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#3 スーパーセンシティブ〜自分を殺すのはやめました〜(加筆修正版)

これは私、白山まひるの体験談です。

散々な人生を送りましたが、巣鴨にあるヨガスタジオ「サットヴァスタジオ」との出会いによって、不安障害を克服し、育児放棄をやめて、離婚も回避しました。

このスタジオに通うことで劇的に人生が良い方に変わったので、あえて「サットヴァスタジオ」と実名を出します。

なお、報酬などは一切もらっていません。

純粋に同じような体験で苦しんでいる人に知ってほしいという気持ちで自分の体験を書いているので、興味のある方は先を読んでほしいです。

ですが、「散々な人生」のくだりには性の描写やバイオレンスな内容が含まれます。苦手な方はブラウザバックしてください。

↓「サットヴァスタジオ」HP

↓この続きです

■長男出産

人生初の出産には、主人の立ち合いを希望しました。

我が子が生まれる瞬間に立ち会った彼は、「俺が2人を守らねば」と強く思ったようで、これまで以上に仕事に打ち込むようになりました。

主人は朝早く家を出て終電での帰宅。
私は慣れない育児で自分を保つのに精いっぱい。

お互いに疲弊しきっていて、夫婦で話をする時間なんて全くとれませんでした。
彼なりに家庭を守るために頑張ってくれていたのでしょうが、私はそんな生活に、ひたすら孤独を感じていました。

お互いの両親は遠方に住んでいて、近くに頼れる人はいません。
初めての子育てによる不安・不眠・栄養不足の3つが重なり、私の神経は驚くべき早さですり減っていきました。

しばらく落ち着いていた不安症状(すぐ泣く、突然の不安感、過呼吸、絶望感、倦怠感など)が出はじめたので、カウンセリング治療を再開しました。

心からの信頼を寄せているカウンセラーにから離婚を勧められました。

「離婚なんてしたら、これからどうやって生活していけばいいの?」

新卒で働き始めて1年も経たずに社会からドロップアウト。
しかも理由は精神的なもの。
そんな私にとって、経済的な保護者である主人との別れは、救いというよりも不安と恐怖をもたらしました。

精神的にも経済的にも主人に依存しきっていた私に、「離婚」という選択肢はどこにもなかったのです。

限りなく非現実的な話ですが、もしも当時、精神面・金銭面ともに自立出来たなら、離婚はとても魅力的な提案でした。
働くという現実は見つめず、ただ「自分が虐げられている」という箇所だけを取り上げて、当時の私はとても危ない状態にいたのかもしれません。



■望まないセックス。望んだ2度目の出産

息子を妊娠した頃から、主人の亭主関白なふるまいが気になりはじめました。

お腹が大きくなるにつれて制限される行動。
妊娠前と変わらない主人の態度。
世の育メンとはほど遠い彼に、気遣いを期待する気持ちとともに、愛情も薄れていきました。

「手を繋ぐのすら嫌だけど、どうしても女の子が欲しい!!

私は意を決して、断り続けていた主人の誘いを受けました。

そうして何度目かのセックスで成した2人目は、念願の女の子でした。
出産の立ち合いは母に頼みました。
主人に対する期待は完全に消え失せていて、心から私に寄り添ってくれる人を選んだのです。


■首絞め事件

無事に第2子を出産。
たった4日の入院生活を終えて、待ったなしの育児と家事がスタート。
わずかながら残っていた私の余裕は完全に消え去りました。

昼夜問わず泣き続ける生まれたての娘。
人見知り全開でかまってちゃんな3歳の息子。
仕事に全力で家庭に無関心な夫。

息子が幼稚園に行き、娘が寝ている間だけが唯一の私の自由時間でした。

実家は徒歩圏内にありましたが、そこに居るのは子育て経験のない父だけ。
「心配をかけたくない」という思いから、夫婦仲がうまくいっていないことは父に話していませんでした。たまに実家に顔を出すようにはしていましたが、あまり頻繁に行くと不審がられると思い、訪問頻度も抑えていました。

そこには父への思いやりのほかに、私の見栄や意地も含まれていて、同じ理由から親しい友人にも本音を打ち明けられずにいました。

「親しい人には弱みを見せたくない」。
その思いが強くなればなるほど、「優しいママ」「いつも笑顔な奥さん」「幸せそうな家庭」を演じました。

でも本当はもうとっくに限界を迎えています。
いくら見えるところを取り繕っても心の中はボロボロで、自分でも気付かないうちに、ひとりではどうにもならないところまで追いつめられていました。

私の情緒はどんどん不安定になって、イライラすることが多くなりました。

それは子ども達がいてもおかまいなしで、私は自分の気に触ることがあるとすぐに泣いて落ち込んで、布団で寝込むようになりました。

この頃になると、さすがの主人も私の異常に気付き始めました。
とはいえ多忙な彼に私の相手をする時間はありません。
そもそも夫婦仲が良好ではないので、私は彼のサポートを拒みました。

主人は考えた末、夏休みの1ヶ月間、自分の実家に私と子ども達を預けることにしたのです。

義実家はゆったりとした田舎町です。
周囲に高い建物はなく、見渡すかぎり山に囲まれた場所。
徒歩圏内に海があって、空気がとびきりおいしい。

でも、そののんびりな環境が私の精神をさらに追い詰めるのでした。

「まひるさんはただゆっくりしていればいいのよ。
家事の心配もしなくていい。
子ども達は私らが面倒みるからね」

義両親はそう言ってくれました。
子どもを産んだ途端具合が悪くなってしまうような嫁を責めることなく、むしろ気遣ってくれる、とても優しい人達。
でも、私にはその言葉も態度も全てが重荷でしかありませんでした。

義実家で私は、布団にくるまって泣くか寝るかの繰り返し。
優しい言葉をかけられればかけられるほど、私の心は荒んでいきました。
私が寝込んでいる部屋の向こう側で、「役立たずの嫁」と言い合っている義両親を勝手に創り出し、自ら心を疲弊させていきました。

もちろん、実際にはそんなことは言われていません。
優しい言葉が信じられなかったのです。

私の被害妄想はどんどん拍車がかかっていきました。

どうして責めてくれないのか。
どうしてもっとかまってくれないのか。


隣では生後間もない娘がわんわんと泣いています。

うるさい。うるさい。うるさい。
だまれ。だまれ。だまれ。
なくな。うるさい。

わめくな。だまれ。さわぐな。だまれ。
だまれだまれうるさいだまれうるさいだまれだまれだまれだまれうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれだまれ・・・

気が付くと
私は娘の首に手をかけていました。


いえ、本当は気付いていました。
明確な意思をもって、その柔らかな首を絞めていたのです。

「この泣き声を止めたい」
「こうしたら義両親や夫はもっと私にかまってくれるかな」
「ここまで追いつめられていたんだと気が付いてくれるかな」
「『かわいそうだ』と言ってもっと私に優しくてくれるかな」

私はただ誰かに、この地獄の日々から救い出して欲しかった。
その道具として娘を利用しました。


#4に続く

↓「サットヴァスタジオ」HP


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