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掌編小説|②熱帯夜

熱帯夜を過ごした翌朝。
僕らは昨夜、江差港近くの斉藤旅館で一泊した。
 


昨日旅館に入ったとき、中年のおばさんがすぐに出てきた。
「タマキちゃん! 久し振りね。タカオくんもおばさんのこと覚えてないかい?」
僕はおばさんのことを覚えていた。
父の葬式に来ていた人の中に、このおばさんもいた。でもそれ以上のことはなかったので、苦笑いをしてしまった。
「おばさん、アンタのお父さんのお葬式にちょっとお邪魔しただけだもんね。覚えてないもね」
僕は首を振りながら、「覚えてます」と言った。

集落の小学生は全員島の外に出たことがあると思う。
僕はフェリー代のことを考えたりするといつも嫌な気分になって、今まで何となく島から出なかった。
だから、今回が初めての島外だった。
一番上の兄が四月から島の建設会社に就職した。それでウチは劇的に生活が楽になった。
本当は兄も高校に行きたかったと思うが、もうそういうのは全部諦めて島に残ったのだと、小学生の僕でもわかった。

「タカオ?」
タマキが声を掛けてきた。
「おぉ。大丈夫。」
タマキは僕がときどきぼんやりするのを知っているから、こうして声を掛けてくるのはいつものことだった。

僕たちはおばさんに案内された部屋に荷物を置いて、外に出た。
おばさんは黒くて大きい車を旅館の前に移動させて、スライドドアをがーっと開けた。
車の中に入ると、そこはいつも島でよく乗る軽自動車とは全然違う、バカでかい空間だった。
タマキは平然としていた。
タマキの家の前にも大きい車が停まっているから普通なのだろう。
僕の家には車はない。
だから僕は島の西側に行ったことさえなかった。

「タカオくん。アンタ、瀬棚に行きたいのかい?」
おばさんはそう言うと、僕が返事をする前に車は動き出した。
多分、タマキ経由でおばさんに情報が伝わっているのだろう。
左側に海を見ながら車は走る。
舗装道路を車のスピードで走るというのは、爽快だ。
波の形は島と同じだった。
だからいくら見ても同じ形になることは一度もなかった。

しばらくすると、三つの黒い岩と橙色の花の看板が見えた。『せたな町』と書いてあった。
でも、瀬棚に入ったからといって景色は何ひとつ変わらなかった。
右隣に乗っているタマキは函館にも札幌にも行ったことがあるし、東京にも行っているから、今更瀬棚に来ても何も感じないだろう。

「アレ、三本杉岩。」
タマキがそう言って指差す先を見ると、海の中に黒くて細長い岩が三本立っていた。
島にも鍋釣岩があるので、奇岩というのはどこにでもあるのか、と思った。
そのまま車は山の方に入って行った。
山、というよりはなだらかな丘を登っていく。
車内はエアコンが効いていて適温で、エンジン音も殆どしなかった。
整って静かな環境だと何か話さないといけないような気がしてきたが、車窓からの景色が新鮮なフリをして、黙っていようと決めた。
僕は今までもそうやってタマキに面倒なことを押し付けてきた。
蛇行する坂の頂上に、展望台があった。

展望台からの景色は島から見るものものとあまり変わらなかった。
僕は勝手にちっぽけな島だと思っていたが、島は思っていた何倍も大きかった。
「島ってこうして見ると意外と大きいよね」とタマキが言った。
 
帰りの車でおばさんが、「タカオくんの、『タカオ』って名前、昔っぽいよね。最近の名前は、読めないのが多いから困るのよ」と言った。
僕の名前は、考生だからなんとなく読みづらいけど、タカオと読めないことはないので、「そうですね」と言った。
「タカオは、考えるに、生まれる、って書くんだよ」
タマキがそういうと、おばさんは少し考えてから、「あぁ、そうなのかい。そう言えばタマキは環境の環だったかい?」と言った。
そういう会話をしているうちに旅館に着いた。
車から出ると、むわっとした空気に包まれた。
おばさんは旅館の仕事があるから、僕たちは江差の町をうろついたりして時間を潰した。
タマキとずっと一緒だったのに、ほとんど学校以外で会うことはなかったので、今まで彼女のことを考えることはあまりなかった。
タマキはやっぱり医者になるのかな、とかそんなことを僕は考えた。
「今度さ、温泉の近くのワイン工場に行かない?」
とタマキが言った。
温泉もワイン工場も島の西側にあるので僕は行ったことがない。
「お母さんに車で送ってもらうように言うからさ」
「兄貴が車買ったら、僕も聞いてみようかな」
少しイライラして、僕はそう言った。
結局タマキとは別々の世界で生きていると思った。
そういうのがわからないタマキは子供だと思った。
 

 
僕たちが荷物をまとめて、旅館の前で待っていると黒い軽自動車が乱暴な感じで走ってきた。
サイトウさんが車から降りてきて、おばさんに一言二言喋っていた。その間に僕たちは後部座席に乗った。
車内はタバコと芳香剤のにおいが混ざって、とても臭かった。
足元に空のペットボトルがいくつか転がって、そのうち何個かはセイコーマートの袋に入っていた。
港から漁船に乗り換えて、島へ向かう途中で、あたりはどんどん曇って行き、弱めの雨が降った。
サイトウさんがあの時、おばさんのことを「ねぇちゃん」と呼んでいたのを何となく思い出した。

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