「覚えなくていい」時代に、なぜ覚えることに意味があるのか
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「わからなかったら調べればいい。」
そう思って、覚えることをやめた瞬間が、誰にでもあると思います。
スマートフォンがあれば、知識は常に手の届くところにある。
それでも——「覚えること」に、何か意味は残っているのでしょうか。
会議室で止まる人と、止まらない人
打ち合わせの途中で、知らない言葉が出た。
隣の人はうなずいている。自分だけが止まる。
スマホで検索すれば、意味はわかります。
でもその間に、会話は3つ先に進んでいます。
知っている人は、止まらなかった。
「引ける知識」と「持っている知識」の間に、
何かが違うように感じます。
チェスの名人に見えて、初心者に見えないもの
1973年、心理学者チェイスとサイモンが実験を行いました。
チェスの名人と初心者に、盤面を5秒だけ見せます。
その後、駒を全部どかして——再現してもらいます。
名人は、ほぼ完璧に再現しました。
初心者は、数個しか覚えられませんでした。
「名人は記憶力が優れている」——そう見えました。
でも、次の実験で話が変わりました。
「ランダム配置」で、何かが崩れた
今度は、駒をランダムに並べた盤面を見せました。
実際のゲームでは起こりえない配置です。
名人の成績は——初心者と同じレベルに落ちました。
なぜか。
名人は「駒の位置」を覚えていたのではありませんでした。
数万局の経験から積み重なった「意味のある配置のパターン」を、
見た瞬間に認識していた。
ランダム配置には、パターンがありません。
だから、名人でも初心者でも変わらなかった。
「知識が頭の中にある」とは、「見え方が変わる」ということでした。
ロンドンのタクシー運転手の脳に何が起きたか
ロンドンでタクシー運転手になるには、
「ザ・ナレッジ」という試験に合格する必要があります。
26,000本以上の道を、2〜4年かけて頭に入れる。
地図は使えない。すべて暗記する。
この試験を通過した運転手の脳を調べると、
記憶と空間認識を担う「海馬」が、物理的に大きくなっていました。
知識を「中に入れる」行為が、脳そのものを変えました。
(Maguire et al., 2000)
GPSが来たあと、何が起きたか
その後、研究者たちは別のことを調べました。
GPSを使い続けた運転手では、
海馬の活動が下がり始めていました。
道を「覚える」必要がなくなると、
覚えるための部位が使われなくなった。
記憶の外部化は、脳を育てませんでした。
語れる以上のことを、知っている
哲学者マイケル・ポランニーは言いました。
「我々は、語れる以上のことを知っている。」
自転車の乗り方は、言葉で説明できません。でも乗れます。
熟練の料理人の「塩加減」は、数字にはなりません。でも手が知っています。
チェスの名人は、「なぜその一手か」を完全には言葉にできない。でも——見えています。
この種の知識は、検索することができません。
経験と反復の中で、脳と身体に積み重なっていく。
「覚えること」は、もしかすると、この種の知識を育てる行為かもしれません。
「引ける知識」と「持っている知識」は、本当に同じものでしょうか。
「覚えなくていい」時代に、私たちの「見え方」は変わるのでしょうか。
学ぶことの意味は、記憶の話ではなく、「見え方」の話なのでしょうか。
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