【第8話】『纂奪の果て、始まりの誓い』(歴史王国編)
【前回までのあらすじ】
魔法国王・尚秋(なおあき)の晩餐会に招かれた悠(はるか)は、過去の苦しみを消し去り多幸感を与える「忘却の魔法」の誘惑にさらされる。意識が混濁し、自身の名前すら忘れかける悠だったが、ポケットに忍ばせた「13点のテスト用紙」が、不完全な自分を繋ぎ止める最後の「核」となり、魔法を打ち破った。
混乱の中、尚秋の配下である少女・鈴(すず)が悠に警告を発する。その瞳に宿る母親のような慈しみと、彼女を縛る不気味な「青い鎖」。悠は、鈴こそが消された歴史の鍵を握る人物ではないかと直感する。
拓夜(たくや)に救出され魔法王国を脱出した悠は、傷ついた「自らの歴史」を抱えたまま、鈴の正体と無限王国の真実に迫る決意を新たにする。
前回のお話はこちら
魔法王国から戻ったその夜。
私は、自室のベッドで何度も寝返りを打っていた。
目をつぶると、尚秋(なおあき)の陶器のような滑らかな白い肌と、獲物を狙う蠍(さそり)のような赤い瞳が浮かんでくる。
(……思い出せない。私の犬の名前、なんだったっけ)
尚秋に削り取られた記憶の「穴」が、冷たい風の通る洞窟のように疼いて、どうしても眠れなかった。
私は気づけば、吸い寄せられるように深夜の地下書庫へと足を運んでいた。
「……おい。痩せっぽち、まだ起きてたのか」
棚の整理をしていた拓夜(たくや)が、私の気配に気づいて振り返る。
魔法の灯火に照らされた彼の横顔は、いつになく険しい。
「拓夜……。ねえ、一つ聞いてもいい?」
私は、尚秋が言っていた『完璧な忘却』という言葉を反芻していた。
「どうして、雪也(ゆきや)も拓夜も、そこまでして『記録』を守ろうとするの?
魔法王国みたいに、辛いことを全部消して笑っていられた方が、この世界の人たちは幸せなんじゃないかって……
一瞬、思っちゃったんだ。
13点のテストも、いじめられた記憶も、全部消してくれたら、
私はもう泣かなくて済むのに」
拓夜くんの手が、ぴたりと止まった。
彼は持っていた古文書をゆっくりと棚に戻し、深い溜息をつく。
「……幸せ、か。
お前、あの尚秋のニヤけ面を見て、本気でそう思ったのか?」
「……ううん。怖かった。
でも、それ以上に、この国の『歴史への執着』には、何か叫びのようなものを感じるの。……拓夜くん。この国は、どうして生まれたの?」
拓夜くんはしばらく沈黙していたが、やがて床に座り込み、隣に座るよう顎で促した。
「……いいぜ。お前には、話しておいた方が良さそうだ。
この国が、どれだけの血と、どれだけの『消された叫び』の上に建っているのかをな」
1. 紅に染まった記憶:前王・鴻王の恐怖
今から数十年前。
この世界は、たった一人の男の狂気によって、終わりの淵に立たされていた。
前国王、鴻王(こうおう)。
「力こそが唯一の正義であり、敗者は記録に残る価値すらない」と断じた彼は、あくなき領土拡大のために内戦を煽り、近隣諸国を巻き込む大戦を引き起こした。
全世界の人口の三分の一が失われたという、あまりにも凄惨な時代。
若き日の雪也は、その地獄の只中にいた。
目の前で燃え落ちる実家、冷たくなった家族の手。
しかし、彼を最も絶望させたのは、戦火そのものではなかった。
「……勝った。これで俺たちが『正義』だ。
死んだ奴らの嘆きなど、歴史の塵(ごみ)として掃き捨ててしまえ」
勝者が笑いながら、敗者の生けた証を焚き木にして燃やす光景。
「書き換えられる歴史」という名の、二度目の虐殺。
雪也の胸の奥で、静かな、
けれど決して消えることのない「怒り」が産声を上げた。
2. 天からの来訪者:天秤座の誓い
その頃、拓夜はまだ、この世界の住人ではなかった。
彼は「他の世界」で、純粋な均衡を守る天使としての役割を担っていた。
けれど、争いの絶えないこの世界の歪みに引き寄せられるようにして、
彼は「配下(守護者)」としての器を得て、地上へと降り立つ。
瓦礫の山に座り込み、戦没者の名簿を泥だらけの手で書き写している一人の青年
――雪也を見つけた時、天秤座の性質を持つ拓夜は、
そこに世界で最も「正しい均衡」を見たのだ。
「面白い。
なら、俺をお前の『剣』にしろ。
お前が望む、誰もがその生を刻める国を、俺が作ってやる」
荒野の中央で、二人は向き合った。
この世界において、新しい国が生まれる瞬間。
それは、配下が自らの意志で「主」を選ぶことから始まる。
拓夜が雪也の前で膝をつき、誓いの言葉を唱えたその時、
拓夜の身体に刻まれた「天秤座の紋章」が、夜の闇を裂くような眩い光を放った。
拓夜の指先から溢れ出した聖なる光が、雪也の心臓へと吸い込まれていく。
それは支配の鎖ではなく、二人の魂を対等に繋ぐ「血の盟約」。
儀式が完了した瞬間、雪也の背後に、
この世界のあらゆる記憶を収めるための巨大な書庫の幻影が立ち上がった。
「誓うよ、拓夜。僕は、勝者の都合で塗りつぶされる歴史を拒絶する。
たとえ不格好な記録であっても、多方面から見た『真実』をすべて残す。
それが、歴史王国(ヒストリア)の唯一の法だ」
3. 13点の重み
拓夜の話が終わる頃には、地下書庫の隙間から、青白い夜明けの光が差し込んでいた。
「……だから、俺たちは守るんだよ。
尚秋みたいな野郎が、誰かの生きた証を勝手に『無』に書き換えるのを止めるために。たとえそれが、本人にとって消したい過去だとしてもな」
拓夜は立ち上がり、私の頭を乱暴に撫でた。
「お前の13点のテストも同じだ。それがお前の格好悪い歴史だとしても、それを守り抜くのが俺たちの仕事なんだよ。……わかったら、さっさと寝ろ。明日もまた、記録の整理を手伝ってもらうからな」
「……うん。ありがとう、拓夜」
私は、ポケットの中のテスト用紙に触れた。
雪也と拓夜が守り抜いてきた「記録の重み」。
その本当の意味を知った私は、もう、尚秋の甘い誘惑に負けることはない。
不格好でもいい。痛みがあってもいい。
私は私の歴史を、自分の手で書き記していこう。
たとえ、魔法で消された世界であっても。
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