Dolby Atmosライブ配信最前線
2025年3月28日にリリースされた「Live Extreme Encoder v1.16」には「Dolby Atmos」によるライブ配信機能が搭載されています。3月14日にはリリースに先駆けて、本機能を使った配信イベントも実施されました。
今回は、Live ExtremeにおけるDolby Atmosライブ配信機能の詳細を解説するとともに、この配信イベントの舞台裏をご紹介します。
Live Extreme Encoder v1.16の新機能
「Live Extreme Encoder」は、2023年に「AURO-3D」のライブ配信に、2024年には「MPEG-H 3D Audio」のライブ配信に対応しましたが、2025年リリースのv1.16で、遂に「Dolby Atmos」のライブ配信に対応しました。
Dolby Atmos配信仕様
Live Extreme Encoder v1.16は、以下の形式でDolby Atmosのライブ配信を行うことができます。

オンデマンド配信と異なり、ライブ配信では1024kbpsでの配信や、オブジェクト・ベース配信、Dolby TrueHD(ロスレス圧縮)はサポートされていないので注意が必要です。
Dolby Atmosの詳細設定
Dolby Atmos配信を実施する場合、チャンネル構成やビットレート、ターゲット・ラウドネスなど一般的な設定以外にも、Dolby Atmos固有の設定が存在します。これらは音質にも影響するパラメータですので、適切に設定する必要があります。

DRC(ダイナミック・レンジ・コントロール)
Dolby Atmosのデコーダーには、コンテンツの内容に応じて、再生時のダイナミックレンジを圧縮する機能が備わっています。これは一般的な家庭環境において音声を聞きやすくする効果がありますが、音質的には不利に働く可能性もあります。
エンコード側では、この圧縮機能で利用する推奨パラメータ(コンテンツの内容と圧縮強度)を設定する必要があります。
圧縮なし
映画(標準的な圧縮、または軽度な圧縮)
音楽(標準的な圧縮、または軽度な圧縮)
音声(スピーチ)
Dolby Atmosのデコーダーの挙動は、ライン再生デバイス(デジタルTV、AVアンプなど)とRF再生デバイス(RF接続が可能なテレビセット、ケーブルテレビ用STBなど)によって異なっており、本設定もそれぞれのデバイスに対して個別に設定します。
尚、再生デバイス側で「ダイナミックレンジ圧縮」設定が「オフ」にされている場合は、本設定値は無視され、ダイナミックレンジの圧縮は行われません。
サラウンド位相シフト
サラウンド・チャンネルの位相を90度シフトしてからDolby Atmosにエンコードする機能です。フロントとサラウンド・チャンネルの相関をなくし、ダウンミックス再生時にお互いに打ち消し合わないようにする効果がありますが、マルチスピーカー再生時には、この位相シフトが悪影響を及ぼす可能性もあります。適切にミキシングされた音楽コンテンツの場合は、この機能を利用しないのが無難です。
プログラム・サービスの種類
Dolbyビットストリームに含まれるオーディオ・サービスの種類を設定します。「ビットストリーム・モード」と呼ばれることもあります。
主音声 (Complete Main):通常はこちらを選択します
音声ガイド (Broadcast Mix):音声に視覚障がい者向けのガイドが含まれる場合はこちらを選択します
ダウンミックス・ゲイン
Dolby Atmosのデコーダーには、サラウンド・スピーカーやハイト・スピーカーが存在しない環境でも再生できるように、ダウンミックス機能が搭載されています。エンコード側では、ダウンミックス時に利用されるパラメータを設定する必要があります。
サラウンド・ダウンミックス・ゲイン:サラウンド・スピーカーが無い環境におけるサラウンド・チャンネルのダウンミックス音量を設定します(0dB〜-9dB)
ハイト・ダウンミックス・ゲイン:ハイト・スピーカーが無い環境におけるハイト・チャンネルのダウンミックス音量を設定します(0dB〜-12dB)
公演の概要
「東京・春・音楽祭」は、20年以上の歴史を誇る国内最大級のクラシック音楽の祭典で、2025年は3月14日(金)から4月20日(日)まで約40日間に亘り、70公演以上を予定しています。
近年では、ほぼ全ての公演がIIJによってライブ配信されておりますが、2025年は、初日に東京文化会館小ホールで行われた「ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽」公演のみ、Dolby Atmos (5.1.4ch) 配信も同時に行われました。これがLive Extreme Encoderを使った初のDolby Atmosライブ配信となりました。
5.1.4ch音声制作
今回の配信では、音質に万全を期すために、立体音響の知見が深く、東京文化会館での収録実績も豊富なNHKテクノロジーズに、5.1.4ch音声制作を依頼しました。
マイク・セッティング
ホール内には、デッカ・ツリー方式を基にして配置された5本のDPA 4006Aをメインに、ステージ上にはスポットマイク(SCHOEPS CMC 64)が4本、更にイマーシブ・オーディオを実現するために、トップ位置に無指向マイク(Sennheiser MKH 8020)が4本設置されました。

合計13chの音声は、会場の音響室付近に設置されたステージボックス経由で、後述の音声中継車「T-2」に光伝送されました。
5.1.4chミキシング
NHKテクノロジーズが誇る音声中継車「T-2」は、Solid State Logic「System T」を中核に、96kHzハイレゾ、5.1.4chイマーシブ音響制作に対応しています。以前からLive Extremeとの親和性の高さに注目してきましたが、今回、Live Extremeの商用配信としては初めてT-2を利用させていただきました。
T-2(とT-2を動かすための電源車)はホール楽屋口付近に配備され、T-2内でNHKテクノロジーズの下村浩一氏が5.1.4chミックスを行いました。

5.1.4chミックスされた信号とそのダウンミックス信号の計12chは、DANTE(メイン用)とMADI(バックアップ用)を通じて、東京文化会館4Fに設置されたLive Extreme Encoderに送られました。
Live Extreme Encoderによるライブ配信
今回の配信では、メインのデスクトップPCと、冗長化用のノートPCの2台を持ち込み、配信拠点である東京文化会館4Fの応接室に設置しました。立体音響による特殊配信とは言え、配信用に必要な機材量は驚くほど少ないことが、下の写真からお分かり頂けるのではないかと思います。

Live Extreme Encoderへの映像・音声の取り込み
Live Extreme配信拠点の回線図を下に示します。IIJから提供された4Kの完パケ映像は、SDI分岐した上でメインPCとサブPCに送られました。前述のT-2で制作された5.1.4ch音声については、DANTEはメインPCに、MADIはサブPCに接続されました。

Live Extreme配信設定
今回の公演は、H.265映像 (最大4K/SDR, 12Mbps) + Dolby Atmos (Dolby Digital Plus) 音声によるHLSで配信しました。また、配信音声の劣化を極力避けるため、以下の点に気を使いました。
ビットレートは、仕様上限である「768kbps」に設定
再生デバイスでダイナミックレンジ圧縮が掛からないように設定
サラウンド位相シフトは「無効」に設定

万が一の事態への備え(1): ネットワーク・バッファ
高ビットレートでの配信は、アップロード元のネットワーク品質(速度や安定性)がシビアになります。今回の配信では、会場からサーバーまで通常のインターネット回線を経由(かつ、通常のステレオ配信と共用)するため、安全を見て、Live Extreme Encoderのネットワーク・バッファサイズを3分に設定しました。
バッファサイズを増やすと、同じだけ配信遅延時間も増えることになりますが、双方向性のない配信では大きな問題にはなりません。
万が一の事態への備え(2): 配信待機モード
機材の不調に備え、エンコーダーPCを2台用意(冗長化)していても、回線が1本しかない場合は難しい判断を迫られます。2台同時アップロードによって回線帯域を圧迫してしまう可能性があるからです。
Live Extreme Encoderには、配信待機状態で映像と音声のローカル保存を行いながら、いざとなったらローカル保存を継続しつつ配信をキックスタートする機能が備わっています。今回の配信では冗長化用の回線がなかったため、バックアップ機は配信待機での運用を行い、メイン機と合わせて、常に2台のPCでバックアップ保存を行いました。

万が一の事態への備え(3): 非圧縮音声データのバックアップ
ライブ配信中に事故が発生すると、多くの場合、バックアップ保存されたデータを編集して再配信することになります。編集前提で考えると、手元にはDolby Digital Plusのような圧縮データではなく、非圧縮データを残しておいた方が何かと好都合です。
Live Extreme Encoderは最大4系統の音声を同時にエンコードすることが可能ですが、その一部を(配信せずに)ローカル保存のみ実行することもできます。今回の配信では、Dolby Atmos 5.1.4chでインターネット配信しつつも、ローカル・ストレージには、Dolby Atmosだけでなく10chの非圧縮PCM (48kHz/24bit) も保存していました。
配信コンテンツの視聴
東京春祭のほぼ全ての公演は、IIJが提供する「東京・春・音楽祭 LIVE Streaming」というサービスを通じて、ライブ配信されています。チケット制の有料配信ですが、税込1,000円〜1,500円という低価格が魅力です。

今回のDolby Atmos配信も、上記サイトを通じてチケット販売*、プレイヤー提供、カスタマー・サポートが行われました。
(*) Dolby Atmos配信は、通常のステレオ配信チケットの購入者への特典として提供
Dolby Atmos再生環境
東京春祭の通常配信は、ウェブ・ブラウザでの再生のみに対応していますが、今回のDolby Atmos配信では、Safariブラウザ(Mac, iPhone, iPad)による視聴はもちろんのこと、ネイティブ・アプリケーション(「Live Extreme Experience for Android」および「Live Extreme Experience for TV」)での視聴もサポートされました。

IIJ Studio TOKYOでの視聴会
東京・飯田橋にあるIIJグループ本社内には、企業向け配信スタジオ「IIJ Studio TOKYO」が設置されており、Dolby Atmos 7.1.4chの再生に対応した試聴室まで用意されています。
今回の配信では、こちらに評論家やメディア関係者をお招きし、リアルタイムでのライブ・ビューイングも実施しました。Live Extreme再生用に「Nvidia Shield TV」を持ち込んだ以外は、スタジオの常設機材をそのまま利用させていただきました。
視聴会は終始和やかな雰囲気で進み、配信品質についても高い評価を得ることができました。「Phileweb」と「AV Watch」には、参加者によるレポート記事も掲載されていますので、是非ご覧ください。
まとめ
コルグは「東京・春・音楽祭2015」にて、世界初のDSDライブ・ストリーミング配信実証実験に成功して以来、一貫してインターネット配信技術の高音質や臨場感の向上に取り組んでまいりました。そこから10周年の節目の年に、Live Extremeの最新機能とともに、東京春祭に戻って来られたことを大変嬉しく思っています。

(C)ヒダキトモコ/東京・春・音楽祭2025
今回のDolby Atmosコンテンツは、定評のあるIIJの動画配信プラットフォーム(オリジンサーバー/CDN)を通じて、全世界に配信されました。IIJとコルグは2023年にLive Extreme配信に関する商用契約を締結しており、IIJのお客様は今回ご紹介したものを含む全ての配信機能をご利用いただくことができます。
Live Extreme Encoder v1.16によって、Dolby Atmosのライブ配信のハードルはぐっと下がりました。ノートPC 1台でも配信できてしまいます。これにより、多くの名演奏が空間オーディオでライブ配信されようになることを期待せずにはいられません。
