子どもの「いい子」を、喜びすぎないほうがいい
「うちの子、本当にいい子なんです」
その言葉を聞くたびに、少しだけ、こころがざわざわする。
もちろん、“いい子”でいてくれることは、親にとって安心だ。
言うことを聞く。
わがままを言わない。
空気を読める。
ちゃんとしている。
手がかからない。
でも、本当に大事なのは、
その子が、ちゃんと“自分”でいられているかどうかだと思う。
「いい子」は、空気を読む天才だ。
お母さんが疲れていたら、話しかけるのをやめる。
お父さんが不機嫌だったら、自分の気持ちを引っ込める。
親が喜びそうな答えを、“自分の答え”にしていく。
そうやって、少しずつ、本音を置いていく。
そして大人になったとき、「自分が何をしたいのか分からない」
そんな苦しさを抱える人がいる。
僕は仕事を通して、たくさんの大人と会ってきた。
その中で感じるのは、
子どもの頃に“いい子”だった人ほど、誰かに認められることを優先しすぎて、苦しくなってしまうことがあるということ。
もちろん、“いい子”が悪いわけじゃない。
やさしい子もいる。
気がつける子もいる。
周りを見られる子もいる。
でも、そのやさしさが、「自分を消すこと」で成り立っていないかだけは、大人が見てあげなきゃいけない。
子どもに、「いい子」でいてほしいとは、思う必要はないと感じる。
それよりも、本音を言える子でいてほしい。
「イヤだ」が言える子。
「悲しい」が言える子。
「やりたい」が言える子。
ちゃんと、“自分の人生”を生きられる子。
そんなふうに育ってくれたら、それでいいと思っている。
だから、親として大事なのは、
「えらいね」
より先に、
「どうしたい?」
と聞くことなのかもしれない。
「お母さんを助けてくれてありがとう」
と言う前に、
「あなたは、どうしたい?」
と聞く。
「ちゃんとしてるね」
と褒める前に、
「楽しかった?」
と聞く。
家庭は、子どもが最初に“本音”を練習する場所だ。
そこで、本当の気持ちを言えなかった子は、
大人になってからも、ずっと、誰かの期待を生き続けてしまう。
だから、子どもの「いい子」を、喜びすぎなくていい。
その代わりに、子どもの「本当」を、喜んでほしい。
泣いてもいい。
怒ってもいい。
迷ってもいい。
その全部が、“その子自身”なんだから。
子どもの本音を守ること。
それが、親から子どもへの、いちばんやさしい“運送り”なのかもしれない。
