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日本の未来はおしゃれ手帖DA.YO.NE──ZORN『地元LOVE』と日本語ラップの成熟②

はじめに

ZORN『地元LOVE feat.後藤真希』(2026)は,古き良き90年代のNYのヒップホップであるBoom Bapが,日本ローカルのヤンキー文化に違和感なく溶け込んでいます.前稿ではこれを私は日本語ラップの成熟した姿だと論じました.

今回は,『地元LOVE』に関係する楽曲を紹介しながら,日本語ラップの「成熟」する過程を示したいと思います.

私は以前『今夜はブギー・バック』を起点に日本語ラップ史を一回まとめましたが,今回は同じことを少し違った角度から見ることになります.

モーニング娘。『LOVEマシーン』(1999)

まずはこの曲.

まだ中学生だった後藤真希(ゴマキ)が,オーディションからグループに加入し,いきなりセンターを務めた国民的ヒット曲です.
この『LOVEマシーン』以後2000年代初頭までの間は,まさに彼女たちの天下でした.
ゴマキをフィーチャーした『地元LOVE』は,当然この曲を前提にしています.
しかも90年代のJ-Popを代表するこの曲が「引用」しているのがJackson Sisters"I Believe in Miracles"(1973)
クラブ系のブラックミュージックに親しんでいたら当然知っている楽曲ですが,正直ちょっとマニアック.日本のお茶の間にこのフレーズが鳴り響いたときは相当驚きましたよ.

『地元LOVE』は,ヒップホップの文法として「引用」を前提に成立しています.
そしてこの曲の背景にあるポップスの『LOVEマシーン』にも,すでにブラックミュージックの「引用」が行われていることはポイントです.

では,それより前はどのようだったのでしょうか.

『ブーメラン』オリジナルサウンドトラック(1992)

ここで『地元LOVE』の元ネタである"Hot Sex"が収録されていた,映画『ブーメラン』(1992)のサントラをご紹介しましょう.

サントラは有名だけど映画を観た人は少ないと思う

この頃のアメリカのチャートはブラックミュージック全盛期.でも「コア」なヒップホップはまだメジャーになり切れてはいない.
このサントラの代表的な曲がBoyz II Menのバラード"End of the Road"です.92年にシングルがリリースされ,13週連続全米1位.93年にかけて,日本でもそこら中で流れていた大ヒット曲です.
プロデューサーは90年代前半を代表する大ヒットメーカーであるBabyface.このサントラでは他にもBabyfaceプロデュース曲がいくつも収録されています.

で,この中で異彩を放つのが"Hot Sex"なんですよ.わかりやすいコード進行とメロディーをもつ曲ばかりの中で,アルバムの最後に妙にざらついた質感でミニマルなループがひたすら続くこの曲が入っている.
個人的には最初にA Tribe Called QuestとラッパーかつプロデューサーのQ-Tipを深く認識した楽曲です.

ということでこのアルバムではブラックミュージックといっても,歌モノであるR&B"Hot Sex"のようなヒップホップはかなり異質でした.

ヒップホップ・ソウルの登場

しかし同時期にすでにR&Bとヒップホップのビートを合体させる試みが成功しています.やはりこの曲でしょう.
Mary J. Blige"Real Love"(1992).コンセプトの仕掛け人はSean "Puffy" Combs.彼女をこのヒップホップ・ソウルという文脈で世に出し,後に"Love @ 1st Sight"をプロデュースしています.

Audio Two"Top Billin"(1987)のタイトなビートに,何とラップではなく歌を乗せる.
さすがにビートだけではきついのでピアノとベースラインを足していますが,基本は短いループの反復です.
普通のポップスのようにコード進行が曲を前へ運んでくれるわけではない.そのぶん,歌手自身がフレーズをつくって曲を成立させなければなりません.
Maryの力量がそれを成し遂げましたが,当時はかなりの力業に見えました.

そして,MaryとPuffyは2003年に"Love @ 1st Sight"でこれをもっと洗練した形で提出したわけです.
『地元LOVE』と同じ"Hot Sex"のミニマルなビートを使いながら,シンセでコードを足してわかりやすくする.Maryもこの頃は少しリラックスして歌い,節をつけてラップしているようでもあります.で,ラップパートはMethod Manがきっちり締める.

2003年はBeyoncéJay-Z"Crazy in Love"が大ヒットした年でもあります.R&Bポップスとヒップホップの境目がいよいよなくなっています.

渋谷系が処理した「東京」と「ラップ」

日本のシーンに戻りましょう.
PIZZICATO FIVE『東京の合唱』(2000)

渋谷系といえば,洋楽に影響を受けた90年代のおしゃれな日本の音楽潮流です.このムーブメントを牽引したグループのひとつであるPIZZICATO FIVEが,YOU THE ROCK★をフィーチャーしてラップを乗せました.

90年代はPIZZICATO FIVEもYOU THE ROCK★もトガっていましたが,この頃になると「東京」「ラップ」もネタとして無理なく溶け込んでいます.
ただ,ポップスとヒップホップの融合として完成度の高いものではありますが,「東京」はネタとして抽象化されています.「リアル」な現場ではない.

『DA.YO.NE』をBoom Bapとして再評価する

ここでEAST END×YURI『DA.YO.NE』(1994)です.

94年はスチャダラパーと小沢健二『今夜はブギーバック』が春にまずヒットしましたが,オザケンも渋谷系.ヒップホップのマナーはしっかり押さえられていますが,ちょっとおしゃれな洋楽寄りに洗練されていました.

一方この『DA.YO.NE』は,当時のBoom Bapの文法を正確に踏襲しながら,日本のお茶の間に「コア」かつポップなヒップホップを届けた画期的な楽曲です.ラジオから初めてこの曲が流れてきたときの衝撃はよく覚えています.

『DA.YO.NE』がどう「コア」かというと,まず最初の"Here We go, Here We go, Come on, Come on!"というフレーズがヒップホップクラシックである"The Show"(1985)からの引用.下のビデオでは1:30くらいに出てきますよ.

そしてトラックはGeorge Benson"Turn Your Love Around"(1981)を使用.
"Hot Sex"のようなミニマルなトラックではありませんが,当時のヒップホップでは一般的な「引用」の仕方です.

"Turn Your Love Around"使用曲として,Junior M.A.F.I.A. feat. Aaliyah "I Need You Tonight (Jermaine Dupri Remix)" (1995)を挙げておきます.
『DA.YO.NE』の「引用」が,アメリカの文脈でも違和感のないことがおわかりいただけるでしょう.

『DA.YO.NE』にはなかった「地元」

ただ当時の日本で「コア」なヒップホップを実践するには,足場となるストリートの「現場」がまだ発展途上でした.

私は以前スチャダラパーの登場は,ストリートからの発信なしにいきなりDe La Soulが出てきたようなものだと例えましたが,日本のシーンにはそういう背景があったのです.

『DA.YO.NE』で起用されたYURIはアイドルグループの東京パフォーマンスドールのメンバーである市井由理篠原涼子が在籍していたグループで,YURIはバリバリの現役でした.
また,ベースとなるヒップホップグループであるEAST ENDRHYMESTERの兄弟分的存在.この曲ではMummy-Dが作詞に協力しており,宇多丸も曲中に登場しています.

「佐々木って24だよな?」「えっ,25だよ」「ですよね~」
当時佐々木士郎名義でライター活動もされており,ヒップホップについて語れる人材が数少ない中で早くから頭角を現していました.

つまりEAST END側のヒップホップ理解は,かなり「コア」でした.ただしお茶の間に届いた形としては,アイドル文化とヒップホップを掛け合わせた新しい「意匠」という側面が強かった.

一方『地元LOVE』でのゴマキは,単なる客演アイドルではありません.『LOVEマシーン』の記憶が背景にありながら,ZORNの地元の中に自然に入ってくる.ここが決定的に違います.

『地元LOVE』は日本のヒップホップの成熟した姿

このように日本でのヒップホップはまず本場の文法の「翻訳」から入りました.『今夜はブギー・バック』やこの『DA.YO.NE』は,翻訳物としてかなり高度な達成です.けれどもヒップホップで表現できる,生活圏に根付いた「地元」の厚みはまだなかった.

『地元LOVE』は単なる地元賛歌ではありません.日本のヒップホップが輸入と翻訳,そして引用を何重にも経たうえで,それでもなお「ここが地元だ」と言えるところまで来た楽曲です.

Boom Bapの意匠の上に,元国民的アイドルのゴマキが,ヤンキー的な生活感をまとって,同じ「地元」の中に収まっている.

『DA.YO.NE』のヒットから30年を経て,J-POPと日本のヒップホップはここまで来ました.
だから私は,『地元LOVE』を日本語ラップの成熟した姿だと思うのです.

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