ありがとう苦しい
玄関の奥から響く楽しそうな笑い声。
賑やかなその雰囲気に
なぜか泣きそうになる自分。
─────
義妹は、私が生活しやすいように
配慮してくれていた。
夫が休みの日は、夫と義妹は二人で
ショッピングモールに出かけていく。
「産後だから、赤ちゃんと二人でゆっくりしていていいよ。買い物は任せて。」
ふたりが楽しそうに車に乗り込む姿を、
私はリビングのカーテン越しに見つめた。
夏の日差しが床に斑点状に差し込み、カーテンの布の香りが鼻先に漂う。
蝉の声が耳に痛いほど響き、
アスファルトの熱が
微かに部屋にまで伝わってくる。
─────
外に出たかった。
夫と二人で過ごしたかった。
ゆっくり眠りたかった。
しかし、子どもと離れるととんでもなく
不安になり、狂いそうになる。
眠りたいのに眠れない。
離れたいのに離れると発狂しそうになる。
心の奥で矛盾が渦巻いていた。
頭が重く、胸が押し潰されそうだった。
自分がなぜこんなに辛いのか
分からなかった。
─────
「私はみのりちゃんの手伝いしたいから、
隣で寝る」
義妹はそう言うと、
私が寝てる隣の部屋に布団を敷く。
「ほら、ここの扉を開けたら
すぐ行けるでしょ」
義妹はそう言って扉を開けて笑った。
「えー?大丈夫だよ。
ほら、産まれたら寝不足になるからさ、
基くんと、2階の部屋で寝ていいよ」
私は明るく答えた。
―― ひとりにして。
「ううん、私がやりたいんだ。
すぐお世話することになるからさ」
義妹は、自分のお腹に手を当てる。
―― ひとりにしてよ。
頭の中で響く声をかき消すように
思考を被せた。
義妹は私を
サポートしようとしてくれてるんだ。
ありがたいと思わないと。
「ありがとう」
そう言って、笑った。
─────
夜中。
「ふぇ……」
私はその声で目を覚ます。
と、同時に隣の部屋の扉が空く開く。
「起きた?ミルク作るね」
義妹の声がする。
ありがたい事だった。
一人でやったらきっと大変だろう。
ほとんど眠れない。
それは、祖母の家でやってみて
わかっていた。
─────
3日が経った時、義妹が言った。
「思ったんだけどさ。
搾乳してそれからミルクあげてだと、
みのりちゃん、大変だよね」
「私がミルクあげて、
その間に搾乳終わらせた方が
早く終わるからゆっくり出来るかも!」
「あー……そうだね」
手伝ってもらってるのに、
文句を言うのはおかしい。
そう思った。
微かに漂う甘い粉ミルクの匂い──昼も夜も、私が搾乳を終えられるように声をかけてくれる。
その優しさはありがたいもののはずだ。
ありがとう、と思わないと。
なのになんでこんなに、かなしいの?
義妹が哺乳瓶でミルクをやる横で、
私は搾乳器を握る。
下を向きながら、搾乳器を見つめた。
私、子どもの食料をつくる機械みたい。
こんなの、思うなんてだめだ。
感謝しないと。
……なんで感謝できないの。
私は黙って搾乳器を動かし続けた。
義妹は、私を助けようと一生懸命だった。
それでも当時の私は、その優しささえ苦しさに変えてしまうほど追い詰められていた。
─────
翌日のことだった。
私は疲れ切っていたけれど、
顔に笑みを貼り付けて
何とか生活していた。
夫が休みで、
台所で2人でご飯を作っている。
「ちょっとおにいちゃん、お皿!」
「はいはい」
「それじゃないよ!小さすぎ」
「それそれ。みのりちゃんが
いちばん大きいのね」
ああ、楽しそう。
ふたりは、楽しそう。
苦しさに胸が詰まる。
「みのりちゃーん、できたよー!
食べよう」
義妹が声をかけてきた。
その瞬間、涙が溢れた。
え、なに?
どうしよう。
こんな顔を見せられない。
─────
私は、誰もいない
2階の部屋へ駆け上がった。
階段を踏みしめるたびに軋む音が響き、
胸の奥が締め付けられる。
もう嫌!
何が自分の心を乱しているのか
分からなかった。
ただ、苦しかった。
2階の誰もいない部屋に入り、
扉を閉める。
窓から差す柔らかい夕日が床に横たわり、
ほのかに埃の匂いが鼻に届く。
私の目からは、
涙がとめどなくあふれていた。
それを拭う手のひらは、
微かに震えていた。
──────────
🫧この形の私

