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56歳|何もしない時間は余白なのか?

実家から東京へ戻ってきて、noteを書いていると、

「1人の時間って、貴重だなぁ」と感じる。

以前、自分で書いたnoteのタイトルに
「余白の中の余白」という言葉がある。

このタイトルが好きだからなのか、
最近よく「余白を作ろう」とか、
「余白が大切」なんて言葉が目に入ってくる。

人それぞれ、
十人十色の「余白」があるんだと思う。

何もしないことが余白でもないし、
もちろん、何もしない時間も余白。

場所でもない。

家にいても、
神社や公園を散歩していても、
舞台を観ていても、
水族館で魚が泳いでいるのをぼーっと眺めている時にも、
余白はちゃんと存在する。

じゃあ、私にとっての余白って何だろう。

実家から東京へ戻ってくると、
日常の中にあった「余白」が戻ってくるような感覚がある。

その中でも、
私にとって大切なのは
「何もしない時間」。

これがないと、
頭の中が整理できない。

「もう、いっぱい。いっぱいなんだよね」

となる前に、
余白が必要なんだと思う。

一旦、頭の中を空っぽにして、
今、自分に必要なものは何なのかをちゃんと理解する。

情報は必要。

だけど、
必要じゃないものも、ずいぶん多い。

絶え間なく隙間に入り込んでくるコマーシャル。

それが嫌で、私はテレビを見なくなった。

今回の引っ越しをきっかけに、
東京の家で使っていたテレビを、
手放すことにしました。

以前は家に帰ってくると、
おもむろにリモコンを手に取って、
ぽちっとテレビをつけていた。

テレビの声が部屋に広がる。

すると、
さっきまで考えていた自分の言葉や考えが、
すーっとテレビの中に吸い込まれていく。

目の前を流れていくものに、
心も頭も動かされる。

「あれ?
さっきまで重要なこと考えてたのに……」

集中力が途切れる。

考えるのが面倒になって、
ラクなほうへ。

ソファでくつろぎながらテレビを見て、
一日が終わる。

休みの日なんて、
「えっ!」と気づいたら、
そんな調子で一日が終わっていたこともある。

何もしていない時間。

でも、これは「余白」ではなかった。

余白って、
ただ予定が入っていないことでも、
何もしていないことでもないのかもしれない。

自分の中に、
自分の声がちゃんと聞こえる場所があること。

何かを詰め込むのではなく、
一旦、空っぽにする。

そして、
本当に必要なものを、
自分で選び直す。

そんな時間が、
私にとっての「余白の中の余白」なのかもしれない。

実家から東京へ戻ってきて、
私は今、その余白の中にいる。

cocoito

朝起きて窓を開け、
空気を入れ替えながら太陽の光を浴びる。
そんな時間も余白かもしれない。


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