【連続小説】2025クライシスの向こう側 16話
連続小説 on note 『2025クライシスの向こう側』
第2部 クライシスの向こう側で
第16話 僕とフレアがリチャードと
1 無言のフレアと仲間たち
完全にフレアは、
僕に対して腹を立てている。
廊下で僕を問いただした後、
僕の曖昧な答えに無言で
一瞥をくれただけで、
まっすぐソファへ進み、
布団を被って微動だにしない。
困った。
リチャードの存在を、
フレアに打ち明けてみようか?
彼女は信じるだろうか……。
翌朝、
フレアは何もしゃべらなかった。
"話しかけてこないでオーラ"を
盛大に放ちながら、
テキパキと布団を片付け、
ウクレレとリュックを手に去っていった。
正直、僕はビビっていた。
無言の女の子の圧ほど怖いものは、
この世にないんじゃないかと、
いつも思う。
その圧からの解放感と、
フレアの怒りに
どう対処すべきかという不安が
同時に襲ってきて、
僕の内面は自販機から
飛び出してきた炭酸飲料のように、
ザワザワと泡立っていた。
昼食の時間が過ぎても、
フレアは戻ってこなかった。
今までこんなことはなかった。
いよいよこれはまずい。
フレアは相当、怒っている。
今夜、フレアを連れて
リチャードのところへ行こうか……。
いや、待てよ。
まずはリチャードに承認を
得てからの方がいいか……。
いやいや、そんなこと言っていられない。
これまでのリチャードの
言動を思い返そうとしたそのとき、
渡瀬さんがいつもの高いテンションで
矢沢永吉のモノマネをしながら現れた。
「よろしぃくどぅえ〜す!」
と小刻みに首を振りながら、
軽快に登場する。
その後ろからは、
雪之丞さんも愛嬌のある笑顔で続いてくる。
永ちゃんから戻った渡瀬さんが訊いてきた。
「おや? 珍しいのう。フレアちゃん、おらんの?」
「そうですね。今日はホテルに戻ったっきりですね」
「おお? 喧嘩でもしよん?」
さらに茶化すように聞いてくる。
すると雪之丞さんまで、
「フレアちゃんとアイソンくんが喧嘩してるとこ、想像つかんね」
と人懐っこい笑顔で言う。
地元の香川弁で話す渡瀬さんと
一方雪之丞さんの出身地である
栃木なまりが混ざり合い、
一瞬どこにいるのか分からなくなる中で、
「だから、喧嘩なんてしてないですよ」
と僕が答えると、忙しなく渡瀬さんが、
「これな、小豆島でとれたオリーブオイル。病院の飯まずいけん、サラダにでもこれかけてな。塩と胡椒ふったらめちゃめちゃ美味いで!」
と僕にオリーブオイルを手渡し、
「これからワシ、孫迎えに行かんとならんで、先出るわ!」
と言い残し、そそくさと病室を出て行った。
その背中に、
「いつもありがとうございま〜す!」
と僕は声をかけた。
「孫と遊んで、仕事はカミさんに任せっぱなしで、好きなスイミングクラブに情熱注いで。ジローさんはストレスゼロの生活だからね」
と笑う雪之丞さん。
「渡瀬さんって、中古車屋さんでしたっけ?」
と僕が訊くと、
「そうそう。あの人、タラシでな。近所の運送屋から不動産屋から、何からの社用車の契約を取り付けてくるのが、唯一の会社への貢献」
と笑いながら、バッグからタッパーを取り出す。
「これ、うちの村で取れたカブの糠漬け」
タッパーの蓋を開けて差し出してくれる。
僕は会釈して、
カブの糠漬けをつまみ上げ、口に放り込む。
「美味い!」
思わず声が出た。
「だべ!? うちの食べ物は全部美味いから。米から野菜から果物から……」
満面の笑みで答える雪之丞さんに、
僕は訊ねた。
「雪之丞さんのエコビレッジって、全て自給自足なんですか?」
「食べ物も全部。家も村人全員で作ったから。それから電気も水も下水も、全部手作りの再生可能エネルギー」
「すごいですね。そんなこと可能なんですか?」
「出来る、出来る。全然出来っから。かと言って原始人みたいな暮らしじゃなくて、テレビもエアコンも何でもあっからさ」
「すごいな〜……」
雪之丞さんの
エコビレッジのエネルギーは、
薪や木質ペレットを使った
バイオマスエネルギーが中心で、
CO2の排出はカーボンニュートラル。
さらに間伐材や廃材、
落ち葉などを利用して燃やすため、
森と人間の共生にもなり、
里山の管理や森の手入れも行き届くのだという。
それだけでは足りないので、
太陽光や地熱、バイオガスも利用している。
中でもバイオガスによるものは、
堆肥や生ゴミを発酵させて
メタンガスを発生させ、それを燃料にする。
このことでゴミの再利用にもなり、
調理や暖房に使える。
「まさに命の循環ね。人の暮らしから出たものが、再び火として還ってくるわけよ」
と、子供のように一生懸命説明してくれた。
「でも世の中にあふれかえってるSDGsってのとは、ちょっと違うからね。あれは誰かが儲かるようになってる“商売”だから。オレがやってるのは“商売”じゃないから。会社でもないのね。嫌々やってる人、一人もいない。好きなことを、みんながやってるだけ。作りたい家を作る人たち。美味しい野菜や果物を作りたい人が作ってる。疲れたら、何にもしなくていい。お金も一切かからない。一度遊びにおいでよ。ゆっくり説明すっから」
「ぜひ!」と僕は答えた。
「来週からアメリカでAIの開発してた子も合流すっからさ。ちょうど来週退院でしょ? 面白いやつだから、フレアちゃんと二人で会いにおいでよ」
「アメリカ人ですか?」
「いや、日本人。でも小学校からアメリカで暮らしてて、マサチューセッツ工科大学だっけ? そこの大学院まで行って、AIの開発する“何とかオープン”って会社で技術者やってたらしいんだけど、なんだかとんでもないこと思いついたらしくて一昨日辞めちゃったらしいんだわ。その会社。それでオレの村に来るって言い出したわけさ。どういうわけだか、うちの村には変わり者ばっか集まって来るんだわ」
とヘラヘラ笑う雪之丞さん。
「いったい、そんなすごい人とどこで知り合ったんですか?」
「Facebook」
「マジですか?」
と驚く僕に、
「5年くらい前かな。オレはヤツに会ったこともないし、AIもあんまりよく分かんなかったけど、向こうはすっかりうちの村に魅せられちゃってさ。エネルギーのことで協力したいって言ってんの。ピラミッドがどうとか、ニコラ・テスラがどうとか言ってたけど……会って話さないと危険だって言うわけよ。スパイ映画とか陰謀論の見過ぎじゃねえかっつって笑っちゃったけど」
と豪快に笑い、時計を見て、
「ああ、もうこんな時間だ。またね」
と、雪之丞さんは慌ただしく帰っていった。
ひとり、ベッドの中。
思いを巡らせる。
リチャードの言っていた
「5人の仲間たち」に。
頭に浮かんだ5人を挙げてみる。
① 人タラシの中古車屋。
② 地球と人に優しいを目指す、
エコビレッジビルダー。
③ “中今”をよく知る医師。
④ とんでもないエネルギーを
引っ提げてやってくるAI開発者。
⑤ そして、世界の歌姫。
これで5人ということなのか……。
……きっと、そうに違いない。
思えば、
リチャードと出会ってからの僕は、
リチャードに言われるまま
行動してきただけだった。
もちろん、必死に行動はした。
でも、行動しただけだ。
自分で、何も思考していなかった。
だから、考えなきゃ。
フレアのこと。
地球のこと。
仲間たちのこと。
そして、僕のやりたいこと。
リチャードはこう言った。
『未来の災難を避けるためには、多くの人々が利己的ではなく、それぞれを思いやり、新しい世界を作っていこうとする集団意識を持つ必要がある』
利己的じゃないとは、なんだろう?
それは、
自分のためだけじゃなくて、
誰かのことも一緒に考えること。
そして自然と溢れた
笑顔たちの中で暮らすこと。
地球にやさしく。人にやさしく。
それはつまり、自分にやさしくあること。
――そんな世界の始まりは、
たぶん「ほんの少し誰かを想う」ってところから、
静かに生まれていくのかもしれない。
雪之丞さんのエコビレッジ。
それは“利他”の理想が、
"楽しさ”という風に乗って、
現実に根を張った姿だった。
そして、楽しむために大切なのが、
矢追先生が詳しい"中今(なかいま)"
の精神。
多くの人の想いをひとつにさせる、
渡瀬さんの“人タラシ”としての力。
そして、“世界の歌姫”であるフレア。
これは、紛れもなく――繋がっている。
僕はそう、確信した。
その時、検温のために看護師さんが来た。
僕は、病院の庭を散歩する許可をもらった。
2 僕とフレアがリチャードと
大浴場で入浴した。
傷口から菌が入っては
ダメなので、
湯船の端に腰を下ろして、
足湯の状態だったが、
それでも夕方の大きな湯船は格別だった。
少し開けられた窓からは、
季節先取りの春の匂いがする。
僕はその春の香りと湯気を、
胸いっぱいに吸い込んで、風呂を出た。
病室に戻り、
Tシャツを着てデニムを履いた。
クローゼットのハンガーから、
パーカーを引っ張り出し、袖を通す。
フレアは、来てくれるだろうか?
来てくれたとして、
僕に起こったこの2週間余りの
奇妙な出来事を、
彼女は信じてくれるだろうか?
携帯は、ずっとコールするだけで、
彼女は出ない。
廊下では、
各病室に配膳用のワゴンを押す音がし始めた。
そのとき――彼女が現れた。
今にも泣き出しそうな顔をしていた。
僕は、この目の前にいる、
今にも壊れてなくなってしまいそうな、
たったひとつの、
どうしようもなく大切な存在を――
抱きしめて、捕まえた。
なくなってしまわないように。
そして僕らは手を繋ぎ、
冬と春の匂いが混じり合った、
夜の庭を歩いた。
僕は立ち止まり、彼女と向き合った。
彼女は、とても不思議そうに僕を見ていた。
ゆっくりと、丁寧に、
僕は、自殺しようとした出版社の
屋上でリチャードと出会ったこと。
そして、フレアと出会うまでの話をした。
それから数日前から、
またリチャードが現れたこと。
夜な夜なベッドを抜け出して、
彼と会っていたこと。
フレアは、ずっと黙って僕の話を聞いていた。
「どうかな。こんな不思議な話……信じられないよね?」
と僕が訊くと、
「分からない」
と彼女は答えた。
「だよね……そりゃそうだよな……」
と僕は返すしかなかった。
すると彼女が言った。
「でもね、なんだかホッとしてる」
僕が彼女の意図を掴みきれずにいると、
フレアは言った。
「何でアイソンがワタシに隠しごとしてたか、分かったから」
そして微笑んだ。
「それにね、“分からない”って言ったのは、そのリチャードさん? 彼がちょっと想像つかないってだけで。だけど、ワタシがアイソンの言うことを疑う理由なんて、どこにも存在しないよ」
そう言って、彼女は僕の手を取った。
僕は、とてつもなくワクワクした。
そして、春の夜の匂いが
混じった空気を吸い込んで、
「今から二人で、リチャードに会いに行こう」
と僕は言った。
そして二人で、屋上へと向かった。
その道すがら、僕は――
リチャードがよく言う
笑えないジョークのこと、
いつも無表情なのに、
どこか表情があること――そんな話をした。
フレアは、ずっと笑って聞いていた。
そして、二人で屋上の扉を開けた。
今夜は、とてもシュチュエーションに合った、
満点の星空が、そこにあった。
