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伊原康隆 藤原辰史 学ぶとは

副題:数学と歴史の対話
   (ミシマ社2025年)

伊原康隆1938年生まれ。理学博士。整数論研究者。
藤原辰史1976年生まれ。歴史学者。

京都大学でともに教鞭をとる関係から、この往復書簡企画が始まったようだ。親子ほどの年齢差があるお二人が、かつ全く分野が違う研究者が、何をどう繰り広げるのか?
学び続けるとはなにか?

冒頭は、往復書簡が終わった後に書かれている。
途中、藤原先生が「伊原先生は、自分に化学変化が起きるまで待ていてくれました。」と。
これは、読者にも化学変化が起こることを予言する。
200ページを超えたあたりから、化学変化があるのだが、そこだけ読んでも変化はしない。
読者も「化学変化が起こるまで、こらえて読む」必要があるからだ。

アーテキュレーション

伊原先生は後半、化学変化のタイミングで、アーテキュレーションとは

解剖学的には「関節」(またはそのつながり)、会話では「くっきり区切った喋り方」、音楽では音の流れの「フレーズより細かい単位への区分け」、そして形容詞「アーティキュレット」は「思想を表現できる」「ちゃんとはっきりものが見える、発言できる」と訳されています。いずれにせよ「くっきり区切る」と「適切な用語をしっかり繋げる」の同時可視化です。
(中略)
精神の自立は「言葉の関節」を使いこなすことによって表現できる。

伊原康隆 藤原辰史 学ぶとは

前半、藤原先生の言葉使いの中で、指摘を繰り返し、化学変化を待ていた。
日本語が「静的な言語」でるために、ことさら強調しない。
歴史的に動乱を経た言語表現は「強調すべきことを強調している」と。

だからこそ、日本語は「違和感のある言葉の並び」でも平然と使えてしまうと。
「理性の暴走」に端を発した、往復書簡は、私たち読者にも化学変化を引き起こすのだ。

横書きの右から左

伊原先生が数学者であるため、横書表現がどうしてもある。
これを、縦書き(右から左読み)の中に組み込み、読了を妨げないように工夫されている。
それは、違和感のある言葉の並びだが、「強調すべきことを強調」している。

ミシマ社、やりよったな。


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