【第12話】『忘却の夢、黄金の残像』(歴史王国編)
【前回までのあらすじ】
悠(はるか)たちの知らないところで、世界の歯車は不穏に回り始めていた。魔法王・尚秋(なおあき)の元を訪れたのは、典言(てんげん)王国の国王・揚羽(あげは)。二人は歪な共依存関係にあり、翠(みどり)が記憶を失ったまま雪也(ゆきや)の側にいることも、すべては尚秋の筋書き通りだった。
尚秋は鈴(すず)を人形のように弄び、さらには揚羽を介して翠に「ある言葉」を届けようと画策する。一方、揚羽は罪悪感を抱きながらも、尚秋の抗いがたい毒から逃れられずにいた。
何も知らぬまま、失われた歴史の鍵を求めて典言王国へと向かおうとする悠たち。美しき蝶の罠が待ち受ける中、100年の時をかけた残酷なゲームが次なる局面を迎える。
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1. 静寂の夜に溶け出す記憶
歴史王国の客室。
月明かりが白いシーツを青く染める、静かな夜だった。
窓の外では、夜風に揺れる木々の葉が、カサカサと乾いた音を立てている。その安らかな静寂の中で、翠(みどり)は深い眠りの中にいた。
けれど、彼女のまぶたの裏で再生されていたのは、
現在の「みどり」が知るはずのない、鮮やかで温かな100年前の光景だった。
それは、封印されたはずの記憶の澱が、悠(はるか)の放った言霊によって揺り動かされ、溢れ出したもの。
忘却の魔法という名の分厚い氷の下で、ずっと凍りついていた「真実」が、今、熱を帯びて溶け出していた。
2. 夢:黄金色に輝く愛と恩の王国
視界に広がるのは、今の魔法王国(マギステル)が放つ毒々しいネオンのような輝きとは正反対の、柔らかな黄金色の光に満ちた庭園だった。
風は花の香りを運び、空はどこまでも高く、透き通っている。
そこには、二人の女性がいた。
一人は、魔法使いの重厚な正装に身を包んだ「翠(すい)」。
少し勝ち気に眉を上げ、悪戯っぽく笑う彼女の指先には、
今のみどりが失ってしまった鋭い魔力の光が宿っている。
そしてもう一人は、無限王国の配下であり、
誰よりも心優しい少女、彩(さい)。
「ねえ、翠。さっき遼(りょう)様がね、また私のことをからかうのよ。『彩は、俺がいないとすぐに道に迷う迷子の子犬だ』って」
彩が頬を少し赤らめて、困ったように笑う。
その瞳には、主である王への深い「愛」と、孤独だった自分を拾い上げ、居場所を与えてくれたことへの真っ直ぐな「恩」が、宝石のようにキラキラと宿っていた。
「……ふふ、それは遼様が、彩のことを片時も放しておきたくないからでしょ? 彩をからかっている時の遼様、すごく楽しそうだもの」
翠(すい)は茶化しながらも、目の前の二人の関係がたまらなく愛おしかった。
感情を排し、冷徹な氷の王として君臨する遼が、
唯一、彩の前でだけ見せる人間らしい一面。
翠は他国の配下でありながら、この無限王国に漂う「信じ合う心」に
自分の本当の居場所を見出していた。
そして、王と配下という枠を超えて結ばれた遼と彩の恋仲を、
誰よりも近くで応援し見守ることを誇りに思っていた。
(……ああ、なんて温かいんだろう。
この二人の幸せが、ずっと続けばいいのに)
夢の中の翠は、心からそう願っていた。
自分たちの魔法はこの幸福を守るためにあるのだと、疑いもせずに。
3. 暗転:閉ざされた黄金、迫り来る青い影
けれど、幸福な夢は唐突に終わりを告げる。
天高くから降り注じていた黄金色の光が、一瞬にして不気味な「青い炎」に飲み込まれていった。
「――お遊びは終わりだ。
この美しい『歴史』を、僕のコレクションに加えさせてもらうよ」
空を裂いて響くのは、若々しくも冷酷な、尚秋(なおあき)の声。
平穏だった庭園は地獄へと変貌する。
叫び声。
崩れる石壁。
空を覆いつくす、忘却を促す青い霧。
「……彩! 遼様を連れて逃げて! ここは私が食い止める!」
翠(すい)は必死に魔力を練り上げ、尚秋の前に立ちはだかる。
「翠、だめ! あなた一人を置いていけないわ!」
彩の声が、背後で悲痛に響く。
けれど、翠の力は尚秋の卑劣な罠の前に、あまりにも無力だった。
闇の中から現れた尚秋の指先が、空中で冷酷に弾かれる。
「さようなら、僕の可愛い魔法使い。
君の記憶も、その忠誠心も、全部僕が書き換えてあげよう」
彩の絶望に満ちた泣き顔が、激しい魔法の光の中に消えていくのを、
翠(すい)はただ見ていることしかできなかった。
伸ばした手は届かず、叫びは虚空に吸い込まれていく。
すべてが、冷たい青に塗りつぶされていった。
4. 覚醒:頬を伝う熱い後悔
「……っ!」
翠は弾かれたように跳ね起き、荒い呼吸を繰り返した。
心臓が耳元でうるさいほどに脈打っている。
窓の外では、変わらず歴史王国の静かな夜が続いている。
100年後の、冷たくて正しい現実。
「……あ、れ……?」
指先で頬に触れると、そこには熱い雫が伝っていた。
無意識のうちに、涙が止まらなくなっていたのだ。
拭っても、拭っても、それは泉のように溢れ出してくる。
「……彩……。……遼(りょう)、さま……?」
まだ「遼」という名前が、王の顔と完全には結びつかない。
けれど、胸の奥を太い杭で貫かれたような激しい痛みが、
彼女の感情を支配していた。
(守りきれなかった……)
脳裏にこびりついて離れない、あの黄金色の残像。
自分がかつて、あんなにも幸せな光景の中にいたこと。
そして、自分の力が及ばず、二人の幸せを尚秋の毒に奪われてしまったこと。
「……どうして。
私は、あんなに大切なものを、100年も忘れて笑っていられたの……?」
翠は膝を抱えて、子供のように声を殺して震えた。
後悔の念が、どろりとした黒い霧のように胸を埋め尽くしていく。
明るく天真爛漫だった「みどり」という仮面が剥がれ落ち、
そこには100年分の悲しみを背負った、孤独な魔法使い「翠(すい)」の剥き出しの魂が横たわっていた。
「……許さない」
涙で濡れた声は、しかし確かな殺意を帯びていた。
「自分の人生を奪われ、友達を奪われ……挙句の果てに、それを忘れることすら強要された」
翠は立ち上がり、窓の外に広がる夜空を見つめた。
その先にある、傲慢な魔法使いが支配する国。
100年の忘却を経て、今、彼女の魂は真の「使命」を見つけた。
守りきれなかったあの日、最後まで遼を助けようとした彩。
今も尚秋の手元で苦しんでいる彩を、今度こそ自分が助け出すために。
翠(すい)は、失われた魔法を再びその身に宿す覚悟を決めた。
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