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掌編小説|①波の音

波の音を聴いていた。
朝から夕方まで。
波しぶきが顔に当たる。
対岸の瀬棚(せたな)は、天気が良いと見える。
僕はこの島から出たことがない。
だから瀬棚はどんな所なのか知らない。
瀬棚という名前だって、島の人があそこが瀬棚だ、というから瀬棚、と覚えただけだ。
前浜の波は刻一刻と形を変えるが、同じ形になることはない。
そのくせ波の音は毎回同じだ。正確には微妙に違うのだけれど、僕にはそこまで聴き分けることができなかった。

去年父が死んだ。
島に一軒しかない診療所に、集落の人が父を車に乗せて向かってくれたが、心臓発作だったらしく助からなかった。
残された母も、兄も姉たちも、父が死ぬ前と同じように生活していた。
僕も同じように学校に行くだけなので変わらないのだけれど。
集落の人が通う小学校は平屋で横に長く、校舎の前には二宮金次郎像が建っていた。
僕は六年生と一緒に授業を受けているが、殆ど授業を聞いていなかった。
教室の黒板は前後にあって、前が六年生用で、後ろが僕たち五年生用だった。だから机も後ろを向いていて、六年生とは背中合わせになっていた。
タマキは僕とは違ってしっかり授業を聞いている。彼女は診療所の娘だ。同級生はタマキだけだったけれど、ずっと同じだから女子とかは意識していなかったし、タマキもそんな感じだった。
「来週、江差に行くんだけど、タカオも行く?」
タマキは二時間目が終わったあとの休み時間にそう言った。
「江差?」
「そう。漁船で。サイトウのおじさんが乗せてってくれるって。それでおじさんが、タカオも連れて来いって」
サイトウさんは僕から見て遠い親戚だ。
タマキにとっては叔父にあたる。
僕は初めて島から出て、北海道本島に上陸するのだ。

土曜日。
江差の港に着くと、駐車場に車がたくさん停まっているのが見えた。きっと島の人の車なのだろうと思った。そういう話をよく聞いていたからそう思った。
「オレ、函館行ってくるから。お前らはここに泊まれ」
サイトウさんは黒い軽自動車に乗り込みながらそう言い、行ってしまった。
渡された紙片には、住所と『斉藤旅館』と書いてあった。せめて旅館まで一緒に行くものだとばかり思っていたので薄情な人だと思った。
サイトウさんは元々そんな感じの人だったから僕はそれ程気にならなかったし、きっとすぐにでも函館の彼女に会いたいのだろうと思った。
横に居るタマキの顔を見ると、いつもよりも口の大きさが半分くらいになっていた。それは緊張しているときのタマキだった。
僕も心細かったが、とりあえず港に隣接するターミナルのお土産店を彷徨いたりした。
僕は島の中しか知らなかったので、とにかく見るもの全てが新鮮だった。タマキも少しずつだが元気を取り戻して、喋るようになっていた。
レジのおばさんにペットボトルの飲み物ふたつを出して、紙片を見せた。
おばさんはここから百メートルくらい海沿いを歩いた所にある旅館だと教えてくれた。壁が黄色だから見ればすぐわかると言われた。
おばさんは、「ちょっと待って」と言い残し、カーテンの向こうに行って、戻ってきた。ポッキーの箱を持っていた。「これ食べなさい。ワタシも島に家があるのよ」とおばさんは言った。
僕とタマキはターミナルの待合所のベンチに座って、ポッキーを食べながら海を見つめた。
さっきまで新鮮だったのに、なぜだか急に島とそんなに変わらない感じがして来て、僕は少しがっかりした。
波の形も、島のと同じだった。
だから、決して同じ形になることはなかった。

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