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私が「典型的INFJ-T」と違うところ

私はINFJ-Tらしい。

とはいえ、ネットでよく見るINFJ-T像を読むと、毎回ちょっと引っかかる。

「人に優しい」
「共感力が高い」
「繊細で、他人の気持ちを受け取りすぎる」
「争いを避ける」
「人を深く理解したい」

……いや、そこまで優しくないけどな(笑)。

ちなみに「-T」は16Personalities独自の分類で、厳密にはMBTI公式の指標ではない。なので今回は、あくまでネット上で流通している「典型的INFJ-T像」と自分を比べてみる。

AIに15問ほど質問してもらって、自分がどこでズレるのかを切り分けてみた。


困っている人に自動で共感するわけではない

最初にかなり違った。

「誰かが困っていたら、自分までしんどくなるか?」

私はそうでもない。

その人との距離によるし、本人にも原因があるなら、そこは普通に見る。

相談についても、「ただ共感してほしい」という相談は結構苦手だ。

もちろん、相手の気持ちが分からないわけではない。

でも、

「つらかったね」
「あなたは悪くないよ」

だけで終わるより、

「そもそも何が起きたのか」
「本人にも原因はなかったのか」
「構造的にどうなっているのか」

を考えてしまう。

人に優しいというより、状況を雑に処理したくない。

たぶん私は、共感より先に「それ本当にそうか?」が来る。

対立を避ける。でも納得したわけではない

意見がぶつかった時も、私は正面から戦い続けるタイプではない。

表では引くことも多い。

でも、引いたからといって納得したわけではない。

「まあいいか」

とその場を終わらせても、内心では普通に、

「いや、違うと思うけどな」

と残っている。

これも「調和を大切にする」という説明だけだと少し違う。

そもそも、相手に反論しても、

「これ言って何か変わるのか?」

と思うことが多い。

空気を壊したくないから黙るというより、

「言っても無駄では(笑)」

という判断で黙ることがある。

かなり身も蓋もない。

嫌いな人ほど、なぜ嫌いなのか考える

誰かを嫌いになった時も、

「嫌いだから終わり」

にはあまりならない。

むしろ、

「私はこの人の何がそんなに嫌なんだ?」

と考える。

ただし、理解したから許すわけではない。

相手の事情が分かっても、距離を置く理由が消えていなければ、そのまま距離を置く。

「理解」と「許す」と「関係を戻す」は全部別だと思っている。

ここも、共感力の高さから人を理解するというより、

「自分の違和感の正体が分からないままなのが気持ち悪い」

の方が近い。

自分にもそこまで優しくない。でも全部自分のせいにもしない

INFJ-Tは自己否定が強い、とよく言われる。

以前は私も、世間と自分の評価がズレると、

「自分の方がおかしいのかもしれない」

と思いやすかった。

でも今はかなり変わった。

世間とズレていても、

「まあ私はそう思うけどな」

とそのまま持つ。

むしろ、

「なんで世間ではそっちの評価になるんだろう」

と分析したくなる。

失敗した時も同じだ。

自分に原因があれば反省する。

でも、周囲の条件にも原因があるなら、そこも普通に考える。

「全部自分が悪かった」

で終わらせるのも、逆に雑だと思う。

自分に優しいわけではない。

でも、自分だけを犯人にして話を綺麗にするのも違う。

雑に褒められても、あまり嬉しくない

褒められること自体より、

「どこを見てそう言ってるのか」

の方が気になる。

「文章上手いですね」

だけだと、そこまで刺さらない。

何が上手かったのか。

どの部分が良かったのか。

自分が大事にしている部分と、相手が評価している部分がズレているなら、その褒め言葉はあまり響かない。

別に厳しく採点しているわけではない。

ただ、

「すごい」
「優しい」
「面白い」

みたいな大きい言葉だけでは、何を見ているのか分からない。

同じ理由で、

「みんなそう思ってる」
「普通はこう」

と言われると、

「みんなって誰?」

と思う。

多数派に逆らいたいわけではない。

主語を大きくした瞬間に、話が雑になるのが嫌なのだと思う。

人の矛盾を消したくない

今回一番はっきりしたのは、これかもしれない。

誰かが矛盾した行動をしていても、

「どっちが本当の姿なんだろう」

とはあまり思わない。

むしろ、

「両方あるんじゃない?」

と思う。

優しい時もあれば冷たい時もある。

責任感があるのに無責任な行動をすることもある。

明るく振る舞うのに、しんどそうな時もある。

真面目なのに、妙なことを言う。

それを、

「本当は優しい人」
「本当は繊細な人」
「本当は強い人」

みたいに一本に戻すと、急にその人が薄くなる。

人間なんて、普通に矛盾している。

むしろ、その矛盾の出方にその人らしさがあるのではないかと思う。

「成長した」という話も少し疑う

「昔はこうだった。でも今は成長して変わった」

という話も、そのままでは受け取りにくい。

本当にその人が変わったのか。

立場が変わっただけではないか。

周囲の環境が変わっただけではないか。

昔の部分も、今も普通に残っているのではないか。

特に、全部を綺麗な成長物語にまとめられると少し警戒する。

もちろん、人は変わる。

でも、

「変わった=成長した」
「昔の弱さを克服した」
「今は本当の自分になった」

まで進むと、

「本当に?」

と思う。

昔の弱さも、今の強さも、同時に残っていていい。

感情が弱いわけではない

ここまで書くと、かなり冷たい人みたいになる(笑)。

でも、自分では感情が弱いとは思わない。

むしろ感情は強い。

ただ、その場ですぐ言葉にできるわけではない。

何かが引っかかった。

嫌だった。

妙に嬉しかった。

でも、その理由がすぐには分からない。

しばらくしてから、

「あれはこういうことだったのかもしれない」

と輪郭が出てくる。

だから私は、感情がないというより、

感情と言葉の間に少し時間がある。

「誤解された」とも簡単には言えない

これは自分でも少し面白かった。

「人に誤解されたらどうする?」

と聞かれて、

そもそもそれって誤解とも言い切れなくない?

と思った。

相手からそう見えたなら、その見え方も私の一部ではある。

自分では、

「私はそんな人間じゃない」

と思っていても、実際にそう見える言動をしていた可能性はある。

もちろん、事実と違うことまで全部受け入れる必要はない。

でも、

「本当の私はこうなのに、相手が間違っている」

という構図も、少し単純すぎる。

自分自身だって一枚岩ではない。

「本当の自分」を一つに決めることにも違和感がある

最後の質問は、

「自分には一貫した核があると思うか」

だった。

私は、

「本当の自分を一つに決めること自体に違和感がある」

を選んだ。

場面によって違う。

人によっても違う。

昔と今でも違う。

一人でいる時と集団にいる時でも違う。

その中から一つだけ選んで、

「これが本当の自分です」

と言う必要があるのだろうか。

全部、自分ではある。

INFJ-Tなのに、人に優しくない

こうして見ると、私は典型的なINFJ-T像と全然違うわけでもない。

人のことを考える。

違和感を放置しない。

物事の背景を考える。

自分の中で長く反省したり分析したりする。

このあたりはかなりそれっぽい。

でも、

「人を深く考える=人に優しい」

ではない。

私の場合は、

人を理解して救いたいというより、

人を雑に理解したくない。

嫌いな人なら嫌いなままでいい。

許せないなら許せないままでいい。

矛盾しているなら、無理に一つにまとめなくていい。

自分についても同じだ。

だから私が人物について考え続けるのは、

その人の「本当の姿」を見つけたいからではないのかもしれない。

むしろ、

「本当の姿はこれです」

と言った瞬間に落ちるものが多すぎるから、考えている。

INFJ-Tだから人を理解したい。

というより、

雑な説明で「分かったこと」にするのが嫌だから考える。

たぶん私は、そっちの方が近い。


人を一つの見方で捉えることについては、こちらでも考えています。
人を一面だけで見ても、悪くないのかもしれない

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