【第7話】『忘却の宴と、消えゆく名前』(歴史王国編)
【前回までのあらすじ】
歴史を消去し「忘却」を美徳とする魔法王国(マギステル)へ足を踏み入れた悠(はるか)たち。そこで待ち受けていたのは、不気味なほど若々しい姿を保つ魔法国王・尚秋(なおあき)だった。
「悲しい記憶を消すのは救いだ」と説く尚秋に対し、悠は「記憶を消すのはその人の人生を奪うことだ」と真っ向から反論する。傍らに佇む心なき
少女・鈴(すず)の虚ろな瞳に、悠は尚秋が奪ってきたものの重さを予感
する。
かつて島根で感じた孤独すらも自分を形作る大切な歴史だと確信した悠。
しかし、尚秋は余裕の微笑みを浮かべ、悠の心を揺さぶるための「完璧な
忘却」の祝祭を開始する。13点の記憶を守るための、静かなる戦いが始まった。
前回のお話はこちら
1. 誘惑の晩餐会:書き換えられる記憶
魔法王国(マギステル)の宮殿。
その最上階にある晩餐会場は、
眩いばかりのクリスタルのシャンデリアに照らされていた。
テーブルの上には、宝石のように輝くソースがかかった肉料理や、
虹色の気泡を纏ったスープが並んでいる。
「さあ、悠ちゃん。遠慮しないで食べてよ。
これはね、食べれば食べるほど『幸せ』になれる料理なんだ」
隣に座る国王・尚秋(なおあき)が、滑らかな手つきで私のグラスに琥珀色の液体を注いだ。
その仕草はどこまでも優雅で、大人の余裕に満ちている。
けれど、彼の瞳は獲物を狙う蠍(さそり)のように、
私の反応を一点も見逃すまいとしていた。
「島根での、あの苦しい記憶……。学校での裏切り、
13点のテストを突きつけられた夜の孤独。
そんなゴミみたいな思い出、ここで全部食べてしまいなよ」
尚秋の囁きは、甘い毒のように私の耳の奥に溶け込んでくる。
料理から立ち上る香りを吸い込むたび、不思議と胃の奥の重苦しさが消えていくのを感じた。
(……忘れても、いいのかな。こんなに楽になれるなら……)
いじめられたこと。
親との断絶。
消してしまいたい過去の断片が、目の前の料理に吸い込まれ、
キラキラとした多幸感に書き換えられていく。
私の意識は、心地よい微睡みの中へと誘われていった。
2. 鈴(すず)の接触:ひび割れた警告
「……失礼いたします」
あまりの幸福感に目眩を覚えた私は、ふらりと席を立ち、
逃げるようにテラスの闇へと足を向けた。
冷たい夜風が火照った頬を撫でる。
そこへ、音もなく一人の少女が現れた。
尚秋の配下、鈴(すず)。
玉座の間では彫像のように無表情だった彼女が、
周囲に誰もいないことを確認すると、おもむろに唇を動かした。
「……この国には、近づかないほうが身のため」
その声は、ひび割れたガラスのように細く、震えていた。
私は息を呑む。
「鈴……さん? あなた、喋れたの……?」
「……特にあなたは、あの男(国王)から離れた方がいいわ」
感情を殺していたはずの彼女の瞳に、
一瞬だけ、深い慈しみと絶望が混ざったような光が宿る。
それはまるで行き場を失った母親が、我が子を案じるような眼差しだった。
「……これ以上、大切なものを奪われないうちに。
……行きなさい。早く」
「大切なものって、何……? 待って、あなたは誰なの?」
問いかけようとした瞬間、彼女は再び無機質な人形の表情に戻り、
闇の中へと消えてしまった。
3. 剥がれ落ちる「自分」:消えゆく名前
鈴の言葉に弾かれたように我に返った私は、慌てて宴席に戻ろうとした。
けれど、足を踏み出した瞬間、足元が崩れるような感覚に襲われる。
「え……?」
見れば、周囲の景色――
大理石の床や、
金色の壁――が、
バラバラの「文字」に分解され、
さらさらと砂のように崩れ落ちていくではないか。
それだけではない。
私の内側からも、何かがこぼれ落ちていく。
(私の、名前……。名字は……佐藤? 鈴木? ……あれ、思い出せない)
家族の顔。
島根の神社の匂い。
登校路に咲いていた花の色。
今まで当たり前だと思っていた「私を形作る断片」が、
尚秋の魔法によって次々と消し去られていく。
「おや、鈴が何か余計なことを言ったかな?」
闇の向こうから、尚秋がゆっくりと歩み寄ってきた。
その口角は愉しげに吊り上がっている。
「でも無駄だよ。君の記憶はもう、僕の魔法の『餌』になったんだ。
空っぽになった君の心に、僕が最高の物語を上書きしてあげるからね」
4. 拓夜(たくや)の乱入と「13点」の抵抗
絶体絶命の瞬間。 記憶の霧の中で、鋭い声が響いた。
「おい、痩せっぽち! 何ボサッとしてんだ、しっかりしろ!」
護衛の包囲網を力ずくで突破し、
剣を抜いた拓夜(たくや)が飛び込んできた。
彼の怒鳴り声は、混沌とした私の意識に一本の杭を打ち込むように届いた。
(拓夜……。……そうだ、私……)
私は震える手で、ポケットの中を探った。
そこには、あのクシャクシャになった「歴史13点」のテスト用紙があった。
尚秋の魔法でさえ消しきれなかった、不格好で、苦々しい、私の敗北の証。
(……この13点こそが、私が私である証拠なんだ!)
「……ちっ。計算外だな。そんな端た点の記憶に、
俺の魔法を押し返すほどの『核』が残っていたなんて」
尚秋が不機嫌そうに目を細めた。
「悠ちゃん、君は面白いね。
普通なら、もっと綺麗な思い出にしがみついて壊れていくもの
なんだけど……。
君が守ったのは、そんなに醜くて、痛々しい過去なのかい?」
「私は、悠!
山陰の島根で生まれて、歴史が13点しか取れなかった
……情けないけど、それが私なの!」
不完全な自分を、その痛みごと認める強さ。
その叫びが、尚秋の「完璧な忘却」にひびを入れた。
5. 誰かの残像:不気味に光る鎖
混乱が広がる中、私は拓夜の背後に隠れながら、立ち尽くす鈴の背中を見つめた。
その瞬間、視界が歪む。
無機質な人形のような鈴の背中に、なぜか形容しがたい「既視感」を覚えたのだ。
(……この感じ、何? 鈴さん、あなたは……誰なの?)
彼女の放つ静かな悲しみは、地下書庫の白紙のページから感じた、
あの「誰かの人生の残像」に似ている気がした。
問いかけようと口を開きかけた、その時。
「……遊びすぎたね、鈴。おしおきだ」
尚秋が冷酷に指を弾いた。
鈴の首元に巻き付いた青い鎖が不気味に発光し、
彼女の体から僅かに残っていた「体温」を容赦なく奪っていく。
「っ……!」
鈴は一瞬だけ、苦しげに眉を寄せ、微かに唇を震わせた。
助けを求めるような、あるいは謝罪するような、人間らしい表情。
けれどそれも刹那の間。
彼女の瞳からは光が消え、再び意志を持たない無機質な「人形」の表情
へと戻ってしまった。
「さあ、お遊びはここまでだ。雪也(ゆきや)も待っている。
……今日は帰してあげるけど、次はもっと深いところまで君を招待するよ、悠ちゃん」
尚秋の蠍(さそり)のような笑みが、祝祭の夜を凍らせていく。
私は拓夜の腕に引かれながら、何度も後ろを振り返った。
あの無表情な少女の瞳の中に、消されなかった「愛と恩」がまだ残っていることを、確かめる術もないままに。
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