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【連載小説】あなたがそばにいれば 第1章 2

2020年発表『たしかなことばをつづれ』(改題)

高橋夏希(22)⋯企画営業部第三課に配属された新入社員。喪失を胸に抱えたまま、日常を静かに丁寧に生きようとする女性
高橋春彦(20)⋯夏希の弟。姉と二人で暮らしながら、自分の世界を静かに育てている青年
野島遼太郎(28)⋯企画営業部第一課主任。家族を拒み続けながら、誰かを深く愛することを恐れている男

登場人物

~Natsuki


x1年6月

 この春、社会人になった。
 なるべく早く、しっかり稼げるようにならなくてはと、中堅だけれども成長著しいコンサル会社に入社した。本当はもっと違うことをやりたいのだけれど、新卒採用をしていなかったことと、無理をするなら若いうちにと思ったので選んだ。

 オフィスは都心にあった。慣れないスーツにパンプス、ラッシュアワーのメトロ。ランチ争奪の昼休憩⋯⋯。これまでの生活とは打って変わって目まぐるしくなった。
 さらに入社後2ヶ月間は、新入社員の研修が人事部主導でみっちりと行われた。基本的なビジネスマナーから会社のサービス内容、業界研究など、インプットとアウトプットを繰り返し、毎日頭はヘトヘトの状態だった。
 そうしていつの間にか、通勤途中の沿道には色鮮やかな紫陽花が、鈍色に沈む街を彩るようになっていた。えっともうそんな季節なんだっけ、と圧倒されてしまう。

 5月の終わりに私が内示を受けたのは、会社の「花形」と呼ばれている企画営業部、その第三課だった。つまり、社内でも特に優秀な人が集まっているということ。特に目立った取り柄もなく、キャラ立ちするでもない私が、なぜ。人事に尋ねても「特に強い希望配属先もなかったので、可能性を伸ばしてみようとなった」とのこと。

 そうして迎えた6月最初の水曜、配属初日。朝から小雨の降り続く、じっとりとした、やや不快な日だった。
 企画営業部は12階の窓際に部署を構えている。同じ部に配属される同期6名が窓を右手に並んで立ち、企画営業部の全体朝礼が行われた。その際、それぞれの課の役職者からも挨拶があった。

『第一課主任の野島です』

 部長に続いて名乗った彼は、7人並んだ役職者の中で最も若く見え、同期が少しざわついた。
 それほど背は高くもなく中肉よりやや細いくらいの体軀だが、胸を張って顎を引き、威圧感を放っていた。眉間にわずかな皺を寄せ、鋭く皆を見据える。他の役職者が新入社員を迎えるにあたって穏やかな笑顔を湛えているのに、一人だけ異質だった。
 彼が挨拶している最中は同期の皆も背筋を伸ばし、真顔だった。いえ、慄いていたかもしれない。挨拶の最後に彼は、一列に並んだ新入社員を右から左へ、睨めるように黒目を動かすと、かすかに口角を上げた。

 いま、笑ったの?

 その瞬間、じわりと嫌な汗が滲んだ。配属が第一課でなくて良かった。こんな人の下で働きたくない。

🏢

 三つの課に分かれている企画営業部は横断的にプロジェクトに関わることも多く、第一課を中心に右手に第三課、左手に第二課が配置されていた。パーティションもなく隣の課の様子が丸見えで、常に緊張感が漂う。
 野島さんがよく課長や部長に楯突いている様子も丸見え・丸聞こえだ。初めて目の当たりにした時は驚き、思わずすがるように第三課長に目を向けると、課長は苦笑いしながら教えてくれた。

「いつものことだから大丈夫。アイツは入社当時から本当に生意気な口、利くんだよね」

 しかし課長からは嫌味などは感じられず、むしろやんちゃな若い主任に呆れつつ笑っているようだった。

「上にはあんな言い草だけど、面倒見はいいから安心して。アイツ⋯⋯いや、新入社員の前でアイツなんて呼んじゃいけないね。野島は去年の秋まで第三課の主任だったんだよ」
「そうだったんですか」

 自分の配属が彼の異動後で本当に良かったと、胸をなでおろす。

「正直、配属の時の挨拶を聞いて、野島主任って怖い人だなって思ったんです。第一課の私の同期が "あの時は緊張していただけ" と話しているのを聞いたようですけど」

 課長は「怖い顔してたよな。でもあんなことで緊張する奴じゃないぞ。だまされるなよ」と笑い、続けてこうも話した。

「野島は自分の入社式で “会社を乗っ取る発言” して社長が畏れをなしちゃったって話なんだ。その一方でそれを聞いたうちの部長がえらく気に入っちゃって "是非企画営業部に" と引っこ抜いて来たっていう、曰く付きの奴なんだ。ぶっ飛んでるところはあるけど、仕事は確かに出来る。ま、だからこそ好かれもするし嫌われもしてるけどね。俺は嫌いじゃないよ」

 課長の話から野島さんは私より6つ上ということを知る。そんな私たちの話を聞いていたのか、部長の坂本さんが近づいてきた。

「どうして第一課が真ん中に席を構えているか、聞いたことある?」
「いえ。もしかしてそれも野島主任が関係しているんですか?」

 部長は「御名答!」と指を鳴らした。

「アイツが第一課の主任になった途端にさ、座席の配置換えしろって言ってきたんだよ。"俺が一課に戻ったからには、もっと全体を見られるようにしてくれ" って。それって部長である俺の仕事だろう? って反論したんだよ。そうしたらさ "俺は常に俯瞰したい。だから中央に据えろ" ってさ。言い出したら聞かないんだよねぇ、アイツ。ほんと困るんだ」

 そう言いながらも、部長も困った様子は全くない。

「それ、他の人から反感買わないんですか?」
「座る場所が少しずれるくらいで、別に誰も迷惑に思ってなかったね。それよりさ、朝来たら俺の席に野島が座っているんじゃないかって、ヒヤヒヤしながら毎日出勤してるんだよ」
「まだお若いのに、課長を通り越して部長になろうとしているんですか」

 未だ何も知らなかった私は、とんでもない身の程知らずな人だ、と思ったのだ。部長は肩を竦めた。

「サラリーマンとしては正しい姿勢じゃないか。相撲取りは誰だって関取、ひいては横綱を目指すものだろう。それにアイツの実力、バケモノだからね。頭良いんだよ」
「バケモノ⋯⋯ですか」
「アイツはクールな情熱家だから。滅茶苦茶に見えて、なかなか絶妙なバランスを取っているんだ。中央で虎視眈々と、周囲をよく見てるよ、抜かりなく。そこはすごい。組織にはね、そういう尖った奴も必要なんだよ。アイツは自分をフォローしてくれる人たちのこともわかってるし。仲良しごっこでビジネスは出来ないからね」

 部長が去った後、「あぁ、あと」と課長がさらに続けた。

「野島は見た目もあぁだし、女グセはちょいと悪いらしい。最近はどうなのかよく知らないけど。ま、高橋さんも気をつけて、とだけ伝えておくわ」

 配属挨拶の時、悪寒が走ったことを思い出す。
 大丈夫。そもそも私と野島さんは、そんな接点はないはず。平々凡々あるいはそれ以下の私が、仕事以外で関わることなんて絶対にない。
 大丈夫です、と答えると、笑われた。

 野島さんは課長が話していたように、どんな人とも厳しいやり取りを繰り広げる事が多々あった。ただ、同期の話では "アフターフォローはしっかりしているから、アメとムチが上手" とのことだった。指示も判断も早く的確で、とにかく仕事はどんどん前に進むという。本当に頭のいい人なんだろう。
 つくづく違う世界に住んでいる人なのだ。他人事と思っておけば良い。

🤍

x1年9月

 9月に入っても真夏のような陽射しが厳しい。向かいのビルに反射した太陽の光が煌々とフロアを照らす朝。
 野島さんは第一課の主任から課長となった。主任就任から3年、28歳という年齢的にもあまりにも速い昇格に周囲はざわついていた。大風呂敷を広げておいて本当に実現させるとは、ますます恐れ多い人だ。

 花形部署と称される故に、斬新な人事も行われるとのことだった。野島さんの課長昇進もその例だろう。

 同時に様々な噂も耳にした。

"社長も部長も野島には甘いんだよ"
"言ったもん勝ちみたいなとこありそう。我が強そうだし"
"でも有言実行だろ。この世界じゃ当たり前"
"出過ぎた杭は打たれない、だな。アイツ、打った所でコテンパンに打ち返すだろうから"

 そんな噂が流れても、当の本人はどこ吹く風だ。彼は強すぎる。やはり住む世界の違う人だ。





つづく


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