働くしか、なかった 🔥3
産休を取った。
出産予定日の一か月前に
帝王切開が決まり、
産前休暇は、ほとんど取れなかった。
産後は通常どおり休暇を取り、
そのまま一年間、育児休暇を取って、
職場に復帰するつもりだった。
不安はあった。
でも、
「なるようにしかならない」
そう思うようにしていた。
子どもは、まだ小さい。
一年の猶予がある。
だから、保育園のことは
まだ本格的には考えていなかった。
ぼちぼち復帰すればいい。
私は、
そんなふうに思っていた。
子どもを預けて、働く。
それは、
自分で決めることだと思っていた。
いつ復帰するかも、
どう働くかも、
そのときの自分と子どもの状況を見ながら
考えればいい。
少なくとも、
「働かなければならない」
とは思っていなかった。
保育園の申請時期だけは気になって、
私は役所に行って、
確認していた。
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帝王切開のとき、
私には生命保険がおりなかった。
四十数万円。
その全額を、
自分の貯金から払った。
入院したのは、私。
出産したのも、私。
だから、そのお金を
自分で払うことに、
そのときは疑問を持たなかった。
一時金も出る。だから、大丈夫。
そんなふうに考えていた。
結婚したときから、
夫は自分のお金を
管理されることを嫌がっていた。
私も、
実家での経験から、
誰かにお金を預けることに
抵抗があった。
だから私たちは、
それぞれの給料を
それぞれで管理していた。
話し合って決めた、
というほどでもない。
気づいたら、そうなっていた。
夫は、固定費と自分のものを主に払い、
私は、食費と雑費、そして自分のものを払う。
その生活は、楽だった。
実家にいた頃とは、比べものにならないほど
金銭的に楽だった。
遊びに行く余裕もあった。
貯金もできた。
私は、その「ゆとり」がずっと続くような
気がしていた。
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結婚したときから、
「いつか子どもが生まれるかもしれない」
そう思って、少しずつお金を貯めていた。
生まれるかどうかは分からない。
もし生まれなければ、自分で使えばいい。
そんな気持ちだった。
だから、無理のない範囲で気楽に貯めていた。
そして、はじめての手当が
振り込まれる日が来た。
私は、その金額を見て、
しばらく動けなかった。
「このままじゃ、お金が足りない」
ぼちぼち復帰しよう。
そう思っていたはずなのに。
働くかどうかを自分で決めるのではなく、
働かなければ、生活が回らない。
そんな現実が、目の前にあった。
――まだこのときは、
この先、保育園のことまで含めて、
どんなふうに現実が動いていくのか
私は、なにも分かっていなかった。
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🫧この形の私

