#不登校 8歳で学校をやめた僕が、11歳で初めて「学校って楽しい」と思った日
僕が初めて「学校って楽しい」と思った場所は、教室ではありません。
保健室の、隣の部屋でした。
今日は、その話をします。
きっかけは「卒業できないよ」
8歳で学校をやめた僕は、11歳になっていました。
小学校には、月に一度、行くか行かないか。
ある日、母と僕は学校に呼び出されて、校長室でこう言われました。
「出席日数が足りない。このままでは、小学校を卒業できないよ」
そして、こう続きました。
「保健室でもいいから、学校に来てほしい」
小学校を卒業せずに生きる人生か。卒業する人生か。
僕は11歳で、人生の岐路に立たされました。
ただ、この提案は、ハードルの低いものでした。
教室には、入らなくていい。
教室に入らないことから始めるなら、
クラスの目も気になりません。
何より、卒業がかかっています。
1回、やってみよう。
そう思って、僕は保健室登校を始めました。
ちなみに、校長先生の「卒業できないよ」が本当だったのかどうか。これは長くなるので、また別の日に書きます。
保健室の先生と、ワープロの部屋
保健室には、やさしいお母さん風の先生がいました。
先生は、「教室に行きなさい」とは言いませんでした。
そのかわり、僕を保健室の隣の部屋に
連れて行ってくれました。
ワープロの部屋です。
いまの子どもは、ワープロを
知らないかもしれません。
画面とキーボードと印刷機がひとつになった、
文章を書くためだけの機械です。
当時はまだ家庭に普及しておらず、
大人でも使える人が少ない、めずらしい機械でした。
ミニ四駆とラジコンとゲームが好きだった11歳は、
ひと目で、とりこになりました。
「まずは、文字を練習してみようか」
先生にそう言われて、僕は「あいうえお」をひたすら打つ特訓を始めました。
そのとき、初めて思ったのです。
学校に来て、楽しい。
ずっと、こうしていたい。
8歳で学校をやめてから、初めての感覚でした。
気がつけば「文章作成係」
それから僕は、ワープロを打つために、
毎日保健室に通うようになりました。
毎日打っていると、どんどん速くなります。
気がつけば、保健室の先生の文章を
作る係になっていました。
文字の左寄せ、中央揃え、右揃え。
印刷も、お手のものです。
漢字が書けなくても、打って
変換ボタンを押せば、一瞬で漢字になります。
印刷ボタンを押すと、「ジーコジーコ」という音とともに、
自分の打った文字がA4の紙になって出てきます。
できあがった紙を渡すと、
先生が喜んでくれます。
最高の遊びで、最高の仕事でした。
学校の中に、僕の「仕事」と
「居場所」が、同時にできたのです。
気がつけば、僕が学校に行く理由は、
「卒業」ではなく「ワープロ」になっていました。
ガラスの向こうの、数十人
そんなある日のことです。
ワープロの部屋に、クラスメイトが
どっと押し寄せてきました。
その数、およそ数十人。
急に学校に来るようになった僕を、
見に来たらしいのです。
ワープロの部屋は、ガラス張りでした。
外から見れば、めずらしい動物を見る観衆。
中から見れば、オリに入れられたサルの気分です。
「なにしてるのー」
「これなにー」
数十人に囲まれるプレッシャーと、
ワープロを邪魔された不機嫌で、
僕はこう答えてしまいました。
「何でもいいだろう」
邪見に扱われた「やじ馬」たちは
「なんでもいいらしいから、いこうぜ」
野次馬は、去っていきました。
正直に書くと、あのときの本音は、こうでした。
どうせ仲良くなるつもりも、ないでしょう。
だから、ワープロに集中させてくれよ。
「学校に行っていない〇〇くん」というフィルター
いじわるで、ああ答えたのではありません。
クラスメイトと、どう付き合えばいいのか、
本当にわからなかったのです。
団地の友だちとは、放課後によく遊んでいました。
遊びたいときに声をかけて、合わないときは遊ばない。
義務のない、自由な付き合いです。
でも、毎日おなじ教室で顔を合わせる
「クラスメイト」という団体に、
1人でどう混ざればいいのか。
向こうは多数で、こちらは1人。
向こうは、めずらしいものを見る目で、
こちらを見ている。
そこには、はっきりと
境界線が見えました。
僕は、自分のことを特別な存在だと
思ったことはありません。
ただ、みんなから見れば
「みんなと違う存在」で、「理解できない生物」なのだろうな、
ということには気づいていました。
そして僕のほうも、みんなのことが理解できませんでしたし、
正直、理解しようとも思っていませんでした。
理由があります。
子どもも大人も、僕に話しかけるときは、
枕詞に「学校に行っていない〇〇くん」という
フィルターがついていました。
僕に興味があるのではなく、
「学校に行っていない人」に興味があるだけ。
あるいは、「学校に行っていないから、こいつは変だ」と、
会う前から決まっているだけ。
そのフィルターごしに話しかけられている限り、
何を話しても、僕自身を見てもらえる気がしなかったのです。
あとになって、クラスの女子にこう言われたことがあります。
「学校に来てない子って、デブで、メガネで、リュックしょってて、オタクっぽい人だと思ってた」
実際の僕は、ガリガリにやせていて、
メガネもかけていません。
「なんだ、普通の人じゃん」
普通の人に見えることが、驚かれるのです。
学校に行っていないだけで、
人はそこまでイメージを膨らませるのか、と思いました。
ただ、不思議なもので、色眼鏡に慣れると、強くなります。
ちび、デブ、メガネ、バカ、アホ。
陰で何を言われても、何と思われても、
だんだん気にならなくなっていきました。
あの日、ガラスのこちら側で思ったことを、
いまでも覚えています。
僕は、向こう側の人とは違うんだな。
11歳の僕が、ワープロの部屋で学んだこと
ワープロとクラスメイトに囲まれた11歳が、
あの部屋でわかったことは、3つあります。
1.スキルを身につけて誰かの仕事を手伝うと、誰かが喜んでくれる。
2.道具から生み出したものが、人を幸せにできる。
3.第一印象の色眼鏡は、基本、一生外れない。
誰かに喜ばれる小さな仕事は、子どもの居場所になります。
保健室登校をしているお子さんがいる方へ
大人になったいまも、僕は毎日、キーボードで文字を打って仕事をしています。
その原点は、塾でも教室でもなく、
保健室の隣の小さな部屋です。
「学校って楽しい」は、教室の中だけで起きることではないのだと思います。
僕の場合、それは友だちや授業からではなく、
「誰かに喜ばれる小さな仕事」から始まりました。
いま思えば、保健室の先生がしてくれたのは、
「まず教室へ」ではありませんでした。
「まず、この子が夢中になれる何かへ」。
僕を教室に戻そうとするかわりに、
僕の好きそうな機械のある部屋へ、連れて行ってくれたのです。
保健室は、教室に戻るための待機場所とは限りません。
そこ自体が、何かが始まる場所かもしれません。
今日も、読んでくださって、ありがとうございます。
★学校からの電話が、毎日鳴っていたころの話
↓↓↓
★毎週 不登校時代の話、不登校から大人になった話を更新しています
フォローで続きを受け取れます。
↓↓↓
◆この連載について
8歳で学校をやめ、義務教育2年のみで育った著者が、40年後のいま検証する「生き抜く力」の育て方。書籍化を前提に執筆中。
不登校、社会からの圧力。大人になった時のすばらしさ、苦しさ、現実。ありのままをお伝えします。
この連載は実体験に基づいています。プライバシー保護のため人物は仮名にし、記憶をもとに一部を再構成しています。
読んで感じたことがあれば、コメントで聞かせてください。
同じ夜を過ごしている誰かに届きそうなら、シェアしてもらえたらうれしいです。
★不登校のこと、匿名で聞ける質問箱をやっています
質問は完全匿名です。お名前もログインもいりません。
お返事は、質問箱か記事で、ゆっくりお返しします。いつ届くかは、わかりません。それでもよければ、どうぞ。
