同じ「育児」をしているはずなのに、どうして私だけ疲れるんだろう。
家事や育児の定義のズレが、ちりつもでしんどいなあ〜と思って調べてみたら、心理学や家事労働の研究で、これに近い話がちゃんと出てきた。
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やっぱりみんな思ってるんじゃん。なんかしんどいって。
家事には、実際に手を動かす「実行」だけではなく、「何が必要か考える」「準備する」「先回りする」「終わったか確認する」といった、目に見えにくい認知的な仕事があるらしい。「メンタルロード」と呼ばれるようだ。
研究では、この認知的な家事労働は、特に子育て家庭で女性側に偏りやすく、負担が大きいほどストレスや心身の不調、夫婦関係の満足度などとも関連している。
なるほど。私が「なんで私ばっかり」と感じていたのは、単純に手を動かしている量だけじゃなかったのだ。知的労働が多いからだった。そりゃ目に見えないし、わかってもらえないよなぁ。
そもそも「育児の終わり」が違う。夫にとって「離乳食をあげる」は、娘がご飯を食べ終わったら終わり。私にとっては、ご飯の献立を考えて作って娘が食べ終わって、机と椅子がきれいになって、食器が片付くところまで。
同じ「離乳食をあげる」でも、やってることが違うわけだよ。
こういう見えない仕事って、やっている側には当たり前すぎて、わざわざ「私は今これを考えています」と報告しないから余計に伝わらないよね。
冷凍庫を開けて、「何が残ってたっけ?」と考える。食べ終わった娘を見て、「今日は結構こぼしたな」と机と椅子を見る。全部、一瞬のこと。
だからって「夫は分かっていない!だからもっと察して!」と言いたいわけでなはない。私だって、夫が仕事でどんなことを考え、どんな見えない仕事をしているのか知らないし。
「私は離乳食って、ここまで含めて一つの仕事だと思ってる」とアッサリキッパリ伝えた方がいいんだろう。そして「食べさせたら、机と椅子を拭くところまでお願い」と具体的に言う。ただそれだけ。
夫婦って、同じ家に住んでいても、同じ景色を見ているわけではない。同じ「家事」という言葉を使っていても、頭の中にある範囲は違う。
だから、もし家事分担でモヤモヤしたら、「相手がやっていない」の前に、「そもそも私と相手で、この仕事の定義が違わない?」と考えてみる。
もしかしたら、夫婦喧嘩の一部は、愛情不足でも思いやり不足でもなく、「家事の定義のズレ」の積み重ねなのかも?
とか言いつつも、これは心理学とか認知的負荷とか、そんな難しい話を全部飛び越えて、「頼むから拭いてくれ。」という、妻の切実な願いである。
ほんなら、またね〜!
