仮定法過去・過去完了・現在は、本当に別々の文法なのか?
前回記事
今回は仮定法というか3章の終わりです。
「仮定法過去では、現在のことでも過去形を使う。」
英語教師なら、何度も教えてきたルールだと思います。
では、生徒からこう聞かれたらどうでしょう。
「現在のことなのに、なんで過去形なんですか?」
「仮定法だから」と答えることはできます。でも、それでは「仮定法ではなぜ過去形なのか」という問いがそのまま残ります。
さらに厄介なのが、仮定法過去完了と仮定法現在です。
If I were rich ...
If I had studied harder ...
He insisted that his son go ...
学校文法では別々に覚えるこの三つは、本当に別々の仕組みなのでしょうか。
今回は仮定法を、「現在なら過去形」「過去なら過去完了」という形のルールではなく、話し手が現実との距離をどう捉えているかという一つの視点から考えてみます。
3.4 仮定法(Subjunctive Mood):「現実との心理的距離を表す」
前節では、モダリティとは「出来事に対する話し手の心的態度を表すシステム」であることを見た。話し手は法助動詞を用いることで、
「そうかもしれない」「そうに違いない」といった推量や判断、
「〜しなければならない」という義務、
「〜してもよい」という許可、
さらには聞き手への配慮や丁寧さまで表現することができた。仮定法もまた、こうしたモダリティを表す文法システムの一つである。
仮定法とは何か
学校文法では、仮定法は
仮定法過去
仮定法過去完了
仮定法現在
という三つの文法事項として学ぶことが多い。
さらに、
「現在のことなのに過去形を使う。」
「過去のことなのに過去完了を使う。」
「advise や insist の後ろでは動詞は原形になる。」
というように、それぞれを別々のルールとして暗記することが求められる。しかし、本当にこれらは無関係な文法なのだろうか。
本節では、これらを一つひとつ独立したルールとしてではなく、一つの認知システムとして捉えてみたい。前節で見たように、モダリティとは、話し手が出来事に対して抱く心的態度を表す文法システムであった。法助動詞を用いれば、
He may be at home.
では「そうかもしれない」という推量を、
You must leave now.
では「そうすべきだ」という判断を、
Could you help me?
では聞き手への配慮や丁寧さを表すことができた。
仮定法も同様に、出来事そのものを表しているのではない。話し手が、その出来事を現実そのものとしてではなく、現実から距離を置いた内容として捉えているという心的態度を表しているのである。この意味で、仮定法とは単なる「仮定」を表す文法ではない。「これは現実そのものではなく、現実から距離を置いた内容である」という、文全体の雰囲気、すなわち法(mood)を示す文法なのである。
現実との心理的距離
次の二つの文を比べてみよう。
I am rich.
If I were rich, I would travel around the world.
一文目では、「私は金持ちである」という現実をそのまま述べている。これに対し、二文目では話し手は「私は金持ちではない」という現実を前提としながら、「もし金持ちだったら」という現実とは異なる世界を思い描いている。
ここで重要なのは、「金持ち」という内容が変わったわけではないことである。変わったのは、話し手がその内容をどのような立場から眺めているかである。直説法は、現実として認識している出来事を述べる。一方、仮定法は、現実とは距離を置いた出来事を述べる。
つまり両者の違いは、「出来事」ではなく、「出来事に対する話し手の心的態度」にあるのである。
なぜ過去形になるのか
ここで、多くの学習者は疑問を抱く。
「現在のことを話しているのに、なぜ過去形を使うのだろうか。」
学校文法では、「仮定法過去は現在のことを表す」という説明がよく行われる。もちろんこの説明自体は誤りではないが、これだけでは、「過去なのか現在なのか。」という混乱が残ってしまう。
ここで思い出してほしいのが、前節で説明した「時制」と「時間」は同じではないという考え方である。本書では、
時間:現実世界に存在する時間
時制:出来事を言語世界のどこへ位置付けるか
と説明した。つまり、過去形という文法形式が、常に過去という時間を表すわけではない。実際、私たちはすでにその例を見ている。
Could you help me?
Would you open the window?
これらは過去の依頼ではない。話し手は、過去形という形式を用いることで、聞き手との間に心理的距離を作り、より控えめで丁寧な表現にしていた。
英語では、「時間的距離」と「心理的距離」は、どちらも過去形という同じ文法形式で表現される。

仮定法も、この仕組みを利用している。
If I were rich...
の were は、過去という時間を表しているのではない。話し手が、この内容を現実から距離のあるものとして捉えていることを示しているのである。
したがって、「仮定法過去」とは、「過去のことを表す仮定法」ではない。正確には、「過去形(過去時制)という形式を利用して、現実との心理的距離を表す仮定法」なのである。
仮定法過去と仮定法過去完了
では、仮定法過去と仮定法過去完了は何が違うのだろうか。両者に共通しているのは、話し手が内容を現実そのものとしてではなく、現実から距離を置いた世界として提示している点である。
例えば、
If I were rich, I would travel around the world.
では、「今、私は金持ちではない」という解釈が自然である。ただし、仮定法過去が常に実現不可能を意味するわけではない。文脈によっては、実現の可能性が低い内容や、判断を保留して仮想的に考える内容も表す。
一方、
If I had studied harder, I would have passed the exam.
では、「実際にはもっと勉強しなかった」「実際には合格しなかった」という、すでに確定した過去の現実が前提となっている。違うのは、現実から距離を置いて想定している出来事が、現在・未来に属するのか、過去に属するのかという点である。
仮定法過去は、主に現在または未来について、現実から距離を置いた内容を表す。
仮定法過去完了は、過去について、実際とは異なる想定を表す。
つまり、
仮定法過去:現在・未来の現実から距離を置いた内容
仮定法過去完了:過去の事実に反する想定
という違いである。
仮定法現在は「想念」を表す
仮定法には、もう一つ重要な用法がある。それが仮定法現在である。例えば、
He insisted that his son go to bed early.
「insist の後ろでは動詞の原形を用いる。」という説明がよく行われるが、本当に重要なのは「原形であること」ではない。
この文は、「息子が早く寝る」という出来事が現実に成立していると述べているのではない。父親は、それを実現してほしい内容、すなわち要求として提示している。現状では息子が早く寝ていない可能性もあるが、重要なのは、その内容が事実として断定されているのではなく、実現を求める想念(要求・提案・願望など、心の中で思い描いている内容)として表されていることである。
つまり、現実の事実をそのまま述べる直説法とは異なり、ここで従属節の内容は、成立済みの事実としてではなく、実現を求められる想念として提示される。そのため、時制や人称による変化を受けない動詞原形、すなわち仮定法現在が用いられる。
要求・提案・願望の内容も、まだ現実の事実として成立したものではない。その意味で、話し手はその内容を現実から距離を置いたものとして提示しているのである。
このことは、他の動詞でも同じである。
The doctor advised that he stay in bed.
They suggested that the meeting be postponed.
The teacher demanded that everyone be quiet.
いずれも、従属節の内容は成立済みの事実ではなく、主節の主語による要求・提案・命令として提示されている。
直説法は、基本的に内容を事実として提示する法である。したがって、「まだ現実になっていない要求や願望」を、成立済みの事実としてそのまま提示することはできない。そのため英語では、こうした想念を表す際に仮定法が用いられるのである。
ここまでの整理
学校文法では、
仮定法過去
仮定法過去完了
仮定法現在
は別々の項目として扱われることが多い。しかし、認知的にはこれらは一つの仕組みとして理解できる。
仮定法過去は、現在・未来について、現実から距離を置いた内容を表す。
仮定法過去完了は、過去の事実に反する想定を表す。
仮定法現在は、要求・提案・命令・願望といった想念を表す。
仮定法過去
↓
現在・未来の現実から距離を置いた内容
(非現実的・可能性が低い・仮想的)
仮定法過去完了
↓
過去の事実に反する想定
(実際には成立しなかった)
仮定法現在
↓
想念
(成立済みの事実ではなく、実現を求める内容)
表面的な形は異なっていても、共通しているのは現実そのものを述べていないという点である。英語話者は、現実とは異なる世界を思い描くときも、まだ成立していない願望や要求を表すときも、仮定法というモダリティを用いて、「これは現実そのものとして提示されている内容ではない」という心的態度を聞き手へ伝えているのである。
第 3 章の終わりに本章では、英語の動詞がどのように出来事を表現しているのかを見てきた。学校文法では、時制・相・法(モダリティ)は、それぞれ独立した文法事項として学ぶことが多い。しかし、本章で見てきたように、これらは互いに無関係なルールではない。まず、話し手は出来事を言語世界のどこへ位置付けるかを決める。これが時制である。次に、その出来事をどのような視点から捉えるかを決める。これが相である。そして最後に、その出来事に対して推量・義務・丁寧さ・非現実・要求・願望といった心的態度を加える。これがモダリティである。つまり、英語話者は出来事をそのまま言葉にしているのではない。出来事を位置付け、捉え方を決め、さらに話し手自身の心的態度を加えることで、一つの英文を組み立てているのである。この流れを整理すると、次のようになる。
出来事
↓
位置付ける(時制)
↓
捉える(相)
↓
心的態度を加える(モダリティ)
↓
英文として出力する
ここまでで、英文の骨格となる情報はほぼ完成した。しかし、実際の英語は、情報をただ並べるだけでは終わらない。何と何を結び付けるのか。どこまでを省略しても伝わるのか。聞き手と共有できる情報はどこまでなのか。英語話者は、こうしたことを常に考えながら、情報を整理し、圧縮し、共有している。
次章では、このような情報伝達を最適化する仕組みを見ていく。接続詞は情報同士の関係を明確にし、分詞構文は共有できる情報を省略して表現を圧縮し、冠詞は話し手と聞き手の間で情報が共有されているかどうかを示す。ここまで見てきた「情報を組み立てる OS」は、次章でいよいよ「効率よく情報を伝える OS」へと発展していく。
