六岡資生の嘘つきな秘書 ⑶
資生の裏アカウントは、資生の素性を知らない人間が見ると、ただの「アウトドアが趣味の人」が投稿するような普通の内容だった。
一日に一度か二度、投稿される。
日常の中の景色や自然の写真をはじめ、アウトドアに関する購買品や作った食事の紹介で、楚乃は資生が料理をすることに驚いた。
ルートシックスの公式動画などで野外調理をする内容のものはあったが、編集やスタッフが調理したものを、資生が作ったようにみせる撮影用のパフォーマンスだと思っていた。
資生のような人間は、包丁を握ることはもちろん、お湯を沸かしたこともないはずなのだ。
社長業と華やかな交友関係で作られた資生の生活において、わずかに存在するごくごくプライベートな部分を公開しているのだろう。
それを楚乃などが知ってしまっていいのか、少し迷う。
資生の新しい投稿に、楚乃が「いいね」を送るだけの日が何日か続いたある日、退社ラッシュの最中、楚乃が一階ロビーに降りたところで、向かいのエレベーターから背広の前ボタンを閉めながら慌てた様子で資生が降りてきた。
「あ、灘原さん、よかった。つかまった」
「し、社長!?」
楚乃が突然に「お疲れ様です!」と直角に近い位置に頭を下げたので、周りの人間が驚きを示す。
「ごめん、灘原さんの退勤をチェックさせてもらってたんだ」
「私の退勤……?」
「今、時間ある……」
「あ、灘原さ……、えー!? 社長ー!?」
わらわらとエレベーターから降りてきた男性社員の声で資生の声はかき消された。
ルートシックスのにぎやかな営業部だ。
「社長! どうしたんですか、こんな所に!」
「社長、お疲れ様です!」
「お疲れ様です。みなさん、お揃いで?」
次元の違う落ち着いた笑顔で資生が尋ねると、
「これから飲み会なんです!」
「それはいいね」
「社長も一緒にどーっすか!? なーんて。ね、灘原さん」
「えっ」
お調子者の営業部員が言うと、資生は楚乃を向いて、
「灘原さんも行くんですか?」
「はい。私も誘っていただいたので……」
顔の広い楚乃はわりといろんな会に呼んでもらえる。便利屋枠でだが。
「……本当に僕も行っても構わないのかな?」
「ええっ」
普段出さないような大きな声が出て、楚乃は自分でも驚いた。ホールにも響いた気もする。
「えー! 大歓迎っす!」
「いや、それはちょっと……」
「迷惑じゃなければ」
「全然です!」
「え、あの……」
「一名追加でー!」
素面なのに体育会系の盛り上がりをみせる営業部をよそに、楚乃は慌てて、
「社長、いいんですか? 安い大衆居酒屋ですよ。お料理も大しておいしくないですよ?」
資生は苦笑しながら、
「あのね、僕だって居酒屋、行くよ?」
場所はすぐ近くの居酒屋だったが、一度社に戻ってから行くという資生の案内役として楚乃が残った。
社長室までついていくと申し出たが断られたので、一階のエントランスで資生を待っていると、思いのほかすぐに降りてきた。
すがすがしいほどに両手が空いている。資生は鞄も持たないだろうし、ほとんどが車移動だろうから、道を歩く姿も想像できない。
「ごめん、お待たせ」
「あの、タクシーにお乗りになりますか」
「あれ、お店って近いんじゃなかったっけ?」
「……はい、ここから歩いて五分ほどですが……」
資生は不本意だと言わんばかりに、
「あのね、僕、学生時代に百キロウォークしたことあるからね」
「……それは、失礼いたしました」
「行こうか」
「はい」
外は、周辺のオフィスビルからの帰宅ラッシュで人が多く行き交っていた。
雑多な歩道を二人で並んで、いや楚乃はどうしても半歩後ろを歩いてしまう。資生が話しかけてくるのに、少し後ろを振り返る感じになっていた。
「……あ、あの! 今日、鈴さんか八柳さんは?」
「鈴には言って出てきたよ。八柳は今日は別件で外周りなんだ。別に二人といつも一緒ってわけじゃないからね」
しかし、なんとなく八柳のいない時に、勝手なことをすると怒られそうな気はする。
「あの、私ごときが失礼なお願いではありますが、鈴さんか八柳さんにこのことお伝えだけしてください。必要ないかもしれませんが、何か起こったときに私ではどうにもできないこともありますので」
「僕が一人じゃ何もできないみたいに言うなぁ。まあ、そのうち電話がかかってくると思う」
資生は不満そうだったが、確かにそう言ってすぐに資生に着信があった。
「ほら、噂をすれば。タイミング良すぎて怖い。盗聴器でもされてるんじゃないか、これ。はい、お疲れ。うん、ああ、そうなんだ。鈴に聞いた? というわけだから。はいはい、わかってる」
脇にそれて立ち止り、通話中の資生に控えていると、
「八柳が代わってって言ってる」
「えっ、私にですか?」
「はい」
スマホを渡される。
なんの装飾もない、なんならケースもカバーもついていない。
落として傷がついたとして、すぐに買いなおせるからだろう。
資生のスマホに触れるだけで緊張する。
恐れ多いことだ。手の届かないような存在の、私物に触れるなど。
スピーカーになっていたので耳を寄せなくてもいいだけ救われる。なぜだかわからないが指紋一つなく、ガラス面が新品のような艶で輝いている。黒い宝石みたいだ。
『この度は社長が……」
「八柳さん、申し訳ありません!」
「別に灘原さんのせいじゃないよ」
『灘原さん、大丈夫です。社長が勝手にしているのはわかっています。どこの店ですか?』
「駅前のパンダ亭です」
八柳は一瞬黙って、すぐに
『運転手に待機して、二時間後に迎えに上がるよう伝えておきます。できれば社長にあまり飲ませないようにしてください、明日朝イチで会議がありますので』
わかりました、そう言って楚乃は通話を終えた。
「社長、なにか困ったことがあれば合図を送ってください」
「合図?」
「私は末席にいますので、社長とは離れるので」
「え、灘原さんが隣に座ってくれるんじゃないの?」
「社長のお隣は、みんなで取り合いですよ」
「灘原さんこそ、アルハラとかセクハラとか、大丈夫なの? もちろんそういうのがあれば抗議するけど」
「私は慣れてますので」
「そこは慣れたらダメでしょ」
「社長こそ驚かれるかもしれません。社員の下品で粗野な振る舞いに。本当に大丈夫ですか。社長が普段社交されている場とは違いますよ? 汚くて狭くてうるさいです」
「……存外、口うるさい秘書になりそうだな」
資生の言葉は楚乃には届いていない。
仕事終わりの疲れたサラリーマンばかりの中で、資生は歩く空気清浄機のように清々しい雰囲気をまとわせている。
顔、スタイルの良し悪しだけではなく、内からにじみ出る気品というべきか、飲むものや食べるものが違うせいか、それとも吸い込まれるような深いスーツの生地感のせいか。
今、楚乃は私服だ。楚乃が資生と会ったときはパーティーを除いてこれまではいつも制服の時だったので、忘れていた現実を目の当たりにする。恥ずかしさよりも悲しさが勝った。素材の良し悪しというのはあからさまで、思う以上に残酷なものである。
本当に場違いだ、資生が、この場に。
「……あの、繰り返すようですが、本当にこんな飲み会に参加なさってよろしいのですか」
「え、ダメ? これまで機会がなかっただけだよ。今日は灘原さんのおかげでチャンスに恵まれた」
「わ、私の!? ですか!?」
きっかけがまさかの自分であったことに驚きと、原因となってしまった申し訳なさで一瞬血の気が引くが、
「そう、僕、あなたに用事があったんだよ。コメントしたのに、どうして返信くれないの?」
資生の用事は予想外の内容だった。
「『いいね』で返されても、僕の質問の返事にはなってないよ?」
「えっ、いえ、そんなつもりは……単なる挨拶代わりの、社交辞令かと……思って……」
「違う。純粋な興味からの質問だよ? え、あ、ここ?」
資生は足をとめ、でかでかと筆字で書かれた看板を見上げた。
「はい、こちらのお店です」
「はあ、もう着いちゃったか。本当に『パンダ亭』だ。楽しそうだな店の名前だ」
「本当に小汚い店です」
「今から行くのにその言いようはどうかな」
苦笑いをする資生に、楚乃は本気で心配している。
「ですので、本当に社長をお連れしていいものかと……」
「よく来るお店なの?」
「はい。近いし、おいしいんです。小汚いですけれど、安いし……」
説明する楚乃の声は、だんだん小さくなっていった。
価格は楚乃たちには重要なことだが資生には関係ない。味にしても資生が美味しいと思うかはわからない。
「すごくいい匂いがしてるね」
「はい。実は、帰り道でこの匂いに釣られて、ついつい寄り道しちゃいそうになります」
「一人で?」
「そうですね。我慢できない時は一人で寄ってしまうこともあります」
そうなんだ、と資生は笑った。
「一人で食事をするときは写真に撮って、インスタにあげるのはどう?」
「えっ? インスタにですか? 無理です。インスタ映えするような食事をしていませんし、そんな誰の何の得にもならないこと……」
「僕が反応するじゃん」
「社長が!? そんな、恐れ多い!」
「恐れ多いってなに。今もうし合ってるでしょ。僕はキャンプ飯で、灘原さんは一人ごはんで」
「社長のキャンプ飯は参考になりますが、私のは……」
「僕は興味あるよ」
「いや、でも……」
資生くらいの人間は仲間だったり秘書だったり、運転手だったり、一人になることなどなく、外で一人で食事をする事案が珍しいのかもしれない。
「あっ、社長! お待ちしておりましたー! どうぞどうぞ。汚い店ですが」
楚乃が可否の返事をする前に、先の到着していた営業部の人間に見つかってしまい、「早く、早く」と話途中で中へといざなわれた。
飲み会での資生は楚乃が心配していたようなことはなかった。
むしろ社員との情報交換の場として有効な時間だったのではと思えたくらいだ。
資生の周りには営業部の女性たちが陣取っていたが、男性社員とも楽しく話が盛り上がっていた。
途中で楚乃は、資生の酒が量が思いのほか進んでいることに気づいて席を立つ。
「社長、こちら焼酎の水割りです。どうぞ」
飲み物のオーダーを一手に引き受けていた楚乃はそれをいいことに、あたかも注文したものが届いたかのように背後からぐいと無色透明のグラスを差し出した。
他に聞こえないように小声で「水です」と付け加える。
「僕、合図、送ってないよ?」
「八柳さんに叱られますので」
きっかり二時間が経ったとき、個室の入口付近にいた楚乃に、運転手のオギスさんが「灘原さん」と声をかけてきた。
再び席を立って、声をかける。
「社長、オギスさんが来られました」
わかった、と資生は頷き、
「皆さん、そろそろ僕は失礼します」
すっかり酒の回った営業部員のブーイングの中、退席を告げる。
自然とも不自然ともいえたが、楚乃以外に、飲み会にいる誰も社長をアテンドする気はない。
こちらですと誘導し、まるで新品かのような履き癖ひとつない革靴を資生の足元に揃えて置いた。
靴ベラを渡す。
「ありがとう。灘原さんは働き者だ」
「そんな大したことはしていません」
自己評価低いなぁ、と資生が顔をほころばせるその顔が少し赤いように見えた。
「お酒はいけるタイプ?」
「はい、割と飲めます」
「そうだね。結構飲んでるように見えた。飲みすぎじゃない?って合図送ってたんだけど?」
「えっ!? いつですか?」
見られていたのかと楚乃は顔が赤くなった。
飲むだけではなく、食い意地もはっていたからだ。自覚があるくらいに。
「さ、参加費分は飲み食いさせて頂くだけです!」
「そうか、今日は僕のオゴリだから好きなだけ食べて飲んでいいけど、気をつけて帰って。本当はこのままあなたを送りたいけど」
「え?」
顔を上げた楚乃に、資生がよろけて覆いかぶさってきて、楚乃は必死に身体で身体を支えた。
「おっと、悪い。……ちょっと飲みすぎたかな」
楚乃の体は強張り、息すらできなかった。
座敷のあるパンダ亭の2階の廊下は、楚乃達以外に人気はない。
飲み会の騒がしさとは、障子一枚なのに一線を画している。
「……今夜」
「……はい」
「ライブ配信したら……来れる?」
実際にはどれくらいの近さかわからない。
ただ、楚乃には天と地がひっくり返るくらいに思える近さで、そう尋ねられ、
「……はやく、かえり、ます……」
か細い声でどうにか返事をした。
資生の酒の回りを心配したが、足取りは普通で、食べ物の匂いがあふれかえる店に似つかわしくない紳士的な対応で店を出た。
路肩に運転手のオギスさんがドアを開けて姿勢正しく待っている。
安っぽいパンダ亭のネオンが、黒いつややかな車体に反射していた。
無言で乗り、楚乃に一瞥もくれず、資生の乗る車は泳ぐシャチのような加速で車列の中に消えていった。
「え、え、今のなに……? 心臓が痛い……」
支払いは、すべて資生が支払う手はずになっていた。
*
限定ライブ配信は、招待されたフォロワーのみが参加できる仕様になっていた。
招待を受けていた画面から楚乃がインすると、しばらくして配信が始まった。
「SONOさん、おかえり」
『ただいま帰りました』
配信は一方通行なので、楚乃からの言葉はコメントで返ってくる。
資生はカメラに向かって話したことに対して、文字が表示された。
「今帰ったの?」
『はい、今帰ってきたばかりですぐに繋ぎました』
「早かったね。もしかしてみんなより先に帰ってきてくれた?」
『落ち着かないので先に失礼してきました』
「それは悪いことをしたな。でも、逆にそれなら一緒に出ればよかった」
『いえ、それは、無理です。恐れ多いです』
「恐れ多いって、何時代だ?」
届くのは笑いを含んだ声だけだったが、資生がどんな顔をしているか、今の楚乃には想像できた。
視聴者はSONOだけ。楚乃にしか公開されていない。
つまり、顔出しも構わないはずだが、画面に映る資生は首から下だけだった。あくまでも『裏』アカウントということなのだろう。
白いTシャツ姿で、公式動画などではアウトドアウェアなので、スーツ姿以外も見たことはあるのに、完全な私服とわかっているからか、妙にどきどきしてしまう。
照明は抑えてあって、薄暗い。
『あの、今夜はごちそうさまでした』
『みなさんも感謝されてました』
「飲み会、おもしろかったです。直に意見も聞けたし、収穫しかなかった」
『それはよかったですが、お店とかお料理とか、大丈夫でしたか』
「実はあまり食べれなかった。みんなと話すことに忙しくて。だから、近いうちにリベンジしたいと思います」
『わざわざ行くようなお店ではないと思います』
「パンダ亭のSONOさんの評価、低いのか高いのかわからないな」
それは相手が資生だから躊躇するのであって、楚乃としてのパンダ亭の評価は星4.5というのが実のところだ。
「えー、ここは自宅の一室で、アウトドア用の部屋にしています」
ガタガタと音がして、部屋をぐるりとカメラが回る。
ハンモックや釣り竿、サーフボードからテントが見えた。
『まるでルートシックスのショールームですね』
「うちの商品じゃないものもいっぱいあります。僕は焚火をぼーっと見るのが好きなので、火気OKな屋上テラスがある部屋に引っ越したいなと思っています」
「代わりに、これを」
ジャーン、と言いながら、アップで砂時計が画面に映し出された。
「あ、これは時間を計るとかじゃなくて、焚火と似たような効果があって、ただ砂が落ちるだけなんだけどいつまでも見てられる。見えてる?」
『はい』
「ところで、SONOさんに質問。映画が好きなんですか? それもかなり好きな方? これを、僕はずっと聞きたかったんですけど。今日、あなたの退勤までチェックして凸ったのはその返事を直接聞きに」
『それは申し訳ございませんでした』
「それで、趣味は映画鑑賞?」
『趣味と言うほどではないですが、よく観ます』
実は、楚乃は毎週一本、映画を観る。好きでというよりは、最初は単なる暇つぶしで始めたことだった。
「毎週? すごいね、立派にガチ勢じゃん? ……俺は最近観てないなぁ」
資生が映っていないところからペットボトルを取って、水を飲む。
全ては映っていないにしても、生活が垣間見えるようで、それが嬉しいファン心理だ。
『お忙しいから、そんなお時間はないと思います』
「うーん、まぁそうかな」
たいてい、資生の生活レベルで映画を観ると言ったらホームシアターでのこを言うのだろう。財力があれば家を映画館並みの効果にすることは今の時代簡単だ。
「どういうジャンルが好きなの? SONOさんの投稿を見ても、ドキュメンタリーからホラー、邦画、アニメもあって、傾向がよくわからなかった。それとも片っ端から見るとか?」
『特にどういうのが好きとかなくて……、実は、映画館に行くまで何を見るかわからず行くんです。毎週水曜日のレディースデーに、6番シアターで上演しているものを好き嫌い関わらず観るんです』
「えー、それ映画ガチャってこと?」
『はい、観たいものがないなって時に、逆にそっちを固定することを思いついて、それからはどの作品に当たるかもあえて楽しんだりしています』
「鑑賞の仕方がもはや玄人だな」
『実は劇場の常連客になちゃっててちょっと恥ずかしいです。席も毎回同じ席だし。シアターシックスのR-6なんです』
「えっ、まさかそれルートシックスから?」
『はい』
「なにその愛社精神。嬉しくて、もう僕泣いちゃうよ」
⑷へ
