折り鶴とアヒル──Aさんが“刑務所と自分の現実”に気づいた日。
拘置所の担当刑務官の「優しさ」により、約2年半続いた単独室での気楽な読書生活を奪われ、「分類」のために入った刑務所で、いきなり共同室に入れられたAさんの話の続きです。
前回の話は、下の記事をお読みください。
ということで今回は、「分類」のために集められた、拘置所と同県にある大きな刑務所で、Aさんにとって初めての共同室生活が始まったところからスタートしたいと思います。
「分類」のために集められた刑務所は、まだ正式に配属される刑務所ではなく、よって正式な配役でもないので、長期間継続的に行っていくような刑務作業は与えられません。一般的には軽作業、例えば「アイスクリーム用の木のスプーンを束にして袋に詰めていく作業」「ピンチ作業(洗濯バサミの製作)」など、すぐに覚えられて途中でやめられる、比較的簡単な作業が与えられます。工場への配役はまだなので、それらの作業を居室内で行うことになっていました。
作業材料が尽きた際などは、居室内にある「報知器」(部屋の内側にあるボタンを押すと、部屋のドアの上部についている木の札が「カコーン!」という音が鳴ると共に落ちてくる「装置」。施設によってはランプが光る仕様になっている所も多い。)を出して、材料を持ってきてもらうのですが、その間に、数分・数秒の時間が開くことも当然あります。その間も、彼らは「受刑者」ですので、ボーッとしている訳にはいきません。
そんなときにやらなければならないのが「折り鶴製作」です。
これはどういう作業かというと、先ほど書いた通り、与えられた折り紙で折り鶴をひたすら作り続けるというものです。
「受刑者が数分・数秒だろうが、ボーッとするなど言語道断。とりあえず何でもいいから作業をやって待ってろ。」ということなのでしょう、受刑者は折り鶴を折り続けなければならないのでした。
折れた鶴のクオリティは様々ですが。Aさんは手先が不器用だったので、Aさんが作った鶴を周りの皆が「これはアヒルやで!」と言って笑うのでした。で、笑っているところを担当刑務官に見つかり、超激怒されるのでした。
また、その刑務所での作業として、「3色の小さいビーズが一つの箱に入っているので、それを色別に取り分けて、分別収納する作業」というものがありました。
3色のビーズを別々に分別し終えたら、担当刑務官に提出するのですが、暫くするとまた同じ「3色の小さいビーズが入っている一つの箱」が配られるのです。
受刑者たちは思いました。
「これ、俺らが分けたビーズを向こうでまた一緒くたに混ぜとるだけやで、、、」
これはまさに「賽の河原での石積み」です。
昔、どこかの国で、「受刑者に穴を掘らせて、ようやく掘れたと思ったら、刑務官がその穴を埋めていき、受刑者はまたそこに穴を掘っていく」という刑罰があったと聞いたことがありますが、まさにそれです。無意味な作業が精神的に最もキツい。それを刑務所はやらせている訳です。そう受刑者たちは思いました。
そんなこんなで、アイスのスプーンを束にして袋詰めしたり、折り紙で鶴を折ったり、ビーズを分別したりという日々が続きました。
そんなときにAさんはポソっと、「はあ、刑務所に行くの嫌やなぁ、、、」と呟きました。それを聞いた他の受刑者は「ここは刑務所やで!」と言葉を返すのでした。
Aさんは、
「まさか刑務所でこんな単純な作業をやらせる訳はない。」
「懲役刑は強制労働を意味する。刑務所という地獄での強制労働、、、呼吸もままならない、生きるか死ぬかの危険な作業を強制される日々が待っているんや。」
そう思いました。
ビーズの分別は確かに精神的にキツかったですが、それでも「刑務所の真実はこんなもんじゃない。これはレクリエーション的なお遊びなんだ。」と思っていました。
しかしここがまさに刑務所なのです。「分類」のために移送された刑務所だといっても、紛れもなくここは刑務所なのです。「分類」という概念が、Aさんに勘違いをさせていたのです。
Aさんは後で知ることになるのですが、正式に配役された刑務所でも、似たような作業ばかりなのでした。確かに木工や金属加工、そして皮革製品の製作など、高い技術が必要になる作業が刑務所にはありましたが、大抵の工場では、似たような軽作業を行っているのでした。
Aさんがいる所は既に刑務所なのでした。
確かにアイスのスプーンの束を袋に詰める作業も、やってみるとなかなか難しい気がしました。綺麗に整った見た目になるように詰めていくのもなかなか難しかったのです。これらは娑婆では商品となり、売買の対象となるものです。ならば可能な限り美しく詰め込んでいかなければなりません。
そのように意識を高く持って作業をしていたAさんなのですが、商品の仕上がりはどれもボロボロなのでした。とにかく下手。ぐっちゃぐちゃです。
この頃から薄っすらと、「自分はまともに仕事ができないんじゃないか?」という、既に40歳を超えた自分に対する疑念が浮かび上がってきたのです。先述した折り鶴もかなりの下手さ加減で、自分では上出来だと思って作った折り鶴に対しても、周りの評価は「それはアヒルやで」というものでした。そんな失敗体験を重ねると、Aさんは、自分の仕事のできなさ、手先の不器用さはヤバいぐらいなんじゃないかと、じわじわと感じ始めたのでした。
これは統計を取ったこともないですし、確実なデータやエビデンスがある訳ではないので、完全に僕の推測なのですが、刑務作業などを見たり、話に聞いたりして思うことは、「悪い奴の方が作業(仕事)ができる」ということです。
また同様に、共同室での振る舞い方や掃除の仕方など、娑婆で「悪かった」ような人の方が上手くこなしているように感じられます。
ある元受刑者との話で聞いたのですが、その元受刑者は、刑務所に入る前の娑婆では、本人曰く「兄貴分」という人がいた、と。そして、その「兄貴分」という人に、基本的な礼儀や刑務所での振る舞い方、そして部屋がピカピカになるような掃除の仕方まで、様々なことを教えらてきたと言うのです。
確かにそういった経緯や経験を持つ人にとっては、刑務所生活は、「兄貴分」の普段からの教えを実践する場となる訳です。そのような「教え」を受けていない受刑者と比べると、刑務所で「安全に生きる」ための手段の多寡に大きな差が出て当然なのです。
犯罪傾向の進んだ者「B指標」の者を収容する、いわゆる累犯刑務所は、ヤクザの数が相当に多いのですが、累犯刑務所でのヤクザは一般の被収容者よりも大人しく、刑務官に喧嘩を売ったりするようなことは滅多にないようです。
これは累犯刑務所の刑務官の方から伺ったお話なのですが、ヤクザは「刑務所など俺が生きる場所じゃない」「俺は娑婆でやらなあかんことがあるんや」と思っているので、刑務所で無駄な騒ぎは起こさず、今では仮釈放を得て出所するヤクザも相当数存在するとのことでした。ただ、居室(共同室)では、自分が楽に生活できるように完全にヤクザが仕切ってしまうということです。
これらを一言で表すと「ヤクザは上手いことやっている」ということになるのだと思います。
どんな世界でも、「良き(?)師匠・先輩」が居るということは、かなりのメリットになるのでしょう。それは「悪の世界」でも同じだということなのです。
ということで今回はこの辺で。
またこの続きを書いていきますので、その際もどうぞよろしくお願いいたします。閑話休題的に、何か変な記事も途中で挟むかもですが、お付き合いくだされば幸いです。
