"優しさ"を価値として描いた理由:連続小説『共生の黎明』に込めた想い
皆さま、いつもありがとうございます。
今回は"優しさ"についてです。
『共生の黎明』を書く前、私はこれからの時代に、本当に必要なものは何なのだろうと考えていました。
技術は進歩し、社会は効率化され、AIも急速に発展しています。
けれどその一方で、
「誰かと比べ続ける苦しさ」や「役に立たなければ価値がないという感覚」、「心を休める場所の少なさ」、そして「孤独」が、静かに広がっているように感じていました。
今の社会では、“強さ”は見えやすいものです。
「数字」や「成果」、「速度」や「効率」、そして「競争」。
これらは、評価されやすいと感じます。
けれど、“優しさ”は違います。
「誰かを気遣ったこと」や「そっと寄り添ったこと」、「傷ついた人を見捨てなかったこと」は、多くの場合、数字になりません。
記録にも残りにくい。
けれど私は、本当はそうしたものこそが、人と社会を支えているのではないかと感じていました。
『共生の黎明』で描きたかったのは、
「優しさが、ただの綺麗事では終わらない未来」
です。
優しさは、弱さではありません。
むしろ、「誰かを受け入れる強さ」や「怒りだけに流されない力」、「孤独を断ち切ろうとする勇気」だと私は思っています。
作中に登場する「感謝の循環」や「アヤ/ユラ」の仕組みも、単なる通貨システムではありません。
そこには、「目に見えにくい優しさを、社会の中で呼吸できるものにしたい」という想いを込めていました。
今の社会では、利益にならない優しさは、時に“無価値”として扱われてしまいます。
けれど本当は、「誰かを支える言葉」や「小さな助け合い」、「見返りを求めない行動」が、人の心を繋ぎ止めていると感じます。
私は、それを見失いたくありませんでした。
もちろん、優しさだけで全てが解決するわけではありません。
現実には厳しさがあり、痛みがあり、時に人は余裕を失います。
だからこそ私は、
「それでも優しさを手放さない人たち」
を書きたかったのです。
それは、完璧な人間ではありません。
迷いながら、傷つきながら、それでも誰かを思おうとする人たちです。
『共生の黎明』は、
強い者だけが生き残る未来ではなく、
「小さな灯を守ろうとする人たちが、共に歩ける未来」
を描きたかった物語です。
だから私は、“優しさ”を価値として描きました。
優しさが価値にならない社会より、
優しさが静かに循環していく社会を信じたい。
夜明けというものは、きっと誰かの小さな思いやりから始まるのだと思うのです。
島江長しろまる(しまえなが しろまる)
