【第9話】『文字の導きと、緑の来訪者』(歴史王国編)
【前回までのあらすじ】
魔法王国での記憶の欠落に怯える悠(はるか)に対し、拓夜(たくや)は歴史王国(ヒストリア)の建国秘話を語り始める。かつて前王の暴政によって「敗者の歴史」が焼き捨てられる惨状を目の当たりにした雪也(ゆきや)。彼は、天から降り立った天使・拓夜と「血の盟約」を交わし、不格好な記録すらもすべて守り抜く国を創った。
「13点のテストも、お前の大切な歴史だ」という拓夜の言葉に、悠は痛みや不名誉さえも自分を形作る欠かせない断片であることを再確認する。
忘却を強いる魔法王・尚秋(なおあき)に対し、自らの歴史を書き記し、守り抜く覚悟を決めた悠。深夜の書庫で、彼女は失われた記憶のパズルを埋める新たな調査へと乗り出す。
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1. 嵐のあとの「ひょっこり」
魔法王国の不穏な祝祭から数日。
歴史王国には、少しずつ日常が戻りつつあった。
地下書庫で記録の整理をしていた私の耳に、静まり返った館内には不釣り合いな、鈴の音のような明るい声が飛び込んできた。
「やっほー、雪也(ゆきや)! 元気にしてた?」
階段を駆け下りてきたのは、若草色の軽装に身を包んだ、瞳の大きな少女だった。
背中には大きな筒状の文箱を背負い、その足取りはダンスでもしているかのように軽い。
「……翠(みどり)か。相変わらず騒がしいな」
雪也が呆れたように、けれどどこか嬉しそうに目を細める。
彼女は典言(てんげん)王国(グロッサリア)の配下、翠。
文字を解読し、その魂を保存することを使命とする国の伝令役だ。
「もう、冷たいなあ。
典言王国の国王、揚羽(あげは)様からの親書を預かってきたんだよ。
40代の美魔女オーラ全開で『早く届けてきなさい!』って追い出されちゃった」
翠さんはケラケラと笑いながら、雪也さんに豪奢な書状を手渡した。
そして、その大きな瞳をぱちくりさせて私を凝視した。
「……あれ? 雪也、この子は誰? 新しい配下?
それとも、迷子の妖精さん?」
2. 意外すぎる二人:歴史王国のスキャンダル?
「私は悠(はるか)です。……その、別の世界から来ました」
「へぇー! 異世界人! 面白そう!
私、翠だよ。よろしくね、悠ちゃん!」
翠さんは私の手をぎゅっと握り、ブンブンと振り回した。
拓夜とは正反対の、太陽のようなエネルギーに圧倒される。
「さて、と。任務完了!
……ねえ、雪也。せっかく来たんだから、ちょっとお話しない?
揚羽様には内緒で、美味しいお茶でも淹れてよ」
翠が雪也の腕に自分の腕を絡める。
すると、あの冷静沈着な歴史王国の国王が、少しだけ顔を赤らめて咳払いをした。
「……ああ、わかった。
拓夜、悪いが少しだけ翠と席を外させてもらう。……悠のことは頼んだぞ」
「……へいへい。ごゆるりとな」
拓夜が心底面倒そうに手を振る。
二人は親しげに肩を並べ、書庫の奥にある私室の方へと消えていった。
3. 「え? あの二人って……?」
嵐のように去っていった二人を見送り、私は呆然と立ち尽くしていた。
……今の、どう見ても「そういう」雰囲気だよね?
「ねえ、拓夜。
……あの二人、もしかして恋人同士なの?」
私の問いに、拓夜は棚の整理を再開しながら、鼻で笑った。
「見ての通りだ。雪也の野郎、ああ見えて面食いでな。典言王国のあの跳ねっ返り娘に、もう何年も首ったけなんだよ。
国同士の付き合いもあるが、半分は私情だな」
「ええっ! 雪也さんがあんなにデレデレするなんて……」
「ま、雪也も人の子だってことだ。
あの翠ってのが来ると、この城の空気も少しはマシになる。
……あいつは文字の専門家だ。
お前の持ってる『あの紙切れ』の謎を解くには、あいつの力が必要になるだろうしな」
拓夜くんはそう言って、少しだけ表情を和らげた。
歴史を守るという重い使命を背負った雪也さんにも、心休まる「歴史」がある。
それを知った私は、なんだか少しだけ、この世界がさっきより身近に感じられた。
4. 図書室の独占権:小さなしこりと王様の反撃
数刻後。
揚羽様への返書を書き終えた雪也に呼ばれ、私はお茶の香りが漂う私室へと足を運んだ。
そこには、先ほどまでの快活な様子とは打って変わって、少しだけ唇を尖らせた翠さんの姿があった。
「……ねえ、雪也。さっきの悠ちゃん、可愛かったね」
翠さんは運ばれてきたハーブティーの湯気をじっと見つめながら、わざとらしく溜息をついた。
「日本から来たっていうし、珍しくて新鮮だったんじゃない?
あんなに熱心にこちらの歴史を教えてあげちゃって。
……私という存在がありながら、あの子にうつつを抜かしてるんじゃないの?」
「……翠」
雪也が羽ペンを置き、その端正な顔がゆっくりと上がり、切れ長の瞳が真っ直ぐに翠さんを捉えた。
その瞳は、射手座らしい理知的な光と、何かを見透かすような鋭さを湛えている。
その動作一つに、私は思わず息を呑んだ。
翠さんは上目遣いで彼を盗み見ている。
本気で疑っているのではない。
ただ、いつも完璧な「歴史王国の王」が少しだけ困る顔を見て、自分の特別さを確認したかっただけなのだろう。
けれど、雪也は困るどころか、フッと喉の奥で低く笑った。
「悠のことか? 困ったな。彼女はあくまで大切な協力者だ。
……俺には、もっとうつつを抜かしている『おてんば娘』が他にいるからな」
雪也が椅子から立ち上がり、ゆっくりと翠さんの目の前へ歩み寄る。
逃げ場を塞ぐように、彼女が座る椅子の背に手をかけた。
「そいつは隙あらば俺の仮面を剥がそうとし、
公務中も俺を独り占めしようと画策する。
実に手のかかる、困った女性なんだが」
「おてんば、って……っ、ちょっと雪也!」
至近距離で見つめられ、
雪也さんの瞳に宿る「熱」に当てられた翠さんの顔が、
一瞬で林檎のように赤くなる。
「自覚はあるんだろう? 翠。
俺が今、どれだけお前に『うつつを抜かして』、仕事に戻れずにいるか」
「……っ、……もう! バカ雪也! 言い返してこなくていいのに!」
真っ赤になって顔を伏せる翠さんと、その反応を楽しむように彼女の髪を優しく掬い上げる雪也さん。
……あ、これ、私がお邪魔していい空気じゃないやつだ。
私は、そっと扉を閉めて廊下へ引き返した。
「……たく、あいつら。公私混同も甚だしいぜ」
壁に寄りかかって待っていた拓夜が、呆れたように、
けれどどこか優しく目を細めて言った。
「ま、あの跳ねっ返りの翠がいてこそ、雪也の『王様』としての重い鎧が外れるんだ。
悠、お前もあいつらの惚気(のろけ)には、早めに慣れておくんだな」
拓夜の言葉に、私は小さく笑った。
歴史を守るという重い使命を背負った二人の間にある、甘くて揺るぎない絆。
この世界には、文字や記録だけでは語り尽くせない「今この瞬間」の歴史が、鮮やかに刻まれているのだと感じた。
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