#不登校 「お子さん、今日も学校に来ていません」
「お子さん、今日も学校に来ていません」
受話器を持った母の顔から、色が消えていった。
僕はその日、家にいた。
学校に行ったふりをして。
隠れて休んでいたのが、ばれた日だ。
話は、少しさかのぼる。
「一緒に、学校をさぼろうぜ」
住んでいたのは、市営団地だった。
母はひとりで働いていて、昼間の家には、誰もいない。
そんな僕に、団地の上級生が声をかけてきた。
「一緒に、学校をさぼろうぜ」
やり方は、簡単だった。
学校に行くふりをして家を出て、親が仕事に出たころ、こっそり家に戻る。
ふたりとも、かぎっ子だった。
昼間の団地で、大人に会うことはない。
最初は、月に一度だった。
それが二度になり、三度になり、数えられなくなった。
音を小さくしたテレビゲームの画面だけが、昼の部屋で光っていた。
ゲームは、楽しかった。
でも、胸の奥は、少しも晴れなかった。
そして、あの電話が鳴った
電話口の母は、頭を下げていた。
「すみません……。明日には行かせますので……」
そう言って、受話器を置いた。
怒鳴らなかった。
責めもしなかった。
ただ、母が自分自身を諭すように、それだけを言った。
「このままだと、ロクな大人になりませんよ」
あの家庭訪問の日、担任の先生に言われた一言だ。
うつむいた母の顔を見て、あの言葉が頭をよぎった。
「明日は学校に行くね」
それでも僕は、そのひとことが、言えなかった。
学校に行きたくない理由も、うまく言えなかった。
頭の中には、あの問いだけが、居座っていた。
なぜ、学校に行かなくてはいけないのだろうか。
なぜ学校に行かなくてはいけないのか。子どもの質問に、まっすぐ答えてくれる大人は、ひとりもいなかった。
隠れて休むのを、やめた
1986年、小学2年の3学期。僕は学校に、一切行かなくなった。
そして、隠れて休むのを、やめた。
さぼっていたころは、うしろめたさが、いつも隣にいた。
行かないと決めたら、それが、すっと消えた。
当時、学校に行かない小学生は、全校生徒の中で千人にひとりか、ふたり。
一人は、体調不良で学校に行きたくても行けない生徒。
一人は、学校に行けるけど行かない、僕だった。
それから「学校のない毎日」が始まった。
朝、母が仕事に出ていく。
昼、僕は、ひとりになる。
その毎日で何が起きたのかは、これから、この連載で書いていく。
ただ、その前に、話しておきたいことがある。
なぜ8歳の僕は、「明日は学校に行くね」と、言えなかったのか。
その種は、この1年前に、まかれていた。
【40年後の僕から】
母をだまして隠れて学校を休んでいたことに、言い訳はない。
ただ、40年たって、これだけは言える。
あのさぼりは、母への裏切りではなかった。
「なぜ学校に行くのか」を言葉にできない子どもが見つけた、たったひとつの学校への、社会への、大人への質問状、それだけだった。
もし、あなたの近くにも隠れて休む子がいるなら、その胸の中は、こうだったのかもしれない。
★なぜ、学校に行けなくなったのか
★毎週 不登校時代の話、不登校から大人になった話を更新しています
フォローで続きを受け取れます。
← 前の話
「ロクな大人になりませんよ」
◆この連載について
8歳で学校をやめ、義務教育2年のみで育った著者が、40年後のいま検証する「生き抜く力」の育て方。書籍化を前提に執筆中。
不登校、社会からの圧力。
大人になった時のすばらしさ、苦しさ、現実。
ありのままをお伝えします。
この連載は実体験に基づいています。
プライバシー保護のため人物は仮名にし、記憶をもとに一部を再構成しています。
読んで感じたことがあれば、コメントで聞かせてください。
同じ夜を過ごしている誰かに届きそうなら、シェアしてもらえたらうれしいです。
★不登校のこと、匿名で聞ける質問箱をやっています
質問は完全匿名です。お名前もログインもいりません。
お返事は、質問箱か記事で、ゆっくりお返しします。いつ届くかは、わかりません。それでもよければ、どうぞ。
