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【第2話/前編】『13点の価値は家一軒? 〜愛と恩の国の言葉~』(歴史王国編)


【前回のあらすじ】
島根での孤独な日常に限界を感じていた17歳の悠(はるか)は、手元に
「13点の歴史のテスト用紙」を残したまま、異世界「歴史王国(ヒストリア)」へと転移してしまう。

そこは歴史そのものが価値を持つ国。悠は元の世界へ帰るため、国王・雪也(ゆきや)に対し、彼らが知らない「日本の歴史」を情報として提供する
ことを提案し、城での滞在を許される。
しかし、その条件として口の悪い少年・拓夜(たくや)に監視されることに。

現実世界での絶望を抱えていた悠の心に、未知の世界への高揚感と、生意気な拓夜への反骨心が芽生え始める。
歴史の赤点用紙は、この国でどんな価値を生むのか。悠の異世界サバイバルが幕を開ける。

第1話はこちら


「……ここが、私の部屋?」

拓夜に案内された扉を開けた瞬間、悠は息を呑んだ。
高い天井には、複雑な彫刻が施された梁が走り、窓からは柔らかな月光が差し込んでいる。
ふかふかの絨毯の上には、島根の自宅にある学習机よりも大きな、艶やかな木のテーブルが置かれていた。

(自分の部屋の、三倍……いや、四倍はある……)

実家の自室を思い出す。
万年床の布団に、教科書が山積みになった狭い机。
壁には進路指導のプリント。
あの息の詰まるような「日常」が、今は遠い夢のようだった。

「いつまで突っ立ってんだよ。さっさと座れ。飯が来るぞ」

拓夜のぶっきらぼうな声に、悠は弾かれたように椅子に腰を下ろした。
間もなくして、白いエプロンをつけた使用人たちが、見たこともない料理を次々と運んできた。

「これは……?」

テーブルに並んだのは、鮮やかな紫色のスープに、宝石のようにキラキラと輝く粒が乗ったサラダ。
そして、見た目はリンゴに近いが、表面が虹色に光る不思議な果物。
どれも島根のスーパーでは逆立ちしても見かけないものばかりだ。

「この国の名産、『記憶の雫』という果実だ。一つ食べるだけで、頭が冴えると言われているよ」

いつの間にか、雪也が優雅に席についていた。
彼が一口運ぶのを見て、悠もおそるおそるスプーンを手に取る。
けれど、胃の奥がギュッと縮まっていて、せっかくの豪華な料理も砂を噛んでいるような感覚だった。

(毒は……入ってないよね。
でも、こんなに良くしてもらって、私に何ができるんだろう。
本当に日本の歴史なんて役に立つのかな……)

不安が喉を塞ぎ、手が止まる。
すると、向かい側に座る拓夜が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「おい、手が止まってるぞ。さっさと食え、痩せっぽち」

「……痩せっぽちって、失礼ですよ!」

「事実だろ。そんな細い腕で、明日から歴史を語れるのか?
雪也が用意してくれた飯を残すなんて、この国じゃ重罪だからな」

「えっ、重罪!?……うそっ、食べます、食べますから!」

慌ててスープを口に流し込む悠を見て、雪也が「ははっ、拓夜、嘘が悪いよ」と声を立てて笑った。
拓夜はフンと顔を背けたが、その瞳には、ほんの少しだけ先ほどとは違う色が混ざっているように見えた。




「……はぁ、お腹いっぱい」

拓夜に急かされるまま、見たこともない料理を口に運んでいるうちに、いつの間にか完食していた。
不思議なことに、あの虹色の果実を食べてから、島根で感じていた重苦しい頭痛がすっと引いている。


「口に合ったようで良かった。さて――」

雪也がナプキンで口元を拭い、ふっと目を細めた。
その穏やかな、けれどすべてを見透かすような眼差しが悠を射抜く。


「悠。君が持っていた、あの『紙』を見せてくれないか。門をくぐるとき、君が大切そうに握りしめていたものだ」

「えっ、あれを……?」

悠の心臓がドクリと跳ねた。 お城のテーブルには不釣り合いな、あのクシャクシャの紙。 恥ずかしさで指先が震える。

「……これ、ただのテストなんです。しかも、すごく点数が悪くて……
見せるようなものじゃ……」

「いいから出せよ。雪也が興味を持ったんだ」

拓夜に促され、悠はおそるおそるポケットから「歴史13点」の解答用紙を取り出した。 真っ白なクロスの敷かれたテーブルの上に、赤ペンで大きく書かれた「13」という数字が、無慈悲にさらけ出される。

雪也はそれを手に取り、宝石でも鑑定するかのように、ランプの光にかざした。


「……信じられないな」

雪也の声が、少しだけ上ずった。
いつも余裕のある国王の、初めて見る動揺。

「雪也? どうしたんだよ、そんな紙切れ」

拓夜も身を乗り出して覗き込む。
雪也は震える指先で、日本語で書かれた「織田信長」や「本能寺の変」という文字をなぞった。

「拓夜、これを見てくれ。この紙の繊維の細かさ……この国にあるどんな高級紙よりも、遥かに高い技術で作られている。そして、この複雑な意匠(文字)だ。一文字一文字に、僕たちの知らない数百年、数千年の重みが詰まっているように感じる……」


雪也は悠を真っ直ぐに見据えた。

「悠。君はこれを『点数が悪い』と言ったけれど……。この紙一枚で、この街の家が一軒買えると言ったら、君はどうする?」

「……え、いえ……いっけん!?」

悠は椅子から転げ落ちそうになった。
島根では母親に「あんた、こんな点数取って恥ずかしくないの!」と怒鳴られた、あの忌々しい紙。 それが、ここでは不動産に匹敵する価値があるというのか。

「お前……そんなヤバいもん持ってたのかよ」

拓夜の目が、驚愕で見開かれる。
悠は、手元にある13点の重みが、急に数トンもの重さに変わったような気がした。

「……13点なのに。私、歴史はいつも13点とか、そんなのだったのに……」

「これに書かれた知識が、君の頭の中にあるんだろう?」

雪也が、ニッと不敵に、けれどどこか嬉しそうに口角を上げた。

「素晴らしい。悠、君は僕たちが喉から手が出るほど欲しかった『歴史の宝庫』だ。君がこの国にいてくれるなら、城一つ分でも、喜んで支払おう」


悠は呆然とした。 居場所なんてどこにもないと思っていた。
自分には何の価値もないと思っていた。
けれど、この世界では、私が「持っているもの」すべてが、最高の宝物になるらしい。


雪也は、悠が差し出したテスト用紙の余白に書かれた文字を、宝石でも愛でるように指でなぞった。

「悠、この複雑な曲線の連なり……そして、時折混ざる角ばった記号。
これは一体、何を意味しているんだい?」


悠は深く息を吸い込んだ。
島根の教室では、ただ「覚えるべきもの」だった文字。
けれど、この世界で、この二人の前で語るそれは、特別な輝きを帯びていた。

「……これは、日本語という私たちの国の言葉です。
私たちは、三種類の文字を組み合わせて使います。
柔らかい『ひらがな』、外から来た言葉を表す『カタカナ』、
そして、それ自体に意味が宿る『漢字』」

「三種類……!?
ひとつの言語に、それほど多くの体系が共存しているのか」

雪也が、未知の概念に触れた学者のように目を見開く。
悠は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに言葉を続けた。

「はい。私たちの言葉の基本は、『あ』から始まって、『ん』で終わります。……最近、私の世界ではこんな風に言われているんです」


悠は、テーブルの上の紙に、指で大きく文字を書く仕草をした。


「『あ』から始まって、『をん(恩)』で終わる。

……つまり、日本語は**『愛』で始まり、『恩』で終わる言葉**なんだって」


一瞬、部屋が静まり返った。
ロウソクの炎がパチリと爆ぜる音だけが響く。


「愛で始まり、恩で終わる……」

雪也が、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
さっきまで不機嫌そうにしていた拓夜も、今は腕を組み、真剣な眼差しで悠を見つめている。


「……お前、そんなこと考えて喋ってたのかよ」

「……私も、向こうにいた時は忘れてた。
でも、今ならわかる気がするんです。
言葉の一つ一つに、先人たちが込めた思いがあるんだって」


悠の瞳に、少しずつ力が宿っていく。
「この『歴史13点』の紙には、私の国の英雄たちの名前が書いてあります。例えば、この『織田信長』。彼は、古い時代を壊して、新しい世界を作ろうとした人です……」


雪也は深く、深く頷いた。
「素晴らしい。文字の成り立ちにさえ哲学がある。
悠、君の語る歴史は、ただの記録じゃない。生きるための指針(ルール)だ。
……拓夜、聞いたか。家一軒どころじゃない。
この『愛と恩の言葉』は、我が国の国宝に値するぞ」


「……ああ。認めざるを得ないな。13点なんてバカにして悪かったよ」

拓夜が少し気恥ずかしそうに視線を逸らした。
悠は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
島根では「出来損ない」のレッテルだったテスト用紙が、この世界では「愛と恩」を伝える架け橋になっている。


「……続き、もっと聞きたいですか?」
悠の問いに、雪也は身を乗り出し、子供のような純粋な笑顔で答えた。

「もちろんだとも。夜が明けるまでだって、君の『日本』の話を聞いていたいよ」



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