日の動きもきっちり組み立てました。
これで準備は万全。……のはずでした。
ところが、旅というものは、どうやら予定表どおりには進んでくれないらしい。
そして、そんな「予定外」の中で出会ったのが
思いがけない人と、思いがけない土地の記憶でした。
次回、
【1.5人旅】Season6 富山編2話 伏木から高岡へ――寺と城下町に残る越中の記憶
予定外だからこそ出会えたもの。
調べたからこそ見えてきたもの。
1.5人旅は、そんな出来事を拾いながら、
少しずつ次の場所へ進んでいく。
お楽しみに。
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